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●出版パーティのご案内は下記をご覧ください。
12月の日記
内容(キーワード)
11月 | 6日 |
近況、友人からのメールなど
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(帝釈峡)
近況・雑感
◎師走ですね。一段と寒くなってきました。政治の世界は、民主党も頼りないですが、自民党も政局よりもっと、大局から政策を論じられないのですかね。政界の 貧困さを感じます。
◎日中の問題も、経済にはさほど大きな影響はないようですね。
◎アジア大会のメダル獲得数を見ていると、今の経済の状況とそっくりです。せめて成熟社会になっているからスポーツの世界だけでもと期待いしましたが、中国 には大差、韓国にもかなり差をつけられています。そのうちに後続の国からも追い抜かれるのではないかと、心配します。
◎これからの時代、情報が世界をさらに変えていくでしょうね。活字メディアは、大変でしょうが、やはり理念と批判精神を健全な形でもつ取材力においては、もっとも信頼もできると思っています。
【世相雑感】
友人のメールから
●先月の写真「奥入瀬」についてメールをいただきました。
この方は北里大学畜産学部獣医学科卒で、大学が十和田市にあり、その昔、4回生の時に、その方が始めた、「十和田湖ウオーク(大学から十和田湖までの昼夜行軍)」が今や大学の名物行事となっているそうです。
だから奥入瀬については詳しいのです。(私も初めて知りました)
そのメールによりますと、
―小生が若かりし頃3年間の大学生活を過ごしたところ、当地は本当に素晴らしいところであります、特に、当時、関西人で訪れる方々はほとんどなく、我々しか知らないところ・・・なんて思っておりましたが、今や多くの関西の方々も素晴らしい自然環境に驚きと感激を味わっておられます。
ここで一言、小生としては6月の新緑の奥入瀬は格別ですから、おそらく秋よりもシャッターチャンスは倍増間違いなし(でも青春時代での思いと老いた今は違うかもしれませんが)。しかし、春の奥入瀬は本当に格別ですから!是非、お薦めします、そして、蔦温泉でゆったりとお風呂に入って疲れを癒してください。
●先月の「ジジイの怒り」にメールをいただきました。
「ジジイの怒り」は一言「ごもっとも!」です。
自民党時代から続く捻じれ国会は、政局化しスピードを持って解決せねばいけないことも決まらず。
自民党、民主党ともに先送り。今の外交問題は先送りの結果では。
政界の優先順位は政治家>党>政策>国民>国
政治家の言う国民第一、国民目線は・・・・・・・・・
●傘寿を迎えた方からのメールです。
小生、この11月に遂に傘寿を迎えました。遥けくも辿りついたものよ我ながら驚いています。おつむが少し怪しくしなり、足腰もかなり弱ってきました。このところ、遠出の旅は控えて専ら近場の淡路島が気に入って毎月2~3泊ででかけております。
淡路島最南端の阿那賀という名の町が私を引き寄せます。終戦直前に死んだ若い予科錬生(私とほぼ同年令です。)を祀っている「慈母観音」にお詣りしています。(城山三郎さんの”軍艦旗はためく下に”がきっかけで訪れました。) 新鮮な魚とホテルの和、洋の料理長の腕も捨てがたくて・・。
●次は広島と東京を交互に住みながら活躍の方からのメールです
老骨に鞭打って、などという常套句は、貴君(岡田のこと)に似合いませんよ。
石津謙介氏の「人生四毛作論」によると、「人生を、25年単位で4つに区切り、25歳までは基礎形成期、その次の50歳までは社会のなかで「稼ぐ時期」、三毛作目の75歳までは二毛作目の収穫をもとに人生を成熟させる時期、そして75歳以降の4毛作目は「儲け物」、つまり、「おまけ人生」を味わう時期、ですと。
ならば、来年1月で77歳になる我が輩は、まさに「おつり人生」をトボトボ辿る訳でして、・・・・。
写真・旅三昧
◎以下の写真は今年の紅葉散策の写真です。ご参考にしてください。
*高槻の神峯山寺(写真撮影):JR高槻駅からクルマで30分ほどで行ける。自然のままの紅葉が楽しめました。
(お寺周辺の山)
*広島の帝釈天(写真撮影):初めて行きましたが、ここはすばらしいです。とくに巨岩が川にアーチ型にかかっているところは絶景でした。
(帝釈峡)
*京都の紅葉(小学校の同窓生と曼朱院、関西セミナーハウスの日本庭園、金福寺、詩仙堂、一乗寺下り松(宮本武蔵決闘地)を巡りました。
なかでも関西セミナーハウスの日本庭園は穴場で、NHKの来年から始まるドラマのロケ撮影をやっていました。
(金福寺)
*京都の蓮華寺、瑠璃光院(友人との会):八瀬にある瑠璃光院はかつて料理旅館で、公開日がきまっています。この近くの「京もみじ」の料理店は参加者全員、感激、来年のホタル観賞の予約をするほどでした。
(瑠璃光院で)
*奈良の浮御堂(写真撮影)表紙に掲載:ここはいつ見てもいいですね。
*別府の地獄めぐり(仕事で):中学校の修学旅行以来でしたが、公園はきれいに整備されていました。夕方、駆け足で地獄の紅葉を楽しみました。
(海地獄)
出版パーティ
上記のメールにあります出版パーティは、拙著『あなたは、社員の全能力をひきだせますか!』(写真)という書名の評伝のことです。これにつきましたては、先にお知らせした通りです。同文を下記にも載せました。
お時間が許す方は京都見物を兼ねて、同窓会気分でお越しいただければ幸いです。
ご 案 内
謹啓 秋冷の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度、私どもが尊敬する中沼アートスクリーン(株)創業者の中沼壽さんの評伝「あなたは社員の全能力を引き出せますか!」が出版されました。執筆を担当した岡田清治は、中沼さんを「モノづくりを天職と考えている芸術家と技術者をミックスしたようなユニークな『職人経営者』」と評しています。
出版を機に、中沼さんを囲んでお祝いのパーティーを下記の要領で開催したく存じます。ご多用とは存じますが、ご出席賜りたく、謹んでご案内申し上げます。 謹白
上野 修(京都中小企業家同友会相談役 ㈱アドバンスト社長)
葛西 宗久(
久保田敏和(京都府共同募金会常務理事 前
モハッマド ライース(在日米 作家)
記
中沼 寿評伝「あなたは社員の全能力を引き出せますか!」出版パーティー
会 場 京都ロイヤルホテル&スパ「麗峰の間」
(
会 費 7,000円(上記本をお持ち帰りいただきます)
ご出欠につきましては、12月5日までに別紙FAXでお知らせください。
以上
[お問い合わせ先]
㈱ケイアソシエイツ 長谷川
Tel&Fax 213-1463
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
本年のご愛読、感謝いたします。来年もなんとか、続ける思いをしてい
ますが、どうなりますか。
近況・雑感
ようやく、秋らしくなって来ましたというか、一挙に冬の到来のような今日この頃です。あまり暖かいと、紅葉が心配です。
このところ忙中閑といいますか、あまりゆっくりする時間がなく、ようやくHP更新に取り組んだところです。近況報告はいろいろありますが、一つは
以前に紹介しました豪州国営テレビで放映されたドキュメンタリー『KOKODA』(ココダの戦い、先の戦争で日本軍と連合軍であるオーストラリア軍がニューギニアのジャングルで繰り広げた熾烈な戦い)のDVDが届きました。
ところが、このDVDはPAL映像です。フォーマットには世界統一規格がなく、日本やアメリカのNTSC,ヨーロッパのPAL、それにフランスやアフリカのSECAMと3つが混在しています。
このため、日本のDVDレコーダーにはかかりませんが、パソコンでは観られます。少し、先になりますが、変換を試みますのでご希望の方はご連絡ください。
この2時間近いドキュメンタリー『KOKODA』は、ふんだんにロケ撮影を入れ、俳優を使ってのドラマ演出もあって、かなり見応えのある作品に仕上がっています。
私へのインタビューはボツでしたが、親父(岡田誠三)とその作品『失われた部隊』は引用されていますので、協力した甲斐はありました。
P=DVD「ココダ」
ちょうど、放映された同時期の頃、私の友人の友人Aさんが翻訳した『二枚の写真』(ココダの戦いー日豪の若い兵士の話)が送られてきました。これはオーストラリアの女史が書いた絵本で、「太平洋戦史館」(岩手県)のメンバーであるAさん(お父さんもニューギニアで戦死)が訳されました。
ココダの戦いが今、オーストラリアではちょっとしたブームかなと想像しています。
【世相雑感】
最近の政界の動きを見ていますと、うんざりします。ただ、中国は幕末の黒船と同じで、21世紀の黒船です。尊王攘夷ではないですが、排斥するより、うまく付き合う方法を考えるべきでしょうね。領土問題が狭隘なナショナリズムをかきたて、再軍備、徴兵、核保有の方向へいかないように注視したいものです。
次の文は私が30歳代の頃、ご指導いただいた方からのメールです。失礼ながらお年をお聞きしましたら「大正10年6月生まれで、今年89才だそうです。かつては化学の技術者でしたが、今の化学はわかりません」との返信をいただきました。
●ススキの穂
◎ 「ジジイの怒り」
毎回、興味深く読ませてもらっています。時には老人の 感想や意見も言っ
てもいいかなと思い書きました。ご 意見頂ければ嬉しいです。
○政治・政党・政治家・国民
今の日本の政局を見ていると腹立たしい事ばかりで、今の政治家は信条、識見、責任感、理想を持っているのか疑わざるをえない。今の民主党など果たして政党と言えるのだろうか。自民党も野党転落後は離党したり新党を作る議員が多く、野党に転落した今こそ自民党の主義主張を確立すべき良い機会だと思うのに何もしない。政党ってこんなものなのか?
今日の世界情勢の中で日本の置かれている立場は極めて重要で、ある意味危機にあるとさえ感じられるこの時に、今のような状態を容認している様に見える与野党の政治家はどんな人たちだろうと疑問をもちながら、何も出来ない自分を腹立たしく思っている人達は多くいるのではなかろうか?
今の日本を見てみると、前からも言われていたが優秀な人材は産業界など政治以外の分野に集まり、政治家にすばらしい人材は少ないような気がする。立派な人物も多いとは思うのだが、大多数の平均で見ればの話である。明治初期の日本を作った元勲達は別としても、議会制が出来て選挙制が始まって以来からこんな状態だったのだろうか?
地方自治体の首長や議会議員には特徴のある政治家も少なくはないが、衆参両議員に限ってマスコミで知る範囲では識見、情熱、危機感をお持ちの方は少ないように思う。今更ながら松下幸之助氏が松下政経塾を作られた意図がよく分かるような気がする。その成果も出つつはあろうが。
これらの政治家あるいは議員を選んでいるのは言うまでもなく有権者の選挙人であり国民である。従って有権者は投票するしないに拘わらず責任があるのだが、この責任は忘れられがちである。
選挙民の責任と対照にあるのは候補者自身の人格と意欲ー果たして国家のために働く識見や意志があるかどうかーと、推薦する政党の保証である。かつても今も政党はTVで名の知れた人を候補者として推薦してきた。立派な議員も生まれたが、必ずしもそうでない場合も可成りあったと言わざるをえない。
選挙公報というものが配布されるが、これだけで候補者の識見、意見や人物を判断する事は極めて難しい。演説会もあるが公報よりは多少はましとは思うがこれも裏切られる事が多い。
こんな訳で選挙民も又悩んでいるのである。これは又投票率にも表れているのではないか。全く国政に関心のない人達がいる事は確かであろうが、誰に入れても何も変わらない。誰が当選しても何も変わらないという無気力感を持つ人もいるのではないか。
最近の衆議院議員の投票率は全国平均60%台、今年の参議院議員のそれに至っては 57.9% である。これで民意の反映と言えるのだろうか。せめて70%以上ないと選挙と言えないのではないか。選挙権は国民の「権利」になっているが、日本の現況から見れば「義務」とせざるをえないのではないか。義務化によって色々な問題が出てくるであろうが。有権者がもっと大きな声で意見を言う事が出来る場所をブログだけではなしに政治家は提供すべきであろう。投票率がそれを示しているのだから。
もう一つの問題は衆議院と参議院の違いである。誰もが問題視しているのに政治家達は素知らぬ顔である。任期が違うだけで一つの問題を同じような議論をしていたのでは労力と時間と歳費の無駄である。あちこちから意見は出ているようではあるが、自民党あたりがこの機会にこの問題に精力を傾けるのも良いのではないか。
今のところは、頼りない菅総理以下の民主党に任さざるをえない。これからの日本を自民党と、民主党にすり寄らない小党に期待するほかない。民主党が割れて主義主張のはっきりしない変な政党が現れる事だけは勘弁してほしい。
以上
今回はこのくらいにします。(大正10年6月生まれで、今年89才の方です)
●下北半島・仏が浦
◎アメリカ便り(アメリカで活躍する友人からのメールです)
HPの日記の10月6日更新のところ早速読ませて頂きました。近況・雑感・小沢問題・日中関係・菅政権・世相雑感等々久しぶりに興味深い日本の記事にふれました。
アメリカでは第三世界へ仕事の輸出で今、米国国内で失業など大変な問題が起こっているのですが、日本は技術者が海外へ出て行ったのは取り返しのつかないものになったのはご指摘の通りで、本当に残念です。日本の水田がなくなると中々戻せないと似たような現象かなあ。
「やはり従業員を大事にする日本式経営を見直さないと、これから先、とんでもないことになりそうです」。岡田さんのおっしゃる通りです。
尚残りのHPはゆっくり時間かけて読ませて頂きます。小生もそろそろ何か書かないと頭がボケてしまいそうな感じがします。
岡田さんの単行本の出版おめでとうございます。小生は日本企業との契約のこともあり、12月末には必ず日本へ行く予定にしておりますが、12月の出版記念パーティにいけるかどうかわかりません。今月末に予定を組みますので、その時改めてお知らせいたします。本の内容などを教えていただければ感謝致します。
●恐山
●情報
写真・旅三昧
東北の秋をお届けします。
●秋の奥入瀬渓流
最後までお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ感想、ご意見を送ってください。
ま最後まで
10月の日記
内容(キーワード)
10月 | 6日 |
近況、雑感、情報、写真・旅三昧など
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【写真】勝山の町並み保存地区(9月29日撮影)
近況・雑感
小沢問題、日中関係、菅政権、そして今後の日本、あまりにも不透明で複雑なため、しばらくHPに書く気もしませんでした。ところが、友人から「10月になったのに更新通知が来ないではないか」と、催促をされました。
11月に発行する単行本(次回に紹介)や、次の企画のため、情報収集に追われ、結構、ばたばたしていたことも更新できなかった理由です。
でも一念発起、更新しました。
小沢問題はどうなるのか、まったく推察できません。栽判が長引けば小沢の政治生命は絶たれるだろうと思われ、それが狙いかも知れないが、予断は許されないです。
日中関係は両国首脳の短い立ち話で、解決(領土問題は残しながら)の方向に向かっているようです。
今回の中国の動きを見ていて、戦いは武器がなくとも、「経済」でやられることをまざまざと見せつけられました。政経分離はしないことがハッキリしたことでした。
「将来、香港のように日本も中国の属国になる」という冗談のような考えが、真実味を覚えました。
考えてみますと、中国国民もこれまで何度も自国の政策変更などで、騙され泣かされてきた過去を知っていますので、案外、観光などは従来通り続けるような気がします。
菅政権
今日から国会中継が始まりますので、公明党の対応などを注目したいと思います。いずれにしても不安定な時代が続くでしょうね。
【世相雑感】
「日(ひ)没する国」へ、
●「日本の半導体産業の没落は過剰技術、過剰品質の病気にかかっているのに、業界自体が病気を患っているとは思っていないことだ」と指摘していると、9月のHPでも書きましたが、このほど半導体装置の中堅企業のトップに会って、いよいよその実感を強くしました。
そのトップによりますと、「日本の技術者は生真面目で、品質について99.9999%にこだわるのです。ところが、中国のメーカーは品質をA,B,Cのランクに分けして、Aの品質を必要としないユーザーにはCクラスを納入するのです。日本のメーカーはすべてAクラスにこだわるのです。
日本の技術者や経営戦略にMOT(マネージメント・オブ・テクノロジー)の考えが欠落しています」と話していました。
そしてその中堅企業でもこれからの採用は外国人比率を50%以上にするといいます。
「これから日本人学生の採用比率を義務付ける時代がくるかもしれません」
大卒、高卒の就職率の悪化が続けば、政府はそんなことを考えるかもしれないと言うのです。身体障害者の採用比率を義務付けているようになる心配はあるのです。
企業は背に腹は代えられないとなると、本社を法人税の安い海外に移転するところが増え、「現に、そうした誘いもある」そうです。
「今は消費税のみ、海外に比較、安いですが、そのうち日本も10%以上になるでしょうから、そうなると、海外へ向かうことになる」と言います。
日本敗退の原因
日本の企業が従業員のリストラをアメリカ式に安易にするようになり、多くの技術者がアジアへ流れました。韓国、台湾、中国は多少、賃金が高くても歓迎、受け入れました。そこで日本の熟練技術者たちは、すべての技術を伝授しました。賃金が安く、一生懸命、学ぶ従業員のいるそれらの国の企業が日本に追いつき、凌駕するのは自然の成り行きです。
日本式経営を捨てたことが、こうした形で自分たちに跳ね返ってきているわけです。やはり従業員を大事にする日本式経営を見直さないと、これから先、とんでもないことになりそうです。
次のヒット技術のリチューム電池でも同じようなことが起こっています。
【世相雑感】
●円高、中国事情などの情報、ほんまかいな?
