Alice In WWW

 それはつまり、どこでもいいということだと、男は勝手に理解する
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 変な夢を見た、とアリス=リデルは溜息を吐いた。間違っても、隣に寝ている筈の男が居なかったから、とは言わない。
 言わないが、まったく無関係という訳でもない筈だ。


 なにせ、先生が出てくる夢を見てしまったのだから。


 溜息をついて、アリスはせっせと廊下の窓を磨く。今日は二階廊下の窓拭き担当だ。脚立を使って高いところを磨きながら、アリスはなんで今頃先生の夢を見るんだろうか、と唇を噛む。

 まだ、気にしているのだろうか。
 彼の事を。

 それとも・・・・・。


 はう、と溜息を零し、アリスは脚立から降りる。バケツに屈みこんで、水面を見詰めていると、不意にふうわりと甘い香りがするのに気付いた。
 はっと顔を上げると、しゃがみこむアリスを、ブラッドが後ろから抱きこんでいた。

「!?」
「ただいま、お嬢さん」
 鉄の香り。硝煙の匂い。それに混じる甘い薔薇の香り。相反するような香りだが、この男が身にまとうとさまになる。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 抑揚なくそう告げると、抱きしめる腕の持ち主がくっくと喉を鳴らして笑った。
「やれやれ・・・・・もうちょっと感情を込めて言ってくれると嬉しいんだが、ね?」
 立ち上がるアリスを離さず、この屋敷の主、ブラッド=デュプレは後ろから彼女の顎に指を掛けた。
「留守中、変わりはなかったか?」
 答える前に口付ける。無理な体勢で口付けられていると言うのに、先ほどまで感じていた奇妙な罪悪感は砕けて行った。
「貴方が居なくて、すこぶる平和だったわ」
「それはまた・・・・・退屈だったろうなぁ」
「・・・・・・・・・・」
 良いように解釈する男を睨みつければ、再び唇を重ねられる。積極的なそれに、思わず流され掛け、アリスは自分が仕事中だと言う事を思い出した。
 窓はまだ、残っているのだ。

「ちょ・・・・・ブラッドっ!」
 やめて。

 自分の顎を撫でる指を掴んで引きはがせば、ブラッドが面白くないと言いたげに眉を上げた。
「付き合ってはくれないのか?」
「仕事が残ってるの」
「私にはない」
「そりゃそうでしょう。片付けてきたんだから」

 ボスだけ戻ってくる・・・・・ということもあるのだろうが、今回は「なかなか面白そうだから出張ってくる」と黒い笑みを振りまいて彼は出かけたのだ。
 終わるまで戻って来ない、ということは無い筈だ。

 ボスの我儘には付き合ってられません、とさっくり言って、アリスは再び窓磨きに取り掛かろうとした。
 の、だが。

「・・・・・・・・・・・・・・・ブラッド」
「何だ?」
「邪魔しないで」
「ああ、気にしないでくれ。」
 君は君のしたいように、窓を磨けばいい。私は私のしたいようにするから。
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ブラッドはアリスに抱きついたままだ。腹の下辺りに腕をまわして、肩に顎を乗せてひっついている。時折、ふーっと首元に吐息が掛ったり、くすぐるように鼻の頭を押し付けたり、舌先で突っついて口付けてくる。顎を上げて窓ガラスの高い場所を拭いていたアリスは我慢ならず、ぞくり、と身体を震わせた。

「抱きつくだけでも邪魔なのに、変なことしないでっ!」
「おや?変な事って、どうしてだ?」
 空っとぼける男が憎たらしい。
「私はただ、好きなようにしているだけだ」
 するっとお腹を撫でられて、アリスは更に身体が震えるのを感じた。
「止めてって!」
「だから、何故だ?」
「へ・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・変な気持ちになるからよ」

