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 愛する者の全てを欲した上での計略が成功したと、満足気に笑って




 その男に、愛とは何、と尋ねたら、一体どんな回答が寄せられるのだろうか。

 そんな事を考えて、アリスは、そんな質問をすること自体が馬鹿げていると瞬時に判断し、考えなかった事にする。

 この男に愛が必要だとは思えない。
 何にも執着しない、面倒事は大嫌いだと告げる、マフィアのボスが、真剣に誰かを愛するなんて、そんな超超面倒な事に自分から首を突っ込む筈がないのだ。



 だから、アリスは気兼ねなくこの屋敷に滞在することが出来る。


 恋愛など面倒でごめんだと、笑顔で告げる危険な男がいる限り、アリスは面倒事に首を突っ込むような事態になるわけがないのだ。

 興味本位で手を出されても。
 それが日課のようになってしまっても。

 嵐のような抱擁に、心が折れそうになっても。


 最終的には家主の言葉を信じている。

 恋愛事など、面倒でごめんだという。

 アリスはこう見えても賢いのだ。
 上手く空気を読んで立ち回ることが出来る。
 愚かな選択を、安易にしないほど、用心深くもある。

 昔、愚かな選択から、安易に立ち回って深く傷ついた事がったが、今ではそれもまた、アリスの用心深さに磨きをかけるエピソードとなっている。

 最初から、彼はアリスを恋人の位置に据える事を否定していた。

 それでも身体を求められるのは、愉しいからだろう。
 何が愉しいのか、さっぱり判らないが、この男は飽きもせずにアリスの身体に手を出す。

 時折アリスは、入浴の際などに自分の身体を鏡に映してまじまじと見つめることが有る。

 何か一つ、己の身体の魅力を上げよと言われたら、アリスは散々迷った挙句、「肌が白い」を上げるだろう。
 それくらいしか、己の身体に魅力を感じない。

 胸は、無いとは言わないが有るとも言えない。腹は出ていないが、肉付きが薄いので身体は丸みが薄く柔らかそうに見えない。手も足もただ長いだけで、すらりとした・・・・・とか、艶めかしい・・・・・とかそんな単語とは程遠い。
 均整のとれたバランスの良い身体に憧れる、未発達でこれから発達するのかどうか疑問な体型だ。

 本気でアリスは、この身体を抱く男の神経を疑った。


 もし・・・・・もしもの話だが、お互い深く深く深ぁく愛し合っていて、己の身体を取っ払い、深い深い深ぁい部分で一つになりたいと・・・・・魂すらも融合してしまいたいと言う、胡散臭いが真実の愛情で結ばれていたのなら、こんな身体でも愛しんでくれる存在を嬉しく思っただろう。
 実際、そういう愛に憧れても居る。

 無い物ねだり、と言われるかもしれないが、腐ってもアリスは女なのだ。

 アリスのような捻くれて、根暗で、後ろ向きで自虐的な女の、魅力の乏しい身体に手を伸ばして、「それが君だと僕は知っている。そんな君を僕は世界で一番愛しているんだ」と言われたらくらくらくる。
 実際、ストーカーまがいのウサギに言われた事が有るが、あれは病気だと知っているから、論外だと、アリスは意識から外していた。

 だから、そんな風に言ってくれる存在など皆無だと言う事も、賢いアリスは理解している。


 愛されるのは、可愛い女だ。
 前向きでひたむきで、明るい笑顔を振りまいて、清楚で可憐で茶目っ気が有って。
 きらきらしている女の子だ。

 ・・・・・到底、アリスには出来そうもない振る舞いを、いとも簡単にたやすく出来てしまう女だろう。

 それが建前で、女の前ではドロドロに黒い物を見せるような、計算高い女でも、外面が健気で一途なら、愛される。


 外面で何が悪い。
 他者に見せる顔が、その人の本質とかけ離れていたって、他者にとって、その外面しか見る機会が無いのなら、それが本質になる。
 好んで裏側を見せる必要はないから、問題はない。

