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 貴方が幸せなら、いいの




 ※ちょこっと流血表現あり※




「いっ」
「我慢しなさい」

 そう言って、男は小さく笑うと、そっと濡れたタオルを彼女の頬に当てた。ひやりとした感触に身をすくませる。

「寒いか?」
 ブラッドの声は甘く、ぼんやりと温かい蒸気に曇ったバスルームに響いた。お湯にアリスは肩まで浸かると、ぼうっとした思考のままブラッドの胸元辺りを見つめた。

「いいえ・・・・・」
 熱くて、甘くて、むせ返りそうだ。
(これも夢?)
 そんな彼女の頬に当てられたタオルが、「これが現実だ」と教えていた。




 屋敷の内部は酷く慌ただしく、どうしてだろうとアリスはブラッドの腕の中で首を傾げた。
 数名の同僚が駆け寄り、「大丈夫ですか!?」と口々に尋ねてくる。覗きこむ彼らは、顔なし、と一般には呼ばれているのに、アリスには彼らの表情が手に取るように見えた。

(本当に心配されている・・・・・)
 今にも泣きそうな顔をするメイドに、大丈夫だから、と笑おうとして、ブラッドの声に言葉を呑んだ。

「お前達。今はそれよりもすることがあるだろう?」
 プロジェクトは発動してる筈だが?

 普段なら叱責するような内容だが、そこに混じっているのは苦笑でしかなくて、アリスは抱かれたまま、男を見上げた。
 落とされた視線が柔らかい。
「まあ、心配する気持ちは判らないではないが」
 だが、おろそかにしていい事じゃない。

 冷やかに告げられて、哀しそうに顔をゆがめていた彼らの身に、一様に緊張が走った。

「はい」
「行ってまいります〜ボス〜」

 口調はだるそうなのに、張りつめた緊張感がある。

 再び屋敷中が慌ただしくなり、その中から彼女を遠ざけるように、ブラッドはアリスを連れて一番奥の自室へと歩いていった。



 ベッドに座らされ、隣に腰を下ろしたブラッドはどこから持ってきたのか、薬箱を開ける。
「手を」
「・・・・・・・・・・」

 疲労が全身を覆っていて、柔らかな敷布に飲み込まれそうになる。それをこらえて、アリスはのろのろと手を出した。
 力一杯ガラスの欠片を握った所為で、掌に真っ赤な傷が出来ている。一際大きく裂けたそこに、ブラッドは眉を寄せた。
 ぎり、と奥歯を噛みしめる。
 血の気を失って白くなった掌と、細く折れそうな指先にはべっとりと血がこびりついている。
 改めて、自分で見て、自虐的ではあるが、自傷趣味の無いアリスは、目をそむけた。

「こんな・・・・・」
 酷く苦い声がブラッドの喉の奥から洩れて、アリスは唇を噛んだ。

 自分でも見るに堪えない傷なのだ。
(女にこんな傷があるなんて・・・・・許せないわよね・・・・・)
 打たれた頬はいまだに熱を持っている。多分蒼くなっているか、腫れあがっているだろう。唇の端の感触がない。

 服は濡れ、乱暴に引き裂かれた所為で、見るも無残なありさまだ。スカートの裾は、必死で逃げようとした所為で汚れ、体中汚されたような気分になっている。

 触れた手の感触を思い出して、ぞわり、と肌が粟立った。

 足に、太ももに、足の付け根に。腕に、胸に、首筋に。

「っ」
 ブラッドの手の感触が男のそれと重なって、アリスは反射的に手を払った。
 はっと、ブラッドが顔を上げる。

 思い出すと、洪水のように目にした光景がフラッシュバックしてくる。

「アリス」
 なだめるようなブラッドの声すら、アリスには恐怖にしか取れなかった。
「やだ」

 きっぱりと、震える声が拒絶を示す。かたかたと震えだす己の身体を抱きしめて、アリスが逃げるようにベッドの上を、壁際に向かって移動した。
「アリスっ」
「いやっ」
 傷の残る手。腫れあがった頬。血のにじんだ口元。足には掴まれたのだろうか、手の痕がくっきり残っている。
「アリスっ!」

