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●出版パーティのご案内は下記をご覧ください。
12月の日記
内容(キーワード)
11月 | 6日 |
近況、友人からのメールなど
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近況・雑感
◎師走ですね。一段と寒くなってきました。政治の世界は、民主党も頼りないですが、自民党も政局よりもっと、大局から政策を論じられないのですかね。政界の 貧困さを感じます。
◎日中の問題も、経済にはさほど大きな影響はないようですね。
◎アジア大会のメダル獲得数を見ていると、今の経済の状況とそっくりです。せめて成熟社会になっているからスポーツの世界だけでもと期待いしましたが、中国 には大差、韓国にもかなり差をつけられています。そのうちに後続の国からも追い抜かれるのではないかと、心配します。
◎これからの時代、情報が世界をさらに変えていくでしょうね。活字メディアは、大変でしょうが、やはり理念と批判精神を健全な形でもつ取材力においては、もっとも信頼もできると思っています。
【世相雑感】
友人のメールから
●先月の写真「奥入瀬」についてメールをいただきました。
この方は北里大学畜産学部獣医学科卒で、大学が十和田市にあり、その昔、4回生の時に、その方が始めた、「十和田湖ウオーク(大学から十和田湖までの昼夜行軍)」が今や大学の名物行事となっているそうです。
だから奥入瀬については詳しいのです。(私も初めて知りました)
そのメールによりますと、
―小生が若かりし頃3年間の大学生活を過ごしたところ、当地は本当に素晴らしいところであります、特に、当時、関西人で訪れる方々はほとんどなく、我々しか知らないところ・・・なんて思っておりましたが、今や多くの関西の方々も素晴らしい自然環境に驚きと感激を味わっておられます。
ここで一言、小生としては6月の新緑の奥入瀬は格別ですから、おそらく秋よりもシャッターチャンスは倍増間違いなし(でも青春時代での思いと老いた今は違うかもしれませんが)。しかし、春の奥入瀬は本当に格別ですから!是非、お薦めします、そして、蔦温泉でゆったりとお風呂に入って疲れを癒してください。
●先月の「ジジイの怒り」にメールをいただきました。
「ジジイの怒り」は一言「ごもっとも!」です。
自民党時代から続く捻じれ国会は、政局化しスピードを持って解決せねばいけないことも決まらず。
自民党、民主党ともに先送り。今の外交問題は先送りの結果では。
政界の優先順位は政治家>党>政策>国民>国
政治家の言う国民第一、国民目線は・・・・・・・・・
●傘寿を迎えた方からのメールです。
小生、この11月に遂に傘寿を迎えました。遥けくも辿りついたものよ我ながら驚いています。おつむが少し怪しくしなり、足腰もかなり弱ってきました。このところ、遠出の旅は控えて専ら近場の淡路島が気に入って毎月2~3泊ででかけております。
淡路島最南端の阿那賀という名の町が私を引き寄せます。終戦直前に死んだ若い予科錬生(私とほぼ同年令です。)を祀っている「慈母観音」にお詣りしています。(城山三郎さんの”軍艦旗はためく下に”がきっかけで訪れました。) 新鮮な魚とホテルの和、洋の料理長の腕も捨てがたくて・・。
●次は広島と東京を交互に住みながら活躍の方からのメールです
老骨に鞭打って、などという常套句は、貴君(岡田のこと)に似合いませんよ。
石津謙介氏の「人生四毛作論」によると、「人生を、25年単位で4つに区切り、25歳までは基礎形成期、その次の50歳までは社会のなかで「稼ぐ時期」、三毛作目の75歳までは二毛作目の収穫をもとに人生を成熟させる時期、そして75歳以降の4毛作目は「儲け物」、つまり、「おまけ人生」を味わう時期、ですと。
ならば、来年1月で77歳になる我が輩は、まさに「おつり人生」をトボトボ辿る訳でして、・・・・。
写真・旅三昧
◎以下の写真は今年の紅葉散策の写真です。ご参考にしてください。
*高槻の神峯山寺(写真撮影):JR高槻駅からクルマで30分ほどで行ける。自然のままの紅葉が楽しめました。
*広島の帝釈天(写真撮影):初めて行きましたが、ここはすばらしいです。とくに巨岩が川にアーチ型にかかっているところは絶景でした。
*京都の紅葉(小学校の同窓生と曼朱院、関西セミナーハウスの日本庭園、金福寺、詩仙堂、一乗寺下り松(宮本武蔵決闘地)を巡りました。
なかでも関西セミナーハウスの日本庭園は穴場で、NHKの来年から始まるドラマのロケ撮影をやっていました。
(金福寺)
*京都の蓮華寺、瑠璃光院(友人との会):八瀬にある瑠璃光院はかつて料理旅館で、公開日がきまっています。この近くの「京もみじ」の料理店は参加者全員、感激、来年のホタル観賞の予約をするほどでした。
(瑠璃光院で)
*奈良の浮御堂(写真撮影)表紙に掲載:ここはいつ見てもいいですね。
*別府の地獄めぐり(仕事で):中学校の修学旅行以来でしたが、公園はきれいに整備されていました。夕方、駆け足で地獄の紅葉を楽しみました。
(海地獄)
出版パーティ
上記のメールにあります出版パーティは、拙著『あなたは、社員の全能力をひきだせますか!』(写真)という書名の評伝のことです。これにつきましたては、先にお知らせした通りです。同文を下記にも載せました。
お時間が許す方は京都見物を兼ねて、同窓会気分でお越しいただければ幸いです。
ご 案 内
謹啓 秋冷の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度、私どもが尊敬する中沼アートスクリーン(株)創業者の中沼壽さんの評伝「あなたは社員の全能力を引き出せますか!」が出版されました。執筆を担当した岡田清治は、中沼さんを「モノづくりを天職と考えている芸術家と技術者をミックスしたようなユニークな『職人経営者』」と評しています。
出版を機に、中沼さんを囲んでお祝いのパーティーを下記の要領で開催したく存じます。ご多用とは存じますが、ご出席賜りたく、謹んでご案内申し上げます。 謹白
上野 修(京都中小企業家同友会相談役 ㈱アドバンスト社長)
葛西 宗久(
久保田敏和(京都府共同募金会常務理事 前
モハッマド ライース(在日米 作家)
記
中沼 寿評伝「あなたは社員の全能力を引き出せますか!」出版パーティー
会 場 京都ロイヤルホテル&スパ「麗峰の間」
(
会 費 7,000円(上記本をお持ち帰りいただきます)
ご出欠につきましては、12月5日までに別紙FAXでお知らせください。
以上
[お問い合わせ先]
㈱ケイアソシエイツ 長谷川
Tel&Fax 213-1463
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
本年のご愛読、感謝いたします。来年もなんとか、続ける思いをしてい
ますが、どうなりますか。
近況・雑感
ようやく、秋らしくなって来ましたというか、一挙に冬の到来のような今日この頃です。あまり暖かいと、紅葉が心配です。
このところ忙中閑といいますか、あまりゆっくりする時間がなく、ようやくHP更新に取り組んだところです。近況報告はいろいろありますが、一つは
以前に紹介しました豪州国営テレビで放映されたドキュメンタリー『KOKODA』(ココダの戦い、先の戦争で日本軍と連合軍であるオーストラリア軍がニューギニアのジャングルで繰り広げた熾烈な戦い)のDVDが届きました。
ところが、このDVDはPAL映像です。フォーマットには世界統一規格がなく、日本やアメリカのNTSC,ヨーロッパのPAL、それにフランスやアフリカのSECAMと3つが混在しています。
このため、日本のDVDレコーダーにはかかりませんが、パソコンでは観られます。少し、先になりますが、変換を試みますのでご希望の方はご連絡ください。
この2時間近いドキュメンタリー『KOKODA』は、ふんだんにロケ撮影を入れ、俳優を使ってのドラマ演出もあって、かなり見応えのある作品に仕上がっています。
私へのインタビューはボツでしたが、親父(岡田誠三)とその作品『失われた部隊』は引用されていますので、協力した甲斐はありました。
P=DVD「ココダ」
ちょうど、放映された同時期の頃、私の友人の友人Aさんが翻訳した『二枚の写真』(ココダの戦いー日豪の若い兵士の話)が送られてきました。これはオーストラリアの女史が書いた絵本で、「太平洋戦史館」(岩手県)のメンバーであるAさん(お父さんもニューギニアで戦死)が訳されました。
ココダの戦いが今、オーストラリアではちょっとしたブームかなと想像しています。
【世相雑感】
最近の政界の動きを見ていますと、うんざりします。ただ、中国は幕末の黒船と同じで、21世紀の黒船です。尊王攘夷ではないですが、排斥するより、うまく付き合う方法を考えるべきでしょうね。領土問題が狭隘なナショナリズムをかきたて、再軍備、徴兵、核保有の方向へいかないように注視したいものです。
次の文は私が30歳代の頃、ご指導いただいた方からのメールです。失礼ながらお年をお聞きしましたら「大正10年6月生まれで、今年89才だそうです。かつては化学の技術者でしたが、今の化学はわかりません」との返信をいただきました。
●ススキの穂
◎ 「ジジイの怒り」
毎回、興味深く読ませてもらっています。時には老人の 感想や意見も言っ
てもいいかなと思い書きました。ご 意見頂ければ嬉しいです。
○政治・政党・政治家・国民
今の日本の政局を見ていると腹立たしい事ばかりで、今の政治家は信条、識見、責任感、理想を持っているのか疑わざるをえない。今の民主党など果たして政党と言えるのだろうか。自民党も野党転落後は離党したり新党を作る議員が多く、野党に転落した今こそ自民党の主義主張を確立すべき良い機会だと思うのに何もしない。政党ってこんなものなのか?
今日の世界情勢の中で日本の置かれている立場は極めて重要で、ある意味危機にあるとさえ感じられるこの時に、今のような状態を容認している様に見える与野党の政治家はどんな人たちだろうと疑問をもちながら、何も出来ない自分を腹立たしく思っている人達は多くいるのではなかろうか?
今の日本を見てみると、前からも言われていたが優秀な人材は産業界など政治以外の分野に集まり、政治家にすばらしい人材は少ないような気がする。立派な人物も多いとは思うのだが、大多数の平均で見ればの話である。明治初期の日本を作った元勲達は別としても、議会制が出来て選挙制が始まって以来からこんな状態だったのだろうか?
地方自治体の首長や議会議員には特徴のある政治家も少なくはないが、衆参両議員に限ってマスコミで知る範囲では識見、情熱、危機感をお持ちの方は少ないように思う。今更ながら松下幸之助氏が松下政経塾を作られた意図がよく分かるような気がする。その成果も出つつはあろうが。
これらの政治家あるいは議員を選んでいるのは言うまでもなく有権者の選挙人であり国民である。従って有権者は投票するしないに拘わらず責任があるのだが、この責任は忘れられがちである。
選挙民の責任と対照にあるのは候補者自身の人格と意欲ー果たして国家のために働く識見や意志があるかどうかーと、推薦する政党の保証である。かつても今も政党はTVで名の知れた人を候補者として推薦してきた。立派な議員も生まれたが、必ずしもそうでない場合も可成りあったと言わざるをえない。
選挙公報というものが配布されるが、これだけで候補者の識見、意見や人物を判断する事は極めて難しい。演説会もあるが公報よりは多少はましとは思うがこれも裏切られる事が多い。
こんな訳で選挙民も又悩んでいるのである。これは又投票率にも表れているのではないか。全く国政に関心のない人達がいる事は確かであろうが、誰に入れても何も変わらない。誰が当選しても何も変わらないという無気力感を持つ人もいるのではないか。
最近の衆議院議員の投票率は全国平均60%台、今年の参議院議員のそれに至っては 57.9% である。これで民意の反映と言えるのだろうか。せめて70%以上ないと選挙と言えないのではないか。選挙権は国民の「権利」になっているが、日本の現況から見れば「義務」とせざるをえないのではないか。義務化によって色々な問題が出てくるであろうが。有権者がもっと大きな声で意見を言う事が出来る場所をブログだけではなしに政治家は提供すべきであろう。投票率がそれを示しているのだから。
もう一つの問題は衆議院と参議院の違いである。誰もが問題視しているのに政治家達は素知らぬ顔である。任期が違うだけで一つの問題を同じような議論をしていたのでは労力と時間と歳費の無駄である。あちこちから意見は出ているようではあるが、自民党あたりがこの機会にこの問題に精力を傾けるのも良いのではないか。
今のところは、頼りない菅総理以下の民主党に任さざるをえない。これからの日本を自民党と、民主党にすり寄らない小党に期待するほかない。民主党が割れて主義主張のはっきりしない変な政党が現れる事だけは勘弁してほしい。
以上
今回はこのくらいにします。(大正10年6月生まれで、今年89才の方です)
●下北半島・仏が浦
◎アメリカ便り(アメリカで活躍する友人からのメールです)
HPの日記の10月6日更新のところ早速読ませて頂きました。近況・雑感・小沢問題・日中関係・菅政権・世相雑感等々久しぶりに興味深い日本の記事にふれました。
アメリカでは第三世界へ仕事の輸出で今、米国国内で失業など大変な問題が起こっているのですが、日本は技術者が海外へ出て行ったのは取り返しのつかないものになったのはご指摘の通りで、本当に残念です。日本の水田がなくなると中々戻せないと似たような現象かなあ。
「やはり従業員を大事にする日本式経営を見直さないと、これから先、とんでもないことになりそうです」。岡田さんのおっしゃる通りです。
尚残りのHPはゆっくり時間かけて読ませて頂きます。小生もそろそろ何か書かないと頭がボケてしまいそうな感じがします。
岡田さんの単行本の出版おめでとうございます。小生は日本企業との契約のこともあり、12月末には必ず日本へ行く予定にしておりますが、12月の出版記念パーティにいけるかどうかわかりません。今月末に予定を組みますので、その時改めてお知らせいたします。本の内容などを教えていただければ感謝致します。
●恐山
●情報
写真・旅三昧
東北の秋をお届けします。
●秋の奥入瀬渓流
最後までお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ感想、ご意見を送ってください。
ま最後まで
10月の日記
内容(キーワード)
10月 | 6日 |
近況、雑感、情報、写真・旅三昧など
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【写真】勝山の町並み保存地区(9月29日撮影)
近況・雑感
小沢問題、日中関係、菅政権、そして今後の日本、あまりにも不透明で複雑なため、しばらくHPに書く気もしませんでした。ところが、友人から「10月になったのに更新通知が来ないではないか」と、催促をされました。
11月に発行する単行本(次回に紹介)や、次の企画のため、情報収集に追われ、結構、ばたばたしていたことも更新できなかった理由です。
でも一念発起、更新しました。
小沢問題はどうなるのか、まったく推察できません。栽判が長引けば小沢の政治生命は絶たれるだろうと思われ、それが狙いかも知れないが、予断は許されないです。
日中関係は両国首脳の短い立ち話で、解決(領土問題は残しながら)の方向に向かっているようです。
今回の中国の動きを見ていて、戦いは武器がなくとも、「経済」でやられることをまざまざと見せつけられました。政経分離はしないことがハッキリしたことでした。
「将来、香港のように日本も中国の属国になる」という冗談のような考えが、真実味を覚えました。
考えてみますと、中国国民もこれまで何度も自国の政策変更などで、騙され泣かされてきた過去を知っていますので、案外、観光などは従来通り続けるような気がします。
菅政権
今日から国会中継が始まりますので、公明党の対応などを注目したいと思います。いずれにしても不安定な時代が続くでしょうね。
【世相雑感】
「日(ひ)没する国」へ、
●「日本の半導体産業の没落は過剰技術、過剰品質の病気にかかっているのに、業界自体が病気を患っているとは思っていないことだ」と指摘していると、9月のHPでも書きましたが、このほど半導体装置の中堅企業のトップに会って、いよいよその実感を強くしました。
そのトップによりますと、「日本の技術者は生真面目で、品質について99.9999%にこだわるのです。ところが、中国のメーカーは品質をA,B,Cのランクに分けして、Aの品質を必要としないユーザーにはCクラスを納入するのです。日本のメーカーはすべてAクラスにこだわるのです。
日本の技術者や経営戦略にMOT(マネージメント・オブ・テクノロジー)の考えが欠落しています」と話していました。
そしてその中堅企業でもこれからの採用は外国人比率を50%以上にするといいます。
「これから日本人学生の採用比率を義務付ける時代がくるかもしれません」
大卒、高卒の就職率の悪化が続けば、政府はそんなことを考えるかもしれないと言うのです。身体障害者の採用比率を義務付けているようになる心配はあるのです。
企業は背に腹は代えられないとなると、本社を法人税の安い海外に移転するところが増え、「現に、そうした誘いもある」そうです。
「今は消費税のみ、海外に比較、安いですが、そのうち日本も10%以上になるでしょうから、そうなると、海外へ向かうことになる」と言います。
日本敗退の原因
日本の企業が従業員のリストラをアメリカ式に安易にするようになり、多くの技術者がアジアへ流れました。韓国、台湾、中国は多少、賃金が高くても歓迎、受け入れました。そこで日本の熟練技術者たちは、すべての技術を伝授しました。賃金が安く、一生懸命、学ぶ従業員のいるそれらの国の企業が日本に追いつき、凌駕するのは自然の成り行きです。
日本式経営を捨てたことが、こうした形で自分たちに跳ね返ってきているわけです。やはり従業員を大事にする日本式経営を見直さないと、これから先、とんでもないことになりそうです。
次のヒット技術のリチューム電池でも同じようなことが起こっています。
【世相雑感】
●円高、中国事情などの情報、ほんまかいな?
どうも、われわれがマスコミから受ける情報が一面性に偏っている気がする。
例えば「円高で明日にも輸出企業がダメになる」ようなイメージを抱かせる。
1ドル=82円になって輸出に支障がでるのは、トヨタなどビッグビジネスで、それも原料、資材のプラス面はほとんど報じられないし、企業も明かさない。
「円高はマスの企業が影響を受けますが、プラスもあります」と、輸出が売り上げの4割の中堅企業のトップが教えてくれた。
中国もGDPが世界第2位になって、現地企業の賃金が上がってきたと日本国内で騒いでいるが、「日本と同じで、中国の田舎では工場がありませんので、報道されているような賃上げ要求はほとんどありません。あれはホンダのように都会のマスの規模の工場の一部です」と、言う。
その企業はさらに中国で工場、設備の増強を図ると言います。
あるTV番組で中国人の芥川賞受賞作家の楊逸(ヤンイー)さんが語っていた。
「日本人は中国の虚像に一喜一憂しすぎです。日本観光している中国人はほんの数%で、中国内の実態は大変な状況です」と、喝破していたのが印象に残る。
●民主党、どうですか(友人らのメール)
◎代表選、私は二人とも好きになれません。菅の消費税発言は聞くところによると周囲の者が止めたとか。
自民党も出したから俺もやると。参院選の意味する所が理解出来なかったようです。
これには小沢が怒った。「俺は何も責任を取る必要がないのに辞めた。何だこれは。」
時に当たって何が最優先課題か理解できない総理はもう一つですね。
結果的に民主党の独走を阻めて良かったのではないかと私は思っています。
(民主党の政策が未だに良く分からない)。
小沢の話は1年前の話しの焼き直し。この1年党のナバーツーとして何をしてきたのか聞きたい。菅への批判は当然自分にも責任があるのに。
小沢の話は上手い、決して具体的なことを言わないので何とでも修正できる。
幹事長として記者会見をしていた時の小沢と先日テレビに出た小沢は別人のようだった。ヘラヘラチャラチャラの満面笑顔、信じられない。
例によって中途半端な話し。もっと腹が立ったのはメディアの対応でした。
外国の要人と話すがごとくなるほどの連発。何時もの元気は何処へ行った。
小沢が総理になるとまたまた政治と金の話が続く。
小沢が予算の組替えそして財源や基地の具体的な話が出なければ信用できません。何しろ自分も豪腕幹事長、影の総理として10ケ月、その場所に居たのではないかと。
今の民主党は政権与党の能力も無いのに謙虚さも忘れ単に舞い上がり、党内はバラバラで各自狙うは一つ、ポストだけでけ。
これを過渡期と呼ぶには余りにお粗末ですね。
◎民社党の代表選も終わり、菅総理にあの白い歯をむき出した作り笑いにも見える顔が戻ってきた。
これも臨時国会で消え、あの参院選での惨敗後の顔のように苦虫をかみつぶした暗い顔に戻るに違いない。
だいたい世論もいいかげんで、菅内閣は支持(60~65%)するが、政策の実行には期待しないが、50%を超えているのである。
有言実行内閣というが、いつからの有言なのか、はっきりさせないままにキャッチコピーだけ先行させている。こうした性格の総理は折れやすいか、その場しのぎで簡単に考えを変えるものだと推察する。
そのほか、いろいろメールがきました。
●民主党党首選は戦前の予想通り、菅氏の勝利でしたね。
このたびの党首選に至る経緯で一番解せないのは、鳩山氏が「小沢さんも幹事長の職から降りて…」と、自己の総理大臣職を辞する際に小沢氏に引導を渡しておいて、代表戦では小沢支持というのが甚だ奇怪でした。
●このところ我が家に新聞販売店から、新聞購買の契約更新の催促がよくやってきます。
5年ほど前までは、日経新聞を購買していましたが、当時月間4000円超ほどでした。そこへ朝日の販売員が月間2500円でいいので契約してくれとやってきて、それ以来朝日新聞です。
けれど引っ越す度に、「販売店が違うから」との理由で、どんどん購買代金は上がっていきました。
そして近頃は、「値引き販売ができなくなった」とのことで、定価3760円の年間契約、2か月分サービスという条件を提示してきました。(年間37600円)
元々代理店?任せの料金設定だったのか、地域によって購買代金が異なるのもよく分からないし、けれどいずれにせよ、ネットメディアに押されて、広告収入が激減して、代理店への販売奨励金みたいなのが無くなってきたのかな、と思ってます。(若い読者)
●…さて、代表選ですが、はじめはどうかと思っていましたが、政策を語り始めて少しは良かったと思っています。
メディアの論調も少しは変化が見られます。大阪の演説会に行った人の話では新聞やテレビとは違って、小沢コールがすごかったようです。
私はこれまで二人の演説をテレビや新聞で見ている限り、ええかげんというか、政治生命をかけるというわりには、「ほんとうかな」と首をかしげることも多いです。
とくに、菅は市民運動家の出身だけに、発言も行動も薄っぺらに思えます。
度量がないです。若いころ、彼の事務所でアルバイトした旧友によると、「菅という人間は利用できるものは、なんでも使う」という姿勢で、確たる哲学に乏しいようです。
◎どちらが勝っても先行き、大変ですね。それより、私は日本が中国、台湾、韓国に敗れることの方を心配しています。GDPで中国に抜かれたことよりも台湾に一人当たりのGDPですでに抜かれていることの方が、ショックですね。
日本は英国のように熟成期の眠りに入ったのかも知れません。
企業は背に腹を変えられないと思ったら、政府を見向きもしないと思います。
今は消費税だけが世界的に見て安いので、本社を日本に置いていますが、優秀な個人も企業も日本を脱出するのではないかと、見ています。
すでにその動きがあり、企業は日本の学生採用はせずに、アジアを中心に外国の、特に留学生を採用しています。公用語に英語を取り入れている企業も増えています。10年後の日本社会の風景は一変、していると思います。
昨日(9月8日)は梅田に出て、阪神百貨店の「質流れ」セールの会場をのぞきましたが、オバンの大群が押し寄せていました。ここだけは日本の活力を感じます。
写真「カマキリの踊り」
●情報
【ご存じですか】
◎ブック・ツーリズム
イギリスなどで盛んなブック・ツーリズムが日本でも行われるようになりました。長野の高遠町で9月18はから23日まで開催されます。HPで確認してください。
http://takatobookfestival.org/
◎スマートシティ
スマートシティ・プロジェクトは、日米欧のスマートグリッドだけで2030年までに累計100兆円、水を含めたインフラ投資で2030年までに世界で累積4000兆円という予測もある。
これにともなって、国内の産業界も成長の軸をスマートシティに変え始めた。
IT業界、電機業界、自動車業界、エネルギー業界、建設業界、金融業界の先進企業が世界中でスマートシティの事業を動かしていこうとしている。
日本の環境・エネルギー技術は、これらのプロジェクトの中で存在感を示すことができるはずだということで、それに関連したセミナー等も盛況だ。
◎以下にいくつか事例を紹介すると、
UAEのアブダビ政府は、石油に代わる資源として再生可能エネルギーを産業として育成する「マスダール・イニシアティブ」を発表したが、その中でさまざまな新技術を実証する“実験場”としてマスダール・シティの計画を進めている。
太陽電池や太陽熱発電でほぼすべてのエネルギーをまかない、交通手段をすべて電動化し、自然の風を使った冷却法を取り入れた建築構造を利用するなど、計画は壮大だ。
インド政府 デリー・ムンバイ間 産業大動脈
インド政府は、デリーとムンバイの間に貨物専用鉄道・道路を敷設し、こ
れに沿って工業団地や発電所などのインフラを整備することにより、産業集積
を進める一大プロジェクトを進めている。
アムステルダム・スマートシティ (オランダ)
アムステルダム市は、環境意識の高い欧州でも最も早く低炭素型の都市を目
指した「アムステルダム・スマートシティ」プログラムをスタートさせたこと
で知られている。
既存の街並みは変えずに、生活スタイル、労働、運輸、公共スペースという
四つの分野で持続可能性を目指すことをコンセプトとし、現在はその具体的プ
ログラ ムを策定している段階である。
例えば「運輸」面では、船を移動手段とする街であることから、停泊中の船
に系統から電気を送ると共に将来的には停泊中の船から系統へエネルギーを戻
すというユニークなプロジェクトに取り組んでいる。
「公共スペース」では、ゴミ収集車を電気自動車化し、さらに太陽電池統制
の「スマートゴミ箱」を導入するといった取り組みが進行中だ。
韓国
済州島プロジェクト(韓国)
低炭素型の都市を目指し、済州島でスマートグリッドの実証実験を開始すると2009年11月に発表、2013年には特定地区で完成する予定である。2020年までには韓国主要都市をスマートグリッド化し、2030年には韓国全体をスマートグリッドで覆うという壮大な計画だ。
インターネット普及率、光ケーブル・ネットワークなど最先端技術を国家レベルで率先して導入した韓国が、スマートグリッドでも先行させる。ABBグループやSAPなど欧米の企業グループが協力するが、日本企業は参加していない。
中国
天津エコシティ(中国) 中国・天津で、2020年に35万人が暮らす都市づくりが進んでいる。塩田跡を埋め立てた35平方キロメートルの新しい土地に道路や水道、電力、鉄道といったインフラを整備し、住宅を建て、産業を誘致する。
「再生可能エネルギーの利用率を20%以上」「汚水の収集・処理・再利用の達成率100%」といった具体的な指標を掲げ、環境に最大限配慮した「エコシティ(生態城)」を目指す。
中国では約100カ所のエコシティ計画があり、先行する天津エコシティで採用された環境技術・サービスはアピールできる。
写真「富原村近くの彼岸花」
●私の感想
映 画
『トイレット』
『かもめ食堂』(荻上直子監督)を見て、面白いと思っていたので、今回の『トイレット』にも期待した。自分の世界に閉じこもって生きる三兄妹が、心を開いて家族のきずなを深めるまでを描くドラマで、退屈させないしっかりとした作品に仕上がっていた。
彼女の発想は実にユニークでつい、笑ってしまう。舞台はカナダ。登場する人物で唯一日本人の「もたいまさこ」は、祖母のばーちゃん役で言葉が通じないのに、画面では際立った存在感がある。
私のおふくろ、古猛妻にそっくりだと言われて興ざめした。
『悪人』
芥川賞作家・吉田修一の同名ベストセラーを映画化した人間ドラマ。舞台は長崎の外れの小さな漁村。若い二人が出会い系サイトを通じて出会う。逢瀬を重ねる恋人だった。男は福岡の女性殺人事件の犯人だったが、そこから意外な展開が始まる。エンディングが良かった。監督の李相日は在日コリアン三世。
『一緒にいて』『歌え!パパイア』
この2本は日本映画撮影監督協会(キャメラマン)主催の「日本・シンガポール映画人シンポジウム」で上映された。
『一緒にいて』のエリック・クー監督が来日、シンガポール映画について語った。日本ではなじみが薄いが、カンヌ映画祭でシンガポール映画では初めて上映された。次回の作品は漫画家辰ヨシヒロのアニメ映画で、日本人が忘れている大事なものを見せてくれるような気がする。
写真・旅三昧
●おはら風の盆
P:胡弓や三味線を弾く揃いの法被に股引姿の男ら地方たち
P:踊り子は地元の町の25歳以下の未婚者(この日、帰省する娘も多いと聞く)
9月2日~3日、八尾村のおはら風の盆に出かけた。梅田を午後3時のバスで出て、現地に夜の9時に着く。そして午前2時までの5時間は自自由行動。
2万人の町に30万人の人が詰めかけるのだから、見物も大変である。このおはら盆は郷土の伝承文化として続けており、観光のためにやっていないので、歓光客も静かに見ている。
10年ほど前に高橋治の作品『風の盆恋歌』読んで、いつかは行きたいと思っていたので、感激ものだった。
写真はフラシュ禁止で光量不足のため、人出も多く難しかった。12時から1時まで休憩に入るので、1時から出発の2時までが比較的、人も少なくなる。
現地にホテル、旅館がないだけに、バスツアーはむしろ比較的、楽しめる。しかも参加者は11人で大型バスとなったので、ゆったりした旅立だった。
(同行友人の報告)
Iさんの段取りで「おわら風の盆」を観に富山県は八尾町へ9月2日の15:00大阪を発ち、現地には21:00に着きました。5時間後の3日の2時に現地を発ち、大阪に朝の7時に着く強行軍でしたがバスが45人乗りで参加者が13人のゆったり旅行でした。
現地は噂に違わず見物者で溢れていました。風情のある男踊りと女踊り、男女の絡みもあり粋な踊りでした。三味線と胡弓の伴奏、阿波踊りに馴染んだ人には物足りないかも。
例によってIさんの行動力が光ました。あっという間に両手に美女を抱え「写真を撮れ」と。メールアドレスを聞いたのかは教えてくれませんでした。
蕎麦を食べに入った店でもその実力を発揮。(そこの女性スタッフが新潟のホテルで働いているというので)盛んにホテルがどうしたとか何処のホテルかと聞いていました。楽しいプチ旅行でした。
真庭・蒜山(岡山)
P:蒜山三座
真庭へは仕事の関係で、勝山地区のさらに山奥にある富原へ調べに行った。真庭の市役所、図書館、桜本寺、富原小学校を一日かけて走り回った。その日は久世のビジネスホテルに泊まり、翌日、勝山の保存地区を見て歩き、蒜繕の休暇村で泊まった。ここの料理は良かった。魚のノドクロを初めて食べたが、最高だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ感想、ご意見を送ってください。
ま最後まで
99月の月の日記
● 内容(キーワード)
8月 | 27日 |
近況、雑感(民主党の代表選)、「日(ひ)没する国」、「モノづくり日本はなぜ、敗れたのか」、東京散策、写真・旅三昧(田沢湖、玉川温泉)など
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近況・雑感
【近況】
8月は多忙を極めた。執筆や取材の仕事に加えて、1週間の上京、引き続き秋田への癒しの旅、そして9月には念願の「おはら風の盆」を仲間5人とバスで出かける。
その間、旧友らとの懇談のほか、知人の陶器個展、関西吹奏楽コンクール、さらにこのあと叙勲の祝いの会、上梓する本の最終調整、趣味の写真、読書と充実はし
ているが、ハードなスケジュールが続く。そして9月3日には、富山県の八尾村で「おはら風の盆」見ながら誕生日を迎える。老骨に鞭を打ちながら、もう少しの間、
頑張ろうと決意する今日この頃です。
【世相雑感】
●民主党の代表選、どうですか
どちらが勝っても難しい局面が予想されます。世論的(メディア)に言えば、菅氏が圧倒的に有利です。その状況下で小沢氏が出馬することは大変な勇気がいるとともに、内面では追い詰められているようにも見えます。
私の極めて情緒的な見方からしたら、小沢氏にやってもらいたい。理由は信念、哲学(誤っているかも)を堅持しているように感じるからです。
菅氏は弁が立ち、にこやかな二枚目ですが、私にはごまかしのパーフォーマンスに見えます。彼は「みんなで決めるやり方がいいのか」、「独裁的に決めるのがいいのか」と、いかにも民主的なやり方を強調しています。
冗談じゃない、「みんなで決める」という民主的なポーズだけで、実際は思いつき、官僚の知恵で決めており、リーダーシップが感じられません。「みんなで決める」という響きは心地いいので、多くの人は「そうだよね」と納得するのです。だけど、責任感が希薄になります。みんなで渡れば怖くないということになります。
菅氏は「脱小沢」路線が支持されると踏んでいますが、先の参院選で大敗したのだから、ある程度、小沢氏を併せ飲むぐらいの度量がないのですかね。
人は「お前はのけ者だ」と言われると、一番、胸にぐさりとくる。子どものいじめと同じ心理状態になる。
私が生理的に一番、菅氏を嫌うのは「女房が政治の世界に口を挟んで、発言することを許している」ことです。もちろん、夫人の自主的な判断かも知れませんが、かなり計算された二人のパーフォーマンスに見えます。ある、新聞インタビューでは政治家の具体的な名前を上げ、ほめちぎるなど、きわめて戦略的です。
経営者でも政治家でも女房が口をはさんむと、ろくなことがないことは、歴史が証明しています。
菅夫人もヒラリー・クリントンのように自ら政界に出て、発言するなら納得しますが、総理の夫の影に隠れて言いたいことを言う、それも国民目線でとなれば、冗談じゃないよと思ってしまう。
まあ、行く末を興味深く見守るしかありませんが・・・。
【今年も咲いたカノコユリ:自宅庭で】
「日(ひ)出(い)ずる国」から「日(ひ)没する国」へ、そして再び
●あとでも紹介しますが、最近、読みました『新しいものを次々と生み出す秘訣』(田上勝俊著)と『イノベーションのジレンマ、日本「半導体」敗戦』(湯之上隆著)の二冊で、日本の技術が韓国、台湾に敗れ、世界市場で苦戦しているかが、分かってきました。
これからの日本は「日(ひ)出(い)ずる国」から「日(ひ)没する国」になるでしょうが、日本民族は優秀ですから再び「日(ひ)出(い)ずる国」になると思います。
最近、読んだ本、観たテレビ番組、会った人の話からそう感じましたので、以下に雑駁ですが、綴っていきます。
日本はどうなる
●テレビである金融アナリストが「企業は石油代金、配当で資金は海外流出、労働賃金は低下する。景気回復しても所得は増えない」と語っていました。
●「日本の、これから」(NHK総合、8月14日)
日韓の若者が語り合った番組でした。
韓国はものすごい過当競争、それが国を強くしているという。
1.リーダーシップ
2.社内競争 成果主義と能力主義
3.徹底した現地化(その国のニーズを研究)
この3点で韓国企業は世界を制覇している。
ただ、本音の声として「不安の上に発展」と感じているようだ。
歴史認識では日本の若者が現代史で日韓問題の多くを習っていないし、日韓併合についても自己弁護が過ぎる点を指摘していた。
日本はなぜ、敗れたのか
●なぜ、日本は韓国、台湾、中国に敗れたのか―という問いに、ある程度、納得させてくれた記事と本、そして人に出会った。
まず冒頭でも紹介した元本田技研工業の常務田上勝俊氏の講演録と著書『新しいものを次々と生み出す秘訣』を読んで、8月の日記で書いたことと同じことを技術者の口から聞けたことでほぼ確信を持つことができた。
大量生産、大量消費システムの限界
●田上勝俊氏によれば、次のようなことになる。
73年のオイルショックでエネルギー危機がやってくる。それまでアメリカは自動車、冷蔵庫をはじめ電化製品の多くが、大型のものが主流であった。ところが、日本がやっていた省エネ、省資源、小型化、高性能化が一挙に世界のニーズと結びついた。そして80年代はその成果が出て、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、モノづくりでトップに躍り出た。
この勝ちパターンは、「よいもの」を「安く」「大量に」生産したことで成功のビジネスモデルとなった。ところが、バブルが崩壊後、すっかり変わってしまった。市場の要求するレベルを超す製品がどんどん出てきた。つまり過剰品質、過剰性能の製品づくりが進んでいった。
やがて韓国、台湾は日本のあとを追ったが、はじめは品質が悪いので安いのだろうということで、誰も買わない。ところがそのうちに、追いついてそこそこの製品をつくれるようになった。品質は要求レベルに合わせて、安いものをつくれば、市場はどんどん受け入れたのである。
追い打ちをかけたのが、85年のプラザ合意による変動為替相場で80円を割ることになって、安いものがつくれなくなってしまう。
そしてバブル崩壊前までは足らないという時代だったが、崩壊後はだいたいのもが充足してしまった。このため、日本の企業は一生懸命、コストダウンに取り組んだが、所詮は焼け石に水だった。
結論としてはこれからの時代は感動する製品を志向することだという。その一例として自身が手がけた二足歩行のロボット開発の発想を述べていた。
田上氏の著書もだいたい同じ内容だが、キーワードで補足すると、次のようなことである。
日本は技術立国しか生きる道はない。資源節約型システムは不変であるが、キャッチアップ型手法は通用しない。横並び意識の終焉である。これからは自ら革新技術を起こすという意識改革が必要だ。
大量生産、大量消費システムが限界にきている。21世紀は「作る」から「造る」を経て「創る」時代である。
●湯之上隆氏の著書『イノベーションのジレンマ、日本「半導体」敗戦』も田上氏と同様な認識である。彼は日立製作所の半導体技術者で、「40歳、課長職以上は、全員責任を取ってもらいたい」と早期退職勧告がなされ、ちょうど40歳で主任研究員であった湯之上隆氏も都合3回の早期退職勧告を受けて退社。
世界の80%のシェアを占めていたDORAMから日本の半導体メーカーがエルピーダメモリ1社だけを残して撤退してしまったのかを社会科学的に研究、論文発表した。
結論的には「日本の半導体産業は過剰技術、過剰品質の病気にかかっているのに、業界自体が病気を患っているとは思っていないことだ」と指摘している。
印象に残ったのは、「日本の半導体の最大の問題は、ゴ―ン(日産自)がいないことだ」と、ゴ―ンが来てやったことは、原価管理部をつくったことだと、喝破している。それほど日本の半導体企業の経営者も技術者も原価意識が欠落しているという。日本の設計技術者は品質至上主義で原価意識が希薄である。
世界の半導体ではいつも売上ランキングで米国(インテル)、韓国(サムスン)が上位を占めているが、生産能力で見ると、売上ランキングでは1社も入っていない台湾がトップ10に4社も入っている。世界の半導体をリードしている国は台湾だという。
そして世界市場に普及しているのは低価格製品だと指摘している。日本の半導体メーカーにマーケッティング部を設けているところはなく、日立では担当者が数人しかいないのに対して、サムスンは200~300人いて、たえず現地に赴いているという。
●中堅企業のトップと大学教授の憂い
この問題に関連して、約40年前に大手企業をスピンアウトして立ち上げた中堅企業の社長、および産学連携に取り組んできた京大教授に話を聞く機会があった。
まず中堅企業の社長もマーケットにあった技術レベルの商品をつくってこなかった。これが韓国や台湾に負けた原因だと指摘する。
大手企業はグローバル化ということで海外に移設、国内市場にしがみついている中小企業はこの先、どうすればいいのか、日本に中小企業がなくなる日もくるのではないかという。
これまで日本の大学に留学していたアジアの学生は日本での就職が難しかったが、いまは引っ張りだこだという。それは英語など語学力で日本の学生を圧倒しているからだそうだ。
●京大工学部教授の話
この話に一番、ショックを受けた。
「今の学生は楽しくきれいな女の子とデートすることが夢で、汗をかくことは運動も含めて嫌だという学生が増えています。以前の研究室は24時間、明かりが消えたことはありませんでしたが、今はほとんど6時以降、消灯しています。授業中、眠っている学生も多いですね。この大学はましな方ですが、その比率が少ないだけで、全体の傾向と同じです。
また、話(コミュニケーション)が出来ない学生も増えています」
日本のトップクラスの教育現場から嘆きの声が聞こえてくる。
バブル以降、なんでも与えてもらえるという風潮になって、自発的にやらない。コンピュータでなんでも処理して汗をかく実験なども嫌うというのである。
●私の感想
最近、オーストラリアへ休暇で出かけ、帰ってきた人に話を聞いた。
現地ではかつての日本人から中国人に観光の主役は変わっていると、現地のお土産物店が話すそうだ。
現地ガイドに中国人を配置して「シェー、シェー」と日本人に対しても連発している。クルマはトヨタも走っているが、韓国のヒュンダイが目につくそうだ、テレビはほとんどがサムソン製だという。
日本は原理原則の発明発見が少なく、オリジナル製品と言っても原理は欧米のものというのがほとんどである。
以前、ある大手家電メーカーのトップから「アメリカでは軍事や宇宙(NASA)関係で最新の技術開発が行われているが、日本はそれらの技術を応用するところに優秀な技術者を配属しています」と、民生機器では絶対に負けないと80年代の経営者は胸を張っていた。
ところが、モノづくりでトップになると、それを過信、奢り高ぶり、自ら発明発見する姿勢がなくなっていった。
とにかく、電化製品、携帯、パソコン、そしてクルマにしても過剰機能とモデルチェンジで価格を上げている。この戦略は日本で通用しても海外ではダメで、そのうち国内でもやられる予感がする。
東京・銀座の松屋の日常生活品売り場に行った。百貨店から電化製品が消えて久しいが、日常生活品売り場には一部、電化製品も置かれている。デザインがすばらしいミキサーを見てみると、「中国製」とあった。高級日曜雑貨品の中にも今や中国製が進出しているのである。
日本のメーカーは発展途上国の富裕層を狙って海外展開をしているというが、日本の富裕層を狙っているのは中国や韓国である。
【八幡平で観たクジャクチョウ】
若者の眼
日本は先の戦争もそうだったが、トコトンまで行かないと、わからない民族だということを、ある若者と話していて感じた。
「日本は終わっていますよ」
だいたい政府がだらしなさ過ぎる。ギリシャのことを笑う資格がないという。だって年金デタラメ、戸籍もデタラメ。先進国でこんな国はない。どうなっているのと、思うのが普通ではないか。テレビはワイドショー的に報道しているだけだ。
確かにそうだ。昔、日本の汽車は時刻通り出発、到着することに海外の人たちが驚嘆し敬意を表したものだ。すべてにわたって正確で完全であった。ところが、今の日本のざまはなんだというわけである。
●酒飲み運転
これほどやかましく言われても飲酒運転が止まらない。アメリカでは息を吹きかけてアルコールが検知されると、エンジンがかからない。こういう事には徹底している。
国民の総背番号制も導入している。日本は何に気を使っているのか知らないが、なかなか導入ができない。
政府なんかあてにしていたら、とんでもないことになるので、優秀な日本人は海外へ移る準備をしている人が多いという。シンガポールは「どうぞ、好きな研究をしてください。費用はすべて政府が持ちますので、体ひとつで来てくださいと呼びかけ、世界中から優秀な科学者、技術者が集まっている」という。
●1$=200円の円安になったらどうなる
「今、日本は円高で大騒ぎしているが、円安、たとえば200円になったら、どうなる?ガソリンはいくらに跳ね上がる?」
今のうちに外貨をため込んでおくしか日本が生き延びる道はないという。
●サムソンは不況の時に設備投資し、人の採用もしている。
採用した人を現地に派遣、徹底的に市場調査をしている。日本の企業も進んでいるところは、すでに本社を海外に移転、これからも続々と海外へ移る。法人税の安い国に向けて。また、日本の若者なんか採用しない。世界には優秀な学生がいっぱいいる。大卒採用の主流は外国人の学生になりつつあるから、当然、日本の学生の就職率は悪くなる。
ソニーなど社長に外国人を選任する企業も増えてくる。当然、英語が公用語になっている。日本も同じようになる日も近いだろう。
落ちこぼれた若者にとっては、就職は楽ではない。職場での仕事もきつい。職場は日本にしかないと思っている。しかも楽しみたいと考えている。そうした若者はアルバイトでもしながら親のパラサイトとなって、怠惰な日々を送っているのが実情のようだ。
政府はリストラや失業している若者に転職の支援事業を展開していることに胸を張っている。ところが実態は高度な授業についていけない。だけど通っているのは、その間、失業保険を受給でき、学割の扱いを受けるからだ。