 ただ、アリスが馬鹿なだけだ。

 本質ごと「アリス」を認めて欲しくて、外面をよしとしない愚か者だからだ。
 それなのに、外面を良くするのは、社会から弾かれたくないからで。

 とどのつまり、結局彼女は本当の自分をさらけ出す勇気もない癖に、その自分を愛して欲しいなんて考える愚か者ということだ。



 だから、その男は意外で、アリスは気に入っていた。

 恋愛対象になりえない。
 そう明言してくれたから、アリスは外面を気にしない。
 その男と居ると、自分を装わなくて済む。

 好かれもしなければ嫌われもしない。

 そこに安心していた筈なのに、気付けばアリスの心は厄介で複雑な迷路に迷い込んでいた。





「貴方が私に手を出すから、ややこしくなるのよ」
 ある日、アリスは己をソファに組み敷いて、上から見下ろす男に呟いた。
 当然の台詞だった。
「どうして?」
 微かに目を見張った男は、次の瞬間愉快そうに笑って尋ね返してくる。彼から視線を逸らし、傍に有るテーブルの上の本の背表紙を見詰めながら、アリスは「何が目的かさっぱり判らないから」と答えた。
「目的・・・・・ね」
 くつり、と男が笑う。
 気に障る笑い方だ。
 むっと眉を寄せるも、アリスは背表紙から視線を逸らさない。
 「鉄とダイヤモンド」と金字で箔押しされたそれは、先ほどまでアリスが読んでいた本だ。
 いや、読もうとして持ってきて、表紙を繰った瞬間、手から取り上げられた本だ。

「快楽、というのは目的にならないかな?」
 する、と彼の長い指が、スカートが捲れて覗く彼女の白い太ももに触れた。ぞく、と背筋を震わせ、アリスは唇を噛んだ。
「欲望のはけ口に、というのはいかにもマフィアのボスらしい、女性の扱いだと思うわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 にやにや笑う男の口元が予想され、アリスは鉄は、化学記号でなんだっけ、と頭の隅で考える。
 現実的で、尚且つ関係のない事を考えていないと、アリスは直ぐに流されてしまう。

 この男は、女をあられもない格好であられもない声で啼かせるのが死ぬほど上手いのだ。
 握りしめるものが無ければ、耐えられない。
「でもね、帽子屋ファミリーのボスさま。そういうのは、もっと面白みのある存在に求めてしかるべきだと思うの」
「・・・・・・・・・・例えば?」

 ほう、と低い声を漏らして尋ねる男は、身体を伏せ、アリスの首筋に顔を埋める。吐息が肌を撫でて、彼女は更に、ダイヤモンドは炭素から出来ている事を思い出した。

「もっとグラマーな女性とか。男性を煽る手管に長けてて、駆け引きめいたことが出来る女性とか。敵対組織のスパイとか。どっかから攫ってきた可憐で美しい、愛する人の為に操を護ってた美姫を蹂躙するとか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 身体を震わせて、男が笑っている。
 アリスが思いつく限りの、男性が好きそうなシチュエーションだ。
 三流ゴシップの低俗で卑猥なネタ的な気がするが、そこは健全な女性が懸命に考えて出た上での意見だと言う事でスルーする。

「そういう・・・・・なんっていうか・・・・・そういうのが愉しいんじゃないわけ?」
「そういうのは飽きた」

 そっぽを向いて告げるアリスに、男はあっさりと答える。
 含まれている意味に気付いて、アリスは押し黙った。

 言外に、「やったことがある」と言われたようで、改めてこの男の卑劣さを知った気がした。

 上記のネタは、ネタであるから成立する。
 アリスもネタとして出しただけだ。三流小説かなにかのような感覚で。

 だが、実際にやった事が有ると判ると、胸が悪くなる。

 蹂躙された女性はどうなったんだ?という恐ろしい想像が頭を過るが、間一髪、アリスは「過酸化水素水」というどこからひねり出したのか判らない単語に縋って回避した。

「だが・・・・・そうだな。抵抗されるのは面白い。他人のモノをかすめ取って蹂躙するのも、まっさらな物を穢すのも、プライドをへし折るのも、跪かせてイれてイカせてもっとと強請らせるのも、悪くはない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だが、たまには違う趣向も良いと思わないか?」
「それが私っていうわけ?」

 出来るだけ冷めた声で言ってみる。アリスの肌を愉しんでいた唇が、愉快そうに引き上げられた。

「君は」
 彼の手が、アリスの胸に置かれる。心臓を探り当てるようにまさぐられ、彼女の肩が震えた。
 その、むき出しにされた肩に歯を立て、跳ねる心臓に、男はますます愉しそうに笑んだ。
「この心臓を握りつぶしてしまえば死んでしまうほど弱いのに・・・・・私に膝を折らないな」
 だから面白い。

 落とされた口付けに、応える気もない。相変わらず脳内のどこかで、「二酸化マンガン」という単語を引きずり出して考え込むアリスに、焦れたように男が頬に手を添えた。

「・・・・・・・・・・大抵の女は、こうすれば、私で一杯になる。だが君は何時まで経っても私で満たないな」
 意識的に、そうしているのか?

