Alice In WWW

 帳の向こうに見える景色



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうかしたのか?」
「なんでもない・・・・・・・・・・」

 アリス=リデルは改めて、自分の隣にいる男の立場を理解した。
 クリスマスで、バレンタインで、恋人同士が盛り上がるイベントの時期だというのに、この男はいとも簡単に、クローバーの塔が治める領土の、一番巨大なホテルの、最上階の部屋を取ってしまった。

 前から予約していたわけでもなし。
 事前に連絡したわけでもなし。
 そもそも、アリスはもちろん隣の男自身、一晩この地で過ごそう等と思ってはいなかっただろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「言いたい事があるのなら言いたまえ。」
 怒らないから。
 にっこり笑う、マフィアのボスで、アリスの事を愛人だ、と明言したブラッド=デュプレに彼女は眩暈がした。
「だから・・・・・何もないわよ」
「そう、か?」
 くすり、と小さく笑い、ブラッドはさっさと部屋の中に入っていく。巨大なドアの前で気後れしていたアリスは、このまま見なかった事にして帰ろうかと一瞬思う。
 だが、彼女を捕まえた腕がそれを許してくれない。

 踏み込んだ室内の豪華さに、再び眩暈を覚えて、アリスは自分の足が震えるのを感じた。

「アリス?」
 唖然として室内を見渡すアリスに、ブラッドが不思議そうな顔をした。
「何か気に入らないものでもあるのか?」
 有るなら言いなさい。直してやるから。

「な、ないわよ、そんなのっ!」
「?」
 思わず声を荒げ、アリスは自分の腰を抱いていた男の腕から慌てて身体を取り戻した。

(迂闊だったわ・・・・・)

 現在秋にある帽子屋、ブラッド=デュプレの領土。その帽子屋領の中央に位置する巨大な屋敷。
 その屋敷の豪華さは、はっきり言ってアリスの目から見ても相当のものだった。統一された内装や調度品。メイドとして働いているアリスだが、丁寧に扱わなければならないようなものがたくさんある。
 加えて、この男は妙に凝り性で、気まぐれに頻繁に、インテリアを代えたがる。
 この間は貢物として贈られた壺の置き場所に困り、壺の為の部屋を作ろうかなどとトンデモナイ事を言っていた。

 そんな世界に、最初は驚き恐れとも何とも言えないものを感じていたが、ブラッドとの付き合いもだいぶ長くなってきて、彼について少しずつ色々な事が判ってきた今は、それらに慣れつつある。

 加えて、一度開いた距離が、不用意に縮まってしまった現在では、もっと色々な面が見えるようになっている。

 そんな風に、ブラッド=デュプレと言う男を身近に感じれば感じるほど、忘れていくものが有るし、マヒして行くものが有った。
 その最たるものが、彼が巨大な力の持ち主で、権力者で、マフィアのボスで、あの巨額の財をたった一人で築き上げたトンデモナイ男だという部分だ。

 屋敷で働いていると、それが当然のようになり、彼が勝手に「お茶会に合いそうだ」というだけで高額なテーブルセット一式買おうが、どうという事はなかった。

(慣れって恐ろしい・・・・・)

 そんな彼と連れだって出かけて、ふとした弾みに、「どこかに泊っていくか?」と恋人同士のような事を言われ、アリスはくすぐったくて嬉しい、堪らなく甘い気持ちになった。

 愛人だと明言されても、なんとなく「いいかな」と思ってしまえるくらいには。

 だが。

「・・・・・・・・・・・・・・・うわー・・・・・夜景が綺麗ねー」
 リビングの全面に展開されている巨大な窓。そこから眼下に、雪に覆われたクローバーの街を見下ろして、棒読みで告げるアリスは内心、だらだらと冷や汗を掻いている。

 この男は、自分の経営しているホテル(他の領土にそれなりに進出している)の最上階を、「いつもの部屋を」の一言で貸し切ってしまった。
 もともと、ブラッドの為の部屋なのだろうし、彼が経営しているのだから、別にそういうのが有ってもいいとは思うのだが、はっきり言って慣れないアリスには踏み込んではいけない世界な気がして、動揺が止まらなかった。

(そんなこと言えちゃう人なのよね・・・・・)
 顔が熱い。耳まで赤くなっているだろう。間接照明で、室内がぼんやりしたオレンジ色に彩られていて良かったと心から思う。

