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 子供騙しな言い訳は、やがて本音に突き崩される
 借りた本を返しに行く。

 アリスは義理堅く、約束は守るし、けじめやなんかはちゃんと付けたい人間だ。

 それが、自分の常識が通用しない異世界でも、本を借りている友人が、友人として有るまじき行為を強要しようとしてきても、それに嫌悪感を感じることもなく受け入れて流されてしまっても、本来、彼女はきちんとした生活と、姉を理想とした生き方を目指したいと思っている女だ。

(だから、借りたものは返さなくちゃ・・・・・)

 滞在先にだって、恩義がある。訳も判らず連れて来られて、白ウサギと時計屋に、非情(?)にも追い出されて、困っていた所を助けてもらった。
 だから、そこでの仕事の手伝いを申し出て、きちんと働いている。
 その仕事だって、手伝わせてもらっているのだから、蔑ろにしていいものではない。

 本を貸してくれる友人の我儘で、散々屋敷に引きとめられて、ああだこうだと難癖を付けられて、仕事に間に合わなかった事もしばしば。
 その度に、謝り倒すくらいの常識を、アリスだって持ち合わせている。

 だから、この時間帯に本を返しに、友人の所を訪ねようとしているアリスは、シフトを代わってもらって、かなり無理をして時間を作った。
 友人の我儘につき合っても余裕が持てるくらいの空き時間をもらっている。

(・・・・・・・・・・・・・・・本を返しに行くだけなんだけどな・・・・・)

 勢い込んで仕事をして、時間を作って、会いに行く。

 ただ単に、本を返す為だけに。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 夕焼けに染まる森の小道を、目当ての屋敷目指して歩きながら、アリスは溜息を付いた。
 もうすでに、自分が随分引き返せない場所まで来てしまっている気がした。

 自覚はある。

 アリスは、これから訪れようとしている友人の事が好きだった。
 好きになってしまっていた。

 最初はただの興味だった。自分の元恋人に「似ているなぁ」という単純な興味。
 だがそれはだんだん、元恋人に無いところを探して、その無い所に安堵して、無い所に惹かれていってしまった。

 気付いたら戻れない場所にたたずんでしまっていたのだ。

(サイアク・・・・・)
 うなだれて、所々に無造作に石ころが転がる小道を見詰めて、アリスは再び溜息を付いた。

 その恋した相手が、マフィアのボスで、血と硝煙の香りがする男だと言う事に絶望的な気分になる。
 彼の仕事現場を何度か目撃した事が有った。二つの名の通り、血に濡れた双子に抱きつかれそうになった事も、彼の腹心の部下が怪我をしているのに笑顔でアリスに手を振ってくれた事もあった。

 血塗れのヒト達。人を蝕んである組織。そしてそれで成り立っている、屋敷。

 そこに感じるのは嫌悪ではなく、恐怖だった。
 それも、随分お門違いの恐怖。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 きゅっと唇を噛み、アリスは持っていた本をぎゅっと胸元に抱きしめる。不意に夕陽が眩しくアリスの上に降り注ぎ、俯けていた顔を上げた彼女は、いつか見た血のような色をした太陽を背に、優雅にたたずむ屋敷の門を見つけ出した。





「ボスは今〜おでかけしております〜」
 門番の居ない門をくぐり抜け、ひっそりと静かな屋敷を尋ねると、顔見知りのメイドが残念そうな顔でそう切り出した。
 特に約束をしたわけではない。居ない事もある。彼は、そうは見えないし、そう見せようとしないが、それなりに忙しいのだ。
「そう・・・・・」
「ボスに〜何か御用ですか〜?」
 にこにこ笑いながら、のんびりした口調で尋ねられて、アリスは口ごもった。

 本を、返しに来たのだ。
 彼から借りた本を、読み終えたから。

「ブラッドに借りた本を返しに来たんだけど・・・・・」
 居ないんなら、出直すわ。

 ちょっと肩をすくめてそう言えば、メイドさんは「お嬢さまでしたら〜お部屋にお通ししてもいいと〜伺っております〜」と言ってくれる。
「自由に〜御本をご覧になられて〜いいそうです〜」
 いかがいたしますか〜?

