Alice In WWW
- 最低な噂
- ひそひそと囁かれるのは、マフィアのボスであるブラッド・デュプレに対する女性の感嘆の声と、それらを取り巻く部下たちに対する恐れおののく声、そして、そんな物騒な連中と歩いているアリス・リデルへの好奇の声がほとんどだった。
ブラッドは女性から送られる秋波にはほぼ興味が無く、淡々とした態度を貫いている。
エリオットは、ブラッドを馬鹿にするような、批判するような声や囁きが出れば、問答無用で撃つつもりでいる。
双子は周囲のざわめきなんて点で気にしていないし、他の『顔なし』の部下たちは一様にだるそうだ。
そんな中で、アリスだけがむかむかと腹を立てていた。
淡々と・・・・・というよりは心底だるそうに歩く男が、これっぽっちも気にしていないのに、どうして自分が気にしなくてはならないのだろうか、と苛立った感情で考える。
そして、苛立った事に、更に苛立つ。
ブラッドのように無視すればいいのだ。
でも、アリスにはそれが出来ない。
何故なら、彼女はブラッドのように自分に絶対の自信を持っていないからだ。
ささやかれる、己に対する風評。
「あの余所者が・・・・・」「ブラッドさまの女って本当なの?・・・・・」「情婦らしいぜ」「メイドって訊いたぞ?専属の」
いかがわしい単語を聞きつけて、アリスは眩暈がした。
あながち間違いじゃないのにも眩暈がする。それもこれも、ブラッドがエリオットに公衆の面前(あれはもう、そういっても過言ではない)で堂々と「彼女は私の女だから」と発言した事に端を発している。
最大の屈辱だ。
恋人、とか婚約者とか、なんかもっと世間的に「可愛らしい」認識をされるような単語で、自分が評されるのならまだいい。
だが、ただれた関係をイメージするしかない、「情婦」やら「愛人」やら「女」やら果ては、「専属のメイド」など訳のわからない呼称で評されるのには我慢ならない。
アリスだって女なのだ。
女、っていっても、そういう・・・・・なんというか、乱れた関係を差すものじゃなくて、もっと純粋で誠実なものを求める、ロマンチックな部分での女性らしさや、良識だって、多少は持っているのだ。
突き刺さる好奇の眼差しが痛い。
そして、それを真っ向から否定出来ないくらいには、自分とブラッドの関係が「ただれている」ことも知っているから尚痛い。
ついでに、二言目には、「そうは見えない」「帽子屋も地に落ちたな」「あんな女がブラッドさまの!?」という、更にひそやかな声が耳に入るのが、更に更に更に痛い。
(悪かったわね・・・・・)
まだガキじゃないか、という単語が聞こえた瞬間、アリスは切り裂かれたように胸が痛んで、思わず言った人間は誰かと周囲を見渡し、睨みつけてしまった。
知ってるけどね!
似合ってないって。
そんな単語と程遠いほど、自分がぎりぎりラインの少女趣味の服装で、童顔で、色気無しだってしってるけどねっ!!
とにかくみじめになりたくなくて、捨て鉢な気持ちで唇を噛み、俯くと、不意に隣を歩く男がだるそうに口を開いた。
「アリス」
「・・・・・・・・・・何」
「君が望むのなら、ここにいる野次馬を一掃しても構わないが?」
私が直々に手を下してあげよう。
「これ以上私の風評を落とさないで」
げんなりして言えば、「何故だ?」とやや不機嫌なブラッドの声が落ちてくる。顔を上げると、こちらを見つめる緑の瞳と目があった。
「風評を立てる人間を皆殺しにすれば、君がそんな顔をすることもなくなるだろう?」
冗談とも取れない台詞だが、声音は本気だ。
「いいからやめて。」
そっとブラッドの腕に手を置いて、語気を強める。それからアリスは深々と溜息をついた。
「それに、噂をする人間を全員殺したってなんにも変らないわ」
自分がブラッドにとって何なのか。
単なる暇つぶしで、余所者だから珍しくて、傍に置いておきたい飾り物。
それが判っているアリスは、こんな関係だから周りから四の五の言われるのだと判っていた。
いいえ、私は恋人なんです、侮辱しないでください、と言えない。
言えないような関係に居るのだから、彼らの言う事がどれだけ不快でも訂正は出来ないのだ。
(愛情は無いってはっきり言われたし・・・・・それでも抱かれるっていうのはもう、情婦で決定なのよね)
そんな彼に秋波を送る女性や、そこから関係を持つまでに至った大勢の「女」と自分は同じ立場に居るのだ。
唯一ではない。
その他大勢。
そして、それでもいい、と思っている自分が尚一層痛いのだ。
いいと思ってはいけないラインなのに。他に誰かを愛していても、彼が言っときでも自分の身体を求めてくれるのなら良い、なんて頭がわいているとしか思えない。
思えないのに、彼に呼ばれれば拒めない自分がいて、アリスはどんどん沈んでいった。
結局、ブラッドとの関係は何なんだろう。
