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 空の瓶の契約書








 どこがいいのか、まるで理解できないな。


 そう言われて、アリスはもちろん反論する。貴方とは正反対で、誠実で優しくて、真面目で、大人っぽくて。

 言い募るアリスの台詞を、ブラッドは紅茶を一口飲んで吐き出した溜息で遮った。

「どこがいいんだ、そんな詰まらない男」
「詰まらなくなんか無いわ」
「では趣味が悪い」
「・・・・・紅茶狂いの貴方に言われたくないわね」

 ふいっとそっぽを向くと、アリスは用意されていたモンブランにフォークを突き立てた。

 細かに砕けたガラスのように、ちらちらと光を放つ星が濃紺の空を覆い尽くす、月の無い夜の出来事だ。

「ふうん・・・・・で、そいつの趣味は?」
「・・・・・・・・・・え?」

 喉がひりつく様な甘さを口一杯に取りこんだアリスが、微かに目を見張った。目の前で紅茶のカップを傾ける男はどうという事の無い、普段通り、やる気の無いだるそうな眼差しでこちらを見ていた。

 趣味?
 先生の?

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 口一杯の甘さを、手を伸ばしたダージリンで流し込む。ブラッドが眉間に皺を寄せるのが見えた。
「君は紅茶を何だと思ってるんだ?」
「紅茶は紅茶よ。飲み物でしょう」
「・・・・・お嬢さん」
 今の今までだるそうだった男の眼差しに、剣呑な色が浮かぶ。凄まれて、アリスの背中にひやりと冷たいものが走る。たかが紅茶。されど紅茶。
「いいか、紅茶と言う物はだな」

 以降、紅茶が趣味の男の口から滔々と紅茶をたたえる言葉が零れ落ち、それを向かいの席に付いているアリスは適当に聞き流していく。しゃべり出したら止まらない。止まらないが、一人でしゃべっている感があるので、周囲は置いてけぼりになる。そして、彼に心酔しているウサギならいざ知らず、他の人間は置いて行かれても別に構わないので、聞き流す率が高くなる始末だ。

(趣味か・・・・・なんだったんだろ)

 両手で囲むようにして持ち上げたカップの、凪いだ水面を眺めながら、アリスはそこに反転して映るアリスに苦く笑った。
 彼はいつでもにこにこ笑って、アリスの話を聞いてくれた。
 どんな事が有ったのか。何が楽しかったのか。それについてどう思ったのか。

 話を続けるアリスに、優しく相槌を打って、それから優しく話を促して。時折自分の意見を交えて。
 そうやってアリスの話を聞いてくれた。

 勉強、本、近所で評判のお菓子、友達、家族、姉妹・・・・・。

(彼が何かに興奮して、これは素晴らしいものだった、なんて話してくれた事、無かったな・・・・・)

 何かあったのかい?アリス
 話してくれるかな?
 そう、そうだったんだ・・・・・
 へぇ・・・・・面白そうだね
 ふーん
 本当
 うん


「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・確かにお嬢さんが紅茶に興味を示してくれるのは嬉しいが」

 深い飴色の水面に映った自分に視線を合わせ、黙った彼女にブラッドの冷ややかな声が注いだ。
 はっと背筋をただすと、何故か砂糖の瓶を片手で持ち上げ、もう片手に持ったティースプーンで指示した格好のブラッドが、不機嫌そうにこちらを見ていた。

「砂糖と言う物がどれだけ不純な物質なのか、ていう話だったかしら」
 丁寧にカップを置いてそう言えば面白くなさそうにブラッドが眉を寄せた。
「君は器用だな」
 そうやって、言い寄る男共をあしらってきたわけか。

 ぽい、と砂糖の瓶を庭先に放り出す。暗がりに砂糖瓶は落ちて、空にある星と同じように砕けた。

「別にそんなつもりはないわ」
「どうかな?私を前にして上の空。他の男の事を考えながら、更に私の話を聞いている振りが出来るとは大したものだ」
「ちゃんと聞いてたわよ」
「確かに、砂糖がいかに不純な物質なのかの話をしてはいた。だが、君は明らかに私の話を聞いては居なかっただろう」
「なんで言い切るのよ」

