Muw&Murrue

 待ち人来りて X



「あ・・・・・・。」
「言いつくろうのに大変だったよ。」
 あそこから抜けるのだって、大変なんだぞ?
 顎で示される大広間。ざわめきが、遠い。
「・・・・・・・・。」
 それに、マリューは俯いた。なら、放っておいてくれてもよかったのに。
「ほら。」
 押し黙るマリューに、ムウが持っていた皿を差し出す。
「夕飯前に連れ出しちまったからさ。腹減ってると思って。」
 ぞんざいな物言い。全然、大財閥の若き頭首には見えない。
「食わないの?」
 わざわざ俺が持ってきたのに?
 隣に腰掛け、強引に皿をマリューに押し付けると、自身が持っていたお酒の瓶と、グラスを階に置く。
「・・・・・・・ありがとうございます。」
 押し付けられた皿には、パイがいくつか乗っていた。その一つを取って、口に運ぶ。ミートパイといったって、普通のとは全然違うのだろう。でも、ただひたすら帰りたいマリューには、その味のよさが判らない。
 俯いて黙る彼女に、ムウは素直に謝った。
「悪かったな。」
「え?」
「こんな所に連れてきて。」
「・・・・・・・・・・。」
「なんで私を、って、顔に書いてある。」
 ふっと笑われて、マリューはムウから視線を逸らした。皿の上をじっと見詰める。
「言ったろ?君はスパイになれない、って。だから連れてきたんだよ。」
 他の連中は信用できないしね。
 それに、マリューはまじまじとムウを見た。
「こんな、胡散臭い話と、人を蹴落とす話ばかりしてる連中の只中に、危険因子を、連れてくるわけにはいかないでしょ。」
 しかも、ここに連れてきただけで、俺の花嫁だって認知されちまう世界なんだぜ?
 彼は、遠くを見たまま、マリューに話す。
「地位や名誉。そんなもんに釣られて来る連中がいっぱいいる。使用人にもな。俺が抱えているものは、俺自身には必要なくても、他の連中には必要なものもある。渡してやっても構わないが、それで泣く人間がでてくるかもしれないだろ?」
 誰も信じていない、とムウは笑った。
「そう、孤独なもんだよ。下手に財産なんか持たされるとな。どんな言葉にも、裏がある、と読まなきゃならなくなる。どんな親切にも、必ず陥れる何かがある、ってね。」
「そんなコト・・・・・・。」
「無い?」
 言い切れない自分が、マリューは悲しかった。
「羨ましかったよ。君が。」
「え?」
「・・・・・・・・恋人に、頼れなくなったから、自分で働くことにした、って言い切った君がさ。」
「・・・・・・・・。」
「俺だって、誰かを信じて、頼ってみたいし、また、自分で決めて働いてみたい。」
 でも、叶わないのなら、せめて、周りの思惑には乗らずにいたいだろ?
 遠く、白く輝く月を見て、そう、話すムウが、本当に一人に見えて。
 マリューは思わず、その手をムウの腕に置いた。
「何故・・・・それを私に?」
 くすっとムウが笑った。
「君はスパイになれないから。」
 素直すぎるし、すぐ顔にでる。
 言い当てられて、マリューは赤くなってうつむいた。なら、私の中に渦巻く、ぐちゃぐちゃの気持ちもばれているのだろうか?
 しばらく、二人は黙ったまま、沈黙の中に身を委ねる。青白い月明かりに沈む二人の顔は、どちらも寂しそうだった。
「・・・・・・・・まだ、恋人のこと、好きか?」
 そっと訊かれた事に、マリューの胸がどきっとなる。ふるふると首を横に振る。
「なら、嫌い?」
 それにも、マリューは首を横に振った。
「・・・・・・わかりません。」
 今、ここに、彼が戻ってきたら・・・・・その時、自分はどうするのだろうか。
「じゃあ・・・・・俺の事は好き?」
「・・・・・・・・・。」
 うろたえて、マリューは彼から目をそらした。
「嫌い?」
 答えられない。
 俯いて、耳まで真っ赤なマリューの、その細い顎に手をかけ、ムウは彼女にキスをする。と、冷たい物が、マリューの口の中に押し込まれ、喉を通る。ごっくん、と飲み干して、彼女は眼を丸くした。
「これ・・・・・・・。」
「ま、どっちでもいいや。」
「何が・・・・・。」
「君の答え。」
 飲まされたのは、強めのワイン。抗議する女をしっかりと捕まえて、再び口付けて飲ませる。
「旦・・・・・那、さま・・・・・。」
 何度も何度もそうやって飲まされ、口付けにも、お酒にもすっかり酔ってしまう。緊張と空腹。それに張り詰めていた心と、セーブしていた気持ち。朝からのハードスケジュールによる疲労・・・・・そんなモノが全部作用して、マリューの身体と頭から、全ての力を奪い取ってしまう。
「んっ・・・・・・。」
「謝らないよ、俺。」
 酔っ払い、寄りかかって、とろん、と自分を見上げるマリューに、ムウは意地悪く、でも、どこか楽しそうに笑った。
 抱きしめて、耳元で甘く囁く。
「君にキスしたことも、酔わせたことも、これからすることも・・・・・・・。」
 ムウはマリューを軽々と抱き上げた。


