4月日記

トサミズキ
 
 枚岡公園に朝6時に出かけました。上の写真はハロゲンランプをバックに入れて撮影しました。幻想的な写真になりました。
 下の写真は同じ公園ですが、違う枝の花をアップで撮りました。
 早春の代表的な花木で、名前のとおり原産地は高知県です。

【トサミズキ=枚岡公園で撮影】

●4月30日(月)GWの街の様子

 
 【スパーは少ない】
 GWに大阪に出た。午前中は、近くのイトヨーカ堂のキタムラカメラに行った。この日はすばらしい天気だったので、日常品の買い物客は平日より少ない。こんな日にスーパーへ来ている人間はよほど、どこへもいくところがないように見える。

 キタムラカメラではデジカメのプリントを注文。家のプリンターよりよほどきれいだ。大事な写真は専門のところがいい。
 デジカメの予備の電池を以前に買ったが、充電器に収まらないので、たずねると、「これは使い切りのリチュウム電池です」という。そうなると、3本入りだから約2,200円する。これではこまめに充電するしかない。よほどの場合に備えて持参することにした。
 
 銀塩フィルムのカメラ用フラッシュの調子が悪いので見てもらうと、故障しているという。新たに買うと3万円を超える。修繕だと1万円である。修繕を頼んだ。やはり長い間、使わないでいると、故障する。

 午後から大阪市内に出た。まず、難波のツーリストで「山歩きの旅」のパンフレットをもらった。次にビッグカメラに行った。こちらはかなりの来客であった。カメラ用メモリを追加購入した。そこでカメラについていろいろ分からないことを質問した。この場合、カメラ(その店で購入したものでなくても)を持参した方がいい。

 ニコンのサービス店に行かなくても、ここで理解できた。ヨドバシカメラの店員より親切だという印象である。
 PLフィルターも購入した。これは海とか光の反射の強い景色の撮影で威力を発揮する。ここでもカメラについて質問をする。こうして店でレクチャーを受けるとき、なかばサービス料だと思いながら商品の購入をする。購入すると分かると、店員も熱が入る

 このあと、ニコン塾の申し込みのため、心斎橋に行った。心斎橋通りは大変な人出であった。ニコン塾の事務所は休み。次に梅田に出て、ジパング倶楽部の事務所に行ったが、こちらも休み。65歳になると入会資格ができる。これは確実に得をすると聞く。

 最後に山の道具の店、好日山荘に行った。こちらはそう多く客はいなかった。この店は高校時代、山岳部にいたころから利用している。そのころは小さな店だったが、いまは大型のチェーン店を展開するほど、大きくなった。
 帰り道、阪神百貨店でパンを買ったが、こちらは大変な人出であった。
 
 歩道や地下道を歩くのも結構、疲れる。


●4月29日(日)(けいか)

 
【瓊花と藤のコラボレーション、右は瓊花=撮影4月29日午前8時半】

 朝の6時半、唐招提寺の
花(けいか)の撮影にでかけた。ご存知のように唐招提寺は中国の高僧・鑑真和上(688〜763)が開祖で有名な寺である。瓊花は鑑真の故郷、中国・揚州で咲く花で、門外不出とされてきた。
 鑑真没後1200年、中国・仏教会から唐招提寺に贈られ、毎年、御影堂の庭に咲き1週間ほどの期間、
花を公開している。

 「日本には皇居にあると聞きますが、未公開のため確認できておりません。あとはこのお寺だけです。ガクアジサイに似ていますが、瓊花はカツラ科の花で、真ん中の黄色の部分が花です。まだ、つぼみです」と、庭の掃除をしていた修行僧と思われる若い僧が親切に説明してくれた。

 ここで写真を撮っていると、毎年、観に来ているというYさんと知り合った。聞いていると、住まいが私の隣町で岐阜から出てきて、すでに50年だという。奥さんの里だという。しかも、驚いたことに私の家の近くの医院に毎月2回、血圧測定に行っていることや、近くのAさんとは親しいというので、瓊花の前ですっかり話し込んだ。

 Yさんは78歳で月の半分はいろいろなところへ出かけているそうだ。「これパソコンで作った名刺です。1枚差し上げます」と、リックサックから取り出してくれた。

 NHKのラジオ朝一番で「脳の活性化は家に閉じ困らないで、いろんなところへ出かけ、人と交わることです」と専門医が話していた。まさに、Yさんはそれを実行している。


 唐招提寺は近鉄・西ノ京駅から徒歩5分、薬師寺が近くにある。着いたのが朝の7時過ぎ。写真は朝の10時までと、午後3時以降がいいという。
 朝日に輝く花が美しい。寺は午前8時半から開くので、その間、周辺を散策した。ここは特別地区だけあって、すばらしい環境で、近くの住民が散歩している姿が目に付く。川では魚釣りの人もいた。

 唐招提寺の瓊花、薬師寺の平山画伯の絵画、そして薬師寺に隣接している萬京で昼食をとって、バスで春日大社の藤を見に行って夕方4時に帰宅。
 藤は五部咲きであった。ゴールデンウイークだけになら公園は多くの観光客が来ていた。

【春日大社の藤は5部咲き】

 午後7時から自治会の総会。ようやく自治会の役(2年間)から解放されるが、「役をしない人、高齢化でできない人がいて、10年以内に順番がまわってきますよ」と、ペアーを組んだ人が話していた。



●4月28日(土)カタクリ

 友人がカタクリの花を見つけたと、送ってくれました。場所が分かりませんが、群生地でないところで、はじめてなのに、形のいい花をうまく撮影したと思います。

【友人が撮影したカタクリの花】


●4月27日(金)水問題

 『地球の水が危ない』(岩波新書、高橋裕著)を読んだ。説得力のある本だった。


●4月26日(木)これが植民地の学校ですか

 京都に仕事で出かけました。ある団体の総会の会報を作成するためです。この日のメイン・イベントは鼎談で、台湾から80歳の要人を招いて教育についての討論でした。
 台湾の方は愛日家で日本の植民地時代、台湾の小学校で学んだそうですが、その施設、教育内容は日本の本土に負けないもので、いまも誇りに思っているそうです。日本人はもっと誇りを持つべきだと励ましていました。
 