 煽るだけだと判っていても、ブラッドは彼女の名前を呼ぶしか出来なかった。どこか出血しているのだろう。黒い上掛けとシーツに、赤い血の染みが散る。
 普段は目立たないのに、やけに強烈に目について、ブラッドはぐしゃりと己の前髪を握りつぶした。


「頼むから・・・・・」

(夢・・・・・これは夢だわ・・・・・)
 夢の中で夢を見れば、それは現実での目覚めになる。
(夢をっ・・・・・あんな怖い思いはしたくないっ)

 ぎゅっと目を閉じる。それと同時に、ふわりと抱かれるのに気付いた。

「!?」
「そのまま閉じていろ」
 反射的に、両腕を突っ張ろうとして、抱かれた腕の温かさと低い声に身を震わせる。
「閉じ込めるのは・・・・・城の宰相殿のお得意技なんだろうが・・・・・」
 宥めるように背中をなでられ、目蓋を閉じている彼女は、他の感触で自分を抱きしめる存在を確認する。
「アリス・・・・・」
 耳を打つ柔らかな声。包みこむ体温と香り。そっと手首を握る手が暖かくて、肌を粟立たせた男の、ざらついた感触と似ても似つかない事を思い出す。
 蘇りそうになる感触を、遮断しようと、アリスは必死に目を閉じた。

 ちり、と掌に痛みを感じて、彼女の身体が震える。吐息が触れて、ブラッドの唇と舌先が触れているのだと思い当たった。

「っ・・・・・」
「集中しなさい」
「ん」

 触れるそれが指先まで届き、吸われる。丹念に、己の汚れた指先を舐められて、アリスは耳まで赤くなるのを感じた。

「ブラッド・・・・・」
 ようやく、乾いた喉から声が出た。ブラッド。そうだ、ここに居るのはブラッドだ。

 酷く緩慢に、酷く優しく、酷く甘く、触れてくるのはこの男だけだと、アリスはそろっと目を開けて想う。

 間近に男の顔があり、アリスの指を咥えたまま上目遣いに見上げられて、彼女は思わず視線を逸らした。


 乱暴に抱かれたこともある。
 愛してないと言われた。
 面倒だとも。
 あんなにはっきり言ったのに、どうしてこんな・・・・・?

「癪に障る」
「・・・・・・・・・・え?」
 ぐ、と手首を柔らかく握ったままアリスを引き寄せ、ブラッドは彼女の瞳を覗きこむ。
「君に触れていいのは、私だけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「後にも・・・・・先にも」

 熱のこもった碧の眼差しが、アリスを射抜く。動けず、じんわりと頬を染めたまま、彼女は悲しげに眉を寄せた。

「それは・・・・・私が貴方のもの、だから?」
 震える声。それに、ブラッドは微かに目を見張ると、そっと顔を寄せた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 軽く、唇を触れさせたまま、ブラッドはキスを繰り返す。深くならずにただ、角度だけを変えて。
(こんなキス・・・・・)
 した事がない、と目を丸くするアリスを余所に、男は口付けの合間に尋ねられた言葉にゆっくりと答えた。
「ものはものでも」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「大事なものだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 どくん、と心臓が跳ね上がり、アリスの身体が震えた。その反応に触発されたように、ブラッドは彼女をきつく抱きしめ、その勢いのままベッドに倒れ込む。

 舌先が、傷ついた口の端をつつき、ちりちりした痛みにアリスが目を細める。血の香りと味に、男は苛立たしそうに舌打ちした。

「よくもここまで・・・・・」
 傷つけてくれたものだ。
「安心しなさい、アリス。連中はただでは死なせない。おおよそ、想像もつかないくらいの地獄を見せてから、殺してやるつもりだ」

