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 ウサギが好きな構成員が一人増えた瞬間だった




 ふっと窓の外の空模様が変わり、アリスは一体何時間帯目だろうかと、窓際に立ったままぼんやりと考えた。

「さっきは夕方で・・・・・その前は昼。その前が長い夕方で、夜、夜、夜・・・・・」

 覚えている限り振り返り、それからアリスはうんざりしたようにベッドに倒れ込んだ。


 アリスは現在、帽子屋屋敷の主の部屋に監禁されていた。

 帽子屋、ブラッド=デュプレの妻になって、まだほんのちょっと。式を挙げた次の、次の時間帯に、アリスは唐突にブラッドの部屋に押し込められて外に出してもらえないのだ。

 領地以外は問題外。庭はもちろん、部屋そのものから出してもらえない。

(何考えてるのかしら・・・・・あのロクデナシ・・・・・っ)


 最初の頃は苛々したし、頭に来てなんとかして部屋から抜け出してやろうと頑張った。
 だが、あの手この手、全ての手段を封じられ、アリスはいい加減参ってしまったのだ。

 加えて、新婚のアリスをほったらかして、ブラッドは帰って来ない。

 探し出して怒鳴りこんでやろうかと思ったのだが、こうも妨害されて、その気概も失せてしまったアリスは、その怒りの感情が徐々に違うベクトルに働いて行くのを感じていた。


 もしかして、結婚してしまった途端、アリスに興味が無くなってしまったのではないだろうか、と。

 ない、とは言い切れないのが、ブラッド=デュプレだ。

 男のベッドの上に寝っ転がって、アリスはうつらうつらしながら考える。



(もしかして・・・・・もしかして、ブラッド・・・・・今頃綺麗な女の人と一緒に食事とかしてたりして)

 彼女の脳裏にくっきりと美女と食事をするブラッドの姿が思い浮かんできた。


 二人でグラスを合わせて、ピアノから綺麗な音楽の流れるレストランで向かい合って座っている。
 会話は高度でお洒落で、ウエットに飛んでいて。
 飽きないな、と思わせる何かが女の方には有って、ブラッドもまんざらじゃなくて。

 それで、盛り上がった二人は、次に高級なクラブでしっとりお酒なんか嗜んじゃって。で、「私・・・・・なんだか今日は帰りたくないわ」とか言いだしちゃって。
 じゃあ、ってことで最高級ホテルのスウィートなんかに二人で出掛けちゃって。
「奥さまが待ってるんじゃないの?」
「いや・・・・・妻にしてみたが、やっぱり私の趣味は君のような賢い女性だよ」
「いやだわ・・・・・ブラッドさまったら・・・・・私・・・・・本気にしそう」
 なんて潤んだ目でブラッドを見上げてそれで――――
 

「って、何がブラッドさまったらだあああああっ!!!!!」


 自分の妄想に腹を立てて、アリスはがばっとベッドから起き上がると手元に有った枕を力一杯放り投げる。
 ぜいぜい、と肩で息をしながら、ふとアリスは己の姿を見下ろす。

 ブラッドが帰って来ない上に、部屋から出してもらえないのでやることが無く、寝っ転がるばかりだったので、服はしわしわになってしまっている。暴れた所為で髪の毛もぐちゃぐちゃ。なんだが肌の具合も良くない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 どっと疲れると同時に酷く落ち込んで、アリスは膝を抱えて俯いた。

(・・・・・・・・・・本当に・・・・・)

 本当に嫌われてしまったのだろうか。
 ううん、嫌われたまで行かなくても・・・・・興味が失せたのかもしれない。

 じわり、と目に涙が溜まり、アリスはブラッドに駆け寄った自分が、恐ろしく冷たい、道端の石ころでも見るような眼差しで見下ろされる瞬間を想像して、死にたくなった。


「ブラッド・・・・・」

 何が悪いのか判らない。
 判らないけど・・・・・興味が失せたと言われるのが一番つらい。


 ぽろ、とアリスの頬を涙が流れた瞬間、ぼんっ☆という音がして、アリスはベッドに転がった。

 はっと視界に映る己の手を見詰めて、彼女は愕然とした。


 またやってしまった!