 実際は聞き流していた。ただ、後が面倒だから、要所要所だけは脳裏に留めておいただけだ。だが、言い切られると反発したくなる。
 澄ました顔で返せば、ブラッドはくっと可笑しそうに口の端を上げた。

「紅茶本来の甘さや美味さを、ただの甘味が塗りつぶすのが我慢ならない、という話を確かに私はしていた。だが、その後に、そんな甘さでも君には必要だと思う時があるんだがね、と続けたんだが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「君が熱心に覗き込んでいる、そのカップに一体どれだけの砂糖を継ぎ足せば、君は私に意識を向けてくれるのかと、そう言って砂糖ポッドを取り上げたのだが・・・・・それすらも君は無視するわけだ」
 くっくっく、と肩を震わせて笑う男は、無視されて不機嫌になっている様子ではない。

 面白そうにアリスを見詰める碧の瞳には物騒な色が浮かんでいた。

「甘ったるい私、なんか私じゃないわ」
「ま、そうだろうね」

 椅子に座り直し、ブラッドは手にしていた銀の上等なティースプーンも後ろに放る。庭に設えられた電燈の灯を受けて、きらりと輝いたそれが、流星のように落ちる。

「だが見てみたい気もする」
「人工的な甘さでも?」
「人工的な甘さを知ってる人間も居るのだろう?」

 白いクロスが敷かれたテーブルに両肘を突き、付き合わせた指の上に顎を乗せて、ブラッドは目を細める。相変わらずにやにやと笑っている。微かに不機嫌な色が見え隠れするのに、アリスは再びフォークでモンブランを突いた。

「貴方の言う通りよ。砂糖は不純物だわ」
 不必要よ。

 頬張ったその甘さは、ブラッドがお茶会用に選んだモノだけあって上品な筈なのに、安っぽいクリームのような甘さしか口に広がらない。
 素っ気なく答えるアリスに、「今でこそ私は、紅茶はストレートに限ると言っているが、それはなにも、飲まず嫌いだからではない」と男は静かに切り出した。
「ありとあらゆるブレンドと、それに合う物を探してそれなりに冒険もしてみた。信じられないだろうが、にんじんペーストも、一度だけ試した事が有る」
「・・・・・・・・・・・・・・・何事もやってみてから、って事かしら」
「怖がって手を出さないなんて、面白くも無いだろう?」
 全部吐き出したがな。

 それすら楽しそうに言うブラッドに、アリスはフォークを握りしめた。

「面白くなくていいのよ。凡庸で結構」
「私は・・・・・べたべたに甘い君が見てみたい」
「悪趣味」
「知っている」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 もう一度、モンブランを頬張って、アリスは必死にそれを飲み込もうとする。
 その様子に、ブラッドは溜息をつくと、傍にあったカップを億劫そうに取り上げた。





(甘ったるい・・・・・)
 胸やけがする。あんなに沢山、ケーキを頬張るからだと、そう思うが、自室のベッドにひっくりかえったアリスは、苦く笑って目を閉じた。

 ブラッドが指摘した「人工甘味」。それを標準装備していた頃を思い出す。恋をしていたアリスはさぞや甘くて、うっとおしくて、胃もたれするくらい重たかった事だろう。
 喜んでもらいたくて、色々やった。
 プレゼントとか、手作りのお菓子とか。どこかに一緒に出掛けようとか、毎日毎日顔を見たいとか。

 甘えて困らせるのはいけない気がして、気を遣いながらそれでも、浮かれて有頂天で。

(ウザイ・・・・・)
 好きでもない女に、そんな風に尽くされて、嬉しい男などいないだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 あの・・・・・先生。私・・・・・先生の事が好きなんです。