どうも、われわれがマスコミから受ける情報が一面性に偏っている気がする。
例えば「円高で明日にも輸出企業がダメになる」ようなイメージを抱かせる。
1ドル=82円になって輸出に支障がでるのは、トヨタなどビッグビジネスで、それも原料、資材のプラス面はほとんど報じられないし、企業も明かさない。
「円高はマスの企業が影響を受けますが、プラスもあります」と、輸出が売り上げの4割の中堅企業のトップが教えてくれた。
中国もGDPが世界第2位になって、現地企業の賃金が上がってきたと日本国内で騒いでいるが、「日本と同じで、中国の田舎では工場がありませんので、報道されているような賃上げ要求はほとんどありません。あれはホンダのように都会のマスの規模の工場の一部です」と、言う。
その企業はさらに中国で工場、設備の増強を図ると言います。
あるTV番組で中国人の芥川賞受賞作家の楊逸(ヤンイー)さんが語っていた。
「日本人は中国の虚像に一喜一憂しすぎです。日本観光している中国人はほんの数%で、中国内の実態は大変な状況です」と、喝破していたのが印象に残る。
●民主党、どうですか(友人らのメール)
◎代表選、私は二人とも好きになれません。菅の消費税発言は聞くところによると周囲の者が止めたとか。
自民党も出したから俺もやると。参院選の意味する所が理解出来なかったようです。
これには小沢が怒った。「俺は何も責任を取る必要がないのに辞めた。何だこれは。」
時に当たって何が最優先課題か理解できない総理はもう一つですね。
結果的に民主党の独走を阻めて良かったのではないかと私は思っています。
(民主党の政策が未だに良く分からない)。
小沢の話は1年前の話しの焼き直し。この1年党のナバーツーとして何をしてきたのか聞きたい。菅への批判は当然自分にも責任があるのに。
小沢の話は上手い、決して具体的なことを言わないので何とでも修正できる。
幹事長として記者会見をしていた時の小沢と先日テレビに出た小沢は別人のようだった。ヘラヘラチャラチャラの満面笑顔、信じられない。
例によって中途半端な話し。もっと腹が立ったのはメディアの対応でした。
外国の要人と話すがごとくなるほどの連発。何時もの元気は何処へ行った。
小沢が総理になるとまたまた政治と金の話が続く。
小沢が予算の組替えそして財源や基地の具体的な話が出なければ信用できません。何しろ自分も豪腕幹事長、影の総理として10ケ月、その場所に居たのではないかと。
今の民主党は政権与党の能力も無いのに謙虚さも忘れ単に舞い上がり、党内はバラバラで各自狙うは一つ、ポストだけでけ。
これを過渡期と呼ぶには余りにお粗末ですね。
◎民社党の代表選も終わり、菅総理にあの白い歯をむき出した作り笑いにも見える顔が戻ってきた。
これも臨時国会で消え、あの参院選での惨敗後の顔のように苦虫をかみつぶした暗い顔に戻るに違いない。
だいたい世論もいいかげんで、菅内閣は支持(60~65%)するが、政策の実行には期待しないが、50%を超えているのである。
有言実行内閣というが、いつからの有言なのか、はっきりさせないままにキャッチコピーだけ先行させている。こうした性格の総理は折れやすいか、その場しのぎで簡単に考えを変えるものだと推察する。
そのほか、いろいろメールがきました。
●民主党党首選は戦前の予想通り、菅氏の勝利でしたね。
このたびの党首選に至る経緯で一番解せないのは、鳩山氏が「小沢さんも幹事長の職から降りて…」と、自己の総理大臣職を辞する際に小沢氏に引導を渡しておいて、代表戦では小沢支持というのが甚だ奇怪でした。
●このところ我が家に新聞販売店から、新聞購買の契約更新の催促がよくやってきます。
5年ほど前までは、日経新聞を購買していましたが、当時月間4000円超ほどでした。そこへ朝日の販売員が月間2500円でいいので契約してくれとやってきて、それ以来朝日新聞です。
けれど引っ越す度に、「販売店が違うから」との理由で、どんどん購買代金は上がっていきました。
そして近頃は、「値引き販売ができなくなった」とのことで、定価3760円の年間契約、2か月分サービスという条件を提示してきました。(年間37600円)
元々代理店?任せの料金設定だったのか、地域によって購買代金が異なるのもよく分からないし、けれどいずれにせよ、ネットメディアに押されて、広告収入が激減して、代理店への販売奨励金みたいなのが無くなってきたのかな、と思ってます。(若い読者)
●…さて、代表選ですが、はじめはどうかと思っていましたが、政策を語り始めて少しは良かったと思っています。
メディアの論調も少しは変化が見られます。大阪の演説会に行った人の話では新聞やテレビとは違って、小沢コールがすごかったようです。
私はこれまで二人の演説をテレビや新聞で見ている限り、ええかげんというか、政治生命をかけるというわりには、「ほんとうかな」と首をかしげることも多いです。
とくに、菅は市民運動家の出身だけに、発言も行動も薄っぺらに思えます。
度量がないです。若いころ、彼の事務所でアルバイトした旧友によると、「菅という人間は利用できるものは、なんでも使う」という姿勢で、確たる哲学に乏しいようです。
◎どちらが勝っても先行き、大変ですね。それより、私は日本が中国、台湾、韓国に敗れることの方を心配しています。GDPで中国に抜かれたことよりも台湾に一人当たりのGDPですでに抜かれていることの方が、ショックですね。
日本は英国のように熟成期の眠りに入ったのかも知れません。
企業は背に腹を変えられないと思ったら、政府を見向きもしないと思います。
今は消費税だけが世界的に見て安いので、本社を日本に置いていますが、優秀な個人も企業も日本を脱出するのではないかと、見ています。
すでにその動きがあり、企業は日本の学生採用はせずに、アジアを中心に外国の、特に留学生を採用しています。公用語に英語を取り入れている企業も増えています。10年後の日本社会の風景は一変、していると思います。
昨日(9月8日)は梅田に出て、阪神百貨店の「質流れ」セールの会場をのぞきましたが、オバンの大群が押し寄せていました。ここだけは日本の活力を感じます。
写真「カマキリの踊り」
●情報
【ご存じですか】
◎ブック・ツーリズム
イギリスなどで盛んなブック・ツーリズムが日本でも行われるようになりました。長野の高遠町で9月18はから23日まで開催されます。HPで確認してください。
http://takatobookfestival.org/
◎スマートシティ
スマートシティ・プロジェクトは、日米欧のスマートグリッドだけで2030年までに累計100兆円、水を含めたインフラ投資で2030年までに世界で累積4000兆円という予測もある。
これにともなって、国内の産業界も成長の軸をスマートシティに変え始めた。
IT業界、電機業界、自動車業界、エネルギー業界、建設業界、金融業界の先進企業が世界中でスマートシティの事業を動かしていこうとしている。
日本の環境・エネルギー技術は、これらのプロジェクトの中で存在感を示すことができるはずだということで、それに関連したセミナー等も盛況だ。
◎以下にいくつか事例を紹介すると、
UAEのアブダビ政府は、石油に代わる資源として再生可能エネルギーを産業として育成する「マスダール・イニシアティブ」を発表したが、その中でさまざまな新技術を実証する“実験場”としてマスダール・シティの計画を進めている。
太陽電池や太陽熱発電でほぼすべてのエネルギーをまかない、交通手段をすべて電動化し、自然の風を使った冷却法を取り入れた建築構造を利用するなど、計画は壮大だ。
インド政府 デリー・ムンバイ間 産業大動脈
インド政府は、デリーとムンバイの間に貨物専用鉄道・道路を敷設し、こ
れに沿って工業団地や発電所などのインフラを整備することにより、産業集積
を進める一大プロジェクトを進めている。
アムステルダム・スマートシティ (オランダ)
アムステルダム市は、環境意識の高い欧州でも最も早く低炭素型の都市を目
指した「アムステルダム・スマートシティ」プログラムをスタートさせたこと
で知られている。
既存の街並みは変えずに、生活スタイル、労働、運輸、公共スペースという
四つの分野で持続可能性を目指すことをコンセプトとし、現在はその具体的プ
ログラ ムを策定している段階である。
例えば「運輸」面では、船を移動手段とする街であることから、停泊中の船
に系統から電気を送ると共に将来的には停泊中の船から系統へエネルギーを戻
すというユニークなプロジェクトに取り組んでいる。
「公共スペース」では、ゴミ収集車を電気自動車化し、さらに太陽電池統制
の「スマートゴミ箱」を導入するといった取り組みが進行中だ。
韓国
済州島プロジェクト(韓国)
低炭素型の都市を目指し、済州島でスマートグリッドの実証実験を開始すると2009年11月に発表、2013年には特定地区で完成する予定である。2020年までには韓国主要都市をスマートグリッド化し、2030年には韓国全体をスマートグリッドで覆うという壮大な計画だ。
インターネット普及率、光ケーブル・ネットワークなど最先端技術を国家レベルで率先して導入した韓国が、スマートグリッドでも先行させる。ABBグループやSAPなど欧米の企業グループが協力するが、日本企業は参加していない。
中国
天津エコシティ(中国) 中国・天津で、2020年に35万人が暮らす都市づくりが進んでいる。塩田跡を埋め立てた35平方キロメートルの新しい土地に道路や水道、電力、鉄道といったインフラを整備し、住宅を建て、産業を誘致する。
「再生可能エネルギーの利用率を20%以上」「汚水の収集・処理・再利用の達成率100%」といった具体的な指標を掲げ、環境に最大限配慮した「エコシティ(生態城)」を目指す。
中国では約100カ所のエコシティ計画があり、先行する天津エコシティで採用された環境技術・サービスはアピールできる。
写真「富原村近くの彼岸花」
●私の感想
映 画
『トイレット』
『かもめ食堂』(荻上直子監督)を見て、面白いと思っていたので、今回の『トイレット』にも期待した。自分の世界に閉じこもって生きる三兄妹が、心を開いて家族のきずなを深めるまでを描くドラマで、退屈させないしっかりとした作品に仕上がっていた。
彼女の発想は実にユニークでつい、笑ってしまう。舞台はカナダ。登場する人物で唯一日本人の「もたいまさこ」は、祖母のばーちゃん役で言葉が通じないのに、画面では際立った存在感がある。
私のおふくろ、古猛妻にそっくりだと言われて興ざめした。
『悪人』
芥川賞作家・吉田修一の同名ベストセラーを映画化した人間ドラマ。舞台は長崎の外れの小さな漁村。若い二人が出会い系サイトを通じて出会う。逢瀬を重ねる恋人だった。男は福岡の女性殺人事件の犯人だったが、そこから意外な展開が始まる。エンディングが良かった。監督の李相日は在日コリアン三世。
『一緒にいて』『歌え!パパイア』
この2本は日本映画撮影監督協会(キャメラマン)主催の「日本・シンガポール映画人シンポジウム」で上映された。
『一緒にいて』のエリック・クー監督が来日、シンガポール映画について語った。日本ではなじみが薄いが、カンヌ映画祭でシンガポール映画では初めて上映された。次回の作品は漫画家辰ヨシヒロのアニメ映画で、日本人が忘れている大事なものを見せてくれるような気がする。
写真・旅三昧
●おはら風の盆
P:胡弓や三味線を弾く揃いの法被に股引姿の男ら地方たち
P:踊り子は地元の町の25歳以下の未婚者(この日、帰省する娘も多いと聞く)
9月2日~3日、八尾村のおはら風の盆に出かけた。梅田を午後3時のバスで出て、現地に夜の9時に着く。そして午前2時までの5時間は自自由行動。
2万人の町に30万人の人が詰めかけるのだから、見物も大変である。このおはら盆は郷土の伝承文化として続けており、観光のためにやっていないので、歓光客も静かに見ている。
10年ほど前に高橋治の作品『風の盆恋歌』読んで、いつかは行きたいと思っていたので、感激ものだった。
写真はフラシュ禁止で光量不足のため、人出も多く難しかった。12時から1時まで休憩に入るので、1時から出発の2時までが比較的、人も少なくなる。
現地にホテル、旅館がないだけに、バスツアーはむしろ比較的、楽しめる。しかも参加者は11人で大型バスとなったので、ゆったりした旅立だった。
(同行友人の報告)
Iさんの段取りで「おわら風の盆」を観に富山県は八尾町へ9月2日の15:00大阪を発ち、現地には21:00に着きました。5時間後の3日の2時に現地を発ち、大阪に朝の7時に着く強行軍でしたがバスが45人乗りで参加者が13人のゆったり旅行でした。
現地は噂に違わず見物者で溢れていました。風情のある男踊りと女踊り、男女の絡みもあり粋な踊りでした。三味線と胡弓の伴奏、阿波踊りに馴染んだ人には物足りないかも。
例によってIさんの行動力が光ました。あっという間に両手に美女を抱え「写真を撮れ」と。メールアドレスを聞いたのかは教えてくれませんでした。
蕎麦を食べに入った店でもその実力を発揮。(そこの女性スタッフが新潟のホテルで働いているというので)盛んにホテルがどうしたとか何処のホテルかと聞いていました。楽しいプチ旅行でした。
真庭・蒜山(岡山)
P:蒜山三座
真庭へは仕事の関係で、勝山地区のさらに山奥にある富原へ調べに行った。真庭の市役所、図書館、桜本寺、富原小学校を一日かけて走り回った。その日は久世のビジネスホテルに泊まり、翌日、勝山の保存地区を見て歩き、蒜繕の休暇村で泊まった。ここの料理は良かった。魚のノドクロを初めて食べたが、最高だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。よろしければ感想、ご意見を送ってください。
ま最後まで
99月の月の日記
● 内容(キーワード)
8月 | 27日 |
近況、雑感(民主党の代表選)、「日(ひ)没する国」、「モノづくり日本はなぜ、敗れたのか」、東京散策、写真・旅三昧(田沢湖、玉川温泉)など
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近況・雑感
【近況】
8月は多忙を極めた。執筆や取材の仕事に加えて、1週間の上京、引き続き秋田への癒しの旅、そして9月には念願の「おはら風の盆」を仲間5人とバスで出かける。
その間、旧友らとの懇談のほか、知人の陶器個展、関西吹奏楽コンクール、さらにこのあと叙勲の祝いの会、上梓する本の最終調整、趣味の写真、読書と充実はし
ているが、ハードなスケジュールが続く。そして9月3日には、富山県の八尾村で「おはら風の盆」見ながら誕生日を迎える。老骨に鞭を打ちながら、もう少しの間、
頑張ろうと決意する今日この頃です。
【世相雑感】
●民主党の代表選、どうですか
どちらが勝っても難しい局面が予想されます。世論的(メディア)に言えば、菅氏が圧倒的に有利です。その状況下で小沢氏が出馬することは大変な勇気がいるとともに、内面では追い詰められているようにも見えます。
私の極めて情緒的な見方からしたら、小沢氏にやってもらいたい。理由は信念、哲学(誤っているかも)を堅持しているように感じるからです。
菅氏は弁が立ち、にこやかな二枚目ですが、私にはごまかしのパーフォーマンスに見えます。彼は「みんなで決めるやり方がいいのか」、「独裁的に決めるのがいいのか」と、いかにも民主的なやり方を強調しています。
冗談じゃない、「みんなで決める」という民主的なポーズだけで、実際は思いつき、官僚の知恵で決めており、リーダーシップが感じられません。「みんなで決める」という響きは心地いいので、多くの人は「そうだよね」と納得するのです。だけど、責任感が希薄になります。みんなで渡れば怖くないということになります。
菅氏は「脱小沢」路線が支持されると踏んでいますが、先の参院選で大敗したのだから、ある程度、小沢氏を併せ飲むぐらいの度量がないのですかね。
人は「お前はのけ者だ」と言われると、一番、胸にぐさりとくる。子どものいじめと同じ心理状態になる。
私が生理的に一番、菅氏を嫌うのは「女房が政治の世界に口を挟んで、発言することを許している」ことです。もちろん、夫人の自主的な判断かも知れませんが、かなり計算された二人のパーフォーマンスに見えます。ある、新聞インタビューでは政治家の具体的な名前を上げ、ほめちぎるなど、きわめて戦略的です。
経営者でも政治家でも女房が口をはさんむと、ろくなことがないことは、歴史が証明しています。
菅夫人もヒラリー・クリントンのように自ら政界に出て、発言するなら納得しますが、総理の夫の影に隠れて言いたいことを言う、それも国民目線でとなれば、冗談じゃないよと思ってしまう。
まあ、行く末を興味深く見守るしかありませんが・・・。
【今年も咲いたカノコユリ:自宅庭で】
「日(ひ)出(い)ずる国」から「日(ひ)没する国」へ、そして再び
●あとでも紹介しますが、最近、読みました『新しいものを次々と生み出す秘訣』(田上勝俊著)と『イノベーションのジレンマ、日本「半導体」敗戦』(湯之上隆著)の二冊で、日本の技術が韓国、台湾に敗れ、世界市場で苦戦しているかが、分かってきました。
これからの日本は「日(ひ)出(い)ずる国」から「日(ひ)没する国」になるでしょうが、日本民族は優秀ですから再び「日(ひ)出(い)ずる国」になると思います。
最近、読んだ本、観たテレビ番組、会った人の話からそう感じましたので、以下に雑駁ですが、綴っていきます。
日本はどうなる
●テレビである金融アナリストが「企業は石油代金、配当で資金は海外流出、労働賃金は低下する。景気回復しても所得は増えない」と語っていました。
●「日本の、これから」(NHK総合、8月14日)
日韓の若者が語り合った番組でした。
韓国はものすごい過当競争、それが国を強くしているという。
1.リーダーシップ
2.社内競争 成果主義と能力主義