 後の事は、よく覚えていない。抱きかかえられて、その場を後にしたのも、その時、ざわめきが酷く大きかったことも。ご婦人達の声が、意外と甲高かったことも、ぼんやりとしかマリューの中に残っていない。
 揺れる車が気にならないくらい、支えられている腕が気持ちよくて。帰り着いた屋敷で、出る時はあんなに気にしていた、自分を見る他人の眼差しも、少しも思い出せない。
 ふわふわして揺れる世界と、くるくる回っているような感触。見上げる存在が、ただただ愛しくて、腕を伸ばして抱きしめていたコト。触れられて、熱くて、嬉しくて、ただ夢中でしがみ付いたこと。見詰める瞳が、すごく優しかったこと。
 それだけが、ぼんやりするマリューの意識に、くっきりと刻まれていた。

 だから。

「・・・・・・・・・・・。」
 眼を覚まして。誰かにしっかりと抱きしめられている自分を発見した時、マリューは心底驚いた。
「!?」
 身体を起こして、辺りを見渡す。真っ暗で、何も見えない。ただ、微かに花の香りがして、斜めに差し込む月明かりと、風に揺れるカーテンを見つける。
(・・・・・・・どこ・・・・・・。)
 自分の部屋では、無い。
 手を突けば、埋まってしまうほど柔らかい敷布なんて、ムウの部屋でしか見たことが無・・・・・・・・・・・。
「え・・・・・?」
 次の瞬間、マリューの頭から血の気が引いた。
 何がどうしてどうなって。
 ここに自分がいるのか・・・・・。
 青ざめるマリューの身体が、何かに絡めとられて、彼女は柔らかい羽根布団の中に連れ戻された。
「寒い。」
「え?」
 背中から回された腕に、きゅうっと抱きしめられる。
「ん・・・・・マリューってば、暖かい・・・・・。」
「旦那さ」
 首筋にキスされて、マリューの身体と言葉が強張る。
「な・・・・・何で・・・こんな・・・・・・。」
 ぐるぐるする頭のまま、震える声で聞けば、更に、彼が腕に力を込めた。
「言ったろ?謝らないって。」
 伸ばされた手が、マリューの頬に触れる。放心状態の彼女を振り向かせて抱きなおし、口付ける。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・・・。
 気がすむまでキスされて、離れたムウを、マリューは見ることが出来なかった。
「と、にかく・・・・・戻ります。」
 出て行こうとするマリューを、ムウは許さない。
「旦那様っ!」
 泣きそうな声。それに、彼は微かに笑った。
「ムウでいいよ。」
 絡まる腕と、心。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だめです。」
「すっごい長い間。」
「だめったらだめったらだめです!」
「別にいいよ。無理やりにでも行かせないから。」
「旦那様ッ!」
「だからムウだって。」
 振りほどけないし、振り払えない。
 そんな事は、初めから分かっていた。キスをされて、受け入れてしまった。求められて、嬉しかった。触れる手が優しくて、マリューは甘えて・・・・・。
「ダメなんです・・・・・・・。」
 抱きしめられて、暖かい温もりの中で、マリューは顔を俯けた。切なくて、涙が膨れ上がった。
「マリュー?」
「・・・・・・・・・・・。」
 俯く彼女の、無言の訴えを、ムウは理解していた。二人の間にある、距離。触れて、暖かいと思う距離にいながら、それでも、埋まらない。
「俺は気にしないよ?」
 酔わせてまで、自分の側に繋ぎたかった。
 その気持ちに、嘘は無い。
「私は・・・・・・・気にします。」
「・・・・・・なら、少しずつ始めよう?」
「・・・・・・・え?」
 それに、マリューが涙に濡れた眼を上げた。その顔が、完全に無防備で。ムウはたまらず口付けると、再び彼女を強く抱きしめた。
 そのまま、朝まで放さずに。



