Muw&Murrue

 待ち人来りて U



 水浸しになった書類の打ち直しをしながら、ムウ・ラ・フラガは溜息を付いた。ダメになった書類の、まだ半分しか作成できていない。不幸中の幸いだったのが、どれもサインや押印が必要なものではなかった、ということだ。
(全く・・・・・・。)
 とんだドジな侍女もいたもんだ。自分で持っているモップに、自分で足を引っ掛けて転ぶなんて。まるで喜劇のような転倒の仕方を思い出して、ムウはふっと笑ってしまう。あの後の、今にも泣き出しそうな顔が、ちょっと可愛くて、それでまぁ、クビにするのをやめたようなものだ。
 少し惜しいのは、出入り禁止にしてしまった事くらいか。
(でも、ま、それくらいしないと、示しが付かんしな。)
 二度手間、踏まされてるし。
 ふと、時計を見れば、三時半を過ぎている。今日はお茶はいらない、と宣言しておいたが、さすがに喉が渇いた。誰か、人を呼んでお茶をいれて貰おうと、呼び鈴を鳴らそうとした彼は、扉をノックされて、その手を止めた。
「どうぞ。」
 丁度良い。やって来た者に、淹れて貰おう。
「・・・・・・・失礼します。」
 踏み込んできた、ブラウンの髪の女性。それに、ムウが眼を丸くした。
「えっと・・・・・マリュー?」
 告げられた自分の名前に、彼女は硬直した。
(やっぱり・・・・・覚えてるわよね・・・・・。)
 これではもう、クビは確定したようなものだ。
 覚悟を決めて、マリューは持っていた手紙を差し出し、深々と頭を下げた。
「すいませんっ!これ、午後一番に届いた郵便なんですが、手違いがあってこんなに遅くなってしまいました!申し訳ありません!」
「・・・・・・手違い?」
 ひやり、と冷たく、鋭いムウの声に、マリューはぎゅっと眼をつぶった。手紙を持つ手が、指先から凍っていく。
「・・・・・・・それで?」
「か、火急の内容のようで・・・・・あの・・・・・・。」
 ドアから一歩も離れず、頭を下げて手紙を差し出したままの彼女に、ムウは溜息を付いた。
「で?」
「・・・・・・っ・・・・・その・・・・。」
「何で、君はそこに立ってるわけ?」
 俺にそこまで取りに来い、ってこと?
 それに、弾かれたように顔を上げ、マリューが叫んだ。
「ち、違いますっ!これは・・・・・旦那様が部屋に入るなと・・・・おっしゃられたから・・・・・。」
 それに、ムウは思いっきり吹き出した。
「バカか君は。・・・・こっちに持ってきて。」
「は・・・・・・はい。」
 いくらか和らいだ声に、マリューは泣きそうになりながら、よろける足で机の前までくると、勢いよく差し出した。
「どうも。」
 受け取り、封を切る。
 次に落ちてくるはずの雷を、彼女は身を硬くして待った。
「・・・・・これ、」
 文章に眼を通しながら、ムウが訊く。
「受け取って持ってくるの、君の仕事じゃないよね?」
 はい、と答えようとして、息を飲んだ。そんな事をすれば、咎められた彼女たちに、一体どんあ報復をうけるやら。
「・・・・・あの・・・・・。」
「だよな〜。彼女たちの仕事だ。」
「いえ・・・・・。」
「ん?」
 手紙から顔を上げた彼の、青い瞳を真正面から受けて、マリューはぎゅうっと手を握り締めた。
「その・・・・・・今日は、私が・・・・・その仕事を代わるように言いつかりまして・・・・。」
「でも、君は部屋の掃除をしてただろ?午後の郵便の時間は。」
 そうだった。
「で、ですから、あの・・・・そ、掃除の前に頼まれて・・・・。」
「君が掃除をしている間に、郵便が配達されていたように思うが?」
「・・・・・・・・。」
「基本的に、受け取った者が、ここに持ってくるように、言ってあるはずだけど?」
 顔を覗き込まれて耐えられず、マリューは俯いた。
「・・・・・頼まれたんだろ?今、持ってけって。」
「・・・・・・・・。」
 黙りこむマリューをしばらく眺めた後、ふとムウが笑った。
「ま、過ぎた時間は取り戻せない。君さ、お茶、淹れてくんない?」
「え?」
 きょとんとするマリューに、手紙をしまいながら、ムウはふわりと笑って見せた。
「これ、打ち直すのに時間が掛かってさ。」
「すいませんごめんなさい今すぐ淹れますッッ!!」
 ダッシュで書斎の隣にある私室のキッチンへすっ飛んでいく。
「ああ、お茶の葉、棚の上にあるから。」
 あたふたとお湯を沸かしに掛かるマリューに、ムウはほうっと息を付いた。
(変な女・・・・・。)
 タイプライターに向き直り、再び仕事にとりかかりながら、ムウは少し、気分が良いのに驚くのだった。
「まぁ、それで遅くなりましたのね?」
「ええ・・・・・・。」
 お茶に呼ばれていたのに、大幅に遅れたマリューの話に、ラクスが眼を丸くした。
「それで?」
「お茶を淹れるのは得意なの。だから、旦那様が・・・・・・。」
 自分が出したお茶を、ムウは眼を丸くして褒めてくれた。
「毎日三時に、自分の所にお茶、淹れに来てくれって。」
 綺麗に磨き込まれた、厚手の木のテーブルに、いそいそとケーキを出しながら、ラクスがおっとりと笑う。
「そうですか。きっとあの方もお喜びになりますわね。」
 それを、丁度道具の手入れを終えて、家に戻ってきたキラが聞きつけて、問い返す。
「あの方って?」
「マリューさんの恋人さんですわ。」
 ああ、とキラが寂しげに笑った。
「どうしてるんでしょうね、彼。」
 椅子に腰掛け、どこかが痛む顔をするキラの優しさに、マリューは無理やり笑って見せた。
「きっとどこかで、コーヒーを淹れる修行をしてるのよ、きっと。」


