Alice In WWW

 彼女のそんな態度が可愛らしく、最上級に好ましいとそう思いながら





 嫌いなものを上げよ、と言われたならば、彼は即答するだろう。

 昼間・喧騒・にんじん・コーヒーと。

「君は・・・・・私の事を分かっていると言ってなかったかな?アリス」
 本来であれば、静かな怒りをたたえた碧の瞳に射すくめられて、身動きが取れなくなるであろうアリスは、威力の半減しているその台詞に「まあそうね」とぼんやりと答えた。
「分かっていて連れてくるとは・・・・・そうか、今回はそう言う趣向か」
「・・・・・・・・・・勝手に納得しないでくれる?」
「では、どうやってこの状況を飲み込めと?」
 君が私の事を知っていて、こんな状況に追い込んでいると言う事はそう言う事だろう?
 ちら、と碧の瞳がアリスに降り注ぎ、彼女は痛む額を抑えた。

 現在、アリスと彼女の恋人なんだか愛人なんだか、家主なんだか上司なんだか・・・・・とにかくアリスと最も関係の深い男はぎらぎらと暴力的な日の光が降り注ぐ、空気一杯に歓声が溢れかえる、騒々しくも楽しく、賑やかな場所に居た。

「ゴーランドからの招待を受けたから、でしょう?」
 断じて私の所為じゃないわ。
 きっぱりと言い切る。そうでないと、どんな因縁をつけられるか分かった物ではない。

 まあ、言った所で、因縁はつけられそうだが。

「私はな、お嬢さん。この招待を受ける気はさらさらなかったんだよ?どんなに有益な取引が待っていようとも、ジョーカーの所為で夏になどなった遊園地に、この私が直々に出向くなんて死んでもごめんだ」
「ならなんで来たのよ・・・・・」
 今回の招待は、別にルールに則った物ではない。来たければ行けば良いし、行きたくないなら行かなくて良い。そんな感じのものだった。
 だから、即答で行かない、と答えるブラッドは、予想が付いた。断るだろう事を見越して、話を持ちかけたのだ。

「ほー・・・・・それをこの私に聞くのか」
 目に痛い青空を見上げて、忌々しそうにしていたブラッドが、絶対零度の視線をアリスに落とした。
「君は、この私にプールに行かないかと言ったな?夏になった遊園地が、新たな流れるプールだか何だかを作って、その招待状が来たから、と」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 誘ったのは、言わば保険だ。
 ブラッドがこんな催し物の誘いに乗るわけがない。エリオットがにんじん料理を断るくらいあり得ない。
 火を見るよりも明らかな事を、あえてしたのは、ブラッドに後々煩く言われないため。
 だから、「行かない」と一刀両断された後、アリスはごくごく自然な調子で、「じゃあ、エリオットとディーとダムと出掛けてくるわね」とさらりと答えたのだ。

 どれくらい「さらり」と言ったかと言うと、赤いソファに座り、書類片手に紅茶を飲んでいたブラッドが思わず「そうしなさい」と答えるくらい「さらり」とした物言いだった。
 何も含む所なんかない、日常会話の一端。

 これで、一番厄介な人からの許しを得た。じゃあ、行ってくるわね、と平坦な調子で告げて、逸る足取りを必死に抑えてブラッドの私室を出ようとした所で、彼の聡明な頭脳がようやく起動した。

「私は別にエリオットや双子達と夏の遊園地に遊びに行くのは一向に構わない。だが、プールに入るのだけは許さない、と言ったのに、君は頑として聞き入れなかった」
「・・・・・なんでこの猛暑に、水に入るのを規制されなくちゃならないのよ」
「おや?これは知らなかったな。まさか君が、自分の素肌を他の男に晒して喜ぶ趣味が有ったとは」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 起動したブラッドの頭脳が弾き出した答えは、アリスが水着姿でエリオットや双子、その他諸々と関わり合いになる可能性の高さ、だった。

