Alice In WWW

 Just be ×××






 時計の音がする。規則正しくちくたくちくたく。
 時計は嫌いだ。
 今自分が一体何をする時なのか、問答無用で指示してくるから。
 でも時間は好きだ。
 誰の上にも平等に時は流れ、誰もが平等に流されて、誰もが平等に分け与えられている。

 それを刻んで目に見えやすくして、突きつけてくる時計は嫌い。

 ちくたくちくたく。
 早く早くと急かされて、そこにとどまりたいアリスを追い立てる。

 時間は平等で、どんなに泣き叫んでも、隣を見れば、同じ時間を違う人が歩いている。


 誰にでも平等で、そしてアリスを連れて行く。

(嫌いよ・・・・・)
 時を刻む音が嫌い。嫌い。時計なんて大嫌い。

 ぎゅっと手を握りしめれば、柔らかな布が手の中でくしゃりと形を変えるのに気付いた。
 もがくように、むずがるように、アリスは目の前を覆っている白い布を引っ張った。目の前にある白い幕を降ろせば、時計の音が聞こえなくなるとそう思っているように。

(刻まないで・・・・・)
 私の大切な物を、刻んで目に見えるようにして、追い立てるように急かさないで。
(知ってるから・・・・・)
 そこに居続けることは出来ない事を。昨日と同じ「時刻」なのに、昨日と全く違う事くらい、知っている。
 知ってるから追い立てないで。
 判ってるから。判ってるから。ああ、煩い。

 更に力を込めて、ぐっと引っ張れば、酷く可笑しそうな低い笑い声が耳朶を打った。
「脱がせたいのか着せたいのか、気になるな」
 さら、と髪に触れた指が動き、アリスはぼうっと眼を上げた。

 薄闇にこちらを見下ろす碧の瞳が見える。彼はひとしきり彼女の髪の感触を楽しんだ後、ゆっくりと指を滑らせて己のシャツのボタンを外す。

「まあ、私としては、着るよりも脱ぐほうが好きだし」
 脱ぐよりも脱がせる方に興味がある。

 指を白くして握りしめていたシャツのボタンが外されて、胸元が見える。そこまで見詰めていたアリスは、肩から己の夜着の肩ひもが落ちるのを感じてはっと我に返った。

「って、ちょ」
 かあっと赤くなる。
「おや、誘ってたんじゃないのか?」
 ちゅっとアリスの額に口付けを落し、緩やかに圧し掛かる。首筋に顔を埋めるブラッドに、アリスは身体を震わせた。
「ち、ちち、違っ」
「何が違うんだ?」
 耳朶を含み、音を立てて口付ける。少し前まで散々良い様にされたのだ。これ以上はもういい。
 思いっきり彼の胸元を押しかえし「誘ってない!」と彼女は喚いた。
「・・・・・・・・・・まあ、誘ってようが誘ってまいが関係ないんだが、な?」

 ちくたくちくたく。

 時計の音が降って来て、アリスはブラッドの腕の中に囲われてしまう。押しかえそうとしていた手は取られ、シーツの波に沈められる。身体を捩って逃げようとすれば、彼の足が器用にアリスを捕えて落していく。
 濡れた唇が喘ぐのを確認し、ブラッドはそれを塞ぐと、彼女の夜着を乱し始めた。

「・・・・・・・・・・」
 鎖骨の辺りにキスを落すブラッドの黒髪に、アリスは指を差し入れた。

 嫌い嫌い。嫌いな時計。
 なのに、その時計がブラッドの心臓だなんて。

「時計は嫌い」
 ぽつりと零せば、彼女の丸くて白い胸の頂きにキスを降らせていた男が顔を上げた。
「奇遇だな。私も嫌いだよ」
 というか、この世界に時計が好きな奴が居るとは思えないな。
 片眉を上げ、皮肉気に呟くブラッドに「そうね」とアリスは乾いた声で告げた。

