Alice In WWW
- 後悔と自己嫌悪と我儘と涙の海
五時間帯ほど過ぎたころ。
遊園地に遊びに行って戻ってきたアリスは、玄関ホールに不機嫌そうにたたずむ家主を見つけて、間の悪そうな顔をした。
言われる台詞は、大体予想がつく。
「こんばんは、ブラッド」
だから、ことさら笑顔でアリスは家主に酷く場違いな挨拶をした。
「ああ・・・・・良い夜だな、お嬢さん」
「ええそうね」
にっこり笑って答え、彼の横を通り抜けようとする。その肩を、ブラッドがぐいっと引き寄せた。
「ついでに、君に会うのは随分と久しぶりな気がする」
アリスの顔を覗き込んでくる、ブラッドの表情は笑顔と呼んで差し支えない。
差し支えないが・・・・・目が笑っていない。
刃物のような銀色の光りが滲む、オーロラ色の瞳を「睨みあげて」アリスは笑みを浮かべた。
「そんな事ないわ。貴方とのお茶会はこの間の夜の事だもの」
にこにこ笑うアリスと、にこにこ笑うブラッド。
終始笑顔の応酬をしているはずなのに、二人の間に横たわる深い深い谷には、ブリザードが吹き荒れていた。
「この間の夜、というのは、5時間帯ほど前の事だった気がするが?」
「あら?そうだったかしら。でも貴方に会うのは夜と決めているから」
「ここが君の家で、君が私のものだとしても?」
「ここが私の家だとしても、貴方のものになった覚えはないわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
無言で見詰め合い、浮かべた笑みを翻すことなく、ブラッドは強い威圧感をにじませた視線でアリスを射抜いた。
「ほう・・・・・では、君は誰のものだと?遊園地の猫か?城の宰相ウサギか?」
それとも、時計塔の引き籠りか?
馬鹿にしたような口調なのに、纏う空気は苛立たしい。
負けじとアリスは「誰のものでもないわ」と顎を上げて言い返した。
「それに、私は友達に会いに行っただけだもの。それのどこが悪いのよ」
「悪い?・・・・・悪いとは言っていない。ただ、帰りが遅いんじゃないかと言っているんだ」
「だから、それがなんなのよ」
「君は私の女だろう」
「だとしても、自由な時間はあっても良い筈でしょう。友達なんだから」
「・・・・・・・・・・」
「それとも、私が浮気でもしてるっていうわけ?」
つん、と顎を上げて、毎度毎度毎度毎度有りもしない「浮気」の事で振り回されるアリスは、心底嫌気がさしてそう言った。
ただ親しい友人に会いに行くだけだ。
それくらい、普通の恋人同士にも許されるだろう。
(そりゃ・・・・・マフィアのボスの愛人みたいな立場でも・・・・・)
愛人だろうがなんだろうが、アリスだって他の人間と会話をしたいのだ。
ブラッドにばかり構っていられない。
そんな気分で言った台詞。
だが、頭に来ていたのはアリスだけではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・そうか。君は浮気をしているわけじゃないのだな?」
低い低い、地を這う様な声で言われて、ぞくりとアリスの背筋が粟立つ。だが、ここで負けるわけにはいかないし、好き勝手にベッドに連れ込まれるのもごめんだ。
きっと眦を決して男を見やれば、倍では済まないくらいに怜悧な瞳で睨みつけられた。
殺気も含まれているのだろうか。
鳥肌が立つ。
「っ」
思わず息を止めるアリスを見詰めたまま、ブラッドは「そうか。浮気ではないのだな」とゆっくりと確認を取る。
「あ、当たり前でしょう!?」
「・・・・・・・・・・おちびさんと同じような香りがするのに、浮気ではないのだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
二人で観覧車に乗って、ちょっと抱きつかれただけだ。
アリスにとってピンクの猫はその程度。
友達以上にはならない存在だ。
無言でブラッドを見詰めるアリスに「ではわかった」とブラッドが吐き捨てるように言った。
「私もこれから、5時間帯ほど出てくる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「エリオット」
アリスの背後からやってきたエリオットが、ブラッドに声を掛けられて近づいてくる。