(怖い怖い怖い怖い・・・・・)
 一体何をどうしたらこんなホテルの豪華な客室を「いつもの部屋」にしてしまえるのか。
 考えると空恐ろしい。

「気に入ってもらえて良かったよ」
 ぼうっと窓から外を眺めて、これでは何のために季節を冬にしたのか判らない、と冷静にならない脳内でぐるぐる考えていたアリスは、耳元で言われた台詞に「ひゃあう!?」と奇声を上げてしまう。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 目を見張るブラッドを前に、アリスは言葉に詰まった。
 直ぐ目の前に、ブラッドがいる。

 相変わらず奇妙なスーツだし、悪目立ちするごてごてと飾りのついた帽子を被っている。持っていたステッキを肩にあてて、しげしげと自分を見下ろす眼差しが、興味深そうな色を湛えていて、アリスは一気に居心地が悪くなった。

「お嬢さん」
「な・・・・・に」

 にたり、とブラッドが人の悪い笑みを浮かべた。

「もしかして・・・・・緊張してるの、か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 ああ、そうだ。
 その通りだ。
 ていうか、緊張しないほうがおかしくないか?


(私の馬鹿っ・・・・・)
 かああああ、と頬に血が上る。一瞬で喉が干上がり、じわりじわりとアリスは自分を蝕んでいく現実に眩暈がした。

 誘われて、泊って行ってもいいかな、と思った。
 ブラッドと自分の関係は特にどうこう言われるようなものでもないし。
 でも、実際にこの場に来てみて、余りにもシチュエーションが「恋人同士」っぽくて、自分で恥ずかしくなってしまったのだ。

 特に、「恋人」と「外泊」なんて経験が皆無のアリスにしてみれば、初回から凄すぎて動揺しっぱなしだ。

「別に取って喰ったりはしないよ」
 今すぐには、な。

 笑いながら耳元で囁かれて、アリスは大急ぎで男から距離を取った。

「あ、あっちは寝室?」
 声が裏返っている。両手と両足が一緒に出てないだろうか。
 ぎこちなく歩くアリスに、ブラッドは窓に手をついて、肩を震わせて笑う。こちらに向ける背中が心底可笑しそうで、アリスは真っ赤になったまま心の中で指を立てた。
 実際にやったら、どんな目にあうか判ったものじゃない。

 広いリビングには大きすぎるふかふかのソファが置かれ、バーカウンターなんか有ったりする。ほのかに灯された照明。黒とダークレッドに統一されたインテリアや調度品。会合の時のブラッドを思わせる内装に、さっきから眩暈が止まらない。
 くらんくらんしながら、アリスは一際大きなドアをそっと開けた。

 天井の高い寝室。その天井の一角を覆うほど巨大な窓から星が見えた。レースのカーテンが引かれたそこを、開けて望めば、世界が手に取るように見えた。
 それらを望む大きすぎるベッド。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 いかんいかん。
 他の女と戯れている姿を妄想しかけて、アリスは首を振った。若干・・・・・というか、だいぶ気持ちが凹む。
「そちらがバスルームだ」
「・・・・・へえ」
 寝室のドアの前に、手をついて立つブラッドが、部屋の奥に視線をやる。
「お風呂でもいれようかなぁ」
 なんでもない、なんでもない、普段、この男と過ごしてるじゃない、普通に。
 呪文のように唱えて、彼女はベッドを見ないようにしながら、窓とは反対方向に視線を向けた。
「その前に、食事にするか?」
「そ、うね」
 正直、お腹は空いていない。

 訳のわからない緊張感でいっぱいで、出来ればこのまま寝てしまいたい気もする。

 そこまで考えて、当然、一つしかないベッドに自分とブラッドが寝るんだと思うと、また顔から火が出そうになり、アリスはへたり込みそうになるのを我慢した。

(いつもの事じゃない、普通の事じゃない、最近じゃわりと慣れた事じゃなかったかしら!?)

