霧
〜ナキソウナヨル〜
息を殺して横たわっていると、アリスの上から起き上がった男が、だるそうに、でもおかしそうに小さく笑いをもらした。
嫌な笑い方だ、とアリスは奥歯を噛みしめる。
そのまま、男の手は、ソファに沈んでいる彼女の髪をさらりと撫で、持ち上げて唇を寄せた。
「君は・・・・・泣きもしなければ、叫びもしない。ひたすら声も押し殺して、媚びすら売らない」
これほどまでに徹底した女は君が初めてだよ、お嬢さん。
くつくつと喉の奥で哂いながら、ブラッドはぞっとするほど甘い声で耳元で囁いた。
「不感症なのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
セクハラ、と言いたいがそんな些細な言葉をセクハラ認定する以前に、たった今までされていた行為はセクハラどころか合意が無いから、女性にとって最悪の犯罪であるに違いない。
だが、そちらを犯罪行為と認めるには、アリスには嫌悪感は無いし、無理強いさせられた、というような気持ちの悪さもない。
そうなってくると、ブラッドの囁いた『不感症』という台詞が一番近いような気にさえなって来た。
「それとも・・・・・私程度では問題にもならないとでも言うのかな?」
声は相変わらずだるそうで、面白がっているような色が多分に含まれている。だが、そこにちらりと混じっている不機嫌さに、男のプライドの高さを見つけて、アリスはふっと小さく哂った。
「・・・・・・・・・・・・・・・成程な」
どちらかというと、それは自嘲気味な笑い方だった。
ブラッドでは問題にもならないどころか、問題が有りすぎた。
まず第一に、アリスは彼から受けた行為を、現実世界でも受けた事などなかった。故に、誰かと比べる事も、ましてや別れた恋人と比べる事など出来っこないのだ。
第二に、まったく痛みを感じなかった事にも問題が有る。
友人の話では、「身体が割れるほど痛かった」らしいが、そんな感じはしなかった。
ただ、強烈な違和感と熱さと、息が吸えないくらいの息苦しさ。それから甘く痺れて行くような陶酔感だけだった。
それが気持ちいいのかと言われたら、アリスは首を傾げるしかない。
それほど夢中になるような事でもなかった。
それは、アリスの気持ちが付いていっていないからだと、彼女は結論付けて、そして、思わず笑ってしまったのだ。
比べる事も出来ないほど経験値が皆無な女が、自分の技術では問題にもならないから態度が冷たいのか、なんて言われるなんて。
だが、ブラッドはそんな風に、アリスの零れた笑みを受け取らなかった。
「そんな風な態度を取られると・・・・・嫌でも引きずり落としたくなるな」
肩に触れる手が熱い。
それを気だるげな仕草で払い、アリスはようやく寝がえりを打って、狭いソファの上、半分身を起こした男を見上げた。
「全然まったく楽しめなかったのは貴方の方なんじゃないの?」
睨みあげるようにしてそう言うと、彼女の首筋を這っていたブラッドの手が止まる。視線が、彼女に落ちてくる。
「・・・・・・・・・・どうして?」
「面倒な女だったでしょ」
それに、貴方の望む様な反応を返せなくて申し訳なかったわ。
そっけなく告げて、アリスは身体を起こす。邪魔だからどいて、と言わんばかりに、ブラッドの胸に手を突いて、ひやりと冷たい床に足を落とした。腰に、男の腕が回ったのはその時だ。
「面倒と言うのは・・・・・痛いのは嫌だろうから手間を掛けてやったりだとか、君が違和感になじむまでまってやったりだとか、濡れてくるまで我慢したりだとか、そういう事か?」
背中に口付けが落ちてくる。ぞくっと身体を震わせて、アリスは「ええそうよ」と低い声で答えた。
「面倒なだけでしょう。たのしむ以前に」
掠れた声で言うと、男はくすりと小さく笑った。手が、アリスの白い肌を緩やかに撫でて行く。
「嫌がって泣く女を無理やり乱暴にするような趣味は、私には無いし?どうせなら君にも楽しんでもらいたかったんだが」
君は楽しくなかったようだな。
「・・・・・・・・・・最低だわ」
最低。