日本の人口は減る一方で、民主党は環境、介護、観光、農業などの産業育成を図る第3の道を模索している。
どれもこれも雇用の拡大にはつながらない。韓国、台湾、中国には追い抜かれるのも当然で、だいたい、これだけ財政が悪化しているのに国会議員の削減、公務員給与の二割カットなど公約ひとつ実行できない。
「こんな日本に誰がした」というのが、3年後の総選挙の時に問われるが、そこまで持ちこたえられるかどうかだという。
彼はアマゾンの電子書籍「キンドル」を予約したそうだ。新聞、書籍もこれで十分だという。記事でわからない言葉があれば、それをクリックすれば、説明されるという。
ある有力新聞販売店の店主からの暑中見舞いに「強力な他紙の販売店が閉鎖、当店が預かりとなりましたが、激変の夏でした」と、ありました。活字媒体も転換期を迎えているようだ。
【玉川温泉の湯けむり
●それでも希望を
日本が目指すべき技術分野は田上氏も指摘しているようにバイオテクノロジー(BT)、ナノテクノロジー(NT)、ロボットテクノロジー(RT)、ITの4つのT、テクノロジーだという。
もし日本が二酸化炭素25%削減や省エネ技術、あるいは石油代替エネルギー技術で独自なものがつくることができれば、再び世界のトップになれるに違いない。
高齢者社会の中で介護ロボット、医療分野で再生医療の技術によって難病を克服できれば、世界から称賛されるに違いない。
そういう意味でいまは大転換期の時代で、そのためには時間もかかるだろうが、今からそういう問題意識を持って官民が取り組めばかつての栄光を再び手にするに違いないと確信している。
●GDP第3位に転落(友人からのメールから)
日本が世界を制すると思われていた日々は、もはや色あせた思い出だ。それでも日本は、着実に成長を続ける中国に目を光らせながら、世界第2位の経済大国の座を長く守ってきた。だがついに隣国に追い越される魔の瞬間が訪れた。現在直面している経済問題に政府と国民がどう対応するか―それがこの先50年のこの国の行く末を決めることになる。残念ながら今のところ、答えは見えていない。
ある意味、今回発表された4-6月期の国内総生産(GDP)は空騒ぎをもたらしたと言えるかもしれない。結局のところ、ほぼすべての面で、日本の生活環境は、中国よりもはるかに快適で安全、可能性にあふれている。日本は世界有数の長寿国であり、公害がまん延した1970年代から環境は劇的に改善した。社会保障は手厚く、国民1人当たりの国内総生産(GDP)は約3万9000ドル(約330万円)で、国際通貨基金(IMF)がまとめた中国の3600ドル(約30万円)の10倍以上。日本が清潔で安全で豊かな国であることは誰の目にも明らかだ。
翻って中国はというと、威光の影に隠れて数々の難問が山積している。政治的脆弱(ぜいじゃく)性、環境悪化、大きな所得格差、時に敵意に満ちたナショナリズムの復活など問題は多岐にわたる。インターネット上には、最近の雨の影響で三峡ダムに流れ込んだ大量のゴミの写真が氾濫(はんらん)している。社会的セーフティネットは農村部を中心に遅れが目立ち、ただでさえ生活が苦しい農家は、料金を前払いしないと医療サービスが受けられない。大都市では、不動産の価格高騰と供給過剰にともない、空室が目立っている。
だからといって、日本は安堵(あんど)すべきではない。当然、日本にも問題はある。この20年間、景気の悪化とともに日本はほとんど抜け殻のように過ごしてきた。ケインズ主義的な景気刺激策が何度となく打ち出されたが、日本の政治家が、今でもこの種の措置に頼ろうとしていることには驚かされる。日本は研究・開発に世界有数の投資を続けているが、技術革新という点ではもはや世界を主導する立場にはない。日本の高度経済成長を促した政府の規制と産業奨励策は、市場に基づく発展を目指すうえで障害となった。
日本の抱える真の問題は、政府や産業にかかわるものではなく、社会に根ざすものかもしれない。そのため解決がはるかに難しいのだ。あらゆる社会は、独自の理論(あるい不合理)に基づいて発展する。日本の社会は、その複雑さゆえに、日本独特のニーズに適した進化を遂げてきた。資本が自由に移動し、アイデアが共有され、消費者が幅広い選択肢を持つことが当然とされるグローバル経済への変貌に、日本の社会構造はあまりに硬直的ではないか。日本の社会は、あいかわらず階層やコンセンサスを重視しており、それが現在の資本主義の原動力である起業家精神を損なうという意図せざる結果を招いている。このことで、多くの日本人の創造的なエネルギーが、個人な利益の追求に向けられ、経済活動から離れている。
ほかにも要因はある。日本は戦後、欧米に追いつくことを第一の目標に掲げてきた。だがその国家目標は、なぜ追いつくことが望ましいのか、日本の豊かな暮らしとはどのようなものなのか、といった大局的見地に結びついていなかった。今や日本人は、1980年代当時の世界進出に向けた強い意欲を徐々に失いつつある。
バブル時代、日本は次の世界の超大国になるとの期待を抱いた。この10年はそのような行き過ぎた期待を修正するのに必要な時期だったともいえる。恐らく、当時の日本人の世界進出の野望は、背伸びしたものだったのだろう。ある意味、内向きの現状は、日本の長い歴史を踏まえれば、より正常な状態かもしれない。だからといって、日本人留学生が減少の一途をたどり、外国人の移民・帰化がほとんど認められないような現実が問題であることには変わりはない。
09年の総選挙で民主党が大勝した一因は、すべての国民に等しく機会(オポテュニティ)が与えられる、新しい日本を作るという方針が支持されたことだった。それにもかかわらず、日本が世界で果たすべき役割、経済成長を促す方法、国内の社会問題への対応について、国民的な議論はまだ行われていない。欧米の観点では、オポテュニティには、革新を起こし、リスクを取ってチャンスを手に入れ、自分と取り巻く世界の変革を試みる自由が含まれていなければならない。現在の日本では、そのような精神は抑えられており、将来への不安がまん延している。だからこそ中国の台頭を苦々しく感じるのだ。
現在のような悲観ムードは、何世紀にもわたる政治、社会、経済モデルが崩壊した1860年代の日本にも見られたはずだ。だがそういった混沌(こんとん)のなかから、欧米以外では史上初となる、近代的な社会構造を持つ、勢いのある国家が誕生したのだ。
日本人はショックを受けたときに最高の力を発揮する―――あるベテランの日本人ジャーナリストから聞いた言葉だ。世界第2位の経済大国の座を中国に奪われたことは、日本人を奮起させ、創造的なエネルギーを解放するきっかけとなるだろう。
【写真】隅田川(浜町公園)から見たスカイツリー(8月18日撮影)
東 京 散 策
●スカイツリー
東京ではスカイツリーの話題が連日、報じられています。浜町近くの隅田川から見たスカイツリーの写真を表紙にも載せています。
●1坪の店で年商3億円
「小ざさ」と聞いて、わかる人は、相当な甘党通でしょう。これは東京・吉祥寺にある一坪の店舗で、モナカと羊羹の二品で年商3億円以上、上げている驚異的な店です。
実はこの羊羹は日に30人分、1人5本、計150本しかつくらない。このため、朝早くから並ぶことで有名。
8月16日、お盆明けのこの日、開店の午前10時前に店を訪れた。数人の方が開店を待っていた。「国分寺から自転車で1時間かけて午前2時から整理券が配られる8時半まで並びました。3番目でした」
「ここの羊羹、それほどおいしいのですか」
「そうとも思いませんが、意地ですね」
整理券を手にした人は開店の10時まで、自由行動となる。店の前に小型バンが全国発送するモナカを忙しそうに積み込んでいた。
二代目と思われる店頭にいた主人に「あの『日本のいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著)の本で紹介されていた内容は、間違いありませんか」
それだけを確認して羊羹をあきらめ、帰りにモナカ(5個入り290円)を買って味見をすることにした。
驚くような味ではなかったが、価格が安くおいしい部類に入ると言えると感じた。
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●吉祥寺の目玉観光
開店まで時間があるのでサンロード商店街を通って寺めぐりをした。途中で「武蔵野市観光推進機構」の看板が見えたので飛びこんだ。
ここで吉祥寺の情報を集めた。職員は熱心に説明してくれた。
そこでわかったことは吉祥寺という寺はないということだった。今の水道橋にあった吉祥寺が明暦(1657)の大火で焼失、このため門前の住民が幕府の呼びかけで吉祥寺に転居、開墾して村ができた。
「吉祥寺の観光の目玉は何ですか」
「日本で最初に爆撃されたのが吉祥寺中央公園です」
「本当ですか。ぜひ、行ってみたい」
【小ざさの店とステンドグラスの笹の葉】
柳沢駅行きのバスに乗って公園に向かった。
緑が美しいのどかな畑地であったこの武蔵野台地に昭和13年、ゼロ戦の製造を目的にした中島飛行機㈱が大規模な工場を建設した。
「日本で一番先に爆撃を受けたとは聞いていません。ただ、攻撃の最重要目標だったようです」
公園の管理事務所の若い職員が親切に対応してくれた。戦後、米軍宿舎が建設され、のちに返還され公園に生まれ変わった。
吉祥寺の商店街は活気に溢れていた。駅北側の周辺は戦後の闇市の爪痕のように、まるでハモニカのように「小ざさ」のような小さな店が所狭しと並びハモニカ横丁と名付けられている。
昼食をこの一角にあるつけ麺の店「虎洞」に入った。味はまずまず、ボリューム満点だった。
このあと、井の頭公園を散策、そのあと友人の事務所がある板橋区役所駅に向かった。途中、巣鴨地蔵商店街を歩いてみた。ここは吉祥寺と違って年寄りが多いが、さすがにこの日は38度Cの暑さで人出は少なかった。
【吉祥寺中央公園】
●人形町というところ
人形町の「人形」は歌舞伎小屋がたくさんあったが、歌舞伎を簡便に見せる人形歌舞伎の小屋ができ、人形作りの職人を輩出し、街の名称が人形町になったそうだ。最近、人形町がテレビで紹介されたこともあって、平日の17日も人出は多い。
人形町の甘酒横丁を歩いた。ここの商店街は歩いて見て、楽しいところだ。人形町は徳川家康が江戸に入ってきた時以来、日本橋・人形町は商業の街として支えてきた。
ここに日本橋図書館がある。小学校も含めて西郷隆盛の邸宅があったところだ。立派な図書館だ。
人形焼きの「亀井堂」という老舗風の店を見つけた。店の前で試食品を配っていたおねえさんに釣られて店内へ入った。上品なお母さんがいた。
「あん抜きの人形焼きは売り切れました」
「では、明朝、出直します」
「刷毛抜き」という伝統手法で一枚いちまい手作りのせんべいが逸品だという。翌朝、結局、あん入りの人形焼きを買った。せんべいは年寄りには硬すぎる。しかも2枚、390円は高い。
人形町亀井堂は明治6年、神戸元町に創業した亀井堂総本店から昭和4年、江戸初期から東京に在住する旧家の佐々木家にのれん分けされた。神戸ではせんべいは作っているが、人形焼きはここで作ったという。
「熊はん」という居酒屋を紹介されたが、17日まで盆休み。ここは京・割烹の店でいわゆる居酒屋料金ではない。
グルメの本には居酒屋「笹新」が紹介されていた。こちらは大衆居酒屋。
元祖親子丼の「玉ひで」もなかなか味わいのある店に思えた。平日の昼、
11時40分ごろ行ったが、すでに40名ほどが列をつくっていた。
翌日、11時25分に着くと、すでに10数人の先客があった。幸い、最初のクルーの最後に入り込めた。
名代親子丼1,300円、元祖親子丼1,500円とある。そのほかにも親子丼が、3種類ほどある。1,300円の方は普通の鶏肉、1,500円の方は軍鶏(シャモ)肉、シャリシャリ感がある。
この店の近くに親子丼780円とあった。「玉ひで」は高過ぎると思うが、客は列をつくって食べにくるのは、この店の創業が宝暦10年(1760年)という老舗に魅かれてのことかもしれない。たかが、親子丼だが、繁盛している。私自身は当分、食べないだろう。
人形町の交差点を10mほど北に「アップル」というコ―ヒの旨い喫茶店がある。
根津に豆腐屋がやっているヘルシーな食堂「根津とうふ屋 須田」に朝食を食べに行った。ここも普段は列をつくっているそうだ。この日は2人目の客だったが、すぐに後続があった。
こうした今風のヘルシーで客を引き付けているのは大したものだ。店も簡素で清潔感がある。
【八幡平の朝】
写真・旅三昧
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●あこがれの辰子姫像
癒しの旅先を辰子姫像とした。秋田新幹線で東京から約3時間、田沢湖駅、そこからレンターカー20分で着く。
湖面は青く美しい日本一深い湖。
実は「辰子」というのはわが女房と同名で、本人は嫌な名前をつけられたと、親を恨んでいたが、ある時、田沢湖の辰子姫像の逸話を知って以来、いつか訪れたいと願っていた。
あこがれの辰子姫像は青い湖面に金色に輝かせ、美しい姿を見せていた。写真には朝か、夕暮れ時が最高だろうなと思ったが、この日は午後4時には切り上げなければならなかった。
実はこの近くに湯治場として有名な玉川温泉があると、以前から友人に聞いていたので、一度、行きたいと思っていた。
そこで癒しの宿・玉川温泉を選んだ。ここは田沢湖から八幡平(はちまんたい)へ向かってクルマで約1時間、山奥に入ったところにある。
ここは湯瀬(ゆぜ)ホテルグループで、このほかに新玉川温泉もある。創業者が観光開拓に力を入れて今日の湯治場を築いたそうだ。ここは十和田・八幡平国立公園の中にあるので、規制が厳しいようだ。公園内にはいくつか温泉があるが、玉川温泉には宿泊ホテルは1軒のみ。
この温泉は焼山1,336mの火口(危険区域)から出ており、岩盤浴のできる場所の大墳から98℃、PH1.2という日本一の強酸性の湯が、大量に湧き出している。下流では「玉川毒水」と呼ばれ、魚も生息できないほど塩酸が含まれている。玉川ダムの建設に続いて平成元年から中和処理施設が稼働、今では田沢湖にも魚が生息しているという。
効能があるのか、病をかかえたシニア族が全国から訪れ、1週間から10日ほど滞在する人が多い。バスツアーも多く、集団でやってくる。また、ホテルとは別棟で自炊できる施設もある。
【玉川温泉の岩盤浴】
「腹部の手術4回しました。以来、毎年、これまで10回来ていますが、効果があります」という顔つやもいい紳士が話した。また、集団で来ている人の一人は「母親の代から40年近く、来ています。今回は10日間、滞在します」というように、長期滞在のリピーター客が多いのである。
湯瀬(ゆぜ)ホテル:美人の湯
新玉川温泉:癒しの湯
玉川温泉:効能の湯
同じグループもそれぞれキャッチフレーズを変えている。玉川温泉はエアコン、テレビなし、扇風機のみ、新玉川温泉はテレビはあるが、エアコンはなし。山の中にあるので、夜は扇風機で快眠できる。料理は産地の食材で結構、おいしい。
興味ある方は玉川温泉のHPをご覧ください。
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●8月の日記
● 内容(キーワード)
8月 | 3日 |
近況、雑感(聴覚障害)、パナソニック、日本の技術に想う、メール往来、声 |
8月の日記
【大和川を渡る神輿 8月1日撮影】
●住吉大社の「住吉祭」の神輿が大和川を渡る渡御発輿祭に出かけた。初めて見たが、約3時間神社から商店街を通って大和川までねり歩く。
沿道では住民が見守る。中にはお祈りする高齢者の姿もあった。
祭りが住民と共に盛り上がっていた。
近況・雑感
近況
暑い日が続きます。時には大雨、各地で災害も多発。信じられないような社会事件、政局・政界も波乱含み。なんとか、体調を維持するのがやっとの今日この頃です。
聴覚障害
先ごろ仕事で大阪市立聴覚特別支援学校(旧・大阪市立聾学校)へ行った。初めての経験だった。
1900年(明治33年)設立だから110年の歴史がある。
伝達は手話、口話、指文字の3種類でする。
日本の手話は日本だけしか通じないそうだ。しかも自然発生的に各地で使われていたので、方言のような形で残っているという。
昭和8年の全国聾唖学校校長会で、当時の文部大臣(鳩山一郎)から「全国各聾唖学校に於いては、聾児の口話教育に奮励努力し研鑽工夫を重ねられることを望みます」との訓辞がなされた。
これにより口話教育のみで進めるという方針になった。しかし、時の大阪市立視覚特別支援学校の校長は「当校では従来通り、3つの伝達方式を続ける」と方針を貫いたそうだ。
今日では手話は言語として認められている。
同校は普通の学校と同じ教科書を使用している。幼児・児童・生徒数は、幼稚部35人、小学部62人、中学部40人、高等部44人、併せて181人の規模。(7月26日)
【かたつむり:堀 英彦氏・撮影】
雑 感
●パナソニックが三洋、電工を完全子会社化に想う
松下幸之助の時代もビクターや宮田自転車など多くの企業を傘下に加えましたが、経営統合せずに自主独立を重んじました。
規制緩和でHDカンパニーが認められ、驚くようなスピードでグループが進んでいます。今回、子会社化する理由は「スピード」を求めるためと言います。スピードを出し過ぎると、魂を置き去りにしがちですから要注意です。
パナソニックも当初、松下電工や三洋電機を傘下に加えた時は、それぞれの自主性を重んじました。ところが家屋丸ごとパナソニック製品で埋めようとすれば、完全子会社化によって、スピードを上げないと競争に勝てないということらしい。
確かに企業の論理としてはわかりますが、市場のニーズから見ると、そうかなという疑問が生じます。仮に家屋の全てがパナソニック製品で埋め尽くされたとしたら、住人の居心地はどうだろう。よほどのパナソニックファンならいざ知らず、普通の感覚では息が詰まるはずです。
真の狙いは違うところにあるように思います。三洋電機の社長が言うように、三洋の幹部からパナソニックの社長が誕生すれば、すごいことですが、この成り行きは注目されます。
極端な話、韓国のように財閥を形成して家電メーカーも1,2社になれば、国内の過当競争もなくなり、グローバル化に対応できるということに行きつきような気がします。
●日本の技術に想う
◎ 最近、仕事で科学・理科教育に関連して各方面の関係者にお目にかかる機会があった。その中で感じたことがある。
一つは韓国や中国に日本の技術をぱくられたために、日本の技術がダメになったという。
一つは日本以外の国は、政府と民間が一緒になって売り込んでいるが、日本はまだまだ遅れている
一つは日本の学校教育は詰め込み主義で、科学・理科教育の本質を教えないので、その面白さが湧かないため理科離れが起こっている
◎ 概略、印象に残ったことは、以上のようなことである。
私から言わせれば、いまさら泣き言を言わないでほしいと思う。
まず「韓国や中国に日本の技術をぱくられた」という認識についてである。
冗談やない。日本は戦後、欧米からとくにアメリカから技術をぱくり、学者などは英文の論文をまる写しして学位をとった人たちも数知れずいたのである。
物まね日本の汚名をかぶせられるほど、日本は欧米の技術や製品を盗んで(時には特許料を支払って)、生産性(低賃金)で欧米の企業を凌駕、ついには市場から追い出したのである。
これで困ったアメリカは世界から工場誘致を図り、一方、知的財産の戦略、金融商品の開発、そしてグローバル化の名のもとに巨大投資ファンドを展開したが、リーマンショックで驚き自由主義経済の旗を降ろしたのである。
中国や韓国がこれほど急成長するとは思わなかったのだろうが、日本の企業は低賃金労働を求めて、草木がなびくように中国や韓国に進出、自らの欲で工場移転をし、今頃になって「技術をぱくられた」というのは、いささか筋違いである。
日本はさらに上を目指す志こそ大事であろう。それで敗れたら相手が強いということである。もともと世界の四大発明は中国から生まれているのだから
負けても不思議ではない。
◎ 「韓国のサムソンがLSIや半導体で日本を凌駕したといいますが、品質、
集積度では日本のものが圧倒的いいのです」と、技術者は胸を張る。
何を言っているのかと思う。それほど品質の優れたものなら負けるわけはないだろう。考え方が違うのである。韓国や台湾は消費者ニーズに合わせた製品づくりをしているので、日本のような過剰品質を求めないのである。
日本の家電メーカーは絶えずモデルチェンジを繰り返しながら高価格を維持する戦略をとっている。しかもほとんど使わない機能を満載している製品づくりをしている。日本が負けて当然である。
◎ 「理科離れが起こっている」ことについて、現場の教師たちは「マスコミは
理科離れを報道するが、科学や理科の教育番組はほとんど流さない」と痛烈に批判している。
詰め込み主義と学習塾、文科省の総合学習の方針のもとに、現場では多忙をきわめ、理科実験など興味のわく、考える教育などは理想に近いという。
最近、新聞で「中3でも円の面積が出せない生徒が多く、日本のレベルの低さを嘆く」と報道していた。
だいたい、円の面積=円周率×半径×半径の意味を完全に説明して、子どもたちに興味を持たせる教え方がどれほどできているかが疑問である。
円周率もろくに説明できず、ただ、この掛算だけを覚えさせているのである。抜き打ちテストでは忘れても不思議ではない。
◎ 「政府と民間が一緒になって売り込んでいる」と他国の動きをうらやましそ
うに嘆く。その昔、日本の首相が小型テープレコーダーを自慢したら「日本人はエコノミックアニマルだ」と蔑視されたことがあった。最近、新幹線や原発の売り込みで現政権は経済界に尻をたたかれてやっているが・・・。メーカーは税金で販促してもらっているようなものだ。以前は、商社がその役割をしていた。その商社出身の経営者が大使を務めている。やっていることがちぐはぐである。
メール往来1
◎
(友人から)先の日記で「経済成長で元気にする、というようなことでは日本人
の幸せは取り戻せない」と言っておられますが、少々異論があります。
せめてデフレから脱却し、日本の潜在成長率くらいの成長を確保しませんと、雇用も年金も生活も、そして国家財政も先行き不安が拡大するだけです。日本を覆う閉塞感の大きな原因は「経済の停滞」にあると思います。
もちろん、経済成長は必要条件にすぎず、それだけで幸福になれるとは思いませんが。
◎
(岡田)確かにご指摘の点は理解できますし、そう思うこともあります。前
回、冒頭で書きましたのは、資本主義経済を違う目で見る必要があるのではないかと、このところ衰退する日本を見ていて思うのです。
◎
(岡田)日記でも紹介しました僧侶・松尾心空は著書『人生まんだら』のなかで
彼は「肥壺とカネは、たまるほど汚くなる」の例えをだして経済大国になっても満足を覚えることのない胃拡張のように、儲けても、稼いでも、貯えても
その拡張された欲望は満足を得ることはない一種の経済的胃拡張にわれわれは陥っています。
このようなことを書いておられました。
実は同じようなことを私は雑誌に書いたことがあります。
―ある男が望めば何でも手に入れられると、神から告げられた。そこで男は大きな家、大勢の召使、美しい妻とあらゆるモノを手に入れ出した。
欲望は拡大する一方である。ついには、あきるほど満腹状態になったとき、「一度、地獄というところを見てみたい」という欲望が湧き起こり神に願った。
「そうか、それほどまで見たいと言うなら見せてやろう」と、その男は地獄に落ちて死んでしまった。
人間の欲望はとめどもない。出家者は少欲知足(ちそく)、つまりわずかな欲にとどめ、足(た)ることを知っているのである。
経営者は大欲であっても知足を知らなければ、男のように地獄に落ちてしまう。
◎
(岡田)資本主義経済は拡大再生産を続けなければ、衰退します。欲望は科
学技術の進化となり、生活を向上させる面はあります。一方で知足を知らなければ、最後はどうなるか、これが私の問題意識です。
中谷巖氏も『資本主義はなぜ、自壊したのか』の中で「二十一世紀はグローバル資本主義というモンスターが解き放されたままで、人間の欲望がモンスターを呼び覚ます危険を持ち合わせている。
従来の資本主義経済では、その行動を抑制する外部、つまり強制力をもつ中央銀行や政府の存在が、欲望を抑制してきた」と指摘しています。
少子高齢化社会の到来で、この社会に何を求め、そのありようについて思い巡らす今日この頃です。これからもご意見、ご指導よろしくお願いしますーと返事を送りました。
◎
(友人から)小生の異論にご丁寧な返信をいただき、ありがとうございました。どうやら、
少々、筋違いの議論を申し上げたようで、恐縮しております。
おっしゃることは大変よく分かります。とめどもない強欲な金融資本主義の結末であるリーマン・ショックはおっしゃることの見事な証明でしょう。
また、私自身、座右銘として「人間本来無一物」と「山僧活計茶三畝、漁夫生涯竹一竿」と自筆した紙を本棚に貼っておりまして、常に「足るを知る」ようこころがけています。
とはいえ、最近の厳しい雇用環境や破綻寸前の国家財政、そして年金財政を見ますと、経済の構造を変え、パイを拡大することは喫緊の課題でもあります。毎年、就職したくても無業のまま大学・高校を卒業する3万~4万人の若者に「足るを知る」教えはなかなか通じません。
経済成長とその裏にある過酷な競争をどう豊かさに結びつけていくか?
マクロとミクロの議論が必要なのかもしれません。
追伸:欲望の果てに地獄に落ちた男の話を引用しておられましたが、私は若い頃、発展途上国(当時は「後進国」と称してました)の経済援助にまつわる以下の挿話を聞き、印象を深くした記憶があります。
☞椰子の木の下のハンモックで一日中揺られて過ごしている男がいた。
先進国から来た男(多分企業関係者)が怠け者を叱咤し、企業で
働くよう促した。
途上国の男;働いてどうなる?
先進国の男;働くと給料がもらえる。
途上国の男;給料をもらってどうなる?
先進国の男;給料を貯めて、楽な暮らしができる。
途上国の男;楽な暮らしでどうなる?
先進国の男;一日中何もせずに遊んで暮らせる。
途上国の男;見ろ、今オレはそうしてる。
◎
(岡田)「椰子の木の下の話」、面白く笑ってしまいました。
これで思い出しますのは、笠信太郎の「花見酒」(落語)の経済ですね。
今の若い人の就職の難しさに同情する面はあります。しかし、これも昭和20年から30年代と比較するとたいしたことありません。ましてその前は戦争があり、死と直面していました。
今の若い人はモノがあふれ、飽食の時代に生まれました。仕事も選ばなかったらあります。海外に行く手もあります。
どうしても楽して生活したいと思うと、難しいかもしれません。
学生さんも今の格差社会と同じで、一部の優秀な学生は高賃金に恵まれ、一方、無職の学生がいるということでしょう。
こういう若い人にこそ「知足」の考えを教える大切さを思います。
メール往来2
◎ (友人)日本総研情報サービス専務の辛坊正記という人が大変いいことを語っておられます(http://www.j-cast.com/2010/06/23069346.html)。
さわりの部分は以下の通りです。わが意を得たりと思ったのは、「小泉改革は悪くはなかった、改革の過程でのセーフティネットの整備強化が欠けていたのだ」との点、全く卑見と同じです。
過剰な行政介入と規制緩和を進めないと経済社会は元気がでない、しかし、規制を緩和すると競争で落ちこぼれが出たり、緩和を悪用する悪徳商人などの輩が出て来るので、社会のセーフティネット構築強化が同時に必要、という、常識路線に日本の政治も戻るべきだと感じます。
健全中道派(無党派とか浮動票とか、これまでとかく、こき下ろされてきた中間層)がおおいに発言するべき局面に入ってきたと思います。
************
増税だけでなく明確な成長戦略を示せ
――小泉改革といえば郵政民営化を思い出します。一方、最近では「民営化後退」と評される郵政改革法案が「成立目前」という情勢でした。
辛坊 郵政民営化は、特に郵便貯金の問題で、官の不効率な資金の運用から、民の効率的運用へと資金を回し活力を生み出そうという、改革の象徴的存在でした。この路線の後退は、日本のじり貧を加速させると思います。
ほかに、製造業への派遣解禁など労働力の流動化問題にも小泉内閣は取り組み
ました。本来は正社員も含めた形で流動化を考えるべきですが、日本のように解雇に
厳しい制約があると企業は人を雇おうとしない、という状況の中、そうした傾向に一部
にせよ風穴を開けたのです。
――先ほど小泉改革を全肯定する訳ではないと言われたのは、どういうマイナス面があるからですか。
辛坊 労働力の流動化のところで、解雇された人への目配りが後回しになったことです。解雇された人たちが、次の活力ある企業へ転職するには、自分たちのスキルを上げるために勉強や研修をする必要があります。そのための施設整備や補助、さらに転職が決まるまでの一定期間のセーフティーネットの構築・充実が必要でした。
小泉政権後、セーフティーネットのあり方を議論するべきだったのに、流れは次第
に「雇用を守る」規制強化に進み、今では実際に強化されました。これでは、企業は
「日本では人は雇えない」「海外で人材を確保しなければ」と、逆に日本の労働者に厳
しい現実しかもたらさないのでは、と懸念しています。一部ではそうした傾向がすでに
現実化しています。
――菅直人首相は、政府の借金や社会保障費の確保の問題について、「消費税増税」という「耳当たりの良くない」話に踏み込むことで「覚悟」を示そうとしています。
辛坊 増税論と、構造改革を含む成長戦略の必要性とは別物です。構造改革をして、日本が競争力を保てる国にしない限り、増税で一時的に計算上の辻褄を合わせても、またその段階から新たなじり貧が始まるだけです。いずれ新たな増税が必要になります。明確な成長戦略を示すことが重要です。
――与党民主党を始め、参院選を前に各党が示す成長戦略を比較する際、有権者はどういう点に気を付けるべきでしょうか。
辛坊 「みんなバラ色」式の、数字の提示がない絵空事は信じないことです。お金は有限です。何かに力を注げば、ほかの何かは我慢しなければなりません。じり貧の日本を建て直すには、ズルズル今までと同じことをしていても何も変わりません。コレをするにはいくらかかり、そのためには、代わりにアレを止めるとか、その分、増税になるとか、具体的なメリットと痛みを明示できているかどうかをチェックする必要があると思います。年金など将来の不安を取り除く取り組みも重要です。
辛坊正記さん プロフィール
しんぼう まさき 1949年、大阪府生まれ。一橋大商学部卒業後、住友銀行へ入行。慶応義塾大経営管理研究科1年制課程修了。コロンビア大学経営大学院修士。住友銀行アトランタ支店長、住友ファイナンスエイシア社長、住友銀行国際金融法人部長などを歴任。現在、(株)日本総研情報サービス代表取締役専務。2010年、弟で読売テレビ解説委員長の辛坊治郎さんと共著で「日本経済の真実 ある日、この国は破産します」を出版した。
◎
(岡田)辛坊正記氏のご意見のご紹介、ありがとうございます。
「日本経済の真実 ある日、この国は破産します」を流し読みしていましたので、彼の考えはある程度、理解していました。
私は「なぜ、急速に日本経済が衰退したのか」という問題意識で、このところ関連の本を読み、人に会ってもそのことをお聞きしますが、いまだに明確な答えを得ていません。
失われた10年が、あっという間に失われた20年になりました。政権交代でそのうち失われた30年ということになりはしないかと心配しています。
『失われた20年』(朝日新聞変転経済取材班編)で転機は1994年だと指摘しています。
「日本的経営が大きく変わったのは、1994年2月25日、千葉県浦安舞浜の
ホテルに大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するために集ま
り、激しい議論を繰り広げた。論争の中心が「雇用重視」を掲げる新日鉄社長
の今井敬と「株主重視」への転換を掲げるオリックス社長の宮内義彦だった」
という。
「対外発表がされなかったので、世間の注目をされなかったが、この時期を
境に米国型への転換に舵をきった」といわれる。
辛坊正記氏は「小泉改革で規制緩和は良かったが、セフティネットの構築・充実が必要だった」と指摘されています。
一方、政権交代後、セフティネットのあり方を議論せずに、「雇用を守る」規制強化に進んだことが、企業を弱体化したという意見を述べておられます。
この点で矛盾を感じ複雑な思いになります。
ところで、小生がHPで、「経済成長で元気にする、というようなことでは日本人の幸せは取り戻せない」ということを書いたことで、異論をいただきました。その返事を辛坊正記氏の考えの感想ということで送らせていただきます。
それでメール往来1のやり取りを送りました。その返事が以下のようにきました。
◎ 岡田さんへ
ありがとうございます。
今井氏、宮内氏の論争は小生も記憶にあります。今から思うと両者とも間違っていたという感じです。
失業者はすべて面倒みるというのも無理な話で、どうしてもダメな人はそれこそ政府の生活保護で引き受けるべきなのでしょうが、他の大多数は訓練やつなぎの支援をすれば別の職種で社会に貢献して行けるのだと思います。
全てをセーフティネットで面倒見ようとするから民主党のようなバラマキになって増税においこまれ経済を窒息させるのではないでしょうか。
他方、宮内的アプローチは単一民族(大多数)で社会の一体性を重視するウェットな日本社会では反発を招きうまくいかないと思います。
やはり歴史の長い社会ですから欧州の方が参考になるのではと思います。いずれにせよ低成長の中での低速運転での調整プロセスが常態として続いて行くのだという覚悟を国民一般が持つべき時代ではないでしょうか。成熟した欧州、とりわけ英国は1960年代からかれこれ半世紀の低速運転です。
地獄まで望んだ男の話、おもしろいですね。田舎にいますと自然の摂理みたいなものが垣間見えて楽しいですよ。
植物や樹木は昆虫に葉っぱを食われ続けますが、食われても食われてもまた新しい葉を出すのです。昆虫はそのうちにおなかが一杯になるのか、繁殖期をすぎて食欲が衰えるのか、結局、植物や樹木は生きながらえるのです。昆虫を食べる鳥たち、鳥などを肉食する大型動物なども結局は食欲、性欲、子孫保存欲などに限度があることで、「結果的」に諸生物が生き延びているという現実です。
これを予定調和と呼ぶのか、それとも弱肉強食の闘争と適者生存の歴史とみるのか、多分その両方の営みが行われているみたいです。
もしそうだとすると地獄まで望んだ男は、欲望追求のあまり過食過労で病気にでもなって寿命を縮め早死にしてしまったとの自然の摂理を言い当てているような気がします。
今井氏がいうような予定調和でもなく、宮内氏がいうような弱肉強食のみでもなく、その両方という、極めて悩ましいのが今の日本経済や社会の実情かもしれませんね。処方箋は多分、多元方程式しかないのでしょう。
メールからの声
◎ 宮崎の「口蹄疫」本当に、特に宮崎畜産農家の皆様の防疫での精一杯の努力
と根性そして我慢、決心を持ちまして昨日27日(7月)、県としての清浄化への宣言をしていただきました。
当時のお粗末(アカマツ)大臣には腹が立って、立って、どうしようもない不作大臣と・・嘆き悲しみました。
兎に角今の状態は、返す返すも宮崎の農家と関係者の努力と心より感謝!しかし、遠地の我々にとって、九州各県での子牛市場の再開は、安全、清浄化とは申せ、九州からの子牛の導入は心配度、ならびに危険度は今まで以上に(移動制限措置で守られていた)高まることから、新たに気を引き締めて係らねばと思っています。(滋賀・畜産関係者)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
7月 |
1日 |
近況、雑感(「小沢評」)、ソウル旅情、続・ファシリテーター、北海道・写真紀行、読書 |
7月 | 25日 | 近況、ああ参院選後、すばらしい贈り物「二枚の写真」、友人からのメール 友人の北海道紀行、写真三昧、読書 |
7月後半
【ネムの木】
近況
猛暑が続く毎日です。最近の日課は夜、8時~9時に就寝、朝の4時~5時に起床。
もう十数年続けている、腹筋運動上下20回、複式呼吸3回、腕立て伏せ20回、その後洗顔。朝のCD音楽を聴きながらメールのチェック、
体調など健康記録、本日の予定の確認。
それらが済むと朝刊を買いに約1キロ歩いて新聞店を往復。6時過ぎの朝食、食後はコーヒーを豆からつくる。そして執筆活動に入る。
午後は2時間ほど昼寝。その後、録画済みのテレビを観る。時には夕方、近くに外食に出る。こんな繰り返しの毎日です。
この日課の変更は、写真撮影、小旅行、友人との会食、会合、取材などのほかにかかりつけの歯科医で歯の手入れ、病院での健康チェック、図書館で本を借りる時に起こる。
ああ、参院選後
みなさんはどう思われていますか。私はむなしさを覚える毎日です。どうも日本は上昇気流にのる糸口も見えてきません。
先日、友人にこんなメールを送りました。
―民主党が今参院選で「元気な日本」をスローガンに掲げていましたが、
それはとりもなおさず「今の日本は元気がない」ということです。
なぜ、元気がないのかがわからずして、元気にする方法も見当たらないのです。
私が今、取り組んでいる高僧の評伝で勉強している限りでは、どうも今までのような価値観「成長経済で元気にする」というようなことでは日本人の幸せは取り戻せないと思っています。
では、どうしたらいいのか、その答えを求めて取材をしていますが・・・。
菅総理は雄弁家でしかも二枚目で明るい顔立ち(最近は元気がありませんが)ですが、どうも信念がないというか、発言が軽いように思えます。仙石氏や枝野氏も論理的に流暢に話しますが、なぜか心に響かないのです。しかも顔が暗いのです。
この先、日本はどうなりますかね。
すばらしい贈り物
つい先ごろ、友人から『二枚の写真』の書名の本が贈られてきました。まず、本の内容について説明します。
これはオーストラリアのダイアン・ウオルファー女史が執筆した本です。
―物語の舞台は、太平洋戦争の激戦地の一つである東部ニューギニアのオーエン・スタンレー山脈中のココダ街道。ポートモレスビーの占拠を目指す日本軍と、それを阻止しようとする豪・米軍との熾烈な戦い。いわゆる日本ではポートモレスビー作戦、オーストラリアではココダの戦いと呼ばれている。
ココダ街道で負傷した一人の日本兵と、一人のオーストラリア兵。死を目前に、二人は互いの家族の写真を見せ合った。やがて、豪軍部隊が二人が横たわる溝へ。泥水の中に貼り付いた二枚の写真があった。
この本は戦争の本質を見事に表現しています。(本をご希望の方はインターネットで『二枚の写真』を入力して検索してください)
その本を友人がなぜ贈ってきたかですが・・・。
私の父が「ポートモレスビー作戦」に従軍記者として参加しました。父は、記録文学として『ニューギニア山岳戦』を雑誌『新青年』に掲載、それが戦前、最後の直木賞に選ばれました。
戦後、戦争責任を感じて長らく小説の世界からは遠ざかっていました。そして年老いてから「もう一度、ニューギニアを訪れ英霊に祈りをささげたいので連れて行ってほしい」と頼まれました。そこでニューギニア大使館から資料を取り寄せ検討しましたが、年齢的に難しいという結論になり、実現しないままに亡くなりました。
それで散骨だけでもと思いたち、ポートモレスビー作戦の最後の寄港地となったラバウルの地で実現しました。
このことを知っていた友人がこの本を訳された長年の知人からの依頼で紹介者の一人に選んでいただき本を贈ってくださったのではないかと推察しています。
いずれにしましてもすばらしい本と出会えたことをうれしく思っています。
友人からのメール
―暑中見舞い申し上げます。夏はやっぱり暑いの一言ですね。
19日(月)の天気予報で今週は週末に向けて気温が上がるとのこと。その夜、プチ避暑へ駒ケ岳へ行くことにしました。
22,23日で駒ヶ根の宿探しを。
22日、2時に我が家を出発、5時半に駒ヶ根の菅の台バスセンターに。既にロープウェイ行きのバス停に登山者が並んでいました。6時に臨時バスが出て、それに合わせて臨時のロープウェイが。
7時前に千畳敷カールへ到着。標高2612m涼しい。14度とか。それでも日差しが強いので晴れていると暑い、雲に包まれると寒い。
一昨日は雲海が見えたとか。今回はただ雲が湧き上がってくるだけでした。
我が夫婦、二人とも登山の意志は全く無し、ベンチにへたり込んで涼しさだけを味わいました。私は小さな望遠レンズを持って行ったのでイワヒバリとホシガラスを。
カミサンは例によって高山植物を撮っていました。
ここのイワヒバリは人を全く恐れずにシャッター音に反応して近寄ってきます。
そんな訳でイワヒバリの写真を送ります。(ノートリです)
【イワヒバリ】
かくしてプチ避暑が終了して千里の我が家、余りの暑さに吃驚仰天。
上からの太陽熱と下からの反射熱。おまけにコンクリート壁の滞留熱。クーラーを唸らせ写真を見ています。
友人の北海道紀行
―北海道旅行の報告
昨年の夏は7月の中旬に1週間かけてレンタカーで周りました。往復が晴れ、中日一日が晴れ。結局はほとんど雨でした。ホテルをただ泊まり歩いた感じでした。
今年は6月21日に出発しました。関空から稚内へ。(千歳より高くなります)
稚内のサロベツ原生花園からオホーツク沿いに原生花園めぐりをしてサロマ湖のワッカ原生花園まで。
そして昨年嵐で諦めた大雪山からニセコに周りました。サロベツ原生花園は人気スポットで次から次と観光バスが来ます。
ここは来年から木道への進入禁止になるみたいです。
夕方、観光客も去って静かになった所でナガツメセキレイが出てきました。初めて見ましたが見とれるほどきれいな鳥です。
この時期の原生花園の花はまだ本格的とはいえない状態でした。昨年は早く7月中旬ではほとんど終わってました。ワッカ原生花園では流石に野鳥の宝庫でした。
大雪山では憧れのギンザンマシコが何とか撮れました。午前中は濃霧で何も見えなかったそうでした。
私等が着いた時から風が吹き出し濃霧を飛ばしたとか。展望台で受ける風は想像以上でした。予備の防寒衣が役に立ちました。待つこと2時間、遥か彼方にひょっこりと出現。
私のレンズでは限界を超えました。これを狙って来るバーダーは大きなレンズを運び込んでいました。ケーブルから20分とは言え通路は雪がまだ積もっていました。
昨年より大きな成果がありニセコでのんびりして帰りました。来年は釧路湿原を巡ろうかと考えています。
【ギンザンマシコ】
さらに続きのメールです。
岡田さんの北海道の写真は朝もやの中の風景、私も朝の4時から野鳥。
美瑛でも突然車を止めて野鳥を。岡田さんのように風景写真が頭に浮かびません。
昨年の富良野、美瑛の写真はポスターに出ている写真と同じで面白味がなかったので今年は野鳥一本。
野鳥撮影は、ほんの数秒間(連写中)の刺激が魅力です。結果は二度目の喜びです。景色の写真を数千枚撮ったら見直すのが大変ですね。
消去ラインの設定が・・・・
野鳥は簡単です眼のない写真は没ですから。何時も28GBのメモリー(8G*3枚、4G*1枚)で足ります。夜に消去しますので。
夏場は近場の公園で昆虫を追います。野鳥と同じで捜す、連写の繰り返しですが
こちらの難しさはマクロなのでピンボケの量産です。
テントウムシとカタツムリの写真を送ります。どちらも捜すと見つからないけどカメラを持たない時に良く見るから・・・・。
わたしたちの写真三昧
●鳴川渓・千光寺
7月22日 奈良・平群の里の奥まったところにある千光寺にはユースホテルも併設。奈良
●滋賀・烏丸半島
7月20日 ハスの撮影
●伊吹山撮影会
7月18日 まだ花は咲いていない。
●流れ橋
7月15日 これは昔の人の知恵で、台風などで流されてもいいのだという発想ではじめから頑丈な橋をつくらない。それでも橋が流れるのは10年に1度ぐらいで、滅多にお目にかかれないようだ。
●竹林
7月7日 生駒市の高山竹林は、茶筅の全国シェア9割。今回、これがメインだったが、期待はずれだった。近くの長弓寺。この寺はこじんまりして、アジサイも結構、咲いていた。続いてあじさいの寺で有名な矢田寺は、コンセプトがなく、ただ花は多いことだけで終わりかけであった。次に大和民族公園。今年、梅の咲く頃、行ったが、この季節はなにもない。次の法起寺は日本最古の三重塔がある。そして法隆寺、西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍の全部を観るのに約1時間はかかる。百済観音堂が完成、像が安住、いつ見てもすばらしい像である。
【法起寺の三重塔】
●ネムの木
7月6日 生駒・桜の広場(ネムの木)。ネムの木も美しい。花びらも。
【ネムの木】
●和歌山撮影会
7月4日、とくになし。
●あじさい
7月2日 生駒山・あじさい園
6時半、自宅を出て信貴生駒スカイラインの駐車場からあじさい園に入った。最盛期であった。このあと、信貴山、のどか村、平群の道の駅を巡って帰宅。
●橿原の久米寺
7月1日 いま取り組んでいる評伝の高僧の父親がこの寺に預けられた関係から確認したいことがあった。ちょうど、あじさい園が開園していたが、最後の時期だった。このあと、明日香の夢市で古代膳を食べたが、暑いため石舞台周辺は歓光客がほとんど見なかった。
そして信貴山近くの「のどか村」に目に良いというブルーベリー求めて、立ち寄ったが、休み。
読書
単行本を今秋、上梓予定のため最後の推こう、雑誌連載、科学記念誌の取材等、執筆で多忙であった。この間、歯科、検査など健康関連、友人との会食も増え、結構、忙しかった。
ほとんどが執筆のための資料であった。
『人生まんだら』(松尾心空著 春秋社)
彼は「肥壺とカネは、たまるほど汚くなる」の例えをだして経済大国になっても満足を覚えることのない胃拡張のように、儲けても、稼いでも、貯えてもその拡張された欲望は満足を得ることはない一種の経済的胃拡張にわれわれは陥っている.
