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 その時は自分の香りで埋め尽くしてやろうと彼は笑った
「はいはい〜お土産ですよ〜〜〜」

 休憩時間の食堂で、同僚の一人が籠を持ってやってくる。お昼なんだか、朝なんだか、とにかく、労働後の食事を取っていたアリスは、珍しく楽しそうにはしゃいで、彼女に駆け寄る同僚たちに首を傾げた。

「お土産って・・・・・何?」
 皿にサンドイッチを置いて、彼女も手に付いたパン屑を払いながら彼女の方に近づく。
 近くにあったテーブルに籠を置いた同僚は、「春の領土からの戦利品です〜」とにこやかに笑った。

 普通の使用人とメイドが行き来する、巨大な屋敷は、まるで貴族の住まう邸宅のようだが、実際ここに住んでいるものは、そんな気の良い(?)人間ではない。


 欲しいものは自分で手に入れる。
 邪魔するものは排除する。

 仲間と利益と秘密を護れ。
 それ以外はすべて壊せ。

 それを信条とする、物騒な集団・・・・・帽子屋ファミリーと呼ばれるマフィアが住まう、彼らの本拠地なのだ。

 普通にメイドや使用人として仕事をしている彼らも構成員で、「仕事」があると銃をぶっ放すのになんのためらいもない人間たち。

 ここで、楽しそうにはしゃいでいる彼女達も、漏れなく、だ。

「戦利品って・・・・・戦争でもしてきたの?」
 普通なら、こんな物言いは冗談を込めた洒落っ気のある言い方になるのだが、彼女達が口にすると大半で意味が違ってくる。
 違ってくる・・・・・というか、そのまんまの意味になるのだ。

「戦争、というほどの事でもないですよ〜」
 籠を持っていた同僚がにこやかに笑った。そのまま、だるだる〜っとした口調で話す。
「ちょ〜〜〜っと春の領土でお仕事をしてきただけです〜」
 その帰りに〜見つけてきたんですよ〜。

 春の領土、というとすなわち、ハートの城の領土だ。
 春、というどこか浮かれた、眠気を誘う穏やかな季節にありながら、なにかと厄介な領土。
 遊びに行っていざこざに巻き込まれたのは記憶に新しい。

 何かと交渉が多い、とぼやいていた自分の恋人の姿を思い出して、アリスはその恋人が何やら手を打ち始めたのだな、とぼんやり考えた。

 花で出来た教会に行けるようにするつもりなのだろうか。
 それとも?

「敵対関係ですけど〜、女王ビバルディの趣味は〜私たちのなかでも結構評判ですから〜」
「あ、これ、ビバルディのブランド?」
 はい〜、とうなづく彼女がアリスの手に押し付けたのは、桜色のルージュだった。
「他にも〜桜の化粧水とか〜春の香りの香水とか〜」
 色々あるんですよ〜?

 籠から次々に取り出される化粧品に、アリスは「へ〜」と目を見張った。

 アリス自身、あまり化粧はしない。たまに昼の日差しがきつい時はうっすらファンデーション位は付けるが、ビバルディのようにばっちりメイクをすることは少なかった。
 仕事中もノーメイクだったりする。

「これなんか〜お嬢様に似合うんじゃないんですか〜?」
「え?」
 同僚の一人が、ピンクのアイシャドウを差し出す。
「ああ、ついでにこれも〜!保持力抜群ですよ〜〜?」
 更に、マスカラを差し出される。
「そうなってきますと〜、こっちのこれなんかも捨てがたいですよね〜}
 ぽい、と掌に押し付けられたのはアイラインだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・私、そんなに貧相な目元?」
 思わず尋ね返すと、「何をいってるんですか〜?」と数名のメイドがアリスに顔を寄せた。
「目のメイクだけで〜随分印象が変わるんですよ〜?」
「お嬢様〜この間〜ボスの好みを聞かれてたじゃないですか〜?」
「目力は重要ですよ〜目力〜」

