Alice In WWW

 不完全主義者
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 柔らかな秋の光が、さんさんと差し込んでくる厨房で、アリスは一人調理台の前に座って溜息をこぼした。
 カップには、いい香りがする紅茶が湯気を立ててなみなみと注がれ、目の前にはシフォンケーキが載った皿が置いてある。
 この、時間が狂った世界では断定はできないが、この帽子屋屋敷で働くアリスは現在休憩中で、三時のお茶を飲もうとしているところだった。

 知らずにまた、溜息が出る。

「何が悪かったのかしら・・・・・」
 シフォンケーキの横に置かれているのは、エイプリルシーズンが到来した当初、ブラッドからもらったお菓子の本。
 この屋敷の主にして、帽子屋ファミリーなんていうふざけた組織のトップの男から「これが食べたい」と半強制的に押し付けられた『紅茶で作るお菓子』の本なのだが、その態度に何となく闘争心に火が付いて、アリスはブラッドを満足させるようなお菓子を作って見せようと、長い長い休憩時間を捻出してシフォンケーキ作りに取り掛かったのだ。

 だが、結果出来あがったのは微妙な物で。

「なんか・・・・・固いのよね・・・・・混ぜ方が足りなかったのかしら・・・・・ちゃんと膨らんでないし・・・・・」

 とてもじゃないがブラッドに出せるようなものではない。
 出したら永遠とぐちぐち言われるに決まっている。
 しかも紅茶風味なのだから更に目も当てられないだろう。

 三度目の溜息をついて、アリスはケーキにフォークを突き刺して、分解し始めた。
 ユリウスが時計を分解して直していく作業のように、アリスもケーキを分解して、何が悪かったのか洗い出そうとする。

「弾力性が・・・・・ていうか、なんか、味にも偏りが・・・・・」
 お菓子作りは几帳面さが必要になる。きっちり計って、きっちり混ぜて、きっちり、時間通りに、かっちり作り上げなくては出来ないものなのだ。

「・・・・・・・・・・この辺はおいしいと思うのよね・・・・・」
「何をしているんだ?お嬢さん?」
 かっつん、かっつん、と食器にフォークをぶつけながら、更に更にケーキを細切れにして、夢中で可笑しくなった原因を探り出そうとしていたアリスは、不意に後ろから声を掛けられて大いに慌てた。
「ブラッド!?」
 ばっと振り返ると、気だるそうにドアにもたれかかった男が、あくびをかみ殺して立っている。
「一人でお茶会か?」
 こんな場所でとは・・・・・物好きな。

 だるそうな足取りで近づいてきた男の視線が、調理台の上に置かれた紅茶のカップとばらばらに砕かれたケーキに注がれる。
 彼の眉が微かに寄った。

「しかも、随分と前衛的なお茶会だな」
 何かの芸術作品か?

 確かにシュールだ。
 銀のフォークにバラバラにされたケーキ。女が一人、何かをつぶやきながらそのケーキの解体をしている。
 作っているのではなくて、解体しているのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと、おいしくなくて」
「?」
 自分が作った、と言いづらくて、アリスはケーキに視線を落としてぽつりと漏らした。
「何が原因か知りたいなと」
 うろーっと視線を泳がせるアリスを余所に、ブラッドは顎に手を当ててふむ、と考えるとフォークを取って、一欠片をぱくりと口に持って行った。

「!?」

 まさか、こんな失敗作をブラッドに食べさせることになるとは。
 ぎょっとして目を見開くアリスを余所に、男は「確かに・・・・・」とやたら低い声を漏らした。

「随分と固いケーキだな・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「砂糖がちゃんと溶けてないのか知らんが、この辺が異常に甘い」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「一体・・・・・なんだ、このケーキは」
 思いっきり眉間にしわを寄せて言われ、アリスは言葉に窮した。

 言えない。
 絶対に言えない。
 ていうか、言いたくない。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「パティシエの誰かが失敗したのか?」
 しかし、失敗作を君に食べさせるとは・・・・・

