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真実は小説より奇なり
 君の部屋に行ってもいいか?

 そう言われて、アリスはどきりとした。普段は自分が彼の部屋を訪れるのだが、その逆はあまりない・・・・・というか、彼と恋人のような愛人のような関係になってからは初めてだった。

「な・・・・・んで?」
 だから、思わずそう答えていた。それに、ブラッドは苦笑して「拒否するのか?」とアリスの頬に手を伸ばした。
「いつも私の部屋に招待してばかりだからな。たまには、君の部屋で過ごしたい」
 秘密を打ち明けるように、耳元でひそっと囁かれて、アリスはかあ、と顔じゅうが熱くなるのを感じた。
「来ても楽しいことなんかないわよ?」
「そうか?」
「ええ・・・・・普通の客室と変わらないし・・・・・」
 視線を泳がせるアリスの頬に、指を伸ばして柔らかく撫でながら、ブラッドは可笑しそうに喉の奥で笑った。
「私はそうは思わないが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「いいな?」
 首筋に顔を埋められて、不揃いな前髪がさわさわと肌を撫でる。その感触にぞくりと背中を粟立たせたアリスは、しぶしぶ頷くしか出来なかった。



(恋人が自分の部屋にくるなんて・・・・・経験したことないわ・・・・・)
 家庭教師の先生には、勉強部屋で見てもらっていたから、アリスの自室に来ることはなかった。
 ないままに終わってしまっていた。
(こういう場合・・・・・どうしたらいいんだろ・・・・・)

 ブラッドにしてみれば、よくあることなのだろう。夜に出かけて、帰って来ずに、甘い香りと共に帰ってきた事が多々ある。
 そういう時、多分、だが女性の住まう屋敷に出向いていた・・・・・のだろう。

(普通の格好でいいのよ・・・・・ね?)
 まさか、夜着を着て待っている、なんてできっこない。例えそれがベストだとしても、そんな恰好で恋人だか、愛人だか、判断の付きにくい相手を待っているなんて真似はアリスに出来っこなかった。

(紅茶でも淹れようかしら・・・・・)
 ブラッドの部屋に行くと、大抵紅茶が用意されていたりする。それから、ソファに二人で座って、思い思いに読書をしたりして過ごして、それに飽きたブラッドがちょっかいを掛けてきて・・・・・というのが定番だから、その通りにすればいいのだろうか。
 でも、ここにあるのは、アリスが自分で買い求めた本と、彼から借りた物ばかりで、ブラッドの興味を引くとは思えない。

 そうなると、ますます自分の部屋に彼が来たがる理由が判らなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ぼうっとティーポットを手に、最終的には自分と一緒に居ることについてのメリットを考え出し、一人凹んでいるとノックの音がした。




「君は・・・・・お給料を一体何に使っているんだ?」
 ドアを開けると、薔薇の花束。
 動揺するアリスに余裕の笑顔でそれを渡すと、ブラッドは彼女が花瓶を探して歩き回るのを横目に彼女の部屋を眺め渡した。
「え?」
 取り敢えず、キャビネットの奥から客室に常備されていた花瓶を引っ張り出したアリスは、ブラッドの台詞に彼を振り仰いだ。
 男は窓辺に置かれたガラスの置物を手にとって眺めている。
 唯一アリスが買った調度品だ。
「ここは・・・・・客室そのままではないのか?」
「ええまあ・・・・・そんなに置物とか買わないし」
 花瓶に薔薇をいけるのだって、今回が初めてだ。よし、と腰に手を当てて頷くアリスを横目に、ブラッドは呆れたように溜息をもらした。
「別に君になら、部屋の改装をしてもらっても構わないんだがね」
「このお屋敷にはお屋敷の統一された空気が有るでしょう?」
 それを乱したくないの。

 お茶にしましょう?と笑顔で答えるアリスに、「そういうものかな」とブラッドは渋面で答えた。

「・・・・・・・・・・見る物がなくて、詰まらない?」
 ソファに腰を下ろすブラッドの隣に座り、アリスは紅茶をカップに注ぐ。ちらと男を見上げて言えば、「そうでもない」とブラッドがにんまり笑った。
「この辺の本は、君が買ったんだろう?」
 一瞬見えた、愉快そうな光。それに、どきりとしたアリスをはぐらかすように、ブラッドはテーブルに置かれた本を一冊手に取った。
「ええ。なかなかおもしろかったわ」
「・・・・・・・・・・ホラーか?」
 ぱら、と数ページめくってブラッドが意外そうに尋ねる。
「そうよ。一つの街が、悪魔の罠に掛って、狂気の渦に呑みこまれていく話」
「何が面白いんだ?」
 呆れたように尋ねるブラッドの渋面に、「そういうと思った」とアリスが笑った。
「貴方、こういうの好きじゃないものね」
 ブラッドの部屋の蔵書は満遍なく、色んなジャンルの物が有る。だが、注意してよく見れば、ほんの些細だが偏りが有るのだ。
 その中でも、ホラーやオカルトの話は少ない。
「狂気やホラーなんて、現実だけで十分だ」
 この悪魔より性質の悪いものが横行しているからな。