 力説するメイドの目力に気押される。

「え?・・・・・あ・・・・・うん、でも・・・・・」
 実はアリスも自分を綺麗に見せたくて、化粧や衣装なんかに大分興味が有る。
 と、言うのも、自分と付き合う男が、女の自分が凹むくらいに色気が有る所為だ。
 どうでもいい・・・・・というか、理解できない服装で、終始やる気のない表情と、覇気のない視線を持っているのに、何故か彼は女にモテる。

 モテるのだが付き合ううちに、その理由も頷けるようになってしまっていた。

 とにかく彼は色気があるのだ。一つ一つの仕草が、意図していないのだとしても、人の目を引き付ける魅力をもっている。
 甘く囁く声で、トンデモナイ言葉をさらりと言えてしまうのだから、尚更性質が悪い。

 二人で並んでいると、上司部下ならともかく、恋人としてみられる時、自分では役不足に感じる事が多々あった。

 だから、多少なりとも相応しくなりたくて、アリスの部屋の抽斗にはあちこちの領土で衝動的に買ってしまった化粧品が積み重なっていた。

 ―――そう、積み重なっているのだ。

(・・・・・・・・・・使うには勇気がいるのよね・・・・・)

 一度、本気でビバルディにメイクを習おうと思ったのだが、そんなきっちりメイクをして、ばっちりした衣装を着ていたら、自分の恋人を要らん方向に煽るだけのような気がして、アリスは躊躇しているのだ。

 似合う似合わないは別として、そんな「飾り立て」でもしようものなら、あの男が何をしでかすか分からない。
 彼の為だと思われるのも、何となく面白くない。

 彼に相応しくなりたいのに、その努力を見透かされるのが面白くないのだ。

(これって・・・・・仕事してる姿を見られたくないブラッドと同じよね・・・・・)
 ふと思い立ち、やっぱり自分とブラッドはどこか似ているな、とアリスは溜息をついた。


 帽子屋ファミリーのボスで、強大な力と領土を持つブラッド=デュプレ。
 彼の恋人、に自分が収まっているのがいまだに信じられない。 


「きっと〜ボスもお喜びになりますよ〜?」
 押し付けられた化粧品を前に、うっと言葉に詰まるアリスだが、そんな彼女にメイドたちは追い打ちをかける。
「自分の女が〜自分の為に綺麗になってくれるのは〜それだけで男心をくすぐるものです〜」
 うんうん頷くメイドに、アリスは半眼になる。
「・・・・・・・・・・そうかしら・・・・・似合わないだけのような気もするけど・・・・・」
「そんなことありません〜」
「今のままでも〜お嬢さまは十分可愛いですけど〜」
「それ以上になります〜」

 力説されて、取り敢えずアリスは「そ、そう?」と小首を傾げる。何となく断りづらくて、押しつけられたものを受け取ってしまった。
 そうなってくると、彼女達は「あれもこれも」と本当に「戦果」として持ってきたものなのか、「買って」きたものなのか判別の付きにくい「戦利品」を色々アリスに押し付けてくる。

 見た目はそれほど大きくない籠なのに、なにやら、倍以上モノが入っているそこから、ファンデーションやらチークやら、口紅、マニキュア、香水、化粧水、乳液、美顔クリーム等々等々キリがないほど手渡される。

 あっという間に化粧品の海に溺れたアリスは、一旦それらを自室に置きに戻らなければならない羽目に陥るのだった。







「・・・・・・・・・・ビバルディなら、似合いそうよね・・・・・」
 ドレッサーの前に座り、アリスはネグリジェ姿のまま困ったように眉を寄せる。
 手には真っ赤な・・・・・薔薇色のマニキュアが握られている。
 それを抽斗に仕舞い、アリスははう、と溜息を零した。

 今日は疲れた。

 双子とエリオットの攻防の名残りで、西翼の廊下が酷い事になっていたのだ。

 柿まみれ、というか。

 アリスはそこの掃除担当じゃなかったが、余りにも酷い惨状だったので、自ら手伝いを申し出たのだ。
 それに、双子が「お姉さんの担当はどこ?」と事前にアリスの仕事場所を聞いていて、該当しない場所を選んで派手に暴れた、というのも気に入らなかった。