「おかしな言い方しないでくれる?」
 引きつるこめかみを押さえ、半眼でブラッドを見やれば、にっこりとしか形容の仕様が無い笑みを向けられた。
「では、どういう事なのだ?」
「普通でしょう!?プールに入ってるオンナノヒトを見てみなさいよ!皆水着姿で楽しそうじゃない!」
 現在、アリスとブラッドはプールの傍に有る芝生のパラソルの下に居た。
 二人とも、きちんと服を着て。
 流石に三十度を超える気温の為に、アリスは髪を結いあげているし、ブラッドは上着もベストも脱いでシャツの袖をまくり上げている。
「ああ、全くだ。女性の慎み深さはどこに行ってしまったのやら」
「・・・・・・・・・・・・・・・月夜の縁台で人にあんな事強いてる男が言う台詞かしらね」
「あれはあれで、そそられたな」
「〜〜〜〜〜」
 しれっと告げる男を、頬を赤くして目を吊り上げてアリスは睨みつける。
「別にプールに入るなと言ってるわけじゃないぞ、お嬢さん」
「言ってるじゃないの」
「他の男がいない状況なら、構わないぞ」
「無理に決まってるじゃない!」
「ほう?なら、諦めるんだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 プールに入る、入らない、水着になる、ならないの押し問答の末、ブラッドはアリスが自分の目の届かない所で何をしでかすか分からないから、と監視の為に付いてきたのだ。

 真昼間の、夏の太陽がぎらぎらと暴力的に輝く、喧騒ド真ん中の、遊園地のプールに。

 そして現在、アリスは、楽しそうに泳ぐエリオットや双子を横目にパラソルの下で不機嫌なマフィアのボスと二人並んで座っている。

 拷問だと言うのなら、これだってそうではないのだろうか。

 思い当たり、アリスの機嫌も低下して行く。
 しばし、二人の間に険悪な沈黙が落ち、我慢できなくなったアリスが立ちあがった。

「ここに居ても、何一つ有益な事も、生産性も無いわ」
「・・・・・・・・・・そうだな」
「ちょっと散歩に行ってくる」
「待ちなさい」
 日の下に繰り出すアリスと同じく、ブラッドも立ちあがる。空気が重く、照り返しが眩しい。
 また一度、ブラッドの機嫌が下がるが、彼女の居ない場所で一人、力なくひっくりかえっているのも意味が無いと判断し、彼はその、細い彼女の手首をつかんだ。
 そこで、少し気付く。

 掴んだ彼女の肌が熱い。

「・・・・・・・・・・・・・・・お嬢さん」
「なによ」
 睨む彼女の眼差しが微かに潤んでいるようで、ブラッドは溜息を吐くと「熱中症にでもなられたらかなわないからな」と苦々しく吐き出した。





 遊園地の中にある、ショッピングモール。そこの喫茶店に陣取り、涼しい空気にアリスはほっと息を吐いた。頼んだのはアイス・レモンティー。一口口にして、全身から力が抜けるような気がしてくる。
 さわさわと、心地良い風が開け放したガラス窓から吹き込み、近くにある木々の緑が目に優しかった。
 やっと心の刺が、多少、抜けて、アリスは向かいに座る男に目をやった。
 普段、余りだらしのない格好をしない彼は、珍しくワイシャツのボタンを大分下まで開けて、トレードマークの帽子を取っている。熱いらしく、手でぱたぱたと己を煽ぐ様子が珍しくて、ストローを咥えたまま、アリスはぼうっとそんなブラッドを見詰めてしまった。
 ぱちり、とその碧の瞳と目が合う。

 慌てて彼女はブラッドから視線を逸らした。

「多少は、機嫌が直ったようだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・貴方もね」
 アイスティー(ストレート)を口にするブラッドに言い返す。だるそうな溜息が耳に付いた。
「そんなに君はプールで泳ぎたかったのか?」
 水泳が趣味だとは知らなかったな。
 呆れた様な彼の口調に、「そうじゃないけど」とアリスはむきになる。
「折角季節が出来て、この世界で泳ぐなんてこと、そうそうないから、楽しそうだなって思ったのよ」
 ぎらぎら輝く太陽の下で、冷たい水を跳ね上げて遊ぶのは楽しそうじゃないか。
 そっぽを向いて答えるアリスに、「そうか?」とブラッドはあくまで詰まらなさそうだ。

 そう言う事を、ブラッドと楽しみたいと思っても、叶わないのだろうかと、アリスはほんの少し胸が痛んだ。

 エリオットとなら、きっと楽しめる。その他の皆とも。
 でも、ブラッドとはそういう・・・・・健全な日の光りの下で、皆で遊ぶような事は無理なのかもしれないと、今更ながらに思い知ったのだ。

