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 あなたが笑ってくれるその時を、私はずっと待っている




「アリス」
 厨房で銀のティースプーンを磨いていたアリスは、入口付近にだるそうに立つ男に顔を上げた。
「ブラッド」
 誰も居ない厨房。手際良く仕事を片付ける同僚に負けないようにと、一人ひそかに食器磨きの練習をしていたアリスは、持っていたそれを置いて目を瞬いた。

 近くに有る大きな窓には、舞い散る落ち葉の赤が、柔らかな秋の日差しを受けて輝いている。
 太陽が我が物顔で空を横断する昼の時間帯。
 それは、目の前の主がもっとも忌み嫌う時間帯だ。

「珍しいわね、貴方が昼間に活動しているなんて」
「だるいし気分が乗らないが、捨て置けない案件があるものでね」

 肩をすくめ、眠そうな眼差しで忌々しそうに告げる。そのまま、ふらりと歩を進めて、ブラッドはテーブルの前に立つアリスに近寄った。
 ふうわりと紅茶と薔薇の香りがして、アリスの心臓が一つ跳ねる。

 そう言えば、彼の腕の中に居たのは、いつの時間帯だっただろうか。

(この前は夕方で、その前は昼。で、長い昼が続いてたから・・・・・)

 このエイプリルシーズンは、アリスは元よりブラッドは普段よりも忙しそうだった。
 自分で「サンクスギビングディ」を設けて働いていたのだから当たり前だろう。

 気まぐれなこの男は、「サンクスギビングディは止めにした」と告げていたが、ジョーカーが去って、季節がまだ残っているうちは続けるつもりらしく、夜の時間帯のごくたまにしか、アリスは彼と一緒に居られなかった。

 普段から忙しいのに、仕事を詰めるから更に忙しくなっていて、なのに、アリスと一緒に夏祭りに行ったり時間を作ってくれたので、そのつけが回ってきている。

 彼に押し倒されたのは何時間帯前だっただろう。

 ぼうっとブラッドを見上げてアリスが考えていると、伸びた腕に捉われる。
 きゅっと抱きしめられて、アリスは自分の鼓動が速くなるのを感じた。

「・・・・・・・・・・イマイチ、気分が乗らなくてね。すっぽかそうかと思ったんだが」
「駄目よ。それで困るのはエリオットでしょう?」
「君は、自分の恋人よりもニンジン教の教祖を心配するのかな?」
「何よ、ニンジン教って」
 吹き出すアリスに、ブラッドは更に忌々しそうに続けた。

「あれはもう、信者といっても過言ではないだろう?」
「・・・・・・・・・・貴方の信者であると言ってもいいと思うけど」
「やめてくれ」

 心底嫌そうに告げてから、「君がせっかく腕の中に居るのに、うちのウサギの話などどうでもいい」と一刀の元に切り捨てた。

「・・・・・とにかく、仕事に行く気がしないから、充電に来たんだよ、お嬢さん」
「・・・・・・・・・・」

 ほんのりと、アリスの耳が赤くなる。首筋に唇を寄せて、ブラッドは鼻先を押しあてた。
 ふんふんされて、くすぐったい。

「ちょっと」
「あー・・・・・君に会えば多少は気分が晴れるかと思ったら、逆効果だったな」
「え?」
「余計に仕事に行きたくなくなった」
「ブラッド」

 咎めるように、胸に手を置いて押せば、離れたくないと言うように、唇が首を這う。ちろっと舌先でくすぐられて、「あ」と甘い声が鼻を抜けて漏れる。

「このまま・・・・・ここで抱いてしまおうかな?」
「怒るわよ」
「そんなに赤くなって言われても、効果はないな」
「馬鹿」

 ゆるい拒絶は、ブラッドの嗜虐心を煽るものでしかない。止めるなら、本気で抗議しないと。

 でも、アリスだって寂しかったのだ。
 そう、寂しかった。

(・・・・・・・・・・うわっ・・・・・私も結構染まっちゃってる・・・・・)