 なので、お仕置きの意味を込めて、双子と遊ぶ約束をしていた時間帯を、全部その廊下の掃除にあてたのだ。

 喚くは駄々をこねるわ、の双子と、それを叱るエリオットの声をBGMに、アリスはせっせと掃除をした。

 お陰で、今日は食事休憩以外、ほとんど屋敷の仕事に費やしてしまっていたのだ。

 鏡の前に置かれている化粧品の数々。
 抽斗に入らなくなったので、取り敢えず、使えそうなものを並べたのだが、それにしたって、化粧水だけで5本はある。

「・・・・・・・・・・」
 ちょっとお肌が荒れ気味かなぁ、と半眼で鏡に映る自分を見詰めていたアリスは、ふう、と息をつくと更に横に置かれている石鹸とシャンプーを手に取った。

 これも、春の領土からの「戦利品」に入っていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 苺の香り、と書かれたそれをしばらく手にとって眺めた後、「これくらいなら・・・・・」とアリスは自分の部屋のバスルームに向かう。
 香水は好きじゃないから付けない。でも、好きな人と肌を重ねるのだから、それなりにこう、良い格好をしたい。

(これくらいは別に・・・・・普通よね?)

 相手に合わせて頑張ったが、結果空回った経験のあるアリスは、どこか後ろ向きな発想で思いきると、温かな湯気のあふれる浴室へと消えて行った。



 


「特別に香水など付けなくとも、君はいつでも良い香りがするのだが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 髪の毛をバスタオルでぬぐいながら、浴室から出たアリスは、ドレッサーの前で興味深そうに綺麗なガラス瓶を持ち上げている男に目が点になった。

「ボディーミルクも別に必要ないだろう?君の肌は触ると掌に吸いついて、思わず舌先で」
「勝手に人の部屋に押し入って、なにセクハラ発言してんのよ、あんたはっ!!!!」
 振り返り、ふむ、と全身を見詰めるブラッドの視線に気づき、大急ぎで突っ込んだアリスは、慌ててバスタオルを身体に巻いた。
 露出の多いネグリジェだと、下手に目の前の男を刺激しかねない。

 お風呂の温度で火照った以上に、赤くなる頬を隠して、アリスはじとっとブラッドを睨んだ。

「何でここに居るのよ」
 この時間帯は、ブラッドと約束していた。ただし、彼が来るのではなく、アリスがブラッドの部屋を訪れる予定だったのだ。
 それがどうしてそちらから押しかけてくるのか。
「・・・・・・・・・・約束破る気なんてないわよ?」
 信用されていないのかしら、とちらりと考える。きゅっと唇を噛んで言うと、ソファに移動した男が「それはそうだが」と大げさに溜息をついて見せた。

「何やら、門番たちがしでかしたイタヅラの所為で、君の仕事が二倍になったと聞いてね。疲れているだろうと思ったから、こちらから出向いたんだ」
 帽子と上着はすでにテーブルの上に置かれている。アリスに向かって手を伸ばすブラッドに、彼女は閉口する。
 頭からバスタオルを被って、水気を拭いながら、のろのろと彼に歩み寄ると、半分も行かないうちに長い腕に腰を絡め取られた。

 そのまま崩れるように膝の上に座らされる。

「別に、好きでやったことだから、疲れていようとなんだろうと、貴方との約束を破る気はなかったわよ?」
 乱暴に髪の毛を拭っていると、不意にその手を取られる。ブラッドが、代わりにアリスの髪の水気を拭い始めた。
「君自身はそう思っていたかもしれないが、睡魔というのはいつどこで君を虜にするか分かったものではないからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 実際、湯船につかったアリスは身体が温かく、このままベッドに沈んだらどれほど気持ちいいのだろうか、という気持ちになっている。

「寝ちゃいそうな女に、無理を強いる気?」
 タオルで隠れているから、顔色を読まれることはない。いささか拗ねたような顔で告げると、優しくアリスの髪の毛を拭いていたブラッドはひょいっとそれを持ち上げた。
「まさか。そんな酷い男に見えるか?」
 見えるに決まっている。

