Alice In WWW

 やがてやってきた女は、「返品は不可だ」と良い笑顔でのたまうのだ
 春の柔らかな日差しが降り注ぐ、ハートの城。温かな風が長閑に吹き抜け、甘い香りが大気を満たしている。
 そんな春の領地の、色とりどりの花が咲き乱れる城の庭は今、そんな恐ろしく長閑な景色に似合わないほどの緊張感に溢れていた。


 非常事態です、と青ざめて叫ぶ顔なし役なしの衛兵に、白ウサギは眉間にしわを寄せた。


「一体何の真似ですか」
 黒い隊服を着た彼らの視線の先に、彼はうんざりした視線を向けて、持っていた懐中時計をちゃらりと鳴らす。
「カチコミですか」
 赤い瞳に剣呑な色が混じる。
 その視線の先で、オレンジ色の頭のウサギが「それが望みなら今すぐここで暴れてやるぜ?」と腰のホルスターから拳銃を抜いた。
「やめろ、エリオット」
 三秒と待たずに撃ちそうな、相棒でナンバー2の三月ウサギに、双子の門番と使用人に護られた、組織の主が気だるげに制した。
「宰相閣下を撃つ前に、背後のもう一人に気を付けろ」
 ちらり、と派手な帽子の主が斜め後ろの生垣に視線をやる。鋭いそれに曝された先で、あはははは、と妙に軽快な笑い声が上がった。
「さっすが帽子屋さん。上手く気配を消したつもりだったんだけど・・・・・見破られちゃったな」
 爽やか・・・・・と見た目は表現できる笑みを浮かべた、真っ赤なコートの青年が、がさがさと茂みを突っ切って表れる。
 切っ先は三月ウサギと帽子屋の間で揺れていた。
「今日は迷子じゃないんだな」
 嫌味としか言いようのない帽子屋の台詞に、剣を構えた騎士より先に、白ウサギが答えた。
「まったくもって同感です」
「酷いな、ペーターさん。ちょっと旅に出ようとして道に迷っていただけじゃないか」
「自分の家で迷うなんてありえないよね、兄弟」
「そうだね。どうしようもないね」
「こんなに迷い続けるなら、永遠とここで迷っていればいいんだよ。色々面倒だからさぁ」
「屋敷まで来ないでほしいよね。こいつの相手ってお金にならないから嫌なんだ」

 ぶつぶつと文句を言いだす双子の門番を前に、騎士は「酷いなぁ」と笑みを崩さない。

「せっかく鍛錬を付けてあげてるって言うのに」
 どこが?!と声を荒げる少年達に、軽やかに笑うと、「で?帽子屋さんは一体何の用なんだ?」と騎士の剣が帽子屋の方に向く。
「本当に殴りこみに来たの?」
 俺、面倒なのは嫌なんだよねぇ、帽子屋さんと一緒で。
 眉尻を下げて、いくらか悲しそうな顔をする騎士に、帽子屋はだるそうに杖を肩にあてる。
「そんな用件ならもっと愉快なんだろうが・・・・・生憎、もっと面倒な用事だ」
 心底うんざりした様子で、帽子屋は懐からひらり、と一枚の封筒を取り出した。

 しっかりと、ハートの城で使われる封蝋が施されたそれに、白ウサギが、ますます眉間にしわを寄せた。

「なんです?それは」
「こっちが訊きたい」
 私はな、宰相閣下。こちらの城の主に招待されたんだよ?

 瞳に剣呑な色を混ぜて、三月ウサギが帽子屋の前に出た。

「一体何を考えてんだ、テメェら!ブラッドをわざわざ城に招待するなんて・・・・・ここを潰されても文句は言えねぇよな!?」
 これが罠だって知ってんだ、こっちは!!

 ぎゃーぎゃー叫ぶ三月ウサギに、白ウサギが心底どうでもよさそうな眼差しで一行を見た。

「陛下からのお誘いですか・・・・・そうですか。じゃあ、どうぞ城内を見物してってください」
「ペーターさん、いいの?」
 早々に道を開けようとする白ウサギに、騎士が愉しそうな笑みを向けた。
「帽子屋さん達、入れちゃって、後で始末書とか書くの、俺、嫌だぜ?」
「別に構いませんよ。陛下からの招待状が偽物だろうが本物だろうが、それがあるなら、構いません。ああ、勝手にエース君がそこの目障りな、雑菌だらけのマフィアを始末してくれるというのなら、願ったりかなったりですけどね」
 ついでに、共倒れしてください。

 にこにこ笑う白ウサギに「えー」と騎士が嫌そうな声を上げた。

「俺だって、陛下が勝手に招待した人間を殺して、後から怒られるの嫌だよ。だから、ここで暴れた責任、ペーターさんが取ってよね。」
「冗談じゃありません。なんで僕が貴方の不手際の責任を取らなくちゃならないんですか」
「だって、ペーターさん、この城で陛下の次に偉いだろ?」
「大体、警備責任の要は貴方でしょう!?不審者の排除は貴方の責任です」
「そうなの?」
 知らなかったなぁ、と笑う騎士と「責任を取るのは貴方ですから、心置きなく暴れてください」と白ウサギが鼻で嗤う。
 彼らの様子に、固まっていた衛兵を払いのけて、帽子屋が前に出た。

「で、私を招待した女王陛下はどこだ?」
「さあ」
「知りません。勝手に探してください」
 にこにこ笑う騎士と、冷徹に切り捨てた白ウサギに、三月ウサギが切れかかる。
「テメェら・・・・・自分の主が招待した客に対して、そういう態度を取るか、普通!!」
「貴方に普通を語られたくありませんね」
「あはははは、ペーターさんに言われたらおしまいだね、エリオット」
「お前らっ」