 薔薇園の、あの空気の中でなら容認できる事なのかもしれないが、冷静になる為に訪れた冬で、冷静に事態を見据えると、動揺が激しくなる。
 より一層落ち着かない。

(なんでこんなにっ・・・・・)
 だんだん口惜しくなってくる。

 この男が、こんなに大人でカッコよくなんかなければよかったのに。

 そうじゃない部分も知っている。子供っぽくて我儘で、傲慢で独占欲ばかり強い。気まぐれ過ぎて、寝ている所をそりに乗せられた時はどうしてくれようかと思ったものだ。
(非常識なくせに・・・・・)
「アリス?」

 それも、ブラッドの一面だろう。そして、これも彼の一面だ。

 この部屋でくつろいでいる彼は容易に想像できた。そういうのが似合ってしまうのだ。映画か絵画のように、ぴったりと。
 でも、アリスにはそんな彼の隣に立てるほどの色気も教養もなければ、度量も雰囲気も持ち合わせていない。

(あ、まずい・・・・・)
 久々に自己嫌悪がこみ上げてきて、アリスはしょんぼりと肩を落とした。唇から溜息が洩れる。

 恋は厄介だ。
 身にしみて知っていたのに。

(相手に相応しくなりたいって、随分努力したのよね・・・・・)
 自分、という器を否定して、恋しい人に相応しくなりたくて、頑張った。
 至極当然の行為だと思うが、届かなかった。

 不似合い。

 そんな単語に行きあたり、アリスは視線を落とすと唇をかむ。

 やっぱり、自分には似合わない。

 そんな単語を導き出そうとして、不意に触れたブラッドの掌に我に返る。

「さっきから、赤くなったり青くなったり、何をやっている?」
「・・・・・・・・・・」
 ふと視線を上げると、いつもと変わらない調子の男が、いつもと変わらない眼差しでアリスを見下ろしていた。
 心から大切なものを見詰めるような、柔らかな光の宿ったオーロラ色の瞳。する、と頬を撫でていた手が、唇に触れた。
「不満でもあるのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・そうじゃなくて・・・・・」
「ではなんだ?」
 言うまで解放してくれそうにない。視線を泳がせ、アリスは知らずにきゅっとブラッドの袖を握りしめていた。
「私・・・・・似合ってなくない?」
 掠れた声で、俯いて告げる。
「・・・・・・・・・・似合ってない?」
 鸚鵡返しに言われて、アリスはふいっと視線を逸らしてぽつりと零した。
「だから・・・・・私にはこういう雰囲気は似合わないと言うか・・・・・」
 もごもごと最後を曖昧に告げると、沈黙が落ちた。
 気まずくなって、そろっと視線を上げると、俯いたブラッドの肩が再び震えているのが見える。

 今度は怒りでアリスの頬が赤くなった。

「な、何笑ってるのよ!?」
「い、いや・・・・・すまない・・・・・あ、あまりにもくだらないから・・・・・」
 珍しく声を上げて笑うブラッドに、アリスは涙目になった。

 くだらない!?くだらないですって!?

「ブラッドっ!!」
 こっちは真剣に悩んでいるのだ。
 この、目の前に居る男に、愛人だと言われたのだから、愛人として相応しくなりたいと、多少なりとも思った矢先に、そうは慣れない自分を突きつけられて、凹んでいたと言うのに。

 怒鳴りつけると、「君は本当に・・・・・」と笑いながら男が告げた。

「部屋などただの箱だぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・っ」
「壁と天井と床が有れば、それが部屋だ。」
 にたりと笑うブラッドに、アリスは目を見張る。男は彼女を腕の中に閉じ込めると、アリスの瞳をまっすぐに覗きこんだ。
「この景色は、何も変わらないだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「けど、そうだな・・・・・君が気後れしてくれたというのは、嬉しいな」
 くすっと小さく笑い、ブラッドがアリスに顔を寄せる。
「緊張してくれたのも、嬉しい」
「・・・・・・・・・・」
 紅い、彼女の耳にキスを落として、ブラッドはそろっと彼女の背中を撫でた。
「君には振り回されてばかりの私だが・・・・・そうか、多少なりとも見直してもらえたのかな?お嬢さん?」
 楽しそうな声音に、アリスは目を閉じる。
「見直したっていうか・・・・・改めて気付かされたのよ」
「何に?」
「貴方の・・・・・マフィアの一面に」
「怖いか?」
「・・・・・ええ、まあ、それなりに」
 マフィアの情婦、なんてアリスが逆立ちしたってなれるような代物じゃなかったのに。