 突き飛ばされて、辛うじて洗濯物だけは護る。その姿に、ぎりっと女が唇を噛んだ。
「よくも・・・・・庶民のくせに!」
 どこを打った?
 立ち上がろうとして、背中がきつく痛んだ。それでも、乾いたばかりのシーツ類を、また泥まみれにさせるわけにはいかない。両手が使えないのを良いことに、彼女を取り巻く女達が、立ち上がろうとするマリューを、力いっぱい蹴る。
「っ・・・・・・・。」
 これくらいの仕打ちは、覚悟していた。ののしられても、仕方ないと、そう思う。
(でも・・・・・・・・。)
 謝ったり、弁解したりは、しない。
 今、洗濯物を取りに来たマリューを囲んでいるのは、昼頃、実家から帰ってくるように要請された、ムウの身の回り担当のお嬢様たちだ。
 昨夜の公の場。あそこに現われた彼が、大事な人、と明言した相手は、自分の娘ではなかった。
 そこから、この計画に見切りを付けたのだろう。何もモノに出来ず、ただの一般庶民の侍女が、自分たちを差し置いて、ムウの眼に止まったのだ。お嬢様たちが、プライドを傷つけられて激昂するのも無理は無い。
 でも、マリューは、保身の為に謝るつもりはさらさらなかった。
「何とか言いなさいよ!」
 腕を蹴られて、鋭く痛む。悲鳴が喉を駆け上がったが、マリューはそれをすんでの所で飲み込んだ。
 言わないと、決めたのだ。
 昨夜、ムウはマリューに、一緒に始めよう、と言ってくれた。それがどういう意味なのか聞かず、抱きしめられて嬉しくて、朝方、こっそり自分の部屋に戻ったマリューは、決心していた。
 ムウが、一緒に、と言ってくれた。なら、自分は彼に仕えるものとして、彼が望むようになってみせる。
 そう、思ったのだ。
(だから・・・・・こんな事っ・・・・。)
 媚びたり、へつらったりはしない。きっ、と女たちを見上げる、マリューの眼が、彼女たちは気に入らなかった。
「この女っ!」
 振り上げられた、手。
 顔を殴られる・・・・・そう思って、身を硬くしたマリューは、
「どうです?こちらのお庭っ!凄く綺麗でしょう?」
 ねぇ、旦那様!
 遠くから聞こえてきたキラの声に、救われた。
「だ、旦那様!?」
 一人がうろたえ、慌てる。尻餅を付いたまま、見上げるマリューの眼に、彼女達が明らかに動揺しているのがわかった。
「・・・・・・・・・。」
 少しの沈黙の後、近づいてくる足音に、彼女たちは慌てて撤収しにかかる。
(・・・・・・・・・。)
 こんなことしか出来ないのか、とマリューは痛む体を無理やり立たせた。ずきずきすることから、どうやら青あざになっていそうだ。
 やがて、館の角からキラが姿をあらわした。
「マリューさん!」
 埃まみれに、泥まみれ。おまけによろめく彼女に、キラが声を荒げた。
「ああ、キラくん。助かったわ。」
「どうしたんですか!?」
「・・・・・・・・知ってて助けにきてくれたんじゃ、ないの?」
 歩こうとして、痛っ、と顔をしかめる。わき腹が、何かを差し込まれたように痛んだ。思わずよろける彼女を、キラが支える。
「とんでもない!ただ僕は旦那様を案内して・・・・・・・。」
「え?」
「おい、キラ!こっちの花壇は、もうちょっと黄色い花を増やしたほうが・・・・・。」
「!!!」

(2005/01/07)

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