 時計は時間を刻む。
 でも、刻まれないと時間は姿を保てない。他人に認識されない。

 刻まれるのはゴメンなのに、刻まれないとそこにあれない。
 なんという矛盾だろうか。

「時計なんて無くなればいいのに・・・・・」
 掠れた声で告げるアリスに、ブラッドは少し目を見張った。そっぽを向く彼女の瞳に、涙が溜まっている。
 小さく笑い、ブラッドは彼女の目尻に唇を寄せた。
「そんな事を言わないでくれ・・・・・」
 時計が無いと、私は君に触れることも叶わない。
「・・・・・そうだけど・・・・・」
「それに、時計が無いと、全部が混じり合い混沌とする。君を抱くのは私の特権だというのに、混じり合ってしまっては、それも出来ないだろ?」
 私は、誰かと何かを共用するのは嫌いなんだよ。

 頬を撫で、ブラッドはぎゅっとアリスを抱きしめた。ちくたくと時計の音がして、アリスは目を閉じた。

「アリス?」
「そうね、時計は重要だわ」
 この世界の時計は好きよ。

 これは貴方の音。貴方の腕の中でしか聞けない音。この音が、この男をここに存在させている。

「・・・・・・・・・・アリス」
「私はここに居ても良いのかしら」
 弱々しく震えた彼女の声に、ブラッドは、狂おしいほどきつく彼女を抱きしめることで応えた。
「どこかに行くことなど許さない」
 低い声が、アリスの肌を通って身体の奥に沈んでいく。

「・・・・・何故?」
 思わずそう尋ねれば、アリスの首筋に顔を埋めた男が、楽しそうに笑った。
「言わせたいのか?」
 この私に。

 手が柔らかくアリスの肌を撫でていく。吐息が熱を帯びて、触れた場所から熱く、溶けていく気がする。

「聞きたいの」
「・・・・・・・・・・」
 すっとブラッドの碧の瞳が鋭く細くなった。





 アリスが何かを隠している。それが酷く寂しい事だと、ロリーナは気が付いた。でも、そうでもしないと彼女はずっとロリーナの前でだけ笑う様な女の子になってしまう。
 彼女は滅多なことでは笑わない。もちろん、明るくないわけじゃないし、社交性はちゃんと身につけている。
 だが、彼女が笑うのは大抵が「お付き合い」で、ロリーナに見せるような嬉しそうで、はにかんだ笑みは誰にも見せない。
 それがロリーナにとっては嬉しい事でもあり、悲しい事でもあった。

 彼女は可愛い。可愛い可愛い妹だ。
(でもいつかは手放さなくてはならないのよね・・・・・)

 姉さん、ととびきりの笑顔をみせていつだってロリーナの期待に応えてくれる、可愛い可愛いアリス。

 彼女を閉じ込めたいのか解き放ちたいのか、頭の良いロリーナにもよく判らないのだった。

 それでも。
 それでも、その鎖を断ち切る時は必ずやって来る。ある日突然唐突に。


 がしゃん、と音を立てて砕けたガラス。元は紅茶ポットだったか、紅茶のカップだったか、ソーサーだったか。
 もしかしたら、白いだけで卵だったのかもしれない。
 切った指から血が滲む。
 それを見詰めて、ロリーナは息を呑んだ。白い指先を、球のような朱が滑り落ちていく。

 時を告げる鳩が鳴き、ロリーナは顔を上げた。
「ああ、朝食用のお茶を淹れようとしてたんだわ」
 青ざめた頬に、無理やり笑みを張りつかせて、ロリーナは割れた「もの」をゆっくりと片付けながら、床に倒れ込んだ。




「僕はお姉さん・・・・・ロリーナを愛してるんだ」
 そう告げた彼を、アリスは向かいに座ったっまま、ぼうっと見詰めていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 喉がひりついて、声が出ない。頭から血の気が失せて、視界の端が白くかすんでくる。きつく指を握りしめて、アリスは「そうなんだ」と掠れた声で答えていた。
 その声に、アリスは「知ってたじゃない」と答える自分に気が付いた。
 判っていた筈だ。

 誰もアリスを愛さない。

 アリスは捻くれていて、誰にでも良い顔をしようとして、いつも失敗する。
 でも、今度こそ失敗したくなくて、必死に頑張ったのだ。無理にではなく自然に。ロリーナやイーディスとは違い、アリスは可愛くも無いけれど、それでも自分を必要としてくれる人を見つけようと懸命だった。

 彼の為に、彼の為に、彼の為に・・・・・。

「アリスが嫌いなわけじゃないんだ。今でもちゃんと好きだよ」
 目の前の青年は、静かにそう切り出した。
「何が悪いとかでもないんだ」
 眩暈がする。
「君は君で・・・・・君を一番に愛してくれる人と幸せになった方が良いと、そう思ったんだよ」
 そして、それは僕じゃないんだ。

 何故罵倒してくれないのだろう。
 どうしてここで優しくするのだろう。
 お前なんかタイプじゃ無かったと、言えばいいのに。
 やっぱり姉さんの方が美人でいろいろ楽しめそうだと、哂いながら言えばいいじゃない。

 なのになんでそんな事をいうの?