 素直に「抱かれなくて寂しい」なんて単語が出てくるくらいには、アリスはブラッドの愛人になってしまっているらしい。
 恋人、という可愛らしい単語もくすぐったいが、愛人、という単語も自分には似合わないと思っていたのに。

 この人の熱が、自分を狂わせる。その瞬間が、嫌いじゃない。

 前は恥ずかしくて・・・・・婚前交渉なんて、と自己嫌悪することもあったのに。


「ブラッド・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・時間が変わるまで、まだ暇がある」
「ブラッドってば・・・・・」
 とさ、とテーブルの上に押し倒されて、アリスは真っ赤になって男を見上げた。帽子を取った自分の恋人が、ふわりと笑う。
「欲しくないか?」
 アリスの細い手を取り上げて、彼女の指を咥える。
「んっ」
 一つ一つ、馬鹿丁寧になめられ、ちゅっと指の間に口付ける。やがてそれは手首を降りて行き、柔らかな手の内側を愉しむように口付けていく。舌先が触れ、びくりとアリスの身体が跳ねた。
「いいだろ?」
「駄目」
「本当に嫌なら、そこのナイフで刺すくらいはしてみろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 アリス

 甘い声が、耳から流れ込み、しゅるっと首のリボンが解かれる。観念したのか・・・・・それとも、期待からか、アリスは目を閉じるとブラッドの首に腕をまわした。







 行きたくない、と駄々をこねるマフィアのボスを、彼の情婦はなんとかなだめて送り出す。
 厨房のテーブルなんていう、トンデモナイ場所で抱かれて、背中と腰が痛く、顔をしかめるアリスの、首のリボンを結んでやりながら、「そうだ」とブラッドが切り出した。

「次の夕方、私に付き合ってくれないか?」
「え?」
 リボンを結ぶ振りをして、アリスの首やら顎やらを、ブラッドの手が撫でる。その手首を掴もうとしていた彼女は、きょとんと眼を瞬いた。
「いいけど・・・・・?」
「では、デートだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 デート。

 厨房のテーブルで、愛人とはいえ、使用人のアリスを良いようにするマフィアのボスの口から出てくる単語とは思えない、可愛らしい響き。

「橋の上で待ち合わせをしよう。いいな?」
「え?」

 それも珍しい。出掛ける際は、一緒に屋敷から出る。それが、待ち合わせ。

「・・・・・・・・・・・・・・・あの」
「たまには良いだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 先ほどまでの火照りとは違う熱が、身体を巡る。視線を落とす彼女の髪から、名残惜しそうに手を引いて、ブラッドはちうっと軽く唇にキスした。
「いいな?世間一般に言う、デート、だから、な?」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん」

 含みを持たせた言い方に、アリスは思い当たる。
 それってつまり。

(恋人とのデートだから・・・・・気合入れて来いってことなのよね・・・・・)
 一つ、柔らかく笑ってから、ブラッドは踵を返す。その背中から、先ほどまでの甘い雰囲気は消えて、やる気ない足取りの筈なのに、纏う空気が凍っているのがわかる。
 廊下を曲がる横顔が、冷徹なもので、アリスは自分に向けられるブラッドの全てが特別なのだと知って、心が震えるのを覚えた。

 その立ち姿も。仕事をしてる姿も。マシンガンを構え、敵を見下ろす視線も。
 らしくないことはさせないでくれ、と告げた眼差しも。口づけようとして止めた、その時の苦しそうな顔も。

「っ」

 全部を思い出して、アリスは自分の唇に指をあてる。
 マフィアのボス。
 アリスが想像もできないくらい、暗い面も怖い面も持っている。残酷で冷徹な悪魔。

 でも、人を魅了せずにはいられない、カリスマ性がある。


 オトされたアリスは、唐突に告げられた「デート」という単語に、自分が酷く困惑しているのに気付いた。


 あの人に相応しい自分を求められているような気がする。
 試されているような気が。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 相応しくなりたい。
 あの人の隣にいても、違和感が無いくらい。手を、掴んでいてくれるくらい。あの人の、大切な宝物で居続けたい。

