そのルールの適応者は余所者だった
気まぐれで、気分屋で、退屈を嫌う。
この三つの要素だけを並べたてた時、アリスは自分の愛人なんだか恋人なんだか微妙な関係の上司を思い出す。
だが、実はこの要素に当てはまる存在は、彼だけでは無いのだと、目の前で優雅に紅茶を口にする、ハートの城の女王様を目にして思うのだ。
この冷酷無慈悲、残忍で美しい女性もまた、この条件を非常に満たしている。
全てがおかしなこの世界で、どの人間も「ルール」や「役」というアリスには理解できない感覚で絆が結ばれている。
自分の上司とハートの女王も、「敵対勢力である」という「役」の上で「出会えば撃ち合わなければならない」という「ルール」の元に存在している。
こんな意味不明でバカげたルールは無い、と彼らの間を行き来できる「余所者」のアリスは思うのだが、それも随分身になじんでしまっていた。
それに、この「ハートの女王」と「帽子屋」はアリスに理解できない関係で結ばれている以前に、アリスにとって判りやすい関係でも結ばれている。
この世界では珍しい、「姉弟」という関係で。
二人はその関係を他人には言わないし、知っている、気づきそうなものは全員屠ったとあっさり言っている。
両親は健在だと女王から聞いた覚えがあるが、気まぐれで気分屋で退屈を嫌う二人の両親なのだから、アリスと会う事は無い気がした。
帽子屋と女王の両親である、と言う事を、隠して生活する事が「退屈しのぎ」になっているような気がするのだ。
もっとも、そんな推測もアリスの主観によるもの、なのだが。
ただ、そんな二人の関係を知っている存在が自分だけである、と言う事がアリスにとって心地よく、くすぐったかった。
恐らく、二人が姉弟だと周りに知れても、何も変わりはしないのだろう。
気づいていても、見て見ぬふりをされる。
どこかの迷子の騎士が言っていた事だ。
判っているのに見えない。見てくれない。認識されない。
帽子屋と女王はそれを知っているから、公にはしないのだろう。それならば、二人だけで知っていればいい事だと。
そして、ルールの適応されないアリスだけが、二人の間に入る事を許されたのだ。
余所者だから。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「なんじゃ。浮かない顔をしておるな」
つと、紅く彩られた長い爪がアリスの頬に触れて、つん、とつつかれる。はっと顔をあげたアリスは、「なんでもないの」と慌てて手を振って見せた。
「何でもないなら、そんな顔をするな。気になるではないか」
心持ち頬を膨らませたハートの女王、ビバルディに、アリスは「ごめんなさい」と素直に謝った。
何となく、考えてしまう。
帽子屋、ブラッド=デュプレが自分を姉であるビバルディに紹介してくれたのは、余所者だからなのか、それとも、そんな事を抜きにして、アリス自身を見てくれて、判断してくれたことなのかと。
二人は現在、ブラッドの屋敷に作られた、ブラッドのルールが適応されている薔薇園に居る。自分の手で作り上げて、自分の手で壊せる何かが欲しかったと、ブラッドはアリスに言った。
それが、この薔薇園だと。
ここだけは、ブラッドとビバルディは姉と弟で居られる。役の無い存在に戻る事が出来る。
そんな事を、あの退屈を嫌う癖に、面倒事が嫌な、気だるげな男が考えていたのかと思うと、アリスが知る以上に彼は何かを抱えているのでは無いかと思う。
底が浅い、と本人は言っていたが、信用ならない。
計算された態度によって、彼は人を欺く。
ジョーカーとは真逆の欺き方だ。
「・・・・・・・・・・なにやら、不満があるようじゃな」
欺かれているのかしら、といぶかしむように考えていたアリスは、ビバルディの台詞に言葉を詰まらせて、皿の上のクッキーを取った。
「そういうわけじゃ・・・・・」
「お前を満足させられないなんて、やはりあやつは大馬鹿者じゃ」
何が足りない?全部話してごらん?