別な本だったと思うが、松尾心空氏の著書に「来世はあるのかと聞かれるが、来世はある。それは子や孫の世のことである」ということだと知った。これまで自分の死後のことに想い巡らしていたが、いい来世にするには今の自分の行いが大事だと理解した。自分のための来世はないということである。これを知って納得した。
『時間』(滝浦静雄著 岩波新書)
あるきっかけで読み返した。
難解な内容だが、以下の部分に納得した。
「われわれは、現在と呼ばれる流れの中心に置かれて」おり、いわば「永久に、永遠の今にとどまりつづける」。
このようにわれわれに、時間の無限性が、どうして分かったのだろうか。
「本当の意味で“時がある”と言えるのは、まさしくそれが“ない方向に向かっている”から」であるのに、その時間が無限の長さまでもっているのはどうしてであろうか。
現在は瞬間的なものだとすれば、時間に本来、長さなどないのではなかろうか。
このほか「高田好胤」「松尾心空」「日韓併合」など乱読が続いている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
7月の日記
●写真【美瑛、朝の畑】
近況・雑感
いよいよ7月。一般には夏休みシーズンですが、人生の余録組にとっては、シニア料金が適用外になる嫌な季節でもあります。
今夏は旧友仲間に誘われて奈良の天川村のキャンプ場に鮎を食べに行く計画もあって、楽しみな時期でもあります。
12日には参院選があり、菅政権のゆくえに関心が集まると思います。
●「小沢評」
6月の日記に「小沢評」について書きましたが、それについてメールをいただきました。そこでメールのやり取りを紹介しながら、選挙後の小沢の動きを注視したいと思います。
友人からのメール
◎…6月26日の日記にあった「小沢評」についてお聞きしたいことと、私の考えを書かせていただきます。
まず、岡田さんは「官僚組織を壊すのは小沢しかできないだろう」と書いて
おられますが、その理由は何なのでしょうか?
「政治主導」は日本の制度上はほぼ出来上がっていると思います。問題は今の日本の政治家に官僚を納得させて使うだけの力量がないことでしょう。
その力量を身につけた政治家が増えてくれることしか、方向はない様に思います。
政治家がその力量を発揮したときに、官僚が自分たちの利益にならなければ(世のためになると分かっていても)、強く抵抗することはこれまでもよくあったことです。
そのときに「小沢的”腕力”」があれば役立つでしょうね。
しかし、腕力で押さえつけても、官僚が面従腹背しただけなら、問題はまたぶり返すはずです。力量をつけた政治家と官僚がオープンに議論すれば、事態は改善するのではないでしょうか。
さらに、いまの小沢には「腕力」はあっても、政治的力量があるのか、疑問です。
小沢がかなり前に書いた『日本改造論』は面白かったし、こんな政治家に首相になってもらいたいと思ったときもありました。しかし、この本に書かれていることと、今の小沢がやっていることはかなり違います。
小沢の政治家としての問題点は、カネの問題もさることながら、その政治感覚というか、民主主義感覚というか、そういう点にあると思っています。彼は、選挙で数さえ取れば何でもできると思っている。
力のない者には威張り、強権を発動する反面、力のあるものにはこびへつらう(胡錦濤との2回の会談は彼の本性を現したように感じました)。
政治屋になれても政治家にはなれない人物だと思うようになりました。
●…以下は、小沢評についての私からの返信です。
この日記の「小沢評」は、わたしの直感に近い感想です。
これまで小沢に会ったことはむろん、著書も読んだこともなく、話も聞いたこともありません。ほとんどは新聞、雑誌、テレビで得た情報により論評しています。
日本人が最近の報道情報で彼を嫌う人が多いだろうと、思っています。また、建設会社の役員に聞いたところでは、岩手県の公共事業受注で西松建設が小沢側に何らかのカネが渡っていると考えるのが常識だと言います。
だから限りなくクロに近く、ダーティなイメージがつきまとう小沢でありますが、
①検察権力があれほど調べてもクロだと断定できない
②稲盛和夫と親密な関係を持つにあたって、彼は自分の足で鹿児島まで出向き稲盛の父の葬儀に顔を出して、誰の紹介も受けずに体当たりで稲盛の教えを乞うた
③彼は司法試験の失敗、私淑する田中角栄の失脚を乗り越えて、思う道を信念で貫き通そうとしている
こうした一面を見ると、最近の政治家には見られない強い意思を持つ人物だと思っています。確かに彼の剛腕ぶりには辟易する面もありますが、私には密室で権力をほしいままにしてきた政治家よりは、正直な性格ではないかと思っています。
ご指摘のように「力量をつけた政治家と官僚がオープンに議論すれば、事態は改善するのではないでしょうか」という指摘はまさにその通りだと思います。
ただ、私には政治力量、つまりは哲学、信念を持った政治家でないとダメだと思っています。あの鳩山前首相の判断の甘さ、哲学のなさには民主党を支持した人間としては失望しました。
もちろん官僚の中にも信念の持ち主はいると思いますが、事業仕分けで天下り役人らの答弁を聞いていて、あまりのひどさになさけなくなります。官僚改革には小沢のような剛腕と言われようが、信念と力がないと、とてもやないが、できないと思います。
民主党議員にも小沢離れを期待している向きを感じますが、多くは必要悪としてええ格好しているように振舞っているのではないかと、見えます。
小沢のことを知らない者が、論評するのもおこがまましく、失礼を省みず勝手なことを書きました。
●ソウル旅情
友人から「ソウルの旅」メールが届きましたので、掲載します。
◎ …6月25~27までの3日間、ソウルへ行ってきました。浴びたパワーが
まだ身体の底からわいてきています。
また、食べるものが生命力をつくることを実感します。
ソウルの美しく若い女性が難なく大皿の料理をたいらげるのをみていると、
やはり「滋養」なんだと。
「代謝」を促進するものが「活動」なんですね。
日本に戻って乗った地下鉄で、ソウルメトロの活気との落差に気がつきました。
なぜそうなのだろうか。
引き続き想像してみようと思っています。
東大門にある昔ながらの市場の隣に立つファッションビルは女性のパワーでいっぱいでした。
販売担当の女性のアプローチは強気とキュートさのいい塩梅で、振る舞いの参考にもなりました(笑)。
「綺麗になりたい」「オリジナルなものを創造したい」という思いの部分は、さまざまな要素を吸収してどんどんオンリーワンな世界を作っていくだろう、末恐ろしいなあ・・・とも。
とても共感できるものがありました。
韓国W杯決勝進出(対ウルグアイ戦)の日となった26日土曜。ソウル支庁前の広場に集まった6万人のひとりでありました。
来訪者はだいたい同じような考えをもつもののようで(笑)、アラブ系のカ
ップル、ヨーロッパ系の30歳代の男性、アメリカ人グループ・・・、そしてやはり最も目に付く日本人が赤いTシャツを着て参集していました。
韓国の熱気のそばにいる瞬間を、とても強く脳裏にきざみました。
ビビッドに生きるって「本当にプレゼント(今この瞬間)」です。
やりたい・やれることの幅や柔軟性を広げるうえで、あらたな刺激になりま
した。
どんなにネットの世界が充実しても旅、やっぱりやめられません。
追伸:はい、歴史的な背景は確かにあります。
ですが、直接そのことを経験していない者同士がこれからの世界をつくっていくわけで。
後天的な知識でせっかくの機会をなくしてしまうのはもったいない。
衝突したり、すれちがったり、思いのこれっぽっちも伝えられないこともたくさん。
相手を思うからこそはがゆい気持ちになることも多いけれど、これも縁、だからこそ深まるものもあるのではと感じます。
ソウルだったからかもしれませんが、そのあたりの<重さ>を感じる経験はしませんでした。
韓国のご年配の方々が前を向いているあかしかもしれません。
「明日を肯定する」ことを疑っていないムードが心地よく、ソウルの魅力の最大のひとつです。
まだまだ深く知りたいと思います。
● 続・ファシリテーター
先日、「落語でコミュニケーション」のセミナーで2回目のファシリテーターをやりました。このHPでどなたかが書いていらっしゃったように、「参加者の実践に結び付けるのが、企画者のウデ」。
今回は「千両みかん」という、オチがなかなか洒落ていてちょっとシュールな味で、あきんどの心、みたいな「学び方」もできる噺です。…が、参加者が若かったせいか、若干、消化不良を味わいました。参加者には好評でした。私自身はこの演題でリベンジを考えています。
【写真:富良野の朝】
印象
今回、北海道の写真撮影の旅としては、はじめてだった。
北海道では少し郊外に出ると、どこも被写体になると感じた。とくに今回、行った富良野、美瑛はすばらしいスポットの一言である。
ただ、こうした有名観光地は、どうしても定番の観光スポットに目を奪われがちになるが、自分流で発見する風景にいいものがあった。
今回のベスト3を挙げると、白金温泉近くの青い池、美瑛の模範牧場、哲学の木であった。
ほかにも旭岳、層雲峡、羽衣の滝など印象深いスポットは多かった。朝、太陽が昇る頃の風景はとくによかった。
2,000枚近く撮ったが、まあまあと思えるのは2枚ぐらいしかなかった。やはりもっと高いレベルのものを求めるには、狙いを定めじっくり撮り溜めしないとダメである。旅での写真の難しさを感じることはいつものことであった。
ルピナスとアカシアの花そしてイチイの木がいっぱいの北海道であった。また、歩行者の信号無視は自動車が少ないからさもありなんと思った。高速道路もクルマが少ないのが印象に残った。
東舞鶴(2010年6月16日(水)曇り時々晴)
朝6:30自宅を出発、一般道路を走り途中、京都府内の道の駅2箇所に寄って10:30舞鶴着。フェリー確認後、舞鶴商工観光センター1Fの「caf de 十番館」で昼食(ここの雰囲気とコヒーは良い)。
午後から引揚記念館、舞鶴自然公園(アジサイ園)、親海公園、舞鶴ふるるファームに出かけた。
舞鶴ふるるファームは農村公園で農園ゾーンにはコテージ(年間利用料:40万円)で生活しながら農業が体験できるという。
「別荘と野菜づくりなどを希望する方が借りられます」と担当員が話していた。
東舞鶴では赤れんが博物館の近くの総合文化会館で開かれていた第42回「
ここ舞鶴で必ず撮るのが北吸トンネルである。
フェリーの出航は夜中の12時30分だから時間が余る。夕食をいけす料理の「卑弥呼」で食べた。ここは居酒屋風で客も多く、料理もおいしいお奨めの店である。
このあと、八千代館で映画『シャッター・アイランド』を夜の10時近くまで時間つぶしに観た。推理映画ということだが、まったく面白くなく私の頭ではよく理解できない内容だった。
フェリーは出航の1時間前には集合しなければならない。すでにほとんどのクルマが並んでいた。今回は47台で7~8月のシーズン中に比べ少ないという。
広島から来たという男性シニアは「マイクロバスをチャーターして25名で利尻島へ登山に出かけます。最高齢は80歳の女性です」と時間待ちをしていると声をかけられた。
乗船はスムーズにいき、時間通り出航した。
新日本海フェリーの「あかしあ」は総トン数16,810トン、速力30.5ノットで特A和室(右舷、真中)を確保したが、エンジン音で睡眠不足。しかもスペインとスイスのサッカーが夜中の1時から始まったので、これを観ながら床に就いたのでなおさらである。携帯は圏外、テレビはBSのみ。
【北吸トンネル:ここの撮影は時間のタイミングがいつも難しいと感じる】
船中(2010年6月17日(木)曇り後、晴)
朝5時に起床。朝の太陽は曇り空で撮影を見送る。途中、日本列島や島も見えず単調な船旅。海は静かでほとんど揺れなかった。時間通り夜の8:45、小樽港に着く。その日は
ただ、カーナビにホテルの電話番号を船内で入力したら舞鶴からの表示となりパニックに陥る。JAFに助けを求めたが、港に出て再入力すると、正常に表示。カーナビは船内にいる限り現在地は舞鶴であるから、カーナビにとってはいい迷惑だった。
小樽(2010年6月18日(金)曇り時々、晴)
ビジネスホテがあるJR
ホテルを朝の5時半にスタート、札幌経由で一般道路を走る。クルマも信号も少ない。途中、道央の
【富良野の朝】
富良野
途中、
【五郎の丸太小屋:テレビドラマを見ていない者には興味がわかない】
ここのホテルは簡素で富良野のホテル(少ない)としては料金が安く、料理(スイス風だという)はまずまずだった。ただ、現地のワインはいただけなかった。
【風のガーデン:プリンスホテルが運営している洋風の庭園、有料】
富良野・二日目、そして美瑛へ(2010年6月19日(土)晴、曇り時々)
朝2時過ぎに起床、写真の整理。4時半に周囲の朝霧が立ち込める畑を撮影。北海道は自然の風景が素晴らしく、被写体は無尽蔵である。
7時の朝食の後、近くの「風のガーデン」を再訪、そしてロープウエイで富良野岳に上った。冬場にスキー場となるところだから終点駅の周囲は味気ない。10分ほどで退散。
次に向かったのが「ファーム 富田」。ここはラベンダーの畑では最大級。日本で初めてラベンダーオイルを精製した。この時期は蕾で7月が開花時期。私はこうした人工的な畑に魅力をほとんど感じない。
そして白金温泉から「青い池」に行った。ここは偶然、観光案内所で見た写真で立ち寄ったが、この日までで一番、印象に残った。あまりPRしていないので見逃してしまう。ここには明日、20日の朝にもう一度、訪れる計画。
白金温泉の望岳台から十勝岳を見上げると噴煙を上げていた。活火山である。
白金温泉からスカイラインを走って十勝温泉に行った。途中、キタキツネに出合った。この地ではよく見かけるそうだ。あまり警戒心がない。温泉客がエサを与えるため人に近づくようだ。
【キタキツネ:富良野の市街地でもキタキツネやリスは家にいても見られるという】
登山口から美瑛岳まで「往復4時間かかりました」と、中年のおじさんが話してくれた。
残雪が残る十勝岳はすばらしい。
ここから四季の丘に立ち寄ったが、いまひとつであった。
この日の宿泊は民宿「四季」である。まったくの個人(夫婦)で脱サラ経営。もともと名古屋の機械メーカーに勤めていたが、美瑛に魅せられ別荘を買い取って3年前から民宿を経営。偶然、写真が趣味(ご主人の腕は相当なレベル)で話が合った。宿泊できる人数は3組10人までと小規模である。部屋、料理などは一流ホテル並だから一般の民宿よりは割高である。
料理とワインはすばらしかった。サッカーの日本―オランダ戦を見たかったが、テレビは置いていないという。
「情報はインターネットで充分です」と、話す。
それでもすばらしいひと時を過ごせた。部屋、備品、料理、ワイン、コーヒーなどすべてに主人の哲学が満ちていた。ただ、民宿は気疲れする。とくにこの日の泊り客はわれわれだけだからよけいにそう、思った。
【青い池:エメラルドグリーンは十勝岳からの水と温泉水が混ざってできたといわれる】
美瑛・二日目(2010年6月20日(日)曇り時々雨)
朝、周辺撮影。ペンションの主人にお気に入りのスポットを聞くと、「哲学の木」が好きだと推薦してくれた。それで哲学の木及び周辺を撮影した。
【哲学の木:畑とポプラの木で物語をつくった仕掛けが効を奏している】
朝食後、拓真館で美瑛の紹介者でもある写真家の前田真三氏の作品を観た。その後、青い池を再訪。そしてペンションの主人がぜひ見たらいいという白金模範牧場に行った。さすがに雄大な牧場で、黒牛とホルスタインが放牧されていた。
北海道は下船の時から消毒を課していた。口蹄疫の問題で牧場の出入り口は石灰がまかれていた。
【白金模範牧場:さすがに北海道ならではの広大な牧場である】
そして再び白金温泉からスカイラインを走って十勝岳温泉に行った。この頃から雨が降り出し、一時は猛烈な雨と雷に見舞われた。十勝温泉に着くと雨は上がった。
この日は山開きで富良野観光協会のテントが張られ、登山客を誘導していた。
「あの山は何ですか」
「あれは富良野岳の前の山で、名前は・・・」
十勝温泉の登山口から見える一番、堂々とした山だが、富良野岳はその山の奥にあって見えないという。正面右から富良野岳
1912 m、三峰山1866m、カミホロカメットク山1920m、十勝岳2077m、美瑛岳2052mと連なっているが、十勝温泉からは近すぎて十勝岳は見えない。白金温泉の望岳台からよく見える。
この後、定番のパッチワークの丘へ行き、「ケンとメリーの木」「セブンスターの木」「親子の木」を見て、民宿「pokrok」へ向かった。ここの女主人は愛想がよく、感じがいい。
「今日は満室です」と、家族連れ、ペアー、シングルなど5組の客が泊まっていた。ほとんどが道内の人たちだった。
【典型的な風景:広大な畑、ポプラの木、赤い屋根の家がキーワード】
美瑛・三日目そして旭川へ(2010年6月21日(月)曇り時々晴)
早朝、パッチワークの丘など美瑛の周辺を見たあと、旭川に向かう。大雪山・黒岳。ロープウエイで黒岳1982mの5合目まで上る。さらにリフトを使えば7合目まで行けるが、ガスがかかってきたので止めた。ここのラーメンハウスのラーメンは特上だった。
宿泊は層雲峡の「ホテル大雪」へ。
早めにホテルに戻り、デジタルカメラのメモリーを整理していたら、これまで外付けのHDに移した画像がどういうわけか、すべて消えてしまった。一部、メモリーの画像を消去してしまっていたので、悔しくてしばらく何もできない。
持参したパソコンが古いのか、原因不明のままである。思いなおして撮影を続ける。
【美瑛:ケンとメリーの木】
旭川・二日目(2010年6月22日(火)晴時々曇り)
早朝、層雲峡を散策。霧が立ち込める層雲峡は幽玄の世界をつくっていた。この日は人気の旭山動物園に出かけた。
開園前から行列ができたが、せいぜい100人程度で思ったより少なかった。どうして旭山動物園は人気があるのか、そういう思いで見て回った。入口で目に入ってきた風景は動物園というイメージでなく、遊園地を思わせる。
ほとんどの動物がおりの中で気温が高いためか、その多くが眠ったり休憩したりで動きもない。本州で見てきた動物園と比較してもとくに目を引くものはない。園内の職員に「なぜ、旭山動物園は人をひきつけるのですか」と聞いてみた。
「そうですね。自然の状態で見せるように工夫しているからです」
この程度の答えしか返ってこない。とくに珍しい動物がいるわけでもない。それなのに多くの人をひきつけるのは何故か。そこで園の外で客の誘導に当
っていた非職員の感じのいいおじさんに聞いてみた。
「それはマスコミのおかげですよ。地元札幌テレビがひっきりなしに放送していました。それが全国ネットでも流れ、有名になりました。
有名になったペンギンの行列などは釧路の動物園で先にやっていましが、旭山動物園は仕掛けがうまかっただけです。行動展示、芸を教えず自然のまま見せるコンセプトでやっていますが、いまではどこでも見られるのです」
「富良野や美瑛の畑やポプラの木も、北海道ならどこにもある風景です。旭山動物園もそれと同じようなものです」
行列は朝の一番だけで、園を出る10時半ごろ、客ははパラパラであった。園内の説明などは子どもには分かりやすい手づくり感があった。
いまも累積赤字が残っており、財政面では厳しいようだ。将来はサファーリーを併設する計画もあるようだが、時期は不明。入園客のピークは3年前で、その後、徐々に下降しているという。
「民間ならもっと規模を拡大してうまく運営するでしょう。ただ
さすがに園の職員でないだけに率直な見方が聞けて参考になった。
旭山動物園を出て、写真の街・東川町の道の駅「道草館」に立ち寄った。道の駅近くの「蝦夷」というラーメン屋はまずまずだった。
この後、旭岳にロープウエイで上った。
残雪が多く、長靴を借りて歩いた。
「台湾からの団体客、マナーが悪い」
長靴を貸し出している担当員が嘆いていた。
ロープウエイ終点駅から徒歩一周1時間、晴天の旭岳を仰ぎ見ながら楽しめた。
【旭岳:雄姿に満喫した】
帰路、天人峡の羽衣の滝を見た。この滝はこれまでに見た中ては確実にベスト3に入る。羽衣の滝はすばらしいが、駐車場が離れたところにしかなく、年寄りにはきついスポットである。
このあと、
そこで教えてもらった居酒屋「大舟」は抜群によかった。北海道・旭川の夜、舌鼓を打った。
【羽衣の滝:天人峡は一軒のホテルに独占され、一般観光客には冷たく感じる】
旭川から小樽港へ(2010年6月23日(水)曇り一時雨)
北海道最後の日、旭川の男山自然公園に立ち寄ったが、すでに休業であった。このため10時に旭川北ICから小樽へ向かった。クルマが少ないのが印象に残った。
小樽では寿司通りの政寿司に行ったが、この日は定休日だった。このため向かいの「町の」に入った。午後は小樽を撮影して散策。夕食を小樽ビールの「あぶり焼き」(炭火焼き)でこれまでの旅の無事を感謝した。22時30分のフェリー「はまなす」に乗り、帰路に着いた。
【小樽の運河通り:こんなのんびりした風景に出会った】
帰路の船中(2010年6月24日(木)晴時々曇り)
23日夜の11時半、出港。翌日の昼間は船室から晴れた海のみで、陸地は遠くて見えない。北海道は雨だという。ただ、能登を過ぎた頃の日没の海は美しかった。
24日夜の9時、舞鶴に戻った。
この日は舞鶴泊まりとした。
サッカーの日本―デンマーク戦は後半から観た。
【日本海沖:沈む夕日】
再び舞鶴(2010年6月25日(金)曇り時々)
朝食後、北吸トンネルを撮影後、高速道路で無事、自宅に午前11時に着き、夕方、旧友との会合に出席。
北海道はこれからも季節ごとに撮影したいと思った旅だった。
旅を終えて
片道丸1日の船旅だが、退屈きわまりない。ピースボートで108日間、耐えたことがウソのように思えた。おそらく今回の船旅の乗船客に共通のコンセプト(目的意識のようなもの)がない上に、船内で一緒に遊んだり学んだりすることもないからだと思う。
ピースボートは乗客が1,000人、船員と業務員が300人近く乗って、いわば村社会をつくっていたから、何かと忙しかった。
今回はたったの1日だが、TVもBSのみ、楽しみの一つが船会社40周年の感謝の一環で行われたビンゴゲームで、そこには当てモノのような冷めた雰囲気があるだけだった。(われわれは往復ともビンゴとなり商品をゲットしたが・・・)
この帰路の船中で持参した中谷巖氏の『資本主義はなぜ、自壊したのか』(集英社)を読むことができたことは、有意義であった。中谷氏は竹中平蔵氏と同様、市場原理主義の急先鋒だっただけに、その懺悔本に驚かされたことも事実である。
ただ、彼の懺悔のような本に何か、むなしさを覚えた。しかもキューバーとブータンという国を引き合いに「国民総幸福量」を紹介するなど、とくに目新しい考え、見方はなかった。
市場経済はなぜ人々を不幸にするのか、第二次世界大戦中に書いた経済人類学者のカール・ポラニー氏の著書『大転換』で指摘している労働、土地、貨幣の商品化が問題の始まりだと指摘。
そして貧困格差について貧困層だけを見ないで、所得分布を示すジミ係数を示しながら、この20年間で確実に拡大していると指摘。日本の貧困層はすでに1,000万人に達して貧困大国になったという。
二十一世紀はグローバル資本主義というモンスターが解き放されたままで、人間の欲望がモンスターを呼び覚ます危険を持ち合わせているという。従来の資本主義経済では、その行動を抑制する外部、つまり強制力をもつ中央銀行や政府の存在が、欲望を抑制してきた。
二十一世紀のグローバル資本主義というモンスターを抑制する知恵を見出すかもしれないという指摘で留まっているだけでは物足りない。もっと、大胆な提言や危機への道を警告してほしかった。
もう一冊、最近、読んだ本『憚(はばか)りながら』(後藤 忠正著 宝島社)がある。これは山口組系元後藤組組長で引退後、天台宗系「無常山浄発願寺」で得度した人物である。
私と同じ年に生まれた人物だけに、その自伝的な内容に自分が生きてきた時代を重ね合わせ共有できる部分も多い。
これが堅気の人生なら大したものだと思われるだろうが、残念ながら極道の世界に生きたことで世間的には評価されにくい。それにしても実名で多くの人物が登場するだけに、世の中の一面を見せてくれる。
最後までお読みいただきありがとうございました。
5月 |
16日 |
近況、霊観、ハイパーインフレ、写真放浪記 |
6月 | 3日 | 政局、口蹄疫など雑感、友人からのメール(舳倉島、万田抗など)写真の旅(棚田)、読書、映画など |
6月 | 26日 | 近況、友人からのメール(ダイサギなど)、写真の旅(三重県・尾鷲など)、読書など |
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● 6月の日記 6月26日(土)
【尾鷲湾:いまは静かな湾の下にも戦艦が沈んでいるという】
● 近況・雑感あれこれ
6月もはや終りに近づきました。いま、国内では参議院選挙がスタートしましたが、国民の関心はワールドサッカーで日本の快進撃にあるかのようにテレビ報道が過熱しています。
公示直前にある集まりで民主党が過半数(60議席)獲得するかどうか、聞いたところ半数以上の人が「獲得する」と答えていました。果たしてどういう結果になりますか。いずれにしてもこれから先の国家運営が大変であることには変わりがありません。
貧困層が拡大する一方、国民が借金なれしてしまって、「消費税」には反対の大合唱です。恐らく、参院選後の政局の混乱の予兆を感じている人が多いのではないかと思います。
HP日記の記事や写真に感想があると、うれしいですね。
先の日記で、「“オオルリ?”の写真、なんて可愛いんでしょう!!感動しました。」(京都・女性)や「万田坑、はじめて知りました。雰囲気ありますね。」(大分・女性)―などがありました。
※昨日、北海道へ写真撮影の旅をして帰宅しました。それについては写真が整理でき次第、掲載しますのでご笑覧くだい。
● 友人からのメール
◎ 鳩山さんのこと、格差社会のこと
鳩山さんは辞めると思っていたので、別に驚きもありませんでしたが、鳩山さんは人が良すぎて、現実と民主主義のキレット(切れ目)の中に落ちて命を失ったという感じです。
近年、世界中で政治不信になっており、一方では明るい話題が欠如しています。世界中が「拝金主義」で動き、それを追随できる層 (裕福層〕とできない層(貧困層)との二極化がどんどん進んで貧富の格差が拡大している、ということだと思います。
富裕層は如何に自分の財産や既得権守るかに奔走し、残念ながら貧困層に目を向けるとなど殆どありません。
昨年の世界一の所得はアメリカ人(名前は忘れました)で3000億円以上、勿論ファンド関連のビジネスで、2位は有名なジョージ・ソロスで2000億円強でした。
現在の日本人の平均生涯収入は2億円を下回っていると思いますが、その1,000人~1,500人分を一年で手にする収入がある人が世界に存在するなんて何かおかしいと思います。
1989年にベルリンの壁が崩壊して社会主義に終止符が打たれました。あれから20年、今度は勝利者だと思われた民主主義にもほころびがではじめました。
ポスト民主主義の社会が模索される時代を迎えており、それが世界全体を覆いNebulous(混沌)という状態にあるのが今だと考えられませんか。
この状況はどれだけ続くのでしょうか?
