Alice In WWW

 関係に名前を付けたら最後、
 領土争いの果てに手に入れた土地に、劇場を造る。

 帽子屋ファミリーの新事業だ。もちろん、表向きにはファミリーの名前を出さない。ちゃんとした会社が設立され、そこが劇場の運営をつかさどる。
 だが、背後にあるのは、帽子屋ファミリーだ。

 そんな、知らなくてもいい世界を覗き見てしまったアリスは、その帽子屋ファミリーのボスが庭を歩いているのを目撃して、くるりと踵を返した。
 先日連れ出された、とある店。
 そこで紹介された歌姫と、我らがボスの親しげな雰囲気に、妙な気分になりかけたのは、記憶に新しい。

 それから、狂った時間帯のおかげで夜は来ず、また、アリスのへの呼び出しもなかったので、彼女は今の今までブラッドと顔を合わせることはなかった。

 彼に会うのは、夜にしている。
 機嫌の良し悪しが態度に出る男だから、何もわざわざ気分が悪い時に会いに行く必要もない。
 どうせなら、上機嫌の時に会いたいというものだ。

 それ以外に彼に会うとなると、彼から呼び出された時くらいだ。

 最近ではそれが頻繁にあった。
 部屋に閉じ込められて、出してもらえずに数時間帯が経過したことも多々だ。

 だが、あのディーヴァとの一件以来、アリスは呼び出されない。あれから、15時間帯位は経っているのに、だ。

 夜が来なければ、行く必要もない。
 呼ばれなければ、行く必要もない。

 彼が必要としない限り、自分には何の用もないのだと、急ぎ足で庭をぬけるアリスは気付いた。
 気づいてしまって立ち止まる。

 唇から、深い溜息が洩れた。

(なんだ・・・・・やっぱりそうよね)
 飽きられたら捨てられる。
 そんな事、百も承知していたはずなのに、実際その日が来てみると、奇妙なくらいに胸が痛んだ。
 だから、この屋敷での仕事が欲しかったのに。

 今、アリスはメイドの服を着て、籠を持っている。シーツなどのリネンが入ったそれは、綺麗に洗濯されて干されるのを待っているものだ。
 だが、干そうと庭に出た先で、己の雇い主を見かけて、こそこそ逃げ出してしまった。
 仕事もまっとうに出来ないのかと、腹立たしくなる。

 たくさん居る、女の中の一人。
 ほんの戯れに手を出されただけの存在。

 勘違いしそうになった想いに慌てて蓋をして、アリスは深呼吸をした。
 痛んだ胸が、じょじょにその痛みを和らげていくのを意識し、アリスはその単語を払拭しようとした。

 絶対に、自分たちの関係に、そんな名前を付けてはいけない。
 付けたら、最後だ。

 自分はまた、傷つくだけだ。


「そうよ。私はメイド見習いなんだから」
「頼んだ覚えはないんだがね」
「!?」
 一人、自分の立ち位置を確認しようと、力を込めてつぶやかれた台詞。それを拾い上げられて、アリスはびっくりして後ろを振り返った。
 いつでもどこでも、唐突に現れる、この館の主に、アリスは眩暈がした。
 先ほど歩いていた方向とは逆に来たはずなのに。
「君の後ろ姿が見えたからね」
 なんでここにいんの!?という不躾なアリスの視線に気づいたのか、ブラッドがにやりと笑って切り返した。
「しかし・・・・・君は本当に意地が悪い」
 言うが早いか、手を伸ばしてアリスの腕をとらえる。

 苛立ちが、空気を伝ってアリスの肌に触れる。
 思いのほか、強い力で掴まれて、乱暴に引き寄せられ、アリスの手から籠が落ちた。

「ちょっと!?」
 中身をぶちまけることはなかったから、洗い直しをする必要はない。だが、自分の仕事を蔑ろにされたような気がして、思わず彼女は男を睨みつけた。
 同じように、見下ろす彼の瞳は凍りついている。
 顔は笑っているのに、目が笑っていない。

「君は・・・・・呼ばれないと私のところには来ないのか?」
「・・・・・・・・・・」
 ぐ、と腕を掴む指に力が入る。ぎり、と骨が軋む気がしてアリスは眉間にしわを寄せた。じわり、と涙がにじむのを感じる。
「エリオットの所には通っていたようじゃないか」
 底冷えしそうなその声に、胃の腑が震える。からからに喉が渇くのを感じながら、アリスは、目をそらせば殺される気がして、射すくめられながら唇を開いた。
「エリオットは友達だもの。会いたくなったら会いに行くわ」
「・・・・・なら、私には会いたくなかったという事か」
 低い声が耳を打ち、ぞっとする。力いっぱい引き寄せられて、手首をひねられる。
「っ」
 痛みに思わずうめけば、「ああ、すまない」とブラッドがそっけなく答えた。
「動くなよ。腕が折れてしまう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 一瞬で血が足元に落ちる。鼓動が耳元に張り付いたように、近くで聞こえ、緊張に指が白くなった。
 気が遠くなっているのだろうか。痛みがぼんやりとしか感じられない。
 なのに、脳裏は冴えわたり、がんがんと警鐘がなっている気がする。