 覗きこむ男の眼は愉しそうに笑っている。
 本当にろくでもない。

「なんだ?信用が無いな」
 じろっと睨むアリスに、ブラッドは目を細めるとにやりと笑った。
「確かに、寝ている君に手を出すのは楽しそうだし、どんな反応が返ってくるのか気になる所だが」
 まだそれを言うのか、とアリスはますます反抗的な眼差しでブラッドを睨みつける。だが、当の本人はそれがポーズだと知っているから、笑みを崩さない。

 アリスがブラッドについて詳しくなったのと比例するように、ブラッドも、アリスの事に詳しくなっている。

「私だって、自分の女に嫌われるわけにはいかないからな。」
 ちゃんと睡眠を取らせた後に、私の相手をしてもらうくらいの気遣いは出来るさ。

「・・・・・・・・・・次の時間帯は仕事なんですけど」
「私との約束が果たされた、次の時間帯の、仕事、だろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 屁理屈だわ、と思うが、アリスは言葉を飲み込んだ。何を言っても聞かない。
 ブラッドの中の決定事項を変えるのは酷く難しいと、アリスは身をもって知っていた。

「と、いうわけで」
 私の相手をしてくれないか?

 ひそやかに囁かれた台詞に、肌が粟立つ。そのままベッドに運ばれそうになって、アリスは彼の腕に手を置いた。

「待って・・・・・まだ、髪の毛、乾いてないわ」
 風邪ひいちゃうわ。

 見上げて言えば、ブラッドはちょっと目を見開くと、生乾きの彼女の髪の毛に指を滑らせた。

「・・・・・・・・・・そうだな。長いと手入れも大変だろう」
「そうよ」

 ボスは大層、髪を触るのがお好きですからね。

 嫌味のように言うと、ブラッドが苦笑する。そのまま男の拘束から逃れると、アリスはドレッサーの前に座った。あらかた水気を拭った髪を、綺麗にブラッシングして行く。
 暇なのか、興味が有るのか、彼女の後ろに立った男は、彼女の手からブラシを取り上げると、自分で梳きだした。

「君はいつも甘い香りがするが・・・・・今日はまた、一段と甘い匂いがするな」
「え?」
 好きな人に、髪の毛を触られるのが、これほど心地いいと知らなかった。
 疲れも手伝って、うっとりと眠りそうになっていたアリスは、不意に首筋に吐息を感じて我に返る。

 ちゅ、と肌に触れた唇の感触に、身を強張らせる。そんな彼女の反応に小さく笑った男が、「苺の香りか?」とアリスの耳に唇を寄せた。

「え・・・・・ええ。・・・・・ビバルディのお店の、石鹸とシャンプーよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へえ」

 しばらくの間の後、ブラッドはドレッサーの上に並んでいる化粧品に目をやった。

「これは・・・・・今日の戦果か?」
「そう聞いてるわよ?」
 一体春の領土で何をしてきたのよ。

 思わず鏡越しに尋ねると、「いやなに」と瓶を見詰めたままの男が、そっけなく答えた。

「好いた女の願いも叶えられないとは情けない、と言われてな。目に物見せてやろうと思っただけだ」
「・・・・・・・・・・へえ」
「生垣の一つも爆破してやったのだが・・・・まあ、それはどうでもいいとして」
 女王の趣味か。

 やれやれと溜息をつき、ブラッドはルージュの一つを手に取った。春の新色らしく、ルビー色とうたわれたそれは、付けると宝石のような輝きを放つらしい。

 この世界は不思議な事が頻繁に起きるから、例えで「宝石のような輝き」と評しているのか、本当に宝石よろしく輝くのか判らない。
 アリスが化粧品に手を出し辛いのは、そういった理由もある。

 綺麗になる、とうたわれる化粧品の効能が、どれくらいアリスの予想の上を通っていくのか判らないからだ。

「血のような赤だな・・・・・女王の好みそうな色だ」
「私にはちょっときついと思うのよ」
 素直にそういうと、鏡越しに、ブラッドと目が合う。男は「そうか?」というように目を見張っている。