 教育長は「現場の教師を入れ変えることはできません。いまいる教師にこそ、変革をしてもらうしかないのです」ということが印象的で、これは企業でも同じです。もう少しまともな部下をほしいと思っても、その部下を辞めさせられないのと同じです。実際、ある学校では国公立への進学が0だったのが、今年30人合格したそうです。同じ教師の下です。ただ、ややこしい2,3人の教師は辞めていましたが・・。

 教育問題は論議の時期から実践の段階だという結論には同意できますが、台湾の要人のように戦前の日本の教育のいいところだけ見ていく方法にはいささか戸惑いを感じます。やはり、良悪をしっかり見つめることも必要だと感じたしだいです。それにしても、そうした戦前の日本教育を評価し、実践したことで成功されたことには敬意を払います。


●4月25日(水)人間ドック

 人間ドックと市の総合健診をそれぞれ年1回、受けている。この連休前に人間ドックを受けた。このところ、ドックを受ける市民が増えたのか、1ヶ月半先まで予約でいっぱいである。市ではドック費用の半分を還付してくれる。

 市の総合病院にも、この2月にPETが導入された。窓口で「がんの方が転移しているかどうかを調べるには適していますが、これまでの検査で十分です」と、あまり勧めようとしない。この受診には8万円ほどの費用がかかるが、民間病院に比べたら割安である。

 私は毎年、人間ドックを受けているが、今回は身内ががんで倒れたあとだけに、自分も心配になっていた。「すべてOKです」と、検査後、医院長から説明を受けたときは、ホッとした。今回は脳ドック(MRI)も初めて受けた。20分間、静止状態で検査を受けるので、ちょっと疲れる。
 一応、健康が確認できたので、またぞろ遊びこころが出てきた。まあ、健脚のうちに花の百名山を登りたいと、思っている。


●4月24日(火)次の世界戦争は石油ではなく、水の確保問題

 この日、大阪ガス顧問(元副社長)の遠藤彰三氏から「世界の水問題」をテーマに講演を聞いた。日本にいると、水問題といわれてもピンとこないが、アジア、アフリカを中心に大変な問題である。中国も砂漠化をはじめ大きな国内問題として浮上している。
 世界の人口61億人のうち、12億人の人たちが安全な水が飲めずに苦しんでいる。8秒に1人が水問題で死んでいる。乳幼児は年間340万人亡くなっている。
 
 日本の食料の60%は海外から輸入している。その食料には多量の水を使っている。いずれ日本にも影響する。だから日本も水問題解決を真剣に考える必要がある。




●4月23日(月)裁判外紛争解決手続(ADR)

 森元参議院議員からのメールです。ADRは裁判を効率的に進めるにはいい制度だと、経団連でも歓迎しているようです。

 自民党のADR活性化戦略プロジェクトチームが『多様で魅力ある、かいけつサポート(ADR)の早期実現に向けて』をとりまとめました。私もそのメンバーとして議論に参加しましたので、今回はADRについて述べたいと思います。

 裁判外紛争解決手続(ADR)は、裁判によらないで、当事者の自主性を活かし、プライバシーや秘密を保護しつつ、各種の専門家が間に入って紛争を解決する方法を広く指します。

 平成16年、裁判外紛争解決手続きの利用の促進に関する法律(いわゆるADR法)が制定され、本年4年1日から施行されます。

 ADRは、裁判に比べ紛争の実情に即した迅速な解決を図ることが可能であり、ADRを利用しやすくすれば国民が紛争解決手段を選択する幅が広がり、国民の権利利益の適切な実現に貢献するものと思われます。しかし、ADRに関する権限を適正な業務ができない者に与えると、かえって国民の権利利益を損なう結果を招来しかねません。そこで、民間の事業者が行うADRについて、その業務の適正さを確保するため、一定の要件を定め、国がこれに適合していることを確認(認証)することにしています。

 ADR法が規定する認証の基準は、紛争を解決するに当たって適切なあっせん・調停人を選任できること、法令の解釈適用に関し、専門的知識を必要とするときに、弁護士の関与に関する措置を定めていることなどが主なものです。

 現在、弁護士をはじめ、司法書士、社会保険労務士、土地家屋調査士、行政書士、税理士、不動産鑑定士などの法律専門職の団体が、認証取得に向けて準備を進めています。
 しかし、認証取得に向けた準備作業が全ての団体で順調に進んでいるかといえば、必ずしもそうではありません。それは、弁護士の助言を受けるための具体的な対応方法を巡って、弁護士会と法律専門職の団体の間になお意見の違いが見られるからだと言われています。

 弁護士以外の法律専門職がADRの認証を取得するためには、弁護士が常駐していなければならないとなると、ADRの運営費が高くつくばかりでなく、弁護士がいない、あるいは少ない地域では、そもそもADR機関を立ち上げられないということになりかねません。

 しかし、それでは、人々が身近なところで、気軽に紛争を解決できるようにしようというADR法の立法趣旨に反することになってしまいます。

 このため、自民党のADR活性化戦略プロジェクトチームにおいても、この点に議論が集中しました。そして、先日のとりまとめにおいては、弁護士関与の態様については、「弁護士が手続実施者としては関与せず、法律問題が生じたときに相談に応じられるようにしておく待機対応型や連絡対応型をも柔軟に活用しつつ、的確な運用を確保するようにしていくべきである」とされました。

 今後、法務省が実際にADRの認証を行う際には、柔軟かつ弾力的な対応をすることが求められます。まずは、できる限り幅広く実施体制を整え、その実施状況を見ながら、逐次基準の運用方法などについて手直ししていくという姿勢が重要ではないかと思います。

 わが国でADRが今後どこまで定着し、活用されるか。それは各ADR機関がどれほど紛争解決に当たって国民の期待に応えることができるか否かにかかっています。各ADR機関が専門とする部門でその実力を発揮し、紛争当事者が安心して紛争解決の仲介を任せられるだけの信頼を得ることが、何より肝要であると思います。

<参考資料>
『多様で魅力ある、かいけつサポート(ADR)の早期実現に向けて』
http://www.t-morimoto.com/files/20070323adr.pdf
(参議院議員 森元恒雄)



 
新潟・佐渡旅行日記(4月19日〜23日)一挙掲載

◎4月19日(木)佐渡に来てちゃ

【フェリ-ターミナルから見る新潟港】

 佐渡へは2年前からなんとしても行きたいと考えていた。花がすばらしいと聞いていたからだ。
 待ちにまった佐渡行きの日である。昨日からの雨が上がり、すばらしい朝を迎えた。佐渡も同じ天候であることを祈る。