「私は苛立っているし、腹を立てても居る」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「当然だ。自分の女が、一度も自分の機嫌を取りに来ない。来ないどころか、部下の部屋に入り浸っている。」
「・・・・・・・・・・それは」
 口を開けば、うるさい、とばかりに掴む手に力を入れられた。歯を食いしばるが、口から悲鳴が漏れた。
 がくがくと膝が震える。
 本当に折られる。
 彼の手にかかれば、自分の骨など小枝のように粉砕されてしまうだろう。
「エリオットと何をしていたのかな?私に会いにも来ずに。」
 楽しそうにしている奴を見かけるたびに、何度撃ち殺してやろうかと思ったことか。
「君がたぶらかしたのか?・・・・・いけないお嬢さんだね。私を出しぬいて、部下に手を出させるとは」
「違うわ」
 かすれた声で、弱々しく反論すると、腕の拘束はそのままに、ブラッドが顔を寄せた。

 黒々とした光をたたえる、翡翠色の瞳がそこにある。

 欲しいものは全力で奪い取る。
 己の為ならば、どこまでも残酷になれる。
 勝手に気ままに、盤上を支配し、全ての糸を操る男。
 泣く子も黙る、帽子屋ファミリーの首領。

 泣けてきた。

 彼の元に行くのを躊躇った。
 ブラッドの部屋のドアの前で、自分の拳を、真っ白になるほど握りしめた。
 エリオットの話す、ブラッドの姿に満足しようとした。

 ナンバー2が語る、ボスの姿に憧れて、自分はそういうただの下っ端の部下になろうと頑張った。

 行けるはずがなかった。
 呼ばれもしない。夜が来なければ会えない。そんな自分が、何を我が物顔で、この人にあう資格があると言うのだろうか。

 唐突に、涙が膨れ上がり、こらえる間もなく零れ落ちる。驚いたように、ブラッドが目を見開いた。
 必死に、アリスは言葉を探した。
 腕の痛みはマヒしてしまっている。このまま折られても構わない。

 そう、捨て鉢な気持ちでアリスは涙に曇った眼差しのまま目の前の男を睨みつけた。

「私を・・・・・貴方に会えなくしたのは、貴方自身じゃない」
 放たれたアリスの台詞に、ブラッドは意表を突かれた。微かに弱まった彼の手から、アリスは自分の腕を奪い返すと、必死に身体を離す。
 膝が笑い、立っていられない。

 崩れ落ちるように、庭の小道に座り込んだアリスは、これ以上涙をこぼすものか、と腹に力を込めた。乱暴に目元をぬぐう。
 熱い塊が、喉の奥につっかえているようで、気持ちが悪い。震える身体に吐き気がする。
 弱音を吐くな。
 彼の前で、涙など見せるな。
 みっともない。

 唇をかみしめ、アリスはぎり、と石畳を敷かれた小道に爪を立てた。びり、と爪が震えて、指先が痛む。

「私の所為、だと?」
 かすれた声が耳を打つ。小さく笑う声が聞こえ、「どういう意味だ、アリス」と詰問するような声が降ってきた。

 面倒だ。
 ああもう、全てが面倒だ。

 吐き出してしまいたい。

 私は貴方が好きで、恋人になりたいから、だから、貴方に会えなかったのだと。
 貴方と歌姫の関係が気になって、それを清算しないままに貴方に抱かれるのが嫌だったのだと。

 吐き出したい。

 言いたい。

 言ってしまって、何もかも壊してしまいたい。

「アリス!」
 待つのが嫌いな男が、声を荒げ、再び手を掴む。腕に出来た痣に、多少ひるんでくれたのか、掴む力は先ほどの比じゃないほど柔らかい。
 指先に血がにじんでいる。
 膝をついて、己を覗きこむブラッドに、アリスはのろのろと顔を上げた。
「・・・・・・・・・・そのままの意味よ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「貴方の所為で、貴方に会いたくなかったの。貴方に抱かれたくなかったの。」

 愛していないと、はっきり言われた。

 再び涙がせりあがり、アリスは彼の手を払いのけた。

「私・・・・・エリオットが好きよ」
 エリオットのように、何もかも投げ捨てて、心からブラッドを慕えたら。見返りなど求めず、報われないと判っていても、彼のように、ブラッドに全身全霊を預けられたら。

 うつむく彼女の台詞に、ブラッドの身にまとう空気が、氷点下を迎える。でも、何もかもマヒしてしまっているアリスには届かない。

「なるほど。よほど君は酷い目に会いたいようだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「なら、ご希望にお応えしよう。」

 君の身体に、刻んでやろう。
 君が、一体、誰のものなのか。

「エリオットは優秀だ。殺すわけにはいかない。だが、許すわけにもいかない」
「・・・・・・・・・・エリオットに酷いことしないで」
「エリオットにはしないさ。ただ、君を躾けるだけだ」

 私でしか、感じない身体に。

「二度と、エリオットが好きだなどと言う事が出来なくしてやろう」


 抜け出せない。
 言ってしまえば良いのに、どうしても言えない。

 好きだと。
 愛していると。
 ブラッドの唯一の恋人になりたいのだと。

 言えば、終わりが待っている。


 失恋する、終わりが。
 飽きられて、銃弾に朽果てる終わりが。


 何も残らない終わりを待っているというのに。


「ブラッド」
 引き寄せられて、抱え込まれる。彼の部屋へと連れ込まれるのを感じながら、アリスは彼の腕に置いた手に力を込めた。
「貴方は何故、私を呼び出さなかったの?」
 見上げると、ちらと視線を落とした男が、不機嫌そうに前を向く。
 歩く速度が速くなる。
「・・・・・・・・・・単なる気まぐれだ」

 部屋のドアが開き、閉まる。


 重々しく落ちた錠の音に被るように、力いっぱい口付けられて、アリスは眩暈がした。


「君は私の女だ、アリス」

 見つめる翡翠色の瞳は、熱を帯びて艶っぽくなる。そこに捉えられて、アリスはどうしていいかまた、判らなくなるのだった。







(2009/10/22)

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