「ちょっと、これって・・・・・・・。」
「まぁ、カガリさんったら、大胆なことしますわね。チャレンジャーですわ!」
 そこに暗にほのめかされたマリューの恋人像に、キラが頭を抱える。
「こんな事しちゃって、ムウさん、怒るよね?」
「嫉妬してる姿が眼に浮かぶようですわ。」
 笑うラクスに、同じパイロットで、先輩である彼と付き合う事が多いキラは、大きく溜息を付いた。
「そんな簡単に言わないでよ・・・・・カガリと血縁関係にある僕が、矢面に立つんだから・・・・。」
「でも、ムウさんは読まれて無いでしょう?このノベル。」
 そうかもしれない・・・・・が。
「彼のマリューさんレーダーを甘く見ないほうがいいよ。」
 それに、ラクスがうっとりと呟いた。
「愛ですわね〜。」


「マリューさんを捨ててですか!?」


「キラ、問題発言ですわよ。」
「ああああああ、もう、カガリったら、何してくれてるんだよ〜〜〜〜っ!」
 もう、後はムウがこれを読んでいないでくれ、と神に頼むしかない。


「・・・・・いいの。彼が、好きな道を選んで、それに私が必要ないのなら、仕方の無いことだわ。」
 そう言って笑うマリューに、ラクスが柔らかい笑みを返した。
「今でも・・・・・愛してらっしゃるのですね?バルトフェルドさんのこと・・・・・。」


「らららららラクス〜〜〜〜〜ッ!な、なんてコトをっっ!!」
「キラ、落ち着いて!書いてるのはカガリさんですわ!」
 それに、一番問題なのは、マリューさんのセリフですわよ。
 それに、キラはもういっそ、このHPはサンライズの権力を行使して、停止処分にした方がいいのではないだろうか、と本気で思う。じゃなきゃ、カガリに向けられる、ムウからのクレーム処理を、全部キラが行わなくてはならなくなる。
「止めよう。」
「え?」
「停止するように、言おう。ラクス、カガリにさ、そう言って、つーかこのノベルだけでも削除してもらおう!」
 詰め寄るキラに、落ち着いて、とラクスが肩を押さえた。
「大丈夫ですわよ、キラ。」
「え?」
「これは、一応ふらまりゅ、って項目になってます。ですから、きっとお二人のらぶらぶで終わる筈ですわ。ですから、ここは我慢なさって。」
 ね?
「・・・・・・そ、そうだよね・・・・・うん。」
 ラクスの言う通りだ。とにかく、今は最後まで読んでから、決断すべきだろう。
「じゃ、続きを読むね・・・・・・。」