にこやかに言われて、アリスは噎せた。
「な・・・・・何が?」
「満足できておらんのだろう?そこらの女の一緒にしてくれるなと言ってやれ」
「だ、だから・・・・・な、何が?」
目を白黒させるアリスに、ビバルディは真顔で「商売女は男を悦ばせる為に平気で演技が出来ると言う事だ。それを女の全てだと思って自分の仕方に満足するなどあり得ない」とあっさり答えるものだから、今度こそアリスは紅茶を器官に入れてしまった。
げほげほ、とむせる彼女を「何じゃ、違うのか?」とビバルディはつまらなそうに見やる。
「そ・・・・・そっちは別にいいの・・・・・ていうか、あれ以上されたら、多分私が持たないわ・・・・・」
最後の台詞は小さくて、ビバルディに届くかどうか、という感じだが、最近恋バナが好きな女王様にはきちんと届いたらしい。
「では何が不満なのだ?」
呆れた顔で言われて、アリスは閉口する。
ブラッドは自分を簡単に見せてはくれない。色々考えて、考えすぎて動けなくなる姿も、失敗している姿も知っている。だが、それ以上に知らない所で色々計算しているのも、何となく判っている。
退屈が嫌いで、面白いものが好きな彼。
余所者、という世にも珍しい存在、という一点だけで彼に気に入られている、と思う。
でも、本当にそれだけなのか。
アリス、という人間そのものを見て、傍に置いていてくれるのか、不安になる。
有体に言えば、自分ばかりがブラッドに本気で、ブラッド自身がどう思っているのかよくわからないのが不満なのだ。
「私って・・・・・ブラッドに愛されてるのかしら」
溜息交じりに零れた台詞は、多分に独り言の色を秘めていた。だから、口に出したという意識がアリスには無い。だが、ばっちり漏れていたそれを拾い上げて、ビバルディが呆れたように「まだそんな事をいておるのか?」と眉を寄せた。
「え?」
「あれは相当お前を気に入っておるぞ」
「・・・・・・・・・・それは、珍しい玩具とかコレクションに対する『お気に入り』でしょう?」
半眼で、口をとがらせるアリスが可愛くて、女王は苦く笑う。
「ナルホド、大馬鹿者はお前もそうか」
「どういう意味よ」
むっとすると、頬杖をついたビバルディがにんまりと、笑みの形に唇を引き上げた。
「帽子屋が女をとっかえひっかえしている噂はよく聞いたよ。うちの連中は女にもてるのにちっとも振り向かないから詰まらなくてなぁ。我が弟ながらようやると、顛末を聞いて笑っておった。」
「・・・・・・・・・・そう」
何となく、凹む。
微かに陰るアリスの顔を見詰めたまま、ビバルディは微笑んで続けた。
「しかし、奴がわらわに紹介してきたのはお前一人だぞ」
「え?」
「教会に連れて行きたいと思ってる、と言った時の愚弟の顔を見せてやりたかったわ」
ほほほ、と愉快そうに笑うビバルディにアリスは、頬が赤くなるのを感じた。
「お前の為なら、帽子屋は、男にとって最大の面倒事を丸ごと引き受けるつもりなのだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
面倒事。
それは一体なんだろうか、とアリスはきょとんとしてビバルディを見やる。目を瞬くアリスをようよう観察したのち、ビバルディは声を上げて笑った。
「ここまで言ってまだ判らぬとは・・・・・お前は相当自分が嫌いなようだな」
「・・・・・どうせ私は根暗で陰気で捻くれてますよ」
身体を折って笑い続ける女王に、流石のアリスも気分を害した。頬を膨らませて紅茶を飲む。ビバルディもブラッドも肝心の事は何も言ってくれない。察しの悪さを笑われているようで面白くない。
黙々と自分の紅茶を注ぎ足すアリスに、一通り笑ったビバルディが、愛しいものでも見るような、柔らかな眼差しをアリスに送った。
「お前はほんに頑固で臆病で、困った子だね」
「それはどうも」
「可愛いと言う意味だ」
「私のような下々の者の読解力ではとてもとても理解できない解釈ですわ、女王様」
不機嫌面を前面に押し出して言うアリスに、まだくすくすと小さな笑いをもらしたまま、ビバルディは目を細めた。
「愛されていない、とそう思うか?」
不意に真面目な声で言われて、アリスは顔を上げた。紅玉の瞳が自分を映している。色こそ違えど、ビバルディの眼差しはブラッドと似ている。
オーロラには赤色のものもあると言う。
この姉弟は似ていないようで、よく似ている。
「・・・・・時々、愛されてるなぁ、とは思うけど・・・・・でも、ブラッドは気分屋だもの」
「確固たる自信が持てない?」
「私なんか詰まらない人間だわ。きっと・・・・・いつかは飽きられる気がするの」
それが怖い、と目を伏せるアリスに、ビバルディは「あやつは意外としつこいんだがな」とぼんやり遠くを見たまま漏らした。
「いつまでも奪い取った茶畑の事をぐだぐだ言いおる。飽き性は飽き性だが、刹那主義かと言えば、そうでもない」
だが、お前を不安にさせるのは問題だ。
にこり、と女王様は綺麗に笑うと、すいっと綺麗な掌をアリスに伸ばした。
はっと顔を上げた彼女は、美しい薔薇園の、むせ返るような薔薇の香りの中で、この世の者とは思えない、美しい女性に抱きしめられる。
くらり、と視界が回った。
それと同時に、警鐘が鳴り響く。
「ビバ」
「では、お前の不満を解消してやろう」
「!?」
まさか、とんでもない事をされるのでは、とアリスは身構えた。冗談半分に女王様に手を出されかけた事は何度かある。
だが、その度にブラッドは余りいい顔をしないし、ビバルディの手から奪い取っていく。
「愚弟が本当にお前を愛しているのか知りたいのだろう?」
「・・・・・・・・・・ええ」
だからって身に危険が迫るのは嫌だ。ブラッドの身に危険が迫るのはもっと嫌だが。
ハートの城に連れ去られて、監禁でもされるのだろうか。
そこから助け出してみろと?愛の試練だと?