 優雅なピアノの戦慄がレストラン内を満たしている。高級なそこで、美男美女が向かい合って座っている。
 一人は、三大勢力の一つ、帽子屋領の領主で、マフィアのボスのブラッド=デュプレ。
 もう一人は、最近頭角を現してきた投資家の娘だ。

 ただのお嬢さまかと思いきや、この娘は投資家の父の良き右腕として存分に力をふるっているらしい。
 流れを読んで先を観る能力に長けたこの娘の力に興味のあるブラッドは、帽子屋ファミリーのボスとしてこの女と食事をしていた。

 受け答えも切り返しも申し分ない。頭の良さがうかがえ、そしてその底に有るしたたかさも、ブラッドは嫌いじゃなかった。

 なかったが。

「ブラッドさま?御気分でも優れませんの?」
 困ったような顔で、会話の途中にそんな文句を挟んだ女に「ああ、気にしなくて良い」とブラッドはやや不機嫌そうに答えた。言葉は鷹揚なものだが、苛立ちは隠しきれない。

 それもそのはず。

 ブラッドは新婚なのだ。
 新婚と言えば、蜜月。
 蜜月といえば、日がな一日愛する妻と一緒に、いちゃいちゃべたべたしているものだ。

 それが。

(いちゃいちゃべたべたどころか・・・・・)


 メインの牛肉のステーキを、行儀悪くフォークで突き刺しブラッドは座った眼差しでそれを睨みつける。


 最後にアリスを抱いたのは何時だっただろうか。


 さっきの夕方は、双子が誤って斬り殺した男が、同盟組織の重役で、がたがた煩く文句をつけてきたので殲滅しに奔走していた。その前の昼は、だるいのを押してゴーランドと撃ち合い。その前の長い夕方は見回りにでるエリオットに、用事を頼もうとして逆に泣きつかれて、彼では多少荷が重かった案件を片付けに。その前の夜の3時間帯は、ファミリーの予算会議だった。新しく菜園部を作って、ニンジンの生産増加を認めてくれとエリオットがうるさかったことしか覚えていない。

 思いだせる限りでそれだから、本当にアリスに触れたのはもっともっと前だろう。

(気が狂う・・・・・)

 新妻で、ブラッドのモノになったばかりの彼女を、堪能しないうちに誰かに見られるのも嫌で、ブラッドは彼女を自分の部屋に監禁してしまった。
 独占欲もここまでくると、大したものだ。

 そんな風に彼女をとどめ置いて、なんとか仕事を終わらせようと奔走したのだが、一向に終わりが見えない。

 そして、今の夜。
 ビジネスパートナーとしては悪くないし、話をしていてもそれほど退屈はしない。

 だが。

(もし、相手がアリスだったら・・・・・)

 不機嫌そうに自分を睨みつける彼女に、甘い言葉を言ってやる。最初はからかうつもりだが、だんだん、反応が変わって行って。
 怒っていたのに、顔を赤くして。慌てて否定するのに黙り込んで。俯いて、ちらちらコチラを見上げて。指摘すれば真っ赤になって喚いて。
 でも、ふとした瞬間に、嬉しそうに微笑むから、ブラッドは我慢が出来なくなるのだ。

 他愛のない、実のない会話。己の事。アリスの事。

 嬉しい、と全身で表現する彼女はまれで、ごくたまにそんな現場に出くわすと、ブラッドは自分の全てを彼女にやっても良い気になるのだ。

 抱きしめて、放したくない。


「限界か」
「え?」

 ぽつりと零されたブラッドの台詞に、饒舌にハートの城の城下町での企業の動きを語っていた女は、目を丸くした。

「あの・・・・・ブラッドさま?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 この女を取り込めれば、あとあと楽になるとそう語ったのは己で、その為にエリオットに会合をセッティングするよう指示したのだが、早くも穴を開けたい。