「おー・・・・・なんだ?どうした?」
「私はこれから、五時間帯ほど友人を訪ねてくる」
「え?って、友人?」
微かに怪訝そうな顔をする、ウサギ耳のお兄さんに、ブラッドはくっと口の端を上げた。
「ああ。この間の件で世話になった取引相手の女だ」
「あ、紅茶の」
「そうだ。彼女は随分と紅茶に造詣が深いようだったからなぁ。話していて気持ちが良かった」
「あー・・・・・ブラッドに負けず劣らず紅茶フリークだとかっていう奴だな」
「そうだ。彼女と一緒に紅茶談義をしてくるから、あとの事はお前がしきれ」
「ん、判った」
いいな、と念押しし、ぽかんとするアリスに向かってブラッドは底意地悪く笑う。
「というわけで、お嬢さん。私は出掛けてくる。ただの、友人と、二人で、紅茶について、語らってくるから、後は頼んだぞ」
ああ、気にしなくて良い。浮気なんかしないから。
「彼女がどんなに楽しい人間でもな」
くるっと背を向けて、さっさと廊下を行くブラッドに、アリスはぎゅっとスカートとエプロンを握りしめた。
ずきり、と胸が痛む。
彼女。
紅茶が好きで、ブラッドが認めるような女で、話していて気持ちが良いと言わしめるヒト。
ただの友人で浮気じゃない。
「わ・・・・・判ってるわよそれくらい」
いってらっしゃーい、とのんきに手を振るエリオットの横で、アリスは急に心もとなくなるのだった。
それからの五時間帯は酷かった。
洗っている皿を何枚も割るし、手にしていた卵は床に落とすし、花瓶の水を書類の上にぶちまけて、持っていた洗濯物は手が滑って噴水に落としてしまった。
そわそわと落ち着きが無く、ともすれば、ブラッドと見知らぬ女性がソファに座って紅茶の話をしている姿を思い描いては、頭を振るという醜態をさらしてばかりだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
そんな5時間帯が過ぎ、次の夕方も終わり、更に昼が来て夕方が来て、夜が来る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
居ても立っても居られなくなったアリスは、そわそわと玄関ホールの前を行ったり来たりしていた。
(・・・・・・・・・・・・・・・)
はたと足を止めて我に返る。これではブラッドを罵れないではないか。
(そ・・・・・うよ・・・・・私は・・・・・別に・・・・・)
ぎゅっとスカートを握りしめた所で、不意に扉が開きブラッドが帰ってきた。
「・・・・・・・・・・こんばんは、お嬢さん」
さして面白くもなさそうな口調を、ブラッドは投げてよこす。
「ええ・・・・・良い夜ね、ブラッド」
「ああ、そうだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・貴方に会うのは随分と久しぶりな気がするわ」
「そんなことはないぞ。君に会ったのはこの前の夜だからな」
「この前の夜って、確か8時間帯ほど前よね?」
「そうだったか?ああ、でも君は私には夜に会いたいということだったから、問題はないだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・ここが貴方の家でも?」
「ああそうだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しばし無言で睨みあい、視線を逸らしたのはアリスの方だった。
それに、ブラッドはふっと小さく哂う。
「何故そんな顔をしている?私は友人に会いに行っただけだ」
かつん、と一歩近づいた彼から、彼の物とは違う、甘い香りがしてアリスは全身の血が、足元までたたき落とされるような気になった。
はっと顔を上げる彼女に、ブラッドは愉快そうだ。
「私は浮気なんかしてないよ?お嬢さん。ただ、友人と会って楽しく過ごしてきただけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「それとも・・・・・君は私が君の行動を容認しているというのに、私の友好関係に対して文句を付ける気か?」
おかしな話じゃないか?
何故、君が許されて私は許されない?