3.徹底した現地化(その国のニーズを研究)
この3点で韓国企業は世界を制覇している。
ただ、本音の声として「不安の上に発展」と感じているようだ。
歴史認識では日本の若者が現代史で日韓問題の多くを習っていないし、日韓併合についても自己弁護が過ぎる点を指摘していた。
日本はなぜ、敗れたのか
●なぜ、日本は韓国、台湾、中国に敗れたのか―という問いに、ある程度、納得させてくれた記事と本、そして人に出会った。
まず冒頭でも紹介した元本田技研工業の常務田上勝俊氏の講演録と著書『新しいものを次々と生み出す秘訣』を読んで、8月の日記で書いたことと同じことを技術者の口から聞けたことでほぼ確信を持つことができた。
大量生産、大量消費システムの限界
●田上勝俊氏によれば、次のようなことになる。
73年のオイルショックでエネルギー危機がやってくる。それまでアメリカは自動車、冷蔵庫をはじめ電化製品の多くが、大型のものが主流であった。ところが、日本がやっていた省エネ、省資源、小型化、高性能化が一挙に世界のニーズと結びついた。そして80年代はその成果が出て、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、モノづくりでトップに躍り出た。
この勝ちパターンは、「よいもの」を「安く」「大量に」生産したことで成功のビジネスモデルとなった。ところが、バブルが崩壊後、すっかり変わってしまった。市場の要求するレベルを超す製品がどんどん出てきた。つまり過剰品質、過剰性能の製品づくりが進んでいった。
やがて韓国、台湾は日本のあとを追ったが、はじめは品質が悪いので安いのだろうということで、誰も買わない。ところがそのうちに、追いついてそこそこの製品をつくれるようになった。品質は要求レベルに合わせて、安いものをつくれば、市場はどんどん受け入れたのである。
追い打ちをかけたのが、85年のプラザ合意による変動為替相場で80円を割ることになって、安いものがつくれなくなってしまう。
そしてバブル崩壊前までは足らないという時代だったが、崩壊後はだいたいのもが充足してしまった。このため、日本の企業は一生懸命、コストダウンに取り組んだが、所詮は焼け石に水だった。
結論としてはこれからの時代は感動する製品を志向することだという。その一例として自身が手がけた二足歩行のロボット開発の発想を述べていた。
田上氏の著書もだいたい同じ内容だが、キーワードで補足すると、次のようなことである。
日本は技術立国しか生きる道はない。資源節約型システムは不変であるが、キャッチアップ型手法は通用しない。横並び意識の終焉である。これからは自ら革新技術を起こすという意識改革が必要だ。
大量生産、大量消費システムが限界にきている。21世紀は「作る」から「造る」を経て「創る」時代である。
●湯之上隆氏の著書『イノベーションのジレンマ、日本「半導体」敗戦』も田上氏と同様な認識である。彼は日立製作所の半導体技術者で、「40歳、課長職以上は、全員責任を取ってもらいたい」と早期退職勧告がなされ、ちょうど40歳で主任研究員であった湯之上隆氏も都合3回の早期退職勧告を受けて退社。
世界の80%のシェアを占めていたDORAMから日本の半導体メーカーがエルピーダメモリ1社だけを残して撤退してしまったのかを社会科学的に研究、論文発表した。
結論的には「日本の半導体産業は過剰技術、過剰品質の病気にかかっているのに、業界自体が病気を患っているとは思っていないことだ」と指摘している。
印象に残ったのは、「日本の半導体の最大の問題は、ゴ―ン(日産自)がいないことだ」と、ゴ―ンが来てやったことは、原価管理部をつくったことだと、喝破している。それほど日本の半導体企業の経営者も技術者も原価意識が欠落しているという。日本の設計技術者は品質至上主義で原価意識が希薄である。
世界の半導体ではいつも売上ランキングで米国(インテル)、韓国(サムスン)が上位を占めているが、生産能力で見ると、売上ランキングでは1社も入っていない台湾がトップ10に4社も入っている。世界の半導体をリードしている国は台湾だという。
そして世界市場に普及しているのは低価格製品だと指摘している。日本の半導体メーカーにマーケッティング部を設けているところはなく、日立では担当者が数人しかいないのに対して、サムスンは200~300人いて、たえず現地に赴いているという。
●中堅企業のトップと大学教授の憂い
この問題に関連して、約40年前に大手企業をスピンアウトして立ち上げた中堅企業の社長、および産学連携に取り組んできた京大教授に話を聞く機会があった。
まず中堅企業の社長もマーケットにあった技術レベルの商品をつくってこなかった。これが韓国や台湾に負けた原因だと指摘する。
大手企業はグローバル化ということで海外に移設、国内市場にしがみついている中小企業はこの先、どうすればいいのか、日本に中小企業がなくなる日もくるのではないかという。
これまで日本の大学に留学していたアジアの学生は日本での就職が難しかったが、いまは引っ張りだこだという。それは英語など語学力で日本の学生を圧倒しているからだそうだ。
●京大工学部教授の話
この話に一番、ショックを受けた。
「今の学生は楽しくきれいな女の子とデートすることが夢で、汗をかくことは運動も含めて嫌だという学生が増えています。以前の研究室は24時間、明かりが消えたことはありませんでしたが、今はほとんど6時以降、消灯しています。授業中、眠っている学生も多いですね。この大学はましな方ですが、その比率が少ないだけで、全体の傾向と同じです。
また、話(コミュニケーション)が出来ない学生も増えています」
日本のトップクラスの教育現場から嘆きの声が聞こえてくる。
バブル以降、なんでも与えてもらえるという風潮になって、自発的にやらない。コンピュータでなんでも処理して汗をかく実験なども嫌うというのである。
●私の感想
最近、オーストラリアへ休暇で出かけ、帰ってきた人に話を聞いた。
現地ではかつての日本人から中国人に観光の主役は変わっていると、現地のお土産物店が話すそうだ。
現地ガイドに中国人を配置して「シェー、シェー」と日本人に対しても連発している。クルマはトヨタも走っているが、韓国のヒュンダイが目につくそうだ、テレビはほとんどがサムソン製だという。
日本は原理原則の発明発見が少なく、オリジナル製品と言っても原理は欧米のものというのがほとんどである。
以前、ある大手家電メーカーのトップから「アメリカでは軍事や宇宙(NASA)関係で最新の技術開発が行われているが、日本はそれらの技術を応用するところに優秀な技術者を配属しています」と、民生機器では絶対に負けないと80年代の経営者は胸を張っていた。
ところが、モノづくりでトップになると、それを過信、奢り高ぶり、自ら発明発見する姿勢がなくなっていった。
とにかく、電化製品、携帯、パソコン、そしてクルマにしても過剰機能とモデルチェンジで価格を上げている。この戦略は日本で通用しても海外ではダメで、そのうち国内でもやられる予感がする。
東京・銀座の松屋の日常生活品売り場に行った。百貨店から電化製品が消えて久しいが、日常生活品売り場には一部、電化製品も置かれている。デザインがすばらしいミキサーを見てみると、「中国製」とあった。高級日曜雑貨品の中にも今や中国製が進出しているのである。
日本のメーカーは発展途上国の富裕層を狙って海外展開をしているというが、日本の富裕層を狙っているのは中国や韓国である。
【八幡平で観たクジャクチョウ】
若者の眼
日本は先の戦争もそうだったが、トコトンまで行かないと、わからない民族だということを、ある若者と話していて感じた。
「日本は終わっていますよ」
だいたい政府がだらしなさ過ぎる。ギリシャのことを笑う資格がないという。だって年金デタラメ、戸籍もデタラメ。先進国でこんな国はない。どうなっているのと、思うのが普通ではないか。テレビはワイドショー的に報道しているだけだ。
確かにそうだ。昔、日本の汽車は時刻通り出発、到着することに海外の人たちが驚嘆し敬意を表したものだ。すべてにわたって正確で完全であった。ところが、今の日本のざまはなんだというわけである。
●酒飲み運転
これほどやかましく言われても飲酒運転が止まらない。アメリカでは息を吹きかけてアルコールが検知されると、エンジンがかからない。こういう事には徹底している。
国民の総背番号制も導入している。日本は何に気を使っているのか知らないが、なかなか導入ができない。
政府なんかあてにしていたら、とんでもないことになるので、優秀な日本人は海外へ移る準備をしている人が多いという。シンガポールは「どうぞ、好きな研究をしてください。費用はすべて政府が持ちますので、体ひとつで来てくださいと呼びかけ、世界中から優秀な科学者、技術者が集まっている」という。
●1$=200円の円安になったらどうなる
「今、日本は円高で大騒ぎしているが、円安、たとえば200円になったら、どうなる?ガソリンはいくらに跳ね上がる?」
今のうちに外貨をため込んでおくしか日本が生き延びる道はないという。
●サムソンは不況の時に設備投資し、人の採用もしている。
採用した人を現地に派遣、徹底的に市場調査をしている。日本の企業も進んでいるところは、すでに本社を海外に移転、これからも続々と海外へ移る。法人税の安い国に向けて。また、日本の若者なんか採用しない。世界には優秀な学生がいっぱいいる。大卒採用の主流は外国人の学生になりつつあるから、当然、日本の学生の就職率は悪くなる。
ソニーなど社長に外国人を選任する企業も増えてくる。当然、英語が公用語になっている。日本も同じようになる日も近いだろう。
落ちこぼれた若者にとっては、就職は楽ではない。職場での仕事もきつい。職場は日本にしかないと思っている。しかも楽しみたいと考えている。そうした若者はアルバイトでもしながら親のパラサイトとなって、怠惰な日々を送っているのが実情のようだ。
政府はリストラや失業している若者に転職の支援事業を展開していることに胸を張っている。ところが実態は高度な授業についていけない。だけど通っているのは、その間、失業保険を受給でき、学割の扱いを受けるからだ。
日本の人口は減る一方で、民主党は環境、介護、観光、農業などの産業育成を図る第3の道を模索している。
どれもこれも雇用の拡大にはつながらない。韓国、台湾、中国には追い抜かれるのも当然で、だいたい、これだけ財政が悪化しているのに国会議員の削減、公務員給与の二割カットなど公約ひとつ実行できない。
「こんな日本に誰がした」というのが、3年後の総選挙の時に問われるが、そこまで持ちこたえられるかどうかだという。
彼はアマゾンの電子書籍「キンドル」を予約したそうだ。新聞、書籍もこれで十分だという。記事でわからない言葉があれば、それをクリックすれば、説明されるという。
ある有力新聞販売店の店主からの暑中見舞いに「強力な他紙の販売店が閉鎖、当店が預かりとなりましたが、激変の夏でした」と、ありました。活字媒体も転換期を迎えているようだ。
【玉川温泉の湯けむり
●それでも希望を
日本が目指すべき技術分野は田上氏も指摘しているようにバイオテクノロジー(BT)、ナノテクノロジー(NT)、ロボットテクノロジー(RT)、ITの4つのT、テクノロジーだという。
もし日本が二酸化炭素25%削減や省エネ技術、あるいは石油代替エネルギー技術で独自なものがつくることができれば、再び世界のトップになれるに違いない。
高齢者社会の中で介護ロボット、医療分野で再生医療の技術によって難病を克服できれば、世界から称賛されるに違いない。
そういう意味でいまは大転換期の時代で、そのためには時間もかかるだろうが、今からそういう問題意識を持って官民が取り組めばかつての栄光を再び手にするに違いないと確信している。
●GDP第3位に転落(友人からのメールから)
日本が世界を制すると思われていた日々は、もはや色あせた思い出だ。それでも日本は、着実に成長を続ける中国に目を光らせながら、世界第2位の経済大国の座を長く守ってきた。だがついに隣国に追い越される魔の瞬間が訪れた。現在直面している経済問題に政府と国民がどう対応するか―それがこの先50年のこの国の行く末を決めることになる。残念ながら今のところ、答えは見えていない。
ある意味、今回発表された4-6月期の国内総生産(GDP)は空騒ぎをもたらしたと言えるかもしれない。結局のところ、ほぼすべての面で、日本の生活環境は、中国よりもはるかに快適で安全、可能性にあふれている。日本は世界有数の長寿国であり、公害がまん延した1970年代から環境は劇的に改善した。社会保障は手厚く、国民1人当たりの国内総生産(GDP)は約3万9000ドル(約330万円)で、国際通貨基金(IMF)がまとめた中国の3600ドル(約30万円)の10倍以上。日本が清潔で安全で豊かな国であることは誰の目にも明らかだ。
翻って中国はというと、威光の影に隠れて数々の難問が山積している。政治的脆弱(ぜいじゃく)性、環境悪化、大きな所得格差、時に敵意に満ちたナショナリズムの復活など問題は多岐にわたる。インターネット上には、最近の雨の影響で三峡ダムに流れ込んだ大量のゴミの写真が氾濫(はんらん)している。社会的セーフティネットは農村部を中心に遅れが目立ち、ただでさえ生活が苦しい農家は、料金を前払いしないと医療サービスが受けられない。大都市では、不動産の価格高騰と供給過剰にともない、空室が目立っている。
だからといって、日本は安堵(あんど)すべきではない。当然、日本にも問題はある。この20年間、景気の悪化とともに日本はほとんど抜け殻のように過ごしてきた。ケインズ主義的な景気刺激策が何度となく打ち出されたが、日本の政治家が、今でもこの種の措置に頼ろうとしていることには驚かされる。日本は研究・開発に世界有数の投資を続けているが、技術革新という点ではもはや世界を主導する立場にはない。日本の高度経済成長を促した政府の規制と産業奨励策は、市場に基づく発展を目指すうえで障害となった。
日本の抱える真の問題は、政府や産業にかかわるものではなく、社会に根ざすものかもしれない。そのため解決がはるかに難しいのだ。あらゆる社会は、独自の理論(あるい不合理)に基づいて発展する。日本の社会は、その複雑さゆえに、日本独特のニーズに適した進化を遂げてきた。資本が自由に移動し、アイデアが共有され、消費者が幅広い選択肢を持つことが当然とされるグローバル経済への変貌に、日本の社会構造はあまりに硬直的ではないか。日本の社会は、あいかわらず階層やコンセンサスを重視しており、それが現在の資本主義の原動力である起業家精神を損なうという意図せざる結果を招いている。このことで、多くの日本人の創造的なエネルギーが、個人な利益の追求に向けられ、経済活動から離れている。
ほかにも要因はある。日本は戦後、欧米に追いつくことを第一の目標に掲げてきた。だがその国家目標は、なぜ追いつくことが望ましいのか、日本の豊かな暮らしとはどのようなものなのか、といった大局的見地に結びついていなかった。今や日本人は、1980年代当時の世界進出に向けた強い意欲を徐々に失いつつある。
バブル時代、日本は次の世界の超大国になるとの期待を抱いた。この10年はそのような行き過ぎた期待を修正するのに必要な時期だったともいえる。恐らく、当時の日本人の世界進出の野望は、背伸びしたものだったのだろう。ある意味、内向きの現状は、日本の長い歴史を踏まえれば、より正常な状態かもしれない。だからといって、日本人留学生が減少の一途をたどり、外国人の移民・帰化がほとんど認められないような現実が問題であることには変わりはない。
09年の総選挙で民主党が大勝した一因は、すべての国民に等しく機会(オポテュニティ)が与えられる、新しい日本を作るという方針が支持されたことだった。それにもかかわらず、日本が世界で果たすべき役割、経済成長を促す方法、国内の社会問題への対応について、国民的な議論はまだ行われていない。欧米の観点では、オポテュニティには、革新を起こし、リスクを取ってチャンスを手に入れ、自分と取り巻く世界の変革を試みる自由が含まれていなければならない。現在の日本では、そのような精神は抑えられており、将来への不安がまん延している。だからこそ中国の台頭を苦々しく感じるのだ。
現在のような悲観ムードは、何世紀にもわたる政治、社会、経済モデルが崩壊した1860年代の日本にも見られたはずだ。だがそういった混沌(こんとん)のなかから、欧米以外では史上初となる、近代的な社会構造を持つ、勢いのある国家が誕生したのだ。
日本人はショックを受けたときに最高の力を発揮する―――あるベテランの日本人ジャーナリストから聞いた言葉だ。世界第2位の経済大国の座を中国に奪われたことは、日本人を奮起させ、創造的なエネルギーを解放するきっかけとなるだろう。
【写真】隅田川(浜町公園)から見たスカイツリー(8月18日撮影)
東 京 散 策
●スカイツリー
東京ではスカイツリーの話題が連日、報じられています。浜町近くの隅田川から見たスカイツリーの写真を表紙にも載せています。
●1坪の店で年商3億円
「小ざさ」と聞いて、わかる人は、相当な甘党通でしょう。これは東京・吉祥寺にある一坪の店舗で、モナカと羊羹の二品で年商3億円以上、上げている驚異的な店です。
実はこの羊羹は日に30人分、1人5本、計150本しかつくらない。このため、朝早くから並ぶことで有名。
8月16日、お盆明けのこの日、開店の午前10時前に店を訪れた。数人の方が開店を待っていた。「国分寺から自転車で1時間かけて午前2時から整理券が配られる8時半まで並びました。3番目でした」
「ここの羊羹、それほどおいしいのですか」
「そうとも思いませんが、意地ですね」
整理券を手にした人は開店の10時まで、自由行動となる。店の前に小型バンが全国発送するモナカを忙しそうに積み込んでいた。