 ご案内しますよ?とにこにこ笑顔を崩さずに言われて、アリスはちょっと考え込んだ。

 本を返して、そしてまた借りて行こう。

 本来の目的はそれなのだから。

 ブラッドが居ないのなら、部屋に上がっても意味が無い、なんてちらとでも思いそうになる自分に慌てて蓋をして、アリスは「じゃあ、せっかくだから見せてもらうわ」と元気を出して答えた。





 ひっそりとした、主のいない部屋。ここに感じる冷たい印象に、アリスは目を伏せた。
 ブラッドが居ないと、静かすぎて怖くなる。壁を埋め尽くす勢いで配置された本棚は、この部屋の主と同じく威圧的で書籍の香りが満ちた空間は、どこか不安を煽った。

 初めてこの部屋に通された時は、現実の世界と似た空気感にほっと安堵したのに、今は現実を突きつけられるているようで、酷く怖い。

 まるで印象の違う部屋で、アリスは借りた本をそっと本棚に戻すと、ゆっくりと背表紙を眺めて行った。
 何度か興味深いタイトルの本を取り上げて、ぱらぱらとめくってみる。
 気に入った物を、腕に抱えて行きながら、アリスはちらちらと部屋のドアを見ていた。

 気まぐれなこの部屋の主が、都合良く帰って来ないだろうか、と考えて。
 だが、アリスが部屋を一周しても、主は帰って来なかった。

 抜き出した本は8冊。腕に重い。

(抱えて帰るには多いわよね・・・・・)

 四冊ずつ脇に抱えても重い。本音を無視して、アリスはどれか選別して帰ろう、と建前を優先しソファに腰を下ろした。
 一冊ずつ、持って帰る物を検証する。

 釣り込まれて読んでしまう・・・・・振りをしながら、アリスはドアをちらちらと見た。

 しばらく粘り、一冊丸ごと読んでしまってから、アリスはどんよりした気持ちで本を置いた。

(って・・・・・何やってるのかしら私・・・・・)

 アリスは自分に嘘がつけない。嘘をついても、最終的には居心地が悪くなって、結局言い訳を言い訳と認めてしまう所が有る。
 嘘を付けない潔さが無いくせに、嘘を付き通すずるさもない。
 中途半端さが嫌になる。

(もういや・・・・・)

 本当は、ブラッドに触れて欲しかったのだ、なんて本音をアリスは認められない。認めてしまったら、姉に憧れた、姉の好きな「アリス」が壊れてしまう。
 それだけは避けなくてはならないのだ。

 姉の希望通りの自分でいなければ、きっと姉は居なくなってしまう。
 姉を裏切ったら、きっときっと姉は自分の前から跡形もなく消えてしまう・・・・・気がする。

 そんな恐怖が、アリスの胸の底に仕舞いこまれているのだ。


 何故だかは、判らないのだが。


 その為に、アリスはどうしたって思い切りが悪くなるのだ。
 それも嫌だ。

 嘘もつけない、本音で生きられない、言い訳をしたくないのに言い訳を探している。


 ソファの上で膝を抱えて、アリスはそこに顔を埋めた。目を閉じて、全部締めだそうとする。目の前に広がる柔らかな闇は、心地よく、アリスはここはどこだろうと、ぼうっとする頭で考えた。


 現実の匂いがする、冷たい、異世界の、恋してやまない人の部屋。


 もしここに、ブラッドがいたら、きっとこんなぐるぐる想いを巡らせている彼女を、あっさり押し倒して、何も考えられないようにしてしまうのだろう。
 それが、暇つぶしだと判っているけれど、それでもアリスはそうして欲しいと願ってしまう。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 あの手が触れて、唇が触れて、身体が体温が熱が溶けてブラッドの何かになってしまえたら。