 胸元に咲いた赤い華。それに手を当てて、アリスは困ったように眉間にしわを寄せた。







 ブラッドから贈られた衣類装飾品。それは、どういうわけかアリスの好みにぴったりのモノが多くて。でも、彼の情婦だと触れて回る様な気がして、なかなか着れずにいた。
 だが、彼と待ち合わせをしてデートをするのなら、彼のものだと周りに知らしめても良いような気がして(実際、教会で一緒の所を見られているのだし)、領土内だからいいか、とアリスは贈られたモノの中から、一度着て見たかった物を選び出した。

 胸から膝下丈の白のワンピース。その生地を覆うように、ほんのり桜色のレースで出来た生地が一枚、重ねられている。薔薇の刺繍の散ったそれがふわりと風に揺れた。首の白いチョーカーからは、銀とダイヤモンドで出来た小さなハート型の飾りが、胸元に下がっている。ワンピースのアクセントになっているベルトは紐を束ねたもので、ゆるく結んである端には、ダイヤの小さな飾り玉と腰の辺りにはレースの桜色と同色の薔薇の飾りが咲いている。
 それと同じコサージュを耳の横に付けたアリスは、ゆるーくウエーブした金糸に近い栗色の髪を指で撫でながら、そわそわと足を踏み替え踏み替え立っていた。

 夕陽が、橋の上に落ち、川の水面を埋め尽くす落ち葉をきらきらと光らせていた。欄干から身を乗り出してそれを眺め、更に、先に有る教会の十字が日の光りに反射するのに眼を細める。

(なんか・・・・・緊張する・・・・・)
 とにかく気合を入れた格好をして来てみたが、どこに行くとも何をするとも訊かされていない。
 デート、と言っていたからにはただの買いもので終わるとは思えないし、そぐわない格好をしていることはないと思いたい。
 思いたいが・・・・・
(失敗したかしら・・・・・)

 会合の時の黒いドレス。あれにしておけば良かっただろうか。もしかしたらブラッドもそれを想定していたのかもしれないし。

 耳を飾る小さなイヤリングが、川から吹いてくる秋風にしゃらしゃら鳴り、酷く場違いな気分を盛り上げる。

(やっぱり、着替えてこようかな・・・・・)
 落ち着かなく、橋の向こうに見える帽子屋屋敷に視線をやって、アリスは欄干から手を離した。
「・・・・・・・・・・アリス?」
 そちらに向かって歩き出そうとしたその時、やや自信なさげな声に呼びとめられて、アリスははっとして振り返った。
 反対側に立つブラッドが、驚いたようにアリスを見ていた。

(わっ)

 ブラッドが着ているものは、普段の人を馬鹿にした格好とは違っていた。かといって、会合の時のスーツ姿でもない。
 いつものスカーフと同じ柄の、黒いタイと、白のシャツ。黒のベストとテールコート。薔薇だけが付いた帽子。
 胸元の薔薇が赤い、そんなブラッドの姿に、アリスは目を奪われて、ついでに掛ける言葉もなくしてぽかんと佇んだ。

 二人ともに、相手の格好に驚いたような視線を送り合って佇む。
 アリスが我に返るのよりも、ブラッドの方が先で、嬉しそうに笑った彼が歩いてきた。

「私の見立ては間違っていなかったようだな」
「え?」
 手を取られて、何の装飾も施していない指先に口付けられる。

(あ・・・・・)

 マニキュアくらいしてくれば良かったかしら。

 普段、おしゃれをしないとこうなる。だが、ブラッドはそんな事などどうでもよさげに、手を持ち上げて自分の頬に当てる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「綺麗だよ?私の・・・・・大事なお嬢さん?」
 耳元で囁かれて、アリスはぎゅっと目を閉じた。脚に力を入れないと、崩れ落ちそうになる。
 囁くだけで、相手を落とせるなんて、本当にろくでもない男だ。
 そんな、可愛い反応を繰り返すアリスを、抱きしめてキスしたくなるのを我慢して、ブラッドは腕をとって歩きだす。
 夕方に出掛けること自体、珍しい。歩きだす彼と腕を絡めながら、アリスはそっとブラッドを見上げた。