 楽しそうに言われ、そこに滲む暗い愉悦と、耳元で囁かれる声の甘さに、アリスはくらりとした。

 想像もつかないくらいの地獄。

 健全に生活しているアリスが、どんなに暗い拷問方法を思い描いても、きっとそれなど可愛く映るようなものなのだろう。
 そんな苦痛に、誰かが落とされる。
 それを、私は止めようとしない。

(狂ってるわ・・・・・私も・・・・・)
 震える心臓。それを見透かしたように、ブラッドが低く笑った。
「このまま君を抱いてしまいたいが、君は納得しそうにないな」
「当たり前でしょ」

 あんなことがあった直ぐだ。確かにどこかで、ブラッドに触れられて、全部の感触を書き替えて欲しい気もしている。
 だが、それよりもなによりも、自身がどろどろに汚れているような錯覚に気分が悪くなる。

 こんな気分で抱かれていいはずがない。

「君は何も汚されてなど居ないのに・・・・・なあ、お嬢さん?」
 違うだろう?と冷たい眼差しが注がれて、アリスは反射的にうなづいた。

 そんな誤解をされたくない。

「触られた・・・・・だけよ・・・・・」
「どこに?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 唇を引き結ぶアリスに、ブラッドは溜息をついた。それから、彼女をゆっくりと抱き上げた。

「あの怯えようからして・・・・・私は間一髪間に合ったようだな」






 ふわりと湯気が頬を包み、お湯が身体を溶かしていく。
 温度にくらくらしているのか、風呂を埋め尽くす泡に酔っているのか、判らない。
「ブラッド・・・・・」
 アリスの服を綺麗に脱がせて、抱えたまま湯船に沈めた男は、己の身もそこに沈めている。
 腫れた頬を濡れたタオルで抑え、アリスはぼんやりとブラッドを見上げた。

 ぱしゃり、と水の音がして、ブラッドの手がアリスの手首を掴む。傷口にお湯が染みたのは一瞬で、今はすっかりなじんでいる。びりびりする指先を、丁寧にスポンジでこすられて、くすぐったい感触に、背中がぞくりとする。

「ブラッド・・・・・」
 お湯に、浮かぶ泡に、血が溶けていく。
「気にするな。流してしまえば問題ない」
「そうだけど・・・・・」
 この世界では、いつまでも汚れが残ることはない。いつの間にか、全てが綺麗に元通りになっている。だが、それが今か明日か、ずっと先か判らないだけで。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 本当に、大事なものだと錯覚するような感じで、ブラッドは丁寧にアリスの肌をスポンジで撫でていく。
「・・・・・・・・・・・・・・・ねえ」
 腫れて痛むだけではなく、頬に血が集まる。ちう、と手の甲にキスをする男を前に、アリスは目を伏せた。
「さっきの・・・・・」
「うん?」
 口付けが、手の甲から、持ち上げた手首、それから二の腕へと滑っていく。血管をなぞるように滑っていくブラッドの舌。背筋のぞくぞくもそのままに、アリスは身を寄せる男を見遣った。
「大事なものって・・・・・どういう事?」

 踏み込めば、きっと否定される。

 自分が素直に好きだと言えるエリオットなら、きっと違う。
 答えてくれる。
 でも、愛して欲しいこの人は、きっと否定してくる。

 それでも訊かずにはいられないのは何故なのか。

「・・・・・・・・・・そのままの意味だ」
 スポンジから手を放した男が、泡に濡れた手を、彼女の胸元に滑らせた。触れた感触はどこまでも甘く、くすぐったい。
 ぱしゃり、と離されたアリスの腕が、力なく水面を叩き、放したブラッドの手が、アリスの太ももに触れる。
「そのまま?」
「ああ。そのまま、だ」