夢だから、と思う部分と、顔が同じだから、と思う部分と、そして、そのどちらにも当てはまらない部分で、抵抗しなかった。
彼に言い放った、まったく気分が乗らない、という気持ちも本当。
男に溶かされた身体は、行為をすんなり受け入れはしたが、頭のどこかは常に冷静で、声を上げる事すら禁じていた。
それが何故かはわからない。
判らないが、喘いでしまったら、何もかも全部終わってしまう様な気がしたのだ。
自分の命を含めて。
「君は面白いな」
最低、と評したアリスに、ブラッドは声を殺して笑った。腰を抱いていた手が、するすると肌を撫でて、二つのふくらみに達する。弄られ、アリスは反射的に身体をびくつかせた。
「なに・・・・・が」
先端を長い指が弄り出す。のがれようと、アリスはブラッドの腕に爪を立てた。
「面白い」
お返し、とばかりに強く胸を掴まれる。
「っあ」
痛い、と喉が叫ぶが、唇がそれを飲み込む。
びくびくと、怖がるように震えるアリスの身体を閉じ込めて、ブラッドが彼女のうなじに唇を寄せた。
「女は、こうされると悦んで甘い声を上げるものだ」
つと、太ももを指が這い、唇を噛んだアリスが後ろから抱きしめる男の腕を引っ掻いた。
「っ」
隙を突いて身体を捻り、アリスは男の胸板を押した。
離れる男。ソファから転がり落ちる女。そのまま、アリスは床に落ちていた白い上着を持ち主に放った。
頭からそれを受ける。彼に背を向けて、アリスは信じられないほど重たい下半身を引きずるようにして立たせ、服を拾っていく。
「そういう最低女と一緒にしないで」
「おやおや。なら君はなんなんだ?」
膝が笑っている。それは面倒そうに、再び上着を床に落とした男がゆっくりと立ち上がる気配を感じて、焦ったからなのか、初めて受けた行為に身体がばらばらにされた所為なのか、判らない。それでも彼女は必死に、頭からワンピースを被った。
下着の有無も気になるが、とにかく、肌が見えない格好で、走って部屋に戻れば問題ない。
「君が淑女だというのなら・・・・・そうだな。望まぬ男に身体を許してしまった事を悔いて、舌でも噛んで死ぬつもりか?」
「・・・・・生憎、私は淑女じゃないので」
くるっと振り返り、エプロンを胸に抱いたまま、素足で後ずさる。シャツ一枚にスラックス。羽織っているだけのそれから覗く素肌に、じり、とアリスの胸が焦げた。気だるげに見下ろす顔は、知り合いと全く一緒。
なのに、この色気はなんなのだろう。
彼から教えられた、甘いうずきが身体の中心に沸き上がり、アリスは落ちそうになる腰を必死に支えた。
「では?」
にたりと哂う男に、アリスは白くなるほどきつく己の両手を握りしめた。
「顔が似ている、というだけで、よく知りもしない男に・・・・・しかもマフィアのボスに身体を投げ出す女は、最低ではないのかな?」
いいところを突いてくる。
人を嬲るのを愉しむ思考の持ち主らしい。
そんなことは知っていた筈なのに、こんな言葉に動揺する自分が、まったくもってアホらしい。
図星を刺されて動揺するなんて、まったく、私は私をなんだと思っているのだろうか。
「少なくとも」
泣きそうなくらいに弱いアリスを押し込めて、彼女はうっすらと笑うとブラッドを見返した。
「あんたとの行為に溺れて、媚びを売って、もう一度抱かれたい、捨てられたくないと思う様なアホな女ではないことは確かね」
吐き捨てるように言うと、アリスはそのまま精一杯の虚勢を張って踵を返し、重い扉を押しあけて廊下に出た。
そのまま、何も振り返らずに部屋まで走る。
彼を訪ねたのは夜で、今もその夜は続いている。ひっそりと人気のない廊下はありがたく、またたどり着いた部屋が薄暗かった事も、アリスにとってはひたすらありがたかった。
ベッドの崩れ落ちる。それと同時に震えが来て、アリスは膝を抱えて己の身体を抱きしめた。
自分の身体が、自分一人のモノじゃない気がする。
受け入れた『他人』が色濃く残っていて、動揺する。
嫌悪出来ればいいのに、そんな風に思えない自分が、一番理解不能だった。
ブラッドの言った言葉は正しすぎる気がした。