 朝5時起床、火の用心の点検、戸締り、朝食とあわただしい。額田駅発午前6:59(東生駒行)―西大寺発7:27―京都着8:25と、計画より若干、早く着いた。京都駅構内でカプチーノ飲む。構内の各店が一新されていた。
 ここから、京都発ひかり364号9:00(レール&レンタカーは割安のため、のぞみを使えない)に乗り、東京着11:43である。東京に降り立つと寒い。

 新潟へ行くのに鉄道を利用する場合は、一旦、東京に出て上越新幹線を乗り換えて行く方法が一番速い。約4時間30分の道程である。東京発12:12―新潟着14:16Maxとき321号の2階席に座った。新潟県に入ると、その広大な越後平野が風景を変える。越後湯沢で停車、外を見ると、山の尾根には積雪があった。これは佐渡の山も寒いのではという予感がした。
 定刻に新潟駅に着いた。駅から佐渡汽船ターミナルまでバスに乗る。
15分で着く。1間で行く高速艇は16:00発である。手続きに20分を要したので、早く着いてよかった。キャンペーンシーズンということで、JTBに支払った料金の4割を返してくれた。得した気分である。聞くところによると、佐渡汽船は赤字経営で苦しいという。それだけに必死で客集めしているのだろうか。
 待合室は一杯であった。空席はあったが、ほぼ定員近くの客が搭乗した。時速80km高速艇は1時間で両津港に定刻通り着いた。両津港に近づくと、島が左右二つにわかれるのが、はっきり見える。佐渡ケ島は日本一大きい島(淡路島の1・5倍)だけに島の中に入ると、本土と変わらない風景である。
 ターミナルの駅レンターカーでカロラーを借りて、ちょうど両津港の反対側の八幡温泉の旅館に着いた。
 旅館はまずまずであった。お客は多い。佐渡観光客はこのところ良好だという。特別料理で旬のさかな「シラウオのおどり」をすすめられ、食べた。シラウオの稚魚が生きたまま出てくる。それをすくって食べるとは、残酷でもあるが、おつなものだ。
 食事のあとは相川踊り、佐渡おけさをホールで楽しんだ。
 佐渡弁は語尾に「ちゃ」がつくという。佐渡にいる間、聞いたことがなかったが・・・。

◎20日(金)ドンデン山は花の宝庫

【旅館の近くで見た珍しい桜の花】

朝、旅館の周囲を散歩した。新潟や佐渡は桜が開花時期であった。海に近いところだからか、珍しい桜が咲いていた。道路沿いにはつくしがたくさん芽をだしていた。

海岸まで行くとまったく人影がない。日本海側の海だから、その向こうは朝鮮半島である。この海岸で拉致するのは容易だと想像する。海岸近くにある工場のような建物は火力発電所だった。人口約6万人の佐渡にはこれで十分なのか、ほかにも発電所があるかも。ホテルを朝の9:00ごろ出発、ドンデン山荘に向かった。アオネバ登山口から県道を少し登ると、道路の脇にカタクリの花が群生していた。クルマを止めて撮影。山全体に咲いている感じだ。カタクリのほかにキクザキイチゲ、イチリンソウも群生していた。撮影しながらドンデン山荘に11時半ごろ、到着。ドンデン山(尻立山)は934mである。山荘に向かって左に佐渡で一番高い金北山(きんぽくざん)1,172mが冠雪している姿が見える。美しい。

昼食は山荘でドンデン丼(肉丼)を食べた。
 午後1時に山荘を出て、蜂ガ峰の県道に向かった。ここは積雪が残っていて交通は全面禁止となっていた。歩くのはOKだが、はじめての者には道路がわかりにくく不安である。30分ほど進むと、アオネバ十字路、金北山縦走などの看板が見える。その道は積雪30cm以上で山道は雪で隠れて見えない。

 県道で下から登ってきたシニアの登山男に会った。「はじめてだと、この雪道は大変ですよ。ただ、少し下ると、雪もなくオオミスミソウ(ユキワリソウ)がいっぱい咲いています。」その情報に魅かれ多少、危険を感じながら雪道を下った。

 途中、道に迷いそうになったが、川に沿って金北山を正面に見ながら黙々と歩いた。30分ほど下ったら、雪はなくオオミスミソウのかわいい花が道沿いにいっぱい咲いていた。

アオネバ十字路からアオネバ登山口までが花の宝庫である。シニアの女性が一人で登ってきた。
「ここは5月ごろからシラネアオイが道沿いにずらっと咲きます」と、教えてくれた。
 この山道ははじめての登山客には分かりにくい道である。途中、トイレはもとより、道案内の標識もほとんどない。あとで山荘の人に聞くと、これでも増やしたという。

「ここからアオネバ登山口まで花を観ながら30分ぐらいです。私はアオネバ十字路まで登りますが、約1時間30分かかります。山荘へはさらに1時間です。」という。ここから引き返す勇気はなかった。とにかくアオネバ登山口まで下って、そこから車道を山荘まで引き返した方が安全だと判断した。

アオネバ登山口に着いたのが午後3時である。来る途中で会ったシニアの登山男に再び出会った。「先ほど、お会いしましたね」と声をかけた。

「ここまで降りられたのですか」、「素人には引き返すことは難しいと思いました」、「そうですか。降りるのは大変ですが、上るのは楽ですよ」と、言います。
 しばらく話し込んだ。11年前に奥さんの里である佐渡にやってきたそうだ。埼玉でうどん屋を営んでいたが、いまは人に貸して両津で讃岐うどんの店をやっているという。

「老後を淡路か、小豆島か、ここ佐渡のどこかでのんびり過ごすことを考えました。淡路の南側は風が強く、作家の灰谷さんも3年ほどで沖縄に行きました。小豆島は住む土地が少なく行けない。郷里は高松ですが、橋がかかってからはクルマが多く、とても住めないです」というので、佐渡に来たという。

「今日は女房と息子で店をやっている」そうだ。
「この山はすばらしいです。3,4年前まではほとんど知られておりませんでした。この山に登るには地元のガイドに頼まないと、道がなかったので登れませんでした。ところが市が観光振興のため地元山岳会に依頼して道をつくったのです。ドンデン山荘も一度、廃業となり民間委託も検討しましたが、結局、市が3年前、新たに建設したものです」(建物は市が建て、運営は民間だと山荘の人の話)と、説明してくれた。だから山荘は気持ちいいくらい清潔で、料理も結構、おいしかった。