 優しく、でもどこか艶めかしく頬を撫でられ、視線を外したまま「そうね」とアリスはそっけなく答えた。

「恋愛なんか、面倒なだけなんでしょう?」
 ちらと男を見遣る。
「私も、概ねそれに賛同なの」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「貴方だって、私で満たされてる?」

 意地悪く、笑んで見せる。
 自分がこの男に屈しないように、この男も決して自分に屈しない。

 舌打ちし、男は「随分余裕だな」と乱暴にアリスの服を寛げた。引き裂く、と言っても過言ではない。ボタンが取れかかっている。

「跪かせて蹂躙する気?」
「泣いて止めてと拒んでみろ。多少は、優しくしてやるぞ?」
 先ほどのシチュエーションを引き合いに出して、男は薄く笑った。

 本当に嫌な奴だ。

 奥歯を噛みしめて、アリスは身体から力を抜いた。腹の辺りが、決意の甘さを示すように震えたが、力を込める。

「好きにしたら」

 言い放つアリスに、男はいきなり脚を持ち上げた。

「君は本当に可愛くないな」
 どうしたら、君を支配出来るんだろうか。
「支配なんかされたくない」
「では、どうしたら私に屈してくれる?」
「貴方が屈してくれるのなら」
「・・・・・・・・・・・・・・・私に愛を囁けと?」

 君しかない。君だけが真実だと、そう言えと?

 何も映さない男の瞳が、じっとアリスに注がれた。


 彼の言う愛とは何だろうか。
 ああ、愚問だった。

「そうね」
 それに、アリスは盛大に皮肉に笑って答えた。
「貴方が愛を示せるとは思えないけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 すうっと温度の下がる男の瞳を見返して、アリスはシーツに縫いとめられている両手を握りしめた。

 私も愛を示す手段なんか持ち得ちゃいなという事実に口を閉ざして。





 愛はお金じゃ買えないと言うが、お金のない愛は身の破滅を約束しているようなものだ。
 その点、ブラッド=デュプレには有り余るほどその財があった。

 それをちらつかせれば、どんな女も身を投げ出すに決まっている。

 示せと言われた愛情を、ブラッドは皮肉交じりに示して見せた。


 アリスの部屋一杯に贈られてくる、衣類、宝石、調度装飾品・・・・・。

 彼女が呆れ、閉口し、主の部屋に乗りこんでくるまで、そんなに時間帯は掛らなかった。


「私に示せる愛の形がこうだったと言うだけの話だよ、お嬢さん」
 受け取らなければ、持ってきた使用人もメイドも抹殺される。
 判っていたから、アリスは良いも悪いもありがとうもいらないも言わずに受け取るだけ受け取った。
 受け取って捨てても良かったが、アリスの為だけに用意されたとしか思えないサイズや趣味の物を、廃棄してしまうのは、なけなしのアリスの道徳が許さなかった。

 もしかしたら、それすら発見したブラッドに、関係ない者たちが消されてしまう可能性もあったし。

「分かりやすいだろう?」
 仕事をしている姿を見せたがらない男は、今も山積みの書類に目をやらずに、優雅にソファに腰を落ち着けている。紅茶のカップを傾ける男の前に立ち、いい加減にしてくれ、とアリスは額を抑えた。
「要らない物を大量に贈られる側の身にもなって欲しいわ」
「おや?愛情を示せと言ってきたのは君の方じゃなかったかな?」
「・・・・・・・・・・」
「最大限考えた結果だよ、お嬢さん。お気に召さないのか知らないが、私は言われた通りにしただけだ」
 にこにこ笑うブラッドの笑みは、胡散臭い。胡散臭い上に、瞳に光りがちらついている。