◎ 小沢問題
*今回の政局で、多くの人は小沢排斥を主張していますが、本当に官僚組織を壊すには小沢の力がないと無理だろうと私は思っています。
菅首相は市民運動家からのぼってきた清廉潔白な人物だと、マスコミもいまのところ歓迎報道が目立ちます。
問題は「政治家とカネ」だと言いますが、不正なカネはダメでも、限りなくダーティに近い(ダーティーではない)カネは政治家になる、ましてや権力を得るには必要不可欠だと割り切らないと、恐らくきれいごとではマニフェストは成就できないと見ています。
小沢が選挙に強いと言われてますが、100人近い使者を全国に派遣、情報収集、人材発掘しているからです。こうしたカネを使わず、単に私腹を肥やすだけの政治家よりはよっぽどましだと思っています。
いずれにしても無責任なマスコミとのうてんきな国民はこの先、一喜一憂しながらいくしかないでしょうね。
*小沢はトレードオフの存在だと思っています。自民党で培った金の力をフルに活用しています。他の政治家はそれが羨ましいのでは。
また記者会見を見ていると記者がバカにされている。これが記者の恨みと化しているのでは。
昔の政治家のように記者におもねるのは主義ではないと。自民党とメディアは小沢を消す事で意見が一致してますね。少なくとも国会で不動産屋かと問われるようでは大衆に嫌われますよねー。
民主党にとっては始めて与党の蜜の味。溺れておそらくボコボコに叩かれるでしょう。何しろ自民党が吸い過ぎてわが国は痩せ細ってしまった。
◎ ダイサギ
4月~5月のダイサギはとても綺麗です。生憎、羽を広げなかったのが残念でしたが。(想像してください)
来年は綺麗な写真を送ります。子育てになると嘴の緑がはげてきて単なるサギに。
【ダイサギ=撮影:堀英彦氏】
◎ ファシリテーション
*京都の落語ファシリテーションについて。今年、日本ファシリテーション協会の正会員になったところであったため、単純に、単語に反応しました。。
落語という"すごい技術"を部分的に自分の生活に移植してよいところを取り込もうとする意欲、企画することそのものを面白いなと感じました。
ただ、学びモードの講座や集まりをするのならば参加者の実践に結び付けるのが、企画者のウデだよなあとも(企画する立場として、教訓として)思わされます。
◎ 口蹄疫
*口蹄疫、地元にものすごいショックを与えていると感じます。当社もエリアに店舗が点在するために、営業担当に聞きますと、「知り合いの知り合い」には、ほぼ例外なく現実的な問題が振りかかっていることを知らされ、身につまされます。
宮崎の方は、土地を愛する思いが強いことが多いんだなとも気付かされます。
*ばたばたの6-7月になりそうですが、今月末、むりやり一日有休をとってソウルに行ってきます。年末旅行した友人から、サービスホスピタリティーが素晴らしいよとの感想を聞いたので・・・。10年ぶりのソウルです。
●写真の旅
6月9日(水)~10日(金)
須賀利(すがり・三重県・尾鷲市)
【須賀利港の朝】
梅雨の時期、晴れの日を狙って出かけた。目的は「にほんの里100選」に選ばれている小さな漁村・須賀利の撮影。
「若い者は大阪などへ移転、定年で戻ってきたものが小遣いかせぎに漁業をやっている程度です」と、年配のおばさんが話してくれた。「わしら、地元の者は魚を自給自足していますのや」と、小アジを天日に干しながら話す。
集落が湾にへばりつくように並んでおり、漁船が数十隻、岸壁につながっている。時々、漁に出かけるのか、港を出て行く。釣り宿の看板も見える。湾内ではマダイの養殖が行われている。(トップページにも写真を掲載)
須賀利は尾鷲港の北部に突き出た飛び地で、いまも尾鷲港から渡し船が運航(20分)。陸路で行くと尾鷲から須賀利まで30~40分かかる。
「300年以上の歴史はあります」と話すおばさんは、長い石段(真中に海抜12mと標識がある)を上った普済寺の住職が詳しいと教えてくれた。
須賀利の撮影は着いた日の午後と翌朝5時に行ったが、ポイントがなく難しく思えた。
土井竹林
次に尾鷲の土井竹林に出かけた。宝暦の頃(1751年)七代・土居八郎兵衛が薩摩から母竹を運び分植、保護育成を図って巨竹に育ったという。NHKテレビドラマ『旅路』で主人公のふたりが初めて出会ったところのロケ地となったことから有名になったが、いまは寂れて訪れる人も少ない。
小さなトンネルから奥に見える竹林がじつにいい。ロケ地に選ばれたことがわかる。
ここも着いた日の午後と翌朝8時過ぎに撮影。そこで名古屋から竹林のそばの病院に見舞いに来たという老夫婦と出会った。
「ここは名古屋からの方が大阪より近いですかな」
そう言いながら立ち話をした。
「帰りに熊野灘から入って熊野市にある丸山棚田、いま、一番美しいですよ」と、教えてくれた。
丸山千枚棚田
【丸山棚田の全景】
竹林を早々に切り上げて丸山棚田に向かった。これまで見た棚田の中でも規模は大きい。地元では最盛期2200枚あった棚田が580枚まで激減。そこで「丸山千枚棚田条令」を制定、保護に乗り出した。全国から千枚田オーナーを募集、現在1340枚まで回復している。
帰宅後、テレビで丸山千枚棚田を西宮から夜中に出て朝の5時に撮った写真を紹介していた。棚田に魅せられて何回も撮影に出かけているそうで、とてもやないがこういう方の写真には寄り道しただけの写真では太刀打ちできない。
途中で見た風景
【炎天下で網の修理をする漁夫ら】
クルマから海岸に大きな網を広げ日傘のもとで作業している風景に出会った。
「何をされているんですか」
「魚網の修理だよ。写真か、いいよ。この前も奈良の人が写真に撮っていたな」
ときどき思わぬ場面に出くわす。
三重の写真雑感:
和歌山から三重にかけての海岸線や街はすばらしい。尾鷲の街の人口は約2万人と小さいが、周囲が山と海に囲まれたスポットであった。戦時中は軍港だったので空襲にあい、軍艦が港に沈んでいるそうだ。
市役所の観光課で教えてもらった「鬼瓦」と「田舎」の飲み屋のうち、店の周囲を小ぎれいにしていた「田舎」に入った。この日は、地元の先客ひとりだけで、主人も暇なためか、1時間ほど修行時代にはじまって現在の家族のことなど、よくしゃべった。
その話の中で竹林のそばにできたパチンコ屋にはまる年寄が多すぎると嘆いていたが、常連客の足が遠のいている原因になっているのかもしれないと思った。それにしても人口の割に飲み屋が多いという印象を持ったが、漁師と尾鷲のヒノキが基幹産業の街ならアルコール人口は多いのかもしれない。
● 読書
*石平(せき・へい)氏の著書を集中して読んだ。「たかじんのそこまで言って委員会」でゲストの拓殖大学客員教授の石平氏が「中国人はなぜ、ルールを守らないのか」という問いに対して、中国人は自分たち一族以外は信用しないからだと話した。
ただ得をすることだとわかれば、すぐ態度を変える。中国政府に対しても全く信用していない。過去の政策で国民は騙され、ひどい目にあってきたことが原因であるという。
また中華思想がしみついている中国は欧米思想も受け入れない。自分たちが文明を切り拓いたという自負があるからだという。そして台湾との統一のために恐ろしい戦略を含んだ「愛国主義」を展開していると指摘している。日本人こそ礼節を重んじる民族だと評価もしている。
彼の著書を読んで、中国当局は石平氏を煙たい存在だと思っているだろうと思った。ただ、どうしても一面からの見方に思えてしまうが、説得力はある。日本で彼を評価している多くが保守的な考えの人たちが多いのが気になる。
また、石氏の発言内容、とくに「反日運動」を国家が総動員で進めているというが、それならそれほど憎むべき日本にかくも多くの中国人がやってくるのはどうしてかという疑問がわく。
いずれにしてもこれまでの中国論とは違った新鮮なものを感じた。日本人の良さを改めて知ることになったことだけは確かである。
*『中国経済崩壊の現場』(石平著 海竜社)
中国のマスコミ(主として全国紙、地方紙)の報道から分析して、中国経済はアメリカのサブプライムローンの破たんの前から低迷の兆候があったと分析。
内需拡大でしのごうとしているが、いまや中国社会全体の崩壊すら危惧されると警告している。
最近の日本の専門家もすでに中国経済は警戒水域に入っているとの見方も出ている。
一方で上向くとの予測もある。上海万国博覧会の景気浮揚効果、もう1つは、現在実施されている4兆元(54兆円)の財政出動のうち、半分の2兆元が2010 年に実施されるからだという。
*『日中宿命』(石平著 扶桑社)
これほど説得力のある中国批判を中国人の筆者が展開していることに驚かされると同時に、この人の洞察力のすごさに敬意を抱く。
中国の上層部は「北朝鮮と同様に、日本を危険な国、ならずもの国家と見ている」というアンケートの分析には驚く。
いずれにしても参考になる。
*『私はなぜ中国を捨てたか』(石平著、ワック)
この本を読んで、20年ほど前の映画『芙蓉鎮』を思い出した。これは、文化大革命期の混乱を生きた若い女性の辛苦に満ちた人生を描き出した中国映画である。
「80年代大学生」と慣用句として言われるのは、「自由」、「民主」のスローガンを叫んだからだという。この映画もその時代背景につくられた。当時は感動した覚えがある。
この本は石平氏の自伝的な本で、内容的にはすばらしいという印象をもった。また、この人の日本語力はすごいと敬意を表したい。
*『バブルの興亡』(徳川家広著 講談社)
人は合理的に行動するが、将来予測に関しては非合理的になりうると、日本の不動産バブルやアメリカのサブプライムローンについて説明する。
将来予測はあくまで期待である。
日本はバブルーインフレーハイアパーインフレーデフレというサイクルを経たあと、廃墟から立ち直る。廃墟経済で富裕層が大打撃を受けるだけである。
金融資産が激減している分、ちょっとした貯蓄でも利回りを得られるようになる。
快晴の空のようにすっきりしたものになるかもしれない。
未来予測は期待でしかないわけだから、まあ、当たらないことも十分、考えられる。
●近況・雑感あれこれ
【シャクナゲ=高野山で5月16日、岡田・撮影】
◎最近の情報化に想う
*早くも6月入りです。気温が3~4月ごろの寒さに戻る日もあるなど、体調、服装管理も大変です。
それにしてもサプライズなことが起こりました。前日まで続投とほとんどの人が思っていただけに、鳩山首相の辞意表明は意外性がありました。
ポスト鳩山に菅副総理が有力視されていますが、誰がなろうが大変でしょう。
*いよいよオジンになってきたことを実感しています。Twitter(ツイッター)やiPadについていけないというか、関心がわかないのです。TVで聞いている範囲では、触手は動きません。iPadで書籍を読むと言っていましたが、本は本棚に収まっているのを眺め、気に入った箇所に赤線を引いたり(実際は可能らしい)、コメントを書き込んだりするのが楽しいのです。しかも本は与えられたもの(売れ筋の新書が大半)の中からしか選べないのでは、私にはほとんど役にたちません。
見守りたいですね。
*映画でもDVDにならないマイナーなものにいいものがあるのです。最近観た映画「クロッシング」(世界を揺るがす収容所国家・北朝鮮)とか、「ONE SHOT ONE KILL -兵士になるということ」(米海兵隊)などは、レンタルDVDやiPadでは観られないでしょう。映画は映画館に足を運んで観た方が迫力があります。
◎政局のゆくえ
*鳩山首相の辞意には驚きました。これまでの迷走ぶりに国民の多くはあきれていたように思いますね。いまひとつ分かりにくいですが、おそらくやりたいと思うことができないという無念の思いではなかったかと推察します。彼だってバカではないし、官僚からもレクを受けているでしょうから今回の普天間問題もはじめからわかっていたのではないかと思ってしまいます。
その証拠にオバマ大統領に「Trust me(私を信じて下さい)」と言った通りの決着(米国案)になったのです。参院選後、どんなことになるのか、わかりませんが・・・。
日本の米軍基地が東アジアの抑止力になるといいますが、韓国、フィッリッピンの方が地政学的にいいように思えてしまいます。これが先の戦争で無条件降伏した結果で、屈辱に耐えなければならないのです。戦争で敗れ、無条件で占領を許した罪は大きいわけです。
戦後、自民党政権が続き、政権が交代したぐらいで鋼鉄のような官僚組織は、そう簡単に変わらないでしょう。事業仕分けを見て天下り官僚の答弁を聞いていると、こんな中に突っ込むと泥沼に足がとられるように見えます。
民間と違って、公共機関の人間は法律違反以外、どうしようが影響は受けないと、体質的に普通の国民ではなくなっているのです。民主主義国家では国家の大きな改革は難しいように思えます。
ただ、財政が破たんしたら、国民に黙って思い切った手を打つのがこれまでの国家のやり方です。それを知った時は、遅きに失します。泣くのは一般国民です。これからも政治不信は一段と高まるでしょうが、どうしようもないという暗い気持ちになります。(雑感は後にも続きます)
●友人からのメールです
*舳倉島(へぐらじま=石川県輪島市)
―相変わらず各地へ精力的に活動されていますね。写真の方は撮れていますか。返事が遅くなりました。5月14日から金沢市と石川県輪島市の舳倉島(へぐらじま)へ行ってきました。
私の方は舳倉島で撮った28Gの整理がやっと昨日終わりました。勿論、消して消して消しまくります。結局3Gを保存しました。舳倉島は“撮り鳥”にとっては最高の鳥見島です。おせいじにも綺麗な民宿と言えないので都会派には一寸・・・。アウトドア派には最高のキャンプ地とか。
船で一時間半ほど、50Kmの離れ島です。ここは「撮り鳥」のメッカです。日本有数の渡り鳥の寄留地です。ここから鳥たちが北、南と渡ります。夏鳥と冬鳥が見られます。この島だけで300種の野鳥が記録されています。
日本全国では480種~580種が観察されています。島には民宿が2軒ありますが、この時期は常連で一杯です。その隙間に私らも入れてもらいました。おまけにAUの携帯は繋がりません。
周囲5Kmの小さい島です。この時期は住民よりバーダーの人数が上回ります。
バーダーは朝の4時半から夕方の6時半まで島中をうろつきます。民宿には鳥見のルールが大きく張り出してあります。ほとんどが常連なので民宿の主人はルールについて何も語りません。
とても大阪では見られない野鳥が・・・、全部で27GBのCFを持参し満杯です。初めて島へ行った私は驚きの連続でした。
【オオルリ?=堀英彦氏・撮影】
オオルリの若と思っていたら違うのではと言われた写真です。♀そして♂の若は図鑑を見ても良く分かりません。
民宿の裏の木でカッコウが鳴きました。二階の窓を開けたら目の前にいたと、
民宿中が大騒ぎとなりました。私も散々鳴き声は聞くものの見たことも撮った事もありませんでした。
私も階段をどたどた下りて、カメラをセットしたらカッコウはその騒がしさに驚いて他所へ飛んでいってしまいました。
私がカッコウがとまっていた木を見て残念無念と見ているとカッコウが戻ってきました。追いかけていった連中も戻ってきました。私以外に遅れた数人が最初に良い位置を占めて撮り放題。おまけに飛び出しまで撮れました。戸隠で探し回ったのが嘘みたいでした。
【カッコウ=堀英彦氏・撮影】
もう一枚、ハチクマです。本土では愛知で渡りのときにしか見られないと言われています。初めて見ました。
8羽が頭上を飛んでいきました。この集団を見てトンビかと叫んだら、ハチクマだとの返事。側にいたカメラマンがいっせいにレンズを空に向けてバシバシの連続音。
“撮り鳥”の凄さはシルエットで判断できることですねー。私はレンズを覗いて理解しました。―
【ハチクマ=堀英彦氏・撮影】
*「万田坑」
―(人生道場、独人房)拝見しました。いつも連絡ありがとうございます。 早くお知らせすべきでしたが、奥様のご出身地、熊本県荒尾市の三井鉱山跡、「万田坑」が、「九州・山口の近代化産業遺産郡」の一つとして世界遺産候補に名を挙げており、整備を進めてきました。それが4月25日から一般公開され、当社でも広告で4月21日付けの夕刊に掲載しました。
【万田抗=インターネットから】
この紙面を、1万部ペラで増刷して荒尾市内のグリーンランドや、宮崎兄弟の生家跡、小代焼の各窯元など、訪れた人々に配布して、万田坑以外の荒尾の宝を知ってもらうことにしました。東京の銀座熊本館、大阪熊本県事務所、同福岡事務所にも増刷分を置いてもらい、福岡県人会にも総会で持ち帰ってもらいました。
*日本理化学工業
―いつもHP更新のお知らせありがとうございます。少しずつ雨の日が増えてきている気がするのは気のせいでしょうか?梅雨入りにはまだまだ早い時期ですが、どうも今年は天候がいつもとは違うようです。
●この間、たまたまテレビを見ていたら、何かの番組の再放送で日本理化学工業の身障者雇用の話を放映していました。
この会社の話は、ここ数年、さまざまなメディアで取り上げられているの
で、私も概要は知っていますが、この会社の敷地には「働く幸せの像」というのがあり、以下の言葉が刻まれているとのことです。
『人に愛されること、 人にほめられること、人の役にたつこと、人から必要とされること』の4つです。
働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるのです』と。 「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」
―社長 大山泰弘(現会長) 平成10年5月
身障者雇用についていろいろと悩んだときに、社長がとある導師から教わった言葉ということですが、身障者雇用だけではなく、会社で働くという意味、世の中で働くという意味を、改めて考えさせられる言葉ですね。
●22日の夜、プロの落語家さんとのコラボで「落語から読み取る、おもてなしのコミュニケーション」というのを京都の町家でやりました。(やらされたのですが…)
最近は落語家さんの噺を聴いて「学ぼう」というセミナーが流行っているようで、落語家さんが2席、語り終わってから、30分ほど、コミュニケーションについて話し合い、それから参加者との交流会でファシリテーター役をいたしました。
落語を勉強にしようと、身構えて聞くのは「おもろないわ」野暮なことですね。単純に聞いて「笑う」のが私はすきです。
●私、岡田清治からの返信です。
―いつもHPご覧いただきありがとうございます。ご活躍ですね。
落語は日本独特の芸です。私は若いころから落語が好きで、学生時代は英語で初代桂春団治や「胴切り」の話を論文で書いたことを思い出しました。
NHKの深夜番組で関西の寄席を録画して時々、楽しんでいます。私は故・桂枝雀のファンでした。たまに、天満の繁盛亭にでかけます。
ところで、日本理化学工業ですが、最近、読んだ『日本でいちばん大切にしたい会社』で知りました。著者の坂本光司氏が熱心に紹介してきたようですね。
この会社の初代が偉かったのでしょうね。そして二代目がその意思を引き継いでおられるということです。
こうした会社はほかにもあると思いますが、日本人は憐憫の愛を感じ、マスコミも感動ものとして喧伝します。それはいいことで、障害者の方には励みになります。ただ特殊な会社であるため、一般の中小企業にはあまり参考にならないように思います。
●雑感あれこれ(続き)
◎口蹄疫問題
宮崎の口蹄疫問題は深刻な状況になっている。当の宮崎はもちろんだが、滋賀の近江牛の約3割は宮崎から種牛(30ヶ月以上、滋賀で飼育すれば近江牛と名乗れる)を仕入れているという。今後、どこから仕入れるかが大きな課題になっている。
5月22日(土曜日)は第4回エコ牛の試食会が琵琶湖ホテルで開かれ、武村正義氏(元滋賀県知事、さきがけ代表)も参加、秋田の山村で飼育されている赤牛の短角牛を取り寄せ、料理長の指導のもと、おいしく食べさせてもらった。
霜降り肉に慣れている日本人に赤肉はいくらヘルシーといっても、合うのかどうか、また料理長は肉の味はいいが、普及するには価格が課題だと言った。
その会場で専門家から口蹄疫について話を聞いた。この病気は人間にはうつらない。人間は媒介をするという。口蹄疫の牛はエサの飼料を食べられなくなり、弱ってやがて死んでしまうそうだ。ただ、病気は日が経てば自然治癒するが、放置しておくと他へ感染するので、刹処分するのだそうだ。とくに子牛は弱く、すぐ死ぬ。
滋賀の農場でも消毒液で防衛策を講じているそうだが、全国に広がる心配もあるという。消毒は酸(酢)、アルカリ(石灰)でも効果があるという。
これは畜産に限ったことではないが、戦後、日本は過度の集積と効率化(コスト低減)、グルメ(付加価値)を求めた結果だという。農場いっぱいにぎゅうぎゅう詰めにして牛を飼育、このため刹処分の牛を埋めるところもなくなっているという。
「宮崎の口蹄疫事件にみられる通りその弊害が社会の各所で目立ってきており、これからは分散と非効率化、こだわりの手間ヒマ、などの日本文化の佳き要素を取り戻しバランスある社会を求めて行くべき」と話された。
その後、主宰者から「本当のレッドミートは、放牧により草を食べるため鉄分などを豊富に含み色は空気に触れると薄茶色に変色しやすいこと、皮下脂肪部分はブルーベリーなどと同様、アントシアニンなどの成分を多く含み真っ白ではなくクリーム色である」と教えてもらった。
どうもこれからの日本はコストと効率の追求という考え方を大転換するべき警鐘かもしれない。これでもかこれでもかと、農業、工業に限らず生産者は提供、日本中にグルメ製品、工業製品が溢れている。おそらく無駄なモノも多いことだろう。
残念ながらパラダイムシフトはよほどの事態にならないと、できない。ここに難しさがある。民主党が日本を変えようと脱官僚、行政改革を進めても、ほとんど動かないのも同じことだ。それでも徐々ではあるがその方向に変化しているようにも見える。一挙に変えるのは独裁国家でしかできない。
◎官房機密費
日曜日の午後のテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」は時々、驚くようなテーマを取り上げる。5月16日にメディア論を取り上げ、そうそうたるメンバーを集めていた。
その中で「官房機密費」について野中広務が暴露したことで、評論家の三宅久之、田原総一郎らの名前がインターネットなどで取り上げられた人たちも出演していた。
ジャーナリストの上杉隆が「大手メディアが官房機密費について追及しないのはおかしい」と、この日も主張した。田原は断ったと弁明したが、三宅は講演代理で出かけ、100万円を受け取ったと話した。そして身分は記者時代でなく評論家の時だから「いいのだ」というニュアンスで語った。
野中が話した評論家の多くは、コンプライアンス(法令遵守)がやかましく言われてきて官房機密費も問われ出した以前の人たちも多い。だから過去のことは当時の慣習(野党議員の海外視察など)として選別代わりに使ったことは、問題にしてもいまさら証拠もないのに問えない。
機密だから本来、明らかにできないわけだが、野中が「政権が変わったので、機密費が政治をゆがめる危惧がある」として明らかにしたと言う。
これを知って多くの国民は外交などで使うものと思っていたが、世論操作に使われていることには、怒り心頭でいるはずだ。
三宅久之は記者は給料をもらっているからダメだが、政治評論家は「いいのだ」という言い訳は、評論家失格である。この人は情報量、知識の豊富さには敬意を表するが、いま考えると自民党時代、中枢部から得た情報で、本当に汗をかいて集めた真の情報でないことがわかった。自民党が負けるとわかってきたころには、民主党にも多少、肩入れしたかと思えば、最近は鳩山首相をくそみそにけなしている。
何が真実で、何が嘘かはわかりにくいが、ジャーナリストや評論家は時の権力とは紙一重で渡ってはいけないところがなければ、語る資格はない。
ところで、5月30日放映の「たかじんのそこまで言って委員会」の拓殖大学客員教授の石平(せき・へい)氏の「中国人はなぜ、ルールを守らないのか」や山口敏太郎氏の「オカルト」も興味深い内容だった。
●写真撮影の旅
◎太鼓橋&棚田
以前、湖西線に乗って列車の窓から滋賀の高島あたりですてきな橋を目にした。この橋と棚田を撮ろうと大津のホテルで開かれたエコ牛の試食会の前日に堅田の仰木地区、そして高島の畑(日本棚田100選=写真はトップページに)の棚田を撮影した。仰木地区は以前にも訪れたことはあったが、畑は初めてである。JR高島駅からクルマで約30分もかかる小高い山間部にある。時刻が午後の4時過ぎで日が山陰に隠れようとしていた。棚田に映る美しい杉の木の風景は素晴らしい1枚になった。
この畑に行く前に高島の「乙女が池」にかかっている木製の太鼓橋を見に行った。フナつりの青年らが数人、釣りをしていた。
【乙女が池の太鼓橋=5月20日、岡田撮影】
「ここはフナつりではよく知られています」とつり人が話した。のどかな池に太鼓橋はすばらしい風景をつくっていた。
◎アルテリーヴォ和歌山
縁あって和歌山のサッカークラブチーム「アルテリーヴォ和歌山」のサポータークラブ会員になっている。この日は全国社会人サッカー選手権和歌山大会に出場した2回戦(5月16日)を和歌山・橋本南馬場サッカー場に初めて観戦に行った。アルテリーウ゛ォVS海南FC(前半 0-0、後半 2-0)で3回戦に進んだ。(その後、決勝まで進み、優勝した)
【2回戦の試合風景=5月16日、岡田撮影】
このあと、高野山に行った。金剛峯寺の周囲はシャクナゲが満開。(5月16日撮影=日記のカット写真)
●読 書
『日韓併合の真実』(崔 基鍋著 ビジネス社)を読んだ。
最近、韓国の歴史書を読んだ中で韓国人が書いたこの本は、日本人と違った視点でとらえ教えられることが多かった。李氏朝鮮時代は日本同様、鎖国政策をとったが、李朝518年の時代は宗主国・中国に隷属し、国内政治は腐敗し民百姓を奴隷化し、生殺与奪をほしいままにして懐を肥やすのが常態であった。いまの北朝鮮と同じだったという。
これは徳川時代、為政者が民百姓の生活が安定するように営む努力をしたのとは大きな違いだと指摘。このことが朝鮮の近代化を遅らしたという。
韓国では大統領が変わると、前の大統領の親族らの不正が暴かれるが、これはいまも李朝時代の不正の仕組みが残っているからだそうだ。
崔 基鍋氏の指摘で、北朝鮮と中国の関係は信頼が厚いのではなく、大変な緊張関係にあるという。李朝時代、朝鮮が中国の隷属になったことで、その屈辱感、トラウマは消えていないというのだ。
もう一つの警告は「日本は敗戦後、アメリカに隷属したことで、日本人は真の独立心を失った。このままでは李朝と同じ道を歩む」という。
韓国にとって日韓併合は屈辱であったが、李朝の終焉とともに近代化への礎ができたと指摘している。
これを読んだ時に、友人の著書『橋は架からず』(日記で紹介済み)を思い出した。この本は朝鮮・李朝末期、維新を果たした日本を模範としてクーデターを実行した青年たちがいた。これが成功していたら日韓、日朝関係は全く違ったと。しかし、駐留日本兵
がこれをつぶした。
ところで池上彰著の『ニュースの大疑問』で、北朝鮮の故・金日成主席はそもそも旧ソ連軍の大尉だった人物で、旧ソ連の朝鮮半島支配のために送り込まれたそうだと書いている。
これからも朝鮮半島の動きは目が離せない。
●映 画
映画「クロッシング」(世界を揺るがす収容所国家・北朝鮮)をシネマート心斎橋、「ONE SHOT ONE KILL -兵士になるということ」を十三の第七芸術劇場で観た。
「クロッシング」はすごい映画だった。危険を冒しながら北朝鮮の実態に忠実に迫ることに腐心した作品だと思った。映像から目をそむたけなり、途中で館から出たい気持ちになるほどだった。主人公の親子の演技力はすばらしい。またゴビ砂漠で見る夜空は本当に美しいという印象が残った。
一方、「ONE SHOT ONE KILL -兵士になるということ」は日本人監督による米国海兵隊の入隊から卒業までのドキュメントである。予算の関係もあったのだろうが、映像、撮影手法は稚拙だし、日本女性の海兵隊員へのインタビュー、字幕訳もお粗末だったが、海兵隊の実態は伝わってきた。
彼らが戦地から基地に戻ってきたら、その精神状態は高揚し、時には狂うことになるだろうと思えた。
◎近況・雑感あれこれ
5月になっても気温や天候が不安定な日が続いています。それでも毎日、何かと忙しく動き回っています。15日(土)にはこの日記でも以前に紹介しました前崎信也氏(立命館大学)の講演『大塩が生んだ世界の清風』を姫路市の大塩公民館に聞きに行きました。三代清風与平は大塩出身でしたからか、彼の大花瓶(写真)の逸品が同公民館で保管されていたものを前崎氏が発掘されました。清風の作品が国内に少ないだけに貴重なものですが、この日、住民の方々が「わが宝」の発見に驚い
ておられ、今後、どう保管、展示するかが課題になったようです。
大塩は祖父の出身地で先の戦争中、疎開で私もこの地にいたのですが、記憶には全く残っていません。今回、改めてやってきて海と山に囲まれたのどかな街だという印象でした。
霊感
いま、これまであまり知らなかったというより、関心のなかった超心理学、拝み屋の世界にのめり込んでいます。評伝は時に全く違う世界についてにわか勉強しなければならないことがあります。
生誕地、時代、家庭など想像を超えた世界を丹念に調べながら、その人物を浮き彫りにする作業をしますが、いま取り組んでいる人物を知るために祈祷師、拝み屋、超心理学の世界を知る必要が出てきました。
私もそうですが、霊とか霊感は「うそっぱちだ」と思われる方が多いのではないかと思います。私にはとても理解が及ばない世界ですが、学会もでき研究者が論文発表しています。ただ、一方で再現性不可能ということから合理的科学社会に属している多くの学者からは批判を浴びています。
私の周りにもスピリチユアルの世界を信じる人は少なくありません。要は信じるか、信じないかに尽きるように思います。私は信じない類に属しますが、知ることは必要だとの思いです。
ハイパーインフレ
日本の財政破たんの回避はハイパーインフレにするしかないという人がいます。日本はかつて戦時国債を発行し過ぎて敗戦後、超インフレになったことはあります。近年ではブラジルが、そのピークである1989年には年率2800%超というインフレ率を記録しました。年初には100円の物が2800円以上になってしまうというひどさです。
ギリシャの財政破たんに端を発して、いろいろな憶測が飛び交っています。皆さんはどうされますか。
◎撮影記録
平城遷都1300年祭
近くにいたため、またよく奈良に行っているので平城遷都1300年祭を忘れていた。天気予報で晴れとなっていたので、朝9時から出かけた。近鉄・西大寺駅から徒歩20分で着く。以前、大極殿建設中に2回ほど訪れていたので土地勘はあった。
大極殿と朱雀門の間、徒歩で20分を行ったり来たりするが、ポイントは歴史館で毎日、整理券を発行している。会場に着いたら真っ先に、整理券を入手するとよい。ここでの映像による平城京はよくできている。この館の外に実物大の遣唐使船が置かれている。意外にも小型の船だと思った。
食事やお土産品のテント小屋には一流の店が出店している。初夏の風を受け遠く古の宮廷を想像しながら散策すると気分が一段とさわやかになる。都の向こうには青い空に白い雲がたなびく若草山、三笠山、生駒山が映える。5月13日(木)。(表紙に写真紹介済み)
久米寺&橿原神宮の深田池
久米寺は評伝執筆の関係から初めて訪れた。この寺で空海は理趣教の経典に巡り合い渡唐のきかっけになった名刹である。ここは紫陽花でも有名だという。
ついでに久米寺と近鉄・南大阪線の橿原神宮西3号門とが隣接する橿原神宮境内内の深田池に行った。すばらしい風景が楽しめるが、地元の人は「鵜やサギが繁殖して木を枯らしている」と、嘆く。
ここで鵜やサギの子育ての撮影をしていると、奇人・W(72歳)に出会った。彼は佐賀から来て20日間ほど、奈良、京都、大阪を巡っているという。話すきっかけは、Wが深田池の橋のイスに座って俳句をノートに綴っていたのだが、目があったので、「いいとこですね」とあいさつしたことで、約30分、彼の人生、歴史の蘊蓄に耳を傾ける羽目になった。
書けば長くなるので、止めるが、彼は30歳を過ぎて早大に入って司法試験に10年挑戦したが、失敗。その後は飯場暮らしで土方、炭鉱夫、漁師などで生計をたて、大阪の釜ケ崎の飯場にもいたことがあるという。
実は今回も釜ケ崎の宿泊所で1日千円(五百円の部屋もあるという)で泊まりながら神社、仏閣、美術館などを巡っている。その合間に俳句を大学ノートに綴っているほか、行く先々の歴史などもメモして、帰ってから毎日、図書館に入り浸りで調べるという。
「佐賀のことなら何でも知っているよ」と、住所をメモしてくれた。5月7日(土)
東京スカイツリー&高尾山
ゴールデンウイークの上京(3日~5日)は、逆走のようなものだから空いていると思ったが、新幹線は結構、混んでいた。
仕事の合間に、いま話題の東京スカイツリーと、都心から一番近い(京王電鉄・新宿~高尾山口まで1時間)名山の高尾山(ミシュランの観光ガイドでおととし最高評価の三ツ星に選ばれたこともあり、年間の登山者が250万人を超えている)にリフト(ケーブルもある)でのぼった。
599mの山頂まで道はほとんど舗装されており、この日は子供の日で銀座通りの人出であった。都心から近い山だから仕方がないが、大阪なら周辺にいくらでもある山である。山頂はほりっぽい広場になっている。眺望がいいのだが、 この日はかすんでいて都心までは見えない。東京スカイツリーも見えるという。
麓には蕎麦屋が多く、大きな旧宅を改装した「高橋そば」は人気がある店。
スカイツリーはテレビでも取り上げていたが、見物客でにぎわっていた。浅草から東武伊勢崎線で次の業平橋に行った。駅の前が工事現場で毎日、高く伸びている。現在、634mの半分の高さまでできており(毎日1m伸びる)、いろいろな角度から見られると話題になっている。このタワーは電波塔としての機能のほか観光拠点のシンボルにしようと、この周辺開発もしているが、東京というところはビジネスの街であって、観光誘致にはこういうものでしか考えつかないのだろうか。
むしろ業平橋周辺は下町の雰囲気があるので、そういうスポットを生かした下町の町並みを再現した方がいいのにと思った。
東京タワーの平成版でおそらく「でかい」という以外に何の感動も与えず、時間の経過の中で忘れられるであろう。
近郊の観光スポットとしては「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)の藤の花もいいと聞いた。5月3日~5日。(表紙に写真紹介済み)
茶摘みの集い
このゴールデンウイークはほとんど晴れの天気で、どこも予想以上の人出だったようだ。私の場合は、毎日が休日のようなものであるが、執筆の仕事は毎日、やっているようでなまけているようなけったいな感じである。
ところが撮りたいものが、この週にあったり、仕事の取材で相手の都合で上京することになったりなど、ほとんど連日、出ずっぱり状態だった。
5月2日は八十八夜(立春から88日目)の茶摘みの集いが京都茶業会議所主催であった。この日はイベントに先立ち宇治茶の関係者による式典が行われ、茶摘み体験や製茶体験、また宇治茶道場ではおししいお茶の飲み方、新茶などの即売も行われた。
狙いは茶摘みの衣装をきて茶摘みをする女性らの写真撮影である。報道関係者に引き続き、一般にも開放された。彼女たちは宇治茶PRに応募しただけで、本当の茶摘みは未経験である。今はこうした衣装も使っておらず、ほとんど機械で摘むので、これはイメージのためのイベントにすぎない。
今年の新茶は天候不順で出来栄えが良くないと伝えられているが、「宇治は幸い大きな被害もなく順調に生育しています」と、報告していた。会館では新茶(1,000円)を売っていたので買った。さすがにおいしい。5月2日
大聖寺時代結婚式
加賀の大聖寺駅前のビジネスホテルに1か月前に予約。北陸の古都大集合と銘打って「第一回北信越町並みゼミ大聖寺大会」が、5月1日(土)の加賀白山おったから(お宝)祭りに合わせて開かれた。これは町並み保存に取り組んでいる方々のゼミと交流のイベントだが、加賀白山おったから祭りと併催される「大聖寺時代結婚式」に興味をもち、撮影に出かけた。
ゴールデンウイークのため、JRは1か月前でも満席に近く、グリーンしかない。ホテルも加賀温泉はほぼ満員だという。休日のビジネスホテルは狙い目であったが、当日は駅前のビジネスホテルはゼミ関係者の宿泊でほぼいっぱい。かろうじて確保できた。
大聖寺というのはお寺があるわけでなく、地区の名称である。加賀市の中心であるが、観光客は隣の加賀温泉駅にとられ、大聖寺駅前の商店街はシャッターがおりている店も多く、さびれている。
駅近くの居酒屋「ばん亭」の主人は「市役所や会議所が残っていますので、なんとかがんばっています」と、観光客はほとんど期待できないと話す。
だから町並み保存によって少しでも観光客を集めようとしているのだろう。ここは戦災も受けていないので、古い街並みも残っている。キーワードは町を流れる旧大聖寺川である。ここに江沼神社があって町並み保存活動の拠点になっている。境内には長流亭という由緒ある建物が残っている。5年前に屋形舟で大聖寺川を移動する事業をはじめ、その一環として大聖寺時代結婚式を企画した。
この河筋に立派な邸宅「アトリエ理」がある。ここでは大正時代に使われた結婚衣裳を保管、この企画に合わせて貸し出しをしているそうだ。
この日の結婚式は祭りのイベントとして行われたが、選ばれたペアーは結婚式の模擬ではなく、本物の結婚式だという。そこはイベントだからマスコミをはじめ、アマチャカメラマンにも開放したというわけである。もっとも大阪から来た(前日は下見)というと、驚いていたところみると、大半は近隣の人たちだろう。
祭りといっても地方の田舎町の祭りだから、集まった人はせいぜい300人程度で、その半数以上は関係者だと思われる。これが都会なら大変な人出になったと思うくらい、珍しい結婚式イベントだった。
大聖寺に来て知ったのだが、ここは登山家、作家の深田久弥の出身地で、記念館がある。高校の山岳部時代、彼の本を読んでいたので、なつかしかった。
4月30日~5月1日。(表紙に写真紹介済み)
明日香の岡寺
4月26日(月)、晴れの日だというので、明日香の岡寺に朝の6時半、出かけた。狙いはシャクナゲでちょうど見ごろだった。
寺には8時過ぎに着いたが、すでに開門しており、先着の数人が境内にいた。約2時間、撮影。明日香をドライブしたあと、石舞台に隣接するレストランで古代米御前を食べた。このあと、二上山の麓の道の駅、柏原の農業公園「のどか村」に寄って帰路についた。4月26日。(表紙に写真紹介済み)
最後までお読みいただきありがとうございました。
3~4月
日記の目次
3月 |
5日 |
写真(お水とり)、農地の利用提言、旅の便り、まほろば美術展など |
18日 | 写真(三代清風作品)、清風の研究、旅たより(冬の北海道)、続・外国人参政権 | |
4月 |
2日 |
写真(和束のしだれ桜)、撮影の旅、新・企業考、京セラ、友人のメール |
4月 |
12日 |
写真(甲賀・鮎河の桜まつり)、世相雑感、風邪予防法、撮影の旅、その他 |
4月 |
24日 |
写真(京都・花背)、日本はなぜ3等国になったのか、撮影の旅ほか |
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●写真:京都・花背の峰宝寺境内(4月19日、岡田撮影)とホタルカズラ
●4月の日記3
近況
◎…4月も終わろうとしているのに、冬のような寒さです。
庭にはホタルカズラ(写真)の花がまるでホタルのように咲
き誇っています。季節のちぐはぐさを感じます。快晴の日が増えてほしいですね。
先月、わたしたち夫婦を結び付けてくれた友人の訃報連絡がありショックを受けました。(合掌)
◎…友人のTVディレクターから『映像10 母との暮らし ~介護する男たちの日々~』
(4月25日)の放映連絡がありました。
メールには趣旨が添えられていました。
今回は、「在宅介護する男性」がテーマです。介護保険制度では、介護する
側への支援がほとんどなく、ストレスを募らせた介護者が高齢者を虐待するケ
ースが、1年で1万5千件報告され、そのうち24人が死亡しています。
番組では、93歳の認知症の母を介護する65歳の男性に密着し、
この国の貧困なる介護実態を浮き彫りにしました。
◎…私からの返事です。
介護を経験した人なら、いくら愛した家族であっても肉体的、精神的には3
ヵ月で参いってしまいます。かなり裕福な一部の人しか入れない有料老人ホー
ムでないと満足のいく介護は難しいでしょう。そこだって最後はモノ扱いにな
るでしょうね。
日本は長寿国だと誇りに思っているようですが、寝たきり、要介護や病人の
老人がいっぱいの長寿国では情けないですね。
◎…新聞代が値上げされる。日経や地方紙の一部に続いて、朝日新聞も5月
から朝刊1部130円から150円に値上げされる。おそらく他の全国紙も追随す
るだろう。
広告の収入減や製作コストの高騰で新聞業界が苦境に陥っているなか、
製紙各社が再度、用紙代の大幅値上げを求めているからだ。すでに一部の地方紙
や日経の購読料値上げが始まっていたので、時間の問題だと思っていた。
支えている。その高齢者の多くが年金暮らしであるから、さらに部数減に拍
◎…TVの番組内容もダメになったと言われて久しい。TV広告もサプリメ
ント、保険など人間の弱みに訴える広告が目につく。これら広告の内容、質が
一層、番組イメージを下げている。
サプリメントの広告には有名な俳優、美男美女の元気な高齢者が登場する。
だいたいこういうものは、個人の個体差が大きく、効いている人がいても、そ
れが万人に通じることはない。その証拠に「人によっては効果がない」という
小さな文字を広告のすみっこに入れている。
人の元気さはトータルでとらえないと、サプリメントだけで元気になろうは
ずがない。
毛はえ薬でも「99%には効果があります」と社長と称する人物がテレビCM
で話すのを聞いて、おそらく全く効かないとか、損害賠償で訴えられても「そ
れはあなたが1%の人に含まれる」と、反論するためである。1%と99%の詳
細なデータ(調査個体数、生える状態の分類とそれぞれの数)を示さない限り、
限りなく嘘に近い。
保険広告でも「80歳からでも入れます」と、おそらく実際に加入している人
は皆無に近い(条件を満たせない?)だろうが、このメッセージを伝えること
で消費者に支払いの安心感を与える。
これらの広告には俳優やタレントが登場するが、彼らは保険会社の支払(不
払いが問題になっている)については責任を持っていない。だけど加入する人
に安心感を与えているので、私から言わせばある種の詐欺商法に思える。
ハイテク、自動車などの広告はインターネット広告に移っているという。そ
うした製品は詳細なデーターで訴える方が効果的だからだ。ネット販売の普及
も大きい。
● 最近のつぶやき―「なんで日本は3等国になったのか!」
◎…少々、長いつぶやきになるが、一言で言えば、「日本が3等国」になった
のは、文明の流れの巡りあわせであろう―と思っている。
このところ日本が経済・産業の面でどうして輝きをなくしてしまったのかと
いう問題意識をもって関連の本を読み、テレビを見ている。
日本はこの10年1人当たりのGDPが3位から22位、GDPのシェア
14.3%から8.9%、数学力1位から22位に下がった。しかも格差社会が拡大、
社会秩序の崩壊、無気力な若者や利己的人間の増大等々、自民党はもとより、
与謝野馨、平沼赳夫、舛添要一ら離党組もそうしたことを総括しない。
◎…四大文明の発祥は、メソポタミア(イラク)、エジプト、インダス(インド、
パキスタン)、黄河(中国)だと教えられた。加えてメソアメリカ(メキシ
コ)、アンデス(ペルー)文明もある。
これら古代の先進国は今、3等国になっている。あの古代オリンピア発祥の
ギリシャ文明は衰退、最近、財政赤字から国債の暴落を招き3等国以下になっ
ているように見える。
そして19~20世紀は欧米の文明が開化。19世紀の最終章で日本は『ジャパ
ン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォーゲル)と称賛され、うたかたの夢の
ような時代もあった。やがて文明は回帰するかのように、21世紀は中国、さら
にインド、やがてイラクへ移るように思える。
◎…日本は20世紀に中国、ロシア、そしてアメリカの大国と戦いをして最後
に破れた。これほど大国を相手に戦った国はほかにない。
先の戦争の後先で日本(東京裁判による戦争責任の処理、GHQの占領政策
による平和憲法の施行、財閥解体、農地解放、労働組合の結成などで)は大き