 思い出しても滑稽だ。その時の自分に言ってやりたい。
 何を血迷った事を言っているんだと。

「馬鹿よね」
 恋をしたら馬鹿になる。本当にその通りだ。

 のろのろと手を伸ばして枕を掴み、アリスはそれを抱きしめた。それと同時に控えめなノックの音がして、彼女は緩く身体を起こしそっとドアを開けた。





 ガラス瓶にぎっしり詰まっているのは、色とりどりの飴玉。
 どうしたのそれ、なんなのそれ、いいね、お姉さん。
 口々に囃したてて足元をうろちょろする双子の口に、飴玉を放り込む。子供たちはありがとーと、嬉しそうに笑い、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぎながら廊下を走っていく。
 唐突にどうしたのかと思えば、後ろからエリオットが走ってくるのが見え、彼らは仕事をさぼって逃亡中なのだと気付いた。
 そんな三人組を見送り、アリスは溜息を吐いた。

「やあ、お嬢さん。ご機嫌いかがかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 日差しが斜めに差し込む帽子屋屋敷の廊下。昼だと言うのにふらりと現れた男はすこぶる上機嫌だった。

 ふと、彼から香った甘やかな香りに、アリスはばれない程度にこっそり顔をしかめた。つい先ほど、時間帯が変わった。その前までは確か夜だった筈だ。

(エリオットが言ってたっけ・・・・・ブラッドと関係を持ちたがる女性は口々に報われなくても良い、って言うって)
 不毛だわ。

「貴方は珍しく、良い香りがして機嫌がよさそうね」
 嫌味を込めて、笑顔で返せば、ブラッドが意外そうに眉を上げた。それからにたりと意地悪く笑う。
「そうか?・・・・・まあ、確かに機嫌は良いな。昼だと言うのに、ね」
 そのままゆっくりと手を伸ばし、男はアリスが抱えている瓶の蓋に指を滑らせる。
「私にも一つくれないか?」
「ご自由にどうぞ」
「釣れないな」
 子供達にはその可憐な指で、更に口に入れてあげたというのに。

 文句を言いながらも、男は勝手に蓋を持ち上げて、中の一つを取り出した。

「アリス」
「何」
 その動きを目で追っていたアリスは、唐突にその飴を唇に押し当てられて目を見張った。促す様な仕草に、小さく口を開けて受け入れれば、ブラッドの指先が唇に触れ、そのまま顎を持ち上げられた。

「ちょ」
 人差し指が、アリスの唇を撫でる。
「これで多少は甘くなった、かな?」
 覗き込むように顔を寄せられて、アリスは慌ててブラッドの手首を掴んだ。
「セクハラ」
 思わず睨みつければ、掴まれた手を振りほどくでもなく、顎に掛けた親指で肌を撫でながら、ブラッドは肩を震わせて笑った。
「おやおや、甘い言葉は期待できそうにないな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 胸やけしそうだと、ベッドに倒れていたアリスの元に届けられたのは、ブラッドからの贈り物。中身はガラス瓶一杯のカラフルな飴玉。これでも食べれば少しは甘さが備わるだろうと手紙が付いていて、アリスはこめかみを引きつらせたのだ。

 無言で睨みつければ、ブラッドは肩をすくめて彼女の顎から手を引いた。
 間近に見詰められて、跳ね続けていた心臓を宥めるように深呼吸を繰り返す。舌に甘い飴玉を噛んでしまおうかと考えていると、不意に背を屈めたブラッドの唇が、彼女の細い首筋に吸いついた。

 ぞわっと背筋に寒気が走り、彼女は全ての毛を逆立てたネコのように彼の肩を押し、首筋を抑えて飛びずさった。

 頬に熱が集まる。
 この男相手に、過剰反応は良くない。こんな態度をとれば、何をされるか分かったものじゃない。
 頭ではそう、弾きだせるのに、止まらない。

 びっくりしたようにこちらを見詰めるアリスに、ブラッドはちょっとだけ目を見張るとにたりと笑った。

「驚くほど、可愛らしい反応だな」
「う・・・・・うるさい」
 悪態も可愛らしい。

 駄目だ。まともに相手をしてはいけない。もっと冷静にならなくちゃ。

 じりっと距離を取るアリスに、ブラッドがゆっくりと近づいた。

「君の恋人は、君に触れなかったのかな?」
「・・・・・・・・・・だったらなんだって?」
「おや、本当に触れなかったのか」
「触れたわよ」
 そりゃもう、色々したわ。

