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 セイジツなコイビト
 恋人に指一本触れないなんて、正気じゃない。



(そうかもね・・・・・)
 どん底まで落ち込んだ気分で、アリスは己を抱きしめて離さない存在を、忌々しげに睨みつけた。
 そう、忌々しげに、睨みつけたのだ。

 睨みつけた、と思う。

 だが、どうやらその視線に信憑性は皆無で、というか、身にまとっているものが何もなく、首の辺りに赤い華が咲いている時点で敗北している。

 同罪。というか、言い逃れは出来ない。


 大事になんか出来っこない、と目の前の男をなじる半面、ろくすっぽ抵抗もしないで流されて、身体を明け渡している時点で何も言う資格はないと思う。
 そう、アリスは理解している。

 だから、誠実云々、優しくしてくれた云々と、必死に元恋人のことをかばいだてするのは、もう意味がなかった。

 そりゃそうだろう。

 そういう、指一本触れてこない、大切に大切に、求めてくれやしないのではないか、と思わせる男がアリスの好みなら、ブラッドに求められた時に、必死に抵抗するはずだったのだから。

 それもせずに、与えられる口付けと、噛みつかれた首筋の痛みと、押し倒された重みと、引き寄せた腕の力におぼれた自分は、言い訳のしようがない。


 求められて、嬉しかった。


 たとえそれが、感情の伴わない、愛情なんかじゃない、空っぽの行為だとしても。

(どっちが最低なんだろう・・・・・)

 悔しくて、滲んだ涙を隠すようにうつむく。どうせ、自分を腕に閉じ込めている男には判りはしない。
 自分を抱き込んで眠っている男には。

 むき出しの肩が震え、アリスは胸元に揃えて置かれている両の手握りしめた。

(最低最低最低・・・・・)
 繰り返し、心の中で唱える。そうやって自分を罰して、自分を抱きしめる男を蔑んで、それ以上に自分を口汚くののしって、アリスは思い切ろうとする。


 胸の中に灯った、どうしようもなく嬉しかった感情を、振り切ろうとする。


(なんて最低なんだろう・・・・・)
 あんな、暴風のように通り過ぎるだけの行為に、熱を帯びて、縋りついて、そこに何かを求めようとして、満たされようとするなんて愚か過ぎる。
 目の前の男に愛されたいだなんて望んでしまうなんて、気でも狂ったとしか言いようがない。

 冷静に、己を分析し、そんな感情を振り切ろうとするのに、理性に反して涙がにじんだ。

 ああどうしてこうなんだろう。
 私は何時だってこうだ。

 間違いばかりだ。

 間違い。

(間違ってたんだわ・・・・・)

 ぽつり、と目じりから転がり落ちた涙が、シーツに痕を残す。再び震えた肩を、不意に身じろぎした男が抱きしめた。
「何を泣いている」
 不意に、耳元に響いたかすれた甘い声に、アリスはぎくりと身体をこわばらせた。
 唇が耳に触れて、背筋に衝撃が走った。

「アリス?」
 腕が持ち上がり、彼女の頬に触れる。目じりを掠める指の背に、俯いたまま、アリスは唇をかんだ。
「泣いてないわ」
 ひそやかな声で、きっぱりと言いかえした。こわばる頬を、なだめるように男の掌が触れていき、更に低い声が耳朶を打つ。

「誰に泣かされた?」

 ひやりと冷たい声音に、アリスは何をとんちんかんな事を言ってるのだろう、と視線を上げた。
 酷く不機嫌そうな、碧の瞳が己を映している。そこに映っている自分も十分に不機嫌面だ。

「強いて言うならあなたよ」
 鋭い視線のまま言えば、微かに目を見張った男が、楽しそうに唇を引き上げた。
 低い声で哂う。
「・・・・・ならいい」

 気だるげに告げて、男はアリスを抱きしめる。

「私の腕の中で、私以外の男に君が啼かされるなんて不本意だからな」
 機嫌の悪かった彼が、たったそれだけで上機嫌になる。腕の中で、アリスはぎりっと奥歯を噛みしめた。
「貴方の所為なのよ」
 咎めるように言うが、男は「それがどうした?」と甘い声で囁いた。
「私の所為なら、なにも問題などない」
「最低ね」
 あなたの所為で、私が傷ついているというのに。

 ののしりたい言葉を飲み込んで、アリスは目の前にある、羽織っているだけの男のシャツの向こうにある肩に、噛みついてやろうかと考える。
 だが、そんなことをすれば、ろくでもない反撃にあいそうなので、我慢する。