ぞっとするほど冷たい笑み。伸ばされた指先が、意地悪くアリスの唇を撫でた。
その度に香る、ブラッドとは違う香りに苛立ち腹立ち、じわりじわりと胸の奥に黒いものが広がって行く。
「貴方は許してないじゃない」
掠れた声で告げるアリスに、「おや?」とブラッドが顔を寄せた。
碧の瞳が、目を逸らすアリスの顔を覗き込む。
「許してほしいと君は願っているだろう?」
なら、私も許してほしいなぁ。
「ただの、友人だ」
抱きつかれはしたがな。
「っ」
はじかれたように、ブラッドを見詰めるアリスに、「つい居心地が良くて転寝をしてしまったよ」と尚をブラッドは続けた。
楽しそうな笑みに、アリスは足元がぐらぐらするのを感じた。
ブラッドの言う事を・・・・・信じられない。
じりじりと胸の奥が焦げて行く。
どんな女なの?何をしてきたの?9時間帯も一緒に居たの!?転寝ってなによ!!
じわ、とアリスの目に涙が溜まる。普段なら、ブラッドはそれだけで慌ててくれるのに、今の彼はただ、アリスを見下ろすだけだ。
それがアリスの何とも言えない情けなさを煽った。
「何故そんな顔をする?」
私だって、友人と会う自由があっても構わないじゃないか。
そっけなく放たれた台詞は、アリスが言ったもの。
ぽろ、と頬を涙がこぼれ、次の瞬間、アリスは「ぽん」という音とともに、彼女に掛けられたルールに従い、白クマの縫いぐるみ姿になってしまった。
とさり、と軽い音を立てて廊下に落ちる白クマに、ちょっと驚いたように目を見張ったブラッドは、やれやれと溜息を吐いた。
「なんだ。君は私にすることを逆にされただけで、私からの愛を疑うのか?」
浮気なんかしてないぞ?
すいっと持ち上げられ、アリスはぎくりとする。
今ここで、筒抜けの心を覗かれたらたまったものじゃない。
だが、予想以上にブラッドは不機嫌だったらしい。
そのまま、アリスを掴んで部屋に戻ると、ぼん、と乱暴にベッドに転がした。
「言っておくがな、お嬢さん。私だって頭に来ているんだ。こんな簡単に私の愛情を疑われるとは思わなかったからな」
冷たい眼差しで白クマを見下ろし、ブラッドはくるりと彼女に背を向けた。
「せいぜい、その格好で反省するんだな」
吐き捨てるように言われ、アリスは初めて、心が震えるのを感じた。
(待って)
声が出ない。
恐怖に、身体が冷たくなって、震えが止まらない。
(待って・・・・・待って、ブラッド!)
さっさと部屋を横切った男が、乱暴にドアを閉め、アリスは絶望的な気持ちでベッドに横たわっていた。
涙があふれる。
どうしよう、という単語だけが脳内をぐるぐる廻り、アリスはぼろぼろ零れる涙を止めるすべが無かった。
「不機嫌そうだなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
薔薇園に植わっている木の下で、ブラッドはひっくり返っていた。
苛立たしそうに目を閉じていると、今一番聞きたくない声がして、ちらと眼をやると傍に寄ったビバルディが、愉快そうにブラッドを見下ろしていた。
「姉貴・・・・・」
「なんだ?アリスはどうした?」
せいぜい心配すればいいんだ、と拗ねたような口調で8時間帯ほどブラッドはビバルディ相手に過ごしていた。
アリスを心配させて、嫉妬させてやろうという、どうしようもない願望の為に。
そんな弟のどうしようもない願望に「嫉妬して女の首を刎ねるアリスが観たい」という理由だけで付き合ったビバルディは、ひっくりかえる弟の頬に指を伸ばした。
「嫉妬してくれなかったのか?」
くすくす笑うビバルディに、しかめっ面をして、ブラッドは腕を伸ばし、珍しく彼女の膝に甘える。
「・・・・・・・・・・ひょっとして私は眼中にないんじゃないのか?」
不貞腐れたような、くぐもった声。自分の腰に抱きつく弟に、ビバルディは声を上げて笑った。