 ふるふると震える三月ウサギに嘆息した帽子屋が、心の底からだるそうに視線を上げた。その時、目に痛い、どぎつい赤が彼の目に飛び込んできた。

「ええい、騒々しい。一体何事だ!?」
「あ、陛下」
 何故か騎士に銃を向ける白ウサギ。その白ウサギをいなしていた騎士が、現れた女性にひらりと手を上げた。
「酷いじゃないですか。ちゃんと客人として招待したなら、招待したと前もって教えてくれなくちゃ」
 俺、ペーターさんに責任を取らされる所だったんですよ?不始末の。
 どこまでも人を馬鹿にしたような爽やかさで告げる騎士に、女王が眉間にしわを寄せた。
「来いといった時間に来ないお前に言われとうないわ」
 ぴしりと制し、彼女はその紅玉の瞳を、招かれた客人に向けた。
「これはこれは、女王陛下。お招きいただき光栄です」
 慇懃無礼に、帽子屋が、その派手な帽子を取って会釈する。それに、ふん、と女王は鼻を鳴らした。
「わらわが招待したのは帽子屋だけだった筈だが?」
 じろり、と連れの三月ウサギと双子の門番を見遣った。
「ブラッドだけでもこんな城、制圧するのは簡単だけどな!ブラッドの手を煩わせるまでもないから、俺達が付いて来たんだよ!」
「言ってみれば護衛だよ」
「ボスに何かあったら、お給料をくれる人が居なくなっちゃうからね」
 口々に付いてきた理由を説明する部下を、一通り見渡して、帽子屋がだるそうに「という理由だ」と投げやりに締めくくった。
「ふん・・・・・まあいい。帽子屋、お前に話が有る。他の者はここから一歩たりとも動くな」
 指名され、気だるげに帽子屋が前に出た。それをかばうように、三月ウサギが彼の肩を掴んだ。
「ちょっと待て!ブラッドだけ行かせるわけにはいかねぇ!」
「なんじゃ、ウサギ。お前はこの男が早々にやられると思っておるのか?」
 面白そうに唇をゆがめて挑発する女王に、三月ウサギがかっとなる。
「そ、そうじゃねぇ!そうじゃねぇけど・・・・・なあ、ブラッド!」
「お前たちはそこで、宰相閣下とそちらの騎士の牽制をしておけ。三人相手は流石にだるい」
 女王一人ならなんとでもなる、と言外に告げる帽子屋に、三月ウサギははっとなった。
「そ、そっか!そうだな。よし、お前ら!ここから一歩たりともブラッドの傍に連中を行かせるな!」
「命令するなよ、馬鹿ウサギ!」
「ちゃんとお給料に上乗せしてよね」
「やるの?まあ、別に構わないけど」
 騎士が愉しそうに切っ先を揺らし、「冗談じゃありません」と白ウサギが愚痴を言う。
「なんだって僕が、こんな雑菌だらけの連中の相手をしなくてはならないんですか」
「お前らも少しは仕事をせい。春だからとほえほえしおって」
 多少は身体を動かせ、馬鹿者どもが。

 女王の一喝に、「陛下も帽子屋さんに寝首を掻かれたりしないでくださいよ」と騎士が応じた。

「心配せずとも、こんな男にやられるようなわらわではないわ」
「・・・・・・・・・・なんなら、今すぐここで、この薔薇よりも濃い赤をお目に掛けて見せましょうか?女王陛下」
「それはもちろん、貴様の血だろうな、帽子屋」
 剣呑な空気が二人の間に満ち、それと同時に春の長閑な空気の中で、殺気の応酬が始まる。

「しょうがないから、稽古を付けてあげるよ、双子の門番君」
「面倒だから嫌だよ」
「それなら、もっと別の事がいいな」
 早くも飽きかかっている門番の台詞に、「じゃあ、カードゲームでもする?」と何故か騎士が応じている。ちょっとまて、それはおかしいだろ!?と三月ウサギが突っ込む横で、白ウサギは「心底どうでもいいです」と早くも撤収しかかっている。
「駄目だよ、ペーターさん。一歩も動くなって言われてるじゃないか」
 一緒にババ抜きでもやろうよ。
「エース君・・・・・僕は貴方と違って忙しい・・・・・って、何をするんですか!?」
「まあまあ。えーと、じゃあ、ババはペーターさんの手札の中に混ぜ込んでっと」
「ふざけないでください!やるなら正々堂々とです」
「だから、なんでカードゲーム!?」

 後方でぎゃーぎゃー喚く連中の声をBGMに、女王と帽子屋はもくもくと庭をぬけ、城の外壁へと近づいていった。






「で?アリスはどこだ」
 こん、とビバルディが外壁の一部を持っていた杓仗で叩くと、壁の一部が揺れて空間がゆがむ。
 唐突に現れたドアは、ブラッドとビバルディしかくぐる事が出来ない、ルールの付いたドアだった。
「まあ、待て」
 開かれたドアの向こうは、薔薇園と同じで、ビバルディが支配する、彼女とブラッドの為だけの空間になる。

 白と薄い桜色で統一された室内に通され、ブラッドは溜息を吐いた。大量の縫いぐるみがそこここに置かれている。きらきら輝く星のオブジェが天井からつり下がり、温かな春の日差しを受けて、虹色に光っていた。
 レースのカーテンがふわりと春風に揺れる室内は、心地よく、いつか昔に感じた何かを思い出させる内装だった。
「アリスは?」
「どこだと思う?」
 くるりと振り返ったビバルディが、ブラッドににやりと笑って見せた。男は渋面で舌打ちした。