 こうやって唐突に突きつけられると、動揺してしまう。

 改めて、自分には手の届かない人なのではないかと、思い知らされてしまう。

「私は君の方が怖いんだが、な」
 ぽつりと漏らされた一言に、アリスが目を開ける。
「え?」
「いや・・・・・なんでもない」
 それより、オレンジ色じゃない食事を君と一緒にしたいんだが?
 そっと腕を解かれて、アリスは離れてしまう温もりに、言い知れない不安と寂しさを感じた。

 この腕を解いてしまったら、目の前に居る男は、また、マフィアのボスに戻ってしまうような気がしたから。思わず彼の袖をつかむと、彼にしては珍しく、ふわりとした笑みを向けられた。

「ここのレストランは一流だ。」
 行くだろう?
 普通なら、腕を組んでエスコートされるのかもしれないが、ブラッドはアリスの手を握る。

 指を絡めて手を繋ぐ。

(あ・・・・・)
 こういう扱いに酷く安心して、アリスはくすぐったそうに笑った。









「ね・・・・・え・・・・・」
「ん?」
 繰り返される甘いキスの合間に、そっと尋ねる。ブラッドの長い指が、アリスの首の後ろに回り、そっとドレスのリボンを解く。
「あの・・・・・」
「うん?」
 さら、とシーツが衣擦れの音をたてて、迫ったブラッドの影が濃く、アリスを覆う。
 首筋に、柔らかな唇を感じて、彼女は腕を伸ばしてブラッドの肩をつかんだ。

 ベッドに二人、向かい合って座ったまま、夜の帳の中に沈んでいく。

「あの・・・・・」
 くすぶっている疑問を、尋ねたい。でも、なんとなく恥ずかしくて言えない。言葉に詰まり、アリスは彼の肩口に額を押しあてた。
「アリス・・・・・」
 顔が見えない。
 笑いながら言われて、「別にみなくてもいいでしょ」と反射的に可愛くない台詞を返していた。
「まだ、似合う似合わないを気にしてるのか?」
 やや呆れたような声が耳を打ち、ブラッドが身を引くのをアリスは感じた。肩を掴んで引き離される。
「アリス?」
 顎に掛った手がそっと顔を上向かせ、碧の瞳に捉えられる。
「そうじゃないけど・・・・・」

 二人で向かい合って食事をするのは気恥ずかしかった。
 背伸びも良いところのデートだった・・・・・気がしている。
 それを気遣ってくれたのか、ブラッドは最近自分が読んだ本の話や、アリスにお薦めの本は無いかと普段と変わらない話題を振ってくれた。
 それこそ、豪華なレストランも、眩暈がするようなホテルの部屋でも、普段となにも変わりはしないのだと、言うように。

(普通は、普段と違う雰囲気を楽しむものなのに・・・・・)
 そういう特別、を楽しむ場所だと理解はしているが、慣れない自分にがっかりもする。
 口説きがいの無い相手だと、そう思う。

 だから、せめて、夜の間くらいはそれらしい雰囲気にしたいのに。

(私・・・・・また空回ってる?)

 気になるのは、この部屋が「いつもの」で通ってしまっている事だ。

 いつも、っていつ?

「じゃあ、なんだ?」
 ブラッドは距離を詰めて尋ねてくる。もともとなかった距離が更に詰まり、吐息が重なる位置で覗きこまれた。背中に触れている手が、逃げ場をなくす。

 こんなに広いベッドの上で、結局アリスはブラッドから逃げられないのだ。

「あの・・・・・」
「ああ」
 意を決して、アリスはそっとブラッドの胸元に身を預けた。
「いつも・・・・・この部屋に泊まるの?」
「・・・・・・・・・・?」
 意味が取りにくく、ブラッドが眉間にしわを寄せた。
「その・・・・・仕事の時とか」
 溜息交じりに尋ねると、「そうだが?」とやや不思議そうな声が肯定した。
「・・・・・・・・・・」
「それがどうかしたのか?」

 この部屋にオンナノヒトは来た事が有るの?

