Alice In WWW
- 2 憎まれっ子世にはばかるって、私のことね
- 奥様は不機嫌だった。
夫が仕事で出かけているのを良い事に外に出た。休戦地区の時計塔広場の、お気に入りのカフェで紅茶とケーキを頼んで本を読んでいた。
嫉妬深く、疑り深く、手に入れたものは絶対に他に渡したくないし、奪われたくない彼女の夫に、外出がばれると面倒なので、奥様は軽く変装をしている。
いつもは流しているだけの金に近い栗色の髪を、緩い一本の三つ編みにして、肩から胸元に垂らしている。つばの広いつややかな黒の帽子を斜めにかぶり、ショールを肩から巻いて、手袋をはめている。
いつもの子供っぽい・・・・・というか、可愛らしい・・・・・というか、ひらひらしているというか、ロリータというか・・・・・なファッションは成りをひそめ、『奥様』っぽい雰囲気を醸し出している・・・・・と、帽子屋ファミリーの女ボスは思っている。
化粧もばっちりしているし、唇に引かれた紅いルージュはつややかだ。
(これならば、嫉妬深く疑り深く、手に入れたものは絶対に他に渡したくないし、奪われたくないブラッドにも判らないわよね)
うふふ、と小さく自信に満ちた笑みを浮かべようとするが、どうしても引きつるのは、嫉妬深く疑り深く(以下略)なブラッドが、とんでもなく切れ者だと知っているからだ。
ばれないと思ってはいる。
でも、100%ではない。
それでも、楽しい昼間の時間帯を、好きに過ごせていたのだが、そんなブラッド=デュプレの妻、アリス=デュプレが、機嫌を下降させなくてはならなくなったのは、周りに理由があった。
(何となく避けられているのは知ってたけど・・・・・)
ブラッドと結婚してから、だいぶ経つ。そろそろアリスに関する噂や評価が立ち始めるころだ。
だが、大抵アリスが外に出る時は、ファミリーの面々が一緒だったり、ブラッドが傍に居たりして、ブラッドの妻である彼女の評価や風評は彼女の耳に届かない。
だが、今、彼女は完璧な変装で、雑踏の中に居る。
周りが、彼女に気付いていないのだから、アリスに対する評価は知らずに耳に入る事になった。
休戦地区で、ブラッドの領土ですらないのに。
しゃべり倒すのは、隣のテーブルの若い女性の集まりだった。
品の良い装いの彼女達は、身内同士と言う気楽さから、結構辛辣に色々話している。
誰の旦那が浮気性だとか。どこそこの令嬢がこの間の夜会の時別の男性を連れていたとか。
訊くともなしに訊いていたアリスは、不意に「ブラッドさまの奥さま」という単語を訊きつけて硬直した。
ブラッド・・・・・さま。
苦いものが、一瞬で胸に込み上げ、アリスは本を読むふりをして訊き耳を立てた。
彼女達は、当の本人がそこに居ることなど知る由もなく、色々と話をする。
知りたくもない、ブラッドの女性関係から、遊ばれたと思われる女性の末路。それでもなお、彼に対する憧れと称賛は大きく、アリスは眩暈がした。
「一体・・・・・どんな手段でブラッドさまの妻なんて座を射止めたのかしら」
一人の辛辣な口調に、アリスはぎくりとした。
どんな手段?
手段なんてあったもんじゃない。
「余所者って、誰にでも愛されると言うでしょう?うまい具合に媚びでも売ったのではないのかしら?」
冗談じゃない。媚びなんか死んでも売るか。
「でもその・・・・・言ってはいけないのかもしれませんけど、ちょっと・・・・・ブラッドさまには」
言ってはいけないんなら、言うんじゃないわよ。
「そうそう。ちょっとお似合いにはなりませんわよね」
言われなくても判ってるわよ。どーせ私は
「それならば、前にお噂になったほら、あの企業の」
「ああ、あの方。すっごく綺麗な人でしたわよね・・・・・」
「この間、夜会でお目に掛りましたけど・・・・・そうそう、ブラッドさまも参加なされていて」
「お二人で話す姿は目に毒でしたわ」
「あのあと、どうなったのかしら?」
「ほほほ、決まってますわ。ブラッドさまですもの・・・・・あの奥様で満足できるはずがないでしょう?」
「まあ、貴女・・・・・もしかして」
「ええ!?そうなんですか!?」
へー・・・・・ここにもブラッドと関係をもった事のある女性がー・・・・・
不機嫌は徐々に自己嫌悪になっていき、最終的には、アリスはすっかり凹んだ気持ちでテーブルについていた。
なんだかむかむかする。
せっかくのケーキの味も判らないし、飲んだ紅茶も舌に苦い。本は面白くないし、ていうか、照りつける日差しにいらいらする。
(どうせ私は・・・・・)
彼女達に好かれたいとは思わない。でも・・・・・悲しい気持ちにはなるし、腹も立つ。
誰にでも好かれる、というのは即効性はないとナイトメアが言っていた。だから、その通りなんだろう。知り合えば、彼女達がアリスに抱く評価も変わるかもしれない。
だが、知り合いになりたいとは、アリスは思わなかった。
(憎まれっ子世にはばかる、っていうしね・・・・・)
嫌われキャラで居た方が、この世界では長生きできるかもしれない。
でも。
この位置で、ブラッドの話を訊くのは、耐えられそうにもなかった。
席を立とうか。
そう考えていたその時、周囲に緊張が走った。
ざわめきが、一瞬引いて、続いて何事もなかったように辺りにあふれる。隣で雑談をしていたご婦人がたも、ぎょっとしたように目を見張り、それから頬を染めてちらちらと通りを見詰めている。
カップを持ったまま、ぼうっと色々考えていたアリスは、ふと、自分に差した影に気付いた。
鬱陶しく降り注いでいた太陽の光が、陰っている。
どうして?