く変わった。敗戦後、日本の経済は成長し、食べ物も飽食と言われるほどにな
った。
電化製品や自動車などが国民に行きわたり生活も向上した。
それでも輝きをなくし、幸福感はない。
日本の景気論
◎…そして戦後最長の景気回復が終わり、失われた10年とか20年と言われ、
エコノミストや学者はいろいろ見解を発表している。彼らの見解のキーワード
は技術革新の低迷、資源配分の歪みなど構造問題、過剰債務、不良債権、金融
危機、石油危機、世界経済のバブル崩壊、先進国の低成長、新興国の台頭など
が複雑に絡み合っていると、それぞれの思いと立場で述べている。
さらに日本は急速な少子高齢化、格差問題、低金利、貿易などの要因も加わ
り、経済や景気の展望が難しいという。
またこうした大方の予測がはずれるのが、プライムローン崩壊に代表される
突然の経済トリガー(引き金)、天変地異、テロを含む地域戦争の勃発、疫病等々
の要因が複雑に絡み合って、景気の波は上下しながら流れる。長い歴史的時間
軸でマクロ的に見れば、今の時点での浮き沈みに一喜一憂しながら景気の予測
や展望を識者から教えてもらうことに虚しさを覚えることがある。
日本の総括(問われる小泉―竹中の功罪)
◎…「日本の経済成長率が低下したのは1990年代が初めてではない。1970
年代には、それ以前の10%の高度成長から3%の安定成長に低下してしまった。
この低下幅は90年代の低下幅よりも大きい。ところが、この70年代の成長率
低下が解明しなければならない大問題であるという認識はきわめて少なかった。
多くの人々は、成長率低下は、当然に石油ショックのためであると考え、解
明の必要な大問題であるとは考えていなかったからだ。しかし、石油ショック
では1970年代の成長率低下を説明できない」(大和総研・原田泰)。
◎…どうも1994年を起点に日本は変質してきたように思われる。小泉首相も
郵政改革だけにとどめておけば、こうまで社会の荒廃を招かなかったように思
えてならない。竹中平蔵と組むことによって、アメリカの自由主義、原理主義
とタイアップ、弱者切り捨てに転じた。
そして不況ごとに公共事業の追加財政を繰り返し、いわば麻薬から抜け出せ
なかった。自民党は小さな政府と成長戦略を繰り返し発言しているが、870兆
円もの借金を減らすことはできなかったではないか。
小さな政府は弱者切り捨ての政策に向かっただけであった。それでも自民党
は小さな政府と成長戦略を若い石原、河野議員もオームのごとく繰り返す。
1994年~1996年が転機か
◎…ある事件で無実を訴えている植草一秀は『日本の総決算』(植草一秀著、
1999年発行)で「1996年経済成長率5.1%を示した。バブル崩壊後の暗く長い
トンネルをくぐり抜け、ようやく新しいステージの第一歩をしるしたのが96
年であった」と、述べている。
植草一秀のブログを読むと、1996年時点で、日本のGDP29ヶ国中、19.7%
で第2位。それが日本の一人あたりGDPが世界1位から世界17位
に急落した最大の要因は円の暴落だ。
「円高は日本の国益」である。「日本収奪」を全面支援した小泉政
権の経済政策は「売国政策」そのものだった。この「売国政策」を
そのまま引き継いでいるのが「上げ潮派」の経済政策である。
真偽のほどはわからないが、植草一秀は小泉誕生がなければ、竹中でなく政
権に入っていたと言われる。その後、小泉―竹中批判を痛烈にしたことで、時
の検察権力に狙われ、失脚したという見方がある。
最近の植草の『知られざる真実』、副島隆彦との共著『売国奴の末路』では
小泉―竹中を徹底的に批判している。
◎…『失われた20年』(朝日新聞変転経済取材班編)でも転機は1994年だという。
「日本的経営が大きく変わったのは、1994年2月25日、千葉県浦安舞浜の
ホテルに大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するために集ま
り、激しい議論を繰り広げた。論争の中心が「雇用重視」を掲げる新日鉄社長
の今井敬と「株主重視」への転換を掲げるオリックス社長の宮内義彦だった」
という。
「対外発表がされなかったので、世間の注目をされなかったが、この時期を
境に米国型への転換に舵をきった」といわれる。
この本を読んで、モノづくり企業と、金融とか、サービス業とは自ずから違
うという認識が大事だと思った。モノづくり、とくに中堅・中小企業では正規
社員の雇用が多い。大企業でも流れ作業、単純作業のラインとか、受付をはじ
め単純事務作業の職場には派遣社員がほとんどである。
単純に派遣切りという報道でもどういう形態のどういう職場の派遣切りが行
われているかという認識が大事である。朝日新聞だって多くの派遣社員を採用、
「自分の職場に問い合わせしても、派遣社員は融通がきかなくて困っている」
と、拙宅に取材にきた記者が嘆いていたほどである。
◎…先の世界同時不況はアメリカ発のプライムローンの崩壊が元凶だと思っ
ていたが、『世界経済危機 日本の罪と罰』(野口悠紀雄著)を読んで、認識
を変えた。
「先の金融危機はアメリカだけでは引き起こせなかった。共犯者がいる。具
体的には日本、中国、産油国である。これらの国はアメリカに対して巨額の貿
易黒字を記録し、それによって得たドルをアメリカに投資したからだ。資本取
引によってアメリカに黒字を還流させたからだ。
日本の超低金利政策と為替介入のため円安が継続し、円を借りてドルで運用
する“円キャリ―取引”が利益を生む取引となり、大規模に行われた」と指摘
している。
そして日本人は円高メリットを実感できないという。日本のエスタブリシュ
メントは円安を望むバイアスを持っているのだと強調する。この円安を推進し
た政策や為政者が悪である。これは植草の主張と同じだ。
◎…さらに3等国になった原因を追ってみたい。『論争 日本の経済危機』(浜
田宏一・堀内昭義編著)でも、よく似た議論が展開されている。この本で長期
停滞の要因は、政府のマクロ政策(金融財政政策)の運営失敗により需要が不
十分なため、潜在成長力を生かされなかったという見方と、供給側の潜在成長
力の鈍化、つまり需要喚起策の失敗というより、潜在成長力を低下させた構造
要因がより重要という二つの見方にわかれている。
この二つの視点から4つの説に絞って議論している。
1.停滞は構造問題を解決しなかったからだ(構造問題説)
1.刺激すべきときに刺激しなかった(財政政策要因説)
1.デフレをもたらした金融政策(金融政策要因説)
1.不良債権の早期処理に失敗による銀行機能低下(銀行機能低下要因説)
以上、4説に集約できるという。これも立場、見方によるものであって、し
かもそれぞれが独立しているのではなく、複雑に絡んでいるので、要は決め手
に欠くのである。
このような議論を読んでも「ああ、そうか」と言うぐらいで事の本質をズバ
ッと言ってくれないのでよく、わからない。あまり益なしの書物で、専門家の
ゲームのように思ってしまう。
ルールの明確化
◎…余談になるが、『日本の総決算』で植草がいくつか面白い指摘をしている
ので紹介したい。
一つは信号の日米比較である。青、黄、赤の配列は同じだが、交差点での切
り替えが違う。日本は一方が青から黄になり赤になった瞬間、一方の信号もし
ばらく赤のままで、やがて青に変る。ところが、アメリカは一方が赤になると瞬間、もう一方は青になる。
これは日本の方式をドライバーが完全に守れば、安全性は高いシステムであ
る。ところが、日本のドライバーには黄はほとんど「進め」と同じ、赤でも突
入する車が多い。アメリカの信号は黄の時間が短いので、停車しないと事故に
つながる危険性が高まる。これは一見、危険性が高いシステムのように見える
が、仮に100%守られるのであれば、事故の確率は大幅に低下する。
つまりルールの取り扱いの違いが日米にはあって、日本にはグレイゾーンが存在していると指摘している。
◎…これは駐車違反に対してもアメリカは厳格だが、日本では駐車違反が日
常茶飯事になっている。ホテルの予約の仕組みも異なる。日本では電話番号と
名前だけですむが、アメリカで予約するときは、クレジットカードのナンバー
を申告する。日本で架空の客が無知通告でキャンセルした場合、ホテルや旅館
は損失を回収する手立てを持たない。
経済のグローバル化にともない日本のルールの明確化が求められる時代にな
るだろうという。
◎…このほか、目を通した書籍も大同小異の内容である。
『マクロ経済と産業構造-バブル/デフレ期の日本経済と経済政策』(企画・
監修 内閣府経済社会総合研究所)では、供給サイドと需要サイドの要因を
分析。
1980年代から90年代にかけての日本は、生産年齢人口成長率の著しい減速、
資本蓄積主導の成長を長く続けたことによる資本過剰と資本収益率の低下な
どを背景に、潜在成長率や均衡実質金利の低下、設備・住宅投資の低迷、そ
して過剰貯蓄といった問題を抱えていた。
こうした高成長期から低成長期への移行にともなって生じた経済構造の変化
がマクロ経済政策の運営を著しく困難にした。
貯蓄超過に対応するための低金利政策を続けたことが、バブル経済発生の原
因である。資本収益率や均衡実質金利の長期低迷がバブル崩壊後の不況とデ
フレからの脱却を困難にした。
こういう分析の重要さを強調しているが、国民生活をいかにダメにしたかの
視点、それはどういう政策の失敗がそうしたのか、そしてそれらの政策はど
ういう過程で企画され、実行されたかを明らかにしないことには、一般国民
には無用の書でしかない。経済専門家向けの本だから仕方がないと言えばそ
れまでだが・・・。書籍の費用対効果はおそらくきわめて低く、税金を使っ
ての代物である。
◎…財務省財務総合政策研究所も上記の本と同じような内容の『日本経済の構造変化と景気回復』(樋口美雄著)
を出している。無駄と言うほかはない。
その中で今後のわが国の目指すべき構造変化はまず生産性改善だという。そしてサービス業を
中心に経済構造に変化していくことが大事だとしている。さらに地域政策の形成を述べ、労働市場を
整備していくためにワーク・ライフ・バランスを改善して暮らしを変革していくことだと言う。
これらのことは旧聞に過ぎない。この程度の本のために税金を使ってほしくない。
◎…最後に読んだ『日本経済の活性化』(日本経済新聞出版社)は、さすがに民間出版社が発行
したものだけに、同じような内容でも工夫されている。
日本再活性化の展望の中で、「人口が持続的に増加し、大都市への人口集中が社会的問題となった
過去の時代の規制が、人口減少時代に入ってもそのまま放置されている。
市場社会の日本で、慢性的な待ち行列が多くの病院、高齢者介護施設や都市部の保育所で存在している。
公共性の高いサービスはすべての人々に平等に供給することに重点が置かれてきた。これらの基礎的な
サービスを確実に提供することを条件に、同時に消費者のニーズに応じた質の高いサービスを、それに
見合った対価で提供する市場との組み合わせも必要である。
(岡田)かなり説得力があるように思うが、かつての義務教育の公立学校と私立学校の格差が問題に
なったように、おそらく上記の政策を推し進めると、格差社会はさらに違った分野、方向で起こってくると
思われる。これは公的施設が市場主義に走り、「基礎的なサービスを確実に提供することを条件」としているが、
そんなことは無視されてしまう。持てる人達の発想であると言える。
◎…ここらで共産党の佐々木憲昭・編著の『変貌する財界―日本経団連の分析』も興味深い内容に
なっているので紹介したい。
(岡田)民主党になってからの共産党の動きが注目されている。昨年、はじめて経団連と初会談した。
また、志位委員長が在任中に初めてアメリカを訪問する予定など、すっかり変わってきた印象である。
この本の中で「経団連は以前と違って日米多国籍企業の共同利益を追求する団体に変貌した。
その根本には新自由主義的内容(構造改革)路線に切り替わったことである」と、結論付けている。
注目すべき指摘がいくつかある。製品市場を見ると、経団連の正副会長の所属企業では売上の5割を
輸出・海外売上高で占めている。とくに注目されるのは日本の貿易が、海外に設立した現地法人相互間
の取引を増加させていることである。
(岡田)実はこの現地法人相互間の取引に所得隠しが横行しているのか、「東レは海外法人への所得移転
を指摘され、追徴課税された」(4月22日付朝日新聞)と、国税局から発表されたと報じている。氷山の一角であろう。
「小泉が首相(官邸)主導の確立を打ち出した変化の深層には、財界総本山と言われる経団連の変貌がある。
自民党が歳出カットを初めて打ち出したこと、時の経団連会長は礼賛している。カットの矛先が福祉や労働者の
賃金抑制につながり格差社会を生み出した。それはまさしく官邸支配でなく財界支配だ」(佐々木憲昭)と結論付けている。
◎…さらに続く。正副会長の所属企業で見ると、外国人の持ち株比率が1980年に2.71%だったのが、
2006年には30.72%と外国資本に保有されている。会長企業のキャノンは51.10%と、50%を超えている。
自民党と民主党は外資保有率が50%を超える企業が、政治資金規正法で寄付を禁止されているため、
2006年12月に法律改正して寄付が行えるようにした。
(岡田)外国人投資家が増えていることは株式市場では常識になっているが、ただ、それがどこの国の誰が投資している
かという実態が明らかにされていない。
すでに企業の最大の大株主が外国のファンドで、そのトップが中国人だということだって当然、考えられる。グローバル化
ということは、そういうことだという認識が大事である。
アジアで自由貿易協定が進むにつれ、現地への工場はもとより、研究所、そして本社まで移転してしまう。
さらに利益を現地企業に内部留保(法人税が日本の約半分)してしまう。
こうなると、空洞化により失業者が増え、法人税収も減っていく。いよいよ日本は3等国に追い込まれ、グローバル企業だけが生き延びる。
一時的に生き延びても、インド人や華僑のように本当に現地に骨を埋めることができないなら、その反動はグローバル企業にもくるだろう。
目先の利益追求にだけ汲々としていたらとんでもないことになるに違いない。(岡田)
◎…インド人でアメリカのある大学の学長が、最近の日本の大学を視察して、「日本の授業は英語ではないですが、大丈夫ですか?」と、
驚いた話も聞く。
日本の大学は少子化で生徒が不足しているから、積極的に留学生を受け入れ、中には英語の授業も取り入れている。
企業でもすでに幹部会議、役員会は英語に切り替えているところもある。グローバル化の進展にともない、英語は共通語
として必要不可欠になってきている。
だけど、皮肉なことに英会話専門学校の生徒数がノバの倒産を機に激減、さらに最近、大手のジオスが破産するなど、
英会話熱に水を浴びせている。
政治の世界は
◎…政権が変わり、自民党から民主党の政治が行われ始めた。与党だった自
民党はメルトダウンから分裂、新党が次から次へと誕生している。メディア
は劇場型の政局を連日、報道、国民を疲れさせている。鳩山政権も「政治と
カネ」や「普天間問題」で支持率が低迷、いまにも政権が崩壊するかのよう
な流れがある。
そして国民はいつのまにか3等国になった日本を嘆いている。自民党の政策
の失敗、あるいは小泉―竹中路線は弱肉強食のアメリカ型の政策で日本の格
差社会をつくり、一部からは「売国奴」呼ばわりされている。
確かにミクロ経済で見れば、政策の失敗もあるだろうし、自民党の長期政権
が政官や経済界の腐敗をもたらしたことは否定できない。
昔から「権十年、権腐十年」と言われるように、権力の座に十年就いたら、
やがてその権力は腐ってくるという教えがある。自民党は十年どころか、五
十年以上もその座にあったのだから腐敗してもおかしくない。
日米同盟の意味は
◎…自民党はもとより民主党も日米同盟は大事で、基軸であるという。これ
は敗戦、そしてその後の米国の支援が国民の心にもしみ込んでいる。米国を抜
きにして、とくに貿易の恩恵は大きく、同盟が壊れると死活問題になると思っ
ている。
資源や農産物を海外に依存する日本だから基地問題でも米国の思うままに
50年も耐え忍んできた。だけど、よくよく考えると、沖縄の基地が抑止力にな
っていると主張する識者はどういう根拠でそう言っているのだろうかと思うこ
とがある。
だいたい、米国は自国の利益になると考えているから同盟を結び、基地も置
いているのであって、自国に不利益だと判断すれば、同盟も破棄、基地も撤去
する。
日本人はカネも出し、基地も提供しているのだからアメリカに多少、不利益
でも日本の利益を擁護してくれると幻想を抱いている。アメリカはそんな友愛
精神に満ちた国ではなく、冷徹な合理主義、プラズマティズムの国であること
を忘れては失敗する。
戦後、抑止力というのは反共、とくに冷戦時代、仮想敵国は当時のソ連だっ
た。これは朝鮮戦争で南北朝鮮の背後で米ソが戦争をしていたから、北からの
抑止力は現実味を帯びていた。
当時、日本の国家予算の中で防衛費1%(護憲派は1%内を主張)を超えて
も軍備増強を自民党、財界は強く主張していた背景に、米ソの冷戦構造があっ
た。その後、まさかと思われた社会主義国・ソ連が崩壊、ロシアに生まれ変わ
った。
今では仮想敵国はソ連から北朝鮮に変わった。とくに核武装を怖れている。
私は批判覚悟で言えば、核を持った瞬間から核を使えないと思っている。もし、
核を使う国が出れば、その国は報復を受け崩壊すると信じている。
時々、空想することがある。とどめを知らない北朝鮮や中国の軍備増強にし
ても、ある時、技術革命から強力な特殊光線が開発され、ミサイル発射の瞬時
にはその地域のあらゆる施設を不能にすることができれば、ばかばかしくてミ
サイルも不要になる。
そうした技術をいま予測できないが、専守防衛の日本こそ開発に力を入れる
べきである。おそらく、すでに取り組み開発が進んでいると推察している。
だいたい、北朝鮮が核を打ち込んで日本を占領することなど考えられない。
もし、そういう事態になれば、同盟でなくとも国連が許すはずがない。むし
ろ怖いのはテロの手に渡り、9・11のアメリカ多発テロ事件のようなことが
引き金となって核戦争になることである。
プライムニュース(4月23日)に登場した元村山富市首相は「北朝鮮が6カ国協
議に参加して平和について話し合いができれば、脅威はなくなる。いまやEU
をはじめアジアも共同体形成に向かっている時代に、日米二国間だけ同盟と
いうのはおかしい。アメリカの要人が中国のトップに会った時に、『日米同
盟は日本が独り歩きしないようにするためです』と話したというぐらいですか
ら、数ある国内基地で普天間だけ問題にしているのは、いわば滑稽なことです」
と、それこそマクロ的な視野が必要だと強調していた。
そういうことからアメリカは沖縄基地がどうして東アジアの防衛のために、
必要なのか説明する義務がある。ロジスティック(地政学的)に一番、いいと
言うが、テロ以外で緊急を要することは考えられない。今の時代は軍備よりも
国際会議が何よりも武器になる。そいう意味では外交力こそ、日本が最善を尽
くす課題だと思っている。
かつてのアパルトヘイトの南アフリカ、黄禍主義で差別を受けた日本もいま
やその影響が薄れてきた。とくに誰もが予想しなかったアメリカが黒人大統
領のオバマを選んだ。植民地政策や人種差別は過去の遺物になりつつある。
国境をめぐるいざこざ、地域紛争はあっても世界戦争はあり得ないし、あっ
たら地球が破滅する。
そのアメリカはビッグ3の救済、医療保険改革など、大きな政府による社会
主義路線に転じている。そしてオバマの課税政策に反対する自由主義の旗を
掲げるティーパーティ運動が台頭、混沌の様相をみせている。
バカにしてきた中国
◎…エコノミストや学者の予測がほとんど当たらないほど、世界経済は複雑
で課題や問題が多岐にわっている。新党が「たちあがれ」とか「自立」とい
った言葉でいかにも新風を吹き込むようなことを述べているが、所詮、小手
先の大同小異の政策しかできないだろう。
いまから40年ほど前、中国が貧しく国民生活のレベルが低かった時代。ある
政治学者が「多くの日本人は中国は貧しいと言うが、国民、とくに子供たち
の目が輝いている」と、指摘していたことを思い出す。つい最近まで中国共
産党は経済政策に失敗して崩壊すると多くの識者が予測していた。
変わる街の風景
◎…4月18日の日曜日。久しぶりに大阪城公園に出かけた。前日までの真冬
のような寒さが嘘のように春の陽気に大勢の人で賑わっていた。
ただ、20年前には見られなかった中国、台湾、韓国から多くの観光客が押し
寄せていたことだ。大川を行きかう水上バスの乗り場から林立する高層ビル
を眺めながら野外の椅子に腰をおろして新聞を読んだ。
するとまもなく数人の中国人(台湾人かも)が周囲に椅子を持ち寄って水上
バスを待つ間、座って談笑し出した。なにか異空間にいるような雰囲気にな
ったが、これはいま起こっている中国躍進の姿だと改めて元気な中国人を見
る思いであった。
このあと梅田のヨドバシカメラや大阪第1~4ビルの雑貨品店や飲食店街で
も同じ場面に出会った。かつての外国の観光客といえば欧米人だったが、い
まは影が薄い。
夕食で入った阪神百貨店の中華料理店では中国人女性が日本人以上に上手に
注文を聞きに来た。日本はすでに中国人に乗っ取られているのではないか。
中国人には自由がないと言うが、「中国国内で個々人は国家批判もすれば、社
会批判もしている。まだ発展途上だから機関としてはダメだと思ってほしい」
という中国人識者の発言もこれまで聞けなかった内容だが、日本のテレビに
出て話している。また、BS放送で中国人識者の討論会を聞いていると、よ
ほど日本より議論が活発だ。
評論家や知事の中には「中国は長い歴史の中で一度も選挙をしたことがない
非民主国家だ」と強弁している。それは事実だとしても民主主義国家と自負
している日本国民と独裁国家だという中国国民の目の輝きはどうだろうか、
明らかに日本国民は輝きを失っている。
あれだけの多民族国家を統一、維持、発展させる政治手腕は安物の民主主義
を標榜する日本の政治家では太刀打ちできないだろう。しかし、中国に言論
の自由がないと多くの識者が指摘しているが、それも事実の一面だと思う。
だからと言って、日本でも言論の自由が保証されているかというと、タブー
視されていることは少なくない。完全なフリーハンドで言論の自由はあのア
メリカでもないのだ。まして保守色の強い日本ではあろうはずもない。
日本に言論の自由はあるのか
◎…企業でもカリスマ的な経営者がいるところでは、指示待ち社員、役員ば
かりで、自由にモノが言えないことは明らかである。民主党は本来、自由闊
達に議論できる政党だというが、小沢独裁がそれを封じていると評論家や野
党の自民党は声高に指摘する。
もし、小沢の睨みがなかったら民衆党は百家争鳴に陥り、かつての自民党の
ように派閥争いを演じていただろう。自民党は自由闊達な議論ができると、
口を揃えるが、実際は「モノ言えば唇寒し秋の風」である。舛添新党の動き
を見ていると、つくづくそう思う。
報道機関はどうだ
◎…元NHKのエグゼクティブディレクターの今井彰の著書『ガラスの巨塔』
を流し読みした。これは内部告発的小説のスタイルをとっているが、自分が
手がけた「Xプロジェクト」の自画自賛と組織や上層部への恨み節である。
それこそドキュメントでないので、どこまでNHK内部を正確に伝えている
かは定かではない。小説のスタイルにしたからには、そこに企業、とくに言
論機関についての思想、哲学がなければ、三流の暴露本だと見られても仕方
あるまい。
いまさら企業組織の保守性を嘆くのは遅きに失する。今井が指摘するような
企業組織の実態はNHKに限らず、どこの企業でも大同小異である。最先端
をいく大報道機関ほど組織感覚は旧態以前としており、きわめて保守的(派
閥の親分が飛ばされると、部下まで入れ替わるのが現実)であることはこれ
まで多くの人が指摘している。
「Xプロジェクト」は評判のシリーズだったが、本では取り上げた高校のク
レームに端を発して、中止に追い込まれるまでの過程を描いている。この事
件をきっかけに週刊誌や新聞、テレビに追いかけられるメディアのひどさを
指摘している。
確かにこれだけを読めば同情する面もあるが、有頂天になっているときの雑
誌インタビューでは満面に笑みを浮かべ自信にみなぎっている。そういうと
きの自分は見えないものだ。
一転して悲劇の人になったときの取材されるほどつらいことはない。公共放
送という多くのメディアからうらやましがられ、嫉妬されている立場を認識
して、そのためのリスク回避の問題意識の軽薄さを思う。
◎…報道に関してエコノミストの植草一秀や小沢一郎の事件に関する本を読
むと、今井彰の比ではない。今井はきれいごとで糊塗しているように見える。
報道の自由を高らかに掲げた評論家の田原総一郎が長年、手がけてきた「サ
ンデープロジェクト」の司会を降板させられ、いまはBS朝日で毎週土曜日
の朝、「激論!クロスファイア」の一時間番組でミニ・「サンデープロジェク
ト」のようなことをやっているが、まったく精彩がない。
だいたい、「サンデープロジェクト」で番組の終了日、自画自賛、コメンテイ
ターに褒め殺しを強いるなど、飛ぶ鳥あとを濁したことは醜悪だった。この
人もはじめは新鮮さを感じたが、どうも胡散臭いところがいろいろ報じられ
るようになってから幻滅を感じた。
その「サンデープロジェクト」に代わって、小宮悦子が司会する「フロント
ライン」は内容は別にして、田原の司会よりもよほど聞きやすい。
報道被害
◎…今井彰が週刊誌の報道のひどさを批判しているが、テレビや新聞の報道
被害、人権無視の報道も一方では目に余る。梓澤和幸の『報道被害』(岩波新
書)を読むと、なるほどと説得力がある。
ィンターネットが発達して情報量は格段に増えた。何が真実で何が嘘だとい
うことが、素人にはわからない。国民はその混沌とんとした情報の洪水の渦
の中でもがいている。世論調査に一喜一憂しながら生きている。
やがてあらゆる情報を信用できなくなる。そうなれば新興宗教やカルト集団
に救いを求めることになる。キリスト教にしてもイスラム教にしてもそれぞ
れの国では子供教育の中で「宗教による倫理感やしつけ」を教えている。日
本は戦後、信教の自由を掲げ神道も仏教も教えない。
宗教戦争が起こるぐらいだから、八尾万(やおよろず)の神の宿る日本教が
いいと言う意見もあるが、難しい問題である。
それでもたくましく、元気に生きなければならない
◎…時代がどう変わろうが、国民は一生懸命、生きている。その意思こそを
大切にすることが、尊敬される。最近、日本の原風景を求めて地方の田舎や
村に行く機会が増えたが、過疎の地で一生懸命、元気な村や街づくりに出く
わすが、それこそが大事である。
『天の夕顔』(中河与一著)
◎…岐阜県の山之村を調べていると、この名著に行きあたった。著者の中河
与一は大正12年生まれの作家で、代表作であるこの本は昭和13年に発表され、
戦時中から戦後にかけて45万部が若い読者を中心に読まれ、平成12年現在78
刷を数える。ロマン主義文学で、いま初老の私が読んでもわかる。
ただ、山之村についてはほとんど参考にならなかったが、天に一番近いスポ
ットとして人気を集めているようだ。
◎…国民や企業、労働者、経営者は、いつも上下する時代の波、時には嵐の
ような暴風雨にあいながら進まなければならない。五木寛之の『大河の一滴』
のように、人の存在は小さくうつろいやすく、無常観であるという教えで納
得することだろうという思いでいっぱいである。
個々人の幸福度は他人のそれとは比較できない。テレビに映し出される貧し
い人、失業者たち、戦争や災害被災国の情景を見ながら「あの人たちよりは
ましだ」と疑似体験しても幸福感は定着しない。
幸福と思う気持ちが持続してはじめて幸福と思えるが、どんな人にも幸福も
あれば不幸もある。その比率とそれぞれについてどう思うかという心の持ち
方でしか解決できない。
◎…企業は大企業が安定している。それでも時には倒産するニュースが報じ
られる。しかし、内部の抗争、リストラはすさまじいものがある。しかも公
取委が独禁法を財界に押されて改定、持ち株会社を認めた時から一段とリス
トラが激しく行われるようになってきた。
ホールディング(HD)という持ち株会社の傘下に入って、グループ企業
が統治されるようになった。これによってM&Aが活発に行われ、グループに
組み込まれていく。だからHDの指令によってリストラが容易に行われるよう
になった。もうかつての労働組合の機能はゼロにきしたのである。
◎…日本の大半を占める中小企業は、農業と同じで政府の庇護を受けながら
経営をしているが、時代の波とともに親企業や系列企業のリストラの余波を受
け、消滅する企業は多い。
と同時に雨後のタケノコのように、新しい中小企業が誕生している。
こうした中小企業が老舗といわれる一群のグループに入るのは稀で、その大
半は消えていく。それでもその時代を経営者は精一杯、努力して生きている。
これは個人の生き方に似ている。
その他の雑感
◎…プライムニュース4月15日
「消費税率引き上げ?」のテーマで、日本総合研究所の副理事長・高橋進が「消
費税は一挙に上げるより、1%ずつ徐々に上げて最終的に目標のところへ持っ
ていくのがいい。自民党は無駄の廃止をできなかったので、消費税率を引き上
げることはできなかったが、民主党は事業仕分けで無駄をなくす作業を国民が理
解するようになるので、受け入れる土壌は醸成されている」と分析している。
◎…消費税で時の政権が揺さぶられることを見てきた。自民党の政治家が「こ
の問題は与野党で議論してまとめ、与野党のマニフェストにその結論を書いて
選挙を戦うようにしないと、消費税を掲げて敗北することでは、まともな政治
ができない」と語っていたが、事業仕分けでウミを出した後は、そうすべきだと
思う。
読書雑感
●…友人からのメール
最近は暖かくなったり寒くなったり、気候の変化が大きく体調を崩す人が多
いようです。最近、読んだ本の感想を送りますね。
先日、『一勝九敗』(柳井正著/新潮出版)をざーっと目を通しました。ユ
ニクロが他の会社よりも際立っているのは何が違うのやろ・・・。
それは、会社を成長させると決意したときに作り上げた経営理念へのこだわ
りだと思いました。創業当時は17条もあったものを、現在は更に追加され23
条らしいです。
最近の理念は、社員が覚えやすいようにシンプルにしてあるのに、「社員が
覚えられない」と言って簡略化する判断と、「これだけ覚えないと成長出来な
い」と主張し譲らない判断と、ユニクロさんは後者を選択したのですね。
この本には「理念のどれか一つを削除してもダメだ」と書いてあります。成
長を続けることを決意した経営者だからこそ言えるセリフですね。最初の17
条は、どれもビジネスに関しての 心構えであり、どれもが重複しつつ、いろい
ろな視点で同じ考えを解説しているように思えます。
これを読んでいて、昔英語の時間で習ったことを思い出しました。
A rolling stone gathers no moss.
転がる石には苔ははえない。もとのイギリスでは「あんた、そんなにあっち
うろろ、こっちうろうろして、おちつかんでは苔もつかん。ろくなもんにな
らんで」なのに、アメリカに行くと「とにかく動け、立ち止まるな。動き回
ってたら苔ははえんぜよ」となる、という話。ユニクロさんはアメリカ精神?
理念の第6条の解説のなかで「去年と今年を変えない限り、会社はつぶれる
と思って欲しい。他の会社と同じことをやったら失敗する」ユニクロの成長の
根源はチャレンジなのですね。(本、読まんでもわかってましたけど)
◎…写真撮影メモ
『撮り歩き日本紀行』(よみうり風景写真コンテスト2001)の中に、選
者の田沼武能・(社)日本写真家協会会長が「風景写真の画面上に“動き”を
表現するには、朝日が昇る瞬間や日が沈みゆく夕暮れ時に撮影し、雲の形や
光がドラマチックに変化してゆく瞬間を写し込んでいくことが効果的だ」と
書いている。
朝は朝日が昇る前から午前10時まで、夕方は午後3時から7時ごろが撮影時
間になるというわけだ。だから遠方の風景撮影は難しいのである。
そして本人が感動した風景をとることが一番、肝要だと。まったく、お説の
通りである。こうして考えると、近場でいいスポットを継続して撮ることしか
感動的な写真は撮れないことになる。あるいは長期間、その地で撮影に取り組
めれば別だが・・・。
● 撮影の旅、その後
桜と日本の原風景を追って
◎…京都・花背に行くことにした。テレビで京都左京区の北、奥山にある花
背(はなせ)の里を紹介していた。4月15日ごろ、「桜の開花はこれからだ」
と伝えた。
それで4月19日(月)のみ、この週で唯一、晴れのち曇りの予報であったの
で、朝の6時半に出かけた。花背にある左京区役所花背出張所で周辺の地理、
見所のスポットを教えてもらった。
食事は府立・山村都市「森の交流」の翠峰荘でそばを食べた。ここは一般で
も宿泊もできる。「いま採ってきたシイタケです」と、つい買ってしまう(1袋
200円)ほど、商売上手である。
この花背にある美山荘(みやまそう)は有名な料理旅館で立原正秋や白州
正子など多くの文化人から愛されたという。
この美山荘の奥に峰宝寺がある。ここの桜もなかなかのものである。
この周辺には里山、桜、民家など、撮影スポットには事欠かない。ここから
数年前、宿泊した地鶏料理の民宿「ダン林」のある久多(くた)に向かった。
現在、この民宿は寂れた感じだ。
ここから滋賀・朽木に出た。道の駅で「栃の実まんじゅう」を買った。この
あたりは安曇川沿いの桜並木が素晴らしく、山の木々の青葉が美しい。この
日はここで切り上げて帰路についた。
●赤身ミート感動体験
先に京都「やきにく南山」での第3回エコ牛の試食会に参加された山本美希
さん(アナウンサー)の「感動体験記」がNHKの「きょうの料理のかくし味」
に紹介されています。興味ある方はのぞいてください。http://www.kyounoryouri.jp/happy_table/kakushiaji/2010/03/y_100319_1.html
最後までお読みいただきありがとうございました。
●4月の日記2
印の区分け:●印:友人のメール、●印:私文、●印:お知らせ・その他で区別しています。
●近況報告
毎日、カレンダーと天気予報をにらみながら、日本の原風景や桜を追っている。われながらある種の病気のような
気分に陥りながら早朝から夕方まで多いときは日に数百枚から千五百枚のシャッターをきっている。
どうしてもいい写真が撮れないと、同じ場所に2回も3回も出かけて行く。こうなると完全に病気に近いのである。
世相雑感
◎政局の動きは吉本のドタバタ劇よりよほど面白い。ただ、一方でこの国はどうなるのか、とくに若い人たちにとっては不安感が
いつまでも付きまとうように思えるに違いない。
◎政治家の言うことは100%嘘だと言った人がいたが、そういう感覚で見ていれば腹も立たないように思う。鳩山首相の発言も
はじめは「本当かな?」と思いながらも、時間が経つにつれ変化してくる。
普天間の移設問題では3月中に政府案を決めると自信たっぷりに話していたのに、その時期がくると、
「別に法律で決められているわけでもない」と、素っ気なく答えるところなど、この人に「恥」とか「謝意」
という気持ちがあるのだろうかと疑いたくなる。
◎そういう民主党にうんざりしながらも、小沢の動きが気になる一方、自民党の離党騒動、新党結成が今後の政局に
どう影響するのか、混沌とした状況をつくりだしている。おそらく、世の中の人は半ばあきらめながら、何か大きな変化を
待ち望んでいるようにも思える。そしてとんでもない方向に進むようにも思えてくるのだが・・・。
新党について
◎大方の見方は冷ややかであるが、どうなるのかと興味津々といったところである。与謝野馨、平沼赳夫らは「たちあがれ日本」
という新党を立ち上げた。
報道資料を読んでもいくつか気になる項目はあるが、真の狙いがよくわからないし、新党のイメージ、大義にも新鮮さを感じない。
両氏は記者会見で「民主党政権による政治は、この国をだめにしてしまうのではないかと考えており、同志と力を合わせて真剣に頑張っていきたい」
と語った。平沼代表は、「夏の参議院選挙で民主党の単独過半数獲得を阻止し、与党を過半数割れに追い込む」とし、与謝野共同代表は
「民主党には政治に対する哲学や思想がなく、自民党には野党として戦う十分な気力がない。反民主、非自民として、国民のために戦っていきたい」
と述べている。
新党は1.打倒民主党、1.日本復活、1.政界再編の3つの使命を挙げ、政治の流れを変えるための「捨て石」になる決意だとしている。
「民主党政権による政治は、この国をだめにしてしまう」と言うが、日本をダメにしたのはかつての自民党ではないのか。
日本はこの10年1人当たりのGDPが3位から22位、GDPのシェア14.3%から8.9%、数学力1位から22位に下がった。
しかも格差社会が拡大、社会秩序の崩壊、無気力な若者や利己的人間の増大等々、自民党はもとより、与謝野馨、平沼赳夫らも
そうしたことを総括しない。
とくに与謝野氏は雑誌に思想、思いを発表しているが、自民党の中枢にいたのに、そのことへの反省が欠落している。
だいたい、二人が代表とか、共同代表だと言っているのは完全に一体になれないからであろう。両氏の考えは打倒民主以外では
共通していないように思う。
要は夏の参院選で民衆党に過半数をとられると、完全に干し上がってしまう心配があるからであろう。自民党にいては阻止できないと
飛び出したが、本人は先の選挙で敗れ比例で復活している。そんな政治家に「たちあがれ日本」という資格はない。新党の立ち上げで
同志の呼び水にしようとの思いがあるのだろうが、おそらく陸族と若手が入党してくるとは思われない。
◎与謝野 馨という男
与謝野馨について調べると、外交官の息子であったが、人生の苦労も体験している。またIT(情報技術)通としても知られ、写真愛好家、
囲碁7段と多才である。
与謝野らは「このままでは日本はどんどん落ちていく」という憂国の思いを前面に打ち出し、経済成長と財政再建、郵政改革など、掲げている
目標は自民党と大きな違いがない。そのためか、「自民党と分裂するのではなく、補間関係で無党派層、浮動票の受け皿になる」という。
だいたい、この人はリーダーにはなれない。総裁選に出ても支持を得られず、新党の顔である代表にもならない。思想、国家観もまるで違う
平沼赳夫(自主憲法の制定、天皇の元首など、戦前の軍国主義時代の亡霊のような考えを持つと言われる)と組んで、落下する日本を救いたいと
救国の士をにじませる発言をしている。
与謝野は『民主党が日本経済を破壊する』(文春新書)で民主党を強く批判している。だけど自民党の中枢部にいて「こんな日本に誰がした」
という面がほとんどなく、これからは「真実を語る」と言っているが、これまでは冗談だったのかと、その姿勢を疑いたい。
私からみると、与謝野は人生の最後の花道を自らの演出で創りたい思いで、そのためのツールに新党の結成を利用しているように思えてならない。
民主党も首をかしげたくなる面は少なくない。ではどうしたらいいのか、国民の多くのくは嘆いているふうを装いながら自己埋没を深めている。
◎平沼赳夫という男
書くのが苦手なのか、著書が見当たらない。郵政と選挙における行動によって、自民党から離党勧告処分が下った。
復党では誓約書にただ一人署名せず、他の11人の復党を先行させる傍ら自らの復党は見送る判断をしたことで、信念の人というイメージがある。
自主憲法制定をライフワークとしている。自主と現憲法の差異はどこにあって、現憲法の何が問題かを具体的に聞きたい。
新党立ち上げの中で「日本の 『伝統・文化・歴史』 を守り、 真の独立国家を目指すというきれいごとでは、抽象的過ぎて反論もできない。
「真の独立国家」の中身を提示してもらいたい。
●桜 撮影の旅その後
4月2日に再び京都府・和束のしだれ桜の撮影に出かけた。また、前回、信楽の入り口にある「黒田園」という蕎麦屋で聞いた信楽町・畑(はた・地名)
のしだれ桜の開花を見たくて行った。この桜は樹齢400年を越えるといわれるもので、落人の伝承とからまってこの地のシンボルとなっている
市指定の天然記念物である。
「開花は1週間後だね」
草むしりをしていたおばさんが教えてくれた。
「ぜひ、開花を見たいと思っていますが、どうなりますか・・・」と、寒い風の吹く中、早々に引き揚げた。
ところで「黒田園」という蕎麦屋は、信楽の入り口近くにある店だが、建物は福井から移築した民家である。
その日、つくった蕎麦がなくなれば、閉店だというだけに新鮮さを売り物にしている。ここの味を知っているのか、
この日の昼、店は満員であった。
ついでに、和束と信楽の間にある「竹の子」という山小屋風のレストランのコーヒはおすすめである。
丁寧につくる上に、店の女性の応対がいい。
和束に入る街道筋に海住山寺(かいじゅうせんじ)の看板が目に入った。国宝・五重塔の文字にひかれて行くことにした。
ここは小高い山の上にあるお寺で、すばらしい五重塔がある。この日の朝、訪れた人は2組、4人だけ。
この地は、奈良時代のはじめ、元明天皇が離宮を設けた所といわれた所で、寺からの展望も格別である。
ここで撮り終えたあと、信楽駅に向かった。
信楽鉄道沿いの桜のスポットを駅で聞くと、「鉄道線沿いに桜の名所はありません。ただ、雲井駅と次の
紫香薬宮跡駅には桜があります」と教えてくれた。桜と列車の写真を期待したが、残念であった。
●お城まつり
ここから大和郡山の大和郡山城ホールに向かった。それは午後6時半から中学生の吹奏楽部で活動している
姪から演奏会への誘いがきていたからである。それについては下記に載せているが、ホールに近づくにつれ
「お城まつり」のため大変な渋滞であった。
この土、日の休日、大和郡山城お城まつりが催され花見客で大変な人混みだった。会演まで時間があったので、
お城まつりを見に行くことにした。
ここの桜も堀や城壁の石垣、築100年ほど経つ元奈良図書館の建物とのコラボレーションなど見応えがあった。
夜のライトアップ、内堀にろうそくを浮かべる幻想桜灯など魅力的なイベントもあったが、今回はパスせざるを得なかった。
●又兵衛桜
4月6日は又兵衛桜。桜は観光地のものより、里山など日本の原風景の桜がいい。新しい発見、地元の人たち以外に
誰もまだ写していない、とっておきの桜を求めて彷徨っている。だけど、今回は又兵衛桜をどうしても見たくなった。
奈良県宇陀市の又兵衛桜は有名らしいが、私は初めてであった。一本桜の撮影を狙っていたので今回はこの樹齢300年の名木を選んだ。
どうしても朝夕の桜を撮りたくてこの近くの宿・椿寿荘(かつて県立有料老人休養ホームで、現在はNPO法人が運営する一般の宿泊施設、
素泊まり3,750円と格安料金だが、トイレ、バスなしである)を早くから予約した。
天候、開花状況は運を天に任せるしかなかった。天候は晴れであったが、4日の時点で問い合わせると、
「夜はマイナス2度、霜がおりますので寒くてたまりません。桜は満開ですが、この寒さで6日ぐらいまで持ちそうです」と、教えてくれた。
この宿屋から徒歩5分で又兵衛桜のところへ行けるのが魅力である。到着した昼下がり、夕方、食後のライトアップ、そして早朝の計4回、出かけた。
ただ、古木で素晴らしいしだれ桜であるが、なぜか感動はしなかった。あまりにも美しさを見せびらかしているように思えたのかもしれない。
この桜も見る角度によって違って見える。うしろに回ると化粧を落とした年老いた女性の顔を見るようで、なんとも悲しげであった。
この桜は一度でいい。椿寿荘からしだれ桜で有名な大野寺に行ってみた。こちらのしだれ桜は滝の流れるような美しさであるが、
多くの見物客でにぎわっていた。さらに奥の彼岸花で有名な仏隆寺にも足をのばした。ここの大きな一本桜はつぼみであった。
途中、道の駅「宇陀路大宇陀」の近くの森野旧薬園に群生しているカタクリの花を見に立ち寄った。カタクリ愛好家としては貧相な花に
がっかりした。ただ、葛の工場や庭園、周囲の町屋の風景はすばらしい。この工場製の吉野葛の葛切りが食べられる「葛の館」へ休憩に立ち寄った。
さすがにすばらしい葛切りに巡り合えた。
翌日、早朝に見る椿寿荘の前の池、桜と山に霧がかかる素晴らしい風景に巡り合えた。こちらの方が又兵衛桜よりよっぽどいいのである。
近くの万葉公園のかぎろひの丘に寄って、冬のある気象条件がつくる万葉のロマンを彷彿とさせる朝焼けが見られるスポットを確認した。
このあと、大宇陀の始まりといわれる兎多野(うたの)地区にある水分神社に向かった。ここの街道筋は往時の雰囲気が残っており、