二代目と思われる店頭にいた主人に「あの『日本のいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著)の本で紹介されていた内容は、間違いありませんか」
それだけを確認して羊羹をあきらめ、帰りにモナカ(5個入り290円)を買って味見をすることにした。
驚くような味ではなかったが、価格が安くおいしい部類に入ると言えると感じた。
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●吉祥寺の目玉観光
開店まで時間があるのでサンロード商店街を通って寺めぐりをした。途中で「武蔵野市観光推進機構」の看板が見えたので飛びこんだ。
ここで吉祥寺の情報を集めた。職員は熱心に説明してくれた。
そこでわかったことは吉祥寺という寺はないということだった。今の水道橋にあった吉祥寺が明暦(1657)の大火で焼失、このため門前の住民が幕府の呼びかけで吉祥寺に転居、開墾して村ができた。
「吉祥寺の観光の目玉は何ですか」
「日本で最初に爆撃されたのが吉祥寺中央公園です」
「本当ですか。ぜひ、行ってみたい」
【小ざさの店とステンドグラスの笹の葉】
柳沢駅行きのバスに乗って公園に向かった。
緑が美しいのどかな畑地であったこの武蔵野台地に昭和13年、ゼロ戦の製造を目的にした中島飛行機㈱が大規模な工場を建設した。
「日本で一番先に爆撃を受けたとは聞いていません。ただ、攻撃の最重要目標だったようです」
公園の管理事務所の若い職員が親切に対応してくれた。戦後、米軍宿舎が建設され、のちに返還され公園に生まれ変わった。
吉祥寺の商店街は活気に溢れていた。駅北側の周辺は戦後の闇市の爪痕のように、まるでハモニカのように「小ざさ」のような小さな店が所狭しと並びハモニカ横丁と名付けられている。
昼食をこの一角にあるつけ麺の店「虎洞」に入った。味はまずまず、ボリューム満点だった。
このあと、井の頭公園を散策、そのあと友人の事務所がある板橋区役所駅に向かった。途中、巣鴨地蔵商店街を歩いてみた。ここは吉祥寺と違って年寄りが多いが、さすがにこの日は38度Cの暑さで人出は少なかった。
【吉祥寺中央公園】
●人形町というところ
人形町の「人形」は歌舞伎小屋がたくさんあったが、歌舞伎を簡便に見せる人形歌舞伎の小屋ができ、人形作りの職人を輩出し、街の名称が人形町になったそうだ。最近、人形町がテレビで紹介されたこともあって、平日の17日も人出は多い。
人形町の甘酒横丁を歩いた。ここの商店街は歩いて見て、楽しいところだ。人形町は徳川家康が江戸に入ってきた時以来、日本橋・人形町は商業の街として支えてきた。
ここに日本橋図書館がある。小学校も含めて西郷隆盛の邸宅があったところだ。立派な図書館だ。
人形焼きの「亀井堂」という老舗風の店を見つけた。店の前で試食品を配っていたおねえさんに釣られて店内へ入った。上品なお母さんがいた。
「あん抜きの人形焼きは売り切れました」
「では、明朝、出直します」
「刷毛抜き」という伝統手法で一枚いちまい手作りのせんべいが逸品だという。翌朝、結局、あん入りの人形焼きを買った。せんべいは年寄りには硬すぎる。しかも2枚、390円は高い。
人形町亀井堂は明治6年、神戸元町に創業した亀井堂総本店から昭和4年、江戸初期から東京に在住する旧家の佐々木家にのれん分けされた。神戸ではせんべいは作っているが、人形焼きはここで作ったという。
「熊はん」という居酒屋を紹介されたが、17日まで盆休み。ここは京・割烹の店でいわゆる居酒屋料金ではない。
グルメの本には居酒屋「笹新」が紹介されていた。こちらは大衆居酒屋。
元祖親子丼の「玉ひで」もなかなか味わいのある店に思えた。平日の昼、
11時40分ごろ行ったが、すでに40名ほどが列をつくっていた。
翌日、11時25分に着くと、すでに10数人の先客があった。幸い、最初のクルーの最後に入り込めた。
名代親子丼1,300円、元祖親子丼1,500円とある。そのほかにも親子丼が、3種類ほどある。1,300円の方は普通の鶏肉、1,500円の方は軍鶏(シャモ)肉、シャリシャリ感がある。
この店の近くに親子丼780円とあった。「玉ひで」は高過ぎると思うが、客は列をつくって食べにくるのは、この店の創業が宝暦10年(1760年)という老舗に魅かれてのことかもしれない。たかが、親子丼だが、繁盛している。私自身は当分、食べないだろう。
人形町の交差点を10mほど北に「アップル」というコ―ヒの旨い喫茶店がある。
根津に豆腐屋がやっているヘルシーな食堂「根津とうふ屋 須田」に朝食を食べに行った。ここも普段は列をつくっているそうだ。この日は2人目の客だったが、すぐに後続があった。
こうした今風のヘルシーで客を引き付けているのは大したものだ。店も簡素で清潔感がある。
【八幡平の朝】
写真・旅三昧
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●あこがれの辰子姫像
癒しの旅先を辰子姫像とした。秋田新幹線で東京から約3時間、田沢湖駅、そこからレンターカー20分で着く。
湖面は青く美しい日本一深い湖。
実は「辰子」というのはわが女房と同名で、本人は嫌な名前をつけられたと、親を恨んでいたが、ある時、田沢湖の辰子姫像の逸話を知って以来、いつか訪れたいと願っていた。
あこがれの辰子姫像は青い湖面に金色に輝かせ、美しい姿を見せていた。写真には朝か、夕暮れ時が最高だろうなと思ったが、この日は午後4時には切り上げなければならなかった。
実はこの近くに湯治場として有名な玉川温泉があると、以前から友人に聞いていたので、一度、行きたいと思っていた。
そこで癒しの宿・玉川温泉を選んだ。ここは田沢湖から八幡平(はちまんたい)へ向かってクルマで約1時間、山奥に入ったところにある。
ここは湯瀬(ゆぜ)ホテルグループで、このほかに新玉川温泉もある。創業者が観光開拓に力を入れて今日の湯治場を築いたそうだ。ここは十和田・八幡平国立公園の中にあるので、規制が厳しいようだ。公園内にはいくつか温泉があるが、玉川温泉には宿泊ホテルは1軒のみ。
この温泉は焼山1,336mの火口(危険区域)から出ており、岩盤浴のできる場所の大墳から98℃、PH1.2という日本一の強酸性の湯が、大量に湧き出している。下流では「玉川毒水」と呼ばれ、魚も生息できないほど塩酸が含まれている。玉川ダムの建設に続いて平成元年から中和処理施設が稼働、今では田沢湖にも魚が生息しているという。
効能があるのか、病をかかえたシニア族が全国から訪れ、1週間から10日ほど滞在する人が多い。バスツアーも多く、集団でやってくる。また、ホテルとは別棟で自炊できる施設もある。
【玉川温泉の岩盤浴】
「腹部の手術4回しました。以来、毎年、これまで10回来ていますが、効果があります」という顔つやもいい紳士が話した。また、集団で来ている人の一人は「母親の代から40年近く、来ています。今回は10日間、滞在します」というように、長期滞在のリピーター客が多いのである。
湯瀬(ゆぜ)ホテル:美人の湯
新玉川温泉:癒しの湯
玉川温泉:効能の湯
同じグループもそれぞれキャッチフレーズを変えている。玉川温泉はエアコン、テレビなし、扇風機のみ、新玉川温泉はテレビはあるが、エアコンはなし。山の中にあるので、夜は扇風機で快眠できる。料理は産地の食材で結構、おいしい。
興味ある方は玉川温泉のHPをご覧ください。
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●8月の日記
● 内容(キーワード)
8月 | 3日 |
近況、雑感(聴覚障害)、パナソニック、日本の技術に想う、メール往来、声 |
8月の日記
【大和川を渡る神輿 8月1日撮影】
●住吉大社の「住吉祭」の神輿が大和川を渡る渡御発輿祭に出かけた。初めて見たが、約3時間神社から商店街を通って大和川までねり歩く。
沿道では住民が見守る。中にはお祈りする高齢者の姿もあった。
祭りが住民と共に盛り上がっていた。
近況・雑感
近況
暑い日が続きます。時には大雨、各地で災害も多発。信じられないような社会事件、政局・政界も波乱含み。なんとか、体調を維持するのがやっとの今日この頃です。
聴覚障害
先ごろ仕事で大阪市立聴覚特別支援学校(旧・大阪市立聾学校)へ行った。初めての経験だった。
1900年(明治33年)設立だから110年の歴史がある。
伝達は手話、口話、指文字の3種類でする。
日本の手話は日本だけしか通じないそうだ。しかも自然発生的に各地で使われていたので、方言のような形で残っているという。
昭和8年の全国聾唖学校校長会で、当時の文部大臣(鳩山一郎)から「全国各聾唖学校に於いては、聾児の口話教育に奮励努力し研鑽工夫を重ねられることを望みます」との訓辞がなされた。
これにより口話教育のみで進めるという方針になった。しかし、時の大阪市立視覚特別支援学校の校長は「当校では従来通り、3つの伝達方式を続ける」と方針を貫いたそうだ。
今日では手話は言語として認められている。
同校は普通の学校と同じ教科書を使用している。幼児・児童・生徒数は、幼稚部35人、小学部62人、中学部40人、高等部44人、併せて181人の規模。(7月26日)
【かたつむり:堀 英彦氏・撮影】
雑 感
●パナソニックが三洋、電工を完全子会社化に想う
松下幸之助の時代もビクターや宮田自転車など多くの企業を傘下に加えましたが、経営統合せずに自主独立を重んじました。
規制緩和でHDカンパニーが認められ、驚くようなスピードでグループが進んでいます。今回、子会社化する理由は「スピード」を求めるためと言います。スピードを出し過ぎると、魂を置き去りにしがちですから要注意です。
パナソニックも当初、松下電工や三洋電機を傘下に加えた時は、それぞれの自主性を重んじました。ところが家屋丸ごとパナソニック製品で埋めようとすれば、完全子会社化によって、スピードを上げないと競争に勝てないということらしい。
確かに企業の論理としてはわかりますが、市場のニーズから見ると、そうかなという疑問が生じます。仮に家屋の全てがパナソニック製品で埋め尽くされたとしたら、住人の居心地はどうだろう。よほどのパナソニックファンならいざ知らず、普通の感覚では息が詰まるはずです。
真の狙いは違うところにあるように思います。三洋電機の社長が言うように、三洋の幹部からパナソニックの社長が誕生すれば、すごいことですが、この成り行きは注目されます。
極端な話、韓国のように財閥を形成して家電メーカーも1,2社になれば、国内の過当競争もなくなり、グローバル化に対応できるということに行きつきような気がします。
●日本の技術に想う
◎ 最近、仕事で科学・理科教育に関連して各方面の関係者にお目にかかる機会があった。その中で感じたことがある。
一つは韓国や中国に日本の技術をぱくられたために、日本の技術がダメになったという。
一つは日本以外の国は、政府と民間が一緒になって売り込んでいるが、日本はまだまだ遅れている
一つは日本の学校教育は詰め込み主義で、科学・理科教育の本質を教えないので、その面白さが湧かないため理科離れが起こっている
◎ 概略、印象に残ったことは、以上のようなことである。
私から言わせれば、いまさら泣き言を言わないでほしいと思う。
まず「韓国や中国に日本の技術をぱくられた」という認識についてである。
冗談やない。日本は戦後、欧米からとくにアメリカから技術をぱくり、学者などは英文の論文をまる写しして学位をとった人たちも数知れずいたのである。
物まね日本の汚名をかぶせられるほど、日本は欧米の技術や製品を盗んで(時には特許料を支払って)、生産性(低賃金)で欧米の企業を凌駕、ついには市場から追い出したのである。
これで困ったアメリカは世界から工場誘致を図り、一方、知的財産の戦略、金融商品の開発、そしてグローバル化の名のもとに巨大投資ファンドを展開したが、リーマンショックで驚き自由主義経済の旗を降ろしたのである。
中国や韓国がこれほど急成長するとは思わなかったのだろうが、日本の企業は低賃金労働を求めて、草木がなびくように中国や韓国に進出、自らの欲で工場移転をし、今頃になって「技術をぱくられた」というのは、いささか筋違いである。
日本はさらに上を目指す志こそ大事であろう。それで敗れたら相手が強いということである。もともと世界の四大発明は中国から生まれているのだから
負けても不思議ではない。
◎ 「韓国のサムソンがLSIや半導体で日本を凌駕したといいますが、品質、
集積度では日本のものが圧倒的いいのです」と、技術者は胸を張る。
何を言っているのかと思う。それほど品質の優れたものなら負けるわけはないだろう。考え方が違うのである。韓国や台湾は消費者ニーズに合わせた製品づくりをしているので、日本のような過剰品質を求めないのである。
日本の家電メーカーは絶えずモデルチェンジを繰り返しながら高価格を維持する戦略をとっている。しかもほとんど使わない機能を満載している製品づくりをしている。日本が負けて当然である。
◎ 「理科離れが起こっている」ことについて、現場の教師たちは「マスコミは
理科離れを報道するが、科学や理科の教育番組はほとんど流さない」と痛烈に批判している。
詰め込み主義と学習塾、文科省の総合学習の方針のもとに、現場では多忙をきわめ、理科実験など興味のわく、考える教育などは理想に近いという。
最近、新聞で「中3でも円の面積が出せない生徒が多く、日本のレベルの低さを嘆く」と報道していた。
だいたい、円の面積=円周率×半径×半径の意味を完全に説明して、子どもたちに興味を持たせる教え方がどれほどできているかが疑問である。
円周率もろくに説明できず、ただ、この掛算だけを覚えさせているのである。抜き打ちテストでは忘れても不思議ではない。
◎ 「政府と民間が一緒になって売り込んでいる」と他国の動きをうらやましそ
うに嘆く。その昔、日本の首相が小型テープレコーダーを自慢したら「日本人はエコノミックアニマルだ」と蔑視されたことがあった。最近、新幹線や原発の売り込みで現政権は経済界に尻をたたかれてやっているが・・・。メーカーは税金で販促してもらっているようなものだ。以前は、商社がその役割をしていた。その商社出身の経営者が大使を務めている。やっていることがちぐはぐである。
メール往来1
◎
(友人から)先の日記で「経済成長で元気にする、というようなことでは日本人
の幸せは取り戻せない」と言っておられますが、少々異論があります。
せめてデフレから脱却し、日本の潜在成長率くらいの成長を確保しませんと、雇用も年金も生活も、そして国家財政も先行き不安が拡大するだけです。日本を覆う閉塞感の大きな原因は「経済の停滞」にあると思います。
もちろん、経済成長は必要条件にすぎず、それだけで幸福になれるとは思いませんが。
◎
(岡田)確かにご指摘の点は理解できますし、そう思うこともあります。前
回、冒頭で書きましたのは、資本主義経済を違う目で見る必要があるのではないかと、このところ衰退する日本を見ていて思うのです。
◎
(岡田)日記でも紹介しました僧侶・松尾心空は著書『人生まんだら』のなかで
彼は「肥壺とカネは、たまるほど汚くなる」の例えをだして経済大国になっても満足を覚えることのない胃拡張のように、儲けても、稼いでも、貯えても
その拡張された欲望は満足を得ることはない一種の経済的胃拡張にわれわれは陥っています。
このようなことを書いておられました。
実は同じようなことを私は雑誌に書いたことがあります。
―ある男が望めば何でも手に入れられると、神から告げられた。そこで男は大きな家、大勢の召使、美しい妻とあらゆるモノを手に入れ出した。
欲望は拡大する一方である。ついには、あきるほど満腹状態になったとき、「一度、地獄というところを見てみたい」という欲望が湧き起こり神に願った。
「そうか、それほどまで見たいと言うなら見せてやろう」と、その男は地獄に落ちて死んでしまった。
人間の欲望はとめどもない。出家者は少欲知足(ちそく)、つまりわずかな欲にとどめ、足(た)ることを知っているのである。
経営者は大欲であっても知足を知らなければ、男のように地獄に落ちてしまう。
◎
(岡田)資本主義経済は拡大再生産を続けなければ、衰退します。欲望は科
学技術の進化となり、生活を向上させる面はあります。一方で知足を知らなければ、最後はどうなるか、これが私の問題意識です。
中谷巖氏も『資本主義はなぜ、自壊したのか』の中で「二十一世紀はグローバル資本主義というモンスターが解き放されたままで、人間の欲望がモンスターを呼び覚ます危険を持ち合わせている。
従来の資本主義経済では、その行動を抑制する外部、つまり強制力をもつ中央銀行や政府の存在が、欲望を抑制してきた」と指摘しています。
少子高齢化社会の到来で、この社会に何を求め、そのありようについて思い巡らす今日この頃です。これからもご意見、ご指導よろしくお願いしますーと返事を送りました。
◎
(友人から)小生の異論にご丁寧な返信をいただき、ありがとうございました。どうやら、
少々、筋違いの議論を申し上げたようで、恐縮しております。
おっしゃることは大変よく分かります。とめどもない強欲な金融資本主義の結末であるリーマン・ショックはおっしゃることの見事な証明でしょう。
また、私自身、座右銘として「人間本来無一物」と「山僧活計茶三畝、漁夫生涯竹一竿」と自筆した紙を本棚に貼っておりまして、常に「足るを知る」ようこころがけています。
とはいえ、最近の厳しい雇用環境や破綻寸前の国家財政、そして年金財政を見ますと、経済の構造を変え、パイを拡大することは喫緊の課題でもあります。毎年、就職したくても無業のまま大学・高校を卒業する3万~4万人の若者に「足るを知る」教えはなかなか通じません。
経済成長とその裏にある過酷な競争をどう豊かさに結びつけていくか?
