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 もう本当に、あと少し






 チクリと胸に刺さった刺。それに気付いた時には、すでに遅かった。
 手遅れになる前に。
 己の中の何かが、崩壊してしまう前に。
 狂ってしまう前に。

(狂う?)

 狂うのを怖がるような人間ではない。自ら進んで、この狂った世界で狂った振りをしている。

 道化のような格好も、振る舞いも。一瞬で色褪せて、面白みも見出せない退屈な世界を、少しでも面白がれるようにと始めたものだったかもしれない。

 いかれ帽子屋。
 マッドハッター。

 気が違っている人間。

(それが、狂うのを怖がるとは、これはまた・・・・・)

 そう思わせる存在に、苦笑する。彼女にこれ以上触れれば、きっともっと自分は狂って行くだろう。
 でもそれでも構わないと、そうも思う。

 怖い以上に愉快だ。

「アリス」
 怯えたように、後ずさる彼女もまた、自分と同じ感情に支配されているのだろう。

 怖い。
 これ以上踏み込めば、きっと狂ってしまう。
 徐々に、蝕んでいく、感情。

「ゆっくりして行きなさい」
「ありがとう・・・・・ブラッド」

 日の光りの差す帽子屋屋敷の庭に、硝子戸から出ようとしていたアリス。彼女を双子が呼んでいる。そちらに駆けて行こうとする彼女の背には、警戒が浮かんでいた。

 当然だろう、と忌々しい日差しの下に出ていく彼女を見送って、ブラッドは皮肉気に口元をゆがめた。

 代わりが居ること。自分が死ねば、それだけだということ。何一つ残らない「ブラッド=デュプレ」という存在。
 自分に執着などしていなかったが、彼女が来てから多少狂ったようだ。

 誰かの代わりにされている。

 自分の元の恋人に似ている、とアリスは、夕景の林の中で漏らした。彼女が自分に注いでいた視線は、意外に心地よかった。
 代わりの居る存在。変えの利く自分。そんな自分を「唯一」と思っているかのような、熱っぽい視線。
 特別だと、思わない方がおかしいだろう。

 なのに、彼女は自分ではなく、自分を通して別の人間を見ていた。


 滑稽で愉快でそして・・・・・思った以上に腹立たしい。


 そして、驚いたのだ。彼女に愛されるのは、自分以外に有ってはならない。そんなあり得ない感情が膨らみ掛っている事に。

 だから苛立ち、彼女を追い詰め、その唇を奪ってみた。
 言い訳も、弁解も、他人への愛も聞く気はないと。

 裏切られた、とあからさまに訴える翡翠の瞳。
 青ざめた頬。

 それなのに、彼女の目許は紅く朱が掃かれていなかっただろうか。

 へたり込む女を滅茶苦茶に犯して、自分しか知らない彼女を引きずり出して、突き付ければ、彼女は折れるのだろうか。


 だが、そこまでせず、ブラッドはアリスから距離を取った。彼女を滅茶苦茶にした瞬間、己も滅茶苦茶になる気がしたからだ。

 唖然と見上げる彼女を置き去りに、ブラッドはその日、屋敷に戻った。
 多分、もう会いには来ない。
 来ればどうなるのか、賢い彼女が違える筈がない。

 なのに、何故?

「おかしな娘だ・・・・・」

 忌々しげに、日の光りに満ちた庭を見やり、ブラッドは小さく零す。全身で警戒するくせに、ここに来る。今日は双子に会いに来たらしいし、その前の夕方はエリオットと庭で昼寝をしていた。
 そのついでに、ブラッドの部屋に来て、本を借りて帰っていく。

(弄ばれているのか?)
 楽しそうに喉で笑い、この私を弄ぶとは、と目を細める。

 うろうろと、自分の部屋の前で足踏みをし、部屋を訪ねることなく遠のくアリスの足音に、ブラッドは気付いていた。そんなことが数度。あの夕景のキス以来あった。

「何を考えているのやら・・・・・」
 ああ、私と同じことを考えているのかな。


 彼女を滅茶苦茶に。逃げられないほど強くきつく、その身体に痕を刻んだとき、何かが起きるのだろうか。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 時間帯が変わるのを待つために、ブラッドは自室に戻る。閉め切った自室のソファに、上着もベストも脱いだラフな格好で横になり、彼は目を閉じた。
 もし、次の時間が夜で、彼女がまだ、この屋敷をうろついているならば。