 かたん、と席を立ち、ブラッドが「申し訳ないが」と笑顔で切り出そうとした瞬間、彼は貸し切り状態の店のドアに移りこむ影に気付いた。

 店の更に奥まった場所に、二人が居る大きな個室は有る。そのステンドグラスで出来たドアに、小さな影が映っていた。

(見張りはどうした・・・・・)

 舌打ちし、ブラッドはきょとんとする女を余所に、つかつかとフロアを横切ると、勢いよくドアを引きあけた。


 反応の遅れた小さな影が、すてん、と尻もちを付き、厳しい、凍るような、威圧的な眼差しで影を見下ろしていたブラッドはぎょっとした。



 まんまるで、透明な宝石のような翡翠の瞳。愛らしく、触るともふもふせずにはいられない耳と、まんまるい手足。顔を埋めた時のふかふかした感触が忘れられない腹と、きちんと結ばれた青地に金糸のラインが目立つリボン。

「あ・・・・・」

 ブラッドの台詞が喉に張り付く。

「どうかなさいまして?」
 と、背後から声を掛けられて、男は思わず振り返る。席を立った女が、ドアの向こうを覗き込み、「まあ」と感嘆の声を上げた。
「可愛らしい・・・・・白クマの縫いぐるみですの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「もしかしてブラッドさま・・・・・わたくしのために?」
 ぱあ、と顔を輝かせる美女に、縫いぐるみが硬直した。
「嬉しいですわ」
 ふわりと微笑む女はあでやかで、美しい。

 ぽかんと女を見上げていた白クマは、尻もちを付いたまま唖然としていたが、みるみるうちに翡翠の宝石に涙をためて、止める間もなくぼろぼろと零し出した。

 ざわ、とブラッドの胸が騒ぐのと同時に、それはしゅたっと立ち上がると一気に走りだした。

「ま、待ちなさい!?」

 なんて速さだ、とブラッドは眩暈がした。
 あの短い足で、どうしてあんな速度が出るのか。



 走り去る、小さな白クマの縫いぐるみ。ブラッドは慌てふためいて走り出した。
 背後で女が何か叫んでいたが、そんなもの構っている余裕はない。

「アリス!」
 ボス〜?と首をかしげる部下に「後はエリオットに任せろ!」と怒鳴って、ブラッドはひたすら白クマを追いかけた。





 余所者のアリスに課せられた、特別ルール。

 それは、ブラッドの愛を疑うと白クマの縫いぐるみになってしまう、というものだった。

(酷い・・・・・酷いわっ!私を置いてあんな女と食事してるなんて・・・・・っ)

 白クマになったアリスは、早々の屋敷を脱出した。見つかれば縫いぐるみの振りをして倒れ込み、怠惰な使用人が持ち主を探すのをダルがって、その辺に置いておいてくれる。その度に走り出して、彼女はとうとう街まで来た。
 屋敷を抜ける途中で、ブラッドがとある高級レストランに居るという情報をゲットして、必死にここまで来たのだ。

 それが。

(なんなのよっ!私は・・・・・新婚なのよ!!)
 もう家出しかない。
 実家に帰らなくちゃ。
 あ、でも実家ってどうやって帰れば・・・・・ああ、義姉さんのところでいいか。

 ビバルディの所に行こうと、アリスは店を飛び出して、短い足でててててて、とハートの城に向かって走り出す。

 身体が軽いのに、足が短くて思うように進めない。大人の男に直ぐに掴まるだろう。
 それでもアリスは一生懸命走った。背が小さくなると、見える景色も変わってしまい、エースのように迷いそうだが、それでも構わないくらい、アリスは腹が立って、そして哀しかった。

(ブラッドの馬鹿・・・・・ブラッドの馬鹿っ・・・・・ブラッドのバカアアア!)