マクロとミクロの議論が必要なのかもしれません。
追伸:欲望の果てに地獄に落ちた男の話を引用しておられましたが、私は若い頃、発展途上国(当時は「後進国」と称してました)の経済援助にまつわる以下の挿話を聞き、印象を深くした記憶があります。
☞椰子の木の下のハンモックで一日中揺られて過ごしている男がいた。
先進国から来た男(多分企業関係者)が怠け者を叱咤し、企業で
働くよう促した。
途上国の男;働いてどうなる?
先進国の男;働くと給料がもらえる。
途上国の男;給料をもらってどうなる?
先進国の男;給料を貯めて、楽な暮らしができる。
途上国の男;楽な暮らしでどうなる?
先進国の男;一日中何もせずに遊んで暮らせる。
途上国の男;見ろ、今オレはそうしてる。
◎
(岡田)「椰子の木の下の話」、面白く笑ってしまいました。
これで思い出しますのは、笠信太郎の「花見酒」(落語)の経済ですね。
今の若い人の就職の難しさに同情する面はあります。しかし、これも昭和20年から30年代と比較するとたいしたことありません。ましてその前は戦争があり、死と直面していました。
今の若い人はモノがあふれ、飽食の時代に生まれました。仕事も選ばなかったらあります。海外に行く手もあります。
どうしても楽して生活したいと思うと、難しいかもしれません。
学生さんも今の格差社会と同じで、一部の優秀な学生は高賃金に恵まれ、一方、無職の学生がいるということでしょう。
こういう若い人にこそ「知足」の考えを教える大切さを思います。
メール往来2
◎ (友人)日本総研情報サービス専務の辛坊正記という人が大変いいことを語っておられます(http://www.j-cast.com/2010/06/23069346.html)。
さわりの部分は以下の通りです。わが意を得たりと思ったのは、「小泉改革は悪くはなかった、改革の過程でのセーフティネットの整備強化が欠けていたのだ」との点、全く卑見と同じです。
過剰な行政介入と規制緩和を進めないと経済社会は元気がでない、しかし、規制を緩和すると競争で落ちこぼれが出たり、緩和を悪用する悪徳商人などの輩が出て来るので、社会のセーフティネット構築強化が同時に必要、という、常識路線に日本の政治も戻るべきだと感じます。
健全中道派(無党派とか浮動票とか、これまでとかく、こき下ろされてきた中間層)がおおいに発言するべき局面に入ってきたと思います。
************
増税だけでなく明確な成長戦略を示せ
――小泉改革といえば郵政民営化を思い出します。一方、最近では「民営化後退」と評される郵政改革法案が「成立目前」という情勢でした。
辛坊 郵政民営化は、特に郵便貯金の問題で、官の不効率な資金の運用から、民の効率的運用へと資金を回し活力を生み出そうという、改革の象徴的存在でした。この路線の後退は、日本のじり貧を加速させると思います。
ほかに、製造業への派遣解禁など労働力の流動化問題にも小泉内閣は取り組み
ました。本来は正社員も含めた形で流動化を考えるべきですが、日本のように解雇に
厳しい制約があると企業は人を雇おうとしない、という状況の中、そうした傾向に一部
にせよ風穴を開けたのです。
――先ほど小泉改革を全肯定する訳ではないと言われたのは、どういうマイナス面があるからですか。
辛坊 労働力の流動化のところで、解雇された人への目配りが後回しになったことです。解雇された人たちが、次の活力ある企業へ転職するには、自分たちのスキルを上げるために勉強や研修をする必要があります。そのための施設整備や補助、さらに転職が決まるまでの一定期間のセーフティーネットの構築・充実が必要でした。
小泉政権後、セーフティーネットのあり方を議論するべきだったのに、流れは次第
に「雇用を守る」規制強化に進み、今では実際に強化されました。これでは、企業は
「日本では人は雇えない」「海外で人材を確保しなければ」と、逆に日本の労働者に厳
しい現実しかもたらさないのでは、と懸念しています。一部ではそうした傾向がすでに
現実化しています。
――菅直人首相は、政府の借金や社会保障費の確保の問題について、「消費税増税」という「耳当たりの良くない」話に踏み込むことで「覚悟」を示そうとしています。
辛坊 増税論と、構造改革を含む成長戦略の必要性とは別物です。構造改革をして、日本が競争力を保てる国にしない限り、増税で一時的に計算上の辻褄を合わせても、またその段階から新たなじり貧が始まるだけです。いずれ新たな増税が必要になります。明確な成長戦略を示すことが重要です。
――与党民主党を始め、参院選を前に各党が示す成長戦略を比較する際、有権者はどういう点に気を付けるべきでしょうか。
辛坊 「みんなバラ色」式の、数字の提示がない絵空事は信じないことです。お金は有限です。何かに力を注げば、ほかの何かは我慢しなければなりません。じり貧の日本を建て直すには、ズルズル今までと同じことをしていても何も変わりません。コレをするにはいくらかかり、そのためには、代わりにアレを止めるとか、その分、増税になるとか、具体的なメリットと痛みを明示できているかどうかをチェックする必要があると思います。年金など将来の不安を取り除く取り組みも重要です。
辛坊正記さん プロフィール
しんぼう まさき 1949年、大阪府生まれ。一橋大商学部卒業後、住友銀行へ入行。慶応義塾大経営管理研究科1年制課程修了。コロンビア大学経営大学院修士。住友銀行アトランタ支店長、住友ファイナンスエイシア社長、住友銀行国際金融法人部長などを歴任。現在、(株)日本総研情報サービス代表取締役専務。2010年、弟で読売テレビ解説委員長の辛坊治郎さんと共著で「日本経済の真実 ある日、この国は破産します」を出版した。
◎
(岡田)辛坊正記氏のご意見のご紹介、ありがとうございます。
「日本経済の真実 ある日、この国は破産します」を流し読みしていましたので、彼の考えはある程度、理解していました。
私は「なぜ、急速に日本経済が衰退したのか」という問題意識で、このところ関連の本を読み、人に会ってもそのことをお聞きしますが、いまだに明確な答えを得ていません。
失われた10年が、あっという間に失われた20年になりました。政権交代でそのうち失われた30年ということになりはしないかと心配しています。
『失われた20年』(朝日新聞変転経済取材班編)で転機は1994年だと指摘しています。
「日本的経営が大きく変わったのは、1994年2月25日、千葉県浦安舞浜の
ホテルに大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するために集ま
り、激しい議論を繰り広げた。論争の中心が「雇用重視」を掲げる新日鉄社長
の今井敬と「株主重視」への転換を掲げるオリックス社長の宮内義彦だった」
という。
「対外発表がされなかったので、世間の注目をされなかったが、この時期を
境に米国型への転換に舵をきった」といわれる。
辛坊正記氏は「小泉改革で規制緩和は良かったが、セフティネットの構築・充実が必要だった」と指摘されています。
一方、政権交代後、セフティネットのあり方を議論せずに、「雇用を守る」規制強化に進んだことが、企業を弱体化したという意見を述べておられます。
この点で矛盾を感じ複雑な思いになります。
ところで、小生がHPで、「経済成長で元気にする、というようなことでは日本人の幸せは取り戻せない」ということを書いたことで、異論をいただきました。その返事を辛坊正記氏の考えの感想ということで送らせていただきます。
それでメール往来1のやり取りを送りました。その返事が以下のようにきました。
◎ 岡田さんへ
ありがとうございます。
今井氏、宮内氏の論争は小生も記憶にあります。今から思うと両者とも間違っていたという感じです。
失業者はすべて面倒みるというのも無理な話で、どうしてもダメな人はそれこそ政府の生活保護で引き受けるべきなのでしょうが、他の大多数は訓練やつなぎの支援をすれば別の職種で社会に貢献して行けるのだと思います。
全てをセーフティネットで面倒見ようとするから民主党のようなバラマキになって増税においこまれ経済を窒息させるのではないでしょうか。
他方、宮内的アプローチは単一民族(大多数)で社会の一体性を重視するウェットな日本社会では反発を招きうまくいかないと思います。
やはり歴史の長い社会ですから欧州の方が参考になるのではと思います。いずれにせよ低成長の中での低速運転での調整プロセスが常態として続いて行くのだという覚悟を国民一般が持つべき時代ではないでしょうか。成熟した欧州、とりわけ英国は1960年代からかれこれ半世紀の低速運転です。
地獄まで望んだ男の話、おもしろいですね。田舎にいますと自然の摂理みたいなものが垣間見えて楽しいですよ。
植物や樹木は昆虫に葉っぱを食われ続けますが、食われても食われてもまた新しい葉を出すのです。昆虫はそのうちにおなかが一杯になるのか、繁殖期をすぎて食欲が衰えるのか、結局、植物や樹木は生きながらえるのです。昆虫を食べる鳥たち、鳥などを肉食する大型動物なども結局は食欲、性欲、子孫保存欲などに限度があることで、「結果的」に諸生物が生き延びているという現実です。
これを予定調和と呼ぶのか、それとも弱肉強食の闘争と適者生存の歴史とみるのか、多分その両方の営みが行われているみたいです。
もしそうだとすると地獄まで望んだ男は、欲望追求のあまり過食過労で病気にでもなって寿命を縮め早死にしてしまったとの自然の摂理を言い当てているような気がします。
今井氏がいうような予定調和でもなく、宮内氏がいうような弱肉強食のみでもなく、その両方という、極めて悩ましいのが今の日本経済や社会の実情かもしれませんね。処方箋は多分、多元方程式しかないのでしょう。
メールからの声
◎ 宮崎の「口蹄疫」本当に、特に宮崎畜産農家の皆様の防疫での精一杯の努力
と根性そして我慢、決心を持ちまして昨日27日(7月)、県としての清浄化への宣言をしていただきました。
当時のお粗末(アカマツ)大臣には腹が立って、立って、どうしようもない不作大臣と・・嘆き悲しみました。
兎に角今の状態は、返す返すも宮崎の農家と関係者の努力と心より感謝!しかし、遠地の我々にとって、九州各県での子牛市場の再開は、安全、清浄化とは申せ、九州からの子牛の導入は心配度、ならびに危険度は今まで以上に(移動制限措置で守られていた)高まることから、新たに気を引き締めて係らねばと思っています。(滋賀・畜産関係者)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
7月 |
1日 |
近況、雑感(「小沢評」)、ソウル旅情、続・ファシリテーター、北海道・写真紀行、読書 |
7月 | 25日 | 近況、ああ参院選後、すばらしい贈り物「二枚の写真」、友人からのメール 友人の北海道紀行、写真三昧、読書 |
7月後半
【ネムの木】
近況
猛暑が続く毎日です。最近の日課は夜、8時~9時に就寝、朝の4時~5時に起床。
もう十数年続けている、腹筋運動上下20回、複式呼吸3回、腕立て伏せ20回、その後洗顔。朝のCD音楽を聴きながらメールのチェック、
体調など健康記録、本日の予定の確認。
それらが済むと朝刊を買いに約1キロ歩いて新聞店を往復。6時過ぎの朝食、食後はコーヒーを豆からつくる。そして執筆活動に入る。
午後は2時間ほど昼寝。その後、録画済みのテレビを観る。時には夕方、近くに外食に出る。こんな繰り返しの毎日です。
この日課の変更は、写真撮影、小旅行、友人との会食、会合、取材などのほかにかかりつけの歯科医で歯の手入れ、病院での健康チェック、図書館で本を借りる時に起こる。
ああ、参院選後
みなさんはどう思われていますか。私はむなしさを覚える毎日です。どうも日本は上昇気流にのる糸口も見えてきません。
先日、友人にこんなメールを送りました。
―民主党が今参院選で「元気な日本」をスローガンに掲げていましたが、
それはとりもなおさず「今の日本は元気がない」ということです。
なぜ、元気がないのかがわからずして、元気にする方法も見当たらないのです。
私が今、取り組んでいる高僧の評伝で勉強している限りでは、どうも今までのような価値観「成長経済で元気にする」というようなことでは日本人の幸せは取り戻せないと思っています。
では、どうしたらいいのか、その答えを求めて取材をしていますが・・・。
菅総理は雄弁家でしかも二枚目で明るい顔立ち(最近は元気がありませんが)ですが、どうも信念がないというか、発言が軽いように思えます。仙石氏や枝野氏も論理的に流暢に話しますが、なぜか心に響かないのです。しかも顔が暗いのです。
この先、日本はどうなりますかね。
すばらしい贈り物
つい先ごろ、友人から『二枚の写真』の書名の本が贈られてきました。まず、本の内容について説明します。
これはオーストラリアのダイアン・ウオルファー女史が執筆した本です。
―物語の舞台は、太平洋戦争の激戦地の一つである東部ニューギニアのオーエン・スタンレー山脈中のココダ街道。ポートモレスビーの占拠を目指す日本軍と、それを阻止しようとする豪・米軍との熾烈な戦い。いわゆる日本ではポートモレスビー作戦、オーストラリアではココダの戦いと呼ばれている。
ココダ街道で負傷した一人の日本兵と、一人のオーストラリア兵。死を目前に、二人は互いの家族の写真を見せ合った。やがて、豪軍部隊が二人が横たわる溝へ。泥水の中に貼り付いた二枚の写真があった。
この本は戦争の本質を見事に表現しています。(本をご希望の方はインターネットで『二枚の写真』を入力して検索してください)
その本を友人がなぜ贈ってきたかですが・・・。
私の父が「ポートモレスビー作戦」に従軍記者として参加しました。父は、記録文学として『ニューギニア山岳戦』を雑誌『新青年』に掲載、それが戦前、最後の直木賞に選ばれました。
戦後、戦争責任を感じて長らく小説の世界からは遠ざかっていました。そして年老いてから「もう一度、ニューギニアを訪れ英霊に祈りをささげたいので連れて行ってほしい」と頼まれました。そこでニューギニア大使館から資料を取り寄せ検討しましたが、年齢的に難しいという結論になり、実現しないままに亡くなりました。
それで散骨だけでもと思いたち、ポートモレスビー作戦の最後の寄港地となったラバウルの地で実現しました。
このことを知っていた友人がこの本を訳された長年の知人からの依頼で紹介者の一人に選んでいただき本を贈ってくださったのではないかと推察しています。
いずれにしましてもすばらしい本と出会えたことをうれしく思っています。
友人からのメール
―暑中見舞い申し上げます。夏はやっぱり暑いの一言ですね。
19日(月)の天気予報で今週は週末に向けて気温が上がるとのこと。その夜、プチ避暑へ駒ケ岳へ行くことにしました。
22,23日で駒ヶ根の宿探しを。
22日、2時に我が家を出発、5時半に駒ヶ根の菅の台バスセンターに。既にロープウェイ行きのバス停に登山者が並んでいました。6時に臨時バスが出て、それに合わせて臨時のロープウェイが。
7時前に千畳敷カールへ到着。標高2612m涼しい。14度とか。それでも日差しが強いので晴れていると暑い、雲に包まれると寒い。
一昨日は雲海が見えたとか。今回はただ雲が湧き上がってくるだけでした。
我が夫婦、二人とも登山の意志は全く無し、ベンチにへたり込んで涼しさだけを味わいました。私は小さな望遠レンズを持って行ったのでイワヒバリとホシガラスを。
カミサンは例によって高山植物を撮っていました。
ここのイワヒバリは人を全く恐れずにシャッター音に反応して近寄ってきます。
そんな訳でイワヒバリの写真を送ります。(ノートリです)
【イワヒバリ】
かくしてプチ避暑が終了して千里の我が家、余りの暑さに吃驚仰天。
上からの太陽熱と下からの反射熱。おまけにコンクリート壁の滞留熱。クーラーを唸らせ写真を見ています。
友人の北海道紀行
―北海道旅行の報告
昨年の夏は7月の中旬に1週間かけてレンタカーで周りました。往復が晴れ、中日一日が晴れ。結局はほとんど雨でした。ホテルをただ泊まり歩いた感じでした。
今年は6月21日に出発しました。関空から稚内へ。(千歳より高くなります)
稚内のサロベツ原生花園からオホーツク沿いに原生花園めぐりをしてサロマ湖のワッカ原生花園まで。
そして昨年嵐で諦めた大雪山からニセコに周りました。サロベツ原生花園は人気スポットで次から次と観光バスが来ます。
ここは来年から木道への進入禁止になるみたいです。
夕方、観光客も去って静かになった所でナガツメセキレイが出てきました。初めて見ましたが見とれるほどきれいな鳥です。
この時期の原生花園の花はまだ本格的とはいえない状態でした。昨年は早く7月中旬ではほとんど終わってました。ワッカ原生花園では流石に野鳥の宝庫でした。
大雪山では憧れのギンザンマシコが何とか撮れました。午前中は濃霧で何も見えなかったそうでした。
私等が着いた時から風が吹き出し濃霧を飛ばしたとか。展望台で受ける風は想像以上でした。予備の防寒衣が役に立ちました。待つこと2時間、遥か彼方にひょっこりと出現。
私のレンズでは限界を超えました。これを狙って来るバーダーは大きなレンズを運び込んでいました。ケーブルから20分とは言え通路は雪がまだ積もっていました。
昨年より大きな成果がありニセコでのんびりして帰りました。来年は釧路湿原を巡ろうかと考えています。
【ギンザンマシコ】
さらに続きのメールです。
岡田さんの北海道の写真は朝もやの中の風景、私も朝の4時から野鳥。
美瑛でも突然車を止めて野鳥を。岡田さんのように風景写真が頭に浮かびません。
昨年の富良野、美瑛の写真はポスターに出ている写真と同じで面白味がなかったので今年は野鳥一本。
野鳥撮影は、ほんの数秒間(連写中)の刺激が魅力です。結果は二度目の喜びです。景色の写真を数千枚撮ったら見直すのが大変ですね。
消去ラインの設定が・・・・
野鳥は簡単です眼のない写真は没ですから。何時も28GBのメモリー(8G*3枚、4G*1枚)で足ります。夜に消去しますので。
夏場は近場の公園で昆虫を追います。野鳥と同じで捜す、連写の繰り返しですが
こちらの難しさはマクロなのでピンボケの量産です。
テントウムシとカタツムリの写真を送ります。どちらも捜すと見つからないけどカメラを持たない時に良く見るから・・・・。
わたしたちの写真三昧
●鳴川渓・千光寺
7月22日 奈良・平群の里の奥まったところにある千光寺にはユースホテルも併設。奈良
●滋賀・烏丸半島
7月20日 ハスの撮影
●伊吹山撮影会
7月18日 まだ花は咲いていない。
●流れ橋
7月15日 これは昔の人の知恵で、台風などで流されてもいいのだという発想ではじめから頑丈な橋をつくらない。それでも橋が流れるのは10年に1度ぐらいで、滅多にお目にかかれないようだ。
●竹林
7月7日 生駒市の高山竹林は、茶筅の全国シェア9割。今回、これがメインだったが、期待はずれだった。近くの長弓寺。この寺はこじんまりして、アジサイも結構、咲いていた。続いてあじさいの寺で有名な矢田寺は、コンセプトがなく、ただ花は多いことだけで終わりかけであった。次に大和民族公園。今年、梅の咲く頃、行ったが、この季節はなにもない。次の法起寺は日本最古の三重塔がある。そして法隆寺、西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍の全部を観るのに約1時間はかかる。百済観音堂が完成、像が安住、いつ見てもすばらしい像である。
【法起寺の三重塔】
●ネムの木
7月6日 生駒・桜の広場(ネムの木)。ネムの木も美しい。花びらも。
【ネムの木】
●和歌山撮影会
7月4日、とくになし。
●あじさい
7月2日 生駒山・あじさい園
6時半、自宅を出て信貴生駒スカイラインの駐車場からあじさい園に入った。最盛期であった。このあと、信貴山、のどか村、平群の道の駅を巡って帰宅。
●橿原の久米寺
7月1日 いま取り組んでいる評伝の高僧の父親がこの寺に預けられた関係から確認したいことがあった。ちょうど、あじさい園が開園していたが、最後の時期だった。このあと、明日香の夢市で古代膳を食べたが、暑いため石舞台周辺は歓光客がほとんど見なかった。
そして信貴山近くの「のどか村」に目に良いというブルーベリー求めて、立ち寄ったが、休み。
読書
単行本を今秋、上梓予定のため最後の推こう、雑誌連載、科学記念誌の取材等、執筆で多忙であった。この間、歯科、検査など健康関連、友人との会食も増え、結構、忙しかった。
ほとんどが執筆のための資料であった。
『人生まんだら』(松尾心空著 春秋社)
彼は「肥壺とカネは、たまるほど汚くなる」の例えをだして経済大国になっても満足を覚えることのない胃拡張のように、儲けても、稼いでも、貯えてもその拡張された欲望は満足を得ることはない一種の経済的胃拡張にわれわれは陥っている.