(い・・・・・言えない・・・・・っ)

 ぎゅっとブラッドのシャツを握り締めて、アリスはその場に凍りつく。そんな、まるで嫉妬しているかのような台詞を吐くのには酷く勇気がいる。
 ナイトメアは、「教会に連れてくるような愛人は特別だ」と教えてくれはしたが、イマイチぴんと来ていないのが現状だ。
 百歩譲って自分が特別だとして、だからと言って、彼の過去の女性が清算されるわけではない。

 事実は事実。
 起こった事は起こった事。

 それをとやかく言うなんて、嫉妬深い妻のようではないか。

「アリス?」
「なんでもないっ」
 必要以上に力を込めて言ってしまい、ブラッドの機嫌を揺さぶる。
「なんでもないようには聞こえないが」
 ややかすれた男の声に、不機嫌が混じる。
「なんでもないの」
「なんでもないなら、何故そんな泣きそうな顔をしているんだ?」
「っ」
 抱き直されて、見詰めてくるブラッドの眼差しに、看破され、アリスは目元に力を入れた。眉間にしわが寄るのが判る。

 相応しい、相応しくない。似合う、似合わない。
 押し問答は永遠に続き、根暗でマイナス思考のアリスには脱却する方法を見つけるのが難しい。

「アリス」
 詰問するような調子で言われて、アリスは、自分で雰囲気を作ろうとしたものを自分の手で壊す羽目に陥った。
「なんでもないっ!気にしないで、ただの・・・・・ただの、自己嫌悪だから・・・・・」
 なんて面倒なんだろう。
 面倒な自分に腹が立つ。

 素直にどうして甘えられないんだろう。
 この人の事を一々気にして・・・・・。

「やれやれ・・・・・君は本当に面倒だな」
 心底だるそうに言われて、アリスは更に落ち込んだ。
「ごめんなさい」
 謝罪の言葉が自然と零れ、それに、ブラッドは苦笑する。
「言っておくがな、アリス」
「?」
 改まって言われ、顔を上げた彼女に、ブラッドはにたりと笑った。
「仕事でこの部屋に泊まる事はあるが、連れてきた女は君が初めてだぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 かあ、と頬を紅くして目を瞬くアリスに、「やっぱりな」とブラッドはため息とも嘆息ともつかない吐息を付いた。

「そんな事を気にしてたのか?」
「・・・・・だ、だって・・・・・」
「当然だろう?こんな部屋にどうでもいい女なんぞ連れてこられるか。」
 自分が一番だと勘違いさせて、面倒な事になるに決まっている。
 本当にだるそうに、きっぱりと言われて、アリスは息をのんだ。目を見開く彼女に、満足そうに笑い、ブラッドは身を寄せた。ちゅ、と軽い音を立てて口付ける。半分脱がせかけて、そのままにしているアリスのドレスに手を伸ばした。
「そうだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 甘い吐息が、アリスの肌蹴た胸元を掠め、乾いた掌が肌を撫でる。する、と肩からドレスが落ち、背中のファスナーを下ろされる。腰まであらわになり、彼の長い指先が器用に彼女の下着を外していく。
「・・・・・・・・・・勘違い・・・・・」
「ああ、そうだ」
 つ、とアリスの手が後ろに引かれ、体重を支えようとベッドに沈む。男の唇が、鎖骨にキスを落とし、肌を下りていく。
「んっ」
 自分の肩に、頬を当てるようにして身をよじったアリスの喉から、甘い声が漏れた。直に背中に触れた、ブラッドの手が熱い。そのままふわりと抱き寄せられて、シーツの海に沈められる。
 視線にさらされるのが気恥ずかしく、アリスの手が胸元でクロスした。
 口付けが降ってくる。
「勘違い・・・・・するわよ?」
 アリスの手首をつかんで外し、シーツに縫いとめた男が、彼女の呟きにくすりと笑みを漏らした。
「ああ、君なら構わない」
 いくらでも、好きなだけ、勘違いしてくれ。

 熱っぽい眼差しに見詰められて、アリスは自分の呼吸が酷く上がっているのに気付いた。堪らなく苦しい。甘くて溺れそうだ。

「勘違い・・・・・」
 ぽつりと漏らすアリスの呟きに、ブラッドは柔らかく彼女の唇を塞いだ。
「本気にしてくれても構わない」
「え?」
「本気にするか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 楽しそうに笑う男に、アリスは眩暈がした。
 答えはすでに出ているのかもしれない。