「ねえ、デートって・・・・・どこに行くの?」
「君が、行きたがってた場所だ」
「・・・・・え?」

 見下ろす眼差し。その柔らかな碧に魅せられて、アリスの心臓が跳ねる。

「行きたがってた・・・・・場所?」
「ああ」
 腕を組んで歩いて行く。夕暮れの街は活気にあふれていて、通りに人も多い。彼らは帽子屋のボスとその愛人が歩いてくのを興味深げに見詰めていた。

(なんか・・・・・)
 曝されているような気が・・・・・

 大丈夫かしら。この格好、変じゃない?ブラッドの格を疑われるような事になって無い?

 普段の意気地の無いアリスが首をもたげ、彼女はぎゅっと縋りつくようにブラッドの腕においていた手に力を込めた。足元が覚束なくなる彼女に気付き、男は絡んでいた腕をゆっくりとほどいた。

「あ・・・・・」
 離れて歩けと言われるのかしら?
「なんて顔してるんだ、アリス」
 苦笑し、本当に君は飽きないな、と小さく告げてブラッドは彼女の手をしっかりと握った。
「・・・・・・・・・・」
 腕が絡み、指が絡む。離れそうもない、繋ぎ方。
「これで、満足かな?」
 ちゅとこめかみにキスを落とされて、かあっとアリスの頬が赤くなった。
「ブラッド」
 溜息に似たような、微かなざわめきが辺りを支配し、アリスは「人前で!」とますます赤くなる。
「自慢したっていいじゃないか。もっともっと見せびらかしたい」
「ばっ・・・・・馬鹿っ」

 なんならここで、もっと深いキスをしようか?なんて耳打ちしてくるブラッドに、アリスはうろたえる。

「もう少し・・・・・長く歩いて居たいが・・・・・」
「え?」
 と、不意にブラッドは通りを曲がる。途端、先ほどまでの夕景のにぎやかさが遠のき、しん、と静寂が落ちてくる。
 白い漆喰の壁や、煉瓦のオレンジの家の壁、石造りの壁や張りだした屋根が続き、空が狭くなる。
 細い路地。
 石畳がうねるようにして続くその路地は、ひっそりとして静かだった。

 切り取られたオレンジの空と、そこをゆっくり流れていく黄金色の雲が、細い空に模様を描いている。
 足元を転がって行く落ち葉を踏みながら、アリスは雰囲気が違うのに目を見張った。

「ここ・・・・・」
 知っているようで、知らない場所。ブラッドの領土に有りながら、なんだか特別な感じがする。
 静けさが、耳に染みるようなそこの空気を、アリスは知っていた。
「なんか・・・・・」
 くすっと笑い、ブラッドはやがて、路地の突きあたりに有る、壁の前に立った。木枠のドアが付いていて、帽子屋のロゴが焼き印のようにして押されていた。
「ここだよ」
 こん、と己のステッキを当てて、ブラッドがふわりと微笑む。軋んだ音をたてて、ゆっくりとドアが開き、アリスはふわりとコチラに流れ込んできた甘やかな空気に目を見張った。

 たっぷりと湿気を含んだ、甘い香り。薄い衣のように肌を撫でていく風は、明らかに、どこまでも澄みきり、肌に心地良い、透明な水流のような秋風とは違っていた。
 重たく、眠たい。
 甘い風。