 頬を赤くして、自分を覗きこむ男に言えば、「ああ、それは済まなかったな」と男はアリスの身体を離した。
 そう、それでいい。

 良かった、放してくれた、とアリスはほっと息を吐く。これで仕事が続行できる・・・・・そう思って再び窓ガラスに向かおうとした彼女の手首を、ブラッドが掴んでいた。

「え?」

 そのまま強引に引かれれば、彼の胸元に倒れざるを得ない。

「ちょ!?」

 思わず見上げれば、「変な気持ちになっているお嬢さんを、放っておくわけにはいかないだろう?」とブラッドがとんでもなく良い笑顔で、トンデモナイ事をのたまった。

「はあ!?」
 そのまま、今まで拭いていた窓ガラスに押し付けられる。
「やっ」
 首筋に、唇が押しあてられる。舌先が触れ、吸い上げられる。つきん、と痛みが走り、アリスは人によく見える場所に痕が付いたのだと、気付いた。
「何するのよっ!!」
「私は、君に触れられなくて、退屈で退屈で仕様がなかったんだよ、お嬢さん?」
 ようやく面倒事を片付けて帰って来たというのに、君がつれないものだから、私も変な気持ちになってしまったよ。
「・・・・・・・・・・・・・・・変な気持ちって?」

 背中に冷や汗を掻きながら尋ねれば、目の前で、男はぞっとするような笑みを見せた。空気が冷える、怖い微笑み。

「この場で君を、めちゃくちゃにしたいという気持ちだ」
 くっと顎を持ち上げられて、アリスは脳内に警鐘が鳴り響くのを感じた。
「まっ・・・・・駄目っ!!」
 落ちてくる口付けを、慌てて掌で抑えて、アリスは不満そうな光を宿す、碧の瞳を見かえした。
「こ、こんな所で迫って来ないでっ」
「なら、どこならいいんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ここは私の屋敷で、どこでも私の空間だ。でも、君が嫌だと言うのなら、私は優しい男だから?それを呑んであげよう。その代り、どこならいいのか、教えてくれないか?

 歌うように、トンデモナイ事を言われて、アリスは真っ赤になって口を閉ざした。

 ここならいい、と言えば、恐らくこの男の事だ。それを逆手にとって、そこにいたら「必ず」手を出してくるに決まっている。
 アリスはブラッドの愛人で女で恋人だから、拒む権利はない。

 だから、慎重に答えを返さなくてはならないのだ。
 不注意な事を言えば、こんな風に追い詰められる。だるそうに見えても、ブラッドはマフィアのボスなのだ。

「さ、アリス?」
 教えてくれ。どこならいいんだ?

「・・・・・・・・・・・・・・・どこでもいいわ」
 散々考えた挙句、アリスはそう答えた。微かに、ブラッドがその眼差しを大きくした。
「は?」
「どこでも良いって言ってるの」
 きっと睨みあげるように言えば、「おやおや」とブラッドが不思議そうな顔でアリスを見下ろした。
「そんな事を言っていいのかな、お嬢さん」
 するっと頬を撫でる手が、妖しい。唇を寄せられ、塞がれる前に、アリスは言い切った。
「そうよ。どこでも良い。どこでも良いってことは、どこでも駄目ってことになる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 唇が触れる前に、ブラッドが静止する。いつぞや、自分が言った台詞を逆手に取られ、彼はまじまじとアリスを見た。

「そうなんでしょう?」
 斜めに見上げる女が、憎たらしい。憎たらしいが・・・・・酷く愛しく面白い。

「さ、判ったら離して」
 ぐっとブラッドの腕を押し、アリスはガラスから身を離した。再び雑巾を持つ手が、微かに震えていて、アリスは自分が耳まで赤いのに気付いた。
 これくらいの駆け引きで、真っ赤になって緊張してるなんて。

「それならば・・・・・」
 まだ諦めてくれないのか、とアリスは固く絞った雑巾を持って、ふむ、と顎に手を当てて考える男を見やった。
「変な気持ちになった私と、変な気持ちになり掛っている君は、どうしたらいいと思う?」
「え?」
 再び伸びた手が、するりと脇腹を撫でて、アリスは目を見張った。
「こんなに・・・・・君を掴んで離したくないのに・・・・・」
 この気持ちはどうしたらいいと思う?
 間近に見詰められて、アリスは動けない。こつり、と額が触れ、容赦のない瞳に覗きこまれる。どくん、とアリスの心臓が跳ねた。
「君は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 腰に回った掌が、柔らかくアリスを撫でる。低い声が耳朶を打ち、膝が震えた。
「困らないのか?」
 こんなに目元を潤ませて。
 口付けがこめかみに落ち、彼の指先が唇を撫でる。ぞくぞくと身体が震えて、アリスの息が上がった。
(この男はっ!!!)