「お前もアリスも可愛いなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・ぞっとしないな」
ち、と舌打ちする弟の髪に指を滑らせて、ビバルディは目を細めた。
「アリスはどうしたんだ?怒ってはくれなかったのか?」
「私の目の前で白クマになった」
瞬間、ビバルディが心の底から可笑しそうに笑いだす。
「なんじゃ・・・・・そこまで自己嫌悪が激しいとは、恐れ入ったな」
「笑い事じゃない。」
むくれるブラッドは「相手を問い詰めるでもなく、私の愛情が無くなったんだと即決したんだぞ?!アリスは」と声を荒げる。
「やれやれ・・・・・よっぽど自分に自信が無いんだな、アリスは」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「惚れた男に抱かれたら、それだけで女は綺麗になる。愛されているという自信が、女を変える」
お前の愛情は届いておらんようだな。
くすくす笑うビバルディが、愛しそうに可笑しそうにブラッドの髪をすくから、堪らず男は姉に更にきつく抱きつく。
「何が足りない?」
「・・・・・・・・・・アリスに訊いてみろ」
「愛してると言っても、相手にされないし?好きだと言っても半信半疑だ。行動で示せば疑われる」
「決定的に何か足りないんだよ」
「なんだ?」
ようやく顔を上げる、マフィアのボスには到底見えない、年若い青年にビバルディはゆったりと笑った。
「アリスの話を聞いてやれ」
それに、ブラッドは渋い顔をする。嫌そうな弟に、ビバルディは「そんなんだから」と目を上げた。
見るのは、薔薇の生垣の奥。
「見ろ?お前の屋敷が洪水だぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
洪水。
「っ!?」
「ブラッド〜〜〜〜!!」
泣きそうなエリオットの声に、慌てて駆けつけたブラッドは膝まである水に顔を引きつらせる。
「ボス〜、庭が海になっちゃったよ〜〜」
「凄いよこれ!見て見て、兄弟!魚が泳いでるよ!」
「お前ら遊んでんな!!!ブラッド、なんの冗談だよ、これ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
玄関の開け放たれたドアから、大量の水があふれてきている。普段はだるだる〜としている使用人やメイドが必死になって水を掻きわけ走っていた。
「しょっぱっ!!!」
馬鹿ウサギ〜〜〜、双子から水を掛けられたエリオットが、水を飲んでしまって声を上げる。
「か、海水!?で、でもなんで・・・・・つーかお前ら!!!!だから遊んでんなって」
わーわーと走り回る・・・・・というか泳ぎ出す双子を追いかけるエリオットに、ブラッドは眉間にしわを刻んだ。
「ナルホド・・・・・」
舌打ちし、全員に庭に出るように指示を出し、銃火器が駄目にならないように最優先で運び出せと命令して、ブラッドは一人屋敷に乗り込んだ。
膝まである水を掻きわけて、流れる海水に逆らい、己の部屋を目指す。
ブラッドの部屋のドアは閉まっている。
閉まっているが、ドアの隙間から水があ吹き出しているのを見て、彼の予感は確信に変わった。
取っ手をまわして引くと、水圧に押されて勢いよくドアが開く。
頭からそれを被り、押し流されそうになるのを踏みとどまって、一撃を受け流したブラッドは腰まで流れる水を押しやりながらゆっくりと己の部屋に踏み込んだ。
ぷかりぷかりと本が浮かぶ自分の部屋。書類が水面に浮かんでいるのにうんざりしながら、ブラッドは自分のベッドの辺りが噴水になっているのに気付いた。
ざばざばと近寄れば、すっかり水に沈んだベッドから湧水のように、ごぼごぼと水があふれ、その中心に白クマがいた。
白クマは確かに水に沈んでいる。
沈んでいるが、短い腕で「ちまっ」と膝を抱え項垂れて沈んでいる。