顔が似ていると言うだけで、マフィアのボスだろうがなんだろうが構わないなんて、自分は一体どうしてしまったというのだろうか。
どう考えても、不自然すぎる。
何故だろう。どうしてだろう。判らない事ばかりだ。
固く目を瞑った先に、自分を見下ろしていた男の愉快そうな物を見詰める瞳と、それに混じっていた柔らかな色合いに、心臓が痛くなって、アリスは微かに呻いた。
アリスの元恋人は、アリスを求めてはくれなかった。
彼には心に決めた人がいたから。
手を出されなかったわけではない。
抱きしめられて、キスをして、何度か流されかかった。その度に、彼は頭を振って、「ごめん」とだけ謝って。
何に対して謝っていたのだろう。
ああ、そうか。
姉に対してか。
(こうして欲しかったのは、誰になんだろう・・・・・)
アリスの脳内はだんだん冷静になる半面混乱して行く。ブラッドに乱暴にされれば、嫌悪して、こんな屋敷、と飛び出す事も可能だっただろう。だが、それが出来ない。
ということは、ブラッドに受けた仕打ちを享受していると言うのだろうか。
嫌だったのか。
嫌じゃなかったのか。
嫌ではなかったが好ましくもなかったのか。
嫌ではなくてむしろ・・・・・
最後の一個の選択肢を導き出す手前で、アリスは意識を遮断した。
これは夢で、押し倒されて、こんな夢、早く覚めればいいのにと思った事は事実だ。
差し当たってはそれで十分。
十分だと、アリスは自身に決めつけて、寄れた服のまま、重たい身体をベッドに沈めて行った。
「アリス」
声を掛けられて立ち止まる。空には太陽が輝き、だるそうに廊下を歩く男が嫌いな昼が展開している。
「何か用?」
この前の夜の動揺を、一切見せまいと、アリスはつんと顎を上げた。
「こんな忌々しい太陽が出ている時間帯に、どこに出かけるつもりだ?」
億劫そうに窓の外を見やり、ちらりとアリスに視線を落とす。
「私にとっては絶好の外出日和なの」
くすりと笑ってブラッドを見上げ、アリスは遊園地でボリスが待っているから、とあっさり告げた。
「・・・・・・・・・・真昼間の遊園地、ねぇ。私の一番嫌いな所だ」
騒々しすぎる。
不機嫌そうに顔をゆがめる男に、アリスはくるりと背中を向けた。
「私にとっては絶好の外出日和なの」
同じ台詞を繰り返し、アリスはすたすたと廊下を行こうとした。その背中を、不愉快そうな男が抱きしめる。
ふわりと薔薇の香りがして、アリスは息をのんだ。
「私は嫌いだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・あ、そう」
「昼間はだるくていけない。何をするにも面倒で、億劫で・・・・・」
「退屈なの?」
半眼で告げると、く、と顎を掴んだ男がアリスの顔を覗き込んだ。
「ああ。暇つぶしがしたい」
「一人でどうぞ」
「一人では暇はつぶせない」
「・・・・・・・・・・何がしたいの?」
切り返すと、男は「どうして君が屋敷を出て行かないのか、非常に興味がある」とにこりと笑んで答えてきた。
「その理由を話してくれないか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
理由。
そうだ。この屋敷の主にあんな事をされたのだ。アリスにはここを離れる正当な理由がある。
だが、彼女はここにとどまっている。
「私に溺れて、媚びを売って、もう一度抱かれたい、捨てられたくないと縋るような女ではないのだろう?」
ひそやかに囁かれた台詞に、アリスは舌打ちしたくなった。
本当に、人が嫌がる事をするヒトだ。その顔を見て楽しむなんて、性格がねじ曲がっているとしか思えない。
「貴方はどうなのよ」
だから、逆にアリスは切り返した。出来るだけ冷やかに、ブラッドを見上げる。
「私?」
「余所者なんて、詰まらないでしょう?」
哂うように言ってやれば、ちょっと目を見張った男がにたりと笑った。
「さあ?・・・・・私は自分の好きなようにする主義でね。あんなに手間を掛けてやった事もないし、あんなに悦ばれなかった経験はないもので」
