Alice In WWW

縛られて囚われて
 出かけよう。

(不毛なのよ・・・・・生産性がないのよ・・・・・引き籠りなんてありえないわ)

 そう意を決して、アリスは倒れ込んでいた『自室』のベッドから起き上がった。
 つい先ほど、解放されたばかりだった。

 この屋敷の主の「暇つぶし」から。

 暇つぶし、と言うには恐ろしいほど行為は深く、気が狂うかと思わされるほど焦らされて、かと思うとあっさりと突き放される。
 感情の振り幅が大きすぎて、アリスは付いていけない。
 付いていこうとするだけ無駄な気がして、早々に抵抗を諦めて、「好きにしてくれ」と言いたくなる。

 なにに、それをさせないぎりぎりの手加減を、この屋敷の主が加えるから、アリスは結局、くたくたになるまで付き合う事になるのだ。

 思い返すと腹が立つ。

 訪れた昼の時間帯。昼だけど構うもんか、寝てやろう、と思っていたのだが、一人のベッドのシーツは考えられないほど冷たく、なんとなく居心地が悪かった。
 その原因をつらつら考えていて。

 たとえば、シーツの糊が利きすぎているとか、枕が高すぎるとか、毛布が柔らかすぎるとか、ありえないクレームを考えていたのだが、最終的に、認めたくない部分を原因として認定してしまいそうだったので、アリスは考えるのをやめ、部屋で休むのも諦めたのだ。

 そうなると、することが無い。

 身体は鉛を飲んだように重く、先ほど脱いだ服を着ていくのもおっくうだったが、どうにかこうにか彼女はいつものブルーと白のコントラストが綺麗な、エプロンドレスを身にまとう。

 リボンをしようと、サイドテーブルに手を伸ばして、アリスははたと手を止めた。
 金色に近い栗色の髪。それをまとめ上げる、ブルーのリボンが見当たらない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 腰をかがめてテーブルの下を覗く。それから枕を持ち上げたり、毛布をばふばふしたり、洗面台とか色んな場所を捜索するが、リボンが無い。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 椅子に座り込み、顎に手を当ててアリスは目を閉じた。大事なリボンを、私はどこにやったのだろうか・・・・・。

 そこで、はたと気づく。

(そういえば私・・・・・リボンして戻ってきたっけ?)
 ごっくん、と唾を飲み込み、アリスはくらくらする頭を抱えて思い出す。
 散々弄ばれて、良いように扱われて。
 脱がされた衣服は床に散らばり、解かれたリボンは・・・・・リボンは・・・・・リボ

 そこで、かあああっ、とアリスの頬が真っ赤になった。





「これは、君が自分で買ったのか?」
 肌を這う唇。届く声。手がせわしなくアリスを追い詰め、ちかちかする瞼の裏を見つめていた彼女は、耳を打った遠い、男の声に、首を振った。

 せりあがってくる快楽は、じりじりと身を焦がし、決定打が無いことを嘆く。
 喘ぐ声すら飲み込むような口づけを落とされて、涙をにじませるアリスを前に、ブラッドは小さく笑った。

「では・・・・・貰ったのか?」
 する、と衣擦れの音がして、アリスの髪からリボンがほどける。枕に沈んだまま、掠れた視界に、見下ろすブラッドが、自分のリボンを咥えているのが映った。
 感触を楽しむように、擦る指先に身体が震えた。

 見ているだけなのに、ああ、なんという身体だ。

「アリス?」
 答えなさい。

 静かな、拒絶を許さない声。
 身体も感情も快楽に追い詰められていく。

 くすくす笑いながら伏せる男の唇が、肌に触れていく。弱いところを一つ一つ暴いていく。

 くったりと力が抜けていくのを感じながら、アリスは口を開いた。





 その時、自分は何と言っただろうか。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 テーブルに、アリスはばったりとうつぶせた。気分は最悪だ。
 ブラッドに攻められて、冷静な判断が下せるほど、自分の経験値は高くない。
 むしろ、マフィアのボスに立ち向かうには、明らかにレベルが不足している。

 ラスボスに突っ込む見習いメイド、なんて、なんという無謀なゲームだ。

 余裕を一切取っ払われた自分が、あの時、真実を口にした可能性は十分に高い。
 建前や嘘や、そのほか色んな計算が働いた「模範解答」を言ったとは到底思えない。

 だとしたら、アリスはブラッドの「貰ったのか?」に「イエス」と答えたに決まっている。
 実際、貰ったのだから。

 では誰に?



 冷たい視線を思い出す。そういえば、後半は随分乱暴に扱われなかっただろうか。

 うつぶせたまま、アリスはちょっと顔を上げて、己の手首を見た。
 赤く、痣になっている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 徐々に思い出す。
 確かに、ブラッドに「誰にもらったのだ」と聞かれた。それに対して、アリスは馬鹿正直に答えたのだろう。