「まったく・・・・・もうちょっとマシな呼び出し方法は無かったのか?しかも昼に」
 部下がうるさくてかなわん。
 傍にあったソファに腰をおろし、ブラッドはだるそうにビバルディを見た。
「毎回わらわが出向くのにも飽きが来たのじゃ。」
 たまにはお前も運動せい。
「だったら夜にでも呼び出せば良いだろう」
 道を作るくらい簡単だろう?
 嫌々告げる男は、真昼間に正面突破で城に来たのが不服だった。
 ビバルディがブラッドの薔薇園を、誰にも見とがめられずに訪れる事が出来るのは、ブラッドが自分の姉にしか判らない道を作っているからだ。
 彼にそれが出来るのだから、この空間を保持できるビバルディが、ブラッドを呼び寄せる為に道を作ることくらい簡単な筈である。
 だがそれに、ビバルディはころころと笑うだけだった。
「そうしたら面白くないではないか。それに」
 ふふ、と口元を隠して笑い、ぐったりとソファにもたれかかる弟に、彼女は指を伸ばした。
 く、と顎に指を掛ける。
「アリスへの愛を確かめるのにも役に立った」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ち、と舌打ちし、うんざりした様子で視線を逸らす弟に、ビバルディが腰に手を当てて背筋を伸ばす。
「さ、ブラッド。隣の部屋のどこかに、アリスは居る」
 連れ帰れるものなら、連れ帰ってみよ。

 くすくすと楽しそうな自分の姉に、嫌な予感がしながら、ブラッドはソファから立ち上がった。

「一応確認するが、姉貴」
「なんじゃ?」
「彼女に無体な事はしていないだろうな?」
「それを強いたのはお前の方であろう?まったく・・・・・我が弟ながら情けない男だよ、お前は」
「・・・・・・・・・・」
 眉間にしわを寄せたビバルディが、やれやれと首を横に振る。
「わらわはただ、アリスに掛けられているルールを解いてやろうと思っただけじゃ。それがのう・・・・・」
 ちらり、と嘆かわしい、と告げるような視線を向けられて、ブラッドは閉口する。
「隣の部屋だな」

 ビバルディの笑みに、嫌な予感がびしばししながら、ブラッドは白く華奢なドアをそっと押しあけた。








 その部屋には、いつか見たのと全く同じ、白クマの縫いぐるみが居た。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 その縫いぐるみはちまちまと短い足を動かして、一生懸命ブラッドの方に歩いてきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 そのまま、ばふ、とブラッドの脚にしがみつく。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・をい」

 その様子に、ブラッドは、珍しく・・・・・本当に珍しく引きつったような笑みを浮かべた。ぎぎい、と軋んだ音を立てて後ろを振り返ると、腹を抱えたビバルディが愉快そうに大笑いしている。

「これはどういうことだ?」
「どういうことって・・・・・アリスだよ、ブラッド」
 ふふふふ、と喉の奥からこみ上げる笑いを必死に飲み込む姉に、ひき、とブラッドのこめかみに青筋が走った。
 それから、殺気の滲んだ眼差しを、己の姉に向ける。

「そんなことは言われなくても判っている!だが、そうじゃなくて・・・・・姉貴っ!!!」
 ど う い う こ と だ !?

 わなわなと震えるブラッドの脚には、白クマの縫いぐるみが抱きついている。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大量に。


「あはははははははははははは」
 美しい目元に涙を滲ませて、ビバルディは笑い転げている。その様子に肩を震わせ、奥歯を噛みしめたブラッドはひきつったように辺りを見渡した。

 アリスに掛けられた、ビバルディの魔法。
 余所者に適応されてしまったルール。

 アリスは、ブラッドからの愛を疑うと、白クマの縫いぐるみになってしまうのだ。

 それは、どうしようもない事で、前に二度ほど経験しているから、ブラッドとしては、アリスが白クマの縫いぐるみに変貌していようが特に問題はない。
 元に戻す方法もそれなりに理解している。
 だが、今回のこれは目に余った。

 白い壁と桜色のカーテンが揺れる、春の日だまりのような室内に、白クマの縫いぐるみが居る。

 その数、50体。

 その50体の白クマの縫いぐるみが、わらわらわらわらと室内を歩きまわり、ブラッドの脚にしがみついている。
 見上げるグリーンのガラス玉のような瞳に、ブラッドは眩暈を覚えた。

 一体なんだこれは。
 なんの嫌がらせだ。

 早くも面倒になり掛っているブラッドに、ひとしきり笑ったビバルディが「可愛いであろう?」と引きつる弟に声を掛けた。

「さて、アリスはどれだったかな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・姉貴」

 低い低い、そこらへんのマフィアのボスなら震えあがるような、威圧感の滲んだブラッドの声音。それに、血を分けた姉は別段取り立てた風もなく、「なんじゃ」とそらっとぼけた。

「なんだじゃない!何の嫌がらせだ、これはっ!?」
 指を刺した先には、我先にとブラッドに縋りつく白クマの縫いぐるみ達。彼女(?)達は、ブラッドに抱き上げてもらおうと必死な様子で彼の脚を上っている。
「なに、普通にただの白クマの縫いぐるみだと面白うないと思ってなぁ。お前は面白い事が好きであろう?心優しい姉の心遣いに感謝するんだな」
 ほほほ、と笑うビバルディを射殺すような眼差しで見詰めた後、ブラッドは群がる白クマの縫いぐるみ達に視線を落とした。

「これが全部アリスという可能性は?」
「それは無い。本物は一つだけじゃ」
 だが、こ奴らの動きはアリスの心に反応しておる。

「あそこで膝を抱えて蹲ってる白クマの気持ちもアリスが元。そこで必死にお前に手を伸ばしてる白クマの行動の、元の気持ちもアリス。身体は縫いぐるみでも動作はアリスの心に連動していると覚えておけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 これではアリスを見つけ出すのは至難の業だ。

 その場で固まるブラッドに、ビバルディは一匹の白クマを抱き上げて傍のソファに腰を下ろした。

「さ、どれでも好きなのを連れ帰れ、ブラッド。例え間違えたとしても、それが死ぬまでお前のものだ」
 にたりと笑うビバルディの歌うような、剣呑な台詞に、ブラッドはすっと眼差しを細くする。
 それからやれやれと嘆息した。

「間違えるなという事か」
「当然だ」
 お前はアリスを愛しているのだろう?