「確かに、どぎつい赤は似合わないだろうが・・・・・これくらい深い色合いだと、君の肌を引きたててくれそうだがな」
「そ・・・・・う?」
「ああ」

 もっとも、と笑いながらブラッドはするりと伸ばした指先で、アリスの唇を撫でる。

「何もなくても魅力的だがね」
「・・・・・・・・・・・・・・・お世辞は良いわよ」
「本気じゃないと?なら、証明しようか?」
「要らないわよ!」

 そういうな、と無理やり口付けられる。ふわり、とブラッドから甘い薔薇の香りがして、アリスは眩暈がした。微かに硝煙の香りがする。

 危険な人。
 マフィアのボス。
 一番、未来が見通しずらい存在。

 でも、間違いなく、アリスが手を伸ばす存在だ。

 ちゅ、と音を立てて唇が離れ、濡れたアリスの唇を親指でそっと拭う。

「こうすると赤く色づく」
「馬鹿」

 視線を逸らし、アリスは「梳かしてくれないなら自分でやるわ」とブラッドの手からブラシを取り上げようとした。

「これは?」
 白い指先を交わし、ブラッドが少しだけ開いていたドレッサーの抽斗を引っ張った。
「え?」
 かたん、と音がして中の瓶が傾く。

 ルージュと同じ色合いのマニキュアが覗いていた。

「それも貰ったんだけど・・・・・」
 メイド職じゃ、ね。

 給仕をしたり、紅茶を入れたり、水仕事もするメイド。爪を護る意味で透明な物を付けることもあるが、ここまで色が濃いものは流石に下品に映る。
 爪を伸ばして良いような仕事でもないから、とアリスが「特に要らないのよね」とあっさり言うと、「そうか」とブラッドは興味深そうに持ち上げたそれを眺めている。

「ビバルディはいつも綺麗な爪をしてるから、憧れるんだけど・・・・・」
 可愛い装飾とかしてみたい気もする。
 だが、いつ時間帯が変わり、仕事に戻らなくてはならない、下っ端では爪に凝った装飾などしている暇もない。
 肩をすくめるアリスの髪に、ブラッドは指を通すとにんまりと笑った。

 何か思いついたような、笑みだ。

「まだ、髪は乾かないな?」
「え?」
「君が構ってくれないのは詰まらないが、風邪を引かれても困る」
「ちょっ」

 唐突に抱きあげられて、アリスは驚いた。そのままベッドに降ろされる。

「ちょっと!?」

 背中に枕が当たり、投げ出された脚に、すっと男の手が伸びた。

「ああ、気にしなくて良い。君は髪を乾かしていてくれ」
 代わりに私は、君の脚を飾らせてもらうから。
「はあ!?」
 慌てて身を起こそうとするが、彼女の足首を掴んでしまった男の前にはなすすべがない。

「や、やめっ」
 すり、と足の裏に指を滑らされて、アリスは真っ赤になった。
 咄嗟に、フットケアはしてただろうか、と心配になる。仕事は立ち仕事専門なのだ。ヒールのある靴ではないが、それなりにタコとかマメとか出来ているかもしれない。
 まあそれも、時間の経過とともに消える事が多いから、余り気にしていなかったが今はどうだろう。

「こら、動くな。下着が見えても構わないのか?」
 にたっと笑って言われ、アリスの脚を膝の上に抱え込んだ男に、彼女は閉口した。

 ベッドの上で、自分の脚を捉えられて、アリスは枕に背を預け、斜め後ろに手を付いた態勢で男を見ている。

「変なことしないでよ!?」
 じーっと足の甲を見詰められて、羞恥に耐えられず声を荒げる。
「キスしたらどんな反応をしてくれるのかな?」
 くすくす笑う男の唇が近づき「止めて止めてっ!!」とアリスが懸命に叫んだ。
「お願いブラッドっ!!!」
「だから暴れるな?持ち上げて抱えてしまうぞ?」
「っ」