 アリスに触れる指先に、艶めいたものを感じなられないほど、アリスとブラッドの間は冷えていない。
 冷えていないどころか、触れられる回数が多い所為で、ちょっとした事でも彼を求めて熱くなってしまうのだ。

 そういう身体にさせられてしまった。
 本当に、腹が立つほどに。


 しかも、数時間帯ほど、二人は夜を一人で過ごしていたのだ。


(私の馬鹿っ)
「なあ」
 とうとうブラッドの口付けは、アリスの唇に達し、ちうちうとついばむ様なそれの合間に、囁かれる。
「そんな顔をしておいて・・・・・どこでも嫌だというのなら、どうしたいんだ、君は」
 教えてくれ。

(あんな夢っ―――見るからっ)

 先生が出てくる夢だった。
 隣にこの男が居ないばっかりに、見てしまった夢だ。

 先生相手に、私は何を言った?

「アリス」
 不意に響いた声が、掠れていて不機嫌で、アリスははっと我に返る。見つめる碧の瞳が冷たい。すっと細められた視線に、彼女は「それくらい自分で考えてよ」と反射的に答えていた。

「・・・・・・・・・・ほう?」
「貴方・・・・・モテるんだし・・・・・さぞかし女性の扱いがお上手なんでしょう?」
 口説く場所くらい、判るんじゃないの?

 心の中を読まれたくなくて、精一杯強がると、しばらくアリスを見下ろしていたブラッドが、にたりと笑みを浮かべた。

「ナルホド。手厳しいな、君は」
「当然よ」
 マフィアのボスの情婦なんですから。

 皮肉を込めて言えば、ブラッドはおかしそうに笑い声を上げる。低下した機嫌が上向いたのか、それとも違うのか。

「確かに、そうだな。君は私の愛人だ」
 すり、と彼女の頬をブラッドの掌が撫でた。
「今は、君は仕事をしたいんだな?」
「・・・・・・・・・・そうよ」
 警戒しながら答えれば、「ではそれを尊重しよう」とブラッドは事もなげに告げた。
「私は君に甘いからな。だが、次の時間は私の元に来なさい」
 いいな?
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 自分の情婦。自分の愛人。

 自分の、女。

 アリスに告げる台詞には隠しようもない支配と独占とが滲んでいて、アリスは抵抗が無駄だと知った。
 彼女自身、そんな彼に支配され占められているから。

「その代り」

 納得しかけたアリスは、続く彼の台詞にぎょっとした。

「私が贈った服を着てくるんだ」
「はあ!?」
 にこにこ笑うブラッドに、アリスは眩暈がする。まさか・・・・・そう来るとは思わなかったのだ。
「君は私の愛人なんだろう?」
 なら、私の機嫌くらい取れなくてはな?

 楽しそうに笑う目の前の男は、アリスに全然似合わない、情婦という言葉が気に入っているようだ。

「君の機嫌を取るのに、仕事を尊重したんだ。君と私は対等だろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「楽しみにしてるよ、アリス」

 今度こそ、と深い口づけをされて、アリスは眩暈がした。そして、どうしてこの男と恋愛なんかしているんだろうと、心の中で首を捻った。






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お嬢さん」
「なに」
「確かにそれは私が贈った物だが・・・・・」
「ええそうね」

 自分が贈った服を着てくる事。

 そう言われて、アリスがブラッドの部屋を訪れた時に着てきたのは、ハロウィン騒ぎの時に贈られた魔女の衣装だった。

「これはブラッドに貰った物だから、問題ないでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 やれやれ、と男は肩をすくめる。ソファに腰をおろしている彼に、紅茶を淹れて差し出すと、アリスも隣に腰を下ろした。

「まあ、確かに可愛いが」
「・・・・・・・・・・ありがとう」
「出来れば別の服が良かった、な?」

 する、と胸元のリボンを持ち上げられて、アリスは男から視線を逸らした。

「指定しなかったじゃない」
「・・・・・・・・・・次回からは気を付けるよ」
 彼女を抱き寄せて、顔を寄せる。キスされると知っているから、アリスは目を閉じた。だが、いくら待っても唇は降りてこない。
 不思議に思って目を開けると、「ああ、なんだ」とブラッドが残念そうにつぶやいた。
「もう少し、強請ってる顔を見て居たかったんだが」
「ばっ」