(まあ・・・・・私もそれほどアクティブな方じゃないし・・・・・どっちかって言うとインドア派だから、別に良いんだけど)
 再び紅茶のストローを咥えて、彼女は溶けかけの氷に目をやった。

 それでも、楽しそうだな、と思う事は一緒に経験してみたい。
(って・・・・・それは私の我儘っていうか、押し付けにしかならないか・・・・・)
 ブラッドが楽しくないのに無理強いをするなんて、本末転倒だ。
 からからと、ストローで氷を混ぜながら、そんな事をぼんやり考えていると、不意に手袋をはめていないブラッドの掌が、アリスの額に押し付けられた。
「え?」
 びっくりして顔を上げれば、何かを思案するようなブラッドの表情にぶち当たる。
「な、なに?」
「いや・・・・・先程手を繋いだ時、随分と体温が高かったからな」
 熱中症かと思ったが、もう大丈夫なようだな。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 するっと彼の手が離れ、ややほっとしたようなマフィアのボスの様子に、アリスは目を丸くした。そのまま、気恥しくて下を向く。

 冷たいグラスを両手で持ち、ちびちびとアイスティーを啜りながら、ほんのちょっとの優しさで絆される自分も大概終わってると、頭を抱えたくなった。

「そうだな・・・・・水着は許容できないが」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 かたん、と椅子を引いて立ち上がるブラッドに、アリスが視線を上げる。その彼女に、男は手を差し伸べた。
「別の物なら、まあ、構わないか」
「?」





 普段のエプロンドレスは割としっかりした作りだったから、夏の炎天下では思った以上に暑かった。
 ふわりと風に、白いワンピースの裾が揺れる。肩と胸元が剥き出しだが、この程度は許容範囲なのか、ブラッドは楽しそうにしている。
「・・・・・なんだか、邪推しそうだけど、取り敢えずありがとう」
 近くの店で、裾に綺麗な刺繍の施されたワンピースを見立ててくれたのは、他でもないブラッドだ。お礼を伸べて振りかえれば、不意に手を伸ばされる。
 思わず身を固くすると、しゃらり、と涼しげな音を立てて、ひやりと首筋に何かが触れた。
「これ・・・・・」
「似合ってる」
 広く開いた胸元に揺れるのは、銀色のネックレスだった。小さな薔薇の飾りが付いているそれに、ちょっと目を見張ると、夏の炎天下に似合いそうもない、柔らかな表情をしたブラッドが居る。
「・・・・・・・・・・」
 普段は、贈ってもらった物を余り身につけたりしない。
 アリスなりのけじめと言うか、矜持と言うか、なんというか。
 でも今は素直に嬉しかった。

 普段とは違う場所に居るからだろうか。

 頬が熱くなる。
「さて、相変わらずの陽気だが・・・・・仕方ないから、お嬢さんに付き合うとして、何が見たい?」
 木陰から、相変わらずの真っ青な空を見上げて、うんざりしたように告げるブラッドに、そうね、とアリスは遊園地の案内板に視線を移した。
 一般の人が出入りできる場所は、恐らくどこも混んでいる。それならば、一般の人が立ち入れない場所が良いだろうかと考えて、敵対勢力のボスを、そんな場所に連れて行くのは、いくらなんでもゴーランドに申し訳が立たないと却下する。
 自然と浮かんだのは、この間夜店を二人で歩いた時に見た、屋台の傍を流れていた小川だった。

 泳ぐ、とまでは行かなくても足を浸すくらいは出来るだろう。

 そう言って、ブラッドのシャツを引っ張ろうとして、不意に彼がプールの有る方を見詰めているのに気付いた。
「どうかした?」
「・・・・・・・・・・いや・・・・・どうにも嫌な予感がすると言うか・・・・・」
「え?」
 その瞬間、軽やかなシロフォンの音と共に元気なアナウンスが流れた。


『ただ今から、流れるプールにおきまして、大津波アトラクションを開催いたしまーす!荒れ狂う大波が園内を大暴走☆ みなさん、心の準備はいいですかー!? それでは、イッツ・ア☆ショーターイム!!!』


「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
 大津波アトラクション?
 荒れ狂う大波が園内を大暴走??
「アリスっ!」

 その瞬間、アリスは見た。
 物凄い爆音と共に膨れ上がる巨大な水の塊を。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」