 前の恋人に、と。

(うかつだったわ・・・・・)
 途端、自分を抱く男の機嫌が低下する。
 当たり前だ。
 そういう、男なのだから。


 手にしたいと思ったものの、全てを征服してしまわなくては気が済まない男。
 勝手気まま。気まぐれで構成されているような男。

 帽子屋ファミリーのボス。
 ブラッド=デュプレ。

 その男に抱かれながら、愚かにもアリスは、「未練満載の恋人からもらったリボンです」と答えてしまったのだから。


(まあ・・・・・未練も何もないのだけれど・・・・・)
 思い返して、胸を占めている人間がもはや彼ではないことに気づかされる。

 彼の姿を思い出せば出すほど、自分が恋焦がれているのは誰なのか、付きつけられる気がする。
 腹が立ち、アリスはその感情を遮断すると、当面の問題に憂鬱になった。

 あのリボンは、確かに、先生からもらったものだった。
 アリスの、元恋人で、初恋で、哀しい振られ方をした人からもらったリボン。

 それで手首を縛られて、散々な目にあったのはついさっきの出来事だ。
 深い深い溜息をが彼女の唇から洩れた。

 ただなんとなく気に入っていたから使っていただけで、他意はない。

 ・・・・・・・・・・いや、一応他意はあったのかもしれない。あったのかもしれないが、今は無い。
 本当に、うかつだったとしか言いようがない。

(捨てるべき・・・・・だったのよね、きっと)

 そうだ。
 この時間帯は、新しいのを買いに行こう。
 ブラッドに取り上げられたからではなく・・・・・いい加減、ちゃんとしたいから・・・・・。

(ちゃんともなにも、もうないんだけどね・・・・)
 部屋を出て、なんとなく、足腰がふらふらしているのを感じながら廊下を行けば、「ああ、お嬢様〜」と同僚の声がした。
 振り返って、アリスは驚いた。

「な・・・・・」
「丁度良かったです〜。ボスからですよ〜これ〜」
「な!?」

 彼女は籠を持っていた。
 両腕で抱えるほどの大きさだ。
 その中には、色とりどりのリボンの「球」が入っているではないか。

「・・・・・・・・・・・・・・・これ」
「まだまだきますよ〜」
「はい!?」

 よく見れば、廊下をぞろぞろと同僚たちが、籠を持って歩いてくる。

 アリスはその場に立ち尽くした。

「どれでも好きなものを、好きなように切って使うようにということです〜」
 にこにこ笑う同僚の一人が更に、「なんでしたら〜お嬢様の好みのリボンを作る会社を設立してやるともいってました〜」なんて恐ろしい事を言い出した。

「いやいやいやいや、け、結構だから!」
「そうなんですか〜?ブランド会社を乗っ取るっていうのもダルイですけど、愉しそうですよ〜?」
「のっとっ・・・・・結構です!この籠で十分よっ!」

 どんなにのんびり話そうが、メイドとして働いていようがここの人間はマフィアだ。
 空恐ろしいことも、あっさり納得して実行してしまえる。

 だが、この屋敷で世話になっているとはいえ、自分の常識を手放した覚えのないアリスは、丁重にお断りして、部屋に積まれていく籠をぼんやりと眺めた。

 シルクに始まり、サテン、麻、綿、レース・・・・・どこかの民族衣装っぽいものもあれば、奇抜なデザインのものもある。

「何考えてるのかしら・・・・・」
「もちろん、君のことだが?」

 つい先ほどまで、自分の耳元で散々な事を吹き込んでいた声が、すぐ後ろから聞こえて、アリスは反射的に振り返った。
 飛び上って後ずさる。

「おやおや、随分嫌われたものだ」
 そう思っていないことが、ありありと判るほど上機嫌で、ブラッドは彼女を見下ろしている。
 必死に、アリスは男を睨みつけた。

「ノックもなしに入ってくるなんて、どこの似非紳士かしら」
「したさ?聞こえなかっただけだろう?」
「入室を許可した覚えはないわ」
「君は私のものだからね。許可など必要ないだろう」
 二人で一つというやつだよ、お嬢さん。

 にっこり笑うブラッドは、恐ろしい。反論しようにも、言葉が出ない。
 悔しげに見上げるアリスに「私は別に君と喧嘩をしに来たわけじゃない」と手を伸ばして柔らかく頬に触れた。
「忌々しい太陽の出ている時間帯だが・・・・・それでも構わないと思えるほど、愉しい事が出来そうじゃないか?」
 部屋にあるリボンの海。
 意味深な男の台詞に、アリスは昨日のリボンの使われ方を思い出して、思いっきりブラッドを睨みつけた。
「私はそうは思わないわ」
「おや、そうなのか?」
 なら、教えてあげよう。
「結構ですっ!!!!」

 今だって疲れて寝てしまおうと思っていたのだ。

 それなのに、自室のベッドのシーツは糊が利きすぎているし、枕は高いし、毛布は柔らかすぎるしで寝られなくて、しょうがなく出かけようとしていたのだ。

 断じて。

 断じて、自分のベッドに一人寝っ転がっているのが物足りなかったわけじゃない。
 絶対違う。
 絶対、絶対、絶対・・・・・。

「取りあえず、どのリボンがいいかな?お嬢さん?」
 逃げようとする彼女を察知したのか、ブラッドはその腕を伸ばすとがっちりと腰をホールドする。
「一つ一つ試してみようか?」

 喉の奥で笑いながら、ブラッドは愉しそうにリボンの一つを取り上げる。

「確認だけど、ブラッド」

 引き寄せるように彼女を抱きしめて、男はベッドに腰を下ろすとリボンをアリスに巻きつける。

「リボンは髪に付けるものよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・そういう使い方もあるが、私はもうちょっと愉しいほうが好きなんだ」

 有らぬ場所をくくっていく、赤い赤いシルクのリボン。

「ブラッド」
「ああ、気にしなくていい。すぐに・・・・・気にならなくなるから」

 おかしい。

 嫌なはずなのに、腹が立っていたはずなのに。身体は辛くて、重くて、寝てしまいたい筈なのに。


 感じる体温に、言い訳もなにもかも粉砕され、アリスの儚い抵抗は甘ったるい空気に浸食されていくのだった。












(2009/10/24)

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