 随分と無理をして、時間を空けた。珍しく、アリスには時間が有る。
 現実ではあり得なかった事だ。

 誰かの為に、自分の時間を作るなんて。


 その無理が、アリスの身体から思考を奪い、いつしか彼女はうつらうつらと夢の世界にこぎ出し、ぱたり、とソファに横になると力を抜いて眠り込んでしまった。









「?」

 薄暗い己の部屋に、人の気配がする。
 持っていたステッキを構え直して、ブラッドはぱちん、と指を鳴らした。すっと部屋に明かりが灯り、自室がブラッドの前に姿を現す。
 足音を吸い込む、毛足の長い絨毯を踏みしめ、ブラッドは静かに、ゆっくりと部屋を見渡した。
 見渡して、ローテーブルの上に散乱した己の本と、その一冊を胸に抱いてソファに横になる女を見つけ息を飲んだ。

 お嬢さまが本を返しにお見えになられました、とメイドから報告を受け、ブラッドはてっきり彼女は用を済ませて帰ってしまったのだと思っていた。
 敵対組織の人間と、面倒な撃ち合いをしているから、みすみす上物の獲物を逃してしまったか、と酷く苛立たしく思ったが、それが一瞬で吹っ飛んだ。

 すうすうと寝息を立てて、ソファに横になる彼女は、一体いつからいるのだろうか。

 ふと、部屋の香りが違う気がしてブラッドは苦く哂う。

 アリスの香りが空気を染めている。甘い香りに誘われるように、ブラッドはそっと彼女に手を伸ばし、己の手袋が朱に染まっているのに眉を寄せた。
 彼女の香りに混じる、血の匂い。

 この手で触れて良い存在には思えない。

 確かに、洗い流した所で消えるわけが無いくらいに、ブラッドには血の香りが染みついている。
 それくらいの人間を、血だまりの中に沈めてきた。

 だがそれでも、彼女には極力そういった物を感じさせたくない。

(私も大分イカレているらしいな)
 くすりと小さく笑って、ブラッドは踵を返した。彼女は気にしないと言ったが、不安げな彼女の顔を見たくない。
 ・・・・・確かに、不安そうにブラッドを見上げる表情にそそるものが有るにはあるが、屠った人間の血に濡れた手が、アリスを穢すのは面白くない。
 どうせ穢すなら、自分の血で穢したい。

 先に風呂に入ろうか、と部屋を出る手前で、ブラッドはふと足を止めると、もう一度アリスに近づいた。







 甘い香りが鼻をくすぐる。

「ん・・・・・」
 ぼうっとする頭のまま、アリスはゆっくりと目を開けた。霞んだ視界に、ぼんやりと赤いものが映る。身体を動かすと、肩の辺りに痛みが走った。
 どうやら寝返りも打たずにソファに横になっていたようだ。どれくらいの時間か分からないが、身体の下にしていた腕が重い。
 身を起こそうとして、意識を引き上げ、再びアリスは己の視界に映る物に、はっと目を見張った。

 真っ赤な薔薇が、目の前にある。それから、黒い、ベルベットのように艶やかな生地。この国の通貨で一体どれくらいになるのか判らないが、アリスの世界では10シリング6ペンスに値するプライスカード。
 瞬きを繰り返し、がばり、とソファの上に起き上がったアリスは、目の前にあったシルクハットを取り上げた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ふうわりと、アリスの鼻を掠める甘い香り。甘い甘い、薔薇の香り。

 はっとして辺りを見渡せば、この帽子の主はいない。立ち上がろうとして、ぱたん、と本が膝から転がり落ちた。慌てて拾い上げて、アリスは目を瞬く。

(これ・・・・・)

 眠る前、アリスが胸元に抱いていたのは、心理学の本だった。自分が見ている夢の内容が、一体どんな心理を表しているのか、何となく気になって手に取ったものだった。だが、それが今は変わっている。
 アリスが返しに来た本の続編。そんなに甘くはなかった恋愛小説の続きだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 何を借りたか、アリスはブラッドに言わなかったし、借りた本は三冊だった。この一冊以外は、歴史物とこの世界に浸透している逸話とか伝説の類が載った本だった。
 それが寄りにも寄って・・・・・
 なんとなく頬が熱くなる気がして、アリスは何とも言えない表情で落ちたそれをテーブルの上に戻す。
 それから、知らず、甘い香りを放つ帽子を抱きしめた。形が崩れそうな気がしたが、構わない。