 そんな事をされたら、アリスは間違いなく脚を開かされてベッドに沈む事になる。
 髪も乾いていないのに、厄介だ。

 大人しくするアリスの、涙の滲んだ、睨みつけるような咎めるような視線に男は「そうだ」と意地悪く笑った。
「良い子だな、お嬢さん」
「〜〜〜〜〜〜〜っ」

 怒りで言葉も出ない。ふいっと視線を逸らすと、ブラッドの手が普段あまり触られない場所に触れて行く。
 たとえば、踵の辺りだとか。くるぶしの付近だとか。アキレス腱の上だとか。脹脛だとか・・・・・。

「も、もう!脚ばっかり触らないでっ!!!」

 くすぐったいんだか心地良いんだか、とにかく、余り撫でまわさないでほしい。睨みあげると、「ああ、すまない」と全然済まなさの欠片もない口調で謝られた。

「そうだな。本題に入るか」
「え?」

 本題?

 いつの間にか、ブラッドの手には先ほどの瓶が握られている。

「それっ」
「薔薇の色に似ているな」

 彼が持っているのは、先ほどのマニキュアだ。
「な、何する気!?」
 思わず咎めると「足なら問題ないだろう?」と楽しそうに答えた男が蓋を外す。光沢のある、光の加減で色の深みが変わるマニキュアを見て、アリスは事態を理解した。

「ぬ、塗るつもり!?」
「ああ。君の髪が乾くまでの暇つぶしだ」
「ひ、暇つぶしってっ」

 嬉々として、アリスの足の指に、手を滑らせるから、アリスは赤面するしかない。淑女はみだりに足を男性に見せてはならない、とロリーナに言われ、そういう概念を一応アリスも持っている。

 それが今はどうだろう。

「こら、動くな」
「う・・・・・動きたくもなるわよ」
 足首を掴んでいる手がくすぐったい。それに、微かに足を持ち上げられているから、足の付け根が心許ない。
「何考えてるのよっ」
 悲鳴のような声で言えば、真剣にアリスの足の親指と向き合っているブラッドが「静かにしなさい」と跳ねのけた。

「っ〜〜〜〜〜〜〜」

 恥ずかしい恥ずかし恥ずかしい恥ずかしい。

 じわりじわりと涙が滲み、アリスは目を閉じると顔をそむけた。だが、それは失敗だったと気付く。彼の手を余計に意識する結果となってしまったからだ。

「なかなか難しいな」
 綺麗に塗れない。
「別にいいわよ、適当で!」
「違う色が有れば、色々出来そうだな」
「他に有意義な暇つぶしを考え出してよっ!」
「芸術の秋というし・・・・・ここに薔薇でも付けたらよくはないか?」
「要らないからっ!!」
「そうだな・・・・・今度デザインしてみよう」
「だから要らないってばっ!!!」

 なんだ、偉く否定的だな。

「ひゃっ」
 ふーっと塗った場所に吐息を拭き掛けられて、アリスは慌てて口を押さえて、身体を震わせるしか出来なかった。
「・・・・・・・・・・ふ〜ん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ナルホド」
「何がナルホドなのよっ!!!!」

 叫ぶアリスを翻弄しながら、ブラッドはアリスの爪にマニキュアを塗っていく。綺麗な赤は、塗られた後も、光の加減で色を変える。
 本当に宝石のようだと、半分を過ぎたころには、アリスは諦めの境地で思っていた。

 ただ、自分の足の爪はそれほど形が良い方ではないし、足も綺麗ではないので、なんとなく不釣り合いに見える。

 血のような赤。
 ルビーのような赤。
 それはやっぱりアリスが付けると、見劣りする、品の無いもののように見えてしまう。

 まったく、トンデモナイ事をしてくれたものだ。

「・・・・・・・・・・塗り終わった?」
 すっかり疲れた様子で尋ねるアリスに、「そちらは?乾いたか?」とブラッドが満足そうにアリスの足を見詰めながら尋ね返してくる。
「ええ・・・・・まあ・・・・・」
 梳かすどころの話ではなかった。いくらか絡まったそれを、アリスは見ないふりをした。
 とにかく一刻も早く自分の脚を取り戻したい。