 不機嫌と上機嫌の間を、行ったり来たりしているような光りだ。

「こ」
「こんなの愛情じゃない、なんて言わないでくれ。そう言われてしまったら、私は『では何が愛情になるのか示して見せて欲しい』と君に頼まなくてはならなくなるからな」
 再びカップを傾ける男に、アリスは唇を噛んだ。

 一体どうしてこんな事になったんだっけ。
 ああそうだ。
 この男が、アリスなんかを相手にして、暇つぶしに抱くからいけないのだ。

 泣いて拒んで跪いて、イれてイかせてオトしてと哀願したら、この男はアリスに飽きてくれるのだろうか。
 普通の女と変わりないと、凌辱した後にひらりと掌を返して、アリスを引き回さなくなるのだろうか。


(だから・・・・・私は何を考えているわけ?)


 水素、窒素、炭素、二酸化炭素、鉄、アルミ、マグネシウム


 思いつく限り、アリスの生活にほとんど関係のない単語を引き出し、呪文のように唱える。
 そうしながら、アリスは目を細めた。

「愛してもいない人に、贈り物をして、愛情を表現するのはおかしいと言っているの」
「・・・・・・・・・・」
 ゆっくりとアリスは続けた。
「それとも、部屋一杯の贈り物をするくらいに、私を愛してると言う事なのかしら?」
 逆手にとって切り返せば、明らかに、男の纏う温度が下がるのが判った。

 愛、なんて不機嫌を誘うだけのものだ。
 ブラッドも、アリスも。
 言った言葉の薄っぺらさ加減に、不機嫌になる。


「そうだな。私は有り余る暇を潰したいだけだ」
 君で、とぞっとするような笑みを口元に浮かべる。
「君は違うのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 違うと言えば、では何故抱かれにくるのだと訊かれそうで、アリスは沈黙する。
 忌々しそうに、ブラッドが鼻で笑った。

「君のプライドをへし折って、跪かせることが出来たら、愉しいと思わないか?」
「そこら辺の女と一緒にしないで頂戴」
「君が言ったんだぞ?愛情を示せば、屈しても構わないと」
「だから貴方は私を愛しているっていうの?」
「ああ、愛しているよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 しれっと言われた台詞に、腹が立つ。それと同時に悲しくなった。

 永遠に、この男に愛されることはない。
 それが喜ばしい事実だった筈なのに、何故かアリスは哀しかった。ずきん、と胸が痛むほどに。

「終わりにしましょう」

 掠れた声でアリスはそう言った。傾けていたカップが止まる。ゆっくりと、ブラッドの視線がアリスに注がれた。

「終わり」
 ゆっくりとそう言って、アリスは自分のつま先を見詰めた。

「納得いかない」
 それに、ブラッドが溜息交じりに呟いた。
「・・・・・・・・・・私にばかり、愛情を示させて、君は答える気がさらさらないと言うのはフェアじゃない」
 最初に、愛情を見せろと言ったのは君の方だぞ?
「あ、貴方、私を愛してないじゃない!?」
「愛してると言った筈だが?」
 笑うブラッドに、アリスは白くなるほど手を握りしめた。

 本当に腹が立つ。

「ああ、愛しているよ、アリス。愛しているんだ。君になら破産させられても構わないくらいにな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 口惜しくて涙が滲んだ。
 必死に奥歯を噛みしめ、アリスはきつくきつく両手を握りしめると、つま先に穴があけと言わんばかりの視線で足元を睨みつけた。
「なあ、アリス。答えてくれないか?」
 立ち尽くす彼女の、白い拳をそっと取り、ブラッドが下から口惜しそうなアリスを、憐れむように見上げた。
「私の愛は君に伝わったのかな?」

 せせら笑われている気がして、アリスはなけなしのプライドをかき集めて、口を開いた。

「貴方の贈り物はセンスが悪くて、私は応える気にならない」

 吐き捨てるアリスの台詞に、にいっとブラッドが笑った。







 帽子屋屋敷の主の部屋に、大量のドレスと宝飾品が並ぶ。部屋に押し込められたアリスは、それらを前にして、ひらりひらりとドレスを掲げる主に閉口していた。
「さて・・・・・君が気に入るのはどれかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「この赤はどうかな?胸元の銀の刺繍と裾のダイヤが華やかで、君の美しさを引き立ててくれると思うんだが?」
「赤は嫌いよ」
 血の色だから。