白クマから水があふれて、湧水のように吹きあげ、それがとうとうと流れて屋敷を満たしている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なんて厄介な。
はう、と溜息を吐き、ブラッドはざばり、と水に潜ると白クマの右足を掴んで引っ張り、そのままざぶざぶと白クマを引きずって、ロフトに続く梯子に足を掛けた。
「まったく・・・・・君は私を困らせる天才だな」
濡れて重くなった白クマを、逆さ吊にしながら梯子を上り、ブラッドは腰を屈めるようにして、中二階を進んだ。直ぐに尽きる筈の本棚は、何故か長く長く続き、やがて、逆さ吊の白クマを抱えたブラッドが、腰を伸ばす。目の前に一つの扉があった。
構わずに開けると、そこには天井まで届く、大きな窓が特徴的な真っ白な部屋が存在していた。
ふかふかの絨毯も白。据えられた大きなベッドも白。突き進み、ブラッドはガラスのテーブルの上に置かれていたタオルを取ると、やれやれと溜息を零して、ベッドに腰を下ろした。
改めて、白クマの縫いぐるみを抱え直す。
ふわふわの、ふかふかだった白い毛並みは濡れてしぼみ、綺麗な碧の目の周りでがっかりな影を作っている。濡れた手は絞れば水があふれてぐしょぐしょしているし、べっしょり濡れている所為で、嵩が減ってしなしなだ。
「まったく・・・・・」
なんて面倒な。
小さく零すと、ぼろぼろと白クマの目から再び涙がこぼれ、ブラッドは慌てて乱暴に白クマを拭いだした。
「泣くのは無しだ、アリス。これ以上よれよれになってどうする気だ?」
私の屋敷を水浸しにした罪は重いぞ?
歌うように言われて、白クマの肩が落ちた・・・・・ように見えた。
しゃくりあげるように、震えている。
苦笑して、ブラッドはごしごしごしごし白クマを拭う。
「そんなに・・・・・屋敷中を水浸しにするほど悲しかったのか?」
つん、と白クマの耳を引っ張って、そっと囁くとぱふ、と白クマの手が動いた。
ブラッドの腕に添えられた丸い手。
咎めているのか、縋っているのか、イマイチ判らない。
「私はただ、友人とお茶をしてきただけだぞ?」
くすくす笑いながら、白クマの耳をもふもふする。再び、てがぱふ、とブラッドの腕を叩いた。
「感じるのかな?」
ぱふぱふ。
「違う?じゃあ、止めて欲しいのか?」
ぱふぱふぱふぱふ。
「・・・・・・・・・・・・・・・君は望んで白クマになったのだろう?」
そっと囁かれた台詞に、白クマの動きが止まった。
ごしごしと、タオルで拭うのを再開したブラッドが、「私の愛情が信じられなくなって」と続ける。
「やれやれ・・・・・私は君を心から愛しているし、他の奴と楽しそうにしている姿を見るだけで腹が立つほど、君に執着しているんだぞ?それが・・・・・ちょっと君から目を放しただけで、愛されていないと勘違いされる。その癖に、束縛するなと我儘を言う。君は一体、私にどうして欲しいんだ?」
白クマの頭からタオルをかぶせたまま、ブラッドは目を閉じて、ぎゅっと後ろから縫いぐるみを抱きしめた。
途端、彼の肌に感じるのは愛してやまない少女の温もりと滑らかな肌の感触。
「なあ、アリス・・・・・こんなに難しい問題はないだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が悪いの」
首筋にキスを落としていると、不意にアリスの声がして、ブラッドは目を開けた。
真っ白な部屋で、真っ白なタオルを頭から被った、真っ白な肌の少女が、震える身体を抱きしめるようにして、ブラッドの腕の中に居る。
「私が悪いの」
ぽろぽろと、柔らかな頬を涙がこぼれ、彼女の顎に手を掛けて、顔を覗き込んだブラッドは目を細めた。
彼女の眼は真っ赤に腫れていた。
当然だ。
屋敷が水浸しになるほど、泣いたのだから。
「ああもう、泣くな」
ブラッドが、彼女の目元に唇を押し当てる。溢れるそばから唇で受け止められて、アリスは情けなくて情けなくて、向き合うとぎゅっとブラッドに抱きついた。