「そうか。それはよかった」
「ええ、だからさっさと離して」

 しかし、にっこり笑うブラッドに、アリスは壮絶に嫌な予感がした。
 本当に。
 どうしようもないくらい。
 嫌な予感。

「あの・・・・・ブラッド」
「しかし、こちらはまだ乾いていない」
「・・・・・そ、そう・・・・・?」
「あまり、動かすなよ?」
「ちょっ!?」


 捕らわれていた足首。それをそのまま持ち上げられて、今度こそアリスは背中からシーツの海に沈まなければならなくなった。

「ぶ、ブラッド!?」
 すでに脚は開かれているし、太ももをネグリジェの裾が滑り落ちているし、彼の手が膝の裏を撫でているし。
 身体を押しいれられ、アリスは歯噛した。

「ああ、安心しなさい。ちゃんと痛くないようにしてあげるからな。ただ、足を下ろすのはいただけないな」
 せっかく塗ったのに、どこかに引っかけて寄れてしまってはいけない。

 にこにこにこにこ。

 アリスを見下ろす顔が、非常に楽しそうで、彼女は精一杯の皮肉をこめてブラッドを睨んだ。

「両手が塞がってたんじゃ、何もできないんじゃないかしら?」
 彼の両手は、アリスの脚を下ろすまいと、膝の裏に添えられて持ち上げている。
 どうこうするには、手が足りない。

 そう告げる彼女の精一杯の反撃はしかし。

「なに、手など使えなくても方法はいくらでもある」
「!?」

 唇が、アリスのネグリジェの裾を咥えて持ち上げた。
 するすると、肌があらわになり、二つのふくらみが見えてくると、ブラッドは、マフィアのボスらしく、黒さに魅せられるような笑みを浮かべた。
 それにより、アリスの抵抗は儚くも打ち砕かれてしまった。

「ぶ・・・・・ブラッドっ」
 やめっ
「・・・・・たまには・・・・・ルールがあるのも悪くない」

 ひゃああんっ


 普段と違って、今日は苺の味がする、と妙な事を口走る男に、散々に翻弄されて、疲れていたのに、更に疲労困憊し、アリスは彼から与えられる熱の前に、参ってしまうのだった。









 アリスの足元には、ブラッドが綺麗に塗った赤が映えている。月見も終わりか、と縁台に腰をおろし、夜空を見上げて杯を傾けるブラッドに、アリスは「そうね」とそっけなく答えた。
 いつもの浴衣とはちょっと違う、黒が混じった赤の浴衣には、大輪の薔薇が咲いている。下駄を引っかけた足の爪を見下ろし、ちらとアリスは隣の男を見た。

 杯に浮かぶ満月を、目を細めて見詰める男が、このペディキュアに合わせて新調してくれたのだと直ぐ分る。彼女のまとめた髪を彩っている薔薇の簪もそうだ。

「・・・・・・・・・・ありがとう」
 ぽつりと零すと、ふと視線を上げた男は、不思議そうにアリスを見た。
「何か言ったか?」
「・・・・・・・・・・月が綺麗ねって言ったのよ」
「?」

「あ、居た居た、アリス!ブラッド!!」

 この男の、こういうさりげない気遣いに弱い。もともと無茶を強いてきたのは向こうの方なのに、こういう事をされると帳消しにしなくてはならないではないか、と胸の内で頬を膨らませていたアリスは、響いてきたエリオットの声に顔を上げた。浴衣を来たウサギさんが、二人に向かって手を振っている。

「エイプリルシーズンも終わりそうだしさ。俺も縁日に行って来たんだ」
「へぇ」
 アリスとの時間を邪魔されたブラッドが、心なしか冷たい声で応じる。
「ディーとダムを連れて?」
「まぁな。はしゃぐ連中を連れ歩くのには参ったぜ」
「・・・・・そんなものに巻き込まれなくてよかったよ」
 冷やかに告げるブラッドの機嫌は、明らかに悪い。だが、二人を敬愛してやまないエリオットは、空気を読まずにずかずか近づくと、アリスに「ほら」と飴を手渡した。