 嘘だ。
 虚勢だ。

 でも、そう言わなければならない気がして、アリスは必死に言い募る。頼むから近づかないでほしい。だが、ゆっくりと目を細めた男は、見つけた獲物をいたぶるのが楽しくて仕様が無い様子で迫ってくる。

「色々ねぇ・・・・・私相手にも試してもらいたいものだ」
「冗談言わないで。そんな・・・・・普段とは違う香りがする人と何をしようって言うのよ」
「・・・・・・・・・・」
 思わずそっぽを向いて告げれば、ぴたりとブラッドの動きが止まる。
「気になるか?」
 底意地の悪い質問だ。アリスは己の手を握りしめた。

 気にならない。
 気になるわけがない。
 この人はただの家主で雇い主で、アリスの上司にしか過ぎない。

 アリスの様な見習いメイドが、屋敷の主の友好関係に口出しなど出来る筈がない。

「貴方が誰と付き合おうが関係ないわ。貴方こそ、私になんかちょっかいを出さないで頂戴。面倒はごめんなの」
「だが、私は、私に甘える君が見てみたい」
 とん、と背中が壁に当たる。両腕に挟まれて、彼を見上げる羽目になったアリスは、唇を噛んだ。
「理解に苦しむわ」
 何の香りの香水だろうか。こんな香りが衣服に付く事を許す相手が居る癖に、何故アリスに甘い言葉を望むのか。皆目見当もつかない。
 男の考える事は分からない。

「理解など望まない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私は私のしたい事がしたいんだよ」
 私に懇願する君が見たい。

 ただ見下ろす碧の瞳の、そこにある物騒な色に、アリスは眩暈がした。何を言っても無理なら、甘い台詞の一つくらい囁いてやって、この場を切り抜ければいい筈だ。

 適当にあしらえばいい。

 紅茶を語る彼と同じ。
 彼は彼の言いたい事しか言わない。

(適当に・・・・・)

 見上げるブラッドの眼差しに吸い寄せられる。綺麗な碧の瞳。見下ろす彼は、笑っている。
 不思議と、怖くも意地悪くも見えなかった。

「ブラッド・・・・・」
「アリス」

 彼の手が、アリスの頬に掛る髪をゆっくりと払い、耳に掛ける。微かに濡れて、開いた唇に触れる様に背を屈めた瞬間、廊下に銃声が響き渡った。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ブラッドの言いつけがどうの。お姉さんのパイがどうの。ぎゃあぎゃあわめく声がそれに被って響き、ついで剣戟の音が鳴り響く。

 キスを強請るように、上がり掛った踵を下ろし、アリスは素早くブラッドの腕の下から逃れた。

「貴方こそ」
 一歩踏み出すブラッドに、振り返ったアリスは抱えていた飴の瓶を押しつける。
「貴方こそ・・・・・もっと甘くなるべきだわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「それ、一瓶カラにしたら考えてあげる」

 言い捨てて、アリスはダッシュでその場を後にした。顔が熱い。多分真っ赤だ。何をやっているんだとそう思うが、逃げるのに精一杯。

 ばたばたと靴音高く遠ざかるアリスを見送り、ブラッドは押し付けられた飴の瓶に知らず知らずに笑みを零した。

「なるほど・・・・・愛を見せろとそう言う事か」



 瓶の中身は、アリスに会う度に減っていく。ブラッドがそれ以外では食べず、アリスに会う時にだけ口にするのだ。
 最初は気にしていなかったが、徐々に減る中身にアリスは気付いた。

 これを食べ終わったら、契約は成り立つ。

「やっぱり返して」
 彼女がブラッドの手から瓶を取り返す事に思い至ったのは、中身がほぼ空になった頃。



 その目の前で、ブラッドは中身を全部口に放りこんだ。

 逃げ出すアリスを追い掛けて、押し倒した先に降り注いだキスの雨はどこまでもどこまでも甘かった。











 弱虫モンブランからインスパイア><

 歌詞がアリスっぽいなと思ったものでつい・・・・・

(2011/04/15)

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