踏み台にしてきた夢広げて部屋に敷き詰めた
3
雪の庭に、カードが一枚落ちている。
拾う事なく、アリスはそれを見詰めていた。
にやりと笑う、仮面の道化。
切り札に用いられることもあれば、孤独なメイドとして忌み嫌われることもあるカード。
「君は俺を裏切るの?」
低い声がして、アリスは顔を上げた。
雪の庭に、ジョーカーが立っていた。隣には、可憐に微笑む姉がいる。
姉のロリーナは、いつでもきちんと綺麗に着飾り、ふんわりと巻いた金色の髪が美しかった。
その手は美しく、その肌は張りが有り、眼には澄んだ光りを湛えていた。
彼女が光なら、アリスは闇。
ロリーナが輝けば輝くほど、アリスは暗く沈んでいく。
それでも。
「君がお姉さんを撃ったのに?」
アリス、とロリーナの、ふっくらした紅の唇が動いた。そのロリーナを、ジョーカーは後ろから抱きしめる。
「君が、お姉さんを嫌ったのに?」
彼の唇が、ロリーナの首筋を掠め、ジョーカーの手が、彼女の唇を撫でる。ちらと覗いたジョーカーの舌に、アリスは目を閉じた。
「ええそうね」
酷く静かに、アリスが切り返した。
ロリーナに嫉妬して、ロリーナを傷つけた。そして、取り返しのつかない事に、ロリーナはこの世界から永遠に消えてしまった。
残っているのはアリスの中に有る、ロリーナの残像だけ。
残像は、アリスの心をよく映す。
アリスが作り上げたものだから、当然だ。
アリス、とロリーナが手を伸ばした。
このままでは、ジョーカーにロリーナは汚されてしまう。ジョーカーはロリーナを辱め、アリスの目の前で引き裂くだろう。
でも、アリスが目を閉じれば、それはアリスの中から消えてしまう。
「・・・・・・・・・・・・・・・君は頑固者だね」
呆れたように言われて、アリスは頷いた。
「あなたの誘いは甘美だけど・・・・・私には呑む資格が無いの」
「いいの?君のお姉さんがどうなっても」
「どうにもならないわ」
きっぱりと言い切り、アリスは目を開けた。相変わらずジョーカーはロリーナを捕え、淫らに絡みついている。
ジョーカーに、姉が凌辱されたら・・・・・アリスは狂えるだろうか。
それとも・・・・・嘲笑うのだろうか。
だが、それが知りたいジョーカーを、アリスは排除する。
恐ろしく醒めた目で、物事を捕えることが出来るのは、アリスの特技だった。
「どちらも私は望んでいないわ」
「本当に?」
お姉さんを穢されたら、ザマアミロって思うんじゃないの?
くすくす笑うジョーカーに、アリスは首を振った。
「そんなことはさせない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私はそれを望まないから」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ふうん、と詰まらなそうにジョーカーは息を吐くと、するっとロリーナから腕を離した。
けけけけ、と彼の腰の仮面がけたたましく笑う。
「だから言っただろ?ジョーカー。そんな方法じゃ、アリスは手に入らない」
「じゃあ、どうすればいいと言うんだ?ジョーカー」
他の役付きみたいにしろと?
心底うんざりしたように告げるジョーカーに、仮面は「そうじゃねぇよ」と低い声で答えた。
「処刑人に処刑してもらえばいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・エースに頼むの?」
心底嫌そうに、ジョーカーが鼻を鳴らした。仮面はそれをせせら笑う。
「そうすりゃ、全ては丸く収まる。ブラッド=デュプレは消えて、アリスはここにやってくる」
にやり、とアリスに向かって嗤う仮面。気のない様子でアリスを振り返る看守。
ブラッドに手を出さないで。
そう告げようとした唇を、誰かの手が防いだ。
これは夢だよ。
(ナイトメア・・・・・?)