 罵りながら、溢れる涙もそのままに、白クマはひたすら走る。その最中、石に躓いてすっ転び、白クマは泥に汚れてしまった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ぶわっと更に涙があふれる。一度屋敷を水没させたことのある白クマアリスは、咄嗟に付いた手と膝の辺り(膝がどのへんか判らない)がじんじんと痛んでしゃがみこんでしまった。

 みじめで堪らない。

 相対していた女は、アリスの想像よりも百倍は綺麗だった。(想像内で、アリスはそれなりにセーブを掛けていた)二人で並んでいると絵のようで。
 対して妻の自分は泥だらけで涙まみれで埃まみれで、膝と手が痛い上に、ちんまりした白クマだ。

「アリス」

 自分の領土とは言え、夜はそれなりに物騒だ。一応ブラッドをボスとしているが、ブラッド自身が認識していないような三流のゴロツキが居るには居る。
 自分の大事な大事な愛しい人に何か有っては困ると、汗だくで彼女を探し出したブラッドは、ほっとして声を掛けた。

 道の端に、泥に汚れた彼女がぽつねんと座っていた。

 近寄ると、白クマは大急ぎで立ち上がった。それから、距離を取るように、威嚇するようにブラッドを睨みつける。
 心持ち、彼女の白い毛が逆立っているように見えた。

「アリス・・・・・誤解だ」
 手を広げてそう言えば、彼女はじりじりと後退した。ひょこん、と左足が不自然に動いて、ブラッドは眉を寄せた。
「怪我をしたのか?」
 ふるふる、と白クマが首を振る。相変わらず翡翠の眼差しはきつく鋭い。
「・・・・・誰が・・・・・怪我をしていいと言った」
 奥歯を噛みしめて、ブラッドは一歩前に踏み出す。
(なんて言い方!私だって好きで怪我したわけじゃないわ!)

 睨みつけて、ぱたぱたと両腕を上下に動かす。近寄るから、後ずさる。

「アリスっ!」
(そんな風に言ったって、怖くないし許さないんだからっ!)

 再び涙が零れ落ち、ブラッドが怯んだ。ぎく、としたような彼の顔に、アリスは彼が浮気を認めたような錯覚に陥り、愕然とした。

 普通なら、アリスが怒っていても、泣いていてもお構いなしなのに。
 こんな風にためらったり、怯んだりしないのに。

(やっぱり・・・・・)
「お嬢さん、頼むから、泣かないでくれないか?」
 思わず零れたブラッドの台詞に、彼は自分で失敗したことに気付いた。


 お嬢さん。


 二人の間に、その敬称が亀裂となって走るのが見えた。


 二人が結婚して、一緒に居られたのは、たったの二時間帯。そこから先は、なんだか知らないが忙しくて。

 ブラッドはアリスが白クマになるルールを知っている。

 自分からの愛を疑った時に、彼女は白クマになる。
 だから、白クマの彼女に泣かれると、なんと声を掛けたらいいのか、酷く不安になるのだ。

 彼女は、溢れるほどの自分の愛情を疑っている。
 その彼女が更に泣くのだ。

 慎重になるのも当たり前だろう。

 だが、策士の彼が考えすぎて慎重になればなるほど、アリスは距離を感じる。いつものブラッドじゃないと、裏目に取る。

(やっぱり私・・・・・っ)
「ま、待ちなさい、アリスっ!」
(ブラッドの奥さんにはなれないんだっ!!!)