 喉で笑い、男が掬うようにアリスの胸を持ち上げる。指全体で感触を楽しむようにされて、彼女の身体が震えた。

「・・・・・ものじゃないわ・・・・・」
 俯き加減に言う。そうじゃないと、己の中にある、甘ったるい感情を読み取られてしまいそうな気がしたのだ。

 こんなのは・・・・・違う。
 違う・・・・・筈だ。
 違う・・・・・

 そんなアリスの否定を覆すように、ブラッドが耳元に唇を寄せた。
 自分と、同じ香りがする。
 同じ、お湯と泡の香り。

「では、女だ」
「・・・・・・・・・・」

 大事な、女。

「アリス・・・・・君は私の大事な女だ」
「!?」
 耳に口付けられ、小さく噛まれる。震える彼女を無視し、そのまま肌を移動して、首筋にキスをされ、痕が残った。
「大事な、大事な・・・・・ね?」
「愛して・・・・・ないのに?」

 呼吸が出来ない。荒く、跳ね上がり、弾んだ呼気に絡めて言えば、目元に口づけを落とした男が、薄い笑みを唇に漂わせた。

「君が好きなのは、エリオット、だろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ええ、そうね」
「私からの愛は必要ないんじゃないのか?」
 濡れたタオルを抑える手に、ブラッドの掌が重なる。

 必要ない。
 そう、言えれば良いのに。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 互いの瞳に、互いの姿が映る。
 そのどちらの瞳にも、甘い熱がこもっている。


 言ってしまえばいい。
 そうすれば、きっと、何かが瓦解する。

 ドアが開く。

 開けてと騒ぐ、どこかのドアが。

 ただし、その先に望むものがあるのかどうなのか、アリスには判断が付かなかった。森や塔のドアは、アリスが一番望む場所に連れて行ってくれるというのに、彼女が開けたいドアは、どこに繋がっているのか判らない。

「私は・・・・・・・・・・」

 温くなったタオル。それが、かろうじてアリスを今に繋ぎとめている。

 ゆるゆると伏せられた彼女の目蓋。
 瑣末な感情に揺れる睫毛。
 震えた唇が紡いだのは、ブラッドに己が傾いていると証明するに足るものだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・貴方が幸せなら、いいの」

 例え私が誰を好きでも、愛してもらえなくても、その他大勢の女の中の一人でも。

 身を焦がすほど、貴方を欲していたとしても。


 ブラッドが幸せなら、それでいい。


 汗でも、お湯でもなく、熱い粒が頬を転がり落ちる。ぽつり、と泡の間に落ちたそれを目で追い、アリスは顔を上げない。

「・・・・・・・・・・・・・・・それなら、まず」

 酷く長い沈黙ののち、お湯で温まった男の、いつもよりも随分熱のある指先に、目元をぬぐわれる。

「君が笑え、アリス」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「泣くな」

 抱きしめられて、アリスは初めて、心の底から涙がこみ上げてくるのを感じた。

 怖かった。
 捉えられて、穢される云々よりも、この人が別の女と共にどこかに行ってしまうのが。
 屋敷の中で、その他大勢に自分が埋もれてしまうのが。

 ただ、怖かった。

 それでもいいと、思っているのに変わりはないのに、自分の幸せの為に笑えと促す、傲慢な命令に、安堵してしまう。

「ブラッドっ」
 喉に何かが詰まっていて、それでも必死に名前を呼べば、恋しい人は、目の前で微笑んでくれた。
「・・・・・・・・・・良い子だ」


 そこから後の事を、アリスはよく、覚えていられなかった。










 顔の無い死体が、川に浮いていたと訊いたのは、それが全て片付けられて時計だけになってからだった。
 誰だったのか・・・・・それをアリスは考えないようにしている。

 滞りなく、劇場の建設は進み、ディーヴァはひっそりと姿を消した。

 失踪したのか、ドアを開けたのか。顔の無い死体が彼女なのか。

 ただ、そのどれにも目の前の男が関わっているのだと知っているだけに、アリスの気分は晴れなかった。

 この世界の命は、軽くて重い。
 本当に・・・・・軽すぎて、それを捉えきれないアリスには重たいのだ。


 エリオットも、双子も、何の問題もなく、いつもの光景をいつものごとく繰り広げている。
 賃上げと有給休暇。馬鹿ウサギと、発砲。
 ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 お茶会の席に座ったまま、アリスは彼らのやりとりをぼうっと眺めている。メイド服なのは、仕事中に拉致されたからだ。
 誰に。
 決まっている。この屋敷のボスに、だ。

