Alice In WWW
- ほんのりと、薔薇の香りがするほどに
落ち葉が舞い散り、空が高く澄み渡る。吹く風は、夏の香りを残しながらもどこか冷たく、日差しは強くなく、でも夜の月は見惚れるほど綺麗な季節。
秋。
帽子屋領は今、美しく映える紅に彩られた季節を迎えていた。
「トリック オア トリート!」
がばあ、と腰に抱きつかれてそう叫ばれる。
振り返れば狼男とジャック・オ・ランタンの仮装をした双子の少年二人が、一見すると純粋そうな笑みを浮かべてアリスを見上げていた。
「はい、どうぞ」
そんな彼らに笑みを浮かべて、持っていたバスケットからお菓子の包みを取り出す彼女は、黒い帽子に黒いマントを羽織った魔女の仮装。
ぽん、ぽん、と渡された包みに、帽子屋屋敷の門番のディーとダムは目を見合わせてにこりと笑った。
「ありがとう、お姉さん」
「ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして」
「でも、僕たち本当はお姉さんにイタズラしたかったなぁ。ねえ、兄弟」
「そうだね、兄弟。お姉さんにイタズラしたらとっても楽しい事になったと思うよ」
「・・・・・・・・・・お菓子を上げたんだからイタズラは勘弁してちょうだい」
絶対に普通のイタズラにならない気がする。
普通じゃないイタズラとは一体なんだ、という疑問にぶち当たりもするが、彼らのどこか無邪気に「装っている」ように見える笑顔を見れば身の危険を感じるのは当たり前だろう。
「ねえ、兄弟。お姉さんには特別に、お菓子を貰ったらイタズラをするっていう風にルールを変えても良いんじゃないかな?」
「それはいいね、兄弟。そういうルールにしちゃおうか」
にこり、にこり。
顔を見合わせて笑う少年に、アリスは「ルールはルールでしょう」と腰に手を当てて、諌めるように告げた。
一応、怖い顔を作って見せるが、「無邪気」を武器にしている二人には毛ほども通じない。
「いいでしょ、お姉さん」
「ルールは破るために有るって、いっつもボスが言ってるよ?」
「僕たちのイタズラ、きっと楽しいよ」
「きっと癖になるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・謹んでお断りするわ」
というか、あなた達、ボスを見習っちゃいけないわよ。
げんなりして告げるが、早くも少年二人の手は、あらぬところに行こうとしている。
あらぬところ・・・・・たとえば、腰の下辺りとか、脇腹の辺りだとか。二人そろって胸に顔を埋め始めたりだとか・・・・・
「ち、ちょっと!ディー!ダム!!」
「良いでしょ、お姉さん」
「楽しいでしょ、お姉さん」
「お姉さんも、僕たちと一緒に」
(こ、この子たちっ!)
流石・・・・・というか、なんというか。
あのボスにしてこの部下か。
いい加減、本気でげんこつを喰らわせないと駄目か、と考え始めたころ、「お前らーっ!!!」と訊きなれた絶叫が響いた。
「いっ!?」
「にゃっ!?」
ごんごんごんごん、と最後に星マークがつきそうな勢いで振り下ろされた鉄拳に、双子二人が頭を抱える。
見れば、ミイラ男の仮装をしているのだが、オレンジの頭から突き出したふさふさのウサギ耳が怖さを帳消しにしている、帽子屋ファミリーの2が、何故か粉まみれになって立っていた。
「ど、どうしたのエリオット?」
幼児虐待!と悲鳴のような声を上げて、アリスの後ろに回り込み抱きつく二人に、腕をまわし、アリスは見上げるほどの身長が有るエリオットに目を見張った。
いでたちはともかく・・・・・粉はなんのオプションだ?
「こいつらがっ!」
目を逆三角にして、エリオットが腰のホルスターから銃を抜く。
「俺にイタズラを仕掛けたんだよっ!!」
毎回毎回毎回毎回!!!!
「ただでさえ、庭やら領地内やらに落とし穴を掘るくせに、ハロウィンだからって、更に調子づきやがってこのクソガキどもっ!!!!」
「引っ掛かる方が悪いんだよ、のろまのウサギ!」
「のろまは亀の特権なのに、ウサギがはまるなんて、世話が焼けるよね」
「んだとこのクソチビどもがっ!!!!」
ぱっとアリスから離れた二人めがけて、エリオットの持つ銃が火を噴く。
がんがんがんがん、と廊下に反響する音を背に、ひらりひらりとかわしていた二人が、持っていたお菓子の包みを掲げた。
「やめろよ、馬鹿ウサギ!お姉さんから貰ったお菓子に当たったらどうするんだよ!?」
「そうだよそうだよ、お姉さんが僕たちの為に作ってくれたお菓子なんだからね!」
「二人の為に?」
ちら、とエリオットの視線がアリスに落ちる。
「お前にはないよ〜間抜けなウサギ!」
「ウサギはお菓子じゃなくてニンジンでもばりばり食べていればいいんだ!」
「俺はウサギじゃねぇ!!」
再び銃声が響き、アリスは廊下の端によって、屋敷の主曰く「じゃれあっている」三人を遠い目をして見詰めた。
こんな事態を「平和だなぁ」と眺めていられるようになった自分も、随分この世界に染まってきているとそう思う。