 冷たい表情だった、現実的な匂いがした部屋が、今は持ち主の存在を主張している。
 ブラッド=デュプレの存在を放つ部屋。

 多分、一度戻ってきた彼は、眠っているアリスにこれだけすると、またどこかに行ったのだろう。だが、今度は直ぐに帰ってくる筈。
 大事な帽子がここにあるのだから。

「ブラッド・・・・・」
 掠れた声で名前を呼んで、アリスはまた、帽子を抱えたまま目を瞑った。
「早く来ないとまた寝ちゃうわよ・・・・・」

 ふふ、と小さく笑んだ所で、不意にドアが開いた。








「疲れてるのか?」
 落とされる口付けを、目を閉じて受けていたアリスは、ふわっと目を開ける。直ぐそこに、自分を映した碧の瞳があって、彼女はとくん、と胸が騒ぐのを感じた。
「どうして?」
 彼のシャツを握った手に、ブラッドが手を重ねる。膝の上に乗せられて、軽く抱かれているアリスに男は苦笑する。
「キスをしながら、今にも寝そうな顔をしていたぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 それは貴方が上手すぎるから、という台詞をすんでの所で飲み込み、「そうかしら」とアリスは視線を落として答えた。

 実際に眠たい。

 身体は程よく疲れているし、抱きしめる腕と囲われて得た体温は、心地いほど温かい。このまま胸にもたれかかって眠ってしまったら、どんなに気持ちいいだろうかと、半分ブラッドの腕に身を預けていたアリスは、キスの最中に考えていた。

「アリス?」
 くすくす笑いながら名を呼ばれて、アリスは「だって」とブラッドのシャツを握りしめる。赤くなった頬を隠す、なんて口実で、ブラッドの胸元に額を押し当てて目を閉じれば、ぎゅっと抱きしめられた。
「滞在先で、こき使われているのか?」
 低い声が耳を打ち、彼女は慌てて否定する。
「違うわよ・・・・・ただ・・・・・今日は結構仕事を詰めたから・・・・・」
「どうして?」
 する、とアリスの髪の毛にブラッドの指が絡まる。そのまま柔らかく髪を梳かれて、彼女はますますブラッドに身を寄せた。
「貴方がなかなか帰してくれないから・・・・・」
「ん?」
「だから・・・・・」
 貴方が、帰してくれないでしょう?だから・・・・・もっと時間を・・・・・

 暖かい。
 例え、暇つぶしで手を出されているのだとしても、今はその事実に目を瞑ってしまいたくなる。
 この瞬間が永遠に続けばいい。

 今この時だけ、暇つぶしでもなんでも、ブラッドはアリスを抱きしめている。
 触れる手の優しさが偽りでも、柔らかい声音に勘違いしそうでも、今は勘違いしていたいし、優しさに泣きたくなりたくもない。

 本音に蓋をして、アリスはとろとろした眠そうな眼差しでブラッドを見上げた。

「貴方が満足するくらいの時間を確保してきたのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 アリスのそんな台詞に、ブラッドはちょっと目を見張ると、「私の為に?」と感情の読めない眼差しで尋ねてきた。

「・・・・・迷惑だった?」
 微かに不安を覚えて、尋ね返すと、やっとブラッドは面白そうに笑う。
「いや・・・・・そうか・・・・・」
 それから何事か考え込んだ後、そっと彼女の頬に指を滑らせた。柔らかく撫でられ、アリスは三度目を閉じる。彼女の耳に唇を押し当て、キスをしながら囁く。
「そんなに・・・・・この顔の人間と一緒に居たかったのか?」
 元の世界が恋しいのか?

 意地の悪い台詞。だが、それに傷つくより先に、アリスの口から意外な台詞が零れていた。

「元の世界に、似てたわ」
「?」
「この部屋・・・・・本の香りが、私の居た場所を思い出させる。冷たくて・・・・・しんとして・・・・・」

 なんとなく怖かった。

 ぽつりとつぶやかれて、ブラッドは彼女の頬に自分の頬を寄せる。ぎゅっと抱きしめる。

「貴方が居ないからよ」
 掠れたアリスの言葉に、ブラッドはゆっくりと笑みを広げると彼女を抱き上げた。
「それはすまなかったな」
「せっかく時間を作ったのに、貴方、居ないし・・・・・」
「悪かった。だから、埋め合わせをしよう」
 どうして欲しい?