 かあっと真っ赤になったアリスが、自分の顎を掴む手をはたき落とす。

「もう知らないっ!」
「積極的なお嬢さんというのも、魅力的だ」
「勝手に言ってなさい!」

 自分の分の紅茶に手を伸ばすアリスの、膨れた横顔を眺めながら、ブラッドはフォークを取ると、茶菓子のケーキを切り分けた。

「ほら」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ〜ん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 差し出されたフォークに、アリスは目を瞬く。にこにこ笑う男が憎たらしい。ぎゅっと唇を引き結んで、アリスはブラッドを睨みつけた。更に頬の膨らむ彼女に、ブラッドは小さく笑った。

「いいだろ?これくらい」
 何を恥ずかしがってるんだ?君は。
 楽しそうな、からかうような男の表情が嫌なのだ。
「からかって遊んで面白い?」
「からかうつもりはない・・・・・事もないが・・・・・そういう可愛い所が私はもっと見たい」
「私は見たくないっ!」
「ほら?」

 あ〜ん。

 これでもか、と甘い声で囁かれて、アリスは彼から視線を逸らして口を開けた。

 ちらりと、見た夢が頭をよぎる。
 もし、こうしてくれるのが、ブラッドじゃなくて、先生だった・・・・・ら?

「・・・・・また、考え事か?」
 先生だったら、きっとこんな風にしてくれない。
 というか、当たり前だ。

 目の前にいるのは、どこまでも喰えないマフィアのボスなのだから。
 こんな男が、ほいほいその辺に転がっていたら、こんなでたらめな世界でも問題だ。

「・・・・・・・・・・甘いなって」
 口に広がるのは、ラズベリーの甘酸っぱさと、甘くて溶けそうなクリームとふわふわのスポンジの香り。
「どれ」
「んっ」

 自分で食べればいいじゃない、というアリスの感情などまるっきり無視して、ブラッドが口付ける。

「・・・・・確かに甘い」
 もう少し欲しいな。
「って、自分でっ」

 アリスに差し出して、食べるアリスから、貰う、なんてどうかしている。どうかしているのに、ブラッドは愉しそうにそれを繰り返す。

 いつの間にか、ケーキ味のキスから普通のキスになり、やがて男を見上げる形で口付けを繰り返す羽目になっていた。


 視界一杯に映るブラッドに、アリスは奇妙な安堵感を覚えた。触れる手に、掛る重みと温かさに安心する。思わず、ぎゅっと彼の上着の袖を握りしめた。

「どうした?」
「・・・・・積極的なのがいいんでしょ?」
 かわすように告げると、しばらく彼女を見下ろしていたブラッドが、アリスの瞳を覗きこんだ。
「今日の君は、どこかおかしい、な」
 何があった?

 言い逃れを許さない、射抜くような眼差し。答えられず、アリスは黙ってブラッドを見上げた。



 夢を見た。

 目が覚めると、世界が全て変わっていた夢だ。
 ・・・・・変わっていたというのは、少し語弊がある。今までアリスが居た世界はやっぱり夢で、アリスは一人、家の庭で目覚めるのだ。
 姉が来て、トランプを始める。日が落ちて、夜が来て、日が昇って朝が来て。街でアリスは先生に会った。

 彼は驚いた事に、アリスに「付き合って欲しい」と言う。

 君しかいないと、あり得ない台詞が耳を打ち、アリスは信じられない思いで彼を見上げて、そこで目が覚めたのだ。



 隣にいるはずのブラッドを探して、彼がまだ仕事で出てるのだと気付く。

 あの先生は、ジョーカーだろうか。
 嘘つきのジョーカーが、「楽しませたい」とアリスに見せた夢なのだろうか。
 ナイトメアは、こんなことはしない。
 でもジョーカーは・・・・・。


「誰に酷い事をされた?」
「え?」

 我に返ると、険しい顔をしたブラッドが、アリスを見下ろしている。男の指先がアリスの目元に触れて、そこで初めて彼女は自分が泣きそうな顔をしていたのに気付いた。
「言ってみなさい。君を苦しめる物は、私が全力で排除してやろう」
 触れる指先が熱くて、アリスは思わず、縋るように手を伸ばした。ぎゅっと彼のシャツを握りしめる。