そうでもなければ、日常的に銃がぶっ放される世界に嫌気がさしているに決まっているからだ。
ひとしきり撃ち合いをした後、貰ったお菓子を見せびらかす少年二人に、エリオットがちらりと再びアリスをみた。
ディーとダムに渡したのは、チョコレートキャラメルだ。二人が好きそうな、丸めに手足のちまい小さな人形が抱える包みに沢山詰まっている。
その人形の末路は考えないことにして、アリスはちらりちらりとこちらに視線を投げかける、自分より年上の男性である(いや、ウサギか?)エリオットに苦笑した。
「なあ、アリス・・・・・」
「なあに?エリオット」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
いい大人が恥じらうとか気持ち悪いよね、兄弟。
図体ばかりデカイウサギ男がためらうとか、無いよね、兄弟。
「う、うるせーっ!!!俺はガキじゃないし・・・・・その、こういうのはなかなか・・・・・」
根が子供みたいなエリオットでも、ためらうノリがあるんだと、アリスはちょっと驚いた。
三人で「ハロウィンの仮装には自分が選んだ衣装を着て!」と詰め寄ってきた時とは随分と子供っぽかったのに。
トリック オア トリート という呪文は子供の特権なのかもしれない。そう考えているエリオットに、アリスは小さく笑うと、「仕方ないわね」と持っていたバスケットから包みを取り出した。
オレンジの包装紙を、円錐状になるように絞り、緑の巨大なリボンを、わさわさするように広げて結んだそれは、ニンジン型のラッピングだ。
「!!!」
エリオットの顔がぱっと輝く。
嬉しい、という感情が、邪気なく素直に表れるのが、このウサギさんの良いところでもあり、弱点でもある。
とにかく分かりやすい。
「はいどうぞ」
「さ、サンキューな、アリスっ!!!!」
両手で受け取り、胸元に押し抱く姿はどこからどうみても乙女な仕草だ。マフィアの2には壮絶に似合わない仕草なのに、頭から伸びるフワフワのウサギ耳が全てを帳消し、マッチさせていた。
アンバランスな人だとそう思う。
アンバランスながら、凄くバランスがとれているのはどうしてなのだろうか。
包みを解くのがもったいないらしく、エリオットはそのままがばあっとアリスに抱きついた。
「ちょ、ちょっと!?」
「こんな・・・・・こんな包装までしてくれて・・・・・俺、すっげー嬉しいっ!!!」
「お、大げさよ、エリオット!」
「中身は?何が入ってんだ?」
「開けて見れば良いじゃない」
抱きついたまま、そっとアリスを離して覗き込んでくる蒼の瞳はきらきらしている。
大きな子供だなぁ、と微かに頬を緩ませて、アリスは笑う。
「え〜・・・・・けど、俺、器用じゃないからこれ、元に戻せそうもないし・・・・・」
「悪くなる前に食べてよね」
中はニンジンクッキーだから。
しけっちゃったら美味しくないわよ?と告げるとエリオットはううう、と考え込むように持っているお菓子の包みを睨んだ。
関係ないが、まだアリスを両腕に抱え込んでいる。
「けどよ・・・・・」
「判ったわよ。ちゃんと元に戻してあげるから」
うううう、と唸るエリオットに負けて、アリスがそう言うと、ぱっと彼の顔が輝いた。
なんて素直な反応だ。
可愛くて仕方なくなる。
ぴょこん、と揺れるウサギ耳に釘づけになるアリスを、エリオットは力一杯抱きしめた。
「ちょ」
「アリスっ!!!大好きだっ!!!」
「こ、こらっ!な、なにをっ」
ぎうぎう抱きしめるウサギなお兄さんを、しばらく見詰めていた双子が、苛立ちも全開でアリスの腰の辺りに突進する。
「って、ずるいよ馬鹿ウサギ!!」
「そうだよそうだよ、お姉さんを離せっ!!」
「ディー、ダム!?」
三人にぎゅうぎゅうにされて、おしくらまんじゅう気味なアリスはくらくらする。
「うるせーっ!!!俺はアリスが大好きなんだからな!!アリスも俺のこと好きだろ?」
「え?」
ちょっとだけ抱擁が緩み、エリオットがいくらか背をかがめてアリスを覗き込む。
割と近い距離だ。
「え?ええ・・・・・っと」
「何を言うのさ!お姉さんは僕達の方が大好きだよね?ね!?」
サラウンドで言われ、ぐいーっと袖を引っ張られる。
下を向けば、やはり近い距離で二人と視線がぶつかった。
「え!?ええっと〜」
「んだよ、アリス!俺よりもこのガキ共がいいのか!?」
「僕らよりもウサギが好きだとか言わないよね!?」
「お姉さんがいくら可愛いもの好きだからって、こんな図体ばっかりデカイウサギは飼いたいと思わないよね?」
「んだと!?」
「常識だろ!?アホウサギ!!!」
片やアリスの肩を抱いて己に引き寄せ、片やアリスの腰を抱いて己に引き寄せるから、アリスはそのまま横に持ち去られそうな気分になる。
「ちょ、ちょっと、三人とも!?」
私は三人とも大好きよ!?
慌ててそう付け加えるが。
「でも、俺の方が好きだよな!?」
「僕だよね、お姉さん!」
「絶対僕でしょ、お姉さん!!」
三者三様に詰め寄られ。
「え!?ちょ・・・・・」
きゃあ!?
