Muw&Murrue
- 待ち人来りて V
「信用・・・・・?」
「産業スパイ、裏切り者、商売敵・・・・・自分の利益の為なら、娘を敵陣に送り込んで、情報を得ようとする者たち。」
「でも、彼女たちは旦那様の」
「花嫁候補?」
それに、彼はふん、と鼻で笑った。
「どこまでが本当だか。・・・・・いや、本当だろうが違おうが、どうでもいい。」
「・・・・・・・。」
ふと、ムウの瞳が、冬の空のように凍りつくのを見て、マリューは息を飲んだ。
「俺の家柄だけを目当てに、娘を送り込むような連中の所から、嫁を貰おうとは思わないよ。」
身の回りの世話、って言ったって、相手がどこぞのお嬢様だと、使えないのが事実だ。
「ま、実際は夜のお相手かな?」
それに、マリューが思いっきりむせ返った。ムウが可笑しそうに笑う。
「冗談だよ。さすがにお姫様達にはそうそう手出しできませんよ。」
傷ものにしたら、嫁に貰えってせっつかれそうだしね。
あはははは、なんて笑うムウを、マリューは恨めしそうに見上げて、溜息を付いた。
「旦那様は、奥様を貰われないのですか?」
「そんなコトないさ。ただ、俺が欲しいと思う女性が見付からないだけだよ。」
「どんな方がよろしいのですか?」
侍女が、そんな事を訊いていいのだろうか、と口にしてから、マリューは気付いた。だが、ムウは全く気にする様子も無い。
「ん〜?・・・・・バカな女は嫌いだな。」
「頭の良い方ですか?」
「頭が良いってのも・・・・ただ、学歴がある、とかじゃなくて。」
「世渡りが上手?」
「小悪魔みたいなのかな・・・・・。」
それに、マリューがへぇ、と感心したように頷いた。それに、ムウは何だか少し物足りなく思ってしまう。
「そういうマリューは、どういう男がタイプなの?」
「・・・・・・・・・夢を・・・・・追ってる人、でしょうか。」
そう呟いて、彼女が幸せそうに眼を細めるから、ムウの中に、何だか気に入らない想いが、急速に膨らんだ。
「・・・・・・少し、早駆けさせるぞ。」
「え?」
彼女が態勢を整える前に、鐙を蹴ってストライクを走らせる。あっというまに馬が走駆をはじめ、彼女がぎゅうっとムウにしがみ付いた。
自分を頼る女を側に感じながら、ムウは先程のマリューの幸せそうな横顔を思い出していた。
ああいう顔を、向けられた事はある。
だが、ああいう顔をしてる女を、横からみた事は、無い。
(何か俺、変だ・・・・・・・。)
駆けるスピードに、そんな重たい気持ちを吹き飛ばして欲しくて、彼はどんどんストライクの速度を上げていった。
マリューが侍女たちの部屋に戻った時、春の夕日は山に差し掛かり、辺りはオレンジに燃えていた。急いで戻ってきたマリューを、先輩が慌てて掴み、大部屋の横にある物置に連れ込む。
「先輩?」
「今、あそこには行かないほうがいいわよ。」
「え?」
「アナタの噂で持ちきりよ!旦那様に取り入ってるって。」
「えええええええ!?」
思わず上がった大声に、しーっと先輩が彼女の口を押さえる。
「あそこは今、旦那様付きの連中の独壇場で、アナタの悪口言い放題。連中だけじゃなくて、他の皆も・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
せっかく気をつけていたのに、台無しだ。
「何でも、旦那様と出かけてたんですって?」
「お、お供です。ただ、一緒に乗るかっ、て・・・・言われて・・・・・。」
それに、先輩が呆れたように溜息を付いた。
「バカね!そういうのは、何が何でも断るのよっ!」
「・・・・・・え?」
「当たり前でしょ!?旦那様付きの連中ならいざ知らず、私たちは一介の侍女。この仕事してなきゃ、フラガ財閥の若き頭首になんか、新聞以外でお眼にかかれるはずないでしょ?」
分相応、って言葉、知らないの?
「すいません・・・・・・。」
急に、マリューは悲しくなった。すっかり忘れていた事を、まざまざと突きつけられた気がしたのだ。
「とにかく、今は行かないほうが良い。食事は、私が部屋まで持って行ってあげるから。アナタは・・・・気分が悪い事にして、部屋にこもって、明日、朝一から仕事しなさい。いいわね?」
「はい・・・・・。」
分相応。
そうだ。危うく忘れる所だった。
ぱたぱたと軽い足音をさせて遠ざかる先輩の姿を見送り、一人、暗い物置にたたずむマリューは、鋭く胸が痛むのを感じた。
あの時、どうして私は旦那様の誘いに乗ってしまったのだろう?