(専属のメイドっていうのが当たりすぎてて怖いわ・・・・・)
暗い気持ちで考え込んでいると、「ああなるほど」と同じように考え込んでいたブラッドが、妙に感心した素振りで声を上げた。
「え?」
眉間にしわを寄せて見上げると、にいっと口の端をゆがめるようにして男が笑った。
ぞっとする。
身の危険を感じる。
本能に危機を知らせる、哂い方だ。
「それだ、アリス。変える方法がある」
足を止めると、必然的に部下たちも足を止めた。遠巻きに見つめる視線と、部下やエリオット、双子の視線が集まる。
「情婦やら愛人やらと噂されるのが我慢ならないんだろう?」
「・・・・・・・・・・まあ、事実みたいなものだから・・・・・」
「なら変えればいい」
「は?」
首をかしげるアリスと、それから自分たちを見つめるギャラリーに、ブラッドは視線をやった。
うっとりした眼差しで見つめる女性から、自分に贈り物を届けてくる、人気のある女優や歌姫から、令嬢まで。
見える範囲で結構居る。
一瞥し、ブラッドは呆けるアリスの頬に手を当てた。
「判らせてやろう」
「え?」
「私にとって、君がただ一人の女だってことをな」
「!?」
ざわ、と背筋に冷たいものが走り、アリスは抵抗しようとした。だが、それは一瞬の判断ミスで後れをとった。
公衆の面前。
クローバーの塔のおひざ元。
町のど真ん中。
派手な帽子とトランプマークのスーツ。
部下がぞろぞろいて、腹心のエリオットの目が点になり、双子が身を乗り出す。
明らかに目立つその一行の真ん中で、衆人環視の前で、アリスは堕ちていきそうなほど深い口づけを落とされて、眩暈がした。
永遠と続くキスシーンに、周囲は水を打ったようにしんとなる。
十分に堪能した後、ちゅ、と音を立てて唇を放されたアリスは、がっくりと膝が折れるのを感じた。
「あ、あ、あ」
ふるふると、真っ赤になって震えるアリスが、声にならない喘ぎ声を上げる。にやっとブラッドが哂った。
「アリス。そういう可愛い声は寝室でだけにしなさい」
「あんたはーっ!!!!!」
悲鳴を上げる彼女は、立てない。腰が砕けてしまっている。
その彼女をひょいっと抱き上げると、更に更に赤くなった彼女が腕の中で暴れ出した。
「何考えてるのよ!?この××××!!!変態!!!!」
「公衆の面前で言う台詞じゃないな、アリス?君の風評が下がってしまうだろ?」
意地の悪い笑みの奥。固まったギャラリーが視界に飛び込み、アリスは情けないやら死ぬほど恥ずかしいやらで、大急ぎで彼の胸の中に顔を埋めた。
「・・・・・って」
「なにかな?」
「早く行ってっていってるのっ!!」
「これはこれは。初めてお嬢さんからお強請りをもらってしまったな」
「違っ」
「見て見ろアリス」
そっと、耳元に唇を寄せてささやかれる。
もう二度と顔を上げられない、とみっともない気持ちと羞恥と、なんだか訳のわからない感情に涙を滲ませていたアリスは、それでも、彼の甘い声に弱い自分にぐらぐらした。
「君への認識がだいぶ変わったぞ?」
「あんたが強引に変えたんでしょうがっ」
ささやかれる言葉はがらりと様子を変える。
どうやら帽子屋は本気らしい かわいそうに、あの娘・・・・・ ブラッドさまに限ってそんなっ!
あんな少女がどうして・・・・・かわいそうに。
いかがわしいものを見るような、そんな感じから百八十度変わって、アリスは同情されている。
最終的には、「借金のかたに売られたのだ」などとトンデモナイものまで生まれているではないか。
愉しそうに哂う男の肩を握りしめて、アリスは声を振り絞った。
「これ・・・・・」
「うん?」
「さっきまでの噂とどう違うのよっ!」
涙目で睨みつける、自分の「女」に、ブラッドは再び口づけを落とした。
「なら、連中を全て皆殺しにするしかないな」
「冗談じゃないわ」
「お気に召さないのか?」
「当たり前でしょうっ!」
「じゃあ・・・・・もっと見せつけるしかないな」
ひゃあああああ、とアリスの情けない声が上がり、心底愉快そうにブラッドは彼女にイタヅラを仕掛け始める。
公衆の面前。往来のど真ん中。真昼間のそこだけ、何故か空気がどんどん甘くなる。
「なあ・・・・・」
その二人を見ながら、エリオットは誰に言うでもなくぽつりともらした。
「目撃者を撃っちまった方が早くないか?」
いつまでもクローバーの塔につかない。
エリオットの台詞に、部下たちはだるそうに首を振った。
「ボスに従うのが〜我々の命ですから〜」
「だよな」
ブラッドの馬鹿あああああ。
絶叫が響きわたり、上機嫌のボスが、獲物を抱えて歩いていく。その二人に生温かい眼差しが注がれていた。
部下たちからも、住人たちから、も。
(2009/10/08)
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