写真を撮っていると、家に招き入れ、結婚式で赤飯を入れる「外居(ほいや)」という立派な漆の箱を見せてくれた。
家に伝わる貴重な品だそうだ。
公民館では手作りのガイドマップをくれた。「草餅でも食べて一服してください」と、地区の住民が持ち寄ったひな人形などの飾りを
説明してくれる。
「鳥居の向こう芳野川に鯉のぼりがかかっています。写真スポットですよ」と教えてくれる。そこには両岸からつるしたたくさんの鯉が
風に舞っていた。
おばさんが近づいてきて「次の土、日は桜祭りです。お芋をいれた黄粉モチ、素朴でおいしいですから食べにきてください」と、
声をかけられる。都会の祭りでは失った人と人の会話があった。
ここから岩端(いわはし)というところを目指した。途中にあった鯉のぼり、桜、子どものコラボレーションは、
今回、唯一の作品になった。子どものお母さんの了解もとったので、応募作品に仕上げる予定である。
岩端ではさらに大きな規模の鯉と桜並木に出くわした。ここに農村食堂の看板が目に入ったので、表に出ていた
おばさんに聞くと、「一般の人も食べられる」ということなので、昼食をとった。うどん一杯400円だったが、実においしい。
草餅100円を炭火で焼いてくれる。
「近所のおばさん8人が祭りの期間、開いています。ここは宣伝もしません。近所の人たちが自分たちで楽しみにやっています」という。
この食堂は簡素な作業机一つがあるだけの公民館で、数人が入れば満員になるが、地区の人たちは温かく迎え入れてくれる。
ここ岩端の桜がこのシーズンで訪れた中では最高のスポットだった。
「この奥にずっと進むと、スイセンが群生しているところがあります。当番でなかったら案内してあげたいですが、
家が見えなくなってもずっと、奥へ進んでください」と、本当に感激の出会いだった。
●桜 撮影の旅はまだまだ続く
4月9日から10日にかけて、天気予報で晴れを確認して出かけた。滋賀県畜産技術振興センターの所長から
「桜が8部咲きになりました。機会があれば見に来てください」と、写真のお礼メールが入っていたからだ。
畜産センターのポニーと桜の牧歌的な風景を撮りたくて再度、出かける気になった。
途中、和束のしだれ桜、川沿いの桜並木を撮りながら、前回はつぼみだった信楽の畑のしだれ桜を見に行った。
今回は見事に開花していたが、感動は少ない。
途中で茅葺の家数軒が目に入った。そこは自然農法に取り組んでいるところで、自由に見学ができる。
また近くには三筋滝がある癒しの場所もある。
この日の天気予報は午前中、晴れであったが、実際は曇り空だった。平日の畜産センターは人出も少なかった。
ポニーと桜は思う存分、撮影できたが、光がないため、いい作品はできずに終わった。
このあと夕日の牧場を想像したが、まったく写真にならず、あきらめて明日、予定している近江八幡の水郷めぐりの桜の
下調べに行った。すでに観光船は終わっていて、いいスポットを見つけることができずに終わった。
あきらめて日野のビジネスホテルに逗留。
翌日、予報では曇りだったが、朝から快晴である。このところ天気には泣かされていたので、うれしい誤報だった。
まず、畜産センターまで、里山の風景を撮りながら出かけた。
大きなカメラで写真を撮っていると、農家の人が話しかけてくることも多い。
「11年前に妻を亡くしてから、実にさみしい毎日です。ツアーにも行きません。“お父ちゃん”と声をかける夫婦を見ていると、
耐えられなくなるのです」
こんな話もよそ者だから話すのだろうが、高齢者社会のわびしい一面を見る思いである。
それにしても日野の田園風景はどこも写真になる。開園の9時になったので、畜産センターに行った。
桜、太陽、草を食べるポニーの親子3頭がキーワードである。動きが単調なのが物足りないが、動物園よりははるかにいい。
ここは入園無料だし、動物とのふれあいもできるので、子ども連れの家族には健康的で楽しめる穴場だと思う。これから各県の
畜産センターも計画にいれることにした。朝の畜産センターは園内管理の業者10人ほどだけで、一般客はまだほとんどいない。
2時間ほど撮って、日野の綿向山(1110m)へ出かけた。ずんぐりした山で、この日、登山客はほとんど見なかった。
途中にある農業公園ブルーメの丘(ドイツ)に寄った。このころから太陽が昇り初夏の風を運んでいた。
園内には入らずに、周囲で撮った。澄み切った青空は美しい風景をつくっていた。近くに国民宿舎「かもしか荘」があるので、
昼食に立ち寄った。この日は団体客でいっぱいだから、一般客はレストランに入れない。
「かもしか荘というぐらいだから、このあたりはかもしかが多いのですか」と聞くと、「山の上にはおるのでしょうが、
めったに見ません」という。先に日本かもしかを撮っていたので、確かめたかったのである。
かもしか荘をあとに、甲賀の道の駅「土山」に行く途中で、桜まつりののぼりが見え、マイカーが集まっている。
聞くと、ここは鮎河という地区である。駐車できるので、ここで名物の手打ちそば(発砲スチロールのお椀のかけそばが500円)
をにわか作りのテントの張った下で食べた。
「これが500円とは高いな」
それを耳にした先客が「ここの蕎麦はわざわざ関西から食べに来るほどおいしいのです。この蕎麦を本店「玄鹿(げんろく)」
で食べると倍の値段はします」と教えてくれた。鮎河に一軒しかないそうだ。地元で採れたそば粉を使ったこしのある少々、硬い蕎麦だった。
ここのさくら祭りもいい。「年に1度、この祭りの時期だけ賑うだけです」と地元の青年は笑う。
帰路の途中で畑のしだれ桜を確認して、今回の撮影を終えた。
これからもしばらく日本の原風景を追う旅を続ける予定。
●友人からのメール
風邪対策への助言
前回のHP更新時に風邪でダウンしましたと書いたところ、ある友人から風邪の予防についてご教示賜った。皆さんにもお知したい。
友人のメール
実は小生も扁桃腺持ちでノドが弱く、必ず年に1~2回熱が出て1~2日間寝込んでおりました。ところが、
あることを実行しだしてから、この2年程は風邪をひかなくなりました。それは口腔洗浄です。
口腔ケアを徹底しているある老人ホームで風邪をひく人が殆どいないというTV番組を見ました。
そのホームでは、朝晩老人の歯磨きを徹底し、なお且つノドの奥から舌苔まで歯ブラシで洗浄しておりました。
その理由ですが、詳しくは忘れましたが、ノドの奥には元々風邪ウイルスを
撃退する善玉細菌がいるのですが、口内で繁殖するある種の悪玉細菌がその善玉細菌を弱めるか死滅させる、ということだったと思います。
従って、口内を清潔にしておれば善玉菌は健在で、風邪ウイルスが進入してきても撃退してくれるわけです。
その番組を見てから以降、小生、朝夕の歯磨き時は歯だけでなく、ノドの
上部と舌の上を歯ブラシで軽く擦り取るようにしながら口全体を洗浄しております。特に効果が実感できるのは、
ノドが「少し怪しい」と感じた初期の段階です。
以前ならそのまま扁桃腺がやられ、発熱してしまっていたのですが、上記の洗浄とうがいをやりますと、
アッという間に治っています。もっとも、口腔ケアが100%効を奏しているのか、ストレス・フリーの年金暮らしの
お陰なのかわかりませんが・・・。ノドの具合から判断して、口腔ケアのお陰であると確信しております。
●私の返事メール
助言、ありがとうございます。
舌の洗浄は一度、試みます。この話を女房にしましたら、「私は前からやっていました」と言います。
新聞に出ていたそうで、効果があるようですね。
私は退職後、三度の食事のあとは、歯磨きの励行、夜にはサンスターの歯周病対策の「GUM」で洗浄するなど、
口腔洗浄には気をつけていました。ただ、舌を洗浄するところまではしていませんでした。これからはやってみようと思っています。
私が風邪をひくときは油断しているからだと思っています。
たとえば、冬に昼風呂に入って夕方、寒い中をお好み焼き店(1週間に1回ほど出かけます)を食べに、
30分ほど徒歩で行った翌日などは、てきめんです。
退職後、毎日、家で同じメニューの食事では食欲がわきません。それまで家での食事は朝食のみでしたからなおさらです。
このため、時々、外食に出かける癖がついています。
そして気が緩んだときに、風邪をひきますので自業自得ではあります。いつも反省しきりです。
●再び、友人からのメール
口腔ケア、やっておられましたか。小生、舌は歯ブラシで出来るだけ奥のほうから撫でております。
口臭予防にも効果があります。
風邪の原因として、確かに「油断」がありますね。小生も身に覚えがあります。20数年前、枚方に住んでおりました時、
近所のかかりつけの内科医から「体がゾクゾクっとするようなことはしないでほしい」とぶっきらぼうに言われたことを記憶しております。
注意しているのですが、ついやっちゃいます。
●地デジタル化
再び、地デジタル化についてNHK,及び総務省の地デジタル化の技術者に聞きました。結論的には2本のUアンテナをつければ、
受信可能だとわかりました。費用の概要も教えてくれました。
そこでこの情報をもとに付き合いのある近くの電気店に相談しました。
「とにかく、1回、調べましょう」ということになりました。アンテナのレベルをリモコンによって確認、すると、
テレビ朝日のみ30と低い状態でした。40以上あれば、まずまず映るそうです。
拙宅のアンテナはUとU+Vの2本が設置されているので、2本のUアンテナの条件は満たしているのに、
1局だけ電波が弱いのです。そこでさらに新しいタイプのU+Vアンテナを追加しましたら、やっとレベルが40を超えました。
だいたい、Dテレビが映っているところは、何の問題もないし、ケーブルテレビで見ていると、この問題は起こりません。
しかも高齢者の方はNHKさえ映ればいいというところも多いようで、こんなことで悩んでいる自分が変わり者に思えてなりません。
ただ、こんなことに細かい作業をしながら調整してくれるので、近くの電気店との付き合いは必要だと考えています。
使い古しの長い蛍光灯球も気持ち良く無料で持ち帰ってくれます。
店の若い工事担当者が「これを機にすべてのアンテナを買換えられた方がいいですよ。いつ、台風などで倒れてもおかしくないです」と、
アンテナの総入れ替えをすすめました。
「我が家の財務省の許可がでませんので、先にのばします」
●ブルーレイ
今回はアンテナの追加で映ったので、総入れ替えは次回にすると伝え、「ブルーレイを買います」と、
かねてから欲しいと思っていたので、売上に協力する意思を示そうと、注文してしまいました。
数日後、届きました。この操作も慣れるまで多少、面倒ですが、録画、予約などの整理には大変、
便利で映像も美しくしばらくテレビお宅になりそうです。
●音楽
音楽にはほとんど関心がない私ですが、時々、感動することがあります。
今回もそうです。NHKラジオ朝一番で流れた土居裕子の「村の娘」を聴きながら目覚めました。
あまりにも美しい声だったので、さっそくCDを探しました。
インターネットで調べると、1958年生まれ、東京芸大声楽科卒の女優、声優とありました。
この人の抒情歌は定評があるようですが、恥ずかしながら知りませんでした。
彼女のオフィシャルブログがあります。ただ、インターネットで探す限り、彼女のCD在庫品がありません。
近くの図書館で借りたCD『世界の愛唱歌』に「ロンドンデリーの歌」「ローレライ」「村の娘」「エーデルワイス」、
『抒情歌』に「時計台の鐘」「春の歌」がありました。
ソプラノ歌手は多いですが、彼女の声、とくに高い声がまろやかに伸びる透明感のある声で、聴いていて心地いいです。
どうしても高齢になりますと、キンキンした高い声は耐え難いところがあります。
●春のコンサート
音楽に関連して中学3年生の姪から吹奏楽部の合同コンサートの案内が届きました。大和郡山城ホールに出かけました。
地方のホールも立派な建物でたいしたものです。こういう環境で発表会ができることはすばらしいですね。
我が家系で楽器を演奏できる者がほとんどいないだけに、金管楽器の中では大型のチェーバーを演奏できるというのは
稀有な存在だと感心しています。聞くところによれば、吹奏楽部は半分、体育会系のところがあって、
練習も走りなど運動を多く取り入れているそうです。
今回は中学校2校の合同演奏会でしたが、結構、聞かせてくれました。恐らく指導の先生によるのでしょうが、
かなり高いレベルに感じました。また3部構成でクラッシックだけでなく、ジャズやマイケルジャクソンなど、
若者向けの曲も加え、2時間半の演奏が盛況のうちに終わりました。
これを見て「今時の中学生はしっかりしているし、一つのことに熱中していると毎日が厳しい練習に時間がとられ、
悪の道に踏み外すこともないですね。勉強がおろそかになると(母親は)心配していますが、詰め込みの勉強よりはるかに素晴らしい勉強です」
と姪の母親と話しました。
●第4回試食会のご案内
第4回試食会のご案内です。場所は琵琶湖ホテル、5月22日(土)1200~1500です。
今回は短角和牛レッドミートのスネ、バラ、モモなど各部位の特徴を生かしたスープ、煮込み、
ローストビーフのオンパレード・コースがホテルの料理陣により検討されています。今回はホテルのご厚意で
宴会場を使いますので人数上限はありません。
一つ、ビッグ ニュースです。滋賀にも遂に短角和牛が数頭やって来ました。まだ放牧地が決まっていないようですが、
一歩、一歩、放牧畜産による田園ルネサンスに向けての都市と農村の協力の絵姿が浮かびあがって来ているようです。
●写真展のご案内
5月20日(木)~26日(水)AM10:00-PM5:00、富士フォトギャラリー大阪(地下鉄御堂筋本町2番出口)で
朝日フォト2007支部写真展が開かれます。これには同写真倶楽部所属の女房が出展しています。
ご興味があれば覗いて見てください。倶楽部設立して3年目で第1回写真展ですが、身近な人のレベルが確認できると思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
◎風邪治療
3月8日に喉を痛め、風邪の症状を覚えました。医者にかからずに、喉あめ「ヴィックス」と生薬を配合した
感冒薬「改源」の助けをかりて回復につとめました。
毎年、この時期に風邪にかかりますが、いつも医者の診断を受け、飲み薬とうがい薬をもらって治してきました。
今年は回復に10日以上もかかり、その後もしばらくすっきりしない状態でした。
1.撮影の旅
◎月ヶ瀬再び
3月20日、約1カ月ぶりに再び柳生村を経て月ヶ瀬に出かけました。月ヶ瀬では月ヶ瀬温泉の駐車場(無料、ロマンピアは有料)
から眼下に名張川と梅渓谷を見渡せる小路を歩きました。
梅花はしだれ梅を除いて、ほぼ終わりの時期でした。小路に沿って茶屋、食事処が並んでいますが、その最上位置にある店で食べた
親子丼(700円)は格別においしかったですね。
店の主人は4代目で「今年は雨の日が多く、さっぱりダメでした」と話していました。月ヶ瀬の梅は樹齢600年のものもあるほど、
歴史がありますが、名勝指定になったのは大正11年で、「紅梅は戦後です」と主人の話。
◎懐かしの堺
月ヶ瀬の翌日、枚岡公園の桜の開花を確かめるために公園から桜の広場まで歩きました。まだ2分咲きでした。
(4月2日現在、満開ですが、寒さがぶり返し満開まで時間がかかりました)
天気予報を見つめながら3月22日の祝日(月曜日)、堺に出かけました。40年ほど前、勤務した土地ですので多少、
知識はありましたが、街の様子はずいぶん変わったという印象です。
堺はまず、大仙公園と道路を隔てて隣接する世界最大の墳墓・仁徳天皇陵、そして公園の中のしだれ桜をながめ、
日本庭園で抹茶を飲み、公園の近くの自転車博物館を訪ねました。
鉄砲鍛冶の技術から発達した堺の自転車産業は日本の半分のシェアを誇っています。打ち刃物もそうです。
実は刃物産業博物館で実演風景の撮影をしたいのが狙いでしたが、実演は日曜日のみでしたので、あきらめました。
堺は江戸時代、貿易港として黄金の時代を迎え明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。
当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。
日本最古の木造洋式灯台です。ここは大浜公園に駐車して徒歩10分ほどで行けます。撮影スポットの一つです。
午後からハーベストの丘を訪れました。自然いっぱいの広大な敷地に、小動物とのふれあいを売り物にしています。
このため若い子連れの夫婦が多く、孫を連れてくる老人たちはほとんど見ませんでした。
◎近つ飛鳥風土記の丘(ちかつあすか)
大阪にもまだまだ知らない魅力的なスポットがあると、改めて思ったのが近つ飛鳥風土記の丘もその一つです。
「近つ」は、「古事記」に記載されており、難波の津から見て明日香村飛鳥は「遠つ飛鳥」に対して、ここ太子町は
「近つ飛鳥」というところから名付けられたと言います。
太子町には聖徳太子墓古墳などがある、太子ゆかりの土地で王陵の谷と呼ばれるほど、群集墳が多い場所です。
丘に登ると、あちこちに死者を埋葬した石室が見られます。
ここは梅花のスポットでもありますが、桜も見られます。また安藤忠雄氏の設計による近つ飛鳥博物館があります。
初めて訪れましたが、一見に値します。
◎大阪芸術大学
博物館近くで昼食の場所をカーナビで調べると、大阪芸術大学構内の食堂が出てきました。一般にもオープンしていると考え、
行ってみました。校門前の守衛に「食堂で食事したい」と告げますと、職員用の駐車場を案内され、学生食堂で食券を買って
食べることができました。春休みで学生は少なかったですが、工事関係者、高校運動部の選手団体なども来ていました。
食堂は簡素で小奇麗な明るい印象です。そして何よりも安い(食べたハヤシライスが350円、コーヒ100円)上に、味もまずまずでした。
この大学は昭和20年の平野英学塾の創設からスタートしているそうです。最近はどこの大学も学食をオープンにしていると聞きますので、
食事の穴場のような気がします。
◎弘川寺
大学を出て次に向かったのは、葛城山の麓、河内国南葛城河南町の弘川寺です。
武士から出家した歌人・僧侶の西行法師が終えんの地として選んだ寺として知られています。薬師如来像を本尊として、
天武朝期に勅願寺となり行基や空海もここで修行したと伝えられています。
似雲法師は、西行の墓をこの寺に探し求め、当山に庵を結んで、西行堂を建立、自らもここに没しました。その間、桜を植樹、
西行桜と呼ばれるほど桜の名所になっています。西行も吉野の桜を愛しましたが、ここ弘川寺の桜は自然林に植樹されていますので、
吉野とは違った趣があります。
弘川寺には、樹齢350年余の海棠(バラ科の一種:府指定の天然記念物)があります。
”願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ”
西行は自ら詠んだ歌のとおり、(現在の河南町)弘川寺で入滅しました。
◎観心寺
次に予定していたのは光滝寺でしたが、クルマで1時間もかかるので、30分で行ける観心寺に向かいました。
この寺は大阪・奈良・和歌山の三県の境に位置し、西暦701年に修験道の開祖・役行者によって開創され、
後に弘法大師空海が真言宗の道場とした寺院です。また関西花の寺二十五カ所霊場として春の梅(山門をくぐった
境内左の梅木すべて250年経っていますと受付のおばさんが教えてくれました)、秋の紅葉が有名です。
2.さらに撮影の旅
滋賀畜産技術センター
滋賀へは京都府・和束を経て信楽のルートを通って、途中、日本の原風景をカメラに収めました。とくに和束のしだれ桜は
すばらしく、再度、挑戦したい思いです。
今回は以前、エコ牛の試食会で知り合った滋賀畜産技術センターの所長らを訪ねました。「舞妓の写真(入選作品)を
センターに飾りたい」と頼まれ、桜の時期に来られませんかと声を掛けられていました。
そこで3月30日~31日の天気予報で晴れを確認したので近江商人を輩出したことで知られる日野にある滋賀畜産技術センターを
訪ねました。
無事、写真を届けました。しばらく歓談したあと、次長がセンター内の交流の広場として開放している、羊、ヤギ、ポニー、
アイガモ、七面鳥、鳥骨鶏、ウサギなどの説明をしていただきました。
「この羊の子、昨晩生まれました」と、よちよち歩きの羊を子供に抱っこさせてあげていました。
「この日本カモシカ、子どものときに弱っているところを見つけられ、こちらで預かりました。私が牛乳を与えながら家で育て、
いまはこちらで元気に過ごしています。今年、11歳になります」と、記録の写真集を見せながら説明してくれました。
ここの桜をはじめ滋賀は桜の開花が1週間は遅れているように思いました。モクレンもこれからの開花です。
このあと、近江商人を輩出した日野の街を散策、その日はビジネスホテルに逗留しました。
翌日は対岸の高島の針江生水の郷に向かいました。これは水100選に選ばれた地区です。ガイド付きの案内を求めていますが、
その場合は家で実際に水を使っているところを見せてくれます。若い人はほとんど水道に頼っているようですが、水路に鯉の放流や
梅花藻で清流維持に街ぐるみで取り組んでいます。
この後、新旭川の風車村、今津を経て、海津大崎、奥びわ湖パークハイウエイに行きました。
ここで絶滅危惧種の日本カモシカに出くわしました。ばっちり写真に収めることができました。
滋賀の桜は再挑戦したい思いで帰宅しました。
●京セラ元社長(現・相談役)の伊藤謙介氏を囲む会
『リーダーの魂』(文源庫)
友人から「今度、伊藤さんが2冊目の本を出されましたが、いわゆる出版パーティは嫌だと言われたので、
場末のお好み焼き店(京都)で知り合いの仲間と集まってやりたいと思っています。ついては岡田さんも参加されませんか」と
声をかけられました。
友人の彼とは長い付き合いで京セラの稲盛さんのインタビュービデオ撮りなどや、現役のころから取材もしていたので、
多少、京セラのことは知っていました。だから声をかけてくれたと思いましたが、稲盛さんのあとの社長に就いた
伊藤謙介氏についてはお会いしたこともなく、まったく知りませんでした。
せっかくの誘いですので、参加の意向を伝え、さっそく伊藤さんの著書『リーダーの魂』を買って読みました。まず、伊藤さん
という人物について驚きました。この人は元々、文学志望で、詩や美術についても造詣が深く、私など足元にも及ばない筆力を
持っておられることを知りました。
だけど大学夜間を中途退学して稲盛さんとともに命がけで事業展開に尽くしていくため、相談役となって第一線を引くまで
若いころの夢、志望を封印してきたそうです。だから2年前に最初の本『心に吹く風』を推薦した稲盛さんも、その感性、
筆力に驚嘆されていたほどで、周囲の人たちも含めて誰も伊藤さんの隠れた面を知ることがなかったようです。
著書の書名に「魂」を使われるのはよほど自信がないとできないと思いながら読みました。そして伊藤さんは経営については
稲盛精神の語り部だということがわかりました。
また故郷が生んだ師・山田方谷という人物をこの著書で教えられました。その教えの一つに「我が心にいやなれば、
人にもさせず、我が心に好めば、人にも及ぼす」という教えを紹介しています。この教えを踏まえて、今のピラミット型社会組織を
逆にして、リーダーこそ一番、苦労すべきだと主張されています。
そして魂を高め、燃やし続けるリーダーに闘争心の保持が大事で、そのためにボクサーの闘争心に学ぶべきだとしています。
若い役員をつれてジムに行くこともあるほど、ボクシングについても詳しいことにも驚きました。
この本では人間の情念や本性について深く洞察されながら描かれていますが、
経営の現場や修羅場でのリアルな話がほとんどないのが物足りなさは感じます。
カリスマ的経営者のもとでは、仕方がないかもしれません。いつの日か、その封印も
解かれることを期待したいと思いながら集いでの話に耳を傾けました。
●「新・企業考」の連載
以前、巻頭言を担当した『商工会』(全国商工会連合会発行)に4月号(3月末発行)から企業論を長期連載します。
カット写真も提供します。
これは40数年間の体験的企業論で、いわゆる理論立てた内容でなく、言わば生の実感した企業、経営のありよう、
実態を集大成しようと試みたものです。どこまで思い通りにまとめられるか、浅学非才な私には自信はありませんが、
全力投球していきます。
お近くの商工会(全国に2,076の商工会があります)に行けば見られると思いますので、機会があればご覧ください。
詳細は全国商工会連合会のHPで検索されると、わかります。http://www.shokokai.or.jp/
●コラム「大阪と映画」
また雑誌『大阪春秋』の第138号(4月発行)にコラム「大阪と映画」を掲載しています。
この雑誌の歴史は古く、大阪にまつわる事柄、歴史的事象について専門家をはじめ市井の人たちが
執筆しているユニークな雑誌です。詳細は下記のHPでご覧ください。
http://www.shimpu.co.jp/osakashunju/index.html
●友人のメールから
現在の政局に対するアンケート
「前回の仲間の会合で世論調査をしました(3/15)」ということで、その結果を送ってくれました。
私は出席しておりませんが、おそらくこれが平均的な日本人(知識人)の思いを表しているように思います。
・現内閣を支持する。 57%
・鳩山のママからの小遣い、鳩山を信じる。 14%
・鳩山は総理を辞めなくとも良い。 57%
・小沢は幹事長を辞めるべき。 71%
・小沢事件はメディアが検察に乗せられた。 43%
・子供手当てはバラマキだ。 100%
・自民党は立ち直れない。
86%
・次の選挙で政界再編が起こる。 100%
・参院選は民主が過半数取れる。 57%
・年金は自分が死ぬまでもらえる。 86%
●「そこまで言うか! たけしJAPN2」
テレビなどで感じますことは、日本人の多くが、やれ普天間問題、郵政問題等々、にわか軍事専門家、
金融専門家気取りで話していることです。真の情報が少な過ぎるようにも思います。
オール無責任時代でまさに混とんとしているように見えますが、長い歴史的時間で見ますと、そう大きく変わっていないものです。
テレビで「そこまで言うか! たけしJAPN2」を見られた方も多いのではないかと思います。ビートたけしが司会役になって、
日本とそれぞれのテーマでフランス、スエ―デン、中国チームと議論して、世界中の日本滞在者が参加して激論する内容です。
フランスとは「少子化の解決策」です。フランスでは、結婚しないで子供をつくっても、既婚者と同じ社会的制度が適用されている
ということでありました。日本人の多くは「家庭や家族がなくなる」ということであきれていましたが、「いまどき結婚しないと子供が
つくれない日本人は時代遅れです」と、笑われていました。また日本の男性は結婚しても浮気をするし、家庭内での愛情も薄く家庭内別居も多く、
仮面夫婦だと手厳しい指摘を受けていました。
これに対して発展途上国や韓国からは「家族が崩壊している」と反論が出されました。日本人の反論の声が小さかったですね。
スエ―デンとは「高福祉、高負担で幸福度世界第7位」について、激論しました。アメリカ人や反対する人からは「競争心が喪失する」
「人生をエンジョーイできない」などの意見が出ていました。
幸福度についてはモノカルチャーを脱し、違った尺度で測る動きがありますが、発展度、成熟度によって、また個々人にとって違うようです。
アメリカ人は個人主義の名のもとに隣の人が苦しんでいようが、知らない顔する勝手な民族ですと、矛先はアメリカ人にも向かっていました。
また、韓国人からは「中国は何でも独り占めしようとする。チベットも自分の国に入れてしまう恐ろしい国だ」と、あからさまに批判していました。
日本人は溜飲の下がる思いで聞いているように思いました。
中国人チームとは「中国マネーを使えない日本」ということで話し合われました。今では外貨準備高が世界一の中国が投資する先は
日本が最下位だそうです。「日本には封建時代のような障壁がある」というのが、中国人の主張でした。
立場も仕事の内容もわからないまま、聞かされましたが、「これだけの人々と自由に議論できる国は世界でも日本ぐらいしかありません」
という日本人チームの方のコメントが救いでした。ただ、一見、無定見な番組のようにも見えますが、本質的なものも垣間見られたように思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【「清風は威厳があり真面目そうな男性で、彼の釉薬の問題を長時間かけて地道にとりかかってきた、
そして彼は注意深く形成された器形を覆う青磁、皇帝の黄色、珊瑚の赤、そして茄子の紫と
いう素晴らしい結果に到達した」(前崎氏の研究発表から引用)】
3月18日の日記
●雑感あれこれ
友人からもメールで指摘されましたが、3月に入って結構、公私ともに忙しくしています。3回目のお水とりで
ついに風邪でダウン、体調を崩しました。お水とりの撮影は午後7時から始まりますが、場所の確保のため2~3時間
前から底冷えのするところでじっとがまんして待たなければなりません。昼間、温かかったので、薄着のまま夜、待機
したため風邪をひき、こじらせてしまいました。
「齢を考えなさい」と、女房からも口酸っぱくののしられていますが、じっと寝て治せないので、パソコンとテレビで
無為な時間を消費しています。
政界も自民党内があわただしい動きを見せています。やはり野に下ればバラバラになると言われていましたが、今回の
鳩山邦夫の離党や、与謝野、舛添らの執行部批判を見ていてつくづく権力無き無残さを思います。
鳩山邦夫の離党は早くもフライングだという指摘もありますが、与謝野、舛添らは先の代表選には出ずして、いまごろ
執行部批判するのも人間性を疑いたくなります。自分がトップになりたいなら、火中のクリを拾って挑まないとトップの
資質はありません。
舛添の狙いは都知事選にある(評論家の青山)というのは、本当ですかね。
最近、河村・名古屋市長のすごさに敬服しています。とくに地方議員のひどさを明るみに出したことに期待をしています。
●3代清風與平の研究発表
先日、愛知県陶磁資料会館で「明治の京都―海外への視点」をテーマにシンポジウムが開かれ、知人の前崎信也氏
(立命館大学グローバル・イノベーション研究機構PD)が「近代と山城京都焼―三代清風與平の活動を中心に」のテーマで研究発表をされました。
以前、前崎氏がロンドン大学で清風與平について情報収集、研究されていたときに、小生のHPに清風與平が遠縁
(私の実父・岡田誠三が與平の孫)にあたると書いていたところから、わざわざ拙宅を訪ねられ、情報提供したことがありました。
それ以来、この日を楽しみに名古屋に出かけ、大変な労作を拝聴することができました。
清風與平は播磨国の大塩(現在の姫路市)の岡田家に生まれ、幼少の頃は画家を志して大阪の田能村直入に師事。日本画、南画を学び、
後に京都の二代清風與平の弟子となり陶芸に転向、二代の妹と結婚して清風家(新開家)の婿養子となり、
二代が没したのを伴い三代與平を襲名しました。
陶磁器業界も幕末から明治維新後は体制や文化の変化に伴って茶陶の需要が激減し、大きく変わろうとした時代でした。
日本は貿易立国の一環として陶磁器の輸出に力を入れました。万国博覧会などを通じてジャポニズム(日本美術がフランスを
中心にヨーロッパの作家たちに影響を与えた)の潮流が起こり、研究されました。
そうした時代背景の中で清風與平は京都(京焼)で活躍しました。今までの作域にはなかった青磁、白磁の透かし彫りや
「釉下彩」技法を用いた近代陶芸を展開し、優雅で繊細なフォルムと色彩美を表現したと高い評価を受けたと言われました。
1893年には陶工として初の帝室技芸員(現在の人間国宝)に選ばれ95年には緑綬褒章を受章しました。
このように当時、三代與平は高く評価され、「彼は開発した技術を秘伝とせず、同業者に公開しました」(前崎氏)、
また京都市立陶磁器試験場の設立当時の設立委員にもなり公的な貢献にも尽力したそうです。
ところがその後、京焼の主流からはずれ、いつしか忘れられた存在になりました。今回、前崎氏は「明治時代が日本陶磁器史上
に果たした真の役割を明らかにするためには、ジャポニズムや万国博覧会といった視点から一旦離れ、その他の視点から再検討を
行う必要性がある」として研究、発表されました。
当時、輸出陶磁器として脚光を浴びたのは清朝(中国)磁器でありましたが、與平はそれらと一線を画したため、当時の評価に
反して、これまでそれほど注目を集めなかったそうです。
與平が京焼の主流から外れたのは「技法の公開までしたが、同業者のレベルがそれに追いつかなかった」と指摘されました。
私は陶磁器のことはまったくの素人ですが、血族の末端から岡田家の異端性を與平にも見る思いです。話はそれますがその源流は
大塩平八郎の血筋に思い当たるように感じることがあります。
大塩平八郎は維新前、大阪の与力(いまの警察官僚の末端)の出身でありながら農民と組んで大塩の乱を起こしました。言わば、
反権力闘争であったわけですが、彼は非常に潔癖な人物で繊細な気質があり、時代の異端児でした。
この大塩平八郎の研究に人生の後半、没頭しましたのが、祖父の岡田播陽(與平の長女・玉と結婚)でした。この岡田播陽も
丁稚奉公から呉服屋を興し財をなし、最後は大塩平八郎の研究をしながら店の崩壊とともに没しました。当時、彼を知る人は
町人学者と評価する一方、裏では奇人、狂人呼ばわりしていました。完全な異端児でした。
その岡田播陽を『自分人間』(中央公論)で執筆した父・岡田誠三(直木賞作家)は、與平についても触れており、前崎氏も
参考文献に加え、「盲縞の紺のツムギの着物からのぞくエリもとの白さが晩年まで清潔な印象を与えた。與平は、作品が仕上がる
全工程に毛筋ほどもホコリがはいらないようにたえず神経を配った」と引用しながら與平の人物像をとらえています。
その父・岡田誠三も神経質なほどのきれい好きで、組織社会では異端児でした。今回、與平についての研究発表を聞きながら
そんなことを思いました。ただ、「個性を発揮すればするほど、人は異端性を出さざるをえないのかもしれない」との思いもあります。
いずれにしてもこれを機に維新後の日本の陶磁器の世界を勉強したいと思います。
●最近のメールから
●1.友人の旅たより
岡田 様
JTBのツアーで3月1日から北海道へ行ってきました。
網走の流氷観光船おーろら号に乗って流氷とオオワシ、
オジロワシ、アザラシを観に。
レンズも300mmにテレコを着けて準備万端でしたが流氷
は2月からの南風に押し流され結局、当日は北風で戻るこ
となく観れませんでした。
流氷サイトで北海道へ行く前から2月の暖冬で沖へ流さ
れているのを知ってましたので仕方が無いと思いました。
おーろら号のクルーの話ですと流氷の予測は困難だと。特に今年は近づいては去り、一時の南風で沖へ行ってしまったと。
今年は昨年以前のデータが全く当てになりませんでした。
天気予報士はやけくそになり30年ぶりの異変だと言っています。
バスガイドが説明していました。昨年夏の梅雨みたいな雨と今年の冬の寒暖の激しさは今まで経験した事が無いと。
それで思い出しました、昨年の夏の北海道旅行を。飛
行機、旅館の特別料金を取られた挙句に二日に一日は
雨でさっぱりだった不愉快さを。
鶴居村は10時ごろだったので鶴は僅かしか居ませんでした。鶴が目的ならツアーは駄目ですね。
夜の氷瀑まつりに参加しました。吹雪、渦巻く吹雪。
肌の露出部に雪が当たると痛いので、風に後向きで歩いたので肝心のライトアップは中途半端でした。
イベントでここで結婚式を挙げていた人たちにはご苦労さんでしたと。
黒子が新婦のドレスが舞い上がらないように抑えていました。新婦のブーケ投げは反対の方へ飛んでしまった。
花火が吹雪で歪むような状態でした。
面白かったと言うか-10度の風有りを体験して-20度はあると感じ、こんな寒さの中でもイベントを行うのか
と吃驚でした。
北海道のバス移動は圧巻です。何処までも続く雪原、斜面から落ちそうな積雪、樹氷の白樺と地の雪と青空、風が吹く
とダイヤモンドダストまがいのキラキラ等素晴らしい光景でした。
●2.続・外国人参政権について
岡田さんへ
相変わらず忙しいスケジュールやね。何か憑かれているのではと感じるほどです。
「メール拝受しました。忙しいと言っても、所詮は遊びが多少、増えていることは確かですね。
写真は題材が面白いと、のめりこんでしまうところがあります。
仕事の方も結構、忙しくしていますので、現役のころと同じような時間の消化状態になっています。酒量だけは大幅に減りました。
また、一献、傾けましょう。」
本題について
さて小鳩政治の行き詰まりも間近ではと思われます。
宮崎正弘のメルマガで読者がこんな投稿をしていました。
以下に貼りつけておきますが、こんな大事な内容を新聞も報道しなければ民主党も明らかにしていません。
鳩山はいったいどこを向いて政治をしているのか、日本国民のためを思って政治をしているとはとても思えません。
いま「みんなの党」の支持率が公明党を上まってきています。
小沢と鳩山を早く政治の舞台から下ろさないと日本はとんでもない方向に行ってしまいそう。
下の読者の声が掲載されていたメルマガは3月5日配信のものです。
たかじんの「なんでも言って委員会」で勝谷が同じことを言っておりました。
●「子供手当についてはいろいろ矛盾を感じますね。
民主も自民も迷走していますが、「みんなの党」も手法がいまいち、わかりにくいのでどこまでやれるのか、不安はあります。
世論はたえず揺れるのは世の常ですが、じっくり見ていく必要があります。」(江田幹事長の発言は明解ですが・・・)
●(読者の声2) 友愛の「子供手当て」の現実。
「子供手当て」とは単なるバラマキではありません。外国人参政権、外国人住民基本法案などの危機法案とセット販売するつ
もりだったのでしょう。
「外国人参政権に反対する会」のメールを転載します
(引用開始)
「2/24(水)、在日外国人に対する子供手当てについて厚生労働省に質問し、唖然とする回答を頂きました。以下に列記します。
1.在日外国人への子供手当ての支給は行われるのか?その際の基準はあるのか?
【回答】国内に住んで税金を納めていれば分け隔てなく支給されます。永住資格者だけではなく短期滞在者(一年でも)でも支給されます。
特に審査要件はありません。
2.子供を母国に残している親にも支給されるのか?
【回答】申請すれば支給されます。
3.養子や婚外子でも支給されるのか?
【回答】支給されます。
4.本人の子供であることをどうやって判断するのか?
【回答】申請書類と子供と定期的にメール等のやり取りがあれば良い事になっています。
5.母国に子供や養子が何人いようと申請するだけで支給されるのか?
【回答】特に人数の制限はありません。
6.例えば一夫多妻制の国民で母国に何十人の子供がいると主張するだけでその人数分支給されるのか?
【回答】はい、支給されます。
7.ちなみに海外で滞在している日本人家族、子供を日本に残して海外に駐在している家族には支給されるのか?
【回答】親が日本に住んでいませんので支給されません。
8.海外駐在の日本人には支給されず在日外国人には大盤振る舞いにふるまっているがその論拠は?
【回答】鳩山総理の友愛精神です。また日本が難民条約を締結している観点からです。
9.難民条約と在日外国人に子供手当を支給することとどう関連があるのか?在日中国人らは難民か?
【回答】平成22年度4月以降はとにかく支給を優先します。問題が多ければ平成23年度に支給条件の検討を行います。(まともに答えず)
10.国交が無く、国連からも制裁を受けている北朝鮮出身の国民でも同様に支給されるのか?
【回答】同様です。
11.在日外国人に対する支給についてなぜホームページや書面で事前に公表しないのか?私たちの税金の使途を事前に公表して
論議するのはあたりまえではないのか?
【回答】まだ骨子の段階で正式に決まれば公表します。ご意見は賜りました。
(引用止め)
皆様、日本人には厳しい条件が課されていようとしているのに在日外国人には野放図に支給されようとしています。犯罪者や
犯罪歴のある者も含まれているようです。明らかに外国人参政権、移民一千万促進成立を見据えた環境づくりと言えます。皆様も
どんどん厚生労働省に電話し、確認してください。これをソースとして拡散していきましょう。
(連絡先)厚生労働省 代表 03-5253-1111
「子供手当てについての問い合わせ」と言えば担当者(児童手当管理室)が話してくれます。
(KK生)
●友人から追伸メールです
私は在日外国人の選挙権には反対です。
小沢にはがっかりしました。
頭の中は彼が言うように選挙のことだけですね。公明の
話しも・・・・・
とほけた世がさらに深まることを危惧します。
最後までおよみいただき、ありがとうございました。
●お水取り
近くにおりながら「お水取り」を初めて見に行きました。お水取りは3月1日から14日まで続きます。
初日、5日、10日、そして最終日の14日の計4回出かける計画です。初日以外は、三脚使用許可書(事務所で入手)
で撮影を試みます。
12日の夜がクライマックス(大きな松明に点火されます)ですが、この日は一般の人には撮影許可書がでません。
また大変混む日となります。
14日の最終日は松明が10本欄干に並び、一斉に松明が振られ火の粉が二月堂の前に舞います。大きな竹でつくった
松明をもった僧がお堂の中で火の粉をまきちらしながら駆け巡る修業はすごいものです。
火が天井までのぼり迫力があります。火事にならないよう火の粉をすぐにほうきで消しますが、それでも過去一度、
二月堂が火事になり、その翌年は三月堂でやったという記録があるそうです。
この儀式は修二会と呼ばれ奈良時代から1250年以上もの間続けられています。十一面観音に過ちを懺悔し幸いを祈る
行の一部の名をとっていますが、「お水取り」「お松明」とも呼ばれます。
写真撮影(三脚使用)、二月堂の下から見られるのは今年限りだそうです。
お水とりが終わると、春の訪れだと言います。
●エコミーターから「農地の利用」の便り
―七尾清彦(閑雲) 居 遊子田荘
日本の農地の利用状況は将来どうなるかを素人の頭で推論しているのですが、以下のようなシナリオが大筋で当たって
くれないかなと希望している次第です。色んな方々の御意見も知りたいものです。先日、日野にあります県畜産技術センター
で外部有識者を招いての研修会がありましたので、そこでもこの概要を説明しておきました。
(分析のために次のような図を紙に描きます。まず同心円を三つ書いてもらい一番小さい円をA、Aの外周部分のうち、
内側をB、外側をCとします。Aは野洲、守山のような平坦な農地、Bは竜王のように丘陵もある中流域、Cは中山間地域で
河川の上流域です)
Aでは生産効率の改善と減反を条件に、生産費が販売市場価格を上回る間は政府が所得補償をします。主体は専業農家や大企業、
作付けはコメなどの主食の大規模集中生産です。
Bでは飼料用作物や近郊用の蔬菜・果物などの生産を奨励します。所得補償などの支援措置はなしで自由競争が原則、営農の主体は
兼業農家や食品工業企業などで農業に進出希望を持っている企業体にやらせると仮定します。余った土地があれば放牧も可能とします。
Cは丘陵地や里山で、プレミアムを付けても売れるこだわりの農産品(たとえば京野菜の類)をグループ営農などの非専業農家や
農業をやるため都市から移住希望を持っている個人にやらせ、作付け面積に応じた環境保全奨励金を支払います。
このようなモデルを10年ないし20年後の到達点として構想しますと、次のようなことが言えるのではないかと考えます。
1.現在は戦後のコメ偏重の農業政策の結果、A,Bは固よりCまでも米作が
行われており、民主党の個別所得補償政策も、選挙の票集めという政治目的が勝っているため、薄く広く税金がばらまかれる可能性が
高いと思われます。これではコメの生産効率も上がらず、減反政策はいつ終わるともなく続けられ、政府の財政能力は次第に落ちてい
きますから農業全体が一蓮托生で沈没してしまう可能性が大です。
2.もし上記のような分離と集中の農業政策が実行することが政治的に可能であれば、コメは生産量を抑えつつ生産性を高めることが
できるので関税を下げても内外競争を克服することができるようになり、銘柄によっては輸出も可能となると思います。Aの面積は
構造改善に伴い縮小して行くことが期待できます。このような政策が実行されるためには、参院選前後で政策を軸とした政界再編が
行われ安定与党が実現する必要があります。
全国一枚岩の農協もA、B、Cにあわせて分立するか、それぞれが独立して行くことが必要ですが、はたしてこんなことは可能かどうか?