 彼は、教会に連れてきてくれた。次に、自分の領土の教会に連れて行ってやると言ってくれた。
 他の女をこんな所に連れ込まないと言いきってくれた。

 指し示す方向はくすぐったく甘いものなのに、彼はアリスに逃げ道を作ってくれる。


 逃がすつもりはないのに。優しさだと勘違いさせるように。

「ねえブラッド」
「ん?」
 彼の頬に、自分の両手を添えて、アリスはそっとブラッドを見上げた。囁くように告げる。
「貴方は本当にそれで良いの?」

 アリスのそんな台詞に、男はふっと小さく笑った。

「証明、してみせようか?」
「え?」

 その瞬間、アリスはブラッドを挑発してしまったのだと気付いた。気付いて後悔するが、それも一瞬で。

「君は、この部屋を訪れた唯一の女性だ。」
「ちょ・・・・・ま、待って、ブラッドっ」
「丁重におもてなししよう」
「ええ!?」
「なに・・・・・普段よりも、ずっと良くしてやるから楽しみにしていろ」
「い、要らない要らない!そんな気遣い要らな――――っ」

 再び柔らかく甘く口付けを落とされて、絡まる舌先にくらくらする。

「んっ」
 ふ・・・・・うっ・・・・・んんっ

 時折漏れる甘い声すら、全部奪って、ブラッドはアリスを掻き抱く。密着し、触れた自分と違う温度に眩暈がする。
 ああ、今日は眩暈を覚えてばかりだ。

「アリス」
 熱っぽい声が耳を打ち、アリスの思考を砕いていく。
「本当に君は・・・・・」
 ひそやかな笑い声も、触れる手の甘さに、与えられる熱に、気にならない。太ももを撫でる手に、彼女の背中が震えた。
「あ」
 切ない声に、ブラッドは彼女の手を取って、指先に口づけると手首に舌を這わせた。
「抱き心地が良い・・・・・」
 ふわり、と足が持ち上がり、急に心もとなくなる。
 緊張するアリスの身体を撫でながら、ブラッドは彼女の中心に口付けた。

 あられもない格好で、酷く優しく覆いかぶさるブラッドを見上げる。

 そう言えば、と彼女は暗い部屋の天井を覆う窓ガラスの向こうに、きらきら光る星を見て酷く場違いに考えた。

 秋に、彼の肩越しに見た星空とまた、冬はちがうのだな、と。












「まったく・・・・・可愛いお嬢さんだ」
 くすりと小さな笑みを漏らして、ブラッドは隣に横たわっているアリスの髪に指をくぐらせた。そのまま、イタヅラするように頬を撫で、首筋をたどり、艶やかな声を上げていた唇を撫でる。
 彼女から零れる自分の名前は、酷く甘美に響き、もっと言わせたいと、ブラッドを狂わせる。
 むき出しの肩も、滑らかな背中も、丸みを帯びた膨らみも、全てがブラッドを煽り、柄にもなく追い詰められる。

「随分・・・・・時間が掛ったな・・・・・」
 彼女に割いた時間を思い出して、ブラッドは、そんな感覚すら無意味の国に有りながらも、よく耐えたものだと自嘲気味に笑った。
 長期戦は覚悟していた。
 頑なな彼女を、穢して、自分から離れられない身体にしてやろうかと、何度思ったか。

 それをしなかった自分に、驚きもするし呆れもする。

 ただの余所者で、珍しい存在から、部下として見ていて楽しい存在になった。そのままでもいいかと思えるほどに、帽子屋屋敷に馴染んで、楽しそうに仕事をして、日々を過ごす彼女を見るのは嫌いじゃなかったのだ。

 でも。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ジョーカーに挑発されたのかもしれないと、ブラッドは苦く思う。停滞を嫌う自分は、停滞に満足しかかっていたような気がする。。
 そこに来てのエイプリルシーズン。
 季節など無くても、彼女との関係はきっと変わっただろうとそう思うが、季節は訪れ、結果的に彼女に変化をもたらした。

「嘘をつく季節・・・・・嘘が許される季節、か」
 停滞している。
 アリスがここに居る事は、すなわち、アリスはここでの「停滞」を望んだのだ。

 そこに訪れた「変化」という名の「嘘」。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 変化など存在しない。存在しないのに、変化したと思わせる、エイプリルシーズン。
 時計が回り、場所も回る。だが、自分達の『役』も『ルール』も変わらない。
 変化は自分達には適応されない。

 されないのに。

「変われる・・・・・気がしているだけか・・・・・それとも、余所者の君が変われば変わるのか・・・・・」
 嘘が本当になるのか。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ブラッド程の力を持っていても、それは判らない。アリスにはルールは適応されず、また、どうなっていくのかも不明瞭な因子なのだ。
 その彼女に、選ばれた自分はどうなるのか。
 護っていけるのか。