 欲しい、という欲望に蓋をするのをやめる。

 彼の形の良い指先が、己の唇を撫で、唖然と見上げるアリスを、ブラッドは閉じた目蓋の裏に鮮明に描き出した。





「帽子屋」
「・・・・・・・・・・」
 ふっと意識が浮かび上がり、昼のような夜のような、不透明な光に満ちる世界に、自分が居るのに気付く。
 ゆっくりと首をめぐらせて、ブラッドはふわり、と浮かんでいる顔色の悪い男に目を細めた。
「どうだ?余所者と言うのは面白いだろう」
 君の興味を引くには十分だっただろう?

 にやりと笑う夢魔に、ブラッドはだるそうな視線を送る。

 漏れ聞こえてくる「殺す」という単語にナイトメアは額に汗を掻いた。

「い、いや・・・・・人の話は最後まで聞くものだ」
「何の用だ。眠ってまでお前のような奴と話をするのはだるい」
「そう言うな。・・・・・で、アリスの事だが、っておい!?」

 さっさとここを出ようとするように、掌を上に向ける。夢は確かに、ナイトメアの領域だが、これはブラッドが見ている夢だ。願えばそれなりに奇跡が起こせる。
 とっとと己の杖を召喚し、ブラッドはひたりとそれをナイトメアに向けた。

「おいー・・・・・物騒だぞ、帽子屋」
「煩い。お前に構っている暇はない」
「暇そうに寝ている癖に何を言う」
「引きこもりの芋虫に言われなくない」
 お前の部下がいっそ哀れだ。
「グレイは私を尊敬している!だから、哀れなどではない!・・・・・って、そういう話じゃない」

 ふわりと浮かびあがり、帽子の手前で彼は逆さまになった。そのまま、帽子の薔薇に触れる。

「アリスの事だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ペーター・ホワイトが気にしている余所者、アリス=リデル。彼女を導けるのは白ウサギだけだ」
「それがなんだ?」
 鋭い眼差しに、殺気が滲む。「怒るなよ」とふわりと回転し、ナイトメアはブラッドの後ろに立った。
「だが、彼には引き留められない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「彼の『時間』は・・・・・最も必要なのに最も必要じゃない『時間』だからだ」
 白ウサギがアリスを引きとめればきっと・・・・・アリスは『真実』に捕まってしまうだろう。
「だからなんだ?」

 肩越しに夢魔を振り返り、ブラッドは薄く笑った。

「好都合じゃないか。あんな電波な宰相閣下にアリスを渡すなんてふざけた真似をしなくて済む」
「お前はどうなんだ?帽子屋」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「お前は?アリスを引き留められるのか?」

 試すような口調に、苛立つ。躊躇いもなく、持っていた杖をマシンガンに変えると、反応の遅れた夢魔の額に押しつけた。
 慌てて、ナイトメアが手を上げる。

「ぼ、帽子屋!ぶ、武力はいかん!武力は!!」
 大体ここは私の領域で
「煩い」
 すっと瞳の温度を下げて、ブラッドは夢魔を睨んだ。
「アリスを手にするのは私だ」

 きっぱりと告げる彼の台詞には、ぶれも不安要素も見て取れない。心の中が見えるナイトメアは、珍しくブラッドが自分の内側を「見えやすく」しているのに苦笑した。

「彼女は頑固だよ?」
「知っている」
「・・・・・・・・・・瓶が、割れることはないのかもしれない」
「・・・・・そうかもな」
「・・・・・・・・・・ま、君なら強引になんとかしそうだがな」