 そっけなく言うアリスに、「ふむ」と顎に手を当てて考えた男が「では蒼はどうかな?」とスカイブルーのドレスを差し出す。
 裾がタイトに絞られて、胸元には真っ白なレースがふんだんに使われて、縁どられている。身体のラインが出るそれに、アリスは「品が無い」とだけ答えた。
 くっくっく、と主が笑う。
「ではこれだ」

 クリーム色の豪奢なドレス。裾はふんわりと広がり、あちこちに真珠がちりばめられている。腰から胸に掛けて見事な刺繍が施され、その刺繍に添えられているピンクダイヤが誇らしげに輝いていた。
 色味や形からそれはウエディングドレスに似ていて、思わずアリスは見惚れてしまった。

 それも、ほんの数秒。先ほどまでのドレスと変わらない感じで見ていた筈なのに、ブラッドは嫌になるくらいの敏さで、それを見抜く。

 ぽん、と手にしていたステッキを掌に打ちつける。

 はっとするより先に、かしゃん、と時計の針の合わさるような音がして、アリスのドレスは、見惚れていたそれと切り替わった。
 背中に流れていた金に近い栗毛は、ふんわりとウエーブが掛り、頭のてっぺんに結いあげられている。

「っ」
 唐突にブーツから、ヒールが高くて華奢な靴に切り替わりよろめいた。その肩を、ブラッドが支えた。
「次は、ネックレスかな?」
 耳元で囁かれて、ぞくっと背筋が粟立った。支えてくれた彼を突き離そうとして腰を抱かれる。
「ちょ」
 振り回すようにされて、彼女はソファに座らされた。広がるドレスのすそが盛り上がり、動きにくい。
 そこここに散らばっている箱から、あれでもないこれでもない、とブラッドはネックレスを探し、細い鎖にルビーの小さな薔薇とダイヤが散った華奢なネックレスを取り上げた。
「・・・・・ネックレスなどではなくて、別の物で飾ろうか?」
「ちょ」
 背をかがめた男が、ソファに座る彼女の、大きく開いたデコルテに唇を寄せた。
 触れるだけのキスに、身を固くし、アリスは頬を染めたまま眉を吊り上げる。
「痕なんか付けたら承知しないわよ!?」
「・・・・・・・・・・そう言われると、したくなるな」
「馬鹿言わないで!」
 ぐいっとブラッドの髪を掴んで引き離そうとするが、その前に、軽く口付けを繰り返していた男が離れた。
 指先が、先ほどまで触れていた部分を撫でる。
「動くな」
「っ」
 着けてやるから、と妙に甘い声で言われて、アリスは震えた身体がばれないように掌を握りしめた。

 彼の指先が、アリスの鎖骨を這い、つとなぞるように首の後ろへと辿って行く。
 爪先で肌をこすられて、アリスは背筋がぞくぞくと震えるのに耐えた。
 しゃらっと音がして、ブラッドの指が通った後を、冷たい金属が触れていく。熱を与えられ、火照るようなそこを這う冷たさが、逆に自分の体温が上がっているのを知らしめるようで、アリスは力一杯奥歯を噛んだ。

 触れられるだけで、体温があがるなんて、どうかしている。

 エリオットは何故うさ耳を否定するのだろうか?もしかして彼の過去には何かトラウマでもあるのだろうか?

 唐突に思いついた議題に対して、アリスは自分の中で自分会議を始めてやり過ごす。

 ふっと、ブラッドの吐息が耳朶を掠め、思わずアリスの肩が揺れた。

「次はイヤリングかな?」
 身を離しながら、ブラッドは何が楽しいのか、一人で笑いながらアリスの白い耳に手を添える。

 耳たぶを指でつまんで、擦られるようにされて、彼女は思わず男を見た。憎々しげに睨みつけていると言うのに、その頬は微かに上気していた。
 その様子に、こっそりと笑んで、男は身を離す。

 散らばる箱から、ネックレスと同じ、小さな薔薇のイヤリングを出して、ブラッドは座りこむアリスの耳元に指を添えた。

「耳が紅いぞ?」
 にやりと笑って指摘する。アリスの背筋が強張った。
「この部屋、暑いから」
 精一杯の切り返し。ああそれはすまなかったな、などと平然と告げて、ブラッドはアリスの耳元に唇を寄せた。