 ああ最低だ。
 どこで間違えたのだろうか。

(最初っから間違っていたんだ・・・・・)
「アリス」
 柔らかな声で名前を呼ばれる。そこに含まれる熱とつやっぽい響きに目を閉じる。
「君は一体どうされたかったんだ?」
 抱きしめる手が、悪さを始める。肌に触れ、身体の形を確かめていく。
 おさえこまれるのをぼんやりと感じながら、アリスは「さあ」とブラッドの胸に顔を埋めたままつぶやいた。

 見上げる彼の瞳は、愉快そうだった。

 そりゃ愉快だろう。

 彼女に元恋人と自分が同じなのか違うのか、「比べてみろ」と迫ったのはブラッドだ。
 そうやって腹立ち紛れに持ちかけて、抱いた女は比べるだけの要素を持っていなかった。

 自分と似ているという、殺してやりたいほど厄介な、彼女の元恋人。
 その恋人は、アリスの中に何も残していなかった。

 彼女の体に刻まれたのは、ブラッドの記憶で、それを上書きするすべを、元恋人は持っていない。

 これが愉快にならずにいられるか。

「愛されたかったんじゃないのか?」
 喉で笑いながら、男の唇と舌が肌を這っていく。あちこちに口付けられ、暴くように触れられて、アリスはこみ上げてくる熱と、悔しさに目を瞑った。
「誠実な愛とやらを、私に見せてくれないか?」

 揶揄するようなその言葉に、アリスの頭に血が上る。

「なあ、アリス」

 悔しい。悔しくて、悲しい。

 悲しい。悲しい。悲しくて悲しくて、酷く自分がみじめで。

 口付けてくる男の唇を噛んでやった。

「っ」
 顔を上げ、血のにじむ唇に、驚いたように目を見張る。それからブラッドは恐怖を感じるほど優しい手つきで、彼女の頬に触れた。
「なあアリス。君の恋人は、君をどんなふうに愛したんだ?」
「・・・・・・・・・・」
「甘い言葉でも吐いてくれたか?大切にしてくれたというが、どうやって?その男は、君に何をくれたんだ?」
 教えてくれ。

 哂いながら、アリスを侵していく。熱でどろどろに溶けるように。身体の芯から、ひたひたと浸食されて、彼女は敗北を口にしそうになった。

 知っていた。
 彼は私を愛していなかった。
 好きだったかもしれないけれど、大切にしているという素振りでちょっとずつちょっとずつ私を気づ付けていた。
 素振り。
 そうだ、ポーズだ。

 彼は大切tにしているふりをして、その実、私に興味などなかったのだ。
 興味?
 違う。

 大事にしていたのだ。

 私ではなくて。

 私を大切にしてくれていた姉を。


 あの、綺麗で賢くて優しくて、常識があって優雅な姉の、妹だから。
 あの姉が、妹を穢されたと血相を変えることのないように。
 あの姉が、妹を奪われたと失神してしまわないように。

 姉の為に。
 姉の不興を買わないために。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 涙があふれた。
 唇をかみしめる。

 開かれて、暴かれて、熱を与えられて。抱きしめられて、口付けられて。吐息も全て奪っていく、目の前の男。
 戯れに、退屈しのぎに、空っぽで、愛情なんてないとそういう男に、抱かれているのに。

 求められていると嬉しくなるなんて。


 この人に、愛されたいと望んでいる自分を、アリスは見ないふりをした。


「ブラッド・・・・・」
 切れ切れの吐息に交じって、アリスが己を閉じ込める男の名を呼んだ。
「なんだ?」
 余裕で見下ろす男に、アリスは微笑んで見せた。

「あの人は・・・・・誠実だったわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 すっと鋭くなる眼差し。急降下する機嫌。肌に突き刺さる冷気。
 マフィアのボスというこの男の、支配し、征服しようとする空気に、アリスは哂った。

 酷くされるのなら、それでいい。
 徹底的に私を穢せばいい。


 誠実だった、あの人を。
 絶望に叩き落とすように。


「誠実だったのよ」
 めちゃくちゃにされたいらしいな、という低いつぶやきと同時に、噛みつくというよりも痛い口づけを贈られる。
 酷く強い力で身体を抑えられ、焼けるように侵されいく。


 これでいい。


 涙がにじむ。


 あの人は誠実だったのだ。


 私ではなく。
 姉に。

 ただ、姉に誠実であったのだ。



(笑い話にもならないわ・・・・・)

 悲しくて悲しくて悲しくて。
 自分を抱きしめる男に縋る。

 最低だ。
 自分を酷く扱い、哂う男に、アリスは元恋人を重ねて、そして、さよならを告げた。










初ブラアリSS>< 色々設定間違ってるかもしれないですTT

(2009/10/03)

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