詰まらないと判定するには、足りないんだよ、お嬢さん。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
くっく、と笑われて、アリスは己の頬が赤くなるのを感じた。そして、赤くなった事に嫌悪する。
耐えるように、己の両手を握りしめて、彼女はブラッドの腕を振りほどくと真正面から彼を見上げた。
「詰まらないかどうか、判断させてくれないか?」
顎を掴まれる。覗き込んでくる碧の瞳にちらちらと光が過っている。
元恋人の目の中にもあったもの。でも、それはブラッドの方がより鮮明で強烈で、アリスの心がじりっと焦げるのを感じる。
「詰まらないと感じたら、殺されるのかしら?」
口の端を吊り上げて尋ねると、ブラッドはちょっとだけ目を見張った。彼から感じる威圧感の十分の一にもならないような、アリスの精一杯の虚勢。それに、彼はちょっとだけ気圧されてくれた。
ただ、そのすぐ後ににやにやと笑われてしまったが。
「さあ?私は気まぐれだからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だが、君が私を拒否して屋敷を出ようと言うのなら、私はすぐにでも君の脚を切り落としたくてしょうがなくなるだろうがね」
脅しじゃないの、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、アリスは差し出された男の手を取る。
「最低ね」
「お誉めにあずかり光栄だよ、お嬢さん」
取られた手の、指先に口付けられて、アリスは不機嫌そうにブラッドを睨みあげた。
気持ちよくなんかない。圧迫されて苦しいだけ。声を飲み込むのなんて簡単で、気持ちを失くしてしまえば、どんな昂りもやり過ごせる。
そんな風にしてブラッドを受け入れた結果、アリスは冷静さを手放しそうになっていた。
「んっ・・・・・っ・・・・・ふっ」
「ふ〜ん?」
耳元で低い声がして、ふるっとアリスの身体が震えた。
「ああ、耳も弱いのか」
ちろっと舌先が耳の縁を撫でて、アリスは背筋に衝撃が走るのを感じた。
(慣らされていくっていうかっ・・・・・)
開発されているようだと、アリスは握りしめる物を求めて、ソファに爪を立てた。
「縋るなら、私にしなさい」
掠れた、でもどこか熱っぽい声で囁かれて、アリスは唇をかみしめる。
絶対に嫌だ。
何故だか判らないが、そんな事をするくらいなら、自分の肌を傷つけた方がましな気がしている。
「やれやれ、強情なお嬢さんだ」
アリスの身体の中に打ちこまれた楔は、そんなブラッドのどこかだるそうな言葉とは裏腹に、彼女の中を探っていく。
何が好きで、どこが感じて、どうすれば彼女の身体を良いように出来るのか。
耳を塞ぎたくなるような水音に、アリスは目を閉じて、声を殺すように指を咥える。
「ふっ・・・・・うんっ・・・・・」
目尻に涙がにじむ。生理的な物だと判っているが、翻弄されている自分を見せつけられているようで腹立たしい。
結局自分は最低な女ではないかと、突き上げられて悦ぶたびに、喚きたくなった。
「駄目っ」
我慢に我慢を重ねて、最終的にアリスから否定の言葉が漏れた。
「何が?」
ぐちゃ、と一際厭らしく音を立てて彼女を突き上げ、ブラッドが彼女の胸元に舌を這わせる。
「駄目」
力ない声が、消え入りそうに訴える。
「何が駄目なのかな?アリス?」
こんなに濡らしておいて。
く、と一番敏感な花芽を押され、続けて弄られる。びくん、とアリスの身体が震えた。脚を持ち上げてぐちゅぐちゅと音を立ててかき回していると、ふるふると彼女が首を振った。
「嫌」
「だから、何が?」
こんなのが、嫌だというのだろうか。
プライドの高い女と貶めるのは愉しい。
跪かせて詰るのも。全てを手に入れて翻弄するのも好きだ。
飽きたら捨てればいい。
嫌だと零す余所者の女のプライドも、まあ、この程度なのだろうと、ブラッドは早くも陥落しかかっている彼女に笑みを敷いた。
だが、意外にもアリスはきっとブラッドを見上げて、彼の肩を押し返した。
「何が愉しいのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