「てっきり君が緊張しているのかと思ったよ」
「これくらいでどうして緊張しなくちゃならないわけ?」
 平静さを装おうと思って、平坦な口調で答える。
「口の減らないお嬢さんだ」
「貴方以外の人の前でなら、私だって十分にしおらしいわ」
「・・・・・・・・・・なるほど」
 舌先が、アリスの耳を掠め、頬に触れた手が、柔らかさを堪能するように肌を這う。
「では、私は君の知らない一面を知っていると言う事か」
「・・・・・・・・・・おめでたい性格ね」

 だが、そうでもない事を、微かに滲んだブラッドの苛立った気配に感じ、アリスはほんの少し溜飲を下げた。

 怒って苛立って不満をぶつければ、この関係は変わるのだろうか。
 二人そろって取り済ますから、訳のわからない関係になっているのではないのだろうか。

 首筋のすぐ近く。耳元。指が、アリスの耳たぶを彩って行く。

「さ、出来た」

 つと身を離したブラッドが、その碧の瞳を細めてアリスを眺める。ソファに腰を下ろしたアリスは、顔の脇に垂れているウエーブの掛った髪を指先に巻きつけて、落ちつかない気分で視線を逸らす。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 互いに何も言わない。沈黙に耐えきれず、アリスの翡翠色の瞳がうかがうようにブラッドを映した。
 彼の顔から読み取れる表情はほぼない。

(似合ってないなら、似合ってないってはっきり言えば良いのに・・・・・)

 膨らんだスカートの上に置かれた、その白い手を握りしめて、アリスは口惜しくて滲んだ涙を誤魔化すように勢いよく立ちあがった。

「さ、これで貴方の愛に答えたわ」
 もういいでしょう?

 こつん、とヒールが床を踏み、アリスはドレスの裾を心持ち持ち上げて踵を返す。ふわり、とクリーム色のスカートが揺れ、しゃらしゃらと衣擦れの音がする。
 我に返ったブラッドが「そうだな」と素っ気なく答えた。

「私も君に愛情を示したし、君もそれに答えてくれた」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 こつ、とブラッドの靴が床を踏む。背後に近寄る気配。俯いて立つ、アリスの項に、ブラッドは唇を寄せた。

「っ」
 落ちてきた口付け。身を捻ろうとするアリスの腰を、男が腕で抱えて押さえ込み、もう片方の手が、アリスの肩を掴む。

「んぁ」
 舌が肌を這い、うなじから首筋、耳たぶへと移動していく。腰を抱いていた手が胸元をまさぐり、アリスは抗議の声を上げた。
「何する・・・・・」
「私は君に愛情を示し、君もそれに答えた」
 先ほどと同じ台詞。耳元で囁かれるそれに、かあっと身体が熱くなる。

 どれほど性格が破綻していようと、どんなに近づいてはいけない人だと判っていても。
 この声が、この手が、この顔が、この身体が、アリスをおかしくさせていく。


 恋愛など面倒なだけだ。


 そう言った、彼の台詞にだけ、しっかりとしがみ付いて、これは愛でもなければ恋でもない、ただの遊戯なのだと言い聞かせる。

 それなのに。それなのに。それなのに。

「それはつまり、私たち二人は愛し合っているということにならないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 卑怯者。

 肩を掴んでいた手が、アリスの顎を捕えて強引に振り向かせる。深い碧の瞳に、焦ったアリスが映っていた。

「さあ、アリス。私に膝を折ってくれ」
 彼の唇が歪んだ笑みを敷き、愛しそうな素振りでアリスの顎を撫でる。自分から口付けて来いと、言われているようで、アリスは眦を決した。

「言ったでしょう?貴方が膝を折ってくれれば考えるって」
「君に最大限の愛情を示したのに?」
「これが?」

 皮肉っぽく、鼻で笑ってやる。途端、ブラッドはにやりと笑みを浮かべた。
 嫌な予感がする。

「君を手に入れられるのなら、私はいくらでも、喜んで、愛情を示してやろう」
 アリスは、一瞬で干上がった喉を潤そうと、こくりと唾を飲み込む。

 わあんわあんわあんわあん、と警鐘が鳴り響いている。

 沢山の女性を手玉にとって捨ててきた男。
 興味と欲望のはけ口だけに、女を犯してきた男。
 凌辱の対象になった女はどうなったのだろうか。

 この声で、手で、顔で、身体で、触れられた女はどうなったのか。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 恐らく。
 多分、だけど。