 額に押しつけられている銃身を指で押しやり、ブラッドの横を通り過ぎながら、ナイトメアはふっと意味深に哂った。

「だから・・・・・お前には力を貸してやらないこともない」
「・・・・・・・・・・・・・・・お前は、私を利用していないか?」

 じろっと睨まれて、ナイトメアは大いに慌てた。

「そ、そんなことはないぞ!ないないない・・・・・た、多分・・・・・?」
 ふん、と鼻で笑い、ブラッドは彼に背を向ける。

 今は、放っておく。取り敢えず、自分の害になりそうもないから。

「お前・・・・・酷いな」
「お互い様だ」

 すっと目を閉じ、ナイトメアがまだ何か言いたそうなをすっかり遮断して、ブラッドは緩やかに目を開けた。
 目の前に広がるのは、自室の天井。
 いくらか苛立たしそうに溜息を吐いた瞬間、身に馴染んだ気配が、廊下からするのに、彼はふっと小さく笑った。

「どうやら・・・・・限界のようだな」









 ブラッドの部屋の前を行き来する。
 アリスは窓の外が夜であることを、また確認して、掌を握りしめた。
 何度か会って、普通通り接することが出来たと、自負している。だが、多分、自分の背中に滲んでいた警戒を、あの敏すぎる男は察していただろう。

(何を・・・・・)
 意識しているのだろう。

 アリスの指先が、自分の唇に触れる。そこに触れた熱量は、先生と交わした可愛らしい口付けとは百八十度違っていた。
 アリスの中の何もかもを覗き込んで蹂躙するような熱。連れ去り奪い取り、破壊するようなそれ。

 膝を抱えて蹲りそうな衝動に駆られ、アリスは両手をきつく握りしめた。


 これ以上触れてはいけない。

 そんな風に、警鐘が鳴り響いている。

 だが、でも、けど。

「訪ねて来てはくれないのか?」
 軋んだ音を立ててドアが開き、その前で黙考していたアリスは、唐突に振ってきた主の声に、はっと顔を上げた。

 今まで寝ていました、というようなスラックスにシャツ一枚の姿に、眩暈がする。
 そこだけ、夜の空気が濃厚になった気がして、咄嗟に彼女は一歩退いた。
 ドアにもたれかかる男が、だるそうな眼差しにアリスを映す。

 だが、そこに映る自分が異様にに小さく儚く見えたから、アリスは更に一歩退いた。

「尋ねようと思ったけれど・・・・・お邪魔そうだから、帰るわ」


 帰る。


「・・・・・・・・・・・・・・・別に邪魔ではないし、君からの訪問を無下にするつもりもないよ?」
 すっと細くなる碧の瞳。
 帰る、という単語に、明らかに気分を害しているのが見てとれて、アリスはこれ以上の接近は危険だと判断して、くるりと背を向けた。
「でも、いいの。大した用事じゃないし、また」
「また?」

 ゆらり、と空気が揺らぐ気がして、アリスは伸びた手を交わすように、咄嗟に走り出した。


 駄目だ。
 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。


 このまま彼に捕まれば、きっと後戻りできなくなる。帰れなくなる。

(私は帰るの・・・・・帰らなくちゃ・・・・・)
 なのに足は正門を向かない。深く深く、帽子屋屋敷の庭の奥へと進んでいく。
 月はない。
 空には星だけが光り、噴水から流れる水の音が、さらさらと辺りに満ちている。

 慌てに慌て、垣根を曲がったところで腕を取られた。

「っ」

 引き寄せられ、バランスを崩す身体を、後ろから抱きしめられる。
 乱れているのは、自分の呼吸だけ。
 彼の腕の下で、心臓が早鐘のように鳴っている。
 そんな己を閉じ込める男は、息一つ乱さず、ただ抱く腕に力を込めた。








 何も見えない。

 空には星。辺りには色とりどりのランタンが、ぼんやりと淡い光を放っているというのに。
 乱された服の中で、アリスはただ、自分と体温を分けている存在だけしか見えなかった。

 風も、空気も感じない。

 触れるのは、その男の熱量だけ。与えられる温度だけ。閉じ込められて、身動きが取れない。

 見上げる空はどこまでも広く、濃紺に星が散っているのに、それが降ってくるような気さえした。
 頭に血が上り、落ちてくるような、狭い空間しか感じない。

 身体から放出される熱と吐息だけが、アリスを現実に繋ぎとめる。

 胸が苦しい。

「・・・・・・・・・・窒息しそう」
 ぽつりと漏れたアリスの台詞はやや掠れていた。それに、彼女の体を蝕む熱の持ち主は可笑しそうに笑った。
 押さえつけていた手首を、力一杯握りしめる。
 苦しそうに、アリスの唇から吐息が漏れた。