肩を押され、腰を押されで、アリスは三人に勢いよく押し倒されてしまった。
「いった・・・・・」
「だ、大丈夫かアリス!?」
「お姉さん!?」
「しっかりして!?」
「・・・・・・・・・・・・・・重いから退いて頂戴」
しっかり三人してアリスを上から覗き込んでいる。
なんとか立ち上がりたい。だが、ふと気づけばディーが「お姉さん、良い匂いがする」としっかりアリスに抱きついていた。
「は?」
「あ、ほんとだ・・・・・お姉さん、柔らかい」
続いてダムがうっとりした眼差しで、アリスの腕の辺りに頬ずりをしている。
「ちょっと・・・・・?」
「アリス・・・・・なんか、すっげー美味そうなんだけど」
「はぁ!?」
動物的な賛辞を送り、エリオットがアリスの首筋に頬を寄せる。
一人に左腕、一人に首筋、一人に右腕を取られ、押さえ込まれ、アリスはこのままではまずいのではないかと、ぼんやり考える。
「ちょっと!?貴方達!?」
「アリス・・・・・」
「お姉さん」
「なんか、触ってると気持ちいよ」
しゅる、と音がして、アリスの胸元のリボンが解かれる。
その感触にひやりとして、アリスは反射的に「まずい」と悟った。
マズイ。
まずくないか?これは。
アリス自身の身の危機とか、貞操の云々とかじゃなくて、もっとずっとずっと「マズイ」。
「なあ、アリス。ほんとーは、俺の用意したハロウィンの衣装、着てくれるつもりだったんだろ?」
じっとエリオットの蒼い瞳が、アリスを映し、彼女は「え?」と目を瞬いた。
「でも、こいつらに遠慮して・・・・・この衣装にしたんだろ?」
確かに、角を立てたくなくて、全員の上司である男の提案を受けた。
「だからさ・・・・今だけでも、俺の用意した衣装、着てくれないか?」
「え?」
する、と肩から衣服が落ちる気配がして、アリスは焦った。
いつの間にか、エリオットの手には、件のニンジン色の衣装が握られている。
「アリス・・・・・美味そうだし。これ着たら、もっと美味そうだし」
「ずるいよ、馬鹿ウサギ!!!」
そんなアリスの襟元に手を差し込む少年二人が、各々が持っていた衣装を振りかざす。
「遠慮したのはお前にだよ、馬鹿ウサギ!お姉さんは僕の衣装を着ようとしてくれてたんだ」
「いいや、兄弟。僕の衣装だと思うよ。ま、どっちでもいいけどね」
さあさあ、今こそ自分の選んだ衣装を着てくれ!
そう迫られ、スカートを引っ張られ、リボンを解かれ、肩からずり落ちる衣装に、アリスは「ちょっと待って!!!」と必死に声を荒げる。
これ以上脱がされるのは、色んな意味で「マズイ」のだ。
廊下で痴態を披露するとか、そういう理由もあるが、もっともっと「マズイ」のは・・・・・
その瞬間、があん、とその場に非常に似つかわしくない音が、廊下に炸裂した。
それから、じゃきん、というレバーを引く金属製の音。
「お前達」
降ってきたのは、この季節に似つかわしくない、絶対零度の声音。
低く、地を這うそれに、ぎっくん、と三人の背筋が強張った。
半分衣装を脱がされ、あられもない格好で男三人に押し倒されているアリスは、エリオットの肩越しに、頬笑みを浮かべる、吸血鬼の衣装を着たこの屋敷の主を観て凍りついた。
柔らかな笑みだが、纏う空気が凍りついている。
「お嬢さんをこんな廊下に押し倒して、何をする気なのか・・・・・私に判るように説明してくれないか?」
向けられる銃口と、見詰める瞳に、並みの一般人なら卒倒しそうな殺気を感じて、四人は動けなくなった。
「もう少しお嬢さんの立場を考えなさい」
しゅーんと耳を萎れさせるエリオットと、肩を落とす双子を前に、ぱしりぱしりとステッキを掌に叩きつけて、ブラッドが珍しくまっとうな説教をする。
そういうの、嫌いな人じゃなかったかしら、とアリスは乱れた衣装を直し、リボンを結び直しながらそんな四人をちらとみた。
というか、アリスの立場を一番考えてない男に言われる台詞ではないだろう。
どこか遠いところでそんな事を考えていると、お説教を喰らったエリオットと双子が、勇んでアリスに飛びついた。
「きゃあ!?」
「すまねぇ、アリス!!次はちゃんと、誰も居ない所でするから、許してくれるよ・・・・・な?」
「ごめんなさい、お姉さん。今度はちゃんとベッドで押し倒すから」
「そうそう。今度はちゃんと順番踏むから」
「・・・・・・・・・・・・・・・お前達」
青筋の立つブラッドが何か言うより先に、アリスは双子とエリオットの頬に順番にキスを落とした。
流石にそれは予想外だったらしく、ブラッドがぎょっとするのが目の端に止まった。
「いいのよ。三人の気持ちはよーく判ったから」
「アリス〜〜〜〜!!」
「お姉さん!!!」
「大好き!!!」
「お前達っ!いい加減にしてとっとと持ち場に戻らないかっ!!!」
声を荒げるボスに、双子は不満の声を上げ、エリオットは「判ってるって」とにっこり笑みを返した。
「じゃ、そういうわけだからさ、アリス。次の夕方にでも、これ、包み直しに来てくれよな」
「僕たちとも遊んでよね」
「こんどはもっと楽しい遊びを用意するからさ」
にこにこ笑って手を振る三人に、アリスは「はいはい」と笑顔で手を振りかえした。
三者三様に去って行く後ろ姿。それにほう、と溜息を吐くと、アリスはそーっとこの屋敷の主を見上げた。
隣に立つ男は、不機嫌絶頂で三人を睨んでいる。
「・・・・・・・・・・・・・・・君は隙が有りすぎる」
