Alice In WWW

 そして私は堕ちていく
 大事に扱われていない。

(毎回毎回毎回・・・・・)

 そう判っているのに、やってくる。

(・・・・・・・・・・・・・・・行く私も私よね)

 赤いソファに横たわったまま、アリスは深い溜息をついた。瞼に腕を押しつけて、唇を噛む。
 自分に耐えられないほどの熱を与え続けていた存在は、目を覚ました彼女の前に居なかった。

 一人で、柔らかく身体を受け止めるソファに横たわっている。

(なんでソファ・・・・・)

 本を借してくれる存在。恋した人に似ている存在。

 最初は興味だった。白状すると、「よく似てるな」と、恋した人を彼に重ねて見つめていた。
 それが、マフィアのボスで、退屈が嫌いで、したいときにしたいようにする、欲しいものはどんな手をつかっても手に入れる、面白い事の為なら自分の立てた計画にも穴をあける、酷い男だと言う事を彼女は失念していた。

 押し倒されたソファで、散々酷いことを言われたはずなのに、意地と矜持だけで、アリスはブラッドを受け入れてしまった。

 身体を拓かされるたびに、落ちてくる言葉は愛の囁きには程遠く、気づけば二人で悪態をつきあっている。

 まっとうな恋人なんかじゃない。
 こんな関係になってしまっても。
 甘くて溺れてしまいそうになったことなどない。

 ・・・・・多分。

 それでも、触れる手の優しさに、時折見せる困った様子に、余裕の無くなる表情に、勘違いしそうになる。

(ソファ・・・・・)
 瞑った瞼の裏に、自分を見下ろす男の、深い緑の瞳を思い出して、アリスは震える吐息を吐きだした。

 どうしてこんなに。今更ながらに。ソファで抱かれる事が気に入らないのだろう。
(・・・・・・・・・・合意じゃない関係・・・・・なんて、もう言えない)
 強引に迫られて、自分に似ている男と比べてみろと身体を開かされて、最低だとつぶやいたはずなのに、懲りもせずに彼の部屋に通っている。
 それではもう、「合意じゃなかったの」なんて吐き気がするような理由を吐くことは出来ない。

 望んでいる。

(・・・・・・・・・・・・・・・だからよ)

 じわり、と涙がにじんで、アリスは自己嫌悪に陥った。
 望んでいるから、ソファで抱かれることに不満を覚えるのだ。

 あいしてほしいと。

(お手頃だから・・・・・ただの暇つぶしで、余所者なんて珍しいから、だから彼は私をソファで抱くのよ)

 翻弄されて、最初は気にならなかったが、彼とこうやってなんども身体を重ねると不満になってくる。
 そんな存在は嫌だ。
 私は誰かの特別になりたいのに。

(私が相手を特別に思ってどうするのよ・・・・・)

 苦く笑って、アリスは瞼から腕を退けた。
 情けない。

 ゆっくりと身体を起こして、申し訳程度に掛けられた毛布を引き寄せ、己の身体を点検する。
 服を着たとき、見えないぎりぎりラインに落とされている赤い痕に、眉を寄せた。

 腹立たしい。

 こんな痕を付けるくせに、その場所をきっちり計算しているとしか思えない。

 外から見えない場所に。

 これはどういう配慮だ。

(むかつく・・・・・酷い男・・・・・)

 見える場所に痕があれば、それはそれで腹も立てただろう。だが、あんなふうな最中に、こんなに冷静な場所に痕を残されるのも腹が立つ。

 結局余裕が無いのは、アリスの方。弄ばれているのはアリスの方なのだ。

「悔しい」
 ぽつりとこぼし、ふと顔を上げるのと同時に、この部屋のドアが開いた。
「・・・・・ああ、起きたのか、アリス」
 毛布を身体に巻いた彼女が、無言でブラッドから視線を逸らした。
「随分とご機嫌斜めだな」
 からかうように言われて、アリスはそのままソファから立ち上がった。

 瞬間、かっくり、と腰が落ちて彼女は床に座り込む。

「・・・・・・・・・・」
 唖然とするアリスと、唐突に座り込んだ彼女を見つめていたブラッドが目を丸くした。

 それから、酷くゆっくりと、ブラッドの唇に笑みが引かれていく。

「これは失礼。無理させすぎたかな?」
 喉の奥で笑う男を睨みつけて、アリスは立とうとする。だが、立てやしない。
 面白いくらいに、身体が言う事を利かない。

「大丈夫かな、お嬢さん?」
 にやにや笑いながら膝を折る男が、俯き、耳まで真っ赤になるアリスの顎に手を掛けて持ち上げた。
 涙の滲んだ眼差しが、きっとブラッドを睨みつける。

「離して」
 かすれた声で言う。それが、アリスの精一杯の反抗だ。だが、そんなもの、ブラッドにはなんの打撃も与えなかった。
「そういうな。ろくに動けないんだろう?」
 愉快なものを見つけたと、そう言わんばかりに、上機嫌で男は彼女を抱き上げた。

 そのまま、ソファに降ろされるのかと身構えたアリスは、部屋の奥にある、大きなベッドに寝かされて目を見張った。

「しばらく休んでなさい」
 身体に巻いていた毛布の上から、上掛けを掛けられて、糊の利いたシーツの香りがアリスを包む。

 柔らかなシーツ。枕。微かに香るのは、薔薇の香りだろうか。

(ブラッドの・・・・・)

 途端、頬に血が上るのを感じて、慌ててアリスは毛布をかぶった。

 悔しい。
 こんな形で、こんなところに寝かされるなんて。
 悔しいったらない。

(しかも・・・・・)

 大した使った形跡もないそこに、ブラッドの体温を感じて安心してしまうなんて。

(末期だわ・・・・・終わりだわ・・・・・世も末よ・・・・・)

 マフィアのボスに恋をして、愛してほしいと願うなんて人生プラン、有りえなさすぎる。

「アリス」
 ぎゅっと目を閉じて、こんな夢早く覚めればいいのに、と呪文のように唱えていたアリスは、降ってきた声と、ふわりと額に触れた手に目を開けた。
 可笑しそうに笑いながらも、どこか心配そうなブラッドが意外だ。
「なにか欲しいものはあるか?」
 低い声で言われて、アリスは口をつぐんだ。

 ほら、気まぐれで優しくしないで。

「加減して」
 赤く染まった頬のまま、可愛くないことを言う。
 その様子に、眉を上げた男は「余裕があったらな」とベッドを軋ませて、彼女に伏せった。

 酷く緩慢な口付け。深いがいたわるようなキス。

 初めて、甘いと思った口付けだ。


 服から見えない位置に、痕を残せる男が何を言うんだ。

 溺れていきながら、アリスは悪態をついた。





「しかし・・・・・」
 ベッドにアリスを残して、ソファに座りこんだブラッドは、苦い笑いを隠すように口元に手を当てる。
「加減して、か」

 彼女に言われた台詞を反芻し、舌打ちする。

 腰が抜けるほど強いたことなど、今までなかった。
 どんなに身体を重ねても、冷静だった。

 赤い光が点滅する。
 警告音。

 これ以上は深入りしてはいけない。

 そう告げる何かをねじ込み、ブラッドは愉快そうに笑った。

「無理な相談だな」

 自分は、堕ちて行った先が気になる。
 加減などするものか。

 迷惑な感情は、面倒な関係に二人を連れていく。
 本当に面倒だとそうおもうのに、止められない。

 いつだか言った台詞を思い出して、ブラッドは天井を仰いだ。


 恋は堕ちるもの。
 ああ、なんて真理なのだろうか、と。





(2009/10/06)

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