 佐渡は海と山に囲まれ、稲作も発達している(山から見ると山に囲まれた平地は全体が水田である)ので、和洋の食材が豊富である。

アオネバ登山口から県道を3時間かかる山荘へと向かった。途中、写真を撮りながら登ったので思いのほか、時間がかかる。夕日が沈む前に着かないと、暗闇を歩くことになる。汗で下着がびっしょり濡れて冷たい。6・3kmの山道で、本当に長い。

ようやく夕日が沈む寸前、夕方6時に山荘に着いた。

玄関前で従業員の方が「夕食は何時にしますか」と、心配顔でたずねた。早くしてほしいと言うので、30分で風呂に入って、6時30分から席に着いた。3組の泊まり客であった。花は十分、満喫できた。

【白、ピンク、青のユキワリソウが道沿いにいっぱい】

◎21日(土)大佐渡スカイライン

夜中から朝方にかけて強風が吹いた。
 山の上だから風が一段と強い。雨は上がったが、一日中、曇り時々雨の予報である。1組のシニア女性4人は7時過ぎ金北山縦走に向けて出発した。

【ドンデン高原への山道】

昨日の登山でよかったと思った。山は天候次第で、楽しくもあり、そうでないことも起こる。道路は朝の9時からでないと通行できない。そこで山荘の裏手にあるドンデン高原、尻立山の三角点まで登った。途中の道路は半分、雪道であった。高原は強風でじっと立っておられない。小雨もぱらつく。早々に引き返した。ここは6月がお花畑になるという。

山荘からトキ公園に向かった。トキの飼育見学は、最近2羽死んだので、原因をさぐり消毒をした後、解禁すると張り紙にあった。資料館から望遠鏡で曇りガラスを通して見えるが、くすんでいた。外の小屋には、クロトキが3羽見ることができた。朱鷺の方は現在、100羽近く増え、2008年には野外に放つ計画だそうだ。
 
 トキは見られなかったが、公園の桜、たんぽぽの群生などすばらしい環境である。
 ここから大佐渡スカイラインを走った。金北山の脇を通る素晴らしい道路である。これが無料である。金北山の登山口もある。スカイラインの一番高いところ(約900m)にある白雲台の店で「ながも(とろろのような昆布)蕎麦」を食べた。
 
 ここから佐渡金山に行った。入場料金が700円なので、高いと思ったが、それだけの値打ちがあって納得した。ハイテクロボットで演出、金山労働の状況がよく理解できた。ここの桜はライトアップするので、佐渡自慢の桜の一つである。

 1時間があったので、日本海側の海岸を休暇村まで約1時間走った。途中、海は荒々しく岩に波を打ちつけていた。ここの夕日は美しいが、この日は曇りのため、見られなかった。夕方5時にホテルに到着。大規模なホテルで、団体客も多かった。夕食はいまひとつの内容で、かっこうをつけた見た目が豪華だけで不満であった。団体客向きのホテルである。
 7時30分にホテルのバスにのって、21日と22日の2日間、近くの体育館で行われる「おけさ祭り」を見に行った。ここでも相川踊りや佐渡おけさ、鬼太鼓を見た。佐渡おけさは静かな踊りである。

【金北山の頂上は雪だった】

22日(日)ジェンキンス氏と記念写真

ホテルを9:00ごろ出て、佐渡歴史伝説資料館に立ち寄った。ここの展示も金山資料館同様、ハイテクロボットを使ってリアルにうまく表現していた。展示会場のあと、お土産売り場でせんべい「太鼓番」を買っていると、店員が来てジェンキンス氏がいることを教えてくれた。TVで見た覚えがある職場で、ジェンキンス氏はここで働いているということだった。お土産の「太鼓番」を買ったので、ジェンキンス氏と一緒に記念写真を撮ってくれた。ジェンキンス氏もPR役を心得ているのか、気軽に応じてくれた。

10時40分、無事、レンターカーを返した。両津港発11:30の高速艇で新潟港着12:30、新潟駅着13:00。高速艇でドンデン山荘に泊まっていた女性4人組が後ろの席にいた。聞くと、神戸から来たそうだ。頻繁に国内の山に登っているそうでJRジパング倶楽部、青春切符をフル活用している話だった。ということは65歳以上の年齢だが、重いリックサックを担ぎ、今回は大阪から夜行バスで来て、帰りは富山で北陸線に乗り換えて帰るそうだ。いまのシニア女性のパワーはすごい。

新潟発14:04−東京着16:20とき328号、山陽新幹線に乗り換え夜8時30分、
自宅に着いた。風
火山(BSは10時から)、選挙ニュースを見て床についた。

【旅の印象】
花、とくにカタクリの花を求めての旅だったので大満足である。ユキワリソウの群生というおまけもあった。ただ、ドンデン登山はきつかった。足腰が痛く、しばらく山登りができないのが残念である。(4月23日)

【ノウモアー、カタクリの旅だった】



●4月18日(水)片付け

 貧乏性のためか、職業病のためか、資料を収容できないほど、かかえています。しかも整理がへたで探すのも一苦労です。最近は、時間があれば部屋の資料を整理していますが、いまさらながら捨てる勇気のなさが情けないほどです。
 蔵書は府立中央図書館に寄贈できるので、いずれそうしたいと思っています。


●4月17日(火)PCクラブの宿題

 月1回のパソコンクラブの会合が待ち遠しいほどです。理想的なクラブでパソコンライフを楽しんでいます。4月の会合に出席できないのが残念です。2年目に入る最初の月ということで、以下のような宿題が出ています。欠席しますので、文章を書いて提出しました。

PCクラブ(宿題)
 4月の勉強会は新しくメンバーに参加された方も居られます。そこで、皆さんよりいろいろとお話を聞きながらパソコンの活用術をOさんに語っていただこうと企画しています。当日へ向けて、皆さんに宿題です。