「らしくない、な」
 ふっと苦く笑い、ブラッドは身体を起こした。彼女を起こさないように、そっとベッドから抜け出す。寝室に置かれている一対のソファとテーブル。隣の部屋から持ってきた氷とアルコールをグラスについで、ブラッドは腰を下ろすと、カーテンの向こうに広がる夜の帳に目を細めた。
 足を延ばして、グラスを傾ける。

 監獄の夢は見ていないはずだ。
 では、どんな夢を見ているのか。

 からん、と透明な氷が音を立ててグラスに当たる。考え込むように、目を伏せていると、ふと視線を感じて顔を上げた。





 なんだか肌寒い。
 そっと目を開けて、アリスは大きなベッドに一人横たわっている自分を見出してどきりとした。
 ブランケットは温かく、シーツは素肌に心地いい。だが、肝心の自分を支えるものがない心もとなさが、肌寒い。

 小さく身じろぎし、アリスは微かに身体を起こした。

 星明かりと、雪明かりにぼんやりと明るい外。その窓の外の明かりを受けて、ブラッドがソファに座っている。傾けた、琥珀の液体が残っているグラスを、やや伏し目がちに眺めている男に、アリスはどきりとした。

 喉が干上がる。

(ああもう・・・・・)
 散々似合う似合わないはやった。だから、これはそういう感情じゃなくて。
(慣れないわ・・・・・)
 身体を重ねた後、冷静になって思い返す瞬間に、アリスは慣れない。あられもない自分の姿は、ちゃんと自分の身体に刻まれていて、圧し掛かっていた男の熱も覚えている。
 だから余計に恥ずかしい。

 加えて、ブラッドに色気が有りすぎるのがいけないと思うのだ。

 悔しさの混じった情けなさ。彼を夢中にさせて、虜にさせているとは思えない。いつだって、アリスの方が必死なのだ。

(カッコいいな・・・・・)
 口に出せないが、心の裡で思うくらいには素直になれたと思う。昔は、前に付き合っていた人とブラッドが余りに似すぎていて、ちらちらと盗み見る事が多かった。
 ブラッドに、昔の恋人を重ねて。
 だが、そのうちにブラッド自身を見るようになり、そうなると、彼の仕草一つ一つにどきりとするようになった。距離が離れて、会えないのが寂しいとブラッドの部屋に押し掛けた気持ちに嘘はない。
 そして、肌を重ねるようになって、こうやって眺めるのに、酷く甘ったるい感情が混じるようになった。

(気付いてくれないかな・・・・・)
 目が有った時に、少し驚いて、それから笑ってくれる瞳が好きだ。そういう時に名前を呼んでくれるのも大好き。手を伸ばして抱きしめてくれたら、その日は良い事が有りそうな気になる。

(って、乙女思考過ぎるわね・・・・・)
 耳まで赤くなって、ブランケットを引き上げる。それでも、視線はブラッドに注がれたまま。そして、もう一度眠るにはぬくもりが足りないなぁ、と思っていると、不意に男が視線を上げた。
 ずきん、とアリスの胸に甘いうずきが走った。




「ああ、起こしてしまったか」
 グラスを置いて、ブラッドが立ちあがり、ワインレッドのワイシャツを羽織ったままベッドに座る。端から端まで距離が有る。男はスプリングを軋ませて彼女の隣まで身を寄せた。枕を背中に、足を投げ出して座りこんだ男を、彼女はブランケットの隙間から見上げた。ふわり、とブラッドの掌が額に触れる。
「まだ夜は続きそうだぞ。」
 寝てても良い。
 甘い声に囁かれて、アリスは手を伸ばしてブラッドのシャツの袖口を掴んだ。

「今は冬よ」
「?・・・・・ああ、そうだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・寒いわ」
 彼女の柔らかな肢体が、毛布の下からでも判る。膝を折って、身体を丸める彼女に、下から見上げられ、ブラッドは微かに笑った。
「なんだ?あれでは足りなかったか?」
 きし、と軽い音を立ててベッドが沈み、かあっと頬を紅くしたアリスが「ち、ちが」と慌てて否定を口にする。だが、ブラッドは構わず毛布の下に身体を滑り込ませた。
「ブラッドっ」
 きつく、抱きしめられて、アリスは息が止まるのではないかと思う。