 とんでもない願いが、頭を過る。でも、彼なら出来てしまいそうでまた、どうしようもなく怖い。

「・・・・・・・・・・先生の夢を見たのよ」
「・・・・・・・・・・は?」
 一気に機嫌が低下するのが判る。判るが、アリスはただ苦く笑うと忌々しそうな顔をするブラッドの頬に手を伸ばした。
「私しかいないから、付き合って欲しいって」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 肌に滲む殺気は、誰に向けられたものなのか。アリスなのか、先生なのか。
「ほう?」
 冷たい声が耳を打ち、アリスはそんなブラッドが堪らなく愛しくて、くすりと笑った。
「何がおかしいんだ、お嬢さん」
「酷い事をされたと言うのなら、貴方にだわ」
「・・・・・・・・・・何故」
「目が覚めて、貴方を探したのに居なかったから」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 一瞬だけ、ブラッドが怯む。それに、アリスはふわりと笑うと彼の首に腕をまわして抱きついた。自分を包むブラッドの甘い香りに目を閉じる。

「私は貴方しか欲しくないって、そう言おうとしたの。私は・・・・・先生じゃなくて、もっと大事な人が出来たからって」
 言おうと思ったのに、夢はそこで覚めてしまった。

「言いたかったの。私は、どうしようもなくて我儘で人の事なんかお構いなしのトンデモナイ恋人がいるからって」
 なのに、言わせてもらえなかった。唐突の目覚めに、アリスは混乱し、どちらが夢か分からなくなった。

 自分の気持ちを立て直すまで暇が掛り、アリスはその間にブラッドが帰ってきてくれないだろうかと、随分ベッドの中で寝返りを打ったのだ。

「怖かったのよ?」
 もし、貴方が夢だったらどうしようって。
「・・・・・・・・・・・・・・・それは」

 ぎゅうっと抱きつく彼女を、腕の中に閉じ込めて、ブラッドは深い溜息をもらした。
「君は、私に似ていると言うその家庭教師の男が気になっているわけじゃないんだな?」
「何故夢に出てきたのか、理解に苦しんだわよ。私も」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ひそやかなアリスの台詞に、ブラッドは何かを考え込んでいるようだった。
「ブラッド?」
 何となく不安になって、そっと身体を離すと、オーロラ色の瞳が、じっとアリスを見下ろしていた。
「君は・・・・・」
「?」
「・・・・・・・・・・・・・・・いや、私は現実だし、ここにいる」
 目を閉じてしまいたくなくて、アリスは覆いかぶさる男の首筋に顔を埋めた。深呼吸する。暖かな肌と、時を刻む時計の音。撫でる指が心地よくて、縋りつく。

「ねえ」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・貴方はどうなの?」

 まどろみそうな温かさに包まれて、アリスはふと一度聞いてみたかった質問をしてみた。

「前の恋人ってどんな人?」
「・・・・・・・・・・・・・・・知りたいか?」
 声が楽しそうに弾んでいる。
「ええ、まあ・・・・・」
 寝物語にする話なのかどうなのか。でも、自分ばかりが、昔の彼の話で責められるのも癪だ。彼に弱みがあるというのなら、知りたい。
「奇術師だよ。こんな帽子をかぶったね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「色々見せてくれた。帽子からどこからどう見てもウサギなのに、ウサギじゃないと言い張るウサギを取り出したり、双子の兄弟を取り出したり。」
 くっくと笑うブラッドに、アリスは半眼になった。真面目に答える気はないと見た。
「ブラッド・・・・・」
「非常に良い女だったな。だから、今でも忘れられずに彼女の格好を模して帽子だの衣服だの作らせた」
「・・・・・・・・・・・・・・・へー、そうっ!」

 自分を抱く腕を思いっきり抓ってやる。

「痛っ・・・・・君にせがまれて教えてやったと言うのに、嫉妬か?」
 笑った男が憎たらしい。本当に憎たらしい。
「当然でしょう?昔の女を引きずってる男なんて、こっちから願い下げよ」
「引きずってなどいない。敬意を払っているんだ」
「ブラッド・・・・・真面目に答える気が無いのなら、答えないでっ!」

 からかって遊んで、性質が悪いわ、と睨みつけるアリスに、ブラッドは「嘘だと言う証拠があるのか?」と笑う。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「無いなら、真実かもしれない」
「真実だと言う証拠もないわ」
「・・・・・・・・・・ま、確かに」