@ あなたはパソコンで日ごろどういうことしていますか ? 重宝している事は ?
 私のパソコンについての簡単なキャリアーを申し上げます。50歳代の現役のころにワープロ「書院」を購入、50歳の終わりごろ会社でメールを覗く程度でした。60歳の定年退職とともに、パソコン、携帯、デジカメと一気にデジタル機器を扱うはめに陥り、パニック状態が続きました。
 なぜデジタル機器が必要になったかといえば、退職後すぐにNPO活動に参画、メルマガ発行を担当したことから、通信手段としてワードとメールとインターネット習得の必要に迫まられました。これで十分だと考えていましたが、そのうち情報誌の編集、編集プロダクション(企画、調査、取材、執筆、原稿依頼、編集、校正、写真等を行います)を立ち上げ、プレゼンのためにHPにも入っていきました。

最近は体調を崩したこともあって、細々と続けている程度です。

●私がパソコンを重宝していることは、ボケ防止が最大の目的です。

HPに公開日記を掲載、どんなにしんどくても、日記を書いて毎日、更新しているのも、ボケ防止のためです。

それとささやかな夢を持っています。もともと写真が好きで約30年間、銀塩フィルム撮影、自宅ににわか暗室をつくって現像〜焼付けをして気にいった写真を人にあげたりしていました。

 デジカメへの切り替えは旧いカメラ機器が揃っていましたので、かなり躊躇しましたが、パソコンを扱っている関係から60歳でやむをえずデジカメに切り替えました。いまは花(とくにカタクリは毎年、撮影に行きます)、最近は野鳥も加えています。これは知人が定年後、野鳥撮影をはじめて、すっかりメル友になり刺激を受けたからです。また女房が最近、全日写連のメンバーになって写真にこりだしていることで煽られています。

ところで以前、カタクリの写真をがん患者の知人にあげたことがあります。毎日、病床でそれを眺めながら元気にしているという手紙をいただいたことがきっかけで、いろいろな機会に写真をプレゼントするようになりました。それで写真加工技術を学ぼうとセミナーに出かけ、PCクラブのことを知ったのです。このほかペンタブレット、スキャナーも導入してパワーポイントによるプレゼン作成をぼちぼち始めました。

ここからは夢ですが、パワーポイントの作品を老人ホームの方々にお見せして癒すことができないかと、考えているところです。ただ、その前に自分が癒される立場にならないか心配もしています。(笑い)。

A
どんな事をしてみたいですか ? サークルで勉強してみたいことは ?
パワーポイント
Bどんな事で困っていますか ? 困りましたか ?
 日常的に細かいことではたえず、トラブルが起こっています。当クラブをはじめ、ソニー梅田ショップ、大型電機店及び購入先の東大阪のソニーショップ「Do 夢」のオーナーなどに教えてもらいながら、かろうじて操っています。HPがうまく動かなくなかったときは、専門の業者「パソコン救急隊」に修復を頼みました。
CPCクラブの事を友達に勧めたいと思いますか ?
 ふさわしい人(やりたい人)が見つかれば、ぜひ勧めたいと思っています
上の課題で順番に各人1〜3分くらいしゃべっていただきます。
よろしくお願いいたします。


●4月16日(月)再び、奈良へ

 曇り、小雨も時々、降る奈良へ再び、出かけました。朝の9時、近鉄・奈良駅をスタート、依水園を通って東大寺の前を抜け、お水取りで有名な二月堂、隣接する三月堂へ出ました。三月堂から春日大社、そして飛火野を通って浮見堂へ行きました。

 このあと奈良まちの「はり新」で食事をしようと行きましたが、月曜日は定休日でした。小雨降る古都も風情が一段と感じられ、すばらしかったです。
【二月堂から東大寺を観る】

●4月15日(日)資料提供の使命

 先日、朝日の「新聞と戦争」を取材しているS氏が拙宅に来られました。私は祖父、父、そして私自身の三代にわたる資料をかかえております。
 こうして取材にこられるということは、大変、光栄だと思っております。今回は従軍記者の父に焦点をあてての取材でしたが、父がかつて「私の戦争体験」(死後、見つけたものです)を語った2時間のテープを聞きにこられました。

 戦争、とくにニューギニヤに関する写真、資料は残っておりましたので、それらもお見せしました。熱心にメモをされておりました。

 こうしたニーズにお応えするのは当然、継承しているものの使命ですが、とくに父親に関しては供養のつもりで可能な限り本人の思いを伝える努力をしています。かつて直木賞受賞作品『ニューギニヤ山岳戦』の復刻や、21世紀協会の大阪ブランドの文学編向け写真提供、さらにTV、ラジオの再放送についての許諾契約など、結構、依頼や問い合わせがまいります。

●4月14日(土)大地の咆哮

 『大地の咆哮』を読んだ。元上海総領事の杉本信行氏の著書である。大変な話題作である。すでに読んだ方も多いと思う。

 自ら外務省のチャイナスクールのメンバーだという。そんな著者がこれほど中国を率直に書いたことに驚く。中国は一党独裁で、その基盤は相当、不安定であるようだ。明らかに北京はあらゆることを党の安定のためにやっていることが分かる。

 「現体制と中国人一般を同一視しないことが肝要。9億以上の農民の動きを直視することである」という。とにかくものすごい格差が生じている。農民は貧困層に属し、そこから抜けられないという。

 いずれにしても、この本を読むと中国に対する見方が一変した。時あたかも、温家宝首相が来日、安倍首相と有意義な会談をしたと、談話を発表した。その心の内は分からないが、どうも自国向けの宣伝のように思える。
 靖国問題で杉本信行氏は「日本の首相が靖国を参拝することは、サンフランシスコ平和条約11条を覆すことを意味し、日本の侵略行為を否定するのみならず、美化、正当化する行為に等しいと中国側には映る」という。
 日本の企業に対して国家賠償を求める声が上がっており、日中関係がこれ以上、悪化すれば、当局は抑えられないという。
 このほか示唆にとんだ内容の本である。



●4月13日(金)三角合併

 最近の経済界の提携、合併はかつてない規模と速さで行われています。本当にM&Aは有効な手段なのか、疑問もありますが、現実はすすめてられています。森元参議院議員から三角合併についてメールが届きました。

 「三角合併」
 企業の合併・買収の手法の一つである「三角合併」が5月に解禁されます。それを受けて自民党では、昨年末から制度整備のための最後の詰めの議論を集中的に行ってきました。