しばしの沈黙ののち、ちらりとアリスに鋭い視線を落とした男が告げる。威圧感満載の、マフィアのボスに相応しい、零度の視線だが、原因が分かっているアリスには、それほど怖く感じなかった。
だから、くすりと小さく笑みを浮かべることも、出来た。
「あら、そうかしら」
「こんな廊下のど真ん中で押し倒されるなんて・・・・・君の貞操観念を疑うな」
「じゃあ、貴方はそういう事をしないのね?」
皮肉で応じれば、見詰め返すブラッドの眼差しに微かに動揺が見て取れた。にこりと笑うと、ようやくふっとブラッドが口元に笑みを浮かべた。
「そうだな。私なら、廊下のど真ん中で君を押し倒しても、ギャラリーが来ないようにすることが出来る」
こんな風に、とブラッドはアリスの腰を浚うと壁に押しつけるようにして抱き寄せた。
「ちょ」
そのまま、積極的に口を塞ぐから、アリスは必死に、ブラッドの胸元で両手を握りしめるしか出来なかった。
「んっ・・・・・」
「それで、うちのウサギや門番を餌付けしていたようだが・・・・・私にはないのかな?可愛い魔女さん?」
ちゅっと、わざわざ音を立てて唇を離し、ブラッドの碧の眼差しがアリスを捕える。
「その為に、言う事が有るんじゃない?」
意地悪く応じれば、おや、というようにブラッドが肩をすくめた。
「トリック オア トリート」
耳元で、甘く言われ、するっと腰を撫でられる。答えなければ、どんなイタズラをされる事やら。
ぐいっとブラッドの胸元を押しやり、アリスは自分の三角帽子を直すと、床に転がっていたバスケットを取り上げた。
「はい」
差し出されたのは、小さなシルクハット。ちゃんとプライスカードと薔薇がついているそれの、縁から透明な袋に入ったお菓子が見えた。
「紅茶のマフィンよ」
受け取り、ブラッドはにこりとアリスに笑みを見せた。
「ありがとう、お嬢さん」
意外に素直に礼を言われ、何やら文句を言われるのではないだろうかと身構えていたアリスは、心持ち拍子抜けした。
この男の事だ。
何か絶対一言あると、そう思っていた。
「それだけ?」
そう思っていたから、思わずそう尋ね返していた。それに、ブラッドがちょっと眉を上げ、にたりと笑う。
しまった、と思った時には、再びアリスは彼の腕の中におさまっていた。
「なんだ?他に何かお望みか?」
「そ、そういうわけじゃ・・・・・」
「イタズラが御所望だったのか?なら、悪い事をしたなぁ」
今からでも遅くないからイタズラしてあげよう。
くすくす笑いながら、ブラッドがアリスの首筋に顔を埋める。エリオットの時はただ、暖かいな、くらいにしか感じなかったのに、ブラッドだとどうしても背筋に衝撃が走ってしまう。
「ちょ・・・・・ち、違うわよ!」
掠めるだけの唇がもどかしいのは、彼の熱を身体が識っているからだろうか。
それでも、今日はハロウィンなのだ。
イベントでお祭り。
だから、アリスは彼女の細くて白い首筋に歯を立てようとする吸血鬼を押しかえした。
「違うの!・・・・・その・・・・・」
「?」
首をかしげるブラッドに、アリスはちょっと目を伏せるとちらっと男を見上げた。
「トリック オア トリート」
「・・・・・・・・・・」
小声で言われた、腕の中に収まる魔女の台詞に、ブラッドは目を見張る。
数度目を瞬かせる様子に、アリスはとん、と抱きしめる男の胸を押しかえした。
「無いなら、イタズラしちゃうわよ?」
見上げる彼女が、精一杯小悪魔然として言ってみる。
マフィアのボスの情婦。
それはアリスのイメージでは毛皮のコートが似合いそうな、ゴージャスな美女か、甘えて男を手玉に取れそうな小悪魔系の可愛い女だ。
そのどっちにも当てはまらない、中途半端な自分を自覚しているアリスは、魔女の衣装を味方にちょっとだけ勇気を出してみた。
判っている。
似合っていないのは、百も承知だ。
(でも・・・・・)
少しでもブラッドに喜んでもらいたい。彼が、どんな女性が好みなのか判らないけど。
判らないのなら・・・・・判るように努力をすればいい事だ。
かあ、と頬を真っ赤にして言った後の恥ずかしさと、似合ってなさから顔を俯けるアリスの、帽子に隠れる様子をたっぷりと観察してから、ブラッドはくすりと笑った。
揺れた彼の身体に、身を寄せていたアリスは更に羞恥で真っ赤になった。
「に、似合ってないのは知ってるけど、な、なにも笑う事ないでしょう!?」
思わず向きになって怒鳴れば、一際強く抱きしめられてしまった。
「っ」
「・・・・・・・・・・・・・・・アリス」
「ひゃっ!?」
耳元で囁かれた声が、低くて、甘すぎる。思わず身体の震える彼女に気を良くした吸血鬼が、するっと彼女の喉に指を走らせた。
「残念ながら、屋敷の主である私は菓子など持っていないんだが?」
覗き込んでくる眼差しを見上げて、アリスはなんとか調子を取り戻そうとした。
彼が、お菓子なんか持っていないのは想定の範囲内だ。
「だったら、イタズラしかないわね」
「君が?」
更にくすくす笑う男は余裕だ。
この余裕を崩してやりたくて、アリスは必死に考えたのだ。
ブラッドを困らせるイタズラを。
「君からイタズラしてもらえるとは・・・・・何をしてくれるのかな?可愛い魔女さん?」
「からかわないで」
「可愛いから可愛いと言っている。君のその衣装は良く似合っていると思わないか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自画自賛だわ」
「当然だ。私は君に似合わない物など贈らない」
それで、どんなイタズラをしてくれるんだ?