別な本だったと思うが、松尾心空氏の著書に「来世はあるのかと聞かれるが、来世はある。それは子や孫の世のことである」ということだと知った。これまで自分の死後のことに想い巡らしていたが、いい来世にするには今の自分の行いが大事だと理解した。自分のための来世はないということである。これを知って納得した。
『時間』(滝浦静雄著 岩波新書)
あるきっかけで読み返した。
難解な内容だが、以下の部分に納得した。
「われわれは、現在と呼ばれる流れの中心に置かれて」おり、いわば「永久に、永遠の今にとどまりつづける」。
このようにわれわれに、時間の無限性が、どうして分かったのだろうか。
「本当の意味で“時がある”と言えるのは、まさしくそれが“ない方向に向かっている”から」であるのに、その時間が無限の長さまでもっているのはどうしてであろうか。
現在は瞬間的なものだとすれば、時間に本来、長さなどないのではなかろうか。
このほか「高田好胤」「松尾心空」「日韓併合」など乱読が続いている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
7月の日記
●写真【美瑛、朝の畑】
近況・雑感
いよいよ7月。一般には夏休みシーズンですが、人生の余録組にとっては、シニア料金が適用外になる嫌な季節でもあります。
今夏は旧友仲間に誘われて奈良の天川村のキャンプ場に鮎を食べに行く計画もあって、楽しみな時期でもあります。
12日には参院選があり、菅政権のゆくえに関心が集まると思います。
●「小沢評」
6月の日記に「小沢評」について書きましたが、それについてメールをいただきました。そこでメールのやり取りを紹介しながら、選挙後の小沢の動きを注視したいと思います。
友人からのメール
◎…6月26日の日記にあった「小沢評」についてお聞きしたいことと、私の考えを書かせていただきます。
まず、岡田さんは「官僚組織を壊すのは小沢しかできないだろう」と書いて
おられますが、その理由は何なのでしょうか?
「政治主導」は日本の制度上はほぼ出来上がっていると思います。問題は今の日本の政治家に官僚を納得させて使うだけの力量がないことでしょう。
その力量を身につけた政治家が増えてくれることしか、方向はない様に思います。
政治家がその力量を発揮したときに、官僚が自分たちの利益にならなければ(世のためになると分かっていても)、強く抵抗することはこれまでもよくあったことです。
そのときに「小沢的”腕力”」があれば役立つでしょうね。
しかし、腕力で押さえつけても、官僚が面従腹背しただけなら、問題はまたぶり返すはずです。力量をつけた政治家と官僚がオープンに議論すれば、事態は改善するのではないでしょうか。
さらに、いまの小沢には「腕力」はあっても、政治的力量があるのか、疑問です。
小沢がかなり前に書いた『日本改造論』は面白かったし、こんな政治家に首相になってもらいたいと思ったときもありました。しかし、この本に書かれていることと、今の小沢がやっていることはかなり違います。
小沢の政治家としての問題点は、カネの問題もさることながら、その政治感覚というか、民主主義感覚というか、そういう点にあると思っています。彼は、選挙で数さえ取れば何でもできると思っている。
力のない者には威張り、強権を発動する反面、力のあるものにはこびへつらう(胡錦濤との2回の会談は彼の本性を現したように感じました)。
政治屋になれても政治家にはなれない人物だと思うようになりました。
●…以下は、小沢評についての私からの返信です。
この日記の「小沢評」は、わたしの直感に近い感想です。
これまで小沢に会ったことはむろん、著書も読んだこともなく、話も聞いたこともありません。ほとんどは新聞、雑誌、テレビで得た情報により論評しています。
日本人が最近の報道情報で彼を嫌う人が多いだろうと、思っています。また、建設会社の役員に聞いたところでは、岩手県の公共事業受注で西松建設が小沢側に何らかのカネが渡っていると考えるのが常識だと言います。
だから限りなくクロに近く、ダーティなイメージがつきまとう小沢でありますが、
①検察権力があれほど調べてもクロだと断定できない
②稲盛和夫と親密な関係を持つにあたって、彼は自分の足で鹿児島まで出向き稲盛の父の葬儀に顔を出して、誰の紹介も受けずに体当たりで稲盛の教えを乞うた
③彼は司法試験の失敗、私淑する田中角栄の失脚を乗り越えて、思う道を信念で貫き通そうとしている
こうした一面を見ると、最近の政治家には見られない強い意思を持つ人物だと思っています。確かに彼の剛腕ぶりには辟易する面もありますが、私には密室で権力をほしいままにしてきた政治家よりは、正直な性格ではないかと思っています。
ご指摘のように「力量をつけた政治家と官僚がオープンに議論すれば、事態は改善するのではないでしょうか」という指摘はまさにその通りだと思います。
ただ、私には政治力量、つまりは哲学、信念を持った政治家でないとダメだと思っています。あの鳩山前首相の判断の甘さ、哲学のなさには民主党を支持した人間としては失望しました。
もちろん官僚の中にも信念の持ち主はいると思いますが、事業仕分けで天下り役人らの答弁を聞いていて、あまりのひどさになさけなくなります。官僚改革には小沢のような剛腕と言われようが、信念と力がないと、とてもやないが、できないと思います。
民主党議員にも小沢離れを期待している向きを感じますが、多くは必要悪としてええ格好しているように振舞っているのではないかと、見えます。
小沢のことを知らない者が、論評するのもおこがまましく、失礼を省みず勝手なことを書きました。
●ソウル旅情
友人から「ソウルの旅」メールが届きましたので、掲載します。
◎ …6月25~27までの3日間、ソウルへ行ってきました。浴びたパワーが
まだ身体の底からわいてきています。
また、食べるものが生命力をつくることを実感します。
ソウルの美しく若い女性が難なく大皿の料理をたいらげるのをみていると、
やはり「滋養」なんだと。
「代謝」を促進するものが「活動」なんですね。
日本に戻って乗った地下鉄で、ソウルメトロの活気との落差に気がつきました。
なぜそうなのだろうか。
引き続き想像してみようと思っています。
東大門にある昔ながらの市場の隣に立つファッションビルは女性のパワーでいっぱいでした。
販売担当の女性のアプローチは強気とキュートさのいい塩梅で、振る舞いの参考にもなりました(笑)。
「綺麗になりたい」「オリジナルなものを創造したい」という思いの部分は、さまざまな要素を吸収してどんどんオンリーワンな世界を作っていくだろう、末恐ろしいなあ・・・とも。
とても共感できるものがありました。
韓国W杯決勝進出(対ウルグアイ戦)の日となった26日土曜。ソウル支庁前の広場に集まった6万人のひとりでありました。
来訪者はだいたい同じような考えをもつもののようで(笑)、アラブ系のカ
ップル、ヨーロッパ系の30歳代の男性、アメリカ人グループ・・・、そしてやはり最も目に付く日本人が赤いTシャツを着て参集していました。
韓国の熱気のそばにいる瞬間を、とても強く脳裏にきざみました。
ビビッドに生きるって「本当にプレゼント(今この瞬間)」です。
やりたい・やれることの幅や柔軟性を広げるうえで、あらたな刺激になりま
した。
どんなにネットの世界が充実しても旅、やっぱりやめられません。
追伸:はい、歴史的な背景は確かにあります。
ですが、直接そのことを経験していない者同士がこれからの世界をつくっていくわけで。
後天的な知識でせっかくの機会をなくしてしまうのはもったいない。
衝突したり、すれちがったり、思いのこれっぽっちも伝えられないこともたくさん。
相手を思うからこそはがゆい気持ちになることも多いけれど、これも縁、だからこそ深まるものもあるのではと感じます。
ソウルだったからかもしれませんが、そのあたりの<重さ>を感じる経験はしませんでした。
韓国のご年配の方々が前を向いているあかしかもしれません。
「明日を肯定する」ことを疑っていないムードが心地よく、ソウルの魅力の最大のひとつです。
まだまだ深く知りたいと思います。
● 続・ファシリテーター
先日、「落語でコミュニケーション」のセミナーで2回目のファシリテーターをやりました。このHPでどなたかが書いていらっしゃったように、「参加者の実践に結び付けるのが、企画者のウデ」。
今回は「千両みかん」という、オチがなかなか洒落ていてちょっとシュールな味で、あきんどの心、みたいな「学び方」もできる噺です。…が、参加者が若かったせいか、若干、消化不良を味わいました。参加者には好評でした。私自身はこの演題でリベンジを考えています。
【写真:富良野の朝】
印象
今回、北海道の写真撮影の旅としては、はじめてだった。
北海道では少し郊外に出ると、どこも被写体になると感じた。とくに今回、行った富良野、美瑛はすばらしいスポットの一言である。
ただ、こうした有名観光地は、どうしても定番の観光スポットに目を奪われがちになるが、自分流で発見する風景にいいものがあった。
今回のベスト3を挙げると、白金温泉近くの青い池、美瑛の模範牧場、哲学の木であった。
ほかにも旭岳、層雲峡、羽衣の滝など印象深いスポットは多かった。朝、太陽が昇る頃の風景はとくによかった。
2,000枚近く撮ったが、まあまあと思えるのは2枚ぐらいしかなかった。やはりもっと高いレベルのものを求めるには、狙いを定めじっくり撮り溜めしないとダメである。旅での写真の難しさを感じることはいつものことであった。
ルピナスとアカシアの花そしてイチイの木がいっぱいの北海道であった。また、歩行者の信号無視は自動車が少ないからさもありなんと思った。高速道路もクルマが少ないのが印象に残った。
東舞鶴(2010年6月16日(水)曇り時々晴)
朝6:30自宅を出発、一般道路を走り途中、京都府内の道の駅2箇所に寄って10:30舞鶴着。フェリー確認後、舞鶴商工観光センター1Fの「caf de 十番館」で昼食(ここの雰囲気とコヒーは良い)。
午後から引揚記念館、舞鶴自然公園(アジサイ園)、親海公園、舞鶴ふるるファームに出かけた。
舞鶴ふるるファームは農村公園で農園ゾーンにはコテージ(年間利用料:40万円)で生活しながら農業が体験できるという。
「別荘と野菜づくりなどを希望する方が借りられます」と担当員が話していた。
東舞鶴では赤れんが博物館の近くの総合文化会館で開かれていた第42回「
ここ舞鶴で必ず撮るのが北吸トンネルである。
フェリーの出航は夜中の12時30分だから時間が余る。夕食をいけす料理の「卑弥呼」で食べた。ここは居酒屋風で客も多く、料理もおいしいお奨めの店である。
このあと、八千代館で映画『シャッター・アイランド』を夜の10時近くまで時間つぶしに観た。推理映画ということだが、まったく面白くなく私の頭ではよく理解できない内容だった。
フェリーは出航の1時間前には集合しなければならない。すでにほとんどのクルマが並んでいた。今回は47台で7~8月のシーズン中に比べ少ないという。
広島から来たという男性シニアは「マイクロバスをチャーターして25名で利尻島へ登山に出かけます。最高齢は80歳の女性です」と時間待ちをしていると声をかけられた。
乗船はスムーズにいき、時間通り出航した。
新日本海フェリーの「あかしあ」は総トン数16,810トン、速力30.5ノットで特A和室(右舷、真中)を確保したが、エンジン音で睡眠不足。しかもスペインとスイスのサッカーが夜中の1時から始まったので、これを観ながら床に就いたのでなおさらである。携帯は圏外、テレビはBSのみ。
【北吸トンネル:ここの撮影は時間のタイミングがいつも難しいと感じる】
船中(2010年6月17日(木)曇り後、晴)
朝5時に起床。朝の太陽は曇り空で撮影を見送る。途中、日本列島や島も見えず単調な船旅。海は静かでほとんど揺れなかった。時間通り夜の8:45、小樽港に着く。その日は
ただ、カーナビにホテルの電話番号を船内で入力したら舞鶴からの表示となりパニックに陥る。JAFに助けを求めたが、港に出て再入力すると、正常に表示。カーナビは船内にいる限り現在地は舞鶴であるから、カーナビにとってはいい迷惑だった。
小樽(2010年6月18日(金)曇り時々、晴)
ビジネスホテがあるJR
ホテルを朝の5時半にスタート、札幌経由で一般道路を走る。クルマも信号も少ない。途中、道央の
【富良野の朝】
富良野
途中、
【五郎の丸太小屋:テレビドラマを見ていない者には興味がわかない】
ここのホテルは簡素で富良野のホテル(少ない)としては料金が安く、料理(スイス風だという)はまずまずだった。ただ、現地のワインはいただけなかった。
【風のガーデン:プリンスホテルが運営している洋風の庭園、有料】
富良野・二日目、そして美瑛へ(2010年6月19日(土)晴、曇り時々)
朝2時過ぎに起床、写真の整理。4時半に周囲の朝霧が立ち込める畑を撮影。北海道は自然の風景が素晴らしく、被写体は無尽蔵である。
7時の朝食の後、近くの「風のガーデン」を再訪、そしてロープウエイで富良野岳に上った。冬場にスキー場となるところだから終点駅の周囲は味気ない。10分ほどで退散。
次に向かったのが「ファーム 富田」。ここはラベンダーの畑では最大級。日本で初めてラベンダーオイルを精製した。この時期は蕾で7月が開花時期。私はこうした人工的な畑に魅力をほとんど感じない。
そして白金温泉から「青い池」に行った。ここは偶然、観光案内所で見た写真で立ち寄ったが、この日までで一番、印象に残った。あまりPRしていないので見逃してしまう。ここには明日、20日の朝にもう一度、訪れる計画。
白金温泉の望岳台から十勝岳を見上げると噴煙を上げていた。活火山である。