 三角合併とは、A社がB社を吸収合併する際、A社の親会社C社の株式を合併の対価としてB社の株主に渡す手法です。昨年5月に施行された新会社法で初めて認められました。しかし、例えば、A社の親会社で
あるC社が外国企業であった場合、A社は合併の受け皿会社に過ぎないため、実質的には外国企業C社が日本企業B社を買収したのと同じになります。このため、日本の経済界の一部は「外国企業による日本企業の敵対的な買収が激増する」と強く反対し、それを受けて1年間施行が凍結されるとともに、今年5月の解禁前に、省令の関係規定について見直すことになっていました。

 議論の焦点となったのは、三角合併を承認する株主総会での決議要件です。通常の合併と同様の「特別決議」(出席株主の議決権の3分の2以上の賛成が必要)とするか、若しくは経済界が求める、特別決議より
厳しい「特殊決議」(全株主の頭数で半数以上の賛成と総議決権の3分の2以上の賛成が必要)とするかで意見が分かれました。

 特殊決議化すべきであるという立場からは、以下のような意見が出されました。

(1) 行き過ぎた外国企業の買収は国益に反する。三角合併は敵対的買収の誘引となるため、国益の観点から厳格化が必要である。

(2) 三角合併の対価が外国会社株式であると、日本の株主は情報を十分に把握することができず、株主の利益が害される。

(3) 株式買取請求権の行使手続は煩雑で実際には十分に機能していないため、合併に反対しようとする株主の利益が十分に保護されない。

(4) アメリカにはデラウェア州の事業結合規制立法のような、敵対的買収に対する厳しい法規制があるが、日本にはない。

(5) 会社法施行後、この1年で買収防衛策を導入できたのは、上場企業約3,800社のうち、わずか約200社程度に過ぎない。

(6) 日本企業が外国企業に買収されることで、日本企業の重要な技術が国外流出する。

(7) 三角合併をしようとする外国企業の日本子会社が、合併対価として親会社である外国企業の株を取得する際、その日本子会社の資金が国外に流出するため、対日直接投資増加の政府方針に反する。

 これに対して、特殊決議化をすべきでないとする立場からは、・特殊決議化すると、事実上三角合併は実現不可能になる。

・特殊決議化しても、少数株主を完全になくすことはできない。

・経営者にも企業同士の競争が求められており、また、株価に企業価値を適正に反映させれば、容易に買収されるリスクは減る。

・(2)、(3)については、関係する制度改正を行えばよい。

・(4)については、日本の会社法は、各企業に合併承認要件を定款で加重することを認めているほか、種類株式や新株予約権制度のような敵対的買収防衛策を用意している。

・(5)については、1年で無理だから再延長するという議論は建設的でなく、法律の再改正が必要となる。

・(6)については、国外への技術流出は外為法などで規制できる。

・(7)については、三角合併が完了すれば、統計的にも対日直接投資としてカウントされる。

などの意見が出されました。

 特に、(1)の国益の点については最も議論が集中しました。特殊決議化をすべきでないとする立場の議員や法務省からは、三角合併を行う際には、当該合併の条件について各当事会社の取締役会の承認を得た上で契約をする必要がある。
 従って、株式の買い集めによって敵対的買収をした後に、取締役の総入れ替えなどで合併を強行することは考えられるが、「三角合併が行えるようになると敵対的買収が行われる」というのは論理的に破綻している、という反論がありました。

 しかし、三角合併の導入が、外国企業による日本企業買収のインセンティブを高めることは否定できません。今後自民党では、国益を損なうような合併が行われないよう引き続き注視していくこと、国益を損なうケースへの対応策などについて議論を深めていくこと、そもそも国際競争と国益との関係はどうあるべきかなどの本質論についても、中長期的に議論を重ねていくことを決めました。

 また、同時に、株主保護の観点から、三角合併を利用する企業には、合併対価とする親会社の株式が上場されている外国の証券市場や株価の動向、親会社の定款や財務、事業状況などの開示を義務付けることになりました。さらに、いったん大半の株式を公開買付け(TOB)で取得した後に三角合併を行おうとする場合などには、大株主という立場を悪用して不当に悪い条件で合併を実施しようとする可能性があることか
ら、合併条件の適正さを示すことも義務付けることになりました。法務省としては、5月1日の施行を目指して、省令の関係規定を改正します。

 そもそも日本では株式市況が低迷していることもあり、トップ企業といえども株式の時価総額は欧米の巨大企業に比べて著しく小さいことがかねて指摘されています。
 イトーヨーカ堂の株式時価総額は米小売大手ウォルマート・ストアーズの14分の1、松下電器産業は米電機大手ゼネラル・エレクトリックの10分の1、また、石油業界国内トップの新日本石油でも、米メジャーのエクソン・モービルの30分の1に過ぎないと言われていま
す。
 三角合併の解禁に伴い、時価総額の大きい企業は、大型買収のケースでも資金負担が小さくて済むため、無理なく買収に乗り出せるようになります。反面、リストラで経営体質が改善したものの株価が割安な日本
企業は、買収の対象とされやすい状態にあります。経済界には、今後、配当を厚くするなど、株価が企業の体力を正しく反映したものになるよう努めるとともに、買収防衛策をさらに強化していくことが求められま
す。(参議院議員 森元恒雄)





●4月12日(木)ヤマシャクヤク

 毎年、花の年賀状をつくっている。どの花にするかが難しくもあり、楽しみでもある。ヤマシャクヤクも候補の一つである。この花がどこで撮れるのか、分からない。熊本の義理の妹から植木市で見つけたヤマシャクヤクの株を送ってもらった。それが見事に開花した。花の妖精のようで、美しい。

【毎日、美しい姿を見せてくれるヤマシャクヤク】

●4月11日(水)奈良散策

 久しぶりに奈良へ出かけた。奈良はいつもこころを癒してくれる最高の場所である。まず、東大寺に向かう途中の氷室神社に行った。ここのしだれ桜は見事であるが、すでに散ったあとだった。このあと東大寺のそばの森奈良漬店(約140年の老舗)で瓜の奈良漬を買った。そこから春日神社の中の植物園に行った。藤は4月中旬以降で、少し早かった。植物園に隣接する庵でお茶を飲んだ。庵の庭には珍しいりんごの木に花が咲いていた。
【店の人の話ではりんごの花だという】