 キャー、なんて可愛らしい悲鳴では無く、ギャアアアア、という断末魔の叫びがこだまする。遊園地のコースターの、一番高い所にも届かん、と言うほどの波が目に見えて、アリスは目を白黒させた。

「ほ、ほほ、本気!?」
「腐っても、ゴーランドもこの国の住人だからなっ」
 切羽詰まったようにアリスの名を呼んだブラッドが、彼女の腕をとって抱きしめる。
「にげ」
「走って逃げられる速度じゃない」
「だ、だだ、だからって」
「大丈夫だ」

 アリスを片腕で抱え込み、持っていた杖を目の高さで水平に構える。

 徐々に迫ってくる巨大な波に反射的に目を瞑った瞬間、物凄い轟音と共に、アリスとブラッド・・・・・ひいては辺り一帯を凄いスピードの波が、たたきつけるようにして覆い尽くした。

「っ」

 息を止める。足元を水が渦を巻いて流れていくのを感じ、アリスは自分が溺れるのではないかと夢中でブラッドにしがみ付いた。
「アリス・・・・・」
 腕に抱いた細い肩が震えている。それを宥めるように撫でると、緩やかに彼女が顔を上げた。
「大丈夫だ」
 恐る恐る目を開けると、襲ってくる津波が、ブラッドの杖の先で弾かれてドーム状に二人の上を流れていくのが見えた。
 ところどころから水が零れ落ち、二人を濡らすが押し流す様な勢いはない。足元以外、濡れる気配の無いそれに、アリスは目を瞬いた。

「ブラッド・・・・・」
 いつもながら、どういう原理でこうなっているのか分からない。が、一つの領地を任される領主なだけは有る。
 正面は真っ白く渦巻く水で見通せない。頭上を滑って行く水も、大量で、太陽の光がゆらゆらと揺らいでいるのが見えた。

 水の底に居る様な奇妙な感覚に、しばし見惚れていると、不意にブラッドが呻くのが聞こえた。
 もしかして、かなりの集中力を要するのだろうか。
「だ、大丈夫なの?」
 どきりとして見上げれば、大量に押し寄せてくる水を裁く男が「だるい」と一言洩らした。
「ちょ、ちょっと?」
「ゴーランドの奴・・・・・もしかして、悪意を持ってやってるんじゃないだろうな?」
 声が冷えている。ぞく、と背筋に冷たいものが走るのを感じ、アリスはブラッドのシャツを握りしめる手に力を込めた。
「あ、あの・・・・・ブラッド?お、落ち付いて」
「ああ、面倒だ・・・・・」
 伏せられた眼差しに、凶悪な光が宿るのを見て、アリスはちょっと前に、氷で出来た迷路があるからと、ブラッドを夏の遊園地に誘った際に起きた参事を思い出した。

 すったもんだの挙句、迷路に閉じ込められたアリスを助けた男は、あろうことか氷の時間を「巻き戻し」て迷路を半壊させたのだ。

「これ全部巻き戻すつもりじゃないでしょうね!?」
 水蒸気にまで持って行くつもりか、と問いかけるアリスに「そんなだるい事はしない」とブラッドは鷹揚に微笑んだ。
 だが、いくらか頬が引きつっている。

「こういう・・・・・馬鹿騒ぎは、元を断たなくては意味がない」
「え?」

 低い声が耳元で囁き、はっと顔を上げると、ブラッドがゆっくりと杖を持ち上げ、勢いよく振りおろした。


 腹の底に響く様な空気の振動。それと同時に押し寄せていた津波が真っ二つに割れた。
「――――っ!!!!!」

 二人の両脇を、渦を巻いて水が流れていく。石畳の遊園地の通路が一直線に切り開かれ、プールのゲート付近に、元凶の姿を見出した。

「げっ」
 帽子屋、と叫ぶゴーランドは、プールの監視員よろしく、監視塔の上に陣取っていた。水を噴き出す装置が傍に有るのだろうか。なにか箱の様なものを持っている彼に、ブラッドは凄惨な笑みを見せた。
「やあ、ゴーランド・・・・・うちのお嬢さんにトンデモナイ歓待をしてくれたようで・・・・・お礼がしたいんだが構わないだろうか?」