「私もだよ」
 伏せって、彼女の耳元に唇を寄せる。
「君の中が良すぎて・・・・・我慢するのが苦しい」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 芝生に縫いとめていた手首に、力が籠った。

「それを言うなら・・・・・貴方に貫かれてる私の方が、苦しいわ」
「そうか?・・・・・割には随分と具合が良いが、気の所為か?」
「知らないわよ」

 そっぽを向く彼女の頬に、口付けを落とす。うっすら汗ばんだ肌が、気持ちいい。芳しい香りしかしない。

「やはり・・・・・君は余裕のようだな」
 徐々に身体は溶けていく。思考も何もかも飲み込んで。結合部が判らなくなる。混じり合い、音がする。
「余裕なんか・・・・・ないわよ・・・・・」
 窒息しそうだって言ってるでしょう?
「しゃべる余裕が有る」
「・・・・・・・・・・」

 それは貴方が加減をしているから。

 そんな台詞を、アリスは飲み込んだ。言えば、きっと帰れなくなる。

 ハジメテのアリスを大事にしていると、錯覚してしまうから。

「貴方もでしょう?」
 手慣れてらっしゃるわね。

 皮肉に皮肉で応じれば、微かに目を見張った男が、笑みを漏らした。

「そんなことはない。今だって、どうすれば君が私に溺れてくれるのか・・・・・どこをどうすれば、他の男を受け入れたいなどと二度と思わなくなるのか・・・・・必死に考えてる最中だよ?」
 低い声が耳を犯し、アリスの身体が震えた。可愛らしく反応する内部に、更に男は笑みを敷く。
「君を離さないためには・・・・・どうすればいいのか・・・・・」
「私は、私の好きなように行動するわ」
「それは私も一緒だ」

 鼓動が速度を増す。
 緩やかに貫かれているだけだったのに、急に翻弄され、意識が飛びかかる。
 声が、漏れる。

「私は・・・・・私のモノなの・・・・・」
「それを、私は望まない」
「んっ・・・・・」
「なあアリス・・・・・帰るなどと言うな」
「あ」

 乱れた服の下で、アリスの身体が溶けていく。力の抜けていく彼女を抱いて、ブラッドは口付けを繰り返した。

「君は私を狂わせる・・・・・もっとも退屈しない存在だよ」
「ブラッド・・・・・」

 その眼差しに映るのは、誰だ?

 開いた脚の先。深く身体を沈めながら、ブラッドはアリスの首筋に歯を立てた。







 身を起こし、身支度をしようとする彼女の腕を掴んで引き寄せる。
 ベッドに引き戻され、沈むアリスの細い身体。
 それを両腕に抱きこんで、ブラッドは彼女の首筋に唇を寄せた。

 紅い痣が華開いている。

 舌先で舐めていると、くすぐったいのか、腕の中の女が身じろいだ。

「いい加減にしてよ・・・・・」
 呆れたような彼女の台詞に、「何故?」とブラッドが笑いながら尋ねた。
「・・・・・・・・・・帰りたいの」
 零す彼女は、本当にそわそわと窓の方を見上げている。
 カーテンは閉じられていて、時間帯がいつか判らない。仕事があるの、と更に重ねるアリスに、ブラッドは「放っておけばいい」と素っ気なく答えた。
「そうもいかないのよ。そりゃ・・・・・私のしてる仕事なんて大した事ないかもしれないけど・・・・・でも、お世話になっているのだから、恩くらいは返したいわ」
「君の世話を出来る位置にいるだけで、連中は喜ぶべきだ」
 それに比べて、私は不幸だと思わないか?

 する、と彼の手が背中を撫で、ゆっくりと前に回る。膨らみを掌で包み込み、震えるアリスの眼差しを覗き込んだ。

「どうして貴方が不幸なのよ」
「君が来てくれないことには、こうも出来ない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 呆れるアリスに口付けて、ブラッドは緩やかに彼女を押し倒す。
「何時間、こうしてると思ってるのよ」
「さあ?・・・・・足りないことは確かだな」
「ヘンタイ」
 ぽつりと漏らすアリスの頬は紅く、ブラッドは愉しそうに目を細めた。
「おや?なんだかんだと付き合う君は違うのか?」

 本当に嫌なら、暴れてでも出ていけばいい。

「助けを呼んだらどうだ?」
 君の滞在地の人間が助けにくるかもしれないぞ?