そんな想いと後悔が、津波のように押し寄せてくる。
でも。
でも・・・・・・・・。
(だって・・・・旦那様、優しかったから・・・・・・。)
痛む胸を抱えて、マリューは早足で部屋に戻った。あの、優しい青い瞳に、二度と眼を合わせてはいけない。彼は、自分とは違うのだ、とそう、言い聞かせて。
「マリュー?」
「え?」
背後から声を掛けられて、ついでいたポットを慌てて持ち上げる。カップすれすれまで、お茶がそそがれていた。
「どうしたの?ぼんやりして。」
「・・・・・・・いえ。」
あれから、マリューは三時にお茶を淹れに来ても、なるべくムウの方を見ないようにしていた。だから、気付かない。彼がちょくちょく、マリューを気にするように眺めている事に。
そそぎすぎたお茶を、情け無い顔で見詰めている彼女に、今だってムウは可笑しそうに笑っている。
「いいよ。ここで飲むから。」
「あ、でも、持ち上げるのも・・・・・熱いですし・・・・。」
「んじゃ、君が冷まして。」
「あ、はい!」
「冗談、冗談だって!」
ふーふーっと、自分でお茶を吹く彼女を、ムウは慌てて押し留めて、頭を掻いた。
「変な女だな、君は。」
「・・・・・・・すいません。」
「別に怒ってるわけじゃないよ。」
器用に持ち上げて、一口飲む。
「ん、量は多いけど、味はいつも通り。」
「ありがとう・・・・・ございます。」
一礼して、部屋を出て行こうとするマリューを、さすがにムウが止めた。
「待てよ。」
「はい?」
振り返る彼女が、決して自分と眼を合わせないことに、ムウはとっくに気付いていた。
「俺、何か君を困らせてる?」
「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
思わず声を荒げて顔を上げる彼女を、待っていたムウが覗き込んで眼を合わせる。
「なら、なんでここんとこ、素っ気無いの?」
「・・・・じ、侍女ごときが、旦那様と仲良くするのは・・・・おかしいと思います。」
空色の瞳が、揺れた。
「・・・・・何で?そう思うの?」
「一般常識です。」
見上げるマリューの、褐色の瞳も、揺れている。
「・・・・・・・マリューはさ、何で侍女に?」
彼女から眼を逸らし、窓辺によって大きく伸びをしながら、ムウが訊ねた。
「・・・・・故郷に、家もありませんし・・・・・頼れる人も居なくなってしまったので・・・・。」
住み込みで働ける場所を、と・・・・・・。
そこで、マリューはぐっと唇を噛んだ。失敗した、とそう思う。自分の身の上など、雇い主で、仕えている相手には不要のものだ。
「失礼したしました。お話しするようなことではありませんね。」
慌てて言いつくろい、マリューは部屋を再び出ようとする。その彼女の腕をとって、ムウが告げた。
「俺、今日結構仕事、たまっててさ。」
「は、はい。」
「下で食事、取らずに上で食べるから、執事にそう言っておいてくれるか?」
「はい。」
「それから、急用以外は、誰も部屋に通さないように。」
「はい。」
「・・・・・・・・・・一つ・・・・・訊くけど。」
そう言って、ムウはマリューを引き寄せると、上を向かせて、その眼を覗き込んだ。
「は・・・・・・い。」
「頼れる人、って誰?」
「・・・・・・・・・・。」
「親戚?」
「・・・・・・・・・・・。」
「友達?」
「・・・・・・・・・。」
「―――――恋人?」
ぱっとマリューの頬が朱に染まった。それに、ムウがいきなり口付けた。
「っ!?」
「君、産業スパイにはなれないね。」
突き放されて、よろけた彼女の背が、私室と書斎を繋ぐドアにぶつかった。
「以上のこと、よろしくな。」
精一杯、礼をつくそうと、頭を下げ、逃げるように部屋を出る。遠ざかる彼女の乱れた足音に、ムウは天井を見上げた。
「頼れる恋人が・・・・・・居た。過去形か・・・・・。」
なんでキスしたのか。単純に、嫉妬したからかもしれない。でも、何で自分が『たかが侍女』の恋人に嫉妬したのか・・・・・・。
ぐしゃぐしゃと、彼は自分の金髪を掻き乱した。
どこで、何が、どんな仕草が、どんな言葉が、ムウの琴線にふれたのか、いまいち分からない。分からないが。
「な〜んか・・・手ごわい女。」
彼はそう呟いて、机の上の手紙に視線を向け、唇を噛んだ。
欲しいものを、待っていたって手に入らない。
ムウは欲しくなったものを手に入れるために、行動を開始した。
頭の中が真っ白で。こんなに酷くどうようしたのは、初めてで。でも、言われた事はやらなくては、ならなくて。
不審な顔をする執事に、しどろもどろで事情を説明し、了承を得ると、マリューはダッシュで自分の部屋に駆け込んだ。今日の仕事はこれでもう無い。パイプ製の、薄いマットレスを敷いただけのベッドに倒れこみ、震える身体を抱きしめる。
どうして、なんで、あんな、嘘でしょ・・・・・・。
そんな単語が、切れ切れにマリューの脳裏を巡っている。
ムウが触れた部分に、指を当てて、あれが嘘でも夢でも無いことを確認する。
では、何故?