 なら判るだろう、と言外に言われて、ブラッドは嘆息すると、自分の脚をよじ登り、力尽きてぽて、と床に落ちる一匹を抱き上げた。
 試しに額を押し当てる。


 わああん、とアリスの心が流れ込んできた。


(ブラッドっ!!!!)
(ああ、お嬢さん。出来れば君がどこに居るのか教えてもらえると嬉しいんだがな)
 悲鳴のようなアリスの声が、脳裏にこだまし、ブラッドは甘やかに尋ねた。だが、帰ってくるのは意味不明な単語ばかりだった。

 どうやら、アリスは相当混乱しているらしい。

 ただ漏れのアリスの心の中には、「見つけて!」という悲鳴のような絶叫の他に、「どうせわからないんでしょう?」「見つけてくれなかったらどうなるの?」「私はブラッドを愛してるのに貴方はそうじゃないのよね」「お願い、私を抱きしめて離さないで」「私に触れて」「きっと貴方にはわからないわ」「どうして私がわからないの」と懇願だか悲観だかわからないような台詞であふれかえっている。
 一々答える事が出来ず、ブラッドは「アリス!!!」と力一杯叫んだ。

(頼むから、私を否定しないでくれ。必ず、見つけ出すから)
 懇願するようなブラッドの台詞に、ぴたり、とアリスの台詞が止まる。じっと心の奥を覗き込むように、必死にアリスに向かって意識を集中すると、微かに彼女の声が聞こえた。

(ブラッド・・・・・私はね・・・・部屋・・・・・の・・・・・で・・・・・にいるわ)
(アリス!!)

 上手く聞き取れないのは、恐らく彼が手にしている白クマがアリスではないからだろう。

 急速に遠のくアリスの声に舌打ちし、ブラッドは目を開けた。手の中に有る白クマの縫いぐるみが、必死にブラッドを見上げていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 間違えれば、そこで終わり。間違えたそれが、死ぬまでブラッドの物。

 だが、これは確かにアリスのハートを持っていても、アリスではない。

 渋面で決断し、ブラッドは足元にまとわりつく白クマの縫いぐるみを踏まないように気を付けて、ソファに座る自分の姉に、持っていた白クマを突きつけた。
「取り敢えず、これはアリスではない」
「おや、そうか」
 面白そうに笑ったビバルディが、「ではこの子は除外だね」と足元にあった巨大な布袋に白クマの縫いぐるみを突っ込んだ。
「一匹捕獲じゃ」
 にたり、と笑うビバルディをみながら、ブラッドは無造作にそこらに散らばっていた白クマの縫いぐるみを一抱えにすると、ずいっと姉に差し出した。
「この辺も問題ない」
「・・・・・・・・・・・・・・・大した自信だなぁ」
 いいのか?と視線で問われ、ブラッドはようやく、普段の彼らしい不敵な笑みを浮かべて見せた。
「ここにアリスが居たなら、それまでだ。」
 私と彼女の間はそんなものだったんだろうさ。
 にたり、と笑う弟に、「その自信はどこからくるのやら」とビバルディは呆れたように告げて、一網打尽にされた白クマの縫いぐるみを袋に突っ込んだ。







(本当に私が判るのかしら・・・・・)
 そのころ、アリスはブラッドの様子を気にしながら、悲しそうに座っていた。ここを動くわけにはいかない。ブラッドには一応アリスの位置を伝えているのだ。
 きちんと伝わっているかどうかは疑問なのだが、それでも、自分が「ここに居る」と伝えた以上彼が見つけてくれるまでその場を動くわけにはいかない。
 彼は思うがまま、気ままに振る舞っているのだろう。だが、それがアリスの心に不安の影を落とす。

 もし、手に取られても、気付いてくれなかったら?
 違う縫いぐるみをアリスと思ってしまったら?

(・・・・・・・・・・・・・・・)
 そんな事はないと思いたいが、現状を考えるとないとも言えず、アリスはしょんぼりと肩を落とした。

(早く・・・・・早く見つけてよね、馬鹿)
 心持ち頬を膨らませながら、アリスはブラッドのいる方をじっと見つめる。この位置からではよく見えない。身体を動かしても良いのだが、たくさんたくさん動いている『白くまーず』の中に混じってしまっては、きっと見分けがつかなくなる。
 どうしてかそんな気がして、アリスは動けないで居た。
(ブラッド・・・・・)
 そんな彼女のブラッドに逢いたい気持ちが、他の『白くまーず』に伝播して、連中はわらわらとブラッドに群がって行った。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 次から次へと自分に絡みついてくる白クマの縫いぐるみを、ブラッドは手に取るたびに、ぽいぽいとビバルディに向けて投げていた。
 キャッチする女王は「お前・・・・・本当にアリスを探す気があるのか?」と半眼で弟を見詰めていた。
「当然だ。私はアリスしか欲しくない」
 ここに居るのはアリスの紛い物だ。

 きっぱりと言い切り、ブラッドは自分によじ登って、ちまい手を伸ばす白クマの襟首を掴んで、ぽーい、とビバルディに放った。

「アリスでも知らんぞ」
「間違いなく、お嬢さんじゃない」
 面倒だ、と彼は再びそこら辺に居る白クマの縫いぐるみを抱えて、ビバルディの持つ袋に放り込んだ。
 袋は大分膨らみ、もごもごと動いている。一匹を抱えたビバルディが、呆れたようにブラッドに何か告げようとして、弟の背後の様子に気づき、「ほう?」と眉を寄た。姉の様子に、思わずブラッドは後ろを振り返った。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 さっきまでもふもふちまちまと動いていた白クマが、一斉に物陰に隠れている。
 ブラッドの非道っぷり(?)に警戒し出したのだろう。一様に、物陰からこちらをうかがい見ている。
 半分が物陰に隠れ、半分が床やら机やら棚やらに腰をおろして、じっと息をひそめていた。