 まってブラッド、とアリスが叫ぶより先に、彼の杖が光輝き、じゃきん、と音を立ててマシンガンのレバーが引かれた。






「・・・・・・・・・・・・・・・」
 流れる津波のプールの被害は甚大だった。最終的には撃ち合い、で終息したあと、アリスへのお詫びとしてチェシャ猫が持ってきたのは。

 はう、と溜息を吐くアリスの前で、楽しそうにブラッドが笑っている。

 場所は帽子屋領。季節は秋。
 秋と言えば食欲、芸術、そして運動。

 好ましいものを上げよと、と言われたならば彼は即答するだろう。

 夜、静寂、読書、紅茶と。

 ブラッド=デュプレの領土に、新たに出来たのはとある施設。

 ガラス張りの天井を見上げればきらきらと瞬く満天の星が見える。ゆらりと揺らめく水面は、水底から灯を当てているのか幻想的に輝いている。
 貸し切りのそこには、水の落ちる音しか聞こえない。

「ねえ・・・・・これはどういう趣向?」
 思わず問いかければ、遊泳施設を作り上げたうえで貸し切り、落ちている静寂に満足そうに笑う男が、ゆっくりと手を伸べた。
 後ろから抱きこまれるアリスは、フードの付いた上着を着ている。
 その下は、公爵さまから贈られて、チェシャ猫が持ってきた水着。
 結いあげた髪から覗く項に唇を寄せて、ブラッドは心から楽しそうに笑った。

「別に私は君の水着姿が見たくないわけじゃない」
「へー・・・・・」
 手が、彼女の上着を緩やかに辿っていく。
「他の連中に見せるのが、我慢ならないという話だよ」
「ふーん・・・・・」
「ただ、君が着ているのが他の男から贈られたものだというのが、少々気に入らないが」
 乾いた音を立てて、彼女の着ていた上着が落ちる。ゆっくりと振り返るアリスが着ているのは、セパレート式のもので、彼女は腰にパレオを巻いている。色はブルー。アリスのイメージカラーと言ったところか。
 首の後ろで揺れるリボンにブラッドはちょっと笑うと目を細めた。

 その視線に、アリスは両腕で身体を抱くようにして身をよじった。腰にはまだ、彼の腕が絡んでいるから逃れられないが、その視線は危ない。

「秋はスポーツの秋でしょう?」
「・・・・・まあ、そうかな」
 目の前の男は、足は素足だがシャツとスラックスで立っている。プールサイドに恐ろしく似合わない格好だが、アリスは警鐘が鳴り響くのを感じていた。
「貰ったものを有効活用すべきだ、なんて殊勝な事を言ってなかったかしら?」
「ああ、言ったよ」
 だから、有効活用しているじゃないか。

 にっと、笑みの形に引きあげられた唇に、アリスはなんとかしてそこから逃れようともがく。

「してないわよ」
 私、泳いでないもの。
「・・・・・・・・・・泳ぎたいのか?」
「水着を着てるんだもの、泳ぐでしょう」
 間違っても・・・・・間違っても、この男のいらない感情を刺激する為に着たわけじゃない。
 断じて違う。

 睨みあげるアリスに、男は妖しく笑うとすっと顔を寄せた。キスが落ちてくる、と反射的に目を瞑った所で、腰の辺りを抱いていた手が、するっと背中を辿り項のリボンを引っ張った。

「っ!?」

 ああもう、やっぱりこうなるのか。

 警鐘は今や、緊急を告げるべく、がんがんと鳴り響いている。こんな所で全部脱がされて変な事をされるのは駄目だろう。

(女性の慎みを気にしてなかったかしら、この男はっ!)
 く、と耳元で嗤われ、アリスは勢いよくブラッドの胸に手を付いた。胸元を覆っている布を、精一杯両手で押さえ、飛び退くように床を蹴る。

「っ」
 驚くブラッドを余所に、アリスは背中からプールに飛び込んだ。

「アリス!」
 もがくように足を動かし、片手で胸元を抑え、水を掻く。パニックになる前に、爪先が床に届き、彼女はようやく態勢を整えた。
 水音をたてて、水面に顔を出す。
 呆気にとられるブラッドが、天井から落ちてくる月明かりに見てとれて、顎を零れ落ちる水を拭い、呼吸を整えながら、アリスはゆっくりと微笑んだ。