 とぼける男の胸倉をアリスは掴んだ。こうなったら、なんとしてもこの男の趣味というか、タイプというかを聞きだしたい。
 どうせ、アリスとは真逆の人に決まっているのだけれど。

「で?本当はどんな人なの?」
「私の家庭教師だった人だよ」
「他 に は っ!?」
「・・・・・・・・・・ハートの城の女王の妹、かな?」
「〜〜〜〜〜〜っ」


 それなら貴方の身内じゃない、と言いかけて、アリスは言葉を飲んだ。この男は、自分に色々吐かせるくせに、自分の事は絶対に悟らせないのだ。これならエリオットに訊いた方が速いと気付き、アリスはふいっとブラッドから視線を逸らした。

「他は?」
 大して期待もせずに尋ねる。ほとんど意地だ。
「他の組織のトップから寝取った女が居たな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「それから、融資を願い出たある企業の令嬢とか、他の勢力に嫁ぐ予定だった女とか」
「・・・・・・・・・・果てしなく謀略の匂いがするわね・・・・・」
 こういう男だった、と気付き、とてつもなく面白くない。
「なに、どれも一度で飽きるようなものだったよ」
「へぇ」

 間抜けな返答しか出ない。聞かなきゃ良かったのか、聞くべきなのか。むっつりと黙りこむアリスに、ブラッドがにやりと口の端を引き上げた。

「ああ、君が心配するようなことは何もない。というか、君がお願いしてくれるのなら、今からそれらの女全員、殺してきても構わないぞ?」
「寝覚めが悪いことしないでよっ!!」
 慌てて告げて、アリスは呻く。そんなことをされでもしたら、帽子屋の女はトンデモナイ悋気持ちだと噂されてしまう。
「ま、そんなわけで、それらの女を全部振り切った先に君が居るのだということを理解してもらいたいな」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「判らないのか?」

 己に触れる手が妖しい。
 オトされる。


「私にとっての女は、君一人だよ、アリス」
「っ!?」
「君にとっての男が私一人だと、もっと嬉しいんだが」
 それはまだ、言わないでおこう。

 優しく口を塞いでくるが、きっと反論は許さないのだろう。それが良く判る。


 ちらりと、脳裏をかすめる先生の姿。そして、ブラッドに望みそうになった、とんでもなく自分勝手な願い。


 貴方以外欲しくないから、貴方の居ない世界を潰してほしい。


(それって私も結局、ブラッドしか要らないって事になるのかしら・・・・・)
 こんな考え方まで、彼に染まってしまったのかと、アリスは誘うような口付けに応えて目を閉じる。
(落とされちゃったってことよね・・・・・)

 甘い吐息が漏れ、ただ触れるだけだったブラッドの手が、明確な意図を持って動き出す。こみ上げてくる熱に浮かされる。狂おしいほどに愛しい。


 きっと、今日は夢を見ないだろう。
 寂しくて・・・・・ブラッドの事を愛していると実感したくて、見てしまったであろうあの夢は。


「さて、アリス」
「ん?」

 吐息が絡まり、合間に名前を呼ばれて、アリスはうっとりと眼を開けた。

「数時間帯ぶりの逢瀬だが・・・・・ここがいいか?」
 ソファの上で押し倒されているアリスは、笑んだ男に、目を瞬く。そして、少し考えてから、にっこりと笑って見せた。

「どこでも駄目だって言わなかった?」
「・・・・・・・・・・本当に退屈しないお嬢さんだ」
 にやりと笑い、ブラッドはそのままアリスの服を脱がせて行く。

 アリスの言わんとした事を掴んだブラッドと、掴ませたアリス。

 ああきっと、「どこでも駄目だ」はずっと使われるんだろうなと、彼からの熱に溺れながら、彼女はそっと目を閉じるのだった。


























 というわけで、一周年記念リク企画作品で、麗さまからのリクエスト

 『あっま〜いブラアリをお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか?』

 ということだったので!!!甘々シチュエーションを盛り込んでみました!
 結果は―――すっごいダレダレな内容になってしまいました、スイマセン orz

 と、こんな話ですが・・・・・楽しんでいただけましたら嬉しいですvv

 麗さま、ありがとうございました〜vv


(2010/02/18)

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