ちう、と頬にキスされ、流されまいと脚に力を込めたアリスは、持っていたバスケットから、最後の包みを取り出した。
ごくごく普通の、四角い箱。
「これを貴方に上げるわ」
私の手作りよ。
にっこり笑うアリスに、「ほう?」とブラッドが目を細めた。これのどこがイタズラだと言うのか。
「中身はどうってことない、かぼちゃのクッキーよ」
「ふむ?」
「全部食べてくれるわよね?」
上目遣いで見上げる。なるべく可愛く見えるように。
そのアリスに、やや目許を柔らかくし、今度は逆の頬に、ブラッドが口付けを落とした。
「それはもちろん。我が花嫁からの贈り物だからな」
またそうやってからかう。
途端に険の混じるアリスの翠の瞳に苦笑し、ブラッドは「それで、どこがイタズラなんだ?」と首を捻った。
「このクッキーの中に、一枚だけ、ニンジンクッキーが入っているっていっても、貴方は全部食べてくれる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
クッキーは嫌いじゃない。
好きでもないが、お茶受けとして数枚、摘むこともある。
これが、ブラッドが気にして止まない、余所者のお嬢さんのお手製となれば、全部食べることぐらい訳はない。
訳はないが。
「ニンジンクッキー。嫌なら上げない」
手にした箱をじぃっと見詰めるブラッドに、アリスは手を伸ばした。思わず、といった雰囲気で、ブラッドがそれを交わす。
「もちろん、頂くさ。頂くが・・・・・その・・・・・ニンジン?」
ひき、と口元をこわばらせるブラッドにアリスは快心の笑みを浮かべた。
「ええそう、ニンジン。ニンジンクッキーが一枚だけ。嫌なら食べなくて良いのよ?」
でも、せっかくだからエリオットに上げようかな。
再び手を伸ばすアリスに「・・・・・流石、一筋縄ではいかない魔女さんだ」とブラッドが再びそれを交わした。
「食べるよ」
全部。
こほん、と咳払いして告げるブラッドは、忌々しそうに箱を見詰めている。
彼のニンジン嫌いは筋金入りだ。
昔はそうでもなかったのだろうし、普通に食べていたのだろう。だが、彼の相棒が過剰なまでにニンジンを摂取し続けるので、ブラッドはニンジンに飽き、飽きても尚且つ、繰り広げられるオレンジの物体の料理の数々に嫌悪を覚えるようになってしまったらしい。
その彼が、苦々しそうではあるが、ニンジンクッキーを食べようと言っている。
それは、アリスが作ったから?
とくん、と心臓が一つ脈打ち、アリスはばれないようにこっそり微笑む。心の中が弾むのを感じ一人悦に浸っていると、「しかしだ、魔女さん」とブラッドが語を繋いだ。
「何?」
「このまま、ニンジンクッキーを私がただ食べるだけではつまらないと思わないか?」
「え?」
まさか、アリスにも食べろと言ってくるつもりだろうか。
ニンジンに対してそこまで思い入れもないし、普通に食べることが出来ていたアリスだが、エリオットのお陰で早くもニンジン嫌いになりそうになっている。
出来る事なら謹んでお断りしたい。
だが、ブラッドはアリスが作ったお菓子を、アリスにすら食べさせるつもりはなかったらしい。
「そこで一つ、私とゲームをしないかな?狡猾な魔女さん?」
にやりと笑ったブラッドは、アリスに腕を差し出すと、部屋に来たまえと、アリスが絶対に敵わない笑みを浮かべるのだった。
誰かしらが必ずゲームをする世界。
ルールに縛られた世界。
好き勝手に生きているように見えるこの男も例外ではない。
その彼が提案したゲームとは。
「何、簡単だ。私がこれから、この5枚のクッキーを一枚ずつ、半分だけ食べる。そして、君は私が一体何番目にニンジンクッキーを食べたのかを当ててくれれば良い」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「不正をなくすために、君にはその残った半分を食べてもらう。構わないね?」
ブラッドの部屋にある対のソファ。一つずつに腰をおろし、テーブルをはさんで向かい合ったアリスに、ブラッドはにこりと笑って見せた。
「当てたら?」
「君の願いを一つ、叶えてあげよう」
涼しい顔で言われ、アリスはごくんと喉を鳴らした。
たとえばチェスで。たとえばカードゲームで。時にはダーツ、ビリヤード、ルーレット・・・・・色々とブラッドに賭け事を持ち掛けられて、興味本位で挑戦し、手痛く負けを喫してきているアリスにしてみれば、今回の対戦は非常に魅力的に映った。
なんせ、口に入れただけで不機嫌になる代物を、当ててみろと言っているのだ。
「良いの?」
こんなに自分が有利に感じられる勝負事は初めてだ。
「ああ、構わないよ。ただし、私が勝ったら、その時はお嬢さん、私に一生口にしたくない物を食べさせた事への、相応の対価を払ってもらうが構わないね?」
にこにこ笑って、足を組んでソファに腰掛ける男の雰囲気は、穏やかに見えるが幾多の賭け事やら交渉事やらを渡ってきた者の、妖しい雰囲気が滲んでいた。
流石はマフィアのボス、と言った貫禄だ。
負けまいと、アリスはにっと笑う。可愛らしい魔女の衣装を着ていても、魔女は魔女だ。