「・・・・・・・・・・じゃ、泳いでくるから」

 肩まで水につかり、なんとかリボンを結びながら、アリスは楽しそうに笑った。
 ここまでくれば、ブラッドは追いかけてこれないだろう。不埒な考えでこんな事をする男なんて、精々待てばいいのだ。

 気が済むまで泳ごうと、いそいそと彼に背を向け、床を蹴って広いプールを泳ごうとしたその瞬間、認めたくない水音がして、アリスはその場に硬直した。

 ぎぎぃ、と軋んだ音を立てるようにして、恐る恐る振り返れば。

「このまま、引きさがると思ってるのかな、お嬢さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 プールに自ら飛び込んだ男は、髪から雫を零し、薄いシャツを肌にはりつかせ、認めたくないほど色っぽく、月明かりの下で笑む。
 濡れた髪を掻きあげる、綺麗な指先と、やや伏せられた碧の瞳に息が止まりそうになり、アリスは慌ててブラッドから視線をひっぺがした。

 まずい。
 心の底からまずい。

「逃がさないよ?アリス」

 その声を合図に、アリスは慌てて床を蹴り、必死になってブラッドから逃げようとする。追いかける男は、心から楽しそうだ。


 冷たい水の中で、鬼ごっこが始まる。

 時折飛沫を上げて牽制し、「来ないで!」という妙にか細い声がガラスの天井にこだまする。
 嬌声、にもにた歓声も、やがて、追いつかれ、アリスの手首をブラッドが掴んだ際に停止する。

 引き寄せ、間近で吐息が絡む。濡れた髪の張りつく、アリスの頬は冷たく、そこの指を這わせたブラッドは笑みを敷いた。

「遊園地で強いられた苦痛の対価を、今、ここで、払ってもらおうか?」
 反論するよりも先に、普段よりも、ずっと低い温度が、アリスの唇に触れる。薄く開いたそこになだれ込んでくる舌先は、表面温度とは違って熱く、甘ったるい。

 身体の芯から、熱がこみ上げて来て、それが水面に溶けていく。

 水音しかしないそこに、しばらく、二人の甘やかな口付の音だけがこだました。








「アリスー、またプール行かね?」
「お姉さん、一緒に夏に出掛けようよ」
「行かない」

 噴水の横で本を読んでいたアリスは、楽しそうに声を掛けてきたウサギの02と双子の門番に、即答した。

「えー・・・・・この間はすっげー乗り気だったじゃねぇか」
「行かないったら行かない」

 ほんのちょっとの為に、支払った代償が多すぎる。

 未だ身体に残る赤い痕に溜息を吐きながら「行きたければ三人でどうぞ」とアリスはだるそうに答えて、読んでいた本をぱたん、と閉じて億劫そうに立ちあがった。

(何が女性の慎みよ・・・・・あんな場所であんな事強いるような男に言われたくないわ)

 月明かりの下に見た男の様子に、不覚にも鼓動が倍増した事も、触れられた指先が冷たかったのに、徐々に熱くなっていった事も、なんとか忘れるようにして、アリスは再び溜息を吐く。

「何だ?夏には出掛けないのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ぶーぶー文句を垂れるエリオットと双子に被るように、だるそうな声がする。その中に、いささかからかう様な揶揄するような、含む所のある色を見つけて、アリスは振り返ると力一杯男を睨みあげた。

「ええ、しばらくは出掛けないわ」
 しばらくの部分を強調し、アリスはブラッドに背を向けて歩き出す。

「どうしたんだ、アリス・・・・・」
 何故か浮き輪を抱えるエリオットに、ブラッドは可笑しそうに笑った。

「さあって・・・・・ね?」























 というわけで、GWリクエスト企画より、疾人さまから

「ブラアリで、ジョーカーでプールイベがなかったので、プール絡みで何か。プールに入るボスとか想像つかないですけど、ロゼのサイトで水着が見たそうだったのにボスのルートではなかったので(笑)あと、甘は必須でお願いします。」

 と頂いたので!張り切ってこんな感じに(笑)

 ボスがプール入ってる辺りは、「乙女ゲー的スチル」をイメージしてみました(大笑)

 妙にお決まりエロシチュな感じになっておりますが(笑)楽しんでいただけましたら幸いですv

 どうでも良いが、私は遊園地を水浸しにしすぎじゃないだろうか(笑)


(2011/02/23)

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