 どんなに卑劣な奪われ方をしたのだとしても。

(落ちなかったわけがない・・・・・悦ばなかったわけがない・・・・・期待しなかったわけないわ)


 余所者。暇つぶし。遊ばれているだけ。


 愚かなアリスは、気付かない振りをして失敗しかかっていることに、今、やっと気付いた。
 見ていれば回避できた。
 気付いていれば迷わなかった。

 いれて・いかせて・はまらせて・おとして。

 するっとアリスの身体を離す男に、恐怖する。この人は、何か決定的な一打で、アリスを打ち砕こうとしている。
 それが、嘘でも真実でも。

「アリス」

 ゆったりとした動作で、ブラッドはアリスの細い手首を掴んだ。そのまま持ち上げて、薬指の根元に口付ける。
 左手の、そこ。

 最後の装飾品が、アリスの細くて白い指に嵌って、アリスは反射的に手を引こうとした。だが、手首を抑えるブラッドに阻まれて叶わない。
 かたかたと震えるアリスを、ゆっくりと眺めて、ブラッドは碧の瞳の奥に、紅い色を灯しながら静かに笑った。


 見惚れるような笑み。


「私は君を愛している。結婚して欲しいほどに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 声が出ない。嘘か本当か見極めたい。見極めたいのに、アリスは碧の瞳に捉われて、言葉が出なかった。

「結婚してくれないか?アリス」

 ブラッドの顔が、徐々に近づいてくる。アリスは、逃れようとするが、足が動かない。碧の瞳に囲われて、掴まれた手が熱くて、顎に触れる指が優しくて、アリスは引き返せない。


 ブラッドの吐息が、唇に触れる。髪の毛一本ほどの隙間。重なるか重ならないかのそこで、ブラッドは酷くゆっくりとアリスに告げた。

「君は、私のものだ」


 膝を折って、屈する。
 プライドの高い女を跪かせる。
 泣いて懇願させる。


 ―――――――堕ちる。



 その男に、愛とは何、と尋ねたら、一体どんな回答が寄せられるのだろうか。


 この男に愛が必要だとは思えない。
 何にも執着しない、面倒事は大嫌いだと告げる、マフィアのボスが、真剣に誰かを愛するなんて、そんな超超面倒な事に自分から首を突っ込む筈がないのだ。


 だからアリスは、この男が気に入っていた。

 筈、なのに。


 この男に愛は必要じゃない。
 愛が必要なのは、アリスなのだ。

 愛して欲しい。愛して欲しい。愛して欲しい。

「アリス」
 囁く唇は、あとほんの少しで重なるのに、彼は動かない。ゆっくりと手を伸ばし、アリスはブラッドのシャツを握りしめると、くっと引っ張った。
 ほんの少し、踵を上げて。
 小さな声で呟く。

「愛し」

 緩やかに目蓋を落とした彼女が、自分からそっと、唇を押しあてる。

 てる、なのか。て欲しい、なのか。

 答えをうやむやにした口付けに、男は満足そうに笑って、目を閉じると、口付けを深いものへと切り替えた。

























 30万打GWリクエスト企画よりイサナさまからのリクエスト

「ブラッドによるアリス全身コーディネート(笑)」でお願いします。男性が女性にネックレスやイヤリングを手ずから付ける、というシチュエーションに弱いんです。

 から、このような感じと相成りましたが、いかがで・・・・・した・・・・・で、しょ・・・・・ orz

 甘いんだか甘くないんだかな、微妙な感じでスイマセン(汗)
 書いてる本人は楽しかったです!(笑)
 意地の張り合いから結婚してしまったかのような感じですが、まあそれもいいかなぁ、と(笑)
 最終的に、ブラッドはアリスを愛しているのか所有欲なのか、アリスは自分の気持ちを認めましたけど、みたいな終わり方ですが、ブラッドは悪い人なので(大笑)こういう手段で相手を手に入れちゃって、後から好き勝手にしちゃうような雰囲気だと思っといてください(笑)

 手に入れちゃった後はセルフ妄想でお願いします、うふ(笑)


 というわけで、イサナさま、こんな感じなのですが・・・・・楽しんで頂けましたら幸いですv
 ありがとうございましたvv


(2010/06/14)

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