 とさ、とベッドに下ろされて、アリスはスプリングを軋ませてアリスに圧し掛かる男を、見上げる。ブラッド越しに、ベッドの天蓋が見えた。

「お嬢さんを待たせてしまったお詫びだ。何がして欲しい?」
 くすりと小さく笑うブラッドに、アリスはとろんとした目を向けて、ゆるゆると手を伸ばした。

 今は凄く眠たい。
 ブラッドの為に時間を作って、その無理の所為で疲れて眠いのだ。
 何もしたくない。
 何かしてくれると言うのなら、抱いていて欲しい。

「抱きしめててくれればそれでいいわ・・・・・」
 恋人同士みたいに。
 その台詞を飲み込んで、覆いかぶさる男に抱きつく。

 ふわりと、帽子の薔薇と同じ香りがし、アリスは身体から力を抜く。

「寝てしまうのには、窮屈だし、服が皺になる」
 脱ぎなさい。
「・・・・・・・・・・脱がせてよ」
 それくらい、貴方なら手慣れたものでしょう?

 今にも落ちて行きそうな意識で、軽口を言えば、キスをされた。
 甘く、深く、絡まる舌に吐息が漏れる。

 エプロンのひもが解かれ、ボタンが一つ、二つ、と外されていく。

(ほんとに・・・・・)
 慣れ過ぎだわ、と背中を浮かせて、ドレスが身体から離れて行くのを感じながら、アリスは目を閉じてブラッドの首筋に頬を押し当てた。

「こんな姿をして・・・・・襲うなと言うのか?」
 鎖骨を、ブラッドの指が這う。下着の隙間から忍び込もうとする指を、彼の手首を掴んで拒絶し、アリスは彼の首に軽く歯を立てた。
「眠そうな女をどうこうするほど、貴方、飢えて無いでしょう?」
「・・・・・眠そうな女をどうこうするほど、飢えてはいないが、眠そうなお嬢さんをどうこうしたくなる位には、アリスに飢えてるよ」

 くすくす笑う声が耳を打つ。だが、ブラッドはそれ以上何もせずに、「だが、私は約束は守る方だからね」と低い声で囁いた。

「君が十分に眠ってから、頂くとしよう」
 私の為の時間は、それくらいあるのだろう?
「ええそうね・・・・・」
 ベッドに沈みながら、アリスはひそやかな声で答えた。

「貴方の、長い長いしつこいほどある暇を潰すくらいには・・・・・時間を貰って来たつもりよ」

 夢の中で夢に落ちて行くアリスは、柔らかなまどろみの前に、ほうっと溜息をつくブラッドをみた。

「君は・・・・・ここに滞在すれば、そんな苦労をしなくても済むんだと気付かないのかな?」
 そうすれば、私だってこんな不満だらけのお預けを喰らう事もないんだが。

 呆れたような、不貞腐れたようなブラッドの台詞に、アリスは夢うつつで答えた。

「駄目よ・・・・・そうしたら・・・・・言い訳が無くなっちゃう・・・・・」
「・・・・・」

 怪訝な顔をするブラッドが、その意味を尋ねるより先に、アリスは深い夢の中に落ちて行ってしまう。
 取り残された男は、柔らかく溜息を付くと、腕を枕に提供して、彼女を抱きこんだ。

「言い訳がなくては・・・・・来てくれない・・・・・という意味か?アリス・・・・・」

 そう呟いた男の、なんともマフィアとはかけ離れた、切羽詰まった顔を、アリスは結局見そびれてしまったのだった。










 時間を作って会いに行く。
 ブラッドが、帰ろうとすると実力行使で引きとめるから、しょうがなく。
 それが判っているのに、会いに行くのはしょうがないから。
 だって、彼から本を借りているから。
 借りたものは返さなくてはならない。
 手を出されるのも、拒めない。彼は暇をつぶしたいだけで、その相手をしてあげているんだから。