「だって・・・・・ブラッドが・・・・・」
「私はただ、8時間ほど姉貴と紅茶談義をしていただけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
不安で不安で仕方なかった。
自分以外の女と、一体どんな話を、どんな顔でしていたのか。
気になって気になって気になって気になって。
それが自分がブラッドに強いていたことだと思い返して、更に情けなくて、逆にされただけで泣きそうなくらい苦しくなるなんてと、酷く後悔したのだ。
「だから、心配するような事は無いもない」
にやりと笑うブラッドに、アリスは更に涙があふれた。
「っ・・・・・・・・・・・・・・・」
浮気をしているつもりはなかった。
なかったけれど、ブラッドを不安にさせていた。
それが判って、やっぱり情けなくて、アリスはぎゅっと彼にしがみ付く。
「ごめんなさい」
ふえ、としゃくりあげるようにして言えば、「ほんとうだ」と笑いながらブラッドが漏らした。
抱きしめ返す。
「だが・・・・・君が泣くのは、嫉妬するよりも嫌な気分になるから、いい加減泣きやんでくれないか?」
一体どこにそんな水分を隠していたんだ?
ぽすん、とベッドに押し倒されて、アリスはいやいやするように首を振った。
離さないで、と手を伸ばす。
「アリス・・・・・」
「あいしてる」
涙にぬれた声が囁き、ブラッドは目を見張った。
決定的に足りないもの。
アリスの話を聞いてやれ。
「ああ」
「あいしてるの・・・・・誰よりも・・・・・怖いくらい・・・・・だから、困るの」
「何がだ?」
「貴方に・・・・・嫌われたら・・・・・捨てられたら・・・・・だって、貴方、飽きっぽいしっ・・・・・暇つぶしだって最初は言って・・・・・」
切れ切れに、涙の滲んだ彼女の言葉。
「飽きたりしないよ」
「嘘・・・・・だって・・・・・」
「じゃあ、何に誓えば良い?私は君を手放さない。君が誰の元に遊びに行こうが、そこが良くなろうが、帰りたくなったとしても・・・・・絶対に手を離さないと、何に誓えば良い?アリス。君が、絶対だと思うものに誓っても良い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
涙にぬれた眼差しが、ブラッドを映し、柔らかに見下ろす彼に、アリスの身体がじわりじわりと熱くなる。
「アリス?」
「・・・・・・・・・・・・・・・時計に」
「ん?」
「貴方の時計に誓って」
違えた時は、それを私にちょうだい。
「・・・・・・・・・・・・・・・とっくに君の物なんだがな」
「え?」
くすくす笑い、ブラッドはそっとアリスに覆いかぶさる。塩辛い口付け。
「アリス。君は私の唯一絶対のものだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、信じられないなんて言うな。私でも傷つく」
目の前で、君に白クマになられたら、どうしていいか分からなくなるぞ。
柔らかな唇が、あちこちに触れて行き、いとおしむように撫でられる。
「ブラッド・・・・・」
「いくら言葉を注いでも、嫉妬で気が狂いそうになっても、壊れるほど愛しても、追いつかないほど・・・・・」
君を愛してる。
抱き寄せる腕の強さに、アリスの心臓は張り裂けそうなほど痛み、最後の涙が一粒だけ零れた。
彼女はしっかりとブラッドに掴まる。
「私も・・・・・よ・・・・・」
この後、「帽子屋屋敷の洪水」はしばらく領土の人間にとっても不可思議な出来事の一つとして、原因をめぐる論争があちこちで花開くのだったそうな。
その真相を知っているのは、二人だけである。
姉弟のこういう、あり得ない関係も好きだったりです(笑)
ほんと、あり得ないけどね!(笑)(2010/04/27)
designed by SPICA