 滝のような涙を、じゃーじゃー零して、アリスがくるっとブラッドに背を向けると再び走り出した。
「アリスっ!!!」
 慌てて手を伸ばす彼を、ひらりとかわす。
「アリスっ!」
 抱きすくめようとするブラッドの、交差した腕を、ひょいっと飛び上って交わし、アリスはてててて、と腕を走ると背中に縋りついた。
「!?」
 背中に手を伸ばすブラッドから、逃れるように首の方に上り、帽子を叩き落とす。
「!!!」

 頭に鎮座し、彼の黒髪をぐっしゃぐしゃに掻きまわしてやった。

「こ・・・・・や・・・・・止めなさい!?」

 捕まえようとする手から更に逃れ、ぴょいっと地面に飛び降りて、地面の石を拾い上げると、やたらめったらブラッドに向かって投げだした。
「なっ」

 時間を止めて、速度の落ちたそれを杖で叩き落としながら、ブラッドは完全に防戦一方な自分に歯噛した。
 普段なら・・・・・これが敵対組織の連中なら。

 なんの躊躇いもなく、杖をマシンガンに変えている。

 だが、相手はアリスだ。

 捕まえて連れ帰るしか方法はない。


「アリスっ!」

 次の瞬間、ブラッドは己の力をほんの少し解放した。

 ごお、とブラッドから放たれる殺気。一瞬で夜風が凍った。

(怖くないもんっ!)
 一瞬で肝が冷えたが、アリスだって負けていない。彼女は転がっていた帽子を頭からすっぽりかぶった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ぎゅっとつばを抑えて、首までブラッドの帽子に埋まる。

 絶対に屈しない。

 そんな雰囲気を感じて、ブラッドは大げさに溜息を零すと、膝の震えている白クマをひょいっと小脇に抱えて歩きだした。





 白クマのアリスを元に戻すのは、彼女に「愛している」を精一杯伝えれば良い。

 いつものように、ベッドに白クマを押し倒そうとして、ブラッドは反撃に有った。ちまい腕が掴みあげた枕を、キスしようとしたブラッドの顔にぶち当てたのだ。

「っ」

 小回りの利く白クマは、ブラッドから逃れると、振り返り苛立たしそうに枕を払う男に、手近にあったものを投げ出した。

「アリスっ!!!」
 最初は本。次から次へと放り投げる。
「こらっ!」

 手で叩き落とす彼に、一生懸命走って、デスクの上に積まれていた書類をひっくり返す。ばあ、と紙が宙を舞い、その隙間を縫って、インク壺とペン立てのペンを投げていく。

「っ!!!!」

 割と几帳面なブラッドにとって、力一杯部屋を散らかされるのは我慢ならないだろう。

 そう読んだアリスは、ちょっと胸がすくのを覚えた。

 怠惰な夫は、案外真面目で几帳面なのだ。それを知って、こんな攻撃が出来るのはアリスだけだと、そうも思う。

 ほんのちょっとの、あの女よりも感じる優越感。


 ソファに散ったインクの染みに、確実にブラッドの機嫌が低下する。

(構うもんかっ!)

 続けてアリスは、デスク後ろの戸棚に有る、カップとソーサー、ティーポッドを放り投げた。

「!!!!!!」

 声も出ない。青ざめるブラッドに構わずアリスは手当たり次第に投げつけた。

 心なしか気分がすっきりする。


 三大勢力の内の一つ。帽子屋ファミリーのボス。彼は一度、領土争いを制しかけたというではないか。
 頭の切れる食えない男。攻めるのが大好きなドSの彼が、防戦を強いられて焦っている。

 良い気味だ。

 ここにあるソーサーやカップは彼のお気に入り。壊れても元に戻るが、気に入ったものが壊される様は誰だって見たくない。


 刹那。

「!?」

 帽子屋ファミリーのボスで、強大な力を有するブラッド=デュプレは、それを発揮した。

 ぴたり、と空中でカップやポッドが静止する。放たれる威圧感に、アリスはへたん、と腰を抜かした。
 ゆっくりと歩を進めて、ブラッドは無言で茶器を回収すると戸棚に収めた。
 ぱちり、と指を鳴らし、散らばっている書類を「巻き戻す」。ソファの染みはそのままに、ブラッドは心持ち青ざめる白クマを振り返った。