 真顔で答えるマフィアのボスに、アリスは呆れた。
 その筆頭が何を言うんだ。

「だから、よ。少なくとも物語の中では主人公は生きてるわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・だから?」
「悪魔に打ち勝つ方法がわかるもの」
「君は・・・・・悪魔と戦っているのか?お嬢さん?」
「ええ。ほぼ毎日ね」
 涼しい顔で答えると、「勇ましいお嬢さんだな」とブラッドが紅茶を一口飲んで億劫そうに答えた。
「そんな悪魔は殺してしまえ」
「無理よ。・・・・・・・・・・狡猾だもの」
「どういう風に?」

 ちらと、先ほどと似た、愉しそうな光が碧の瞳によぎり、アリスは慌てて彼から視線を逸らす。

「いつの間にか・・・・・絡め取られて動けなくなる」
「・・・・・・・・・・そういう話なのか?」
 くつくつと笑いながら、ブラッドは腕を伸ばすと、彼女を捕まえに掛った。肩を抱かれ、ソファの背もたれに身を預けるブラッドにより掛る。手が、アリスの髪に触れ、柔らかく撫でていく。
「悪魔は甘言で人をだますの。そして代償の大きさを言わない。だから街は恐怖と狂気で大混乱よ。」
「現実の悪魔は可愛いものだろう?」
「どこが、よ」

 思わず睨みつければ、ブラッドはにたりと笑って、アリスの顔を覗きこんだ。

「甘言で、君を騙すこともなければ、支払えない代償は要求してないぞ?」
「・・・・・・・・・・嘘」
「嘘なものか」
 彼女の手を取り、ブラッドは指先に口付けた。
「むしろ・・・・・代償を要求されているのは悪魔のほうじゃないのか?」
「どこがよ!」
 ムキになって言えば、目の前の悪魔は溜息をついた。
「無自覚と言う代償は、けっこうな大きさだと思わないか」
「何が無自覚なのよ」

 頬を膨らませて睨みあげるアリスに、ブラッドは「そういうところが」とぼそりと零した。

「?」
「時々・・・・・私は君に弄ばれているような気になるからな」
 悪魔と言えば、君の方だろう?

「失礼ね」
 ふいっと視線を逸らすアリスに、「今も」とブラッドが甘い声で囁く。髪を撫でていた手が、頬に触れて、それから、唇がこめかみに触れて離れていく。
「君から甘い香りがして、私は感情を推し量るので忙しい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「これは・・・・・誘っているのかな?」
「ちがっ」
「そうか?私には石鹸の香りにしか思えないんだが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 確かに、
 確かに、アリスはお風呂に入ったが、それは別にこの男の為とかそういうのじゃなくて、万が一というか、絶対そうなるから、それなら綺麗にしておいたほうがいいとうか、なんというか。

 ぐるぐると脳内で色んな台詞と感情とを組み立ててフリーズしていると、彼女に口づけを繰り返していたブラッドがひと房、彼女の髪を持ち上げてそこにキスをする。

「私が悪魔なら、君に囁くのは一つだな」
「え?」
 距離が縮まる。唇と唇が触れそうな位置で、ブラッドは愉しそうに掠れた声で囁いた。
「私を求めろ。代償はそれなりにするが・・・・・君を満足させてやろう」

 何が代償で、何が満足なのか。

「・・・・・・・・・・・・・・・セクハラよ」
「悪魔の甘言だ。」
「それでも・・・・・」
「・・・・・そうだな。確かに、嫌なら、セクハラだな」

 嫌か?

 楽しそうに間近で嗤う悪魔に、アリスはぼうっとなったまま見惚れた。
 ああもう、この男はどうしてこういうのが似合うのだろうか。

「嫌なら、しない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ふるっと身体が震える。多分、アリスを拘束し、抱きしめる男にも伝わっただろう。恐怖からではない、甘い甘いうずき。

「アリス?」

 この悪魔から逃れるすべは、多分無い。

 ゆっくりとアリスの唇が言葉を紡いだ。


「痛いのは、嫌」
 精一杯の台詞に、ブラッドは微かに目を見張ると心底楽しそうに笑った。

「それは・・・・・お望みのままに」
 痛くなどするわけがないだろう?

 次の時間帯の筋肉痛とか、鬱血の痕とかもそれにはいるから、と睨みあげる彼女を抱き上げて、ブラッドは深くキスを落とした。

「それは・・・・・気をつけよう」

 アリスの香りがするベッドに二人で沈みこむ。
 思った以上に彼女の中に埋もれるのが心地よくて、ブラッドは普段よりもきつく強く彼女を抱きしめて離さなかった。


 女の部屋で休むなど、言語道断だったのに。

 自分の腕の中でまどろむアリスの髪を、柔らかく梳きながら、緩やかにブラッドも眠りの淵を落ちていく。

 彼女はやっぱり悪魔だと、甘ったるい感情の裡に思いながら。













 

(2009/12/12)

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