「ナルホド・・・・・捨てられてはかなわないと、警戒し出したか」
 ということは、ここにはアリスは居ないな。

 もし袋にアリスが居るのなら、ほとんどの縫いぐるみが脱走しようとし、ぽかぽかとブラッドを殴っただろう。だが、彼らはブラッドに向かって「探して当てて見つけて抱いて」とうるうる(?)していると思しき眼差しで彼を見上げていた。
 そうして、現在彼らは警戒モードに突入している。

 余りにもブラッドが適当に袋に放り込むから、疑り深いアリスは簡単に捨てられないように、一斉に隠れたのだろう。

「やれやれ。面倒な事になったな」

 ふう、と溜息をつくマフィアのボスは、適当な足取りで、クッションを頭から被って、じっとこちらをうかがっている一匹に近づいた。
「君はお嬢さんかな?」
 ひょいっと持ち上げると、白くまの短い手が、ぽすん、とブラッドの胸を押した。
 嫌々するように首を振る。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 その様子に、少し首をかしげて考え込んでいたブラッドが、それを小脇に抱えた。
「それにするのか?」
 にやにや笑うビバルディの声に、ブラッドは答えずソファの影から、じーっとこちらを見ている一匹を持ち上げた。
 それも小脇に抱える。
「・・・・・・・・・・・・・・・ブラッド?」

 ひょいひょいひょいひょい、とブラッドはその辺に隠れていた白クマ達を持ち上げては抱え込み、最終的には無造作に袋に突っ込んだ。

 それからちらっと後ろを振り返り、じっとこちらを見詰める白クマの縫いぐるみに、にっこり笑って見せた。

「私から逃れられると思っているのかな、お前達?」
 マフィアのボスに相応しい、愉悦の滲んだ笑み。その声に反応して、一斉に白クマ達が逃げ出した。
「お前・・・・・縫いぐるみを威圧してどうする」
 いい年して、と付け加えられて、「姉貴は黙っていろ」とブラッドは姉を睨みつける。
「使える物は使う。私が欲しいのはアリスだ。他の縫いぐるみに興味はない」
「縫いぐるみに興味が有るマフィアのボスというのも面白いがなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 実際、縫いぐるみに啖呵を切る、なんていうとんでもなくあり得ない姿を、身内とは言え目撃されているのだ。プライドの高いブラッドは、内心苛々しながら、逃げ惑う縫いぐるみに黒い笑みを浮かべた。

「好きなだけ逃げるがいい。だが、私が欲しいのはアリスだけだ」


 こうして、悪名高い帽子屋ファミリーの首領は、ちょこまかうろちょろと逃げ惑う『白くまーず』を追いかけまわし、片っ端から捕えて行き、ついに自ら手に持った袋に詰め込んでいく。その滑稽な姿に、彼の姉は腹を抱えて笑うのだった。





 とうとう『白くまーず』全てを捕獲し、ブラッドは四分の一程の数になった、最初から最後まで大人しく、縫いぐるみ然として座っている者たちに目を向けた。
 彼女(?)達は最初から大人しかった。

 媚びも売らず、警戒もせず、逃げもしない。

「確かにアリスらしい、面倒な事はしない主義っぽいな」
 笑いつかれたビバルディが、涙をぬぐいながら言う。ぜーぜーと肩で息をしていたブラッドが(予想以上に白くまーずの運動能力は高かったのだ)こほん、と一つ咳ばらいをした。
「ここまで減らせば、後は簡単だろう」
「そうだといいがなぁ」
 くく、と喉の奥で嗤うビバルディを一瞥し、ブラッドは本棚の上にずらりと並んでいる白クマ達に顔を寄せた。

(ブラッド・・・・・)

 白クマを物色するブラッドと対照的に、アリスはどきどきと胸を高鳴らせていた。
 ここまでアリス以外の白クマを排除してくれるとは思っていなかったのだ。

 あとは、アリスに気付くか気付かないかだけ。

 彼女は動けず、ブラッドの様子は確認できない。さっきまでどたばたと走り回っていたが、今はそんな音がしないから、きっと一個一個白クマの縫いぐるみを確認しているのだろう。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 気付くだろうか、気付かないだろうか。
 彼が無造作に縫いぐるみを回収していると知って、警戒した。そうしたら、捕まえてやると宣言されて反射的に逃げ出した(あくまでも反射的に、だ)。
 そして今は、彼に選ばれて欲しいと思っている。

(気付いて・・・・・)


 ブラッドの気配は遠く、彼が自分に気づく可能性は少なく思える。だが、アリスはきっと・・・・・ここまで白クマ達を排除した彼なら気付いてくれると確信していた。



「なるほど」

 数体、白クマを目と鼻の先で観察したブラッドが顔を上げる。
「どうかしたか?」
 もごもごと動く袋を愉快そうに見詰めたビバルディが、いつの間にか用意した紅茶に口を付けている。ふわり、とダージリンの香りがして、ブラッドは、城の紅茶にちらりと心を動かすが、それよりもなによりも恋人だと言わんばかりに部屋に座りこむ縫いぐるみを一瞥した。

「そういうこと、か」
「どういうことだ?」

 赤い唇をゆがめる姉に、振り返ったブラッドは仏頂面をしてみせた。

「姉貴らしい、な」
「?」

 眉間にしわを寄せるビバルディを余所に、ブラッドは棚の上の縫いぐるみを一つ取り上げる。
「それがアリスか?」
 笑みを見せるビバルディに、ブラッドは、ふっと小さく哂うと、次から次へと縫いぐるみを回収して行く。
「・・・・・・・・・・」
 その様子に、笑んだ口元を隠すように、ビバルディはカップに口を付けた。