思わず間の抜けた返事をしてしまう。だが、彼の態度に気付かないアリスが「だからっ」と吐息を飲み込んで続けた。
「何が愉しいの」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ぐちゅん、と音を立てる身体に、頬を染めて、涙目のアリスが口惜しそうにブラッドを見上げる。
「全然愉しくない。判らない」
ふるふると首を振るアリスに、ブラッドは不快感を露わにする。
「挑発してるのかな、お嬢さん」
ああんっ
ようやく漏れた甘い声に、「ああ」とブラッドは気付いた。
「ここか?」
「やっ」
彼女の身体がこわばり、腰が引ける。嫌がる素振りに気付いて、笑みを漏らすと、力一杯責め立ててやる。
「止めっ」
「止めて欲しいのか?」
耳から吹き込まれる言葉の甘さに、くらくらする。
本当にまったく、何が愉しいのかさっぱりだ。
身体は与えられる快楽を覚え始めて、夢中でもっとと強請って行く。そのあさましさに、アリスの脳内は冷えて行く。心と体が乖離して、どうしようもないほど面白くない。
求められていると、そう思えば楽なのか。
これはただ、この快楽を得るためだけの行為なのだと、割り切ってしまえば楽しめるのか。
アリスには判らない。
そんな割り切りが出来るほど・・・・・この快楽についてアリスが詳しく知っている訳でない。
教えられたのはつい先日。
二度目で、「これはこの為だけの行為です」なんて思えるほど、アリスはすれていない。
そう思うとますます、みじめになって行き、自虐的で根暗な彼女は、浮上できない。
何が愉しいのか。
本気で本気で判らない。
「止めてったら」
アリスの台詞はただ、ブラッドを煽るだけだ。
「無理強いする趣味は無いんでしょう?」
嫌々するアリスに、ブラッドは「それはそうだが」と動きも何も止めずに言う。
「ここで止められるほど、枯れてもいないのでな」
「あっ」
「ああ・・・・・そんな切なそうな声を出すな」
おかしくなるだろう?
余裕のくせに、何を言うんだ。
「もっと、啼いてみせろ?イカせてやるぞ?」
絶頂なんてとんでもない、とアリスは奥歯を噛みしめる。
愉しくないのに。
身体だけが善がって、震えてしまうなんてキモチワルイ。
存外自分はロマンチストで、それなりに常識的な物の考え方をもっているのかもしれない、とぼんやり考える。
好きな男に抱かれるのを望んでいたなんて、取り返しも付かない事になっている現在で気付く辺りが、アリスらしい。
(馬鹿だわ・・・・・)
救いようがない。
穢れている。
ああ、どうしてこんな事になったのか。
「集中しろ」
「ああんっ」
強く胸を揉まれ、アリスの背が撓る。見上げると、まったく楽しくなさそうな男が、自分を見下ろしていた。
「不愉快なら・・・・・止めたら?」
声が掠れる。んっんっ、と鼻に掛ったような甘い声を漏らすアリスに、目を細める。
「もっともっと・・・・・」
「あっあ」
とうとう我慢できずに、アリスの喉から可愛らしい嬌声が上がりだす。苛立ちをぶつけるようにしながら、ブラッドはする、と彼女の唇を撫でた。
「貶したくなってきたよ、お嬢さん」
ぞっとするような声。甘さからではなく、滲む威圧感からの。
睨みあげる彼女の、赤く染まった目尻に口付けて、ブラッドは唇に笑みを曳いた。
「もっとと、強請るような身体にしてやる」
激しさを増したそれに、アリスがついていけず、なんだか訳が判らないうちに、彼女はぷっつりと自分の意識を途切れさせてしまったのである。
のろのろと重たい目蓋を持ち上げて、アリスは自分の置かれている現状を把握しようとした。
彼女を暇つぶしに、と誘った男はいない。
捨てられたのか、飽きられたのか、面白くないと判断されたのか、イマイチ判らない。
身体を起こすのもおっくうで、彼女はそのまま再び目蓋を落とす。
とにかく身体が重い。
身体には一応ブランケットが掛けられているが、それがブラッドの優しさだとは到底思えなかった。
それくらいの常識は、一応アリスも持っている。