「馬鹿言わないで」
 こんなところ、あの人たちに見せられるわけないじゃない。

「見せつければいい。君は私のモノで、本来ならば、余所の領地に居るべき存在ではないのだと」
「私は・・・・・」

 ここにとどまる気はない。

 きっぱりと告げることが出来なくなっている。でも、けじめは付けなくてはならないのだ。
 この人は私を愛しているわけじゃないのだから。

 ふっと陰るアリスの眼差しが、気に入らなくて、ブラッドは己の身体で彼女の身体に重しを掛ける。
 逃げられないように、腕を絡めて、鎖の代わりにする。

「何故君は、泣きそうな顔をする?」
 そっと言葉にしてぶつければ、はっとしたようにアリスが男を見上げた。見下ろす碧の瞳に、映っている自分。
「泣いてないわ」
「泣きそうだと、言っているんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 溢れそうな、彼女の涙。抱くほどに、たまに見せる彼女の泣きそうな表情に、ブラッドは困惑するしかなかった。
 手を伸ばして、抱きしめて、優しく優しく触れて行っても、彼女の泣きそうな顔は消えない。
 困惑した気持ちのまま、ブラッドは手を伸ばすと、そっと柔らかく彼女の目尻を拭う。それから、目を閉じて、軽いキスをあちこちに施した。

 自分で可笑しくなる。

 こんな風に、大切に抱いた女などいやしないし、こんなに長時間、腕に閉じ込めている女も居ない。

 帰ると言うこの女を、離したくない。他の奴の元に戻るなんて、どうかしているし、面白くない。

 アリスが、余所の滞在地で他の連中に、自分が見たこともない顔を見せているのだとしたら、気が狂いそうだった。

(もうすでに狂っているというのに・・・・・)
 更に更に狂わせる。
「泣くな」
「だから・・・・・泣いてないわ・・・・・」
「泣きそうになるのも駄目だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ここでは君は・・・・・幸せそうでなくてはならない」
「幸せなんかじゃないわ」

 零れるアリスの台詞に、ブラッドは意を得たと言わんばかりに笑んだ。

「では、ここに居れば・・・・・君を幸せにしてやろう。約束する」
 だから、帰るなど言うな。
「・・・・・馬鹿言わないで」

 かあっと頬を紅くする彼女を、ブラッドは閉じ込める。

「馬鹿な事じゃない。正直な気持ちだ」
「・・・・・・・・・・それ、どれくらい女の人に言ったのよ」
 はぐらかすような、そんなアリスの台詞に、ブラッドは口付けた。
 深い、キス。
「一人きりだ」
「・・・・・・・・・・」
「この私が、どうでもいい女に幸せにしよう、なんて言うと思うか?」
「・・・・・言ってるじゃない」

 これ以上、甘やかさないで。

 何かに怯えるように視線を逸らすアリスを、ブラッドは飽くことなく繰り返し抱きしめる。

「君はここに居ればいい」
「・・・・・・・・・・」
「私の・・・・・直ぐ傍に」

 イエス以外は聞かないと、彼女の口を塞いで、ブラッドはアリスの身体の表面に、中に痕を残していった。



 





「アリス」
 次は何時?どの時間帯?明確に言わなければ、離さない。
 そう言われて、彼女は毎回、次の約束をする。その度に、胸の中に溜まっていく感情に崩れそうになる。
 ようやく解放されて、二人で並んで屋敷の門まで来た。

 相変わらず門番の居ないその門に、手を掛けたところで、その手を取られた。

 持ち上げられ、左手の薬指に口付けられる。
 紅く、彼に噛みつかれた痕が、指輪のようにして残っていた。

「次に来る時は、覚悟して来なさい」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 持ち上げた腕の、柔らかな手首の裏に唇を寄せる。ちらりと、細い二の腕の裏に付いた痕が覗く。
 舌を這わせ、やがて彼女の指先を噛んでから、ブラッドは碧の瞳でアリスを見据えた。
「どこにも帰れなくするつもりだから、な」