 ブラッドはそんな彼女の様子を気にも留めず、部屋に残った白クマの全てを回収してしまった。

 全部・・・・・50体全てを袋に詰め、ビバルディの足元に置く。

「・・・・・・・・・・どういうことだ?」
 かちゃり、とソーサーにカップを戻したビバルディが、試すようにブラッドを見上げた。
「どうもこうもない。お嬢さんはここには居ない」
「・・・・・・・・・・ほう?」

 片眉を上げ、挑戦的に見上げるビバルディに、ブラッドは冷やかな笑みを返した。

「お嬢さんは・・・・・」
 そのままつかつかと部屋をよぎり、もう一つあるドアを開いた。
「ここ、だ」




 そこは、クローゼットで、ビバルディの物と思しき衣類が所狭しと並んでいる。
 ざっとそこを見渡し、ブラッドは棚に置かれている、ここに有るにはあまり相応しくない大きな籠を手に取った。
 洗濯かごのようなそれを覗きこむと。


「・・・・・・・・・・何をしているんだ、アリス」
 はたして、そこには白クマの縫いぐるみが一匹入っているのだった。





 ああ面白かった。
 アリスが機嫌を損ねたのはお前の所為だからな。機嫌を直してもらえ。
 ここまで来た土産に、これをやろう。



 平和的なババ抜きから、銃撃戦に発展しかかっている部下を連れて、ようやく屋敷に帰りついたブラッドは、「疲れた」と不機嫌そうな、心底だるそうな声で呟いて、自室のバスルームを開けた。

 なすがままになっている白クマのアリスを連れて、そこに入る。彼女を下ろした途端、二足歩行の白クマが、ちまい足でダッシュをし、脱衣所から出て行こうとした。

「何をしている?」
 機嫌の悪い声が降ってきて、白クマは固まった。ドアを開くには、白クマの身長ではノブに届かない。上に、ブラッドが両手でドアを押さえ込んでいる。
 ぽふぽふぽふ、と白クマの短い手がドアを叩く。
 ここから出せ、という事らしい。だが、シャツのボタンをはずし、半分衣服を脱いでいるブラッドは、ただ愉快そうにそんな白クマを見下ろしている。
 叩き疲れ、男を見上げた白クマが、唐突に、ぱたり、と床に倒れた。
「・・・・・・・・・・・・・・・何をしているのかな、お嬢さん?」
 そのまま動かなくなったアリスに、ブラッドの冷たい不機嫌な声が降ってきた。
 それでもアリスは動かない。
「・・・・・・・・・・もしかして、縫いぐるみの振りをしてるのかな?」
 どきり、とアリスの胸が鳴る。自分はただの縫いぐるみですよ、とアピールしているつもりだが、今更そんな「死んだふり」が通じる訳もない。
 ブラッドはひょいっと白クマの襟首を掴んで、性急に彼女を持ち上げた。
「この期に及んで、そんな真似をしても、君が普通の縫いぐるみだと私が思うとでも思ったのか?それとも、私に君を追い駆けさせたいのか、アリス?」
 散々私は白クマを追い回したんだぞ?
 じろっと見詰められ、不機嫌極まりない調子で言われ、反射的に逃げ出してしまった自分を思い出した白クマは「うっ」と言葉に詰まった。
 もとからしゃべれないのだから、言葉に詰まるも何もないのだが。
 それでも、アリスはこの状況が不満だった。

 何がどうしてこうなって、ブラッドと二人で風呂に入らなくてはならないのか。

 疲れた、というのなら一人で入ればいい。
 そう主張したくて、ぐるぐる手を回すが、ブラッドは全く気にせず、さっさと衣服を脱いでしまうと、微かに苛立たしそうにドアを開けた。

 柔らかな湯気が身体を包み、アリスは自分の身体が湿気に重くなるのを感じる。こう、ずっしりと水分を含んで重くなったような気がするのだ。

「取り敢えず、今日の騒動の対価に貰った物を使ってみるか」
 ぽつりと漏れたブラッドの台詞に、彼の手の内を見て、アリスは息をのんだ。彼が持っているのは一輪の薔薇だった。
 帰り際に、「アリスの機嫌を取ってやれ」とビバルディがブラッドに渡した物だ。
 それを、ふっとお湯に落とすと、ぶわっと花が咲き乱れる。
 一輪だった薔薇の花が、たくさんたくさん膨れ上がり、水面一杯に広がる。むせ返るような甘い香り。湯気の中に浮かぶ、薔薇の花弁。

 くらり、と眩暈がするアリスをブラッドが無造作にお湯の中に突っ込んだ。

「!?」

 お湯の温度が、肌に心地いい。だが、頭まで沈められれば文句しか出ない。無我夢中で腕を振り回し、撫でまわす手に苛立ち、顔を上げた瞬間、アリスの口から文句が飛び出た。

「何するのよ!?ブラッドっ!!!!」
「おや、元に戻ったな」
「え?」


 ざばあ、と頭からお湯をあふれさせ、その場に勢いよく立ちあがったアリスは、まとわりつく自分の長い髪に気付き、同時に、すらりとした手足を見出し、元に戻ったと、はっとする。
 全身からお湯を滴らせて、彼女は己の白い肌を確認して、もふもふじゃない事にほっと安堵の息を付いた。

 付いて。

 それから、我に返った。

「相変わらず、真っ白で綺麗だな、アリス」
 にっこり笑うブラッドと目があう。

 次の瞬間、絹を裂くような悲鳴が、わんわんと風呂場に響き渡った。




 全裸でブラッドの前に立っている、なんてありえない。
 ありえないどころか・・・・・トンデモナイ。
 死ンデシマイタイ。


「いやあああああああああっ」
 そのままお湯に潜ろうとしたアリスの手を、ブラッドが掴んだ。
「っと・・・・・どこに行く気かな、お嬢さん?」
 それなりにブラッドの部屋の浴室は広い。湯殿だけで結構な広さが有るのだ。それを端まで移動しようとした彼女を捕まえて、ブラッドが引き寄せる。