「わあ」
 そっと彼女の腰に手をまわし、先にドアをくぐらせたブラッドは、上がるアリスの歓声にイタズラが成功したように笑った。

 踏み込んだそこには、崩れかけた教会が建っていた。右半分を、白い壁とステンドグラスが覆い、かろうじて、金色の鋲が打たれたドアがある。そして、崩れた左半分を、花が覆っていた。
 支柱になっているのは、桜の樹。それが、薄桃色の花で教会の天井を覆っている。瓦礫にまとわりつくようにして咲いているのは薔薇の花で、その蔦に、色とりどりの花が添えられている。白、黄色、赤、水色、紫、オレンジにピンク。
「綺麗・・・・・」
 甘い風の正体は、その群れて咲き誇る花々だと気付き、アリスは駆け寄って、茜色の空に佇む教会に目を細めた。
 それから、はっと後ろを振り返る。
「これ・・・・・」
「来たがってただろ?」
「じゃあ・・・・・」

 花で出来た教会が、春限定であるから、一緒に行かないか?

 そう言われたが、ちりとアリスの胸を焼く不安が有ったため、行かない決断を下していた。
 それがどうして・・・・・。

 目を見張るアリスに、ブラッドはゆっくりと近づくとするっと頬に指を走らせた。

「君を不安にさせる危険要素が有るのなら・・・・・安全な領土に居た方が良いと思ったのは事実だよ。だが、連中の思い通りに行くのも癪に障ってね」
「・・・・・・・・・・」
「君を盗られるのも我慢ならなし、だからと言って喜ばせてやれないのも男の面子に関わるだろ?」
「そんなこと・・・・・」

 危険があるのなら、行きたくない。それが自分の被るものでないのなら、尚更。
 にっこり笑うエースを思い出し、きゅっとブラッドのコートの裾を握りしめる。

「私への危害なら、いくらでも排除できるし、負ける気もない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だが・・・・・君に危害が加えられるのなら話は別だ」
「私・・・・・?」
 目を瞬くアリスに、ブラッドは少しだけ寂しそうに笑った。一瞬過った、彼のそんな表情に、アリスの胸がぎゅっと痛む。
「ブラッド?」
「だから、領主の特権を利用させてもらった」
「え?」
「・・・・・・・・・・・・・・・代償は高く付きそうだが、な?」
 代償?
「恋人の為に全てをなげうつのが、男の覚悟と言うものだろう?」
「え!?」

 唐突に背後の教会から聞こえた声に、はっとアリスが振り返った。きい、と扉が開き中から目に鮮やかな赤のドレスをまとった女性がゆっくりと現れる。

「び、ビバルディ!?」
「ほう・・・・・なるほど・・・・・」
 唖然とするアリスの格好に、視線を走らせてから、ビバルディはにっこり笑った。
「ブラッド。お前もなかなか良い趣味をしているじゃないか」
「・・・・・姉貴に言われても嬉しくないな」

 ふん、と嫌そうに息を吐くブラッドに、普段の豪奢なドレスとは少し違う、タイトな真紅のマーメードドレスを身にまとったビバルディがにやりと笑った。ゆるくウエーブの掛った艶やかな黒髪は、真紅の薔薇の付いた飾りで一つにくくられ、肩と胸のラインを彩る黒のレースは肌の白さと肌理のこまかさを一掃際立たせている。そんな彼女の姿に、アリスはぼうっとなった。同性でも、この人の色香には参ってしまう何かがある。そんなビバルディに傍に寄られて、アリスははっと我に返った。

「なるほど・・・・・なかなか綺麗じゃないか、アリス」
 つ、と広く開いたデコルテに指を滑らされて、アリスの頬が真っ赤になった。
「姉貴」
 その手から彼女をかばうように、腰を攫って抱き寄せ、ブラッドがむうっとビバルディを睨んだ。
「なんじゃ。一人占めする気か?」
「対価は払っただろう?」
「面白くない愚弟だ」
 ちょっとくらいつまみ食いさせてもいいだろう。

 ぶーっと頬を膨らませる姉に「駄目に決まっている」と素っ気なく告げる弟。その姿は普通の姉弟のように和やかなものだが、会話の元がアリスであるというだけで、妙に物騒だ。