このままこうして眠ってやって、風邪でも引いてやろうか。
うつらうつらとそんな事を考えていると、重い音を立てて扉が開くのに気付いた。
ドアの向こうに居ても、多分判るであろう、存在感が近づいてくる。ソファが軋む音がして、ようやくアリスは目を開けた。
「気分はどうかな?」
普段と変わらない、人を馬鹿にしたような格好をして、帽子をきっちり被っているトンデモナイ男と、その男に良いようにされた女が、だらしなくソファに横になっている。
最低な状況だ。
それをそのまま告げると、ブラッドは愉快そうに笑って、席を立ち、アリスの横たわるソファに座り直した。
「それで・・・・・飽きたのかしら」
掠れた声で尋ねると、彼女の頬に手を当てて、撫でていたブラッドが小さく笑った。
「いいや」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「いい暇つぶしになったよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ずきり、と胸が痛み、アリスはちょっと驚いた。
なんだろう、この胸の痛みは。
「君はなかなか面白い。抱いてて飽きない」
「どの女とやっても一緒じゃないの」
吐き捨てるように言うと、「そんな風に言うものじゃない」と笑いをこらえた男にたしなめられた。
「今の私は淑女でもなんでもないの」
愛した人に、抱かれたかった。
そんな乙女な思考を、一応持っていた事を、この男に責め立てられてる最中に思い知らされた。
純潔なんて、別にどうという事もないものだと思っていたのに、ここに来てそれを重要視していた自分に気づくなんて、馬鹿過ぎる。
だったらもう、堕ちるしかアリスには道が無い気がした。
「一緒じゃないさ。君がイクまで待ってやろうと言う気にはなったんだぞ?」
「普段は違うみたいね」
精一杯の皮肉を込めて言えば、「ああ」とあっさり肯定されてしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
最低、なんて言い過ぎて彼に通用しない気がした。だから、押し黙る。
「こんな行為に暇つぶし意外の意味はないからな」
なんてことだ。
かちん、とアリスの脳裏に火花が散る。
暇つぶしに抱かれたお陰で、アリスはこの行為の重要性を知った。
愛する人に抱かれたら、きっと天にも昇るほど心地いいのだろうと、知ったのだ。
なのに、この男はそんな事を言うのだ。
「ええそうね」
泣きそうなのを我慢して、アリスは身を起こす。見下ろすブラッドの視線を避けて、重たい身体を引きずって着替えようとする。
「何の意味もないわ」
そうだ。
ブラッドとしたって、何の意味もない。彼はアリスを愛する気はないし、アリスは愛されていない。
ただの暇つぶし。
なのに、どうして泣きたくなるのだろう。
知っていたはずなのに。
愛されていないと気付いて、愛ある行為に憧れる自分に気付かされたのに。
なんで、泣きたいのだろう。
「アリス?」
顎に触れられて、強引に振り向かされる。必死に涙を隠して、アリスは間近で覗き込むブラッドに眦をきつくした。
唯一。
唯一彼にされていないことが有る。
判っててしないのか。
それが彼のプライドなのか。
顔をそむけて、アリスはエプロンを握りしめた。
「もう行くわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
手を払い、アリスはどうにかこうにか立ちあがるとドアに辿り着く。押しあけようとすると、背後から抱きしめられた。
「また、次の夜にでも来なさい」
ひそやかな声。首筋にキスを落とされて、アリスは無言で部屋を出た。
多分、それは彼なりのルール。
唇に、自分の指を押し当てて、ぽろっと涙がこぼれる理由にアリスは気付かないふりをした。
もう、多分、這いあがれない。
私が愛して欲しかったヒトは誰なのだろう、とぼんやりと思い描く事しか彼女には出来なかった。
ひとつで終わらせようとして、失敗TT
なんだか続きそうな雰囲気ですが・・・・・どうしましょう orz