白金温泉からスカイラインを走って十勝温泉に行った。途中、キタキツネに出合った。この地ではよく見かけるそうだ。あまり警戒心がない。温泉客がエサを与えるため人に近づくようだ。
【キタキツネ:富良野の市街地でもキタキツネやリスは家にいても見られるという】
登山口から美瑛岳まで「往復4時間かかりました」と、中年のおじさんが話してくれた。
残雪が残る十勝岳はすばらしい。
ここから四季の丘に立ち寄ったが、いまひとつであった。
この日の宿泊は民宿「四季」である。まったくの個人(夫婦)で脱サラ経営。もともと名古屋の機械メーカーに勤めていたが、美瑛に魅せられ別荘を買い取って3年前から民宿を経営。偶然、写真が趣味(ご主人の腕は相当なレベル)で話が合った。宿泊できる人数は3組10人までと小規模である。部屋、料理などは一流ホテル並だから一般の民宿よりは割高である。
料理とワインはすばらしかった。サッカーの日本―オランダ戦を見たかったが、テレビは置いていないという。
「情報はインターネットで充分です」と、話す。
それでもすばらしいひと時を過ごせた。部屋、備品、料理、ワイン、コーヒーなどすべてに主人の哲学が満ちていた。ただ、民宿は気疲れする。とくにこの日の泊り客はわれわれだけだからよけいにそう、思った。
【青い池:エメラルドグリーンは十勝岳からの水と温泉水が混ざってできたといわれる】
美瑛・二日目(2010年6月20日(日)曇り時々雨)
朝、周辺撮影。ペンションの主人にお気に入りのスポットを聞くと、「哲学の木」が好きだと推薦してくれた。それで哲学の木及び周辺を撮影した。
【哲学の木:畑とポプラの木で物語をつくった仕掛けが効を奏している】
朝食後、拓真館で美瑛の紹介者でもある写真家の前田真三氏の作品を観た。その後、青い池を再訪。そしてペンションの主人がぜひ見たらいいという白金模範牧場に行った。さすがに雄大な牧場で、黒牛とホルスタインが放牧されていた。
北海道は下船の時から消毒を課していた。口蹄疫の問題で牧場の出入り口は石灰がまかれていた。
【白金模範牧場:さすがに北海道ならではの広大な牧場である】
そして再び白金温泉からスカイラインを走って十勝岳温泉に行った。この頃から雨が降り出し、一時は猛烈な雨と雷に見舞われた。十勝温泉に着くと雨は上がった。
この日は山開きで富良野観光協会のテントが張られ、登山客を誘導していた。
「あの山は何ですか」
「あれは富良野岳の前の山で、名前は・・・」
十勝温泉の登山口から見える一番、堂々とした山だが、富良野岳はその山の奥にあって見えないという。正面右から富良野岳
1912 m、三峰山1866m、カミホロカメットク山1920m、十勝岳2077m、美瑛岳2052mと連なっているが、十勝温泉からは近すぎて十勝岳は見えない。白金温泉の望岳台からよく見える。
この後、定番のパッチワークの丘へ行き、「ケンとメリーの木」「セブンスターの木」「親子の木」を見て、民宿「pokrok」へ向かった。ここの女主人は愛想がよく、感じがいい。
「今日は満室です」と、家族連れ、ペアー、シングルなど5組の客が泊まっていた。ほとんどが道内の人たちだった。
【典型的な風景:広大な畑、ポプラの木、赤い屋根の家がキーワード】
美瑛・三日目そして旭川へ(2010年6月21日(月)曇り時々晴)
早朝、パッチワークの丘など美瑛の周辺を見たあと、旭川に向かう。大雪山・黒岳。ロープウエイで黒岳1982mの5合目まで上る。さらにリフトを使えば7合目まで行けるが、ガスがかかってきたので止めた。ここのラーメンハウスのラーメンは特上だった。
宿泊は層雲峡の「ホテル大雪」へ。
早めにホテルに戻り、デジタルカメラのメモリーを整理していたら、これまで外付けのHDに移した画像がどういうわけか、すべて消えてしまった。一部、メモリーの画像を消去してしまっていたので、悔しくてしばらく何もできない。
持参したパソコンが古いのか、原因不明のままである。思いなおして撮影を続ける。
【美瑛:ケンとメリーの木】
旭川・二日目(2010年6月22日(火)晴時々曇り)
早朝、層雲峡を散策。霧が立ち込める層雲峡は幽玄の世界をつくっていた。この日は人気の旭山動物園に出かけた。
開園前から行列ができたが、せいぜい100人程度で思ったより少なかった。どうして旭山動物園は人気があるのか、そういう思いで見て回った。入口で目に入ってきた風景は動物園というイメージでなく、遊園地を思わせる。
ほとんどの動物がおりの中で気温が高いためか、その多くが眠ったり休憩したりで動きもない。本州で見てきた動物園と比較してもとくに目を引くものはない。園内の職員に「なぜ、旭山動物園は人をひきつけるのですか」と聞いてみた。
「そうですね。自然の状態で見せるように工夫しているからです」
この程度の答えしか返ってこない。とくに珍しい動物がいるわけでもない。それなのに多くの人をひきつけるのは何故か。そこで園の外で客の誘導に当
っていた非職員の感じのいいおじさんに聞いてみた。
「それはマスコミのおかげですよ。地元札幌テレビがひっきりなしに放送していました。それが全国ネットでも流れ、有名になりました。
有名になったペンギンの行列などは釧路の動物園で先にやっていましが、旭山動物園は仕掛けがうまかっただけです。行動展示、芸を教えず自然のまま見せるコンセプトでやっていますが、いまではどこでも見られるのです」
「富良野や美瑛の畑やポプラの木も、北海道ならどこにもある風景です。旭山動物園もそれと同じようなものです」
行列は朝の一番だけで、園を出る10時半ごろ、客ははパラパラであった。園内の説明などは子どもには分かりやすい手づくり感があった。
いまも累積赤字が残っており、財政面では厳しいようだ。将来はサファーリーを併設する計画もあるようだが、時期は不明。入園客のピークは3年前で、その後、徐々に下降しているという。
「民間ならもっと規模を拡大してうまく運営するでしょう。ただ
さすがに園の職員でないだけに率直な見方が聞けて参考になった。
旭山動物園を出て、写真の街・東川町の道の駅「道草館」に立ち寄った。道の駅近くの「蝦夷」というラーメン屋はまずまずだった。
この後、旭岳にロープウエイで上った。
残雪が多く、長靴を借りて歩いた。
「台湾からの団体客、マナーが悪い」
長靴を貸し出している担当員が嘆いていた。
ロープウエイ終点駅から徒歩一周1時間、晴天の旭岳を仰ぎ見ながら楽しめた。
【旭岳:雄姿に満喫した】
帰路、天人峡の羽衣の滝を見た。この滝はこれまでに見た中ては確実にベスト3に入る。羽衣の滝はすばらしいが、駐車場が離れたところにしかなく、年寄りにはきついスポットである。
このあと、
そこで教えてもらった居酒屋「大舟」は抜群によかった。北海道・旭川の夜、舌鼓を打った。
【羽衣の滝:天人峡は一軒のホテルに独占され、一般観光客には冷たく感じる】
旭川から小樽港へ(2010年6月23日(水)曇り一時雨)
北海道最後の日、旭川の男山自然公園に立ち寄ったが、すでに休業であった。このため10時に旭川北ICから小樽へ向かった。クルマが少ないのが印象に残った。
小樽では寿司通りの政寿司に行ったが、この日は定休日だった。このため向かいの「町の」に入った。午後は小樽を撮影して散策。夕食を小樽ビールの「あぶり焼き」(炭火焼き)でこれまでの旅の無事を感謝した。22時30分のフェリー「はまなす」に乗り、帰路に着いた。
【小樽の運河通り:こんなのんびりした風景に出会った】
帰路の船中(2010年6月24日(木)晴時々曇り)
23日夜の11時半、出港。翌日の昼間は船室から晴れた海のみで、陸地は遠くて見えない。北海道は雨だという。ただ、能登を過ぎた頃の日没の海は美しかった。
24日夜の9時、舞鶴に戻った。
この日は舞鶴泊まりとした。
サッカーの日本―デンマーク戦は後半から観た。
【日本海沖:沈む夕日】
再び舞鶴(2010年6月25日(金)曇り時々)
朝食後、北吸トンネルを撮影後、高速道路で無事、自宅に午前11時に着き、夕方、旧友との会合に出席。
北海道はこれからも季節ごとに撮影したいと思った旅だった。
旅を終えて
片道丸1日の船旅だが、退屈きわまりない。ピースボートで108日間、耐えたことがウソのように思えた。おそらく今回の船旅の乗船客に共通のコンセプト(目的意識のようなもの)がない上に、船内で一緒に遊んだり学んだりすることもないからだと思う。
ピースボートは乗客が1,000人、船員と業務員が300人近く乗って、いわば村社会をつくっていたから、何かと忙しかった。
今回はたったの1日だが、TVもBSのみ、楽しみの一つが船会社40周年の感謝の一環で行われたビンゴゲームで、そこには当てモノのような冷めた雰囲気があるだけだった。(われわれは往復ともビンゴとなり商品をゲットしたが・・・)
この帰路の船中で持参した中谷巖氏の『資本主義はなぜ、自壊したのか』(集英社)を読むことができたことは、有意義であった。中谷氏は竹中平蔵氏と同様、市場原理主義の急先鋒だっただけに、その懺悔本に驚かされたことも事実である。
ただ、彼の懺悔のような本に何か、むなしさを覚えた。しかもキューバーとブータンという国を引き合いに「国民総幸福量」を紹介するなど、とくに目新しい考え、見方はなかった。
市場経済はなぜ人々を不幸にするのか、第二次世界大戦中に書いた経済人類学者のカール・ポラニー氏の著書『大転換』で指摘している労働、土地、貨幣の商品化が問題の始まりだと指摘。
そして貧困格差について貧困層だけを見ないで、所得分布を示すジミ係数を示しながら、この20年間で確実に拡大していると指摘。日本の貧困層はすでに1,000万人に達して貧困大国になったという。
二十一世紀はグローバル資本主義というモンスターが解き放されたままで、人間の欲望がモンスターを呼び覚ます危険を持ち合わせているという。従来の資本主義経済では、その行動を抑制する外部、つまり強制力をもつ中央銀行や政府の存在が、欲望を抑制してきた。
二十一世紀のグローバル資本主義というモンスターを抑制する知恵を見出すかもしれないという指摘で留まっているだけでは物足りない。もっと、大胆な提言や危機への道を警告してほしかった。
もう一冊、最近、読んだ本『憚(はばか)りながら』(後藤 忠正著 宝島社)がある。これは山口組系元後藤組組長で引退後、天台宗系「無常山浄発願寺」で得度した人物である。
私と同じ年に生まれた人物だけに、その自伝的な内容に自分が生きてきた時代を重ね合わせ共有できる部分も多い。
これが堅気の人生なら大したものだと思われるだろうが、残念ながら極道の世界に生きたことで世間的には評価されにくい。それにしても実名で多くの人物が登場するだけに、世の中の一面を見せてくれる。
最後までお読みいただきありがとうございました。
5月 |
16日 |
近況、霊観、ハイパーインフレ、写真放浪記 |
6月 | 3日 | 政局、口蹄疫など雑感、友人からのメール(舳倉島、万田抗など)写真の旅(棚田)、読書、映画など |
6月 | 26日 | 近況、友人からのメール(ダイサギなど)、写真の旅(三重県・尾鷲など)、読書など |
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● 6月の日記 6月26日(土)
【尾鷲湾:いまは静かな湾の下にも戦艦が沈んでいるという】
● 近況・雑感あれこれ
6月もはや終りに近づきました。いま、国内では参議院選挙がスタートしましたが、国民の関心はワールドサッカーで日本の快進撃にあるかのようにテレビ報道が過熱しています。
公示直前にある集まりで民主党が過半数(60議席)獲得するかどうか、聞いたところ半数以上の人が「獲得する」と答えていました。果たしてどういう結果になりますか。いずれにしてもこれから先の国家運営が大変であることには変わりがありません。
貧困層が拡大する一方、国民が借金なれしてしまって、「消費税」には反対の大合唱です。恐らく、参院選後の政局の混乱の予兆を感じている人が多いのではないかと思います。
HP日記の記事や写真に感想があると、うれしいですね。
先の日記で、「“オオルリ?”の写真、なんて可愛いんでしょう!!感動しました。」(京都・女性)や「万田坑、はじめて知りました。雰囲気ありますね。」(大分・女性)―などがありました。
※昨日、北海道へ写真撮影の旅をして帰宅しました。それについては写真が整理でき次第、掲載しますのでご笑覧くだい。
● 友人からのメール
◎ 鳩山さんのこと、格差社会のこと
鳩山さんは辞めると思っていたので、別に驚きもありませんでしたが、鳩山さんは人が良すぎて、現実と民主主義のキレット(切れ目)の中に落ちて命を失ったという感じです。
近年、世界中で政治不信になっており、一方では明るい話題が欠如しています。世界中が「拝金主義」で動き、それを追随できる層 (裕福層〕とできない層(貧困層)との二極化がどんどん進んで貧富の格差が拡大している、ということだと思います。
富裕層は如何に自分の財産や既得権守るかに奔走し、残念ながら貧困層に目を向けるとなど殆どありません。
昨年の世界一の所得はアメリカ人(名前は忘れました)で3000億円以上、勿論ファンド関連のビジネスで、2位は有名なジョージ・ソロスで2000億円強でした。
現在の日本人の平均生涯収入は2億円を下回っていると思いますが、その1,000人~1,500人分を一年で手にする収入がある人が世界に存在するなんて何かおかしいと思います。
1989年にベルリンの壁が崩壊して社会主義に終止符が打たれました。あれから20年、今度は勝利者だと思われた民主主義にもほころびがではじめました。
ポスト民主主義の社会が模索される時代を迎えており、それが世界全体を覆いNebulous(混沌)という状態にあるのが今だと考えられませんか。
この状況はどれだけ続くのでしょうか?