 そこから鷺池に浮かぶ浮見堂へ行った。これほど奈良に行きながら、浮見堂は初めてであった。桜吹雪の舞う浮見堂はすばらしかった。

【桜が似合う浮見堂】

 次に奈良ホテルのそばを通ってそこから奈良まちセンター近くの手打ち蕎麦処「季のせ」へ行って、昼食のそばを食べた。手打ちそばだけあって、コシがありおいしい蕎麦だった。次にお客さんに出す和菓子を買うため、「春日庵」に行き、さつま焼を買った。初めてであったが、植物園の喫茶庵でいただいた抹茶にさつま焼がセットで出て、結構おいしかったので安心して買った。「春日庵」には次々、お客が買いにきていた。

 ついでに近くに来たので元興寺に行った。ここも初めてであった。飛鳥寺(588)が前身だけあって、歴史がある寺だ。今日の奈良散策は以上で切り上げて帰路についた。
 奈良に30分で行ける地の利を利用してこれからはもっと出かけたい。



●4月10日(火)税務署と市役所

 税務署に出かけた。相続税はいくらぐらいかかるのか、知りたいと思ったからだ。これまであまり関心がなかったが、事業者の後継問題を勉強していると、この相続税で大変、頭を痛めているからだ。税務署は親切に教えてくれた。

 大方のサラリーマンは関係がないようだ。相続税を払うのは全所帯の4%ほどだそうだ。ただ、地価の高い土地を引き継いでいたら、多少、覚悟する必要があるかもしれない。

 もし、被相続人の夫から妻が相続する場合、その家が居宅なら全財産1億6千万円まで控除されるので、普通の家なら、まず相続税はない。事業者の場合は株式評価額が加わるので、軽くこの額を超えるものだから、なんとか節税することに躍起になるわけである。

 市内の地価の高いところに居を構えていたら、240uまでは控除され軽減されるので、実際はかなり節税できる仕組みになっている。だから本宅だけなら普通はそのまま相続できる。この軽減措置を受けるには申告しなければ、その恩恵を受けられない。ただ、土地面積がこの何倍もあれば、大変な相続税が課せられる。私の住む周辺でも大邸宅を手放し、購入した不動産屋が建売を林立させ、景観は台無しになっているところを時々、散見する。なかには相続税が払えず、手放したところもあるのだろう。

 次に市役所に行った。下水部に下水工事のことで教えてもらいに行った。というのは10年越しの工事が終わった。あとはそれぞれの家が敷地内の工事をしないと、完結しない。拙宅の場合、下水溝が2m60〜70cmの深さになっているため、トイレからの排水溝もこの深さまで掘る必要があると、見積もりにきた業者が話した。そうなると、工事費は大変になると、心配したのである。

 役所では親切に教えてくれた。「そんな必要はありませんよ。最低、100分の2の傾きがあれば、いいのです。できるだけ下水溝に近い方が詰まらないので、業者はそう言ったのでしょうが、80cmのところでドロップ枡をつければ大丈夫です」と、説明してくれた。少しは安心した。どうしてもリフォーム業者は積算をしながら膨らます癖があるので、油断ならないが、あまり値切るとどこかで手を抜かれる心配もある。一応、信頼する工務店に頼んでいるが、なかなかめんどうな仕事である。





●4月9日(月)海津大崎の桜

 この日、以前、借りた資料を返しに大学時代の旧友宅を訪れた。泉北鉄道の光明池駅である。ここは泉北ニュータウンである。活気がある。
 午後から4時間あまり雑談した。それぞれ60年余りの人生を振り返りながら話し合った。仲のいい夫婦にほのぼのとした温かさを感じた。

 帰宅すると海津大崎の桜の写真が届いていた。13日ごろが満開だという。この日、平日にもかかわらず花見客でごったかえしていたそうだ。


【遊覧船を降りる花見客】

4月8日(日)カタクリ

 今年は恒例にしている氷上・清住のカタクリ撮影を見送った。その代わりに佐渡のカタクリを見に行くことにしている。知人から日曜日に出かけた氷上・清住のカタクリの写真が送られてきた。今年は例年になく花が多く、いまが真っ盛りだそうだ。

  
 【清住のカタクリ=4月8日 T氏撮影】



●4月7日(土)新聞と戦争

 いま、桜と新緑のコラボレーションが美しい。枚岡公園もこの日曜日はいつもより多いはずだ。
【枚岡公園、桜の広場から見た桜と新緑のコラボレーション】

 朝日新聞が4月から夕刊で「新聞と戦争」の連載をはじめた。朝日の元編集局次長のY氏より夜、電話fが入った。「新聞と戦争」の2回目を読みましたか?という電話であった。あわてて見ると、父、岡田誠三が登場していた。

 「見ました。記者が取材に来られるということですか。了解しました」
 Y氏とは戦地、ニューギニアに行く計画を持っている。というのは、父は戦時中、従軍記者をしていて、ニューギニアのポートモレスビー作戦に従軍した経験がある。死の間際にブナの海岸に散骨することが願いであったからだ。

 ポートモレスビー作戦はインパール作戦と並んで日本軍の二大作戦であった。オーストラリア側のポートモレスビーを陥落させるため、ニューギニアのブナの海岸から上陸したが、途中から退却を余儀なくされて、ほとんど全滅状態で最後の輸送船で引き揚げた。この戦争を小説風に『ニューギニア山岳戦』として発表、昭和19年後期の直木賞に選ばれている。

 戦後、戦争について語ったテープや資料が残っているので、連載の記者が拙宅に来たいということのようだ。いずれこの資料は「ピース大阪」の資料館か、あるいは戦争資料を収集している公的機関にに寄贈したいと考えている。オーストラリアの戦争記念館にはいくつか父の論文か、記事が収録されているようだ。




●4月6日(金)EXPACK500

 郵便局は明らかに親切になったような気がする。この日、甥に赤ちゃん誕生祝いで商品券を同封したA4の封筒に手紙や資料と一緒に郵送するため、近くの郵便局に出かけた。
 「これを速達、書留で送ると、郵送代はいくらですか?」
 「1、100円です。それでしたらEXPACK500にされたらいかがですか」
 「それは相手が受け取った確認ができるのですか」
 「もちろんです。相手の印鑑をもらいますが、家のパソコンでこの番号を入れますと追跡できます」