「この紅茶は気に入らないかな?」
 カップを持ち上げたまま、肘をついてぼーっとじゃれる三人を見つめていたアリスは、その声に我に返る。
 湯気を上げるそれが冷めてしまうと、また何を言われるか分かったものじゃない。
 慌てて口を付けて、「いいえ」と短く答えた。
「やけにぼうっとしているが・・・・・疲れているのかな?お嬢さん」
 すっと伸びた手が、アリスの口元に触れた。

 そこにあった傷は、すっかり消えて無くなっている。しばらく時間が掛ったが、今ではどこにもそんな痕跡は無くなっていた。
 ただ、ブラッドに触れられると、微かに熱を持つような気がするのはなぜなのか。

「そうね・・・・・」
 疲れている。
 そうかもしれない。

 ブラッドに付き合わされて、寝不足なのもあるかもしれないが、それ以上に、暗い感情に振り回されすぎて、疲れている。

 散々考えた、ディーヴァの行方。
 顔の無い死体が誰なのか。

(無意味なことなのに・・・・・)
 この世界では、誰もそれを気にとめない。恐らく、あのユリウスでさえ、どうでもよさ気にするのだろう。時計さえあればいい、と。

(あんなに・・・・・綺麗に笑っていたのに・・・・・)
 ブラッドさま、と彼女が鈴を振るような声で言う顔は、綺麗だった。
 恋とか愛とか、それが女性を変えていた。

 嵌められた筈なのに、とアリスは溜息をつく。

 もう二度と会えない、という感情を彼らは持ってくれているのだろうか。


 余所者の自分だけなのだろうか。

 ぐるぐる回って進めない。
 アリスの持っている「愛しい」という感情は、目の前の男を縛るに足りないものなのか。
 消えてしまえば、消えてしまう。
 死んでしまえば、無くなってしまう。

 そんな、「愛しさ」なんだろうか。


「何を考えている?」
「!?」
 はっと視線を上げると、間近にブラッドの顔があり、アリスはどきりとした。口付けられる距離だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 何も、と答えるより先に、掠めるようなキスをされた。
「君は、私の幸せが望みなのだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「なら、そんな顔をするんじゃない」

 ふわりと、紅茶の香りがし、顔を離した男が苦く吐き捨てる。


 私が死んだら、貴方は不幸になるのかしら?


 そんな台詞が、ぽん、と脳裏に浮かぶが、アリスはそれを小さく笑った。

 それこそ無意味じゃないか。



 ディーヴァはここに居ない。綺麗な歌声と、美貌だけがアリスの中に残っている。
 片足の男もそうだ。
 彼に暴力を振るわれた。その事実がアリスの中にある。

 この男が、酷く優しくしてくれることも、笑えと促すことも。

 全部全部、アリスの中にある。

 風化され、忘れられ、周りがまるで気に止めなくても、アリスの中にあれば、それでいい。



 進まない関係。進まないどころか後ずさっているようにも見える恋。


 でも、確かに積み上げた物が、ブラッドの中ではなくて、アリスの中にはある。
 さしあたってそれでいい。

 ブラッドの不幸は、ブラッドが負えばいい。
 ブラッドの幸せは、私が責任をもって、保障するから。


 貴方の不幸を、私は見たくない。


「そうね」
 進めない恋。
 でも、無理に時計を進める必要はない。
 いってもどってぐるぐる回って。

 まさに、この世界に相応しい。


「私はブラッドの・・・・・女ですものね」

 笑って言える自分に、すくなくともアリスは幸せを感じた。




















 終幕です><

 ここまでお付き合い、ありがとうございましたv

(2009/11/30)

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