「も、もう終わった事よ。私は、こうして働き始めたし。」
 それに、若い夫婦が顔を見合わせて溜息を付いた。
 では、どうしていつまでも、彼の写真を持ち歩いているのですか?
 その質問を飲み込むように・・・・・・。
 ムウの所でお茶を淹れ始めて、すでに二週間が経過していた。その間に、マリューはムウ・ラ・フラガという人が、大財閥の若き頭首であるにも関わらず、ごくごく普通の青年であることに驚いていた。
 飄々としているし、口調は軽いし、誰かに命令するというよりも、頼みごとをするほうが好きで、ともすれば、自分から動く事もあった。
(あんまり、偉そうな感じじゃないのよね・・・・・。)
 マリューは、腰を痛めて入院中のマードックに代わって、今日も厩舎に来ていた。飼われている、五頭の馬たちの世話を終え、三時までまだ間がある彼女は、真っ白な馬の側によると、椅子を引き寄せて座った。その柔らかい鼻筋をなで、耳の後ろを撫でてやる。
 ふと、マリューは自分がここで、必要とされている事が嬉しくなった。こうやって代役を頼まれるのも、自分をここにいる馬たちが必要としている証なのだと、思い当たったからだ。
「・・・・・・なら、旦那様も、私のお茶を必要としてくれてる、ってコトなのかしらね?」
 すこし、心の奥がくすぐったくて、マリューはストライクの鼻先に額をくっつけた。
 こんな風に、誰かに必要とされたことなど、マリューには無い。そう、彼は確かに必要としてはくれたけど・・・・・。
「ねぇ、ストライク・・・・・私、彼に嫌われちゃったのかな?」
 だから、捨てられたんだと、そう思う?
 ストライクの、優しくて、真っ黒なその瞳が、ふっとかげった。そんな反応だけで、マリューは嬉しくなる。
「心配してくれてるの?」
 ぐいぐいとマリューの手のひらに、鼻っ面を押し当てるストライクが可愛くて、マリューは笑った。
「ありがとう。」
「馬が友達なのか?」
 その声に、弾かれたようにマリューが立ち上がった。
 見れば、腕を組んだムウが、厩舎の入り口に立っている。
「あ・・・・・あの・・・・・・・。」
 顔面真っ赤。恥かしくて死んでしまいそうな気になる。あたふたするマリューに構わず、ムウは彼女の側まで来ると、ストライクの首の辺りに手を滑らせた。
「随分毛並みがいいな。」
 振り返って、マリューに笑う。
「コイツが一番のお気に入り?」
「あ・・・・・はい。」
「そ〜。・・・・・じゃあ、今日はコイツで遠乗りでもしようかな。」
 柵を外してくれるか?
 頼まれて手を貸しながら、
「今日のお茶は?」
 恐る恐る訊いてみる。
「ん、いいよ。マリューはこれから自由時間にしてくれ。」
「はい。」
 馬を外に連れ出し、鞍をつけながら、ふとムウが手伝う彼女を見た。ストライクが、甘えるように彼女の髪に顔を埋めたりしている。それに、彼女はくすぐったそうに笑って応えていて。
 彼は眼を細めた。
「・・・・・マリュー。」
「はい。」
「一緒に乗る?」
「・・・・・・・・・・・・・・はい?」
 さっさと馬に乗って、呆気に取られて自分を見上げるマリューの腕を掴んで、彼は強引に彼女を引き上げた。
「ちょ・・・・・・!?」
 鞍の前に彼女を落とす。
「だ、旦那様ッ!」
「何?」
「こ・・・・・こんなのって・・・・・。」
「好きなんだろ?ストライク。」
 それに、マリューがはっとムウを見上げた。その彼女に、彼は優しく笑って見せた。
「好きな馬に、乗ってみたいだろ?」
「旦那様・・・・・・。」
 がっくん、とストライクが歩き出し、ムウは手綱を引いて、ゆっくりと進ませる。結構揺れが大きくて、マリューは鞍とたてがみにしがみついた。
「そうじゃなくて。」
 そんなマリューの手を外して、自分の方に引き寄せる。
「寄かかって。」
「は・・・・・はい。」
 手を離して、ムウにしがみ付く。腕で彼女を支えながら、ムウはそのまま南の方へと馬を歩かせて行った。
 春が、色濃く辺りを支配し始め、木々が柔らかい緑にゆっくりと染まっていく。遠くに、紫がかった山並みが見え、森と、湖に続いていく小道の脇に、ぽつぽつとレンゲの花が咲いていた。緊張と、初めて馬に乗った戸惑いから、身を硬くしていたマリューは、そんな景色に見とれて、しがみついていた手を緩めた。
「綺麗・・・・・・。」
 胸元に抱えている女性が、意外と柔らかくて、こっそり息を飲んだムウは、呟かれた独り言に辺りを見渡す。
「何も無い平野で、街までだいぶあるから、あまり便利じゃないけどな。」
「でも、静かで良い所ですわ。」
「そう?」
「はい。」
「彼女たちは、そう思って無いらしいけどな。」
 それに、マリューは思わずムウを見上げた。
「旦那様は・・・・・旦那様付きの方達を名前ではお呼びにならないのですね。」
 それに、ムウは遠くを見たまま、
「信用して無いからな。」
 あっさり答えた。

(2005/01/07)

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