 タオルもなにもない。
 全裸で、お湯くらいしか自分の身を隠すすべのないアリスは、引き上げられて彼の目の前に立たされ、羞恥に全身を真っ赤にした。

「やっ・・・・・や、や、止めてっ」
 ここは、閨のように薄暗くもない。最中のように理性が飛んでも居ない。気分的には、どこまでも「通常」に近いのだ。
 両手首を掴まれ、全身を曝すしかないアリスは、耳まで赤くなって俯いた。

 ・・・・・俯いても、視線の先にあるのはブラッドの身体なので、それもまた羞恥を煽り、目を瞑るしかない。
 どうにかこうにか、身体を縮めようと、肩を寄せて己の身体を、自分の腕で抱きこもうとするが、手首を掴んだ男がそれを許さなかった。

「別に恥ずかしがる事はないだろう?」
 私は君の体など、よく見知っているんだから。

 みるどころか、トンデモナイ所まで触られている。
 触られているが。

「だ、だったらなにもっ!そんなにまじまじとみる事ないでしょう!?」
 噛みつくように怒鳴り返せば、涙の滲んだアリスの翡翠の瞳に、にたりと男が笑った。

「見知っているからこそ、ちゃんと見たい」
「こんのっ×××っ!!!」
「ああそうだ。」
 さらりと肯定されてしまえば、アリスの暴言など、なんの意味もなくなる。
「だから、君の体をよく見せてくれ?」
「いやあああああああ」

 逃れようと、必死に身を捩るが、敵わない。おまけにむせ返るような薔薇の香りに、頭の芯がぼうっとして、身体から力が抜けて行く。

(な・・・・・んか・・・・・)
「綺麗だよ、アリス」
 笑みを含んだ声で言われ、すっと身体を寄せる男と、裸で抱き合うような真似になり、アリスのキャパシティがオーバーする。
 途端、身体から力が抜けて、腰が砕けた。
「っと?」

 あわあわと目を白黒させて、己にしがみつくアリスに、ブラッドは数度目を瞬くと、少し考え込んだ。

「なるほど・・・・・そういう事か」
「なに・・・・・がっ・・・・・」

 息が上がる。くらくらする。潤んだ眼差しで見上げるアリスの背中に手をまわして抱き上げると、ブラッドは軽く、彼女の唇を塞いだ。

「んっ」
 ふあ、と声が漏れる。その彼女に口づけを繰り返しながら、ブラッドは彼女の耳元に唇を寄せた。

「どうやら・・・・・この薔薇にはなにか、効果があるらしい、な?」
 くっく、と喉の奥で嗤うブラッドに、アリスはぼうっとした頭の奥に、ちかりと閃く物があるのに気付いた。

 ビバルディは、何か言っていなかったか?
 これをブラッドに渡した時に。

「良い気分だろう?アリス?」
 くすくす笑うブラッドの手が、アリスの身体を撫でて行く。
「あんっ」

 喉から甘い声が漏れ、唇を閉ざそうとするが、キスを繰り返す男に、ままならない。

「ブラ・・・・・ッド・・・・・やめっ」
「そんなに熱っぽい瞳で言われても、説得力はないな」
 そのまま、男に積極的に口を塞がれて、アリスの身体から力が抜けて行く。

 薔薇の花弁がゆらゆらと揺れるのが、視界の端に映った。このままではバスルームで醜態をさらしてしまう。
 ・・・・・ていうか、もうすでに醜態をさらしているのだが。

 ああでもでもでも・・・・・。

「アリス・・・・・」
 ブラッドの唇が、体中にキスを落としていく。
 柔らかな膨らみの頂から、太ももの内側まで。
 湯殿の縁に座らされ、膝を割られるのを感じた瞬間、甘い香りと手つきと、熱と羞恥とで色々参っていたアリスの意識がぷつりと音をたてて切れてしまった。

「アリス!?」


 遠くにブラッドの慌てた声を聞きながら、アリスは深く深く堕ちて行く自分を感じていた。








「・・・・・・・・・・お嬢さん?」

 ぼんやりと目を開けた彼女は、自分を覗きこむ碧色の瞳を見出してほっと息を吐いた。

「ブラッド・・・・・」
 いくらかぼんやりしているが、自分の声が出た。手を伸ばせば、指先まで赤くなった彼女のそれを、そっと男が握り返してくれた。
「まったく・・・・・心配をさせるな」
「誰の所為よ、誰の・・・・・」

 自分の理性の範囲を超える事を仕掛けたのは、目の前の男だ。それでも、どことなく不安になって手を伸ばしてしまうのだから、大概自分も重症だ。
 沈んでいるのは、ブラッドのベッドで、アリスは小さく溜息をつく。バスタオルを巻いたままの状態が気になるが、ブラッドは疲弊しきっているアリスに無体を強いる気はないらしく、隣に寝っ転がると、柔らかな手つきでアリスの髪を撫でていた。

「で?」
「え?」
 ブラッドの手が気持ちよくて、再び意識を手放そうとしていた彼女の頬に、ブラッドが口付ける。耳元で促されて、アリスは目を瞬いた。
「君は、何故白クマになってあんな所に居たんだ?」
「あ・・・・・」

 多分、ブラッドは風呂場であんなことやこんなことをしてアリスを元に戻すつもりだったのだろう。
 だが、彼女があっさり元に戻ってしまったから、それらの過程をすっ飛ばしてしまった事になる。
 元に戻してから、尋ねようと思っていた事を、今ここで聞かれて、アリスはきゅっとブラッドのシャツを握りしめた。
 する、と身体に巻いただけのバスタオルが心もとなく緩むのを感じるが、気にしない事にする。