ブラッドを手玉に取るつもりでふん、と顎を上げた。
「良いわよ。絶対に当てる自信があるから」
ブラッドにイタズラを仕掛けようと決めて、アリスは良い仕事をした。大量のニンジンペーストを混ぜたのだ。
恐らく、口にしただけでニンジンの、ほのかな、野菜にあるまじき甘い香りがするだろう。かぼちゃのそれとも見分けがつかないように、焼き加減にも気を付けた。
完璧な出来栄えな筈だ。
そして、それを食べようとしているのは、そのニンジンがちょっとでも何かに混じっていれば、不快感と不機嫌を全開にする男なのだ。
判らない筈がない。
きちんと膝の上に両手を揃え、アリスは「それでは」と箱を開けてクッキーを一枚取り上げる男を凝視した。
その場に滲む雰囲気は、どこか賭場ににた、緊張感の漂うもので。
お茶会に参加している、恋人みたいな二人の間に漂う雰囲気では決してない。
そんな、妙な空気の中で、一筋縄ではいかない男がにやりと笑って一枚目を口にした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「別にいかさまをしたつもりはないよ」
アリスを抱き寄せて、己の膝の上に座らせたブラッドが物凄い上機嫌で、アリスの胸元のリボンに指をかける。
しゅるりと外れるリボンに、アリスは口惜しそうにそっぽを向いた。
「・・・・・・・・・・酷いわ」
「どうして?」
くっくっく、と喉の奥で笑う男が心底憎たらしい。
勝負は見事、アリスの負けだった。
この男は、全部のクッキーを普段と変わらない、だるそうな表情のまま食べてしまい、あっさり見破れると思っていたアリスを混乱させたのだ。
まさか、どれもかぼちゃのクッキーだったのでは?と全部を口にしたアリスは、後悔するほどのニンジン味に口をとがらせている。
それだけ、ブラッドの演技が完璧だったと言う事だ。
「忘れてたわ。貴方がトンデモナイ悪党だってこと」
小声で囁かれても、ブラッドには可愛く映るだけ。むくれる白い頬をちょん、と突いて、楽しそうに笑う。
「ポーカーフェイスくらい出来なければ、マフィアのボスなんか出来ないわよね」
「ま、そういう事だ」
お嬢さんは状況判断が甘かったな。
耳元で、吹き込むように囁かれて、アリスは己の背筋がぞくりとするのを感じた。
「それで、貴方のお望みは?」
はずして、唖然とするアリスを抱き寄せ、楽しそうに服を脱がせるブラッドに、アリスは判り切った事を訊いているなと遠いところで考えた。
どうせこのまま、「口直しがしたい」とか色々言われて美味しく頂かれてしまうのだろう。
俯き、微かに耳の先を赤くするアリスをじいっと眺めた後、「そうだな」とブラッドは顔じゅうにキスを落としていく。
「・・・・・曲がりなりにも、君は魔女の衣装を着ているんだし・・・・・魔女らしく、私を誘惑してみてくれないかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
唐突に何を言い出すのかと思えば、にやにや笑った男が、アリスの衣装を寛げるだけ寛げて手を離す。
誘惑?
誘惑って・・・・・私が?
「魔女たるもの、惚れ薬だの媚薬だの魔法だの使えるはずだろう?」
にっこり笑われて、膝の上のアリスは頭痛がした。
まさかまさか。
まさか、そんなコスチュームプレイを強要されるとは。
「どうした?」
固まるアリスに、ブラッドは笑いが止まらない。
ごっくん、と喉を動かしてアリスはうろ〜っと視線を泳がせた。
「一応聞くケド、ブラッド」
「何かな?」
「拒否権は・・・・・」
「ああ、拒否しても構わないよ。ただしその場合、私を弄んだ罰としてお仕置きをしなくてはなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そちらも楽しいが・・・・・ふむ・・・・・監禁するのに手錠を探して来なくてはならないかな?」
「結構よ」
即答し、アリスははう、と溜息を吐いた。
この男と賭け事や勝負事をするのが、どれくらいリスクが高いか、アリスは知っていた筈なのに。
筈なのに、これだ。
しかし・・・・・
「・・・・・・・・・・ねえ、あの・・・・・今更なんだけど、ブラッド」
「ん?」
「誘惑って・・・・・どうしたらいいわけ?」
真っ赤になって、視線を外し気味に言われて、ブラッドはくつりと笑う。嫌な笑い方だ。
「そうだな・・・・・君が、昔付き合っていた・・・・・男?」
奴には可愛らしい女を演じて見せたんだろう?
どくん、と心臓が鳴り、アリスはぎょっとしたように目を見張ってブラッドを見上げた。
どうして知っているの?という単語を飲み込む。
「知っているさ。その男が私に似ていると言う事もなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「落とす為に、どんな手段を使ったのか・・・・・知りたい」
すっと目を覗きこまれて、アリスは己の背筋が震えるのを感じた。そこに混じっている、甘美な狂気。
(嫉妬・・・・・してる?)