「残像よりも生身の方が強い。そして、夢よりも現実の方が強い」
しっかりとしたナイトメアの声が後ろからして、アリスは振り返ろうと身をよじった。
それを遮るように、笑った彼が薔薇を差し出した。
「そして、信じる思いは、夢よりも現実よりも、強いんだ」
刺を握れば、夢は消える。
目を閉じて、痛みに顔をゆがめ、次に目を開けた時、薄青い夜明け前の光りに満ちた現実に、アリスは横たわっていた。
「もうすぐ朝ね」
「私の勝ちかな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ぽつりとつぶやいた、夢の名残を残すアリスの声に、ブラッドが応える。柔らかく抱きしめる男に、微かに身体を預けているので、そんなに肩や背中は痛くない。クッションが柔らかく二人を包んでいる。
いつの間にやらベッドから引きはがされた上掛けが二人を包んでいて、抱かれる腕が暖かくて心地いい。
ブラッドと自分の体温に満ちたそこは、外の寒さと相まって、抜け出しがたい居心地の良さを提供していた。
もとからやる気の低い男に抱きしめられて、永遠とこのままでも良い様な気になった。
夜は明けていない。
「まだ、朝日が差し込んでないわ」
「この世界は忌々しいな。規則正しく朝と昼と夕方と夜が来る」
昼など来なければ良いのに、と低い声で漏らすブラッドに、アリスは噴き出した。
「何がおかしい?」
「別に・・・・・」
肩を震わせて笑う彼女を抱きしめて、ブラッドは首筋に吐息を拭き掛けるようにして溜息を零した。
「君はジョーカーを殺そうとしないんだな」
妬けるな。
あんな奴、死んで当然だと告げるブラッドに、アリスは目を閉じて身をゆだねた。
「私はジョーカーから逃れようとは思わないわ。でも、掴まる気もない」
「一生追い回されるぞ?」
不機嫌に沈んだブラッドの声に、アリスは「そうね」と短く答えた。
抱えている罪悪感は、きっと消えない。
だけど。
「君は、起こった事を気にする。気にして振り回されて、抜け出せなくなる」
緩やかに、ブラッドの手が動いて、肌を撫でていく。柔らかく愛撫される感触に、アリスはそっと顔を上げ、潤んだ眼差しにブラッドを映した。
「・・・・・・・・・・でも、それで何かを・・・・・誰かを失うのはもう嫌なの」
きっぱりと言われた台詞に、微かにブラッドが目を見張った。彼の手が、胸の果実に置かれた。
鼓動が、指先から伝わってくる。
「大事なの」
アリスの翡翠の瞳が映すのは、たった一人の愛しい人。碧の瞳に、映る己に、アリスは笑った。
ふわりと、花が咲くように。
最近、見たこともない、アリスの笑顔だった。
「この部屋は私の夢が詰まってた。姉さんに比べられる事なく、自分自身で有る為に得ようと思った部屋だった」
でも、結局は色んなものに追い立てられて、ぐるぐるぐるぐる廻っていただけ。
「全部の夢を踏み台にして・・・・・踏み台にしてる事にすら気付かずに、部屋に広げて満足してた。でも・・・・・判ったの」
私の現実は貴方。
貴方が来て、世界の色は変わったわ。
囁くアリスに、ブラッドは目を細めるとにやりと笑った。
手に傷を作る薔薇の刺。
その刺の痛みが教えてくれる。
何がアリスの本当で、何がアリスの幻なのか。
「現実こそが悪夢・・・・・と、口癖のように言う奴がいなかったかな?」
にやりと笑った男が、緩やかに、毛布の上に彼女を組み敷く。両腕に囲われて、アリスは腕を伸ばして、ブラッドの唇に指を押しあてた。
「悪夢でしょう?・・・・・マフィアのボスの情婦なんて」
「・・・・・・・・・・・・・・・情婦じゃない。妻、だよ、奥さん?」
彼の手が中心を探り当て、温かな身体を堪能し始める。
囁かれた言葉に、アリスは笑った。
日の光りが差し込んでくる。
インクと紙と、安物の紅茶の香りしかしなかった部屋に、甘い甘い香りが立ち込める。
清浄な朝日が窓に降りた霜を輝かせて、床に落ち込む。