「ビバルディが・・・・・あの・・・・・」
 城に遊びに行った先で、ビバルディに色々聞かれたのだとアリスはぽつりぽつりと話し出した。
「ほう」
「・・・・・・・・・・あの・・・・・」
「なんだ?」
 ふわり、と頬を撫でられて、アリスは赤くなった。視線を逸らそうとするが、逃さないとばかりに、碧のそれに捕らわれて外せない。

「何故、君は私の愛を疑うような事になった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」


 怖くなったのだ。
 自分とビバルディは、同じ女だが、全然違う。
 体型もそうだし、自分には彼女のような色気もない。
 女としての魅力が欠如しているような自分を、ブラッドが相手にして楽しいのだろうか。本当は楽しくなんかないのではないだろうか。

 元から自分に自信の薄いアリスは、そこからどんどん坂を転がるように自分に自信が持てなくなり、結果。


(今は、珍しいから相手をしてもらっているけど、そのうち捨てられるんじゃないかと思って・・・・・)
 ぽろっと零れたそんな台詞が引き金になってしまい、ビバルディの「そんな風にお前を不安にさせる男などやめてしまえ」という一言が決め手になって、アリスは白クマの縫いぐるみになってしまったのだ。

「アリス?」
 さまよい出そうになった意識を、男が引き戻す。強引に抱き寄せられて、完全にバスタオルがほどけるが、ブラッドは気にしないようで、ただ、柔らかくアリスを抱きしめた。
「何を勝手に不安になっていたのか知らないが。」
「・・・・・・・・・・」
「元に戻ったと言う事は・・・・・私の愛を疑っていないと言う事でいいのかな?」
 くすり、と耳元で笑われて、アリスはじわりと頬を赤く染めた。

 白クマの縫いぐるみ50体を、いとも簡単に袋詰めにした男。
 そして、最後にアリスを見つけてくれた。

 籠を覗きこんだブラッドの顔の、心底安堵したような様子に、アリスは泣きそうになったのだ。

「元に戻ったのは、貴方にお湯に沈められたからよ」
 命の危機だったからだわ、きっと。
 だから、まだ信用ならない、とイヂワルくアリスが切り返す。それに、ブラッドは「あれは」と口ごもった。
「ちょっとしたお仕置きというか」
「何がよっ!」

 随分と無体な行動だった。そう言い返そうとするアリスに、ブラッドが「縫いぐるみの振りまでして私と一緒に居たくないなどと体現されたら、誰だって腹も立てるだろう」と低い声で告げる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 確かに、そうかもしれない。

 ブラッドは、縫いぐるみのアリスを探し出す為に、好きでもない真昼間に、行きたくもない城まで、正攻法で突っ込んだのだ。
 それを、無下にするようなアリスの態度に腹を立ててもおかしくはないだろう。

 しばらくそのまま見詰め合い、どちらともなく頬を緩める。

「まったく・・・・・君に振り回してほしいと言ったが・・・・・退屈しないよ」
「貴方のお好みでよかったわ」
「よくない」
 そっと耳元で告げて、ブラッドの掌が、するっとはだけた背中を撫でた。それから、彼女の身体を柔らかく撫でて行く。
「君は私の愛がどうのというが・・・・・私は君の愛を疑いそうだよ」

 私は君に、ちゃんと愛されていると言えるのか?

 不貞腐れたような、甘えるような言い方に、アリスはじわりと胸の奥が暖かくなるのを感じた。

 抱きしめて、アリスの身体を掌で確かめる男の首筋に、己の頬を寄せて、彼女は心地よさそうに目を閉じた。


「ええ・・・・・愛してるわ」
「・・・・・・・・・・これから、しても?」
 掠れた声が、緩やかに尋ねる。それに、アリスはこっくりと頷いた。





 次の時間帯。
 二人でベッドにまったりと転がっていると、不意に訪問者がやってくる。
 大慌てで上掛けにもぐりこむ彼女を残して、ブラッドはドアを開けて飛び込んできたエリオットを渋面で迎えた。
「何の用だ?」
 寝乱れた格好のまま、それでも部屋の奥・・・・・ようやく役に立った天蓋付きベッドのカーテンの向こうを気取られないように、ブラッドはエリオットの前に立つ。
「それが・・・・・」
 彼は何故か、巨大な袋を持っていた。
「こんなもんがブラッド宛に届いたんだけどよ・・・・・」
 どうする?

 困惑するエリオットが袋の口を開けて中を見せ、それに、ブラッドはげんなりした。


 アリスの気持ちに連動して動く、白クマの縫いぐるみ50体。

 捨てるわけにはいかないそれを、夕方の度に薔薇園に出向いたブラッドは、自分の姉が来るのをしばらく待つ羽目になるのだったそうな。






























 というわけでっ!
 一周年記念リクエスト企画から、なつきさまより

『「白クマDEアリス」で書いていただけると嬉しいです。内容はギャグでもR18でもOKです(笑)』

 というリクエストを頂いてしまったので!

 白クマDEアリス、第三弾ですっ><


 ・・・・・思いっきりギャグ路線というか、ボスが真昼間っから散々な目に有った上に、最終的に50体、返品不可でどうすんだよ、な内容に・・・・・ orz

 それに、イサナさまから頂いた「薔薇風呂」というキーワードを絡めたのに、エロく・・・・・なったんだかならなかったんだか、個人的には、全裸で視姦されたアリスが非常に楽しげふんげふんげふん。

 えー・・・・・こんな内容ですが、なつきさま&イサナさまに限りましてお持ち帰りOKですので・・・・・
 コピペして持ってちゃってください><

 ちなみに、女王様の「間違えたものが死ぬまでお前の物」というフレーズは、某みんなの歌とかで有名な谷山さんの某曲からお借りしました(笑)

 というわけで、お二人さま、ありがとうございましたv

(2010/02/10)

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