 これは500円である。家でパソコンを見ると郵政公社のHPに追跡サービスがあって、そこに記載番号を入力すると、すべて記録されている。しかも、届けたあと、確認のメールが送られてくる。
 河内郵便局から新大阪、姫路の郵便局を通過、目的地の明石に到着、現在、お届け中と出て、相手先に届いたことが確認できれば、メールで知らせてくれる。
 書留よりはるかにいい。


●4月5日(木)雑記

 いまが桜は満開である。この週末はどこも花見客で賑やかなことだろう。
 朝から歯医者に出かけた。前回、無農薬の果物の話をしたところ、覚えていて、診察中にいろいろ質問をする。街医者はこうして顧客をつかんでいくのだろうと、感心をした。いくつか教えてあげた店、農園などをITで調べてみるという。

 歯医者の後、帰り道で見つけた理髪店に入った。客はいない。主人らしき年配の男が店の隅で片付けていた。
 「いいですか」「どうぞ」
 そういいながら、飛び込みの客を見定めようとしている。田舎でお初の客にはどうしても用心深くなるのは仕方がない。
 「この店、長いのですか」「もう40年やっています」「そうですか、記憶にないですね」「こちらの方をご存知で?」「小さい頃から約20年、途中抜けましたが、いま隣町に住んでいます」「そうですか」
 もう、すっかり安心して準備をはじめた。聞いていると、私の卒業した中学の4年先輩だと分かった。それからというもの話がはずんだ。
 「そうですか、歯医者ですか、Y歯科ですか」「Y歯科は評判がいいのですか」「先代はよかったですね。いま息子さん、年は60歳ぐらいですが、悪いうわさはききませんが・・・」「わたしはS歯科です。どうですか、評判は?」「開院された頃は、評判が良かったですが、最近は聞きませんが・・」

 理髪店のおやじというのは、近所の情報をよく知っている。髭剃りはおかみさんである。愛媛の出身であるという。「理髪店に嫁ぐのが嫌でしたが、40年経ちました」「なんでも、それくらい年季が入ると、うまいものですね」
 「60歳を過ぎてから、月、火は休日、夕方5時店じまいで、少しはゆっくりしています」「それはいいですな。場所もいいから、お客はあるでしょう」「うちは場所でお客がきているのでありません。腕と長年のお付き合いで気に入ってくれた人が40年の間にファンになってくれたからです。散髪屋いうたら、待ちの商売のようですが、いろいろな行事に顔を出して積極的にお付き合いして、人柄が気に入られたから続けられていると思っています」
 感じのいい理髪店だった。「また、来て下さい。遊びにきてや」という声を聞きながら、店をでた。



●4月4日(水)野鳥

 堀氏から野鳥の写真(4月1日)が届きました。
 「岡田様
 近場の公園へ散歩がてら行きました。冬鳥の野鳥が減ってきました。不思議な事に、野鳥カメラマンも減ってきました。野鳥カメラマンも渡るのでしょうか!!!!!!
 
 後ろ姿は雀に似てますが、ビンズイです。追うと直ぐ逃げます。今回は出会い頭の撮影です。
  コイカルです。イカルの集団にまぎれていました。池にオシドリがまだ居ついていました。」
       
 【ビンズイです=堀氏撮影】              【コイカルです=堀氏撮影】

●4月3日(火)拙著の感想文に感激

 最近、友人の息子さんから拙著『熱ー現状打破のジョイフル創業記』を読んだ感想文をメールでもらいました。彼はジョイフルと同じファミレス業界で働き、いまは店長として活躍しています。いわば現場の専門家の感想ですから感激しました。以下はその抜粋です。

 『熱』、楽しく読ませてもらいました。手紙は遅くなりましたが、読破するのは23日でした。まず、ざっくり強い印象は、やはりどんな業界にしろどんな企業にしろ、創業者というのは力強いなあということです。特に戦中戦後の苦しい時代を生き抜いてきた世代は、より一層その思いにかられます。少なからずもともとその企業のイメージはありましたから、同じ外食業界人として興味的な部分も多々ありました。

 数年前
HPで閲覧したときに、外食企業として当たり前に追求することを、当たり前に宣言しているなーと感心していました。それは、売価を下げることで、どの企業も追及してはいますが、ここまでドラスティックに打ち出している経営者も珍しいなという印象でした。

 どこの企業でもトップのいう言葉は絵空事に聞こえて、現場では疲弊しているイメージがあります。ジョイフルについても同じように思っていましたが、実際の現場ではどうなんでしょうか。でも、店舗拡大、売り上げ増という流れがある限り、トップの想いが現場に伝わっているのでしょう。ま、いずれにせよトップが高い目標を持たないと、下に行くにつれモチベーションは維持できないでしょうから、トップはいつも高い意識を示さないといけないんだなーと思います。
 
 セミナーや講義、記事や書籍にふれるたびに、現状の仕事のやり方を反省するいい機会になります。いつもいつも100%で仕事できないですから。今回もいい刺激を頂きました。で、人事生産性やら、一般人には馴染みの浅い言葉がでてきましたが、そりゃフードビジネス産業の端くれですから、聞いたことのない言葉はありませんでした。が、普段はほとんど意識してないです。現場で営業の店長が一番気にするのは、自店の売り上げと利益。で、結局コントロールできるのは、ロス高と投入時間。コントロールといえば聞こえがいいが、手前で調整できて即効性があるのは、投入時間管理ぐらいですから・・・。

 【著者の感想としては、直に読んで、しっかり本質を見抜いているという印象です】 



●4月2日(月)団塊の世代からの便り

 大手医薬企業を退職した知人から定年の挨拶状をいただきました。私のかつての取材先で、彼が広報部時代に知り合いました。当時の思い出はいろいろあり、印象に残る人でした。

 「今後は第一人称の生きがいとして若い頃からの念願であった絵画の勉強、第二人称として夫婦揃って旅行等をそれぞれ実現し、第三人称として森林ボランティアとして里山保存活動に勤しんでいきます」

 すばらしい第二の人生を描いておられます。会社も仕事も断ち切って行こうという思いにすがすがしさを覚えます。これまでも定年後の挨拶を紹介してきましたが、今回のような絵に描いたような定年後は初めてです。


●4月1日(日)桜、さくら、サクラ

 桜の季節です。知人が大阪城の桜を送ってくれました。いや、野山は花いっぱいです。


【花の下での恋人同士、いいですね】