「もしかして・・・・・ここって」
 そんな二人の様子に恐る恐る口を開いたアリスを、二人が見た。
「そうだ。ここはわらわの領土じゃ」
 領主の特権。

 領地内の任意の場所に、己の許可の無いものが立ち入ることの許されない空間を作り出す。

「姉貴に頼んで、花で出来た教会をつくってもらった。私はそこに繋がる道を作った」
 薔薇園と同じ原理だ。

 告げるブラッドに、「ああ、だからか」とアリスは納得した。
 ここに来る為の、細い路地。そこに感じたのは、薔薇園へと通じる小道に似ているというものだった。

「どうだ、アリス。気に入ったか?」
 ビバルディが自慢げにアリスに顔を寄せる。小さな少女が誉めてもらいたくて笑みを浮かべているのにそっくりで、アリスは思わず目を細めて笑ってしまった。
「ええ、とっても。ありがとう、ビバルディ」
「そうか。中はもっとすごいんだぞ?」
 手首を掴んで、引っ張ろうとするビバルディに、ブラッドがむっとして声を荒げた。
「エスコートするのは私の役目だ」
「なんじゃ。独占欲の強い男は嫌われるぞ?」
 じとっと見詰めるも、弟の空気から何かを察したビバルディがにやにや笑って手を離した。
「そうか・・・・・」
 ふふっと小さく笑う。
「お前がそんなヤクザな商売をしておるから、苦労するのじゃ」
「・・・・・・・・・・ヤクザじゃなくて、マフィアだ」
「お前がマフィアなんぞやっていると知って、わらわは卒倒しかけたぞ。昔はあんなに可愛くて素直で、利発で初々しかったのに」
「姉貴!」
「いいか、アリス。この男とわらわが再会したのがどこだと思う?わらわの領土のいかがわしい宿で、この男はドアの向こうで全裸の女に」
「わーっ!!!!!」

 全力で声を上げるブラッドに、ビバルディはにやにや笑って視線を送る。

「おや・・・・・実の姉にあんな見苦しい物を見せつけるのは平気な癖に、恋人には駄目らしいなぁ」
「あ、あなただって私の目の前で全裸の男にトンデモナイ格好を」
「・・・・・・・・・・・・・・・もういいからやめて頂戴」

 いかがわしい宿に二人で居る時点で眩暈がする。
 アリスの静止に、こほん、と咳払いをして、「とにかく」とブラッドが語を繋いだ。
「判っているのなら、協力しろ」
「・・・・・・・・・・言っておくが、わらわはアリスの幸せの為に動くのだからな?」
「判っている」
 ふう、と溜息を付き、ビバルディはアリスの翡翠の瞳を覗き込んだ。

「アリス・・・・・」
「え?」
「夏祭りに時に、わらわが言った言葉は本心じゃ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、お前は決して、忘れてはいけないよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「忘れなければ、必ず、巡り合える」
「ビバルディ・・・・・」

 可愛い子だね、とアリスの頭をなでると、ビバルディはゆっくり教会のドアを開いた。先に中に入る彼女に続こうとして、アリスはブラッドに腕を取られた。

「お嬢さん」
「なに?」
「余計な事は考えるなよ?」
「?」

 首を傾げる彼女を連れて、ブラッドはゆっくりと中に入った。


 教会の中は、うっとりするほど甘い空気が満ち、椅子と椅子の間には、満開の花が敷き詰められていた。はらはらと桜の花が散って落ち、空気まで桜色。夕陽がステンドグラスに染まって、そこは夢のような色彩に溢れていた。
 バージンロードは、赤い薔薇の花弁を敷き詰めた物で、踏みしめるとくるぶしまで埋まった。

 中央の祭壇脇に、ビバルディが立っている。崩れ落ち、桜に覆われた天井から日が差し込み、綺麗なラインを描いている。
 ブラッドに腕を引かれて歩くアリスは、己の白いドレスも相まって不思議な気分になった。

 これではまるで・・・・・。

(あ・・・・・)