「これ・・・・・」
「あんた、いっつもリンゴの飴喰ってたろ?」
 だから、今回はこれ!苺の飴にしてみたんだ。

 にっこにっこ、得意そうに笑うエリオットに、アリスは目元を和ませる。

 素直にうれしい。

「ありがとう、エリオット」
 受け取ってから、はっとアリスは我に返った。
 ブラッドから「自分以外から贈り物を受け取るな」と言われていたのを思い出したのだ。思わず飴を握りしめて様子を伺えば、ブラッドはアリスの手元を見詰めている。

「・・・・・何?」
「いや・・・・・エリオット、私には無いのか?」
 この飴は。
「え?」
 思わずアリスが声を上げる。とエリオットが「ああ、あるぜ」と事もなげに苺飴を差し出した。
「本当はブラッドにはにんじんスティックだったんだけど、こっちがいいなんて、珍しいな?」
「・・・・・・・・・・そのオレンジのスティックはお前が存分に喰えば良い、エリオット。私はこちらを貰おう」
 丁重に断り(いくらか引きつった笑顔ではあるが)ブラッドは苺飴に目を細めた。

「どういう風の吹きまわし?」
「・・・・・君は、私が世にも恐ろしい、野菜スティックとは呼べないオレンジの代物を喰えばよかったと言うのか?」
「違うわよ。ただ・・・・・こういうのも好きじゃないでしょう?」
「そんな事はない」

 やっぱり、屋台物は味が違うよなっ!!!なんて感嘆の声を上げてニンジンスティックを頬張るエリオットを横目に、ブラッドはアリスにならってセロファンをはがすと苺飴を咥えた。

「・・・・・・・・・・」
 どうでもいいが、いかがわしく見えるのはアリスの脳内がイカレているからだろうか。
「・・・・・ああ、ナルホド」
「・・・・・何がよ」
「でもよー、珍しいよな、ブラッドが甘いもん食うなんて」
 お茶会以外でさ。

 は!?もしかして俺にニンジンスティックを譲る為に無理してくれてるのか!?

 尊敬と敬愛と、そのほかよく判らない感情で瞳をきらきらさせるエリオットに、ブラッドは「何」と涼しい顔で答えた。

「どれくらい甘いのかと思ってね」
「?」
「??なんだ?茶菓子にする気か?」

 目を瞬くアリスとエリオットに、ブラッドはにっと笑った。

「最近食べた苺と比べて、どれくらい甘いのか、興味が有ったんだよ」

 最近食べた苺?

 首を捻るアリスは、次の瞬間、含まれている意味に気付いた。

「!!!!!!!!」
「ああ、香りは似ているなぁ・・・・・」
 くく、と喉の奥で嗤う。
「これでは、また食べたくなるな。」
 アリス?

 寄こされた視線の意味を、綺麗に理解し、アリスは開いた口がふさがらない。真っ赤になって口をパクパクさせる彼女に気付かず、エリオットが首を傾げた。

「苺・・・・・なんて喰ったっけ?」
「ああ。これよりももっと甘い・・・・・良い香りのするものだったよ」



 撫でられた脚の感触を思い出し、アリスはもう二度と、絶対、香水も香りのするシャンプーも石鹸も化粧品の類も使うもんかと誓うのだった。



「あー・・・・・ニンジン料理なら、何食ったか逐一覚えてるんだけどなぁ」
「・・・・・今度はニンジンにしようかしら」
「お嬢さん。そんな事をしたら、どうなるか、わかってて言ってるんだろうな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」






















 というわけで、1万打リクエスト企画作品です><

『「アリスの足の爪にペディキュアを塗るブラッド」をかのんさんの文章で読んでみたいです。できればジョーカー設定で。』

 と、イサナさんからリクを頂いたので、このような形となりました!!・・・・・え、えへ☆なんか、妙にエロくなっちゃいました☆

 頂いたシチュエーションにエロしか感じなかった私は馬鹿ですね、そうですね、すいませ・・・・・ orz

 ジョーカーのブラアリEND後設定なのですが・・・・・やっぱり甘々な二人は書いてて楽しいなぁ(甘々なのか?/笑)

 そんなわけで、こんな感じになりましたが、楽しんでいただけましたら幸いですvv

 ありがとうございましたv



(2010/01/21)

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