 冷えた碧の眼差し。

 びくん、とアリスの身体が強張り、細かく震えだす。

(だって、悪いのは貴方じゃない)
 哀しくなる。

 どうして自分がこんな目で見られなくてはならないのだ。
 私を閉じ込めて、出られなくしておいて。
 自分はあんな風にレストランで食事して。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 私だって。
 私だって、あんなふうにデート・・・・・

 ぽろ、と涙を零す白クマの首根っこを掴みあげ、ブラッドは不機嫌絶頂でベッドに放り投げた。

 ぼふん、と羽根布団に受け止められ、ころころと転がる。
 その彼女を押さえ込み、有無を言わせず、ブラッドは白クマを両腕で拘束すると己の額を、白クマの額に押しあてた。



 浮気者っ!


 力一杯怒鳴られて、うわあん、と単語が脳裏を駆け巡る。
 弁解をしようとする端から、酷い、ずるい、私のことなんかどうでもいいんでしょ!?と続く。

 だがそれに負けないくらいの大声で「寂しい」「放っておかないで」「愛して」「大好き」と続くから、ブラッドはその怒りを持続させることが出来なくなった。

 最終的には、「嫌いにならないで」と泣き出されて、ブラッドは徐々に口元に笑みを浮かべて行った。

「アリス」

 そっと目を閉じて、ブラッドはありったけの愛情を示す。

 すさんで、哀しくて、腹が立って、苛立っていたアリスの中に、ブラッドの柔らかな愛しさがふわりと流れ込み、彼女はようやく閉口した。


 愛しているよ、アリス。誰よりも何よりも。寂しくさせて悪かった。ずっと一緒に居るし、私は我儘で傲慢だから、絶対に君を手放さないし、嫌いになんかならないよ?

 飽きたりしない。

 アリスが探るようにブラッドの思考に触れていく。どこかに嘘はまぎれていないかと。
 でも、いつだって、ブラッドはアリスに嘘は付かない。
 己の気持ちを隠したりはするが、決定的な嘘は付かないでいてくれる。

 ほろほろと涙を零すアリスが、ようやくブラッドを見上げた。



(あ・・・・・)
 ぎゅっと自分を抱きしめていた男が離れ、真っ白なジャケットに泥の痕がついているのが見える。アリスは手を伸ばした。
「ん?」
 ちまい、もふもふした白クマの手がごしごしとジャケットを擦る。必死なその仕草に、ブラッドは目許を緩めた。

「アリス」
(だって貴方・・・・・汚れて・・・・・)
「構わないよ。それより・・・・・君が汚れているのが気に入らない」
(・・・・・・・・・・・・・・・それは)
「違う。私の所為だな?」
(・・・・・・・・・・・・・・・)
「足が痛いんだろ?おや・・・・・掌も、かな?」

 すまない。嫌な気分にさせたね。

 そっとアリスのもふもふした手を持ち上げて、ブラッドは目を閉じると彼女の首筋に顔を埋めた。

 唇を寄せる。

 ふわり、と温かな温度を、二人はお互いに感じ、そして、そこからじわじわと熱がお互いを浸食して、そっと目を開けた時には、頬に涙の跡と、泥の跡が残ったアリスが、すん、と鼻を鳴らしてブラッドを見上げていた。








 彼女の両手の擦りキズに、舌を這わせて、それから、擦りむいてしまった膝頭にも口付ける。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 痛みに顔をしかめる彼女を余所に、血の塊を浚った男が、消毒液を脱脂綿に含ませてテキパキと治療を始めた。
「何も舐めることないのに・・・・・」
 ぽつりと漏らすアリスに、小さく笑ってブラッドは彼女の目尻に口付けを落とした。

「私の所為で付いた傷、だからな」
「正確には貴方から逃げるために付いた傷よ」
「どちらでもいいさ」
 彼女を抱き寄せて、器用に包帯を巻きながら、ブラッドはアリスの頬やら額やらに口付けを落としていく。
 ゆるい抱擁は、心地が良い。