 すうっとブラッドの身にまとう空気が冷たくなり、にやりと薄い笑みが口元に漂う。

「とんでもない事をしてくれたものだ。こんな腕では即刻出て行ってもらうしかないな」
 だるそうに視線を辺りにやり、ブラッドはこのケーキを作った人間を追い出そうと、メイドを呼びそうになる。
 それを受けて、すっくとアリスが立ちあがった。

「そうね・・・・・今から荷物をまとめた方が懸命ね」
「そうだろう?」
「ええそうね・・・・・じゃ」
「・・・・・・・・・・は?」
 かたん、と椅子を元に戻して、アリスが深々とお辞儀をする。
「今までお世話になりました。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そうね・・・・・塔にでも行って、ユリウスにケーキの作り方を習ってくるわ」
 彼、そういう細かい作業、得意だろうから、きっと上手だと思うの。
「それとも、ビバルディかな・・・・・とにかく、きっと腕のいいパティシエになって戻ってくるから」
 じゃあね。ブラッド・・・・・お元気で。

 ひらり、と手を持ち上げて、アリスはのろのろと歩いていく。自分に向けられた背中を呆然と見つめていた彼は、大いに慌てて手を伸ばした。

「ち・・・・・ちょっと待ちなさいお嬢さん!?」
「さようなら、ブラッド・・・・・ボスに変なもの食べさせた部下は処分されてしかるべきだわ」
「はあ?な・・・・・いや、それはそうかもしれないが、エリオットなんか、しょっちゅうオレンジの物体を持ってやってくるが私は処分した覚えはないし」
「貴方、頑なに食べないでしょう」
「!!!!」
「食べさせちゃったんだから・・・・・責任は取るわ」

 きっと、上達して戻ってくるから。

 見上げるアリスの、どこか遠い眼差しに、ブラッドは怯んだ。
 月夜に押し倒した時よりも、より一層怯んだ。

 彼女の肩に両手を置いて、向き合ったまま、ブラッドは咳払いする。

「あ・・・・・あのな、お嬢さん。た・・・・・確かに、口には合わないケーキだったが」
「フォローして欲しくない」
「聞きなさい。これにはその・・・・・可能性がある」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「げ、芸術とは最初は人に認められないものだ。ああそうだ。このケーキは見た目も前衛的で、味も・・・・・斬新だが、そうだな・・・・・悪くはない」
「あからさまなお世辞は要らないわ」
「可能性だよ、アリス。可能性。このケーキは大いに化ける可能性を秘めている」
 そして、それを生み出した君にはまた、無限の可能性があるはずだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 微かに、アリスの眼差しに光が戻ってくる。ブラッドに注がれる、綺麗な瞳に、男は己を励まし、全力でこのお嬢さんを捕えに掛った。

 このままみすみす手を放すつもりはない。
 それに・・・・・。

「これは・・・・・私の為に、君が作ってくれたんだろう?」
「・・・・・・・・・・そう、よ」
 ふいっと視線を逸らす彼女の頬が、微かに赤い。きゅっと唇をかみしめて、エプロンを握りしめる彼女の目じりに、涙が溜まる。
 お得意の自己嫌悪、だろか。だが、ブラッドはそんなことなどお構いなしに、柔らかく彼女を抱きしめた。

「君は不完全だ、アリス」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「不完全な物ほど美しい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「その可能性を、後ろに見るからだ。このケーキも、不完全であるがゆえに、君と同じで綺麗なものだ」

 言い切った。

「可能性が透けて見える」

 断言した。

「ブラッド・・・・・」
 顔を上げて、瞳を潤ませるアリスに、ブラッドはこれ以上ないほど優しい視線を送って見せた。
「だから・・・・・焦る必要はないよ。ここで・・・・・君がその可能性を追求してくれればいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「いいね?」

 すっと手が上がり、彼女の頬に添えられる。
 アリスが目を閉じる。

 そのまま口付ける二人。



 秋の日は穏やかに、緩やかに、こんなどうしようもないコイビト達に降り注ぐ。
 間違いなく、皿の上のケーキよりも、固まった砂糖よりも甘い二人の上に、平等に。

















 ギャグにしかならなかった(笑)

(2009/11/20)

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