「・・・・・・・・・・・・・・・?」
帽子のつばの間からそっと顔を上げて、アリスはその場に固まった。
「失礼だが・・・・・」
剣呑な光を湛えた、怪しくも美しい碧の瞳。綺麗な笑みの形に歪んだ唇。奇抜なシルクハットに、乗馬服なんだか礼服なんだか微妙なセンスの白い衣服。手にしたステッキをぱしり、と手に打ち付ける姿に、アリスは硬直したまま動けなかった。
どっと背中に冷たい汗をかく。
「相席してもよろしいですか?」
綺麗なお嬢さん?
からからに喉が干上がる。周囲にちらっと視線を泳がせればオープンテラスのカフェには空席が目立っている。
「・・・・・・・・・・」
無言を承諾と受け取り、男は向かいの席から、椅子を引き寄せると、丸いテーブルの、彼女の隣に腰を下ろした。
テーブルに両肘をついて、手を組む。その上に顎を乗せて、アリスの夫はじっと彼女を見詰めた。
視線が、夫に注がれているのを、アリスは感じた。
さっきのご婦人がたが、興味津津と言った様子で、自分と夫を見ている。
「可愛らしい唇だな。」
そっと手が伸び、アリスは一瞬で自分の夫に「死んでくれ」と叫びたくなった。
「何でここに居るのよ」
顎を捉え、唇に触れる彼の指先。それに真っ赤になりながら、アリスは隣のご婦人たちに聞こえないようにひそやかに怒鳴った。
「奪ったら、甘いかな?」
「ブラッドっ!!!」
まるっきりアリスの言を無視して、ブラッドが身を寄せる。いつの間にか、背中に彼の手が添えられている。
好奇の視線が、自分に突き刺さるのを感じた。
それと同時に、溜息にも似た声が、耳に飛び込んでくる。
(やっぱり、奥様では満足できるはずもないんですのよ)
(あの方はどなたなんでしょう?)
(あまりお見かけしない方ですけど・・・・・ああでも、一度でいいからわたくしも・・・・・)
(ブラッドさまになら、めちゃくちゃにされてもいいわ)
(あら、貴女、恋人がいるのに?)
(求められて拒絶出来る女性なんていませんわよ)
いるわよいる!ここに居る!!!
ていうか、あんたらも拒絶しなさいよ!!!淑女としての貞操観念と言うか、自分を安く売るのはどうかと思うっていうか、この男ほど危険で厄介な奴はいないんだから!!!!
力一杯喚きたい。だが、ブラッドの瞳がそれを許してくれない。
「ブラッド!」
やっと動きを止めた夫に、ほっとしながら、アリスは彼の胸元で握りこぶしを作った。帽子の縁から、間近にある彼の顔を睨みつけた。
「何だ?キスは嫌か?」
「ここですることじゃないでしょう?」
「したい時にしたい事をするのが私の主義だ」
堂々と言い切られて、アリスは眩暈がした。
「私は嫌!」
なんとか睨んで言えば、ブラッドは愉しそうに肩をすくめると、ちらと視線を隣のテーブルに投げた。
「・・・・・随分な言われようだな」
楽しそうな口調はそのままに、でも一瞬で彼の纏う空気が絶対零度までに下がるのを感じた。
ぞっとアリスの背中が総毛立つ。
「やめてよ・・・・・単なる陰口よ」
ぎゅ、とブラッドの襟をつかんで引き寄せ、アリスは必死に夫をなだめにかかった。だが、ブラッドの空気は変わらない。
「・・・・・君の事を色々言われるのは面白くない」
「ほとんど貴方の所為じゃないの!」
心外だ、と眉を上げるブラッドに、アリスは唇を噛んだ。
ほとんど、彼の所為だ。
自分が悪く言われるのも、彼女達から嫉妬のような視線を贈られるのも、憎まれるのも。
「貴方が・・・・・」
釣り合わない私に手を出して、取り返しのつかない事をしたからじゃない。
じわり、と彼女の目元に温かな涙がにじむのを見て、ブラッドがぎょっとする。それから、酷く不機嫌な眼差しをする。
「君を、悲しませたのは、あの女どもだな」
「違うわよ!貴方の所為だって言ってるじゃないのっ!」
今にもステッキをマシンガンに代えそうな夫に、アリスは小声で喚く。立ち上がりそうな男の襟首をつかんで引き寄せ、「貴方がっ」と涙声を出した。
「貴方が・・・・・私なんかを妻にするからっ・・・・・」
「・・・・・それはつまり、君が私に相応しくないと言っているのかな、奥さん?」
そうよ。
その通りだ。
なんで私なんだ、と結婚式を上げる直前までアリスは叫んでいた。
閉じ込められたブラッドの部屋で、必死になって訴える。
私なんかを妻にしても面白くもなんともない。
ていうか、余所者で珍しいから置いておきたいだけなんでしょう!?