3.BとCではコメ以外の農業が農業従事者の創意と工夫で広がる可能性があ
らたに生まれると思います。面積はAの縮小にしたがい増加するはずです。とすると放牧型畜産の生産面での与件は大きく改善されると
思われます。安全・安心の国産飼料作付け面積の拡大、放牧用地の拡大などに新たに利用可能となります。 以上
●友人からの旅の便り
2月20日に白川郷へ行きました。今日で最後と言う事か、凄い人出でした。
JTBのコースは郡上八幡で時間を潰して5時前に駐車場に着きました。郡上八幡は雪もなく良く晴れて、白川郷に雪がどのくらいかと
気になりました。しかし流石に豪雪地帯、屋根全てに雪が被っていた訳では有りませんでしたが、凄い雪でした。おまけに雪が降っており、
カメラのカバーに雪が積もり迫力は満点でした。
生憎写真はブレばかり。270コマも撮って・・・。野鳥撮影は如何にシャッタースピードを上げるかですけど、これだけ光量が少ないと・・・。
私たちが歩いていた時、直ぐ近くでザブンとの水音が、横を見ると、三脚にカメラを着けたおじさんが道路脇の小川へ腰を浸けていた。
滑って落ちたのではなく道路と間違えたようでした。何しろ人人人でしたから、追い越し出来ない所を追い越した結果みたい。
来年も行くとしたら、最初と最終を外してさらに野鳥のようにポイントを決めて一枚の写真を狙いたいと感じました。
帰りは金沢回り、東茶屋町を見学してJTBのお土産店4件を・・・。3月1日から流氷を見にいきます。運良くオジロワシが撮れまし
たら送ります。
北海道の零下以下でのカメラの取り扱いには注意しろと今日友人に聞きました。
寒暖差の激しさにより結露を心配しとけと・・・。カミサンがカメラを落とし修理代を聞きに行った時に結露修理の代金を聞きました。
私のD300で3万円が上限だとか。考えてしまいます。。
●メール拝受しました。
確かに寒暖の差が大きいと、難しいことが多いですね。蔵王でも結露にはなりませんでしたが、撮影してすぐ、レストランへ暖房に
入ると、レンズが曇り、次に外へ出た時、しばらく曇ったレンズのままで、ファインダーをのぞくとまるで景色が見えないので、
一時はパニックになりました。
また、女房は寒さに弱いらしく貧血になり鼻血を出して寝込んでしまいました。二度と、寒いところへは行かないというのですが、
どうですかね。
白川郷では生活をされているので、ライトアップも制限されるのは仕方がないです。それでも世界遺産の恩恵もあるのですから
行政がもう少し協力して、観光客にサービスをすべきだと思いますが、勝手な思いですかね。
とくにパンフでは山の上からの全体像を見せているのに、観光客は見られないというのは、どう考えても詐欺商法ですよ。
五箇山ライトアップの方はツアーでしか入れないひどさで、すぐ満員になります。
●白川郷には三脚を持参しました。しかし、あの人出とあのマナー。
写している最中にカメラの前は当たり前。おまけに人当たりでカメラぶれは始めての経験です。しまいには撮影を止めて見るだけ
にしました。
ここはただただ自分が楽しむ場所で、勿論、他人はかまっておられないと。
この狭い場所に5000人とはこんなもんだとカミサンと笑いました。
よくよく考えてみると山の上からの撮影は出来ない。ライトアップはほんの一部。これで金を取るにはいい加減にせよとの声。
ここら辺りが限界かと思います。
既に背伸びのし過ぎかと今回思いました。カミサンはマナーの悪さに呆れ帰って次回を希望しません。次回を希望したのは私だけてす。
メジャー観光地はかくなるものだと・・・・・・
●トップページの写真館に「ならフォトコンテスト](奈良 平城 寧楽 2010年なら100選)入選(佳作2点、)を掲載しました。
作品の展示:2010年3月14日~4月23日 奈良ロイヤルホテルロビー及びイトーヨーカドー奈良店特設会場に。
●まほろば奈良美術展
友人からメールで案内がきました。
お水とりの期間ですので、奈良にお出かけの時はお楽しみください。
「今回は3つのグループが集まって、まほろば奈良美術展を催す事になりました。切り絵だけではなく、
水彩画・油彩・写真・陶芸等工芸品もあり多種になりました。
出展者は、同年輩のシニアカレッジの仲間です」
場所 奈良市生涯学習センター内ギャラリー
JR/近鉄奈良駅から市内循環バスで「森町」下車、徒歩3分
日時 3月12日(金)~14日(日)
開場時間 ・ 12日 13時~17時
・ 13日 10時~17時
・14日 10時~15時
2月
日記の目次
2月 |
1日 |
写真(な場なの里)、読書あれこれ、エコ牛会食、「ひととき」反響 |
14日 | 写真(蔵王の樹氷、山寺)、事件雑感、地デジタル、映画、読書など | |
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28日 |
写真(大阪城公園、枚岡梅林)、IT社会、大阪府の商品券、続・映画雑感、外国人参政権、放牧のすすめ |
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●今年も思いつくまま、気の向くままに綴ってまいります。皆様のご意見、
近況等をお待ちしています。
実名で掲載します時はご本人の許諾を得て掲載しますので、ご遠慮なく、
メールを送ってください。写真もよろしくお願いします。
【2月の日記】
●印:友人のメール、●印:私文、●印:お知らせ・その他で区別しています。
2月の日記(3)
【写真】ソウシチョウ
●先日、岡田さんの裏庭の枚岡神社へ行ってきました。
ソウシチョウが山から下りてきたようです。
この鳥は以前、岡田さんに教えてもらった鳥(野鳥の会でたずねた)です。
(2月13日、堀 英彦・撮影)
「ソウシチョウが、こんなに美しいのですか。おそらく、私(岡田)が見ていても気がつかないとは思いますが・・・。」
【冬季オリンピックも前半が終わって・・・】
●冬季オリンピックも前半が終わりました。国民は興奮、歓喜の声をあげ
たのでしょうか。メダルの期待を煽っただけに、がっくりな人も多か
ったようです。スノーボード男子の国母和宏選手がいろいろ話題
をまき、メディアで注目されたのことで妙に変な気分になりました。
●テレビBS8のプライムニュースで「変革するメディアの形
『ネット社会の光と影』」(2月19日放映)を興味深く見ました。
その中で紹介されたTwitterやUstreamがメディア
の一角を占めるとその筋の専門家が話していました。アメリカでは
すでに先行、多くのメディアも取り入れていると言います。
番組の中でキャスターも疑問を抱いていたように、情報への信頼
性が薄く、無責任になるのではないかという点です。Twitter
で一般人のつぶやき文を見ましたが、情報が浅く、ゴミ情報の塊
のように思いました。また著名な政治家の文もほとんどが無味乾燥
の内容です。これを入力する暇があるのかと思ったほどです。
Ustreamでたとえば、事業仕訳の会場からくまなく映像を流
せるので、同時進行的にTwitterで反応を見ることもできる
というのです。仕分け人の人たちの映像や話は公的な立場だからま
だしも、見学者の映像や話を流すことは個人情報の最たるものだと
思います。専門家はUstreamやTwitterで情報発信す
る人のモラルが求められると強調しましたが、果たしてどこまで守
られるのか疑問です。
専門家らは活字情報が衰退すると話していましたが、彼らが
得ている情報の多くは新聞、雑誌の一次情報やそれを活用したテレ
ビの二次情報がほとんどです。
TwitterやUstreamはパーソナルメディアとしては
いいでしょうが、そこにはジャーナリズムと呼べるものを感じませ
ん。暇なお宅族には受けても大衆に広がることはないと思います。
よほど使い勝手が簡単で、品質や信頼性の高い情報を流すことがで
きれば、携帯のようになるかも知れませんが・・・。単なるライタ
ーの書く程度の情報ではダメでしょう。
●ユビキタス社会の方は
この放送の前にBS8のプライムニュースで取り上げた坂本健・
東大教授のユビキタス社会の方が現実性を感じました。
これも提案されて久しいですが、北欧など日本以外の国で着々と
実現しているようです。日本のようなタテ割り社会、また国民総背
番号制ができないような社会ではこの分野で後進国になる心配を感
じました。
高齢化が進む日本で、IT(情報技術)の進化についていくこと
も大変ですね。
【大阪府プレミアム付商品券を買いましたが・・・。】
●橋下大阪府知事は思いもよらぬ発想と提案をして驚かしています。
財界も足元にも及ばない、すごい発想だと思います。
一つは伊丹空港の廃港、この賛否を巡っては議論が白熱していま
す。
さらに驚いたのは府市合併構想です。言われてみると、府市が合
併すれば、有効で効率が上がると思われることが多いようで
すが、これまで誰もが考えもしなかった提案だけに驚きます。
最近、話題になっているのは「大阪まるごと大売出しキャンペー
ン事業」(大阪まるごと)で大阪府内の小売店舗(飲食・サービス業
含む)において使用できる大阪府プレミアム付商品券「ぎょうさん
買こうたろう!商品券」を発行し、1万円で1万1千5百円の買
い物ができるというものです。
売り出された翌日、近くのイトーヨーカドーで買ってみました。
特設の商品券売り場で整列のロープを張って仰々しく売り出してい
ましたが、2,3人の人が買っているだけでした。
1人1冊10枚つづり(1万円)売りで、1万1千5百円の買い
物ができる、つまり1,500円得するという仕掛けです。何でも
買えるのが原則ですが、商品券など一部買えないものがあります。
日用品はほとんど買えますので、この点では問題がありません。
次に「おつりは出るのですか」と聞きますと、「でません」という
ことです。つまり1枚で1,150円以上の買い物をして超過した
分を足すしか、150円の確保ができないということです。
買い物ができる期間は3月15日までなので、1ケ月弱の間に使
いきらないと損失になります。このため、高価な商品を買う予定が
ない場合は、得するからといっても、大量に買えない気になります。
一人1冊売りですが、列の後ろに並べば、何冊も買えますし、府
民証明(購入は大阪府域)も要らないので、誰もが店にある枚数が
なくなるまで買える(現場で確認しました)のです。果たして活性
化の一助になるかどうかわかりませんが、こういう形で景気を上向
けるイベントに参加できる気分は決して悪くないですね。
これが成功すると全国的な広がりを見せるかもしれません。
【映画雑感 続き】
●先のHPで最近、観た映画について書きましたが、シニア層には
『インビクタス』を観た方が多かったですね。下記のメールは映画
の造詣が深い方からのものです。
『アバター』についてNHKがこの映画を製作したニュージーラ
ンドの映画の街、会社を紹介していました。『ロード・オブ・ザ・
リング』の大ヒット以来、いま急速に伸びている産業だそうです。
ニュージーランドの多彩な大自然がロケ地として適しているだけ
でなく、国内の発達したCG技術が映画製作を盛んにしているそう
です。
●―私も『アバター』と『インビクタス』を見ました。
イーストウッドは私にとってベストの監督ですので、『インビク
タス』は当然、文句なしの傑作だといいたいところですが、この偉
大な監督にしては、やや一本調子だなといったところが気になりま
した(もちろん、悪い作品ではなく、十分に素晴らしい映画ではあり
ましたが)。
たとえば、家族のことを問われて、突然、朝の散歩を取りやめる
シーンを撮りながら、その一方で、その背景となっているマンデラ
の家族の描写は、娘とのちくはぐな会話以外はほとんど見られませ
ん。
時間の長短ではなく、このあたりを有無を言わせず納得させてく
れるシーンがひとつ不足している印象が拭えませんでした。
もうひとつ、ラクビーの試合のクライマックスで、撮影にスロー
モーションを導入しているのも、ちょっと意外な気がしました。ほ
とんどスローは使用しない監督で(私の記憶では『バード』で使って
いるくらいです)、その潔さが好きだったのですが。
でも、マンデラの困難を伴う人種融合の政治統治を、ラグビーの
ワールドカップ・シリーズひとつですべて見せてしまうのは、やは
りこの監督ならでは凄腕だと思います。
『アバター』も、1月元旦早朝に映画館に駆けつけて楽しみまし
た。確かに人間ドラマの部分は薄っぺらで、ありがちなストリーで
はありましたが、映画の見世物性を絢爛豪華に突きつけてくれたと
いう意味で、これはこれで1年の静謐な始まりを失って悔いない程
度の面白さはあったように思います。
●先日、早速『インビクタス』を見に行きました。
マンデラが20年以上も監禁されていたことは知っていましたが、
彼はガンジーと共通のところがありますね。
昔、日本人は名誉白人でしたが、数年前にカナダで南ア出身の
白人移住者に会いました。次世代のことを考えてカナダに来たらし
いのです。オーストラリアでも同じような人々がいました。
来週、チェンマイへ旅行します。親父がインパール作戦に従軍し
えらい目にあったそうです。まったく牟田口廉也こそ非国民です。
(※牟田口廉也(むたぐち れんや)は、日本の陸軍軍人。最終階
級は中将。盧溝橋事件や、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時のマレ
ー作戦や同戦争中のインパール作戦において部隊を指揮した人物)
●拙著『船旅を楽しくする実践法―ピースボート乗船記』から南アを
訪問した時の記録を引用しておきます。
―この日、地球大学の「わたしたちとつながる貧困」と題する報告会が
あった。南アフリカのスラム街、ソエト地区の体験を踏まえての報告であった。
この黒人居住区は南アフリカでも最大規模の黒人居住区である。ここに地元NGO
の斡旋でホームステイのツアーが組まれ、30人ほどが入った。ホームステイを受け
入れるぐらいだから、この地区でも裕福な家庭であろう。
写真で見ると、家には液晶テレビ、パソコンもある裕福な家庭もある。もちろん、
そうでない家庭もある。ここに分かれてホームステイしたが、その勇気と行動力に
は大いに敬意を表したい。
「180万円のお金をかけて貧困を見に来たのかと思われる。」
報告者のひとりは現地を訪れて複雑な気持ちになったと語った。それは率直な気持ちであろう。
南アフリカの貧困の仕組みについては、債務側(南アフリカ)の見方に偏った感がする内容
だったが、これは講師が債務放棄運動(不正債務とみて)を提唱していることも影響している
ように思えた。こういう時、債権者側(主に先進国や世界銀行)の論理が欠落しがちである。
後で見たビデオ映画のブラジルを中心に展開しているバイオエネルギーによる他国との連帯と
改革は新しい動き(NHK放映)として注目したい。
南アフリカで話した白人女性は、「マンデラ大統領は別格でガンジーのような私利私欲のない
人物です。しかし取り巻き、官僚が腐敗していて、自分たちの仲間を優遇、汚職がはびこってい
ます」と、吐き捨てるように語ったことが、貧困の報告を聞いて再び甦った。
「白人を政府要職から追い出し、政策の策定能力が低下、そのため火力発電の計画の見込み違い
から電力不足が起きている。これがひどくなると、白人たちは南アフリカから脱出するだろう。
そうなると混乱する可能性がある。このため、いま優秀な白人を呼び戻そうとしている。」
もしそれが事実なら、発展途上国に見られるいつものパターンである。いずれにせよ、日本の
若い人たち(ほとんどが女性)が、貧困について、こうした問題意識を持った意味は大きいし、
弱者に対する心は醸成されるに違いない。
【市民団体について】
●市民団体についてメールが届きました。
先のHPで市民団体の疑問について書きました。当初、小沢側や
民主党の一部から国策捜査という発言がありました。そこにはなに
か裏で動きが感じられたからだろうと思いました。
小沢は検察が形式犯で逮捕の暴挙に出たと、全面対決を宣言する
など、これに関わる市民団体についてはどうしても知りたいと思っ
たのです。
●―どれほど確かな情報かどうか不明ということですが、下記のH
Pアドレスが参考までに送られてきました。私が読んだ限り、そう
デタラメとは思えませんが、いずれにせよ疑問を抱いている人は少
なくないということがわかりました。
興味ある方はご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/7b30830ddc40778331438282b05be8fd
【外国人の参政権問題】
●私は外国人参政権に賛成しているわけでもないですが、以下のような
論文が届きました。
●友人からメールが届きました。
―民主党が、というより小沢がやろうとしている外国人参政権。
これはどうみても危険極まりないと考えざるを得ません。あるブログを読ん
でいたら以下のような意見に遭遇しました。
まことにもって正鵠を射た意見と思いますので下に文章を貼りつけます。ぜひ読んでみてください。
●外国人の選挙権導入は憲法に違反する
長尾 一紘/中央大学法学部教授
専門分野 憲法学
この度の原稿依頼をうけて、二つ返事で承知しました。民主党が国会に提出しようとしている
法案が憲法に明らかに違反するものであり、しかも日本の安全保障に重大な害を与える危険な法案
であるからです。
国政と地方政治の区別
外国人の地方選挙権の問題につきましては、学説はこれを認めてもよいとする見解(許容説)と、
これを導入すれば憲法に違反するとする見解(禁止説)があります。私はこの度この問題について論文
を書いて、これまでとってきた許容説が誤りであることを認め、禁止説が正しいということを明らかに
しようとしました。なぜ学説を変える必要があったのか。この点について述べることにしたいと思います。
学説変更が個人的な心境の変化などではなく、日本の位置する国際環境の変化、そして日本人の国家意識
の欠如の認識にもとづくものであるからです。
もともと、国政選挙は許されないが、地方選挙ならば許されるとの見解(許容説)は、国政と地方との
切り離しが可能であることを前提としています。ところが、この数年の間にこの切り離しができないことが
常態になっています。
在日の二重の選挙権
まず日韓問題をみることにしましょう。昨年2月に韓国では選挙法が改正され、在日の方々は、日本にいな
がらにして大統領選挙、そして国会議員比例選挙の投票権をもつようになりました。そして韓国内で居住申告
をすれば、国会議員選挙区選挙の投票権のみならず、地方選挙の選挙権、被選挙権をももちうることになりま
した。しかも、居住申告は、日本における住民登録をそのままにして行うことができます。永住資格を失うこ
となく居住申告ができるのです。現在居住申告者の数は6万人を超えるといわれております。このようなことは、
在日の方々が韓国の国民である以上喜ぶべきことであると思います。しかし、日本の選挙についても選挙権を
もつということになると、話はまったく別になります。在日の方々は、二重の選挙権をもち、日本の一般国民よりも、
より高い有利な地位に立つことになります。これよりも重要なことは、忠誠の問題です。
対馬は韓国領?
韓国人は、憲法上、国家に対する忠誠が要求されております。国防の義務が国民に課されており、徴兵制度が
とられております。日本と韓国の国益が対立する場合、韓国人はこの忠誠義務にしたがって行動することになります。
日韓の国益が対立する事態において、在日が日本の選挙権を行使する場合、韓国の国益のために投票するのでしょうか。
それとも祖国を裏切るという道を選ぶのでしょうか。このような事態は、いま現実の問題になっています。数年前から、
韓国において対馬は韓国固有の領土だ、日本はこれを不法占拠している、とする声が高まっています。昨年来、
50名の国会議員が「対馬返還要求決議案」を提案しようとしております。この案は、現在外務関係の小委員会
に付託されているそうです。馬山市議会では、数年前に「対馬の日」をもうけております。対馬問題についての
世論調査では、約半数が韓国領土とみているといわれています。対馬には連日多数の韓国人が来島し、不動産を
多数購入しております。
過ぎたるは及ばざるがごとし
韓国政府は、選挙対策上も、日本に対して強い態度をとらざるをえないのが実情です。いずれ、対馬問題が
日韓の重要な外交問題に浮上するものと思われます。北方領土や竹島、尖閣諸島などの問題で、日本領土で
あることはまったく明白な事実であるにもかかわらず、常に後退を繰り返してきた歴代政府の失政のつけが
回ってきました。ついでにいえば、対馬のつぎは、沖縄ではないかとの声も聴かれます。日韓問題に話を戻せば、
対馬市の有権者は、約3万人です。市議会議員の最下位は685票です。外国人の選挙権が導入されれば、
対馬を韓国領土だとする議員が数名は当選することになるでしょう。
国際平和は、隙を作ることによって破綻します。友人を同居させ、家族会議にも同席させて発言権を認める
ようなことをすれば、必ず友情は破綻します。相手方に無条件の譲歩を重ねることが友情の絆になるわけでは
ありません。外国人の選挙権は、自分のファミリーの家族会議に友人の参加権、決定権を認めることに等しいと
いうことに留意する必要があります。
EUは参考にならない
EU諸国の例はまったく参考になりません。ドイツの例をみることにしましょう。EUにおいて、構成国相互
の地方選挙権保障が決定されたとき、ドイツ政府は大変困りました。外国人の選挙権導入は、民主主義と
国民主権に反することから憲法に違反するというのが通説の立場であり、また連邦憲法裁判所の立場でも
あるからです。民主主義は、国民の自己統治を要求します。国民主権は、国政の決定権は国民のみに属する
ことを要求します。ドイツは、やむを得ずして憲法改正をしました。憲法改正後の現在でも、EU市民以外
の外国人に選挙権を与えることは、憲法に違反するとされています。ちなみに、フランスも、憲法改正を
必要としました。日本におきましても、憲法が改正されない以上、外国人に地方選挙権を与えることは
違憲であるとみるべきです(国政選挙権については、憲法改正そのものが不可とされております)。
外国人選挙権の問題は安保問題である
外国人の選挙権問題は、在日問題から、日中問題に重心を移しつつあります。中国人永住者は、現在、
約14万人おります。1年間に約1万人づつ増加しております。在日韓国人との間で数が逆転するのは、
単純計算でも17年後です。実際にはずっと近い将来に逆転するものと思われます。外国人選挙権が導入
されると、対馬と同様の問題、さらにいえば比較にならないほどの深刻な問題が日中間に生じうることに
なります。日本最南端の与那国島でおこなわれた町長選挙では、自衛隊誘致が主な争点でしたが、当落の
票差はわずか103票でした。沖ノ鳥島について、中国は岩礁にすぎず日本の領土とは認められないとし
ております。この島は小笠原村に属しますが、この前に行われた村長選挙では、得票は713票でした。
外国人に選挙権が与えられた場合、このような地方に外国人が移住し、選挙を左右する事態が生じうること
は容易に予測することができます。日中の間において友好関係を維持するためには、最低限度の距離をとる
必要があります。過剰の優遇は、多くの場合友情を破壊するという結果をもたらします。家族会議のメンバー
に友人を加えるような愚は、さけなければなりません。いたずらに対立と緊張を高めるだけのことです。
外国人選挙権法案は、日本の安全を危機にさらすだけでなく、国際平和を害することになります。
地方が国政を決定する
いまや地方選挙の結果がそのまま国政を左右する事態になっています。沖縄の名護市の選挙では
基地反対派の市長が当選しましたが、鳩山総理は、この住民の意思を尊重する旨の発言をしております。
日本の安全保障の問題は、国政の根本問題です。国政の根本問題が自治体選挙の結果如何によって左右
されるという事態は、原則的にあってはならないことです。1000名程度の住民が日本の国政の基本
問題を決定するという事態は、議院内閣制本来の趣旨からも問題です。このような事態は、国家意識の
欠如、防衛意識の欠如という特殊日本的な現象からきております。このような日本固有の特性は、
近時ますます顕著になっているようです。他の国において明確に区別されうる国政固有の問題(軍事、
外交、領土などの問題)と地方自治体レベルの問題が日本においてだけ区別されえない事態になっております。
このような事情が続くかぎり、地方選挙への外国人参加は、結果的に国政そのものに外国人ないし外国が重要な
影響を及ぼすものとして、国家主権、国民主権、そして民主政治の原理に反するものとされなければなりません。
外国人に対する公約
ちなみに、外国人の背後に外国政府の意志が働いていることは決して珍しいことではありません。民団は、
在日韓国人の組織ですが、その運営費の6割から7割が韓国政府の補助金によるものであることは周知のとおり
です。したがって、民団の選挙権要求は、韓国政府の要求でもあります。民主党の民団に対する選挙権実現の
公約は、外国政府への公約ということになります。いうまでもなく、公約は、通常の国では国民に対してのみ
おこなうものです。日本における国家意識の欠如は異常の事態に達しているといわねばなりません。民団が
これに対応して昨年の選挙において、組織をあげて民主党の選挙運動に取り組んでおります。ちなみに、
韓国では、外国人が選挙運動に参加すれば懲役3年以下の犯罪として罰せられます。
外国人の選挙権については、数え切れないほどの問題点がありますが、スペースの都合もあり、在日問題、
日中問題のみに絞りました。これだけでもいかに危険な法案かということがおわかりかと思います。
長尾 一紘(ながお・かずひろ)/中央大学法学部教授
専門分野 憲法学
●複雑な問題
この問題は複雑な政治問題で、私はほとんど勉強をしておりません。上記の論文を読みますと、
なるほどと納得してしまいます。小沢が韓国の大統領と会見した際に約束したことから実現するのでは
という危惧が浮上してきました。
その裏には政治的な思惑が感じ取れます.
民主党がマニフェストに掲げ、公明党も前向きだというところに、
人権的な面も感じますが、対馬問題やオランダの失敗を知りますと、一段と慎重さを感じます。
以前、ピスボートで地球一周した時の出来事で、選挙制度とは直接、関係がありませんが、複雑な気持ち
になったことはあります。
日本の外国人選挙権付与に反対する多くの政治家は「選挙権がほしいなら帰化すればいいではないか」と
主張しています。われわれ日本人からすれば当然のように思われますが、朝鮮の方々の内面はそう簡単では
ないように思います。その時の記録を下記に引用します。
【わたし降ります】
―船内での自主企画の「わたし降ります」を聞いた。在日コリアン3世のU(女性)は、朝鮮籍パスポート
だからアルゼンチの寄港地、ブエノスアイレスで下船できないことが判明、このためブラジルのリオデジャ
ネイロで降りて、20日間後にチリのプンタアレナスで合流するまで一人旅を続けるという。
ブエノスアイレスでは船内で滞在することも許されないという。Uの祖父母が仕事を求めて朝鮮半島から
日本に渡ってきた。日本の敗戦後はもとより、いまでもUは日本国籍、韓国籍、朝鮮籍を自由に選べるの
だが、理由は明確でないまま本人は「意地のようなもの」と、朝鮮籍にこだわっている。これまでの海外旅行
では経験したことがなかったそうだ。ここにも複雑な国際事情がある。(拙著『船旅を楽しくする実践法
―ピースボート乗船記』から引用)
●友人から2個所、間違いの指摘がありました。お詫びして訂正します。
「府市合併」のところで「これまで誰もが考えもしなかった提案」とありましたが、これは間違いです。
橋下が知事選に出るときの相手だった熊谷候補があの知事選で「府市合併」をすでに提案していました。
ですから熊谷候補の政策を横取りしたんだと思います。
横取りというと言葉が悪いが、いろいろと彼がマニフェストを実現しようとするとあまりの効率の悪さに気づいたのでしょう。
もちろん誰が言い始めた政策であれ、実現すれば素晴らしいことです。
もう一つの過ちは、外国人参政権のところです。
文中に「民主党がマニフェストに掲げ、公明党も前向きだというところに」とあります。
民主党は党内に外国人参政権付与に反対意見もあることからマニフェストには掲げていません。
小沢が勝手に韓国でイ・ミョンバク大統領に約束してきたものです。
小沢の秘書が逮捕される事件がなければ、彼の号令一下法案が提出されて、多分成立していたことでしょう。
小沢の出自が朝鮮半島だという情報がネットには流れています。
最近、韓国の議員に対馬は韓国領だとする声が高まっています。
竹島といい、拉致問題といい、日本政府が強く出なかったツケがいま来ているという感じです。
やはり日本はアメリカに国防を依存するのではなく独自に防衛能力を持たないと近い将来大変な事になります。
竹島や拉致の問題は実力行使しなければ解決しません。
外交では絶対に解決しませんよ。
【放牧のすすめ】
岩手短角和牛のエコミーターズ試食会からの便りが届きました。
●―日経18日木曜夕刊に放牧に関する良い寄稿文が出ていると教えられ、それを読みました。広島大の
三谷克之助名誉教授の「放牧のすすめ」で共感を覚えました。生産面に焦点を当てた論旨ですが、
里山の再生には草食動物の放牧が大事な役割を果たすと主張しておられます。寄稿文の要点は次の通りです。
1.
日本の農業は戦後、米国式の工業的農業を見習えとの発想で単品集中生産による生産費削減に
努めてきたが、日本の風土ではうまく行かないことが明らかになった。
2.
輸入飼料のコストの高騰、農村農業との遊離などから里山の荒廃を招いている(七尾注:過度
の霜降り肉への生産集中により健康と安全志向の消費者の支持を失いつつあるという需要サイド
の問題も生み出していると思われる)
3.
乳牛と黒毛和牛とのf1による畜産振興を研究してきたが、北海道の某牧場での放牧方式をみて
自分のこれまで研究してきたことは、自然利用の放牧に比べ余りにも小さなことだったことを悟った。
放牧の現場では生産費の概念はなく、近隣の農業と一体化してコストはゼロに近づいて行く。
4.
農業は稲作も含め雑草との闘いであり農薬多投などの問題を生んでいる。牛など草食動物はこの
問題を解決してくれる。
5.
草は牛などの草食動物を育てるとともに、お返しとして草食動物は自らの糞尿などで草を育てる。
6.
この自然の摂理を利用する農業に戻ること、作物生産と放牧を組み合わせることで里山の再生は可能である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2月の日記(2)
【写真】冬の山寺と階段の雪かき(2月13日、岡田撮影)
山形駅から列車で20分で行ける山寺です。中国の風景を見ているようでした。
5月の連休は奥の院までの階段は人の列で埋まると言います。今年は雪が少ないそうですが、
例年、階段の手すりの高さまで積もるそうです。
●蔵王への旅路
若いころから蔵王の樹氷を見たいと思っていましたが、ようやくこの冬、実現しました。
しかし、3日間滞在して吹雪と霧に阻まれさんざんな結果でした。
2月は晴れる日が多いと聞きましたが、滞在した2月9日~11日の3日間は曇りと雪の日々でした。
休日と祝日はスキー客で混んでいますが、平日はシーズンでも比較的、すいています。
「スキー客も年々、減っています」(ホテル従業員)ということでした。温泉街もその雰囲気が
なく、さびれているという印象でした。
樹氷は非常に珍しく、海外でも報告されていないようです。この蔵王連峰でも蔵王ロープウェイ
の頂上一帯にしかできません。蔵王ロープウェイに乗り、途中、樹氷高原駅で乗り換えて山頂まで
登ります。(往復2,500円)
樹氷は落葉樹ではできません。アオモリトドマツにシベリアからの冷たい風が日本海から直接、
吹き付ける雲粒(過冷却水滴)が枝や葉にぶつかって凍りつくとエビのしっぽができます。そのすき間
に多くの雪片がとり込まれエビのしっぽが発達し、着雪も盛んに起こって樹氷ができるそうです。
年々、積雪が少なく途中、樹氷高原駅でも見られた樹氷が今は全く見られません。スキーヤーは霧
の日も樹氷の間を山麓まで滑っていました。
頂上は凍てつく寒さで長時間はおれず、頂上駅の喫茶室で手を温めながら撮影に出かけましたが、
10m先はほとんど見えませんでした。
●事件雑感
朝青龍の引退問題
最近の出来事でもニュースの奥が分からないことが多いですね。朝青龍の引退の引き金と
なった暴行事件で、殴られた男は知人(タニマチ筋ということですが、巷の情報では
東京・六本木の某クラブのオーナーでその世界では有名人だというのです。顔も広く朝青龍も腰が引けて
示談金1,000万円~3,000万円で和解したとも言われる)とは、どういう人物か、またどういう
ことから殴られることになったのか、和解金の額はいくらか、そういうことも知りたいと思うのです。
こういう事実を確認しないまま、相撲協会はマスコミ報道に押されて、追い出したように受け
取られ、後味の悪い幕引きになりました。
多くは暴力=悪ということだけで、引退に追い込んだ点はなにか腑に落ちないものを感じるのです。
むしろ相撲協会の理事選の旧態依然とした体質こそ、もっと批判されるべきでしょう。
また、審査会のメンバーの中に、声高に「品格」ということを朝青龍に求めていましたが、相撲協会の
品格はどうなんだということを問いたい。また、外国人力士に品格教育をしてきたのかということも問わ
れてしかるべきでしょう。最大の品格は心の品格だろうと思います。
相撲は国技だということで特別な見方、意見があります。国技とは「その国固有の文化や伝統に根ざした
スポーツ競技・武術」をいいますが、伝統は変えてはならない部分と、時代の流れの中で変えていかなけれ
ばないものとがあります。伝統、伝承を継続していくことは難しいことだと思っています。
ガッツポーズに品格がないというのは、格闘技の力士にとっては酷のような気がします。体が自然にこぶし
を握るのは人間的とも言えますまいか。では、高見盛の仕草は品格があるのだろうか。全体にヒューモアーが
あり、顔立ちもユニークだから品格を超えて笑っているだけではないのか。横綱でないから認められるという
理屈ですかね。
あまり品格、品格と目くじらをたてると、面白くないのではないかというのが私の思いです。
要するに、審査委員とか、評論家には「朝青龍のようなタイプは嫌いだ」というものが潜在的にあるのではな
いかと感じてしまうのです。29歳で外国人だということはある程度、斟酌してもいいように思えるのです。
朝青龍がもう少し日本人ナイズしたらよかったらという意見も聞かれました。そのことは世界の中で「日本人
はもう少し、コスモポリタン性を持つべきだ」と指摘されていることを忘れるべきでないと思います。
国技である柔道はカラフルな柔道着が使われ出し時、多くの日本人は柔道の伝統が壊されたと思ったものでした。
しかし、伝統を打ち壊したことで、柔道は世界競技になりオリンピックでも認定されました。どちらが良かったのか、
難しい問題です。
小沢問題も
小沢問題で告発した「市民団体」とは、どういう団体かということも知りたいと思うのです。行政書士や元
新聞記者らと言われていますが、ここまで大きな問題になることが分かって本当に正義で告発するなら実名でするべきでし
ょう。裏でそそのかされてやったとは思いたくありませんが、市民団体=善というのもワンパターンのように
思えるのです。
検察筋の情報としてマスコミは当初、「小沢事務所や陸山会などの家宅捜査や国会が始まる直前に秘書の
石川国会議員を逮捕したからには、小沢を起訴できる見通しがあるからだ」と報じました。結果は小沢不起訴
となったいま、検察の判断のまずさがもっと責められてもいいように思いますが、それにはマスコミは踏み込ん
でいないように思います。ここにも検察=正義というパターンが焼き付いていますが、これまでえん罪がいかに
多く、問題になったことも忘れてはならないと思うわけです。
●地デジタル放送の説明会への不満爆発
総務省から地デジタル放送の地区の説明会の案内が届いたので出かけました。すでにデジタルTVを購入して
いますが、デジタル放送のチャンネルで映らないチャンネルがあったものですから付き合いのある近くの電気店
に相談しました。
「この地区は難視区域で、近所の家でもアンテナ工事で8万円かかりました」と、言うのです。「アンテナを変
えたら必ず映るようになるのですか」と確認しますと、「どうしても映らない場合はケーブルTVを契約するしか
ありません」と言われました。
どうも納得できないので、総務省の担当窓口に電話をしますと、「U放送が見られるのなら、地デジタル放送は
見られます。アンテナの高さ調節をしてみてください」と教えられました。
説明会では地デジタル放送のメリット、PRがほとんどで、住民が聞きたい事にはほとんど触れられませんでした。
質問では多くの住民から私が疑問に思っていたことを怒りをあらわにして出されました。私も質問に加わる一方、
説明側で参加していた電気店の方に個別で質問しましたら、先の電気店と同じような答えでした。最後に「ケーブル
TVの利用費用が月2,500円は高すぎます。これを行政指導で下げさせるべきです。おそらく、来年7月の切り替え
時期には大混乱になるでしょうね」と、付け加えました。
結局、時間が足りないので説明会は打ち切られ、個人の疑問は本部に聞いてほしいというだけで、参加者は消化不良
で引き揚げました。
そこで、本部に電話をかけましたが、窓口の女性では頼りなく思えて、不満を漏らしましたら技術担当の方が代わって
電話に出られました。
私の一通りの説明で「ご不満はわかります」と言われたあと、私の郵便番号で地区の受信状態を確認されました。
「その地区は問題なく受信できます」といわれたので、「NHK総合と6チャンネルが映りません」と伝えました。
リモコンの地デジタルチャンネル設定がされてないことがわかり、テレビの説明書で設定し直しました。すると、
NHK総合はきちんと映ることが確認できました。ただ、6チャンネルの映像が乱れることを伝えますと、それは
ブースターの調整で直るはずですと教えてくれました。
これで納得できましたので、近いうちに電気店に再相談しようと考えています。
●「読書あれこれ」の続き
前号のHPを読まれたかたからのメールが届きました。
先日、事務所にあった「戦う自分をつくる13の成功戦略」(ジョン.C.マクスウェル/ 三笠書房)
を斜め読みしました。
その中で、「誰とつきあうか?」というところがありました。
1.リフレッシャー:やる気を起させ、才能を伸ばしてくれる人
2.リファイナー:アイディアに磨きをかけ、ビジョンを明確にしてくれる人
3.リフレクター:自分のエネルギーをありのままの姿に反映させる人
4.リデューサー:理想や努力をこき下ろし、自分のレベルに合わせようとする人
5.リジェクター:才能を否定し目標達成の邪魔をし、ビジョンをないがしろにする人
もちろんコレを読むと、誰と付き合うべきか?誰と付き合うべきではなか?