 さら、と首筋に触れたブラッドの前髪がくすぐったい。自分の身体を撫でる手が、心地良くて、アリスはそっと目を閉じた。

 鬱血の痕が、あちこちに残る身体を、柔らかく撫でながら、ブラッドは微かに彼女を離して口付ける。
 何度も何度も。

「んっ」
「アリス・・・・・」
「な・・・・・に?」
 目蓋に口付けられて、頬を染めたアリスが、そっと目を開ける。
「君は・・・・・」

 私のものだ。

「?」

 その台詞を飲み込んで、ブラッドは深く彼女の口付けた。

「ブラッド・・・・・」
「しばらく、夜が続けばいいな」
 酷く甘く囁かれて、アリスは恥ずかしさに目を伏せた。
「そうすれば・・・・・君を離さなくて済む」
「そうしたら、私は恥ずかしくて死にそうだわ」
「それはいい。そんな人間を見て見たい」
「馬鹿」

 腕に抱かれ、アリスは目を閉じた。頬を寄せたブラッドの胸元から、アルコールの香りと、薔薇の香りとが漂って自分を包んでいく。

「離さないで」
 ぽつりと漏れた言葉を、ブラッドは時計に刻む。


 彼女は変わる。
 きっと、変わるだろう。

 偽りの変化でも、余所者の彼女はきっと変われる。
 ジョーカーに気に入られ、監獄に足を突っ込む事になっても。

 迷い、ふらつき、手を離しそうになっても。


 今の彼女は無意識に、変わろうとしている。
 ブラッドに相応しくなりたいと思ってくれているから。



「ああ」
 何一つ確かなものなどない世界で、アリスが縋り、追い求める物になれるとしたら。
「離さない」
 頼まれても、な?

 その一言に、酷く安堵して、アリスはゆっくりと目を閉じた。






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 恋人と、初めてクリスマスデートをした。
 更に、豪華なホテルで夕食と、びっくりするくらいトンデモナイ部屋での外泊。
 そして、予定外の朝帰り。

 特に門限などないし、咎める身内も居ない。当然だ。ここは不思議の国なのだから。

 だが。

「ブラッド・・・・・」
「ん〜?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・非常に恥ずかしんだけど・・・・・」
「何を今更」

 手を繋いで、屋敷への道を歩きながら、アリスは二時間帯ほど続いた夜の、甘すぎて溶けてしまいそうな時間を思い出す。
 スケジュールを詰めて、冬へ遊びに行ったのだ。恐らく、ブラッドの今後の予定はとんでもない事になっているだろう。
 もしかしたら、彼に心酔してやまないウサギの部下がブラッドを探し回って走り回ったかもしれない。
 一緒にアリスも居なかったわけで、変な風に取られているかもしれない。

(ていうか、本当に何を今更なんだけど・・・・・でもっ)
「や、やっぱり別々に・・・・・」
「別々に帰ってどうする?面倒なだけだ」
「わ、私だけ先に帰るから・・・・・走って・・・・・だ、だから・・・・・」
「別に構いはしないが、何と説明する気だ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あの」
「この期に及んで、私とは何でもないと言い切るつもりか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 かあああ、と紅くなる彼女を見下ろして、ブラッドがにたりと笑った。
「面倒だ。触れて回ろう」
「はあ!?」
「そうだな、それが良い。お嬢さんとの時間を作る為に言いふらして歩くのも悪くない」
 色んな部屋を立ち入り禁止にしやすいと言うものだ。
「ええええ!?」
「アリス」

 にっこりと笑うブラッドは、マフィアのボスらしく、酷く余裕に見えた。

「まずは腹心に紹介だ」
「!?!?!?」

 あ、ブラッド!!!!

 門の前でうろうろしていたエリオットが、感極まったような声を上げている。

「さあ、行くぞ」
「ちょ、ちょちょちょっと!?」

 アリスの腰を抱いてブラッドが歩きだす。

 ジョーカーに乗せられた気がしないでもないが、なるほど、使える物は使ってやろう。

 変化を。
 変化は、前進を促す。

 まずは、第一歩。


「エリオット」
 良い笑顔を見せたブラッドは、次の瞬間、腹心の前でアリスに思いっきり深い口づけを落とした。


















続クリスマスデート だらだら書きすぎた orz

(2009/12/22)

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