アリスの腕を拘束する手の力は、それほど強くない。強くないが、容易な抵抗で外れるとは思えなかった。
「なあ、アリス。君は、どうやって欲しい男を手に入れたんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私にも・・・・・媚びて見せろ」
酷い言われようだとそう思う。そう思うが、どうしてだろう。強請られて、何故か身体がぞくぞくした。
見詰めてくる瞳は意地悪く、奥底にはちらりちらりと猛禽類を思わせるような色が滲んでいると言うのに、落として見せろと告げる台詞に、焦りの色を見てしまう。
「貴方は・・・・・可愛らしい女が好みなの?」
掠れた声で、確認するように言えば、ブラッドはちらりと口の端を持ち上げた。
「私好みの女を演出するつもりか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・誘惑って、そういうものじゃないの?」
負けじと笑って返せば、身を寄せていたブラッドがすっと身体を引いた。
挑戦的に、アリスを見る。
「なら、君が思う通り・・・・・私の好みそうな女を演じて見れば良い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ブラッドの、好みそうな、女性。
(て言うか、変なの・・・・・)
演じる、と評したブラッドは何が欲しいのだろう。
演じたアリスなど、要らないはずなのに。
それとも、自分の為に必死になる女が見たいのだろうか。
(悪趣味・・・・・)
でも、確かにニンジンを食べた為の代償には相応しいかもしれない。
小さく溜息を突いて、アリスはしばらく固まったあと、思い切って、ブラッドの肩に手を伸ばした。
気だるげな男の様子に、当てられる。
くらくらする。
「ブラッド・・・・・」
小さく呟いて、アリスは彼に圧し掛かった。
「何かな?」
見上げる瞳に、己が映る。両手を伸ばして、アリスは彼の頬を掌で包み込んだ。上を見上げる彼を、見下ろすアリス。
さらりと、彼女のゆるくウエーブした髪が、肩口を滑ってブラッドの上に零れた。
「貴方のタイプって・・・・・」
身を屈めた彼女の唇が、彼の頬を掠めて、それから唇に近い位置に落ちる。
「・・・・・・・・・・・・・・・ビバルディ?」
その瞬間、「なんでそうなる!?」と男が平静を崩してアリスの肩を掴んだ。
「え?」
だって、似合いじゃない?
薔薇園で二人の様子を思い出すと、どうしたって自分では様にならないと思い知らされる。それくらい・・・・・目を奪われるほどに、寄り添って立つ二人は綺麗だった。
しかし、あっさり言い放つアリスに、ブラッドは大層気分を害していた。苦々しい顔でアリスを見詰めている。
「どこをどうしたらそうなるのか、教えてもらいたいものだな、お嬢さん」
「違うの?」
「当たり前だ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「間違っても、あの女の真似をしてくれるなよ」
考え込むアリスに、ブラッドは手を伸ばし、するりと顎に指を這わせた。
「で?」
「え?」
「続きだよ、アリス」
さっきの。
あんな風に、積極的に迫ってくるアリスは、そうそう拝めない。だから、続きを促してみたのだが、どうやらアリスとしてはあの迫り方はビバルディがベースになっていたようだ。
それを否定されてしまったのだから、変えなくてはならない。
ブラッドの期待を余所に、アリスはするっと彼の肩から手を外して、上目遣いにブラッドを見上げた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・紅茶でも飲む?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
お茶会のお誘い。
どこから始めるつもりだ。
無言のブラッドに、アリスはますます焦ったように、早口にまくしたてた。
「な、なんなら、えと・・・・・ああ、そうだ。この間買った本が面白くて」
「アリス・・・・・」
それは誘惑って言うのかね?
半眼で見詰められて、「うっ」とアリスは言葉に詰まる。
それから、うろ〜っと視線を泳がせ、溜息を吐いた。
「・・・・・・・・・・・・・・・笑わない?」
「うん?」
しばらく黙考した後、アリスはそっと顔を上げてブラッドを見た。
「こんなの子供っぽいって、言わない?」
重ねて確認を取られ、ブラッドはちょっと眉を上げると頷いた。
「そうだな・・・・・まあ、笑ないよう努力しよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
はう、と溜息を吐き、アリスはぎゅっとブラッドの手を握りしめた。
昔々・・・・・いや、もしかしたらそれほど昔ではなかったかもしれないけれど、今となっては遠い日の事に思われる出来事。
先生と付き合いたくて、一生懸命気持ちを伝えた。
アリスの苦くて辛くて恥ずかしい記憶。
ブラッドなんかに通用するはずがないのだが、彼女は意を決して仕掛けてみた。
掌が熱い。
ふと、ブラッドは己の手を握りしめるアリスの手が、いつも以上に温度が高いのに気付いた。
微かに湿っていて、汗を掻いているのが判る。
伝わる緊張。
ふと彼女に視線を落とせば、強張ったような笑みを浮かべ、瞳には微かに涙が滲んでいた。
「あの・・・・・ね、ブラッド・・・・・」
頬が薔薇色。唇が、キスをした時よりも紅い。
かちり、とブラッドの何かが狂う。
引き寄せたブラッドの腕を胸元に抱いて、アリスは必死に口を開いた。
舌先が覗いて、ブラッドの何かを揺さぶる。
「私・・・・・私ね・・・・・」
息が上がっている。それでも、必死にアリスは言葉を口にした。
アリスが思いつく限り最大限の、ブラッドを揺さぶる言葉だ。
「初めて会ったときからずっと・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ずっと・・・・・貴方が好きだったの」
それは、どんな鍵よりも、ブラッドの世界を壊すのに相応しい、強力すぎる魔法の台詞で。
ストレートすぎるその言葉は、ブラッドの時計に確実にヒビを入れた。
「アリス・・・・・」
不覚にも、名前を呼ぶので精一杯で。動揺するブラッドを余所に、一旦箍が外れてしまえば、後は流されて落ちるだけとなったアリスは、すりっと身体を寄せる。
首筋に腕をまわして抱きつき、甘い吐息が、ブラッドの耳元を掠めた。