 ぎゅっと男のシャツを握りしめてブラッドに寄りかかり、アリスは自分の髪に顔を埋める男に、そっと尋ねた。

「ねえ・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あそこの茶器、壊されるのは本当に嫌?」
 先ほどの惨事を思い出して、ブラッドが思わず噴き出した。
「君より皿が大事だと思ってる・・・・・なんて風に考えていないだろうな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの皿やらポットやらが割れて、それで君が私のモノになるのなら、喜んで叩き割るさ」
 だが、君はそういう女じゃないだろう?
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれが割れれば・・・・・私じゃなくて、君の方が嫌な気になる。違うか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 なんでも元に戻る世界。
 だから何も大事にしない。
 そんな中で、ブラッドは戸棚の食器を大事にしている。

 一度割れたら取り返しがつかない。

 そんな気持ちを知っていてくれるように。

「私も・・・・・割られたくないしな」
 背中を撫でられて、顔を上げる。間近で見下ろす瞳は、先ほどのように冷たくも剣もなく、どこまでも柔らかで穏やかだったから、アリスは自然と「ごめんなさい」と謝って、彼の首に腕を伸べていた。
「もう一個聞いていい?」
「ん?」

 緩やかにベッドに倒れながら、ブラッドはキスを繰り返す。その合間に、アリスはそっと尋ねた。

「あの女の人、誰?」
「あ?」

 ああ、彼女か。

「あの女は」


「ブラッド―――――っ!!!!」

 ノックもなく、唐突に部屋のドアが開き、ぎょっとして二人が顔を上げる。

 そこには、ウサギ耳を、さっきの女にしっかりと掴まれて、涙目になっているエリオットが・・・・・。

「なんなんだよ、この女っ!?ブラッドが頼むっていうから我慢してきたけど、もう耐えられネェっ!!!」
 殺してやる!!殺して良いよな!?ブラッドーっ!!!
「可愛い・・・・・可愛いわ、このウサギっ!!もっともっと触らせなさいっ!!!」
「俺はウサギじゃねえええええええ!!!!」



 ぎゃあぎゃあ喚くエリオットと、恍惚とした表情でウサギ耳を掴んで撫で上げる女に、ブラッドがしばしの沈黙ののち、笑顔で杖を取り上げた。

 ひゅるん、とそれがマシンガンに変わる。


「エリオット」
「なあ、ブラ・・・・・ブラッド!?」
「私はこれからアリスといちゃいちゃする予定なんだ。さっさと出ていけ」
「ちょ・・・・・そ、その前にっ!この、この女っ!!」
「その女は我が組織に必要だ。上手い具合に勧誘しておけ」
「はあ!?お、俺は嫌だぞ!?ていうか、ブラッドがっ」
「しつこい」


 底冷えしそうな低音で告げて、ブラッドが躊躇わずにマシンガンを撃った。

 硝煙の香りと、何に上げたのか不明なエリオットの悲鳴が屋敷中に響き渡り、二人を叩きだしたブラッドは渋面でアリスを見下ろした。

「・・・・・・・・・・・・・・・あの女はウサギの信者らしいな」
 吐き捨てるそれに、アリスは思わず笑ってしまった。


























 というわけで、30万打リクエスト企画から、maoさまより

 白クマ設定で夫婦ゲンカの王道「皿投げ」している、ギャグ路線の白クマが読みたいです。

 とリクエストを頂いたので、白クマシリーズ第5弾です><

 ギャグ調だな、よし来た!と思って張りきったのですが、ちょっとギャグ薄かったでしょうか orz
 皿投げというか、なんだかバイオレンスな感じですが(笑)楽しんでいただけましたら幸いですvありがとうございましたvv

 そして、白クマシリーズは、白クマ化したアリスの動きが好きで(笑)今回は彼女に走ってもらいました(笑)

 帽子をかぶらせたのは唯の趣味ですv


(2010/07/01)

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