◎ 小沢問題
*今回の政局で、多くの人は小沢排斥を主張していますが、本当に官僚組織を壊すには小沢の力がないと無理だろうと私は思っています。
菅首相は市民運動家からのぼってきた清廉潔白な人物だと、マスコミもいまのところ歓迎報道が目立ちます。
問題は「政治家とカネ」だと言いますが、不正なカネはダメでも、限りなくダーティに近い(ダーティーではない)カネは政治家になる、ましてや権力を得るには必要不可欠だと割り切らないと、恐らくきれいごとではマニフェストは成就できないと見ています。
小沢が選挙に強いと言われてますが、100人近い使者を全国に派遣、情報収集、人材発掘しているからです。こうしたカネを使わず、単に私腹を肥やすだけの政治家よりはよっぽどましだと思っています。
いずれにしても無責任なマスコミとのうてんきな国民はこの先、一喜一憂しながらいくしかないでしょうね。
*小沢はトレードオフの存在だと思っています。自民党で培った金の力をフルに活用しています。他の政治家はそれが羨ましいのでは。
また記者会見を見ていると記者がバカにされている。これが記者の恨みと化しているのでは。
昔の政治家のように記者におもねるのは主義ではないと。自民党とメディアは小沢を消す事で意見が一致してますね。少なくとも国会で不動産屋かと問われるようでは大衆に嫌われますよねー。
民主党にとっては始めて与党の蜜の味。溺れておそらくボコボコに叩かれるでしょう。何しろ自民党が吸い過ぎてわが国は痩せ細ってしまった。
◎ ダイサギ
4月~5月のダイサギはとても綺麗です。生憎、羽を広げなかったのが残念でしたが。(想像してください)
来年は綺麗な写真を送ります。子育てになると嘴の緑がはげてきて単なるサギに。
【ダイサギ=撮影:堀英彦氏】
◎ ファシリテーション
*京都の落語ファシリテーションについて。今年、日本ファシリテーション協会の正会員になったところであったため、単純に、単語に反応しました。。
落語という"すごい技術"を部分的に自分の生活に移植してよいところを取り込もうとする意欲、企画することそのものを面白いなと感じました。
ただ、学びモードの講座や集まりをするのならば参加者の実践に結び付けるのが、企画者のウデだよなあとも(企画する立場として、教訓として)思わされます。
◎ 口蹄疫
*口蹄疫、地元にものすごいショックを与えていると感じます。当社もエリアに店舗が点在するために、営業担当に聞きますと、「知り合いの知り合い」には、ほぼ例外なく現実的な問題が振りかかっていることを知らされ、身につまされます。
宮崎の方は、土地を愛する思いが強いことが多いんだなとも気付かされます。
*ばたばたの6-7月になりそうですが、今月末、むりやり一日有休をとってソウルに行ってきます。年末旅行した友人から、サービスホスピタリティーが素晴らしいよとの感想を聞いたので・・・。10年ぶりのソウルです。
●写真の旅
6月9日(水)~10日(金)
須賀利(すがり・三重県・尾鷲市)
【須賀利港の朝】
梅雨の時期、晴れの日を狙って出かけた。目的は「にほんの里100選」に選ばれている小さな漁村・須賀利の撮影。
「若い者は大阪などへ移転、定年で戻ってきたものが小遣いかせぎに漁業をやっている程度です」と、年配のおばさんが話してくれた。「わしら、地元の者は魚を自給自足していますのや」と、小アジを天日に干しながら話す。
集落が湾にへばりつくように並んでおり、漁船が数十隻、岸壁につながっている。時々、漁に出かけるのか、港を出て行く。釣り宿の看板も見える。湾内ではマダイの養殖が行われている。(トップページにも写真を掲載)
須賀利は尾鷲港の北部に突き出た飛び地で、いまも尾鷲港から渡し船が運航(20分)。陸路で行くと尾鷲から須賀利まで30~40分かかる。
「300年以上の歴史はあります」と話すおばさんは、長い石段(真中に海抜12mと標識がある)を上った普済寺の住職が詳しいと教えてくれた。
須賀利の撮影は着いた日の午後と翌朝5時に行ったが、ポイントがなく難しく思えた。
土井竹林
次に尾鷲の土井竹林に出かけた。宝暦の頃(1751年)七代・土居八郎兵衛が薩摩から母竹を運び分植、保護育成を図って巨竹に育ったという。NHKテレビドラマ『旅路』で主人公のふたりが初めて出会ったところのロケ地となったことから有名になったが、いまは寂れて訪れる人も少ない。
小さなトンネルから奥に見える竹林がじつにいい。ロケ地に選ばれたことがわかる。
ここも着いた日の午後と翌朝8時過ぎに撮影。そこで名古屋から竹林のそばの病院に見舞いに来たという老夫婦と出会った。
「ここは名古屋からの方が大阪より近いですかな」
そう言いながら立ち話をした。
「帰りに熊野灘から入って熊野市にある丸山棚田、いま、一番美しいですよ」と、教えてくれた。
丸山千枚棚田
【丸山棚田の全景】
竹林を早々に切り上げて丸山棚田に向かった。これまで見た棚田の中でも規模は大きい。地元では最盛期2200枚あった棚田が580枚まで激減。そこで「丸山千枚棚田条令」を制定、保護に乗り出した。全国から千枚田オーナーを募集、現在1340枚まで回復している。
帰宅後、テレビで丸山千枚棚田を西宮から夜中に出て朝の5時に撮った写真を紹介していた。棚田に魅せられて何回も撮影に出かけているそうで、とてもやないがこういう方の写真には寄り道しただけの写真では太刀打ちできない。
途中で見た風景
【炎天下で網の修理をする漁夫ら】
クルマから海岸に大きな網を広げ日傘のもとで作業している風景に出会った。
「何をされているんですか」
「魚網の修理だよ。写真か、いいよ。この前も奈良の人が写真に撮っていたな」
ときどき思わぬ場面に出くわす。
三重の写真雑感:
和歌山から三重にかけての海岸線や街はすばらしい。尾鷲の街の人口は約2万人と小さいが、周囲が山と海に囲まれたスポットであった。戦時中は軍港だったので空襲にあい、軍艦が港に沈んでいるそうだ。
市役所の観光課で教えてもらった「鬼瓦」と「田舎」の飲み屋のうち、店の周囲を小ぎれいにしていた「田舎」に入った。この日は、地元の先客ひとりだけで、主人も暇なためか、1時間ほど修行時代にはじまって現在の家族のことなど、よくしゃべった。
その話の中で竹林のそばにできたパチンコ屋にはまる年寄が多すぎると嘆いていたが、常連客の足が遠のいている原因になっているのかもしれないと思った。それにしても人口の割に飲み屋が多いという印象を持ったが、漁師と尾鷲のヒノキが基幹産業の街ならアルコール人口は多いのかもしれない。
● 読書
*石平(せき・へい)氏の著書を集中して読んだ。「たかじんのそこまで言って委員会」でゲストの拓殖大学客員教授の石平氏が「中国人はなぜ、ルールを守らないのか」という問いに対して、中国人は自分たち一族以外は信用しないからだと話した。
ただ得をすることだとわかれば、すぐ態度を変える。中国政府に対しても全く信用していない。過去の政策で国民は騙され、ひどい目にあってきたことが原因であるという。
また中華思想がしみついている中国は欧米思想も受け入れない。自分たちが文明を切り拓いたという自負があるからだという。そして台湾との統一のために恐ろしい戦略を含んだ「愛国主義」を展開していると指摘している。日本人こそ礼節を重んじる民族だと評価もしている。
彼の著書を読んで、中国当局は石平氏を煙たい存在だと思っているだろうと思った。ただ、どうしても一面からの見方に思えてしまうが、説得力はある。日本で彼を評価している多くが保守的な考えの人たちが多いのが気になる。
また、石氏の発言内容、とくに「反日運動」を国家が総動員で進めているというが、それならそれほど憎むべき日本にかくも多くの中国人がやってくるのはどうしてかという疑問がわく。
いずれにしてもこれまでの中国論とは違った新鮮なものを感じた。日本人の良さを改めて知ることになったことだけは確かである。
*『中国経済崩壊の現場』(石平著 海竜社)
中国のマスコミ(主として全国紙、地方紙)の報道から分析して、中国経済はアメリカのサブプライムローンの破たんの前から低迷の兆候があったと分析。
内需拡大でしのごうとしているが、いまや中国社会全体の崩壊すら危惧されると警告している。
最近の日本の専門家もすでに中国経済は警戒水域に入っているとの見方も出ている。
一方で上向くとの予測もある。上海万国博覧会の景気浮揚効果、もう1つは、現在実施されている4兆元(54兆円)の財政出動のうち、半分の2兆元が2010 年に実施されるからだという。
*『日中宿命』(石平著 扶桑社)
これほど説得力のある中国批判を中国人の筆者が展開していることに驚かされると同時に、この人の洞察力のすごさに敬意を抱く。
中国の上層部は「北朝鮮と同様に、日本を危険な国、ならずもの国家と見ている」というアンケートの分析には驚く。
いずれにしても参考になる。
*『私はなぜ中国を捨てたか』(石平著、ワック)
この本を読んで、20年ほど前の映画『芙蓉鎮』を思い出した。これは、文化大革命期の混乱を生きた若い女性の辛苦に満ちた人生を描き出した中国映画である。
「80年代大学生」と慣用句として言われるのは、「自由」、「民主」のスローガンを叫んだからだという。この映画もその時代背景につくられた。当時は感動した覚えがある。
この本は石平氏の自伝的な本で、内容的にはすばらしいという印象をもった。また、この人の日本語力はすごいと敬意を表したい。
*『バブルの興亡』(徳川家広著 講談社)
人は合理的に行動するが、将来予測に関しては非合理的になりうると、日本の不動産バブルやアメリカのサブプライムローンについて説明する。
将来予測はあくまで期待である。
日本はバブルーインフレーハイアパーインフレーデフレというサイクルを経たあと、廃墟から立ち直る。廃墟経済で富裕層が大打撃を受けるだけである。
金融資産が激減している分、ちょっとした貯蓄でも利回りを得られるようになる。
快晴の空のようにすっきりしたものになるかもしれない。
未来予測は期待でしかないわけだから、まあ、当たらないことも十分、考えられる。
●近況・雑感あれこれ
【シャクナゲ=高野山で5月16日、岡田・撮影】
◎最近の情報化に想う
*早くも6月入りです。気温が3~4月ごろの寒さに戻る日もあるなど、体調、服装管理も大変です。
それにしてもサプライズなことが起こりました。前日まで続投とほとんどの人が思っていただけに、鳩山首相の辞意表明は意外性がありました。
ポスト鳩山に菅副総理が有力視されていますが、誰がなろうが大変でしょう。
*いよいよオジンになってきたことを実感しています。Twitter(ツイッター)やiPadについていけないというか、関心がわかないのです。TVで聞いている範囲では、触手は動きません。iPadで書籍を読むと言っていましたが、本は本棚に収まっているのを眺め、気に入った箇所に赤線を引いたり(実際は可能らしい)、コメントを書き込んだりするのが楽しいのです。しかも本は与えられたもの(売れ筋の新書が大半)の中からしか選べないのでは、私にはほとんど役にたちません。
見守りたいですね。
*映画でもDVDにならないマイナーなものにいいものがあるのです。最近観た映画「クロッシング」(世界を揺るがす収容所国家・北朝鮮)とか、「ONE SHOT ONE KILL -兵士になるということ」(米海兵隊)などは、レンタルDVDやiPadでは観られないでしょう。映画は映画館に足を運んで観た方が迫力があります。
◎政局のゆくえ
*鳩山首相の辞意には驚きました。これまでの迷走ぶりに国民の多くはあきれていたように思いますね。いまひとつ分かりにくいですが、おそらくやりたいと思うことができないという無念の思いではなかったかと推察します。彼だってバカではないし、官僚からもレクを受けているでしょうから今回の普天間問題もはじめからわかっていたのではないかと思ってしまいます。
その証拠にオバマ大統領に「Trust me(私を信じて下さい)」と言った通りの決着(米国案)になったのです。参院選後、どんなことになるのか、わかりませんが・・・。
日本の米軍基地が東アジアの抑止力になるといいますが、韓国、フィッリッピンの方が地政学的にいいように思えてしまいます。これが先の戦争で無条件降伏した結果で、屈辱に耐えなければならないのです。戦争で敗れ、無条件で占領を許した罪は大きいわけです。
戦後、自民党政権が続き、政権が交代したぐらいで鋼鉄のような官僚組織は、そう簡単に変わらないでしょう。事業仕分けを見て天下り官僚の答弁を聞いていると、こんな中に突っ込むと泥沼に足がとられるように見えます。
民間と違って、公共機関の人間は法律違反以外、どうしようが影響は受けないと、体質的に普通の国民ではなくなっているのです。民主主義国家では国家の大きな改革は難しいように思えます。
ただ、財政が破たんしたら、国民に黙って思い切った手を打つのがこれまでの国家のやり方です。それを知った時は、遅きに失します。泣くのは一般国民です。これからも政治不信は一段と高まるでしょうが、どうしようもないという暗い気持ちになります。(雑感は後にも続きます)
●友人からのメールです
*舳倉島(へぐらじま=石川県輪島市)
―相変わらず各地へ精力的に活動されていますね。写真の方は撮れていますか。返事が遅くなりました。5月14日から金沢市と石川県輪島市の舳倉島(へぐらじま)へ行ってきました。
私の方は舳倉島で撮った28Gの整理がやっと昨日終わりました。勿論、消して消して消しまくります。結局3Gを保存しました。舳倉島は“撮り鳥”にとっては最高の鳥見島です。おせいじにも綺麗な民宿と言えないので都会派には一寸・・・。アウトドア派には最高のキャンプ地とか。
船で一時間半ほど、50Kmの離れ島です。ここは「撮り鳥」のメッカです。日本有数の渡り鳥の寄留地です。ここから鳥たちが北、南と渡ります。夏鳥と冬鳥が見られます。この島だけで300種の野鳥が記録されています。
日本全国では480種~580種が観察されています。島には民宿が2軒ありますが、この時期は常連で一杯です。その隙間に私らも入れてもらいました。おまけにAUの携帯は繋がりません。
周囲5Kmの小さい島です。この時期は住民よりバーダーの人数が上回ります。
バーダーは朝の4時半から夕方の6時半まで島中をうろつきます。民宿には鳥見のルールが大きく張り出してあります。ほとんどが常連なので民宿の主人はルールについて何も語りません。
とても大阪では見られない野鳥が・・・、全部で27GBのCFを持参し満杯です。初めて島へ行った私は驚きの連続でした。
【オオルリ?=堀英彦氏・撮影】
オオルリの若と思っていたら違うのではと言われた写真です。♀そして♂の若は図鑑を見ても良く分かりません。
民宿の裏の木でカッコウが鳴きました。二階の窓を開けたら目の前にいたと、
民宿中が大騒ぎとなりました。私も散々鳴き声は聞くものの見たことも撮った事もありませんでした。
私も階段をどたどた下りて、カメラをセットしたらカッコウはその騒がしさに驚いて他所へ飛んでいってしまいました。
私がカッコウがとまっていた木を見て残念無念と見ているとカッコウが戻ってきました。追いかけていった連中も戻ってきました。私以外に遅れた数人が最初に良い位置を占めて撮り放題。おまけに飛び出しまで撮れました。戸隠で探し回ったのが嘘みたいでした。
【カッコウ=堀英彦氏・撮影】
もう一枚、ハチクマです。本土では愛知で渡りのときにしか見られないと言われています。初めて見ました。
8羽が頭上を飛んでいきました。この集団を見てトンビかと叫んだら、ハチクマだとの返事。側にいたカメラマンがいっせいにレンズを空に向けてバシバシの連続音。
“撮り鳥”の凄さはシルエットで判断できることですねー。私はレンズを覗いて理解しました。―
【ハチクマ=堀英彦氏・撮影】
*「万田坑」
―(人生道場、独人房)拝見しました。いつも連絡ありがとうございます。 早くお知らせすべきでしたが、奥様のご出身地、熊本県荒尾市の三井鉱山跡、「万田坑」が、「九州・山口の近代化産業遺産郡」の一つとして世界遺産候補に名を挙げており、整備を進めてきました。それが4月25日から一般公開され、当社でも広告で4月21日付けの夕刊に掲載しました。
【万田抗=インターネットから】
この紙面を、1万部ペラで増刷して荒尾市内のグリーンランドや、宮崎兄弟の生家跡、小代焼の各窯元など、訪れた人々に配布して、万田坑以外の荒尾の宝を知ってもらうことにしました。東京の銀座熊本館、大阪熊本県事務所、同福岡事務所にも増刷分を置いてもらい、福岡県人会にも総会で持ち帰ってもらいました。
*日本理化学工業
―いつもHP更新のお知らせありがとうございます。少しずつ雨の日が増えてきている気がするのは気のせいでしょうか?梅雨入りにはまだまだ早い時期ですが、どうも今年は天候がいつもとは違うようです。
●この間、たまたまテレビを見ていたら、何かの番組の再放送で日本理化学工業の身障者雇用の話を放映していました。
この会社の話は、ここ数年、さまざまなメディアで取り上げられているの
で、私も概要は知っていますが、この会社の敷地には「働く幸せの像」というのがあり、以下の言葉が刻まれているとのことです。
『人に愛されること、 人にほめられること、人の役にたつこと、人から必要とされること』の4つです。
働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるのです』と。 「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」
―社長 大山泰弘(現会長) 平成10年5月
身障者雇用についていろいろと悩んだときに、社長がとある導師から教わった言葉ということですが、身障者雇用だけではなく、会社で働くという意味、世の中で働くという意味を、改めて考えさせられる言葉ですね。
●22日の夜、プロの落語家さんとのコラボで「落語から読み取る、おもてなしのコミュニケーション」というのを京都の町家でやりました。(やらされたのですが…)
最近は落語家さんの噺を聴いて「学ぼう」というセミナーが流行っているようで、落語家さんが2席、語り終わってから、30分ほど、コミュニケーションについて話し合い、それから参加者との交流会でファシリテーター役をいたしました。
落語を勉強にしようと、身構えて聞くのは「おもろないわ」野暮なことですね。単純に聞いて「笑う」のが私はすきです。
●私、岡田清治からの返信です。
―いつもHPご覧いただきありがとうございます。ご活躍ですね。
落語は日本独特の芸です。私は若いころから落語が好きで、学生時代は英語で初代桂春団治や「胴切り」の話を論文で書いたことを思い出しました。
NHKの深夜番組で関西の寄席を録画して時々、楽しんでいます。私は故・桂枝雀のファンでした。たまに、天満の繁盛亭にでかけます。
ところで、日本理化学工業ですが、最近、読んだ『日本でいちばん大切にしたい会社』で知りました。著者の坂本光司氏が熱心に紹介してきたようですね。
この会社の初代が偉かったのでしょうね。そして二代目がその意思を引き継いでおられるということです。
こうした会社はほかにもあると思いますが、日本人は憐憫の愛を感じ、マスコミも感動ものとして喧伝します。それはいいことで、障害者の方には励みになります。ただ特殊な会社であるため、一般の中小企業にはあまり参考にならないように思います。
●雑感あれこれ(続き)