 ぞく、とアリスの背中が震える。知らず、スカートのポケットに入っている小瓶に意識が行った。
 瓶の縁一杯にまで溜まった薬。
 それが何か判らないが、それが溜まるともう帰らなくてはならない。

「来なくても、無理やりなくせに」
 弱々しい台詞が、喉から漏れる。力ないアリスのそれに、ブラッドは嗤う。
「ああそうだ。だから・・・・・覚悟しなさい」
「そう、ね」

 覚悟。

 貴方から離れる覚悟を。

 目を伏せるアリスが、まだ、帰るのを諦めていないと知り、ブラッドは苛立つ。だが、それすらも、ブラッドの決意を固くする要素でしかなかった。


 逃がさない。

 絶対に、どこにもやらない。

 それでも逃げると言うのなら。

「君は勘違いをしているな」
「え?」
「覚悟とは、そんなに安っぽいモノじゃない。それこそ、己の全てを賭けてするものだ。無しか有りか。選択後にはそれしか存在しない。いいか、アリス。私はやると言ったらやる。欲しいものは絶対に逃がさない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「他のモノになるくらいなら」
 そっと手を伸ばして、ブラッドは彼女の首に両手を置いた。囲うようなそれに、アリスの目が見開かれる。
「そのまま殺して、私の腕の中で朽ちてもらう」

 狂っている。
 狂わされている。
 あなたに、わたしは。

「・・・・・・・・・・それが嫌なら、もう二度と、来ないことだ」
 今ここで、別れる覚悟を。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ここで、お別れ?
 そんなバカな。

「別れを言ったら、貴方は私を門から出すのかしら?」
 苦く笑うアリスに、ブラッドは笑みを敷いた。
「ああそれは、もちろん・・・・・ただではすまないな。命の保証は出来ないし・・・・・お薦めはしない」
「・・・・・・・・・・・・・・・帰るわ」

 微かに震えるアリスの台詞。口付けて、ブラッドは彼女の背を押した。

「君は甘い」
「え?」

 そっと門から外に出るアリスに、ブラッドは目を細めて宣言した。

「甘いよ、アリス・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」


 彼女はいまだに、帰れる気で居る。そして、最後の別れを言いに、彼女と約束した時に、この屋敷に来るのだろう。
 だが、甘い。
 甘すぎる。

 自分はもう覚悟をしている。

 誰に頭を下げようとも、誰かの協力を喜んで受け入れようとも、構わない。
 何を契約しようとも、だ。

 不利な状況も甘んじて受け入れる。



 アリスが、手に入るのなら。
 彼女が、自分の隣に居続けてくれるのなら。


(ナイトメア・・・・・)

 雑木林の小道に消える、アリスの背中を見詰めながら、ブラッドはゆっくりと名前を呼んだ。

 ふっと、景色が変わる。

「帽子屋・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・相変わらず、不景気な顔色だ」
「そういうお前も、随分焦っているようじゃないか」
「・・・・・・・・・・誰かのシナリオ通りに動かされるのは好きじゃない・・・・・が、いいだろう。乗ってやる」
 だが、代償はそれなりにつくぞ。

 にやりと笑う帽子屋に、企みが成功したと、夢魔は笑みを返した。



 もう少し。
 あと少し。

 アリスが、帰るでもなく、帰らなくちゃでもなく、帰れないでもなく、帰らなくていい、になるまで。
























 というわけで、30万打&GWリクエスト企画より、ユーリさまから

「ブラアリでアニバ設定の話をリクエストしたいです! ブラ→→←アリなのがいいです!!」

 と言うリクを頂いたので、ブラッド視点な感じで非滞在Ev07・08・14くらいの隙間産業をしてみたのですが・・・・・
 ど、どうでしょうか><
 エロ無し・・・・・と思ったのですが、なんとな〜く、びみょ〜に入っちゃったあれは別に・・・・・R指定するまでもない・・・・・ですよね?(と思う><)

 なんとなく心理描写ばっかりで動きがなかったのですが、楽しんでいただけましたら幸いです><
 ありがとうございましたv


 てか、ナイトメアともうちょっと絡ませたかったなぁ、というのが本音(笑)

(2010/07/12)

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