 本を借りているお礼みたいなものだ。

 お陰で、堂々と帽子屋屋敷にお邪魔して、主の居ない部屋で自由に過ごす事が出来る。


 だから、帽子屋屋敷に滞在は出来ない。

 滞在してしまったら、どんな言い訳も通用しなくなる。


 時間を作って会いに行くのが苦じゃなくて、むしろ、長い時間一緒に居られるのが嬉しいとか。
 本などなくても、会いたいくらいに彼に惹かれているとか。
 拒まないのは、自分がすでに彼に落ちているからだとか。

 暇つぶしなんて思って欲しくないと、愛して欲しいと望んでしまいそうなほど、切ない気持を抱えている事だか・・・・・。



「結局」
 門まで一緒に歩きながら、アリスは首の後ろに落とされた赤い華を気にしながら、きっとブラッドを睨みあげた。
「時間、足りないじゃない」
 すでに、アリスは仕事に遅刻している。余裕があると思ったのに、いつも以上にブラッドが、アリスを掴んで離さなかったのだ。
 会えなかった時間と、まどろんでいた時間は、君に費やした時間に当てはまらないとかなんとか言って。
「ああ、足りない。今だって足りていない」
 そんなアリスの台詞に、ブラッドは不機嫌そうな顔で応じた。髪に隠れる位置に落とした鬱血の痕。それを気にするアリスが面白くない。
 本当はもっと目立つ位置に付けたかったと言うのに。
「もう充分でしょう」
 あれ以上何をするというのだ。
 散々付き合わされた身で、そう答えると、「まだまだ足りない」としれっとトンデモナイ事を言われてしまった。
「私は嫌」
「・・・・・君は私より健康的な生活をしている筈なのに、体力が無いんだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・体力限界まで付き合わせる気なの」
 呆れて言えば、ブラッドはにいっと人を食ったような笑みを浮かべた。
「ああ。そうすれば、君は歩いて帰れない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「足腰が立ってるだけ有りがたいと思ってくれ、お嬢さん」
 本当はもっとめちゃくちゃにしても良かったんだけどね。
「謹んで辞退するわ」

 かちゃん、と門扉に手を掛けて、アリスはこの屋敷の主を振り返る。空は彼の好きな夜に彩られ、散らばった細かな星が空に模様を描いている。

「じゃあ、ね」
「ああ」

 ちらと視線が交わって、手を伸ばしたブラッドに肩を掴まれて、ついばむ様なキスを落とされる。

「・・・・・・・・・・」
 ブラッドが持っていた本を手渡され、アリスはきゅっとそれを抱きしめる。こん、と彼のステッキが門をたたくと、自動で門扉が開き、彼女は敷地からそっと離れた。

「アリス」
 声を掛けられて、彼女は振り返った。
「その本は君に買ったものだから、君に上げよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 目を見開くアリスに、ブラッドは笑った。

「だから、返しに来なくていい」
「っ」
「じゃあ、な。お嬢さん」

 ひらりと手を上げて、ブラッドが背を向ける。アリスが何か言うより先に、門はゆっくり閉じて行き、やがて、がしゃん、と重い音を立ててしっかりと閉まってしまう。

 本を抱え、温かな夜気がアリスを包む。夜の香りがする風がアリスの髪を浚い、彼女は頬を染めて顔を俯けた。


「やっぱり・・・・・マフィアだわ」
 欲しいものは手に入れる。
 何がどうしようと関係なしに。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 帽子屋屋敷の門を見上げて、アリスは溜息を付くしかなかった。
 全ての言い訳を封じられた時、アリスはそれでもまだ、この屋敷を訪れる立場に居るだろうか。

 それとも、二度と訪れなくても良い位置に、おさまっているのだろうか。



 ブラッド=デュプレと言う、マフィアのボスの隣に、おさまっている自分を想像しかけて、アリスは本音に大急ぎで蓋をした。


 そんな未来、望んでいないと建前を並べる。


 嘘が付けないほど潔くはなく、嘘を付きとおせるほどずるくもない。

 空には月。屋敷の門は閉まったまま。アリスは、本音を隠して帰途についた。























 初・アニアリ非滞在SS!!
 イベント9で、「アリスが寝ちゃうといいな」という願望(笑)から生まれたもの(笑)時期的には12直前くらいです(笑)






(2010/03/23)

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