 ぎくん、とアリスの腕が強張り、ブラッドの視線が落ちてくる。耳まで赤くなっているアリスに気付いたブラッドが、ビバルディの前まで彼女をエスコートして歩くと、満足そうに笑った。
 朱の走る耳たぶに、屈んで唇を寄せる。

「ようやく、思い当たってくれて良かったよ」
 囁かれた言葉の甘さと内容に、アリスは眩暈がした。


 いずれ、教会の選定が必要になるだろう。
 周囲に知らしめるより先に、君に知らしめるべきだった。
 仕事を続けたいのなら、構わない。だが持ち場変更は受け入れてもらおう。なに、教会での用事の後の話さ・・・・・


「・・・・・・・・・・・・・・・ブラッド」
「余計な事を考えるなと、言った筈だ」
 真っ赤になって顔を上げるアリスの台詞を先回りして制し、ブラッドは彼女を祭壇の前に立たせた。
 ステンドグラスの、きらきらした色彩の中で、向かい合って立つ。ブラッドの後ろに居たビバウディが、華やかに笑うと、手を差し出すブラッドに、箱を渡した。
「あの・・・・・」
「何も言うな」
「・・・・・・・・・・でも」
「駄目だ」

 口をつぐむアリスに、ブラッドはビバルディから手渡された箱を開ける。中には夕陽を浴びて光る小さな指輪が入っていた。

 ひゅっとアリスが息をのむ。
「わらわが立会人だ」
 ゆっくりと告げられて、アリスは自分の中で色んな感情がごちゃ混ぜになるのが判った。

 それを、受け取って良いのだろうか。
 このまま、この人の傍に居て良いのだろうか。
 居させてもらえるのだろうか。

 どくん、と鼓動が不規則に高鳴り、ちらっとジョーカーの笑みが浮かんだ。
 微かにふらつく彼女の足元に気付き、ブラッドが間髪いれず手を伸ばして、アリスの細い手首を掴んだ。
 はっとして顔を上げると、酷く熱っぽい碧の瞳が自分に注がれている。

 泣きそうなくらい、真剣なまなざし。

「・・・・・・・・・・アリス」
「・・・・・・・・・・」
「受け取ってくれるか?」

 すり、と左手の薬指を撫でられて、アリスは眩暈がした。
 ブラッドはそれとなく示してくれていた。気付かなかったのはアリスの所為。

 心のどこかが拒絶していた。

 しあわせになることを。

 姉さんを監獄に残して――――

「余計な事を考えるなと、言わなかったか?」
 気付けば、アリスはブラッドの腕の中に囲われていた。顔を押しつけるようにした、胸元から、ちくたくと時計の音がする。

 現実的じゃないのに、でも、ここがアリスの現実になろうとしている。

「ブラッド・・・・・」
 泣きそうな彼女を見下ろし、ブラッドはふっと小さく笑う。
「ま、君には選択権もなければ、拒否権もないんだがな」
「っ!?」

 掴んだ腕を引き上げて、薬指に口付けを落とし、更にきつく抱きしめる。
 圧し掛かるようにされて、アリスはブラッド越しに、立派な装飾の施された天井と桜の木、そして、そこから透かし見える茜色の空を見た。

「君は・・・・・私のものだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 モノじゃないと、散々言った事が有る。だが、今ではそれすらも、心地よすぎる気がして。

「ブラッド・・・・・」
「諦めろ。マフィアのボスを狂わせた、君が悪い」
「こやつは男のくせに執念深いからなぁ。ま、嫌になったらいつでもおいで?私がお前の義姉なのだから、いくらでも助けてやるぞ?」
「・・・・・・・・・・余計な事を言わないでくれないか、姉貴」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 逃げても逃げても、きっと追いかけてくる。
 たぶん。
 アリスが幸せにならない限り、ずっと。