白い肌を浮かび上がらせるアリスを、抱きしめる男の黒髪にそれは当たり、冬の朝に、甘い吐息が響きだす。
これ以上ない、現実の、ありふれた朝に、お互いしか見えない二人の姿は異様に滑稽で・・・・・そして、普通の恋人同士にしか見えなかった。
「アリスーっ!!!」
「お姉さんっ!!!!」
「お帰りなさい!!!!」
出鱈目な時間の世界。ウサギ耳の男がマフィアの2で、双子の少年が門番の屋敷。
変わらない世界。
ただ一つ言えるのは、そこは現実だと言う事。
アチラとコチラ。
駆け寄る三つの影に抱きしめられて、帽子屋屋敷の門をくぐったアリスは、日の光りを浴びて堂々と立つ屋敷と、溢れる緑に彩られた庭に目を細めた。
「変わらないのね」
「同じ場所をぐるぐる回る。だが、それは少しずつ進んでいく。そういう世界だからな」
欠伸を噛み殺して言うマフィアのボスは、三人にかすめ取られたアリスを奪取した。
「ちょっと!?」
「ブラッド!?」
「酷いよボス!」
「お姉さんを一人占めしないでよね!」
「やかましい」
一刀両断し、男はひょいっとアリスを抱きあげた。
胸に抱かれて、アリスはぎゅっとブラッドのシャツを握りしめた。
ずるいずるいと喚かれる。それを鋭い一瞥で一掃し、ブラッドはさっさとアリスを連れて屋敷に入る。
佇む三人のふくれっ面に、アリスは泣きそうになった。
半分くらいは泣いていた。
「アリス」
耳元で声がし、顔を上げると笑う男が視界いっぱいに広がった。
「決着は、ついたようだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
はっと胸を突かれて、アリスは目を見開いた。
何も言わずに、男はアリスを自室へと連れて行く。最後に言われた、彼の言葉。
決着を、つけなくてはな。
「判り辛いのよ」
毒づくと、涙がこぼれた。それを柔らかく指の先で拭って、ブラッドは綺麗に笑った。
「良い夫だろう?君の為に、壮絶に面倒な手段を踏んであちらに行き、手をまわしてとある組織を占拠して、君の父親に近づいた・・・・・こんなに恐ろしく面倒な事をやってのけたのだからなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・貴方はここから命令していただけでしょう?」
「当然だ。私が動くのは最後だよ」
くっく、と喉の奥で笑い、ブラッドはアリスの目を覗き込んだ。
「それで、決着を付けてもらえなければ意味がない」
「・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう」
素直に言葉にし、アリスは床に下ろされると、懐かしい、彼の香りがするベッドから毛布を引きはがした。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「他の女を連れ込んだかもしれないベッドでなんて、嫌」
つん、と顎を上げるアリスに、ブラッドは笑った。
「君以外に、連れ込んだ存在などありはしないよ」
さようなら、姉さん。
きっとこの罪悪感は消えないわ。
消えないけれど、捕えられるのは止めたの。
振り回されるのも止めたの。
さようなら、姉さん。
私は先に進むことにするわ。
ぐるぐる回る螺旋だけれど、螺旋はどこかに繋がるものだから。
ジョーカーは殺さない。
でも絶対に捕まらない。
きっとそうして生きていく。
床に押し倒されたアリスは、どこかでぱたんと扉の閉じる音を聞いた。
朝の光が満ちていた、アリスの現実の部屋は、暮れない朝の中でただ静かに、静謐に、そこに有り続けた。
踏みつけた夢を、そのうちに抱いて。
大捏造☆
えーっと・・・・・スイマセン色々 orz
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました><(本当に!!!!)