ぞっと、背筋に電流が走る。
「ブラッド・・・・・好きなの・・・・・」
どうしたらいいか分からないくらい。
ブラッドの首筋に、アリスが唇を押し当てる。湿った感触に、震える。
「アリス」
思い出したように、男の手が、彼女の服の下に有るふくらみに触れれば、「あっ」という、可愛らしい声が耳元で上がった。
これはいけない。
本気でいけない。
「駄目・・・・・」
何が駄目なのか。
そんな声で何を拒否するのか。
「アリス・・・・・」
身体を引き離す、彼女を追いかけるようにして手を伸ばせば、ブラッドの額に、己の額を押しつけたアリスが、困ったように下を向いた。
「ここじゃ嫌・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ちゃんと・・・・・」
ぎゅっとブラッドの衣装を握りしめるアリスの頬は真っ赤で、耳までほてっている。
そっと彼女を抱きあげれば、「ねえ」と掠れた声がした。
「何だ?」
部屋を突っ切り、ベッドに彼女を横たえる。伸しかかれば、手を伸ばした彼女が不安そうにブラッドを見上げている。
「通じた?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これ以上ないほど、な」
ぱっと、アリスが嬉しそうに笑うから、ブラッドは舌打ちしたくなる。
「時にお嬢さん。これと同じことを、まさか、その忌々しい昔の男にしたんじゃないだろうな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ぎゅっとブラッドの腕を掴む手が、白く震える。
「本当に?」
「・・・・・・・・・・・・・・・通用しなかったけど」
「馬鹿な男だ」
吐き捨てると、ブラッドは熱っぽい眼差しでアリスを観た。
「こんなに一途で・・・・・こんなに、壮絶に可愛らしいお嬢さんを、その男は振ったと言うのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ブラッド・・・・・」
くっと口の端を上げて笑い、ブラッドはそっとアリスの唇にキスを落とした。
軽く触れるだけのキス。
「もう二度と、他の男にこういうことをしてはいけないよ、お嬢さん」
ほどかれたままだったリボン。緩く開いていた胸元から手を差し伸べて、するりと脱がせば、肩口があらわになる。
「・・・・・・・・・・ブラッド・・・・・」
「ニンジンの味が消えない」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
アリスの首筋に、紅い華を咲かせた男が、ちろりとアリスの唇を舐める。
「君で・・・・・満たしてもらっても構わないかな?」
かぷ、と噛みつくようにキスをされ、アリスは潤んでいた視界を閉ざした。
※※※※※
ふわっと目を開けると見惚れていた胸元に、抱きしめられている自分を見つける。
温かく、紅茶と薔薇と・・・・・それからブラッドの香りがして、寝ぼけた頭のまま、アリスは体温を感じるようにそろっと身を寄せた。
普段、体温の低い男の指先が、そんなアリスに気付いたのか頬を掠めるように撫でた。
眠たげに、けぶった彼女の眼差しが、のろのろと肌を伝い、男の顔を見上げる。
「まだ、寝ていなさい」
そっと、あやすように言われて、アリスはこくりと頷いた。
夢魔はもちろん、ジョーカーだって近づける気はない。
帽子屋は腕の中に余所者を抱きしめて、彼女を脅かすものから護ってやる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
うとうとしながら、アリスは必要以上に優しくて甘い恋人に、泣きそうになった。
何故泣きそうなのか、その理由はぼんやりとながら判る。
現実に引き戻そうとするジョーカーですら怖れる男に抱かれているのが、堪らなく心地良くて・・・・・そして、何もかもを裏切っていることに泣きたくなる。
ジョーカーは、アリスが忘れている事を、見てみろと促す。促して、弱いアリスを閉じ込めようとする。
だが、ブラッドは違う。
彼は見なくても良いと目を覆いながら、見てしまったアリスを罰することはしないだろう。
あくまでも気だるげに、見てしまったからと言ってそれがどうしたと、言うのだろう。
アリスの抱える罪悪感も、背徳感も、「それがどうした」と笑う。
残酷に笑って、アリスを攫って行くのだろう。
ブラッドは悪人で、人の都合を考えない。
アリスが酷く傷ついても、きっと、傷ついた理由すら哂い飛ばして連れていくのだろう。
文字通り、攫われる。
「ブラッド・・・・・」
卑怯なアリスは、それが嬉しくてたまらない。この人は・・・・・アリスの為に、悪い人で居てくれる。
全ての罪を、引きかぶってくれる。
「愛してるわ」
堪らなくて、精一杯の気持ちを伝えたくて、彼女は泣きそうな声で呟いた。
「愛してるの・・・・・だから」
「愛してるよ、アリス」
しがみ付く彼女を、腕の中に閉じ込めて、ブラッドは鍵を掛けるようにして哂った。
髪に顔を埋めて、柔らかな肌に痕を残して。
「イタズラでもお菓子でも、君にいくらでもくれてやろう」
だから君は、私の傍に居なさい。
甘美な台詞は、アリスの胸に落ちてじわりじわりと広がって行く。
「君は・・・・・吸血鬼の花嫁にされた、哀れな乙女、なんだから、な?」
降ってきた口付けに、アリスは目を閉じた。
「ええ・・・・・そうね・・・・・」
落ちていく闇は、どこまでも柔らかく優しかった。
長っ!甘っ!!!エロ少なっ!!!(爆)
というわけで、30万打リクエスト企画より、雪乃さまからのリクエスト
「ジョーカー設定で甘エロがみたいです!w」
と言う事だったので・・・・・砂吐くほど甘くしてやろうと思ったら、なんか・・・・・こんなだらだら長い仕様に orz
だ、だからさっくり読めるものを書けよコノヤロウと、頭を抱えたくなりましたTT
そして、やっぱりR18にするには微妙すぎる長さだったので、またしてもR18部分を切り離し・・・・・ orz
こんな感じになりましたが・・・・・あの・・・・・楽しんでいただけましたら幸いです><
リクエスト、ありがとうございましたvv
しかし・・・・・エロって難しいな・・・・・(何を今更!?/爆)
(2010/05/27)
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