 どんなに言葉を取り繕っても、あなたの言葉の意味は変わらない。

 おまえじゃない。

 その真実は変わらないのに。

 鳩が三時を告げて鳴く。
 アリスは我に返った。
 彼は優しい。優しいがゆえに残酷だ。一刀両断で切り捨ててしまわずに、どうにかこうにか緩やかに朽ちていく方向で話を進めている。
 それは誰の為?
「私じゃない?」
 強張った声でそう尋ねると、彼は驚いたような顔をして、それから「楽しかったよ」と答えた。



 雨が降っていた。

 窓辺に飾られた薔薇の花が、ひらりと花弁を落す。滝の様に流れて落ちていく雫を見詰め、ロリーナはベッドに横たわったまま両手を握りしめた。
 このまま終わってしまうのが酷く悲しい。でも、ロリーナはアリスを繋ぐだけ繋いで傷つけた。
 もっと早く手を離せば良かったのに、可愛くて縛りつけた。
「アリス・・・・・」
 愛していると、暴風に渦巻く心の中で叫んでも、それは反響し、残響を残し、空しく落ちていく。
「アリス・・・・・」
 ただ名前を呼ぶことしか出来ない。



 雨が降っている。

 その中を、アリスは今直ぐ死にそうな程青ざめて歩いていた。傘もささず、ずぶ濡れになりながら。
 ここで大声を上げて泣けば、何かが変わるのだろうか。でも、何に対して泣けばいい?
 彼は最後まで紳士的だった。楽しかったと言ってくれた。きっといい思い出になる。僕は君を忘れないよ。

 ふざけるな。

 暴風の渦巻く心の中で、アリスは喚く。
 そんなもの、何の役にも立たないじゃないか。
 綺麗な思い出?綺麗な思い出ってなんだ?

 所詮思い出。
 真実でも現実でもない。

「所詮・・・・・こんなものよね」

 乾いた声が呟き、見開いた眼から涙が零れ落ちる。
 私はきっと、誰からも愛されない。




 姉が入院し、看病に通う。彼女の周りにはいつも美しい人たちが群がって、美しい人の悲劇を悲しんでいる。
 人の輪が苦手なアリスは、愛想笑いを張りつかせ、適当に相槌を打ちながら、美しい真紅の薔薇の花瓶を取り上げた。水を変えに行くと、廊下の向こうから声が聞こえた。

「どうしてロリーナなの」
「・・・・・・・・・・」
「どうして?どうして彼女が死ななくちゃならないのよ」
 彼女には、もっと明るい未来があって良いじゃない。
「おい、声が大きいよ」
 宥める声に逆らう様に、叫ぶ女性は声を荒げる。
「だって彼女、ずっと妹の面倒を見て、あの歳でなんにも楽しい事も経験して無くて。可愛そうじゃない」
 それにあのアリスって子!ずっと人を馬鹿にしたような目で見てたわ!!

 ぎょっとしてアリスは花瓶を落しそうになった。そんなことはない。多分ない。多分・・・・・
 ゆっくりと血の気が引く彼女に気付かず、声は更に大きく、金切り声に近くなる。

「あんな可愛くない子が残ってどうしてロリーナが死ぬの!逆でしょう普通!!!」
 その後は、声にならない嗚咽が響き、アリスは青ざめたまま、黙ってその場に立ちつくした。ひらり、と花瓶の薔薇が、花弁を落す。それを拾い上げて、アリスはくっつけようとした。
 咲き誇る赤い薔薇に、押しつける。
 くっつけ。
 くっついて。
 お願いだから。