が明確です。
鳩山首相の「どうぞ戦ってください」という発言が話題になりましたが、戦う会社の社員や風土にもあて
はまりますね。
逃げていても、結局はJALのようなことになり、最後は生きるために強制的に変化しなければならない。
浸水寸前まで「先延ばしで楽」を決め込むか、トットと「戦う」か。
人ごとではなく、鳩山さんご自身も、誰と付き合うか見定め、強い「戦う」意欲を見せてほしいですね。
●読書雑感
最近、読んだ以下の新書2冊に教えられることが多かったです。
『国を誤りたもうことなかれ』(近藤道生著 角川新書 2006年6月発行)
「東条英機陸軍大臣の名で戦陣訓は生きて敵の捕虜になってはいけないと書いた。このため、
どれだけ多くの軍人や民間人が無益な死を遂げたか。
東条はどう考えても靖国の祭神の資格はない」
『大本営発表は生きている』(光文社新書、保坂正康著)
この著者の現代史分析には大変な労力と綿密さを感じる。
ここでも東条批判が書かれている。大本営の体質、行動、考え方は現在の権力構造の中に生きていると指摘。
冒頭で石破・前防衛大臣の取材制限をやり玉にあげている。
●映画雑感
映画『オーシャンズ』を観ました。ジャック・ペラン監督が世界中の海を取材したネイチャー・ドキュメンタリー。
北極海から南極海、海上から大気圧1,100倍の深海へと、世界50か所で4年以上の月日をかけて100種類以上もの海洋生物
を撮影したという。
猛スピードで泳ぎ、ジャンプするイルカ、海の王者のようなクジラ、ゆっくりと海の底へと沈んでいくマンタなど、
これまで見たことにない海の世界を十分、堪能できました。
環境を守る大切さを教えてくれる素晴らしい映画でした。
映画『インビクタンス/負けざる者」を観ました。
これは事実に基づいた南アフリカのマンデラ前大統領の自伝的作品で、
ラグビーで国をまとめていくストリーです。
地球一周で南アを訪れた時に、マンデラ大統領については、白人の多くも
尊敬していますが、取り巻きが悪かったと指摘していたのが印象に残っています。
いずれにしても最近、観た映画では最高点をつけたい作品でした。
映画『アバター」も観ました。
アバターというのは、コンピュータ用語で仮想空間において、自分の分身として表示される
キャラクターで、そこには異次元の空間が広がります。
この映画は元々、関心がありませんでしたが、東京で若い友人と付き合いで観ました。
土曜日の朝一番のみ当日券がありましたので、銀座のTOHOシネマズに8時過ぎに行きました。
すでに2,3人来ていましたが、全席指定の中から希望の席を確保できました。上映まで1時間半もありました
ので銀ブラをしましたが、ここにも不況の影が忍びよっていました。空室のビル、店舗も目につきました。
在京時代、仕事で出かけた数寄屋橋の本の旭屋が閉店していました。
銀座の歩行者天国も午後に行ってもかつての賑わいはありませんでした。ただ、大阪の倍の大きさの劇場は
ほぼ観客で埋まっていました。
映画アバターは私にとってはつまらないの一言です。3Dはかつてのものより迫力がありません。ストリーも陳腐な
ものでした。CGを駆使しただけのお粗末な作品に何の感動もありませんでした私が、時代遅れなのかも
知れません。
「何でも受け入れることですよ」という友人のコメントに反省した次第です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
「読書あれこれ」
●ある会合の開催日時のメール連絡で、出欠の返事に合わせてメンバーの一人が何かを書きます、
それに関連して何人かの方が「つぶやき」メールを書かれます。
今回は最初に連絡した幹事の方が理由はわかりませんが、「マリリン・モンロー来日時に、森本
哲郎さんが体験したことを書いた朝日新聞の記事」をFAXであるメンバーに送ったのが発端でした。
それに対して送られた方が「私が彼女に遭遇したのは昭和29年ということになる」と。
続いて「本日、岩波現代文庫文芸114野坂昭如ルネサンス③「マリリン・モンロー・ノー・リターン」
を読み終えました。電車で読むにはチト恥ずかしい?」と書かれました。
さらに、「MMとは、私にとってのマリリン・モンローのことです。小学生のときに、モンローの出演した
「ナイアガラ」という映画に連れて行ってもらった記憶があり、どんな映画だったかと気になっていました
のでDVDで再見しました。
記憶は、かなり自分自身で作られた箇所があり驚きました。小学生でも「ものがたり」を作っていたわけです。
おそらく昭和27年か28年ごろと思っていますが、こんなこともチェックしないとイケナイほど、あやふやです。
ちなみに、フランスではBBといえばブリジット・バルドーのことですが、ドイツでは、「三文オペラ」などの
ベルトルト・ブレヒトのことです」
●ここまで読んだとき、マリリン・モンローのことを思い出しました。私も現役の40歳代に彼女のテレフォンカード
をいつも名刺入れに入れて、時々、彼女の笑顔を見て元気づけてもらいました。
彼女に関して40年近く前に、クラレの名物広報部長(故人)に何かの会合で頂いた額入りの肖像画(上の写真)を
引越しのたびに大事に保管していたことを思い出しました。
今回、日本人はもとより、世界の男性たちに愛されたすてきなセクシー女優だったことを改めて知らされました。
余談ですが、かの広報部長は北新地のクラブでもホステスさんの似顔絵を寸描、いつももてていました。うらや
ましく思っていました。それにしても絵はうまかったですね。
●さらにメールの往来が続きます。
「いつごろからか時間的な制約を感じるようになり、残された時間を、優先順位をつけた読書にしようと思い
ながら、いつものとおり道草をくっています。
そして、今はジョセフ・コンラッド(1857-1924)の小説「台風」(新潮文庫)を読んでいます。
北 杜夫「ドクトルマンボウコウ航海記」(新潮文庫)との大きなちがいを感じています。
コンラッドは、ポーランド人でありながら、当時、世界一の商船隊をもつ英国で水夫から、船長に、そして、
その20年後に英語で文筆生活にはいり、外国語でいわゆる「文豪」になるわけですが、コンラッドの作品は、
まさしく「船上生活」が詳細に記され、このような言葉があるかどうかわかりませんが、わが国の「海洋文学」は、
船上での私小説ともいうべき、彼我の大きな違いを感じます。
いずれにせよ、次に何を読むかがたのしみです。野坂昭如の作品ついては、いつも気にしながら、いまだに何も
読まず、いつも「宿題」をかかえている状態です。
さらに関連してメールが続きます。
「海のことを書いた本では子供の時に読んだ「15少年漂流記」に夢中になったことを思い出します。帆船での
冒険にあこがれました。今は便利で安全な船でかえって夢の感じ方が少ないような気がします。
命の瀬戸際までの危機から生還した手記は好きです。
スティーブン・キャラハンという人が一人で大西洋をヨットで横断中に鯨に衝突して沈没。ゴムの救命いかだで
76日漂流して助かった話は寝床で読み出して止まらなくなり最後まで読んでしまいました。「大西洋漂流76日間」
(早川書房1990年に買っています。)
水4リットル、小型水中銃、ナイフ等乏しいサバイバル用品だけで生き延びました。救出された時はゴムいかだの
底は空気が抜け平らな状態だった。本箱に置いて忘れた頃に再読するとやっぱり途中で止まらなくなります。
極限でもがいていると湧いてくる智恵や幸運に感謝しつつ、やはり精神力とか希望をもっていることは大きな要因のように思いました。
●私もある方にメールを送りました。
「人はいろいろな本に関心を持っておられることを改めて知りました。
私なんか、まず、手にしない本で読んでみたいなと思いました。
ところで、私は人が死の直前に読む本はどのようなものかにいま、関心を持っています。
ご存知なことがあれば教えてください。画家でも死の直前の絵は、それまでとはまるで違うそうです」
●返事をいただきました。
1. 死に直面した時の読書:
私は十数年も前のことですが、「肺ガン」と診断され、「死」を意識しながら入院していたことがあります。
読書だけが日常で、お客さんからの注文を病院でパソコンに入力し、それを妻が自宅に持ち帰り、自宅から
ペーパーレスで、ファックスとして外国のメーカーさんに送っていたことがあります。
その当時、いろいろな書物を読みましたが、いまだに記憶によく残っていますのは、アントニオ・ガウディ
のバルセローナにあるサグラダファミリア(教会)の石工主任として、その事業に携わっておられた外尾悦郎さん
の書かれたものです。芦屋病院のボランティアの方が朗読されたものを吹き込んだカセット・テープを何度も繰り
返し聴いた記憶があります。
そのときは、自宅にあった井上ひさしの「新釈遠野物語」(新潮社のカセット)や、同じく井伏鱒二の「山椒魚」
を再び聞こうという気はおきませんでした。
次に死を意識した時には、この問題を提起された岡田さんのお顔を思い浮かべるはずです。
2. 立花 隆:
「臨死体験」の立花氏は、現在、ガンと闘っておられるとのことです。この読書家は、いま、どのようなURLにアクセス
されたり、どのような作品を読んでおられるのかと、思っております。
この思いは、やはり、いま、ガンと闘っておられる、読書家としても有名な井上ひさし氏の場合についても知りたく思います。
3. キケロ「老年について」:
私は、死を前にした時用の本として、キケロはどうかと思っていましたが、個人的には気にいりませんでしたので、現在も、
私にふさわしいと思われる本を探しているところです。
●早速、お便りいただきありがとうございました。
人は死を意識すると、それに関連した本を読むことがわかります。
生への願望、元気づけてもらえる本が多いように思います。がんで倒れた実弟は「死を見つめる心―ガンとたたかった十年間」
(岸本英夫著)に感銘を受けたことを生前、教えてくれました。
ただ、死を宣告され、死ぬ間際に読む本はどうも、そういうものではなく、こころのやすらぎを求めているようなことを感じてい
ます。私の父(作家)は病院のベッドで「中国の名詩選」を読みながら亡くなりました。
これを書いていて、思い出したのが末期の肝臓がんの手術を画像に収めさせながら死を迎えた作家・井上光晴です。がんにより死に
至るまでの5年間を追い描いたドキュメンタリー「全身小説家」の映画に衝撃を受けたことを思い出しました。
いずれ私も死の間際の本を探さなければならないときがきます。認知症でなければですね。
●第3回エコミーターズ試食会
以前にも紹介しました赤牛の肉の試食会が1月31日、京都・北山の「きたやま南山」
で開かれました。64名が参加しました。
岩手短角和牛レッドミートのロース、バラ、モモなどの部位を取り交ぜ、京都北山鷹が峰
の農園のネギやカブを網焼きにして和・韓・洋のタレで試食しました。
当日は滋賀県畜産技術センターの方の「和牛のおいしさ」について話されました。
たまたま、同じテーブルでしたので、和牛肉振興の難しさをお聞きすることができました。
滋賀は近江牛ブランドを育てていますが、これは黒和牛です。日本の主要畜産地は黒和牛で
競争も激しいのです。短角和牛は赤牛でこれは粗食で育つそうです。日本人は霜降り肉のおいしさが
しみついています。赤みの肉は消費者が避けるのですが、健康食としては赤みの肉がいいということです。
ただ滋賀県では輸入穀類の飼料でなく、県産あるいは国産素材を活用した飼料で育ているそうです。
これによって食味の総合評価で良好な結果が得られているといいます。
試食会も今回で3回目となり、会の目標である農村と都市の人たちとの連携による農村の活性化と自然環境の再生に向けて
今後、活動していきたいと話されていました。
楽しい会に育ってほしいと願っています。
●「せめて寝言で発散」(1月24日付朝日新聞「ひととき」)の反響
投稿魔の「ひととき」反響が多くの友人(夫婦の)からありました。
本人の投稿の思惑と違うことに、驚いているようです。
老夫婦の家庭もそれぞれだと思いました。だいたい、年老いて「夫婦が一緒の部屋で寝ることは考えられない」というご意見が
ありました。寝言がうるさいなら違う部屋で寝たらいいようなものですが、隣の部屋でテレビを見ていても聞こえるときがありま
すので、完全防備にかなり離れていないとダメだと思っています。
夫婦が向かい合って食事もしないし、会話もほとんどないというご意見もありました。外出も夫婦それぞれ別だという人は結構、
多いです。確かにツアー(とくに日帰りツアー)でも夫婦一緒という人は少ないですね。
あとはお世辞半分として受け取らなければならないものです。「ひととき」欄のように、日常のどうでもいいようなテーマに投稿
するのは、元気な証拠というご指摘でした。
現在、独身で、日曜日には教会へ出かけている80歳のおばさんからのハガキには「のろけているようです」と書かれていました。
認知症の妻の介護をしている女房の男友達からは「ほのぼのとした気持ちが伝わってきます」と、言う。そして「ご主人の気持ち、
わかります。やさしい人でしょう」と、言われ戸惑っていました。
「朝の新聞、「ひととき」欄を読みました。最初、文を読んで、おもしろいなぁ、と思って、二回目読んで、わかるわかる、と共感し、
最後に誰が書いたのかな?と名前を見てびっくり!ますますおかしくなりました。子供が夕方クラブから帰ってきたら、見せようと思い
ます」というメールもいただきました。
また、この正月明けに百貨店でお会いしたご夫婦の友人からは「またまた、奥様の「ひととき」拝読しました。おめでとうございます。
軽妙洒脱な文章に、朝から笑ってしまいました。
年明け早々に偶然お目にかかりましたので、より親しみ深く拝読いたしました」というメールも掲載日の朝に届きました。
これに対して女房からのお礼のメッセージをお伝えしました。
「近鉄で偶然、奥様とお揃いでお目にかかった時、『ひととき』を読んでいますと、言っていただき気恥ずかしく思いました。
実はそう云いながらも、久しく書いていないことを思いつき、さらに気恥かしいことを投稿してしまいましした」
こうしたことも情報交流の一環になると、掲載しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
日記の目次
1月 |
3日 |
写真(橋杭岩)、年賀状、新年雑感 |
16日 |
写真(橋杭岩2)、小沢氏の秘書、稲盛氏JALへなど |
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25日 |
写真(白川郷3)、小沢問題2、切り絵、投稿魔 |
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【1月25日作成の日記】
1月の日記(3)
●小沢氏の秘書が逮捕(その2)
●小沢問題について、検察の事情聴取に応じても、あまり情勢は変わっていないよう
にも見えますが、多少の変化があるようにも映ります。
かつて、ある著名な経済学者(後に行政の長になった方)から複雑な事態は誰が得して、
損したかを見ていけば、ほとんど解は見つかると教えられたことがあります。その手法で
今回の問題を小沢失脚で大雑把に色分けしてみました。
○:得する、△:多少、得する、●:損する、▲:多少、損する、および悩ましい人は
?としました。
○:官僚、自民党支持の国民及びメディア、公共事業業者(建設会社)
△:アメリカ、一部評論家、財界
●:民主党支持の国民及びメディア、福祉・教育事業者
▲:中国、一部評論家、稲盛氏ら一部経済人
?:多くの新聞、テレビ
小沢が検察の事情聴取に応じても、信頼回復はしていないのが現状でしょう。
小沢退任論(テレビなどマスコミでつくられたイメージ)が8:2から7:3程度しか下がって
いないように報じられています。色分けの結果からは解は見つかりませんが、なんとなく見え
てきたのは無党派層、つまり虚無的な人たちの増加です。
23~24日、北陸にいて知ったことは、地方紙の論調に特捜部が事件解明に失敗した場合の責任
にもかなり強く追及していたのが印象的でした。地方紙の中央原稿は共同通信からの配信がほとん
どです。共同通信は社団法人ですから、民間のメディアとも違って利害に振り回されることが少な
いのです。労組もきわめて強く、同社OBの作家や評論家がフリーハンドで論評している点に注目
しています。
そうした中で水谷建設の元トップが小沢に献金したことが報じられています。この人は時効にな
っているから何を話しても罪にならないのです。これを時効前に話すのと、話さないでは天地の差
があります。うがった見方をすれば、小沢や民主党がつぶれれば、公共事業の復活が期待できるわ
けで、この人を使って小沢つぶしを裏で仕掛けている人物がいるように思えます。
北陸・石川県に小松空港のほかに、能登空港があります。これは自民党のドン・Mが誘致したと
言われています。能登空港は東京便1日2便が飛んでいますが、たまに臨時便がやってきます。地
元の人はそれがMの帰省便(こんなことができるのです)だということを知っています。彼の地盤
は能登ではないのですが、和倉温泉で接待するためだということです。
自民党に政権が戻れば、こうした利害関係者が大喜びするのです。そのことを国民は知っていま
すから自民党の支持率も上がらないのです。小泉進次郎というイケメン代議士を看板にしなければ
ならない自民党に情けなくなる思いです。
●取材・報道の再考
前回のHPで紹介しました「小沢氏の秘書が逮捕」の続報メール(下記)が届きました。刻一刻と
情勢が変わりますので、それを勘案してお読みください。最近のご意見などをまとめますと、・・・。
世論調査や街の声を聞いていますと、テレビ、それもワイドショーからの影響が大きいことがわかり
ます。どうしても世論調査の数字について素直に受け取れないものを感じます。原口大臣が自分の管轄
の「政治資金規正法」について話していましたが、「政治資金規正法」そのものが複雑で、あやふやな
ところがあって解釈が違ってくることも起こりえるというのです。
もう一つは特捜部のリークの仕方です。かつて大本営の発表ほどひどいことはないにしても、メデイ
アの情報入手は特捜部(メデイアは関係者と表現しています。これを捜査関係者にすれば、出入り禁止
となり情報源が断たれると釈明していますが、この事実からも裏を感じてしまいます)頼りですので、
小沢のように特捜部批判をしにくいことも確かです。へたすれば出入り禁止のレッテルを張られ、情報
入手の道が閉ざされるからです。NHKは捜査関係者として、できるだけ乱用していないそうです。
これと似たものが、関係筋という情報の発信にも時折、違和感を覚えます。見出しの「・・・へ」
「~か」というのも断定できず逃げながらたたいています。また、記者自身がみているのに、みられて
いるという表現で逃げるところにも危惧を抱くことがあります。
メデイアは権力と緊張感をもって取材をしていると、言い切れる記者がどれほどいるかということも
疑問があります。これまで権力者の情報操作でどれほど多くの誤った報道をしてきたかということです。
いまも記者や編集幹部が自己規制をかけている対象が少なくないと思います。
これは商業紙の限界とも言えますが、アメリカのように個人読者の販売部数の比率が高いと、「報道
の自由」ということも胸を張って言えると思います。ところが、日本は不買運動を起こされる団体とか
大スポンサー(広告収入の比率が高いため)、権力の中枢部の批判、報道には腰が引けてしまうのです。
「象を針で突くようなことをしています」と、40年前、大新聞の親しい部長が嘆いていたのが、いま
だに印象深く記憶に残っています。
それでもメデイア、とくに新聞、雑誌編集の仕事は重要です。いくらインターネットが発達しても事実
に即して批判精神を残しているのは、編集人、とくに前線の記者しかいないからです。テレビ報道は大半
が二次報道ですから、前線の記者にがんばってもらうしかないと、今回の事件を見ていてつくづく思いま
す。
●メールの続報です-1月17日付
小沢関係で昨日(16日)、また大きな展開がありました。「鳩山もだめか」という思いを聞いてください。
昨日の新しい展開は、鳩山政権挙げて検察と対抗する姿勢を鮮明にしたことです。確かに、検察の動き
にも普通でないところを感じます。
田中のロッキード事件のときのように米国が裏で動いているかもしれません。しかし、鳩山が小沢が潔
白かどうか、自ら確かめてもいないし、小沢からきちんと説明を聞いた節も無い。
そのような状態で、政権を挙げて検察と対抗するという感覚は、政権という最も公的なものを余りにも
軽々しく扱いすぎる、鳩山には首相という職責の重みがまったく分かっていないのではないか。
オバマ大統領に対する「Trust me」もしかり、「秘書の不祥事は代議士の責任」という以前の
発言を反故にしたこともしかり。言動が信用できない首相は日本の不幸ですね。
阿部、福田、麻生、鳩山とふさわしくない人物が4代も続けて首相になるとは、日本も終わりです。
財界人もだめになったし……。
これが夜明け前の最も深い暗闇であることを祈ります。」
●切り絵の世界
パソコン教室で知り合った友人からです。下記のHPも彼の自作です。大変、多芸に富む方で、
切り絵もその一つです。はじめて切り絵の展示会に招待してもらい、その美しさに感銘を覚えました。
このほど、その切り絵を得意のパソコンで再現されましたので、私のHPで紹介します。
下記のアドレスから入ってご覧ください。
●是非、ご覧ください
「愚作では有りますが 切り絵教室・HPのアドレスを下記に添付いたしました。お閑な時に、
開いていただければ幸いです。」
http://www12.ocn.ne.jp/~kirie/
●投稿魔
これは投稿魔の愚妻の最近のものです。生活のあらゆることを観察しているので、うかつに
しゃべれないこともあります。それにしても、夜のトイレ回数の増加とこの寝言で寝不足気味の毎日です。
●せめて寝言で発散
お正月。夫とテレビを見ていたら「初夢」という言葉が聞こえてきた。すかさず、夫が「昨夜
は何の夢を見ていた? けったいな声を出していたぞ。寝不足や!」と言った。私は「あ、そう」
といつものように素知らぬ顔。
結婚してからこの方、もう何回となく繰り返してきた会話だ。たまに私が「で、何と言っていた
?」と問い返すと、夫は「ようわからんけど、最後まで聞くのが怖かったから寝言を止めたんや」
というので思わず噴き出した。そういえば、寝言を止めさせようと夫が私の蒲団をたたいていたの
を、かすかに覚えている。
寝言は長年の悩みだ。家族以外で行く泊まりの旅には気を使い、あらかじめことわったうえで参
加する。
結婚当初は寝言といっても静かなものだった。鳥が鳴くようなかわいらしい声。ところが、この
ごろはすごみのある声に変わってきて笑っておれないと、夫は言う。再現してもらうと、ドスのき
いた荒っぽい口ぶり。思わず拍手して笑ってしまった。
人に強くモノを言うのが苦手で、子どもの頃から通知表に「温厚で従順」と書かれていた私。夫は
真剣な顔つきで、「これ(寝言)が、お前の本性か?」。私は「長年の忍従人生。せめて寝言で発散
しているのよ」と、笑って答えておいた。少し痛快な思いだった。
(1月24日付朝日新聞生活面17P「ひととき」から)
●韓国映画
大阪のアメリカ村にシネマート心斎橋というミニ複合劇場があります。今回、行ってみてその一つが
韓国映画専門館になっていることを知りました。
今回、観た「作戦 The SCAM」に多くのお客さん、といっても大半が中年や若い女性で、男性
は私を含めて2,3人でした。どうも、目当ては主演の俳優のようで、待ち時間の間、現地までの追いかけ、
またDVDの話をやっていました。
映画はデイトレードの世界に挑戦した青年が、仲間と共に人生最大の大勝負に挑む金融サスペンス。主演
は歌手、俳優として活躍する人気韓流スター、パク・ヨンハである。(私は初めてですが、このような
タイプが日本のおばさんがたに人気があることがわかりました)
ストリーは仕手株戦で、かなり複雑で難しい内容でしたが、どうも観客の多くはストリーよりもパク・ヨンハ
を観ればいいという感じでした。映画全体の展開や筋書きは日本の一昔前のような印象で、陳腐に思えました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
1月の日記(2)
●小沢氏の秘書が逮捕
●今朝、メールが届きました。この件についてはそれぞれの人がいろいろな思いを持たれた
と思います。私は小沢氏が自民党幹事長の時代、財界に献金要請した行動を有力財界人から
聞いたことがあります。
「剛腕な政治家」というのが、そのころの財界人の見方でした。最近、建設会社の役員に聞くと、
彼が野党であっても東北、とくに岩手県で工事をしようと思うと、小沢氏(事務所)への挨拶を抜き
にしてはありえないと話していました。
ただ、彼のプラス面もあると思いますが、もう少し情報を集めてコメントしたいと思います。
以下のメールは今朝、届いたもので、一読され、みなさまのご意見をお寄せください。
●「寒い日が続いていますが、お元気なことと思います。折に触れ、「独人房」を読ませていただいています。
今朝のニュースで感じたことを聞いていただきたくなって、書いてみました。」
「昨日、民主党幹事長の小沢氏の秘書が逮捕され、今朝のニュースをにぎわせています。
内容はご存知だと思うので省略しますが、自民党もだめ、民主党もだめでは日本はどうなるのか、
暗澹たる気分になっています。
これを好機に、民主党が小沢抜きで立ち直ってくれたら、いいのですが……。
小沢という政治家は、政治手腕という点において、最近では小泉と並ぶすごい人物だと思います。
彼が1993年に書いた「日本改造計画」(講談社)を読み返してみましたが、小選挙区制、官僚主導
から政治指導へ、地方分権基本法の制定へ、といった動きは、彼の当時の構想を長い年月を掛けて実現さ
せてきたものです。
しかし、140人余りもの”子分”を連れて胡錦濤主席と会見した動きは国辱ものです(野党の民主党
代表時代に胡錦濤主席と会った時の余りにもへりくだった態度も国辱ものだと思います)。この人は、
下には威張り散らし、上にはこびへつらう人品の卑しい人物だと感じています。
天皇と習近平副主席の会談をごり押しし、苦言を呈した宮内庁長官を批判したときの記者会見の様子は、
独裁者の怖さを感じさせました。この人は国会で多数をとったら何をしてもいいと考えているようです。
また、自分に反対する人はおろか、批判的な人に対しても容赦なく報復しているようで、民主主義の
感覚を持ち合わせていないのでしょう。
そこへ、今回の秘書逮捕です。田中、金丸の流れを汲む金権体質を露呈しました。
こんな政治家に日本が牛耳られることは避けたい。
次の参議院選挙で民主党に勝たせてはいけないと思っています。」
●稲盛和夫氏が動く
友人からメールが届きました。
「稲盛さんを迎えたのは、郵政でなく、JALでしたね。でも先行きは心配です。やはり、稲盛さんは
人格が高潔ゆえに、日航労組に騙されるのでは?と心配されるのでしょう。逆に、再生機構のような冷た
い人間たちなら、大ナタを振るうという点では得意かもしれません。」
●京セラ名誉会長の稲盛和夫氏がJALのCEO(最高経営責任者)に就任したことが伝えられました。
稲盛和夫氏を比較的、よく知っているだけに、若干、高齢なのが気になることを除いて適任だと思います。
山崎豊子さんの『沈まない太陽』のモデルとなった元鐘紡会長でJALのCEO(最高経営責任者)に
就いたサラリーマン経営者の伊藤淳二氏とは、まったく違うタイプだと思います。伊藤氏は現役中、
鐘紡の天皇と呼ばれたほど絶大な権力を持っていました。伊藤淳二氏は同社の労組幹部からトップの
座に就いた人で、城山三郎氏の小説でモデルに取り上げられたこともありますが、JALの会長に就い
たことに驚いた記憶が残っています。そして追放されたと見ていました。
『沈まない太陽』のストリーでは彼とJAL労組の関係が浮き彫りに描かれています。ここで登場す
る伊藤淳二氏は私が知っている人物のキャラクターとは違和感がありました。恐らく、山崎豊子さんの
情報源が伊藤淳二氏側に偏っているように感じました。だからJAL本社と山崎豊子さん側の確執が伝
えられたのではないだろうかと、思っています。
ところで、稲盛和夫氏は京セラの創業者で松下幸之助に私淑する経営者です。経営哲学を掲げながら
今日の大企業にのし上げた手腕の創業・経営者は、ほかにいないように思えます。いずれにしても今後
の成り行きが注目されますが、彼の右腕に誰を据えるかで、ある程度、見通せるように思います。
JALについては今後も注視していきます。
●企業の功罪
最近、財界人の発言は旧態以前のように感じます。政権交代という大変革が起こったことに対する
認識が薄いというのか、そういうふりを装っているのか、わかりませんが、自民党時代と同じように
政府におねだりしているように見えます。
日本の産業をこうするんだという気概と見識が見られません。現政府には、ほとんど相手にされない
と聞きます。
労働者派遣法の製造業への適用も、国際競争という名のもとに、改正させたが、その結果が格差社会
を産み、社会の荒廃をもたらしたのだという罪の意識がないのです。現実には、中国や東南アジアに工場
を移設、日本の職場を空洞化させています。
一方、モノづくりでは付加価値をつけるということで、使わない機能を装備して値段を高くしている例は、
パソコン、デジタルカメラなどIT関連商品に目立ちます。過去に台湾のビデオが再生機能(録画機能がない)
だけの低価格で売り出したことを思い出します。
インドのタタ自動車が29万円のクルマを売り出すと発表して世界を驚かせました。クルマは移動機能だけ
あれば十分だと、超シンプルなクルマをつくったのです。
日本のカーメーカーは居住性、便利性を押しつけながらモデルチェンジを繰り返し、価格を上げてきました。
●橋杭岩雑感
「毎年、素敵な写真入りの賀状お送りいただき、ありがとうございます。そのつど、勉強させていただいて
おります。
例年、載せておられたのでしょうが、今回、改めて賀状をゆっくり読ませていただきまして、ふと、
人生道場ー独人房が目に飛び込み開いてみました。
橋杭岩が出ているではありませんか。懐かしの橋杭岩です。50年前、高2の時でした。
中学の友人3人と連れ立って、東京から南紀旅行に向かいました。青春18キップなどまだ現れる以前の
無銭貧乏旅行でした。中学の理科の先生が、南紀の出身であったのを縁に、3泊4日の旅に出発、
尾鷲、那智の瀧、太地を経て、串本・橋杭岩に至ったのであります。橋杭岩のもとにテントを張り、
一晩過ごしました。岩の奇観とともに、以来、橋杭岩は印象深いものでした。定年退職後、3人の
友人と何十年ぶりかに落ち合い、酒を飲み交わし、橋杭岩の思い出にしばしふけったものでした。
岡田さんが、つい最近、この岩を入れながら、初日の出、入り日の名カットを納めようと戦われ
たことを知り、熱いものを感じました。」
また、他の友人からは「橋杭岩の写真懐かしく拝見しました。いいですね。両親が旅行で唯一
撮った所がここです。」というメールをいただきました。
ほかにも橋杭岩については多くの友人が見聞を話しましたが、初めて見た私にとっては、印象深いお便りでした。
●『森里海連環学への道』
●以前、私のHPで紹介しました『森里海連環学への道』について、友人が、ブログ【読書と旅】URL:http://n-shuhei.net/masablog/
で紹介しています。興味深いのでぜひ、お読みください。その一部を紹介します。
●「『森里海連環学への道』は、私のブログにリンクさせてもらっている友人、岡田清治さんの
ブログ「人生道場、独人房」に紹介されていた。
なにかと新しい名前の学部や学問分野が生まれる昨今。『森里海連環学』というのも、おかしな
名前だなあと当初思った。だが、ふとこれは以前に著書で知った牡蠣養殖業、畠山重篤氏の
「森は海の恋人」運動と関係があるのではと、気がついた。
田中 克・京都大学名誉教授は、海洋資源生物学が専門で、長年ヒラメやカレイの稚魚
の汽水域での研究を続けるなかで、森と海のつながりの大切さに注目、2003年に理学部と
農学部の研究を融合、森と海の科学を統合する「フイールド科学教育研究センター」を立ち上
げてセンター長に就任、新しい学問領域として「森里海連環学」を提唱してきた。
この本は、田中名誉教授が「森里海連環学」という領域に至った道程を綴るとともに、この新
しい学問分野に先行して様々な運動をしてきた人たちとの交友録ともなっている。
著者が、新しい学問領域が必要と思ったきっかけになったのは、各地の先行する運動を紹介
した「森と海とマチを結ぶ」(矢間秀次郎編著、北斗出版刊)という本だった。」
●第3回エコミーターズ試食会
●以前にも紹介しました試食会の案内です。1月31日、京都・北
山で開かれます。まだ、席はあるようです。興味のある方はご連絡
ください。
●「先日、「きたやま南山」の楠本さんと打ち合わせた結果、岩手短角和牛レッドミートの
ロース、バラ、モモなどの部位を取り交ぜ、エコミーターズのお世話で京都北山鷹が峰の農園
のネギやカブをご提供いただき合わせ網焼きにして、和・韓・洋のタレで試食してみようとの
趣向になる見込みです。予算はお一人3600円見当です(コーヒー以外の飲み物はこれまで通り、
個人負担です)。場所は北山通りのノートルダム学院小学校前(tel 075-722-4131)です。
当日は滋賀県畜産技術センターの御協力で、「和牛のおいしさ」についてのお話しがある
予定です。
試食会も今回で3回目となり、ボチボチ、レッドミートの生産面へのアプローチも考え始め
ています。当初より最終目標は、農村と都市の人たちとの連携による農村の活性化と自然環境
の再生に置いており、そろそろ活動の対象を消費者から生産者へと広げる段階に来つつあると
思われます。そこで本グループのニックネームもエコミーターズから例えば「田園ルネサンス」
といったものに改称することを提案いたします。次回試食会にて皆さまより自由なご意見をいた
だければ幸いです。」
●ごぶさたしています。
メールが届きました。
●「HP日記楽しみに読んでおります。1月も中旬になりました。
あちこちの平野部でも雪が降り、いつもより一段階冷え込む毎日です。寒中お見舞い申し上げます。」
「新しい年が始まり、年頭ということで、仕事やプライベートで、新たに目標を設定された方も
多いのではないでしょうか。相変わらず厳しい経済情勢ではありますが、今日の青空のように、気持
ちは前向きで進んで行きたいです。」
「HP日記の年賀状に「節目」という言葉が書かれていました。男子ゴルフ賞金王の石川遼君を生み
育てた石川家では『節目を大切に教育をして来た』という話が年末の新聞に掲載されていました。節目は、
それをきっかけとして、反省を踏まえた振り返りをしたり、新たなスタートへの決意をしたり、多くの価値
を生みだすチャンスです。
日本には正月、節分、おひな祭り、春分、新年度、お盆、
秋分、年末・・・年中、節目があります。毎日が節目と考え、日々新たに過ごしたいと考えております。」
●「お元気そうで、ご活躍されなによりです。日本人に限らず、人は節目に新たな決意をするようです。
とくに日本人は儀式が好きで、誕生日から始まって七五三、入学式、卒業式を大学まで繰り返し、
会社では入社式、周年式、人生では結婚式から銀婚式やらと続きます。定年や還暦等々、その他もろもろ
の式が数えられないほどあります。
以前、式について調べようと思ってそのままになっています。
戦争の時も杯で別れの儀式をしましたが、葬式は式の中でも一番、つらいものです。
今年の成人式を写真に収めようと、地元の会場に行きました。
二〇〇〇人の若者は成人と言うよりは、すれた大人の男女の風で
係りのひとが大声で誘導しても会場へ入らず、外で携帯片手に写真とおしゃべりを繰り広げていました。
「舞台や外で暴れないないだけましです」と、市の関係者は喜んでいました。不況で成人も元気を失くし
たのかな。写真にはなりませんでした。ではまた。」
最後までお読みいただきありがとうございました。
1月の日記(1)
●本年の経済は?
テレビで政治家やエコノミストの説明ではこれから先どうなるのか、判断できません。
管直人・副総理は「二番底はない」と言い切りました。
ハッキリした時は手遅れだということでしょう。
アメリカは基軸通貨のドル札を刷りまくっています。中国も元を刷りまくっています。
日本は日銀が自制しているように見えますが、これだけの借金、受給ギャップを解消する
には、インフレに誘導するしかないという一部のエコノミストの意見が真実味を帯びています。
香港では「97年の不動産バブルが再燃する」と言われていますように、すでにインフレの
兆候が出ているそうです。
みなさんはこれから先をどう予測されますか。インフレ対策はゴールド、土地、株式が有利だ
といいますが、庶民には無策しかありません。
●年賀状あれこれ
メール年賀状を含め、多くの賀状をいただきました。その中から、いくつか印象に残ったものを
ご紹介します。
「本年は百歳になりました。昔を思い出しながら元気にしております」
この方は私の祖父もご存じの方で、驚くような記憶力を保持されています。
恐らく、これからは百歳も驚かない時代になるかもしれません。
「虎(寅)」を追いかけ、はじめての北海道へ。室蘭本線の「虎杖浜」駅を訪ねました。
この方は毎年、干支に因んだ駅を訪れ、写真入りの賀状を送ってくれます。確か、前の虎年は
北陸本線の「虎姫」駅だったと記憶しています。とにかく鉄道マニアで、最後には自宅を鉄道博物館に
したほどの凝り方です。
駅名についての蘊蓄が綴られています。
「北海道の地名はほとんどアイヌ語による字(あざ)で地区を構成しています。昭和14年にクッタリウス、
アヨロなど、アイヌ語による地区を統合して「虎杖」と改称したものです。クッタリウスは漢名で
野生食用植物の「イタドリ」のことで、その意味が虎杖だというのです。昔、この地に群生していたそうです(後略)」
「ホップ、ステップ、ジャンプで寅(トラ)ィする年に!」
「今年は剣岳から黒部川渓谷歩きと、屋久島の縦走登山、秘湯をトライ。習得中の手話通訳試験にトライ。
一日一日を大切に新たなことにチャレンジ・・・」
彼は高校の山岳部の同僚で本職は画家だが、今は他のことに熱中しています。
最近、いただく年賀状には死に支度から新たな挑戦まで綴られています。形式的な賀状でも「元気だ」という
シグナルを感じます。
中には「米寿を迎えたので、年賀状は本年限りにさせていただきます」というものもありました。誰もがこれ
まで出していたが、「どうしよう」と思い悩むこともあると思います。こうした対応に「なるほど」と、納得し
ました。
死に支度と言えば、生前、恐らく入院中に「お礼の文面」を作成、死亡日だけを空けておいて、遺族がそれだけ
を書き込めば済むようにした方もおられました。最後まできっちりしたいお気持ちが伝わってきました。
「その後、機会がありまして、地元のまちづくりプロジェクトに関わることになりました」(HP参照)
(http://www.showanomachi.com/index.php)
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな"お町"と
して栄えていました。豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいを
もう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。(HPから引用)
街づくりに取り組む若い人からのメールです。
「真摯に取り組んでいれば、何らかの結果は得るものですが、取組みには、方向性を合わせていることこそが、
まさに”チューニング”(同調)の役割を果たします。
チーム(会社組織だけではないようにも思えます)は、ビジョンを共有することが何より大切なことなのだと
感じています。
それは、仕事を通じて日々を楽しんでいる私にとって、やっていることを自己満足に終わらせないための秘訣
なのかな、と思います」
「最近、人に薦められるままに井沢元彦の『逆説の日本史』を読み始めたのですが、これが結構面白く、
12巻買ってしまいそうです」
「小生、元々日本の古代史にはほとんど興味がわかなかったのですが、天文考古学まで引っぱり出して古代史の
空白を埋めようとする推理には思わず引き込まれました。就寝前の楽しみになりました。頭は柔らかくしておかな
いとダメですね」
晴耕雨読の方も多いようですが、この方は相当な読書家です。
「少年老い易く・・・人生早いもので、還暦を迎える齢になりました。今年は心機一転、庭の若樹の木肌
の如く、新緑の若葉の如く、いつもみずみずしい自分であるよう心がけたいものと思います」
人間は節目の年に自省を込めて歩む決意をされる方も多いですね。恐らく、なんでもそうですが、
思う心、新たな心を持つことが大事だと、昔から偉人達が教えています。ようやく、私もこの年に
なってわかるような気がしています。
「当方いつの間にか超平均的老人になっていて、いつもそれぞれ自分の体に文句を言っていますが、
まあ何とか日常の生活を送っています」
この方とは、20歳代からの知り合いですが、その頃、サラリーマン重役だったですから、かなりの年齢です。
「一昨年来、身辺の物を減らすことを一つの仕事にしてきましたが、今年は数十年来録音して来たカセットテープをMD化
する予定です。1年では少し無理かなと思っていますが、次には写真のデジタル化もやらねばならず、少し急がないと間に
合いそうにありません。外にもやりたいことは沢山あるのですが、頭の回転が悪くなってきて思うようにはかどりません」
我々の現役時代はテープも写真もアナグロでしたから、それらを保存しようとしたら、大変な労力が必要です。
私も考えてみたことがありましたが、死後、誰が聞くのかと考えると、躊躇してしまいます。それでなくとも、現在も
執筆中で蔵書や資料、テープは貯まる一方です。とくに3代にわたる蔵書は価値があるものも含まれているようですが、
その処理に悩ましく思う時もあります。
「昨年は最近にはなかった変革があり、歓迎すべき点と素人の思い込
みなど困った現象が混在しているように見えます」
「これからの日本をどういう国にするのかを政治家だけでなく考える事が今必要ではないでしょうか?
科学技術にしても、防衛力にしても一朝にして出来るものではないと思うのですが。老人の戯言でした。
若い方は健康に充分留意され益々活躍される事を祈っています」
「昨年はみじめな1年でした。不注意から腰椎骨折の重傷を負い、手術をためらいましたが、結局、
手術し約半年、入院しました。当分はリハビリ三昧が続きそうです」
この方は大企業のエリートサラリーマンから実家の住職に身を転じた方です。
「こういう状況にあると、人間だれしも己の悪業を反省し懺悔しようとするもののようです。
ただ口先で謝って済むとは思いません。しかしそのような身の凡夫なるが故に大悲は私を大海のように抱きしめられ、
私は底下の身をそれに委ねることが出来ると思うのです」
●私の年末・年始
12月30日から2泊3日で和歌山・串本へ逃亡しました。目的は古座川町の田原海岸で見られる「海霧」の撮影と、年末の
執筆の追い込みで疲れた体を癒すためでした。
海霧は幻想的でカメラマニアが大勢、押しかけているということでした。クルマで行くにしても相棒ひとりの運転ですから、
途中、御坊でビジネスホテルを探して素泊まりしました。さすがに、「本日は休みです」というところもあり、結構、探す
のに困りました。
泊まったホテルは市街地から離れていたため、食事の場所はホテル内のレストランにしましたが、「本日、それはご用意で
きません」の連続でした。
御坊から道の駅・志原海岸で休憩、風が強く高波が押し寄せていました。こういう時の海の波は写真になりますので、釣り人を
被写体にしながら撮影しました。そこそこ作品になりそうなものが撮れました。
さらに進んで潮岬から大島の突端を巡って橋杭岩に行きました。これははじめて見ましたが、自然の造形美に感銘を受けました。
これも弘法大師の伝説が残っていて、岩の形が僧侶の姿に見えるものもありました。
実は初日の出はここにしようと、元旦の朝、行ってみますと、広い駐車場は満杯で遠くに停めなければなりませんでした。
しかもカメラ位置が悪く、日の出が山にかかり一向に橋杭岩をバックに期待したようには昇ってきません。
宿泊場所が古座川町の国民宿舎でしたからクルマで30分かかります。朝食に間に合うように帰らないと、急いで引き返しました。
朝の8時の海霧はありませんでした。
朝食後、明日の日の出を田原海岸の先に延びる半島に決め、下見に出かけました。
クルマ1台通るのがやっとの道路を進みました。
「海霧について教えてください」
散歩中の地元の人と思われる方に声をかけました。
「海霧は寒い朝、川が海に流れ込む国民宿舎の前の田原海岸で見られます。今日はダメでしたね」
彼は年が60歳手前ぐらいで、実に感じのいい人でした。
「私の家は半島の突端の近くで、親父は伊勢エビやサザエの漁師でした。このあたり一帯は漁業組合が権利を所有しています」
とにかく、話すのが好きに見えました。
「この道路も伊勢湾台風のあと、できたものです。それまでは小高い山を越えて小学校に通いました。道路ができてクルマの生活になり、
足腰が弱りましたので、こうしてリュックサックを背負って歩いています」
ついでに、日の出について聞きますと、「ここでは朝日は左から、夕日は右側、つまり串本の方角に沈みます」と教えてくれました。
翌日の早朝、暗いうちから教えられた場所に三脚を置いて待機した。その時間には釣り人がやってきました。
「この山にはイノシシがいるので、散弾銃を持った狩猟の人たちがきます」とも聞いていたので、迂闊に山に入ると、誤射の被害に
合いそうなので、撮影は海岸沿いの道路にしました。
2日の日の出はすばらしいものでした。
―ビートたけしの「教科書に載らない日本人像の謎」を帰宅後、テレビでみていると、「世界中でも日本人ほど日の出をありがたく
思う民族はいない」という専門家の話がありました。ご来光を多くのカメラマンだけでなく、テレビ局も一斉に放映しているのは、
世界の人々からは奇異にみえるかもしれないと思ったものです。
かつてピースボートで毎日、地平線に見える朝夕の太陽を追いかけていた時のことが思いだされました。
結局、目的の海霧は朝の6時前に出たが、すぐに消えたと釣り客に教えてもらったのです。
「残念だが、仕方がない」との思いを胸に、くじらの町、太地へと向かったのです。
くじら博物館でくじらとイルカショーを見た後のくじら料理は複雑な思いで食べました。それほどくじらが賢い生き物に感じたものです。
初詣は那智大社と那智大滝としました。
帰路は北上山経由の早道コースをとりました。途中の電光標識に「チェーン着装」と出ていたので心配でしたが、なんとか無事に帰宅
できました。
最後までお読みいただきありがとうございました。写真は時々、入れ替えますので、熊野灘の夕日、朝日をご覧ください。