愛してないなら、その手を放して!
私に構わないで!!
叫び続けるアリスを、大人しくさせる為に口を塞ぎ身体を塞ぎ、あの手この手で逃走させる気力も失わせ、がんじがらめに閉じ込めたブラッドは、今もって納得いっていない妻に、呆れたように溜息をこぼした。
「何度言ったら判るんだ?君ほど私の妻に相応しい女はいない」
「どこがよ!?」
睨みつけるアリスに、ブラッドは少し考え込むと、くく、と喉で笑った。
「証明して見せようか?」
するり、とブラッドの手が腰に回り、公衆の面前でアリスはブラッドに抱きあげられた。
「きゃあ!?」
思わず声を上げる彼女を捉えて、ブラッドはにやりと笑う。
「さあ、お嬢さん。私の屋敷までお連れしよう」
「!?」
よく通る声で、だるそうに言われる。「彼の妻」としてのアリスに向けられる筈の「嫉妬」の眼差しと違う、「羨望」のそれが抱きあげられたアリスに注がれる。
真っ赤になって周囲を見渡せば、お嬢さん達がうらやましそうにこちらを見ていた。
やっぱり、奥様じゃ満足できないのよ。
そうね・・・・・こんど私もお誘いして・・・・・
ひそっと言われた台詞に、かっとアリスの頭に血が上った。
「冗談じゃないわよ、ブラッド!!!!」
次の瞬間、アリスは力一杯ブラッドの横っ面をひっぱたいていた。
「っ!?」
両手がふさがっているマフィアのボスは甘んじてそれを受けるしか出来ない。それでも彼女を放さないのは、それほどのダメージではなかったと言う事なのか、男としての矜持なのか。
「あんたの所為で私のイメージは最悪じゃない!!なにが満足できない妻よ!!ええそうよ!!どうせ私なんか色気の欠片もないし、くびれもないし、出っ張りもないわよ!!!」
大声で喚くアリスに、ブラッドはにたりと笑う。
その笑みに気付かず、「あなた達も!!」とアリスは怒鳴った。
「こんな男の何が良いのよ!?しつっこいし、回りくどいし、人の事からかって遊ぶわ、あの手この手で屋敷から出してくれないわっ!!!嫉妬深いし傲慢だし自分の物を奪われるのが大っきらいだし!!!お陰で私はどこにも出られない上に、ベッドから起き上がれない事なんてざらなのよ!?」
そんなの耐えられる!?
「アリス・・・・・」
「大体、×××××とか強要してくるし嫌がったら×××××とかしてくるし、××××とか×××ようとしてくるし、信じられない!!!!」
「アリス」
肩を震わせて大笑いするブラッドに抱えられ、ようやくアリスは我に返る。唖然としたお嬢さん達を、ブラッドは一瞥し、「ああ、やっぱり君は私の妻に相応しいよ」と楽しそうに告げると、真っ赤になる彼女の唇を塞いだ。
長い長い長ーい、深い深い深ーいキス。
完全に彼女から力が抜けたのを確認して、ブラッドはその場に居るお嬢さん達に笑みを見せた。
「私は私の妻にしか興味はない。残念だが、声をかけるのは止めた方がいいぞ。機嫌が悪ければ、命の保証は出来ないからな」
ぞっとするような声音で言うと、ブラッドは「アリス」と彼女の耳元に甘く吹き込む。
「平手打ちの代償は・・・・・高いぞ?」
それに、勝手にこんな所をうろついているお仕置きも必要だな。
恐怖に背筋が冷たくなる。
それを押し隠して、力一杯睨みつける。
「最悪ね、貴方って」
「そういうな。最愛の夫だろう?」
「憎んでも憎みきれないほど大っ嫌いよ」
「やれやれ酷い言われようだな・・・・・だが・・・・・」
すっと歩きだし、ブラッドは愉快そうに怒りに青ざめる奥様を見下ろした。
「君に憎まれるのも悪くないな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「怒った顔もそそる。」
これで自分のイメージは最悪になっただろう。ああ、もう、この男の所為だ、ロクでもない。
ロクでもないのに。
「さて・・・・・喧嘩の後はより情熱的になると言うが・・・・・本当か試してみよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・今ほど貴方に死んでほしいと思ったことはないわ」
見下ろす瞳が熱っぽくて艶っぽいのに、どきりとしながら言い放つ言葉。それを、ブラッドは真に受けずにやりと笑った。
「それは残念。憎まれっ子は世にはばかると言うじゃないか。」
なあ、アリス?
(2009/12/12)
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