何故、旦那様は、私に・・・・・・?
何かを期待する自分に、マリューは腹が立った。そんなこと、逆立ちしたって有り得ない。
だって、自分は一介の侍女なのだ。旦那様にだって、そう、宣言した。
あの人が、私を愛してくれているなんて、そんなこと、あるわけが無い。
(ねぇ・・・・・アナタはもう、私を愛して無いの?愛してるんなら、側にいてよ・・・・・帰ってきて・・・・。)
助けを求めるように、マリューは机の上の、伏せてあった彼の写真を抱きしめた。
(じゃないと・・・・私・・・・・。)
もう、何が正しいのか分からない。自分の気持ちすら、これっぽっちも分からない。
でも、一つだけ事実がある。
マリューは、少しも嫌じゃなかったのだ。
ムウに。
口付けられて。
それから何日間か、ムウはマリューを部屋から遠ざけていた。それを、マリューは少しも変だと思わず、むしろありがたく思っていた。
顔をあわせるのが、恐かったからだ。いつも通り、雑用を済ませ、洗濯物をしまって、彼女は大きく溜息を付いた。今日は、政界のトップの方の誕生日、ということで、盛大なパーティーがある。それに、ムウも出席するため、屋敷の中はいつも以上に騒々しかった。
出席のための衣装から、贈り物まで、やることがたくさんあった。
マリューも車の手配や、衣装合わせの為に来た人たちの対応に追われ、ようやく自分の部屋に戻った時は、くたくたになっていた。
そしてふと気付く。
こんなに忙しい日でも、ムウとまるで顔を合わせなかった事実に。頼まれて出向かない限り、マリューのような下っ端は、ムウと顔をあわせることなど全く無いのだ。
(・・・・・・・・・・・。)
キスされた感触を思い出して、マリューは真っ赤になった。そして、真っ赤になった事にすら、腹を立てながら、朝から何も食べていない彼女は、食事を取ろうと部屋を出た。
(単なる気まぐれ・・・・。)
そう、言い聞かせながら廊下を歩く。でも、そう思おうとすると、酷く胸が痛む。
切ない痛みを誤魔化すように、廊下を小走りに大部屋に向かった彼女は、中の様子に慌てて身を隠した。
例の五人が、楽しげにドレスを試着している姿にぶつかったからだ。
(誕生パーティー・・・・。)
そういえば、今日の準備の、陣頭指揮を取る人たちの中に、彼女たちは居なかった。その理由は、彼女たちも、おそらく出席するからなのだと、マリューは気付いた。当たり前だ。彼女たちだって、財閥の令嬢なのだから。きらきらと輝く光の中で、華やかに笑う彼女たち・・・・。そんな中に飛び込む勇気も、気力も、体力も、今のマリューには無かった。
と、入ろうかどうしようか、壁に寄りかかって悩んでいる彼女のその肩を、ぽん、と誰かが叩いた。
「!」
「マリュー。旦那様がお呼びだ。」
振り返り、目の前に立つ執事に、マリューが凍りつく。だが、彼はそんなマリューを気にも留めずに、腕を掴んで、強引に引っ張った。
「あ、あの・・・・・・何のようで・・・・・。」
「旦那様に聞きなさい。」
どうも不機嫌な執事に、マリューは大人しく付き従う。私室の方の扉まで連行され、踵を返す彼に、マリューは、あの、と思わず声を掛けていた。
「えと・・・・・その・・・・・。」
「用が無いなら呼ばない。私は忙しいんだ。」
まったく、あのご令嬢達に、なんと説明すればいいのか・・・・・。
「?」
ぶつぶつと文句を言いながら去っていく彼を、不審気に見送り、マリューは重い気持ちのまま、立派な扉を見上げた。
逃げ出したく、なる。
でも。
何かが、マリューの背中を押した。
「どうぞ。」
ノックの後の、この声も。今ではだいぶ、耳に馴染んでいる。でも、なるべくムウと眼を合わせず、距離を取るつもりで、マリューはそっとドアを開いた。
(2005/01/07)
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