 それに、もう選んでいるのだ。何も考えずに、手を伸ばした相手はこの人。
 土壇場で、叫んだ名前はこの人のモノ。

「アリス」
 徐々に近づく、柔らかな碧の瞳を、いつまでも瞳にしていたくて、アリスはぎゅっとブラッドのコートを握りしめる。

 愛してるよ

 触れる間際に囁かれた言葉が、すとんと胸に落ちる。

 落ちてきた口付けは、今まで交わした物よりもずっとずっと甘くて優しくて、そして嬉しいものだった。










 辺りを、柔らかな闇が覆っている。ほんの少し開いているブラッドの部屋のカーテンの向こうから、巨大な満月が見え、ふと目を覚ましたアリスは身じろぎする。
 起き上がろうろするその身体を、温かな腕が押しとどめた。
「どこに行くつもりだ?」
 引き寄せられて、ちゅっと首筋にキスされる。身体が震え、アリスは「どこにも行かないわよ」と苦笑交じりに答えた。
「ならここに居なさい」
「・・・・・・・・・・お月見くらいさせて?」
「見えるだろう?ここからでも」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 もう、と掠れたような声が抗議をし、それでも身体に触れているブラッドの体温が心地よくて、アリスは丸めていた身体を伸ばした。そのまま、後ろに擦りよる。

「ブラッド・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あの、ね」
「ああ」
「・・・・・・・・・・私・・・・・ブラッドの大切なもので居続けるから」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 だから、ね。

「心配しなくても、君はこれから先もずっと、私の大事なものだよ」
 取り上げられた左手の薬指には、小さな指輪が光っている。
 シンプルなそれは、取り立てて豪華にしなくても、繋がっているのだと言われているようで、アリスは心から嬉しかった。

 飾らなくても、ありのままで。
 アリスはブラッドの大事なもので居られる。

「さて、私の未来の奥さん」
「・・・・・・・・・・何?」
「どの教会が一番よかったかな?」

 後ろから抱きしめられて、アリスは「そうねぇ」とほほ笑んだ。


「・・・・・貴方が居て、お義姉さんが居て・・・・・帽子屋の皆がいるんなら、どこでもいいわ」
 ふふ、と小さく笑うアリスに、ブラッドは苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「・・・・・・・・・・姉貴、ねぇ」
「私の友人代表で招待するなら、問題ないでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 すり、と甘えるようにブラッドの腕に頬を寄せるから、男は溜息で答えるしかできなくなる。
 それから、ちう、とこめかみにキスを落とした。

「仕方ないな」
「うん」

 この人と幸せになる。

 目を閉じて、アリスはロリーナを思い浮かべた。彼女はただ、哀しそうに笑ってアリスを見ている。
 いつか、心から笑ってくれるだろうか。
 幸せになりなさいと。

 いつか。

 ゆっくりとまどろんでいきながら、アリスはそっと誓った。


























 30万打&GWリクエスト企画作品で、ぷくさまからのリクエスト

 「ジョカアリ」でエースのせいで行けなかった「春の教会」で甘ぁーくイチャイチャさせてやって下さい(^^ゞ+教会と言えば「指輪」が必須アイテム(←勝手な思い込み・・・)なのでお話の中に出して貰えたら嬉しいです!

 ということだったので、春の教会プロポーズ大作戦と相成りました(大笑)

 花で出来た教会をどうしようかと考えた結果、ビバさまに作って頂いたのですが(笑)というか、あれだ。
 プロポーズしてなくね?ていう(大笑)

 ボスと言えば、強引ウエディングかと思いましたので、このような感じになっておりますが。
 ぷくさま、いかがだったで・・・・・しょう・・・・・か(え!?)

 ジョーカーの二人はなんかもう、恋人って感じで書いてて楽しいですvv
 ああああ、この先二人がどうなるのか・・・・・自分で書いてて、「秋の方が安全だ」ていうブラッドの台詞が、「アリスにとって」って言う事なのかと思うともうなんかあああああああ。

 アリスシリーズが続くのなら、箱アリが幸せなものの最期だと言う事らしいので・・・・・この先の展開が怖いのですが(汗)ボス最強説を信じたいです(笑)


 というわけで、リクエスト、ありがとうございましたvv






(2010/06/21)

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