 押しつける度に、違う花弁が落ちる。拾って押しつける。落ちる。枯れる。消える。

「どうして戻らないの・・・・・」
 戻ってよ。また美しく咲いてよ。なんでなんでなんで。

 しゃがみこみ、アリスは叫びたい口を塞ぎ、零れそうな涙を散らし、震える身体を折りたたんで堪えた。



 土砂降りの雨が降る。
 力一杯降り注ぐ。
 傘も無く、ロリーナの墓石の前で呆然と立ち尽くす、かつての恋人の、震える肩にアリスは何も言えなかった。
 彼はロリーナを愛していたのだ。
 その深さに、胸を貫かれ、痛みが走る。
 まざまざとそれを見せつけられたそれに、アリスは何も言えなかった。

「私が・・・・・」

 いなくなればよかった。

 震える声で呟いたアリスのそれは、叩きつけるような雨音に飲み込まれて誰にも届かなかった。




「・・・・・アリス」
 のろのろと視線を上げると、ブラッドの碧の瞳にぶつかった。彼は愛おしそうに彼女の頬を撫でている。
「どんな言葉も、今の私には相応しくない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 視線を泳がせるアリスに、ブラッドは低い声で続けた。
「君は知ってるんだろう?どんなに飾り立て、どんなに取り繕っても、そこにある本質は変わりはしないのだと」
 ならば、どんな言葉も、私の気持ちを代弁するに値しないよ。
「じゃあどうやって判りあえと言うの?」
 固い声音で告げるアリスに、ブラッドはキスをする。
「こんなんじゃ判らないわ」
「ではもっと?」
「違う!」
 かあっと赤くなるアリスを捕えて囲み、キスをする。徐々に深く深く、喰らう様に。
 吐息を奪われて苦しい。拘束するような我儘なそれに、アリスはぐったりと力が抜けるのを感じた。
「言葉は時計のように、君を縛る」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「曖昧で、無限の可能性を持つものを、切り刻んで型に嵌める」
「それでも欲しいわ」

 食い下がるアリスの、濡れた眼差しにブラッドは笑みを深くした。

「いいのかな?」
「いいわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 くすくすと笑いながら、ブラッドはアリスの耳元に唇を押しあてた。
「あいしてる。だから、君はここに居なくてはならない」
 どこかに行くことも、消えることも、私以外を愛することも許さない。

 滔々と宣言される、その甘い呪縛に、アリスはふるっと身体を震わせた。

「そうだな・・・・・取り敢えず夜の時間帯は全て私の所に来なさい。お茶会も呼ばれたら必ず参加。仕事も私の命令が最優先だ。他の領地に行っても構わないが、特定の役持ちと頻繁に交流をする場合は、私にも考えが有る。約束を違えた場合、それなりの制裁を受けてもらうが、拒否権は君には無いよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 甘美なる震えから、恐怖、そして怒りに身体を震わせて「ちょっと!」とアリスは声を張り上げた。
「なんなのそれ!?」
「この私に『あいしてる』などと言わせたんだ。これくらいの条件など当然だろう」
「要求が高度過ぎるわよ!ていうか、私に自由が無いじゃない」
「あるわけがないだろう、アリス」
 断言されて、彼女はひきっと固まった。

 自分を組み敷いている男が、にっと哂う。

「君を縛ると判っていて、言葉が欲しいと言ったのは、なによりも君自身だろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私は君が欲しいんだよ、アリス」


 アリスを繋いでいた鎖は、ゆっくりとほどけて異質な日常に溶けていく。
 扉を開けて、踏み込んだアリスを待っていたのは、いかれた帽子屋。彼は、アリスを繋いでいた絆を全て断ち切り、手を広げてアリスを絡め取る。

 どんなに言葉を重ねても、美辞麗句を連ねても、アリスの本音は変わらない。
 声を枯らして叫ぶ。

「さあ、次は君の番だよ、アリス」

 さようなら、あいしたひとたち。
 これで、おしまい。

「君はどうなのかな?」

 促すブラッドが、アリスを抱きしめる。柔らかなベッドの上。シーツの海。ちくたくと刻む時計の音に目を閉じて、アリスはゆっくりと口を開いた。


 おしまい。


「あいしてるわ、ブラッド」

 告げられた告白は、ブラッドの優しすぎる口付けに溶けて行った。


















 某ルカのJust be friendsイメージです。あの歌でまっどを作ろうとして挫折した名残ですスイマセン
 

(2011/06/19)

designed by SPICA