(・・・・・・・・・・ブラッドは来てくれるかしら・・・・・)
ぼうっと自分の想像で考えてみるが、頭が上手く回らない。ビバルディの高貴な薔薇の香水が肺腑を満たし、思考を奪っていく。
「何を・・・・・」
必死になって、ぎゅっと彼女のドレスにしがみつく。懇願するように見上げれば、ビバルディが妖しく哂った。
「帽子屋、ブラッド=デュプレがお前を真に愛していれば、きっとお前は助かる事が出来るだろう」
「ブラッドに・・・・・酷い事はしないで・・・・・」
掠れた声でそういうと、冷淡で無慈悲な女王は、酷く愉快そうに笑った。
「さあ?あれが慌てる姿を想像すると・・・・・楽しいものだ」
そこで、ぷつりとアリスの意識が途切れた。
「なんだ、それは」
(ブラッドの声がする・・・・・)
夕方の時間帯。あらかた仕事を終わらせたブラッドが、ふらりと薔薇園に立ち寄ると、ティーテーブルの前に座っていたビバルディが「ああ、それな」とにこやかな笑みを見せた。
途切れていた意識が、徐々に戻ってきて、アリスはぼんやりかすんだ夕景の中に、見なれた男の姿を確認した。
彼の視線が、自分に注がれている。酷く怪訝そうな、視線。
(ブラッド・・・・・)
声を出して名前を呼びたいのに、上手くいかない。夢の中でしゃべろうとして、しゃべれないでいる感触にそれは似ていた。
「可愛いだろう?お前にやろうと思ってな」
「・・・・・・・・・・・・・・・これを、か?」
ちらり、と姉に投げるブラッドの視線には戸惑いと薄気味悪いものでも見るような色が多分に混じっていた。
「そうだ」
あっさり言い、ビバルディがアリスに手を伸ばした。
(んっ)
喉の辺りを、彼女の綺麗な指先が掠める。信じられないくらいくすぐったく、甘いものがこみ上げて、アリスは一瞬で頬を染めて身をよじろうとした。
だが、身体が動かない。
(!?)
「可愛い可愛い、わらわの一等お気に入りじゃ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが、か?」
ビバルディの手を押しやろうとするが、隣に座る彼女に手を伸ばす事も出来ない。嫌だと言う旨を伝えることもできない。
そこまで来て、アリスは霞が掛っていた意識が徐々にはっきりしてくるのに気付いた。
(何か・・・・・おかしい)
そう言えば、意識をなくす前、ビバルディは何か言っていなかったか?
ブラッドが真にアリスを愛していれば助かるとか、なんとか・・・・・。
アリスの視界に映る、彼女の恋人だか愛人だか、名目はどうでもいい、愛しい人が複雑怪奇な眼差しでアリスを見詰めている。
「姉貴がこういうものが好きなのは知ってはいるが・・・・・それを私に寄こすとはどういう了見だ?」
「お前は、アリスにこれと同じタイプのものを贈ったのだろう?」
アリスを抱き寄せて、ビバルディが頬を寄せる。すりすりされて、アリスははっと気付いた。
身体にダイレクトに、女王様の衣服の感触が伝わってくる。
(私、何も着て無い!?)
顔面蒼白になり、確認しようとして、アリスは視線を精一杯下に落とした。
首は動いてくれないし、手足も自由にならない。だから、彼女は視線と視界だけで状況を確認しなくてはならなかったのだ。
(何がどうな・・・・・)
真っ赤になって自分の身体を、見える範囲で確認しようとする。そして、確認して、アリスは絶句した。
(なっなっなぁ!?)
「確かに、サーカスのダーツで当てたが・・・・・しかし、だからってなんで私がクマのぬいぐるみを受け取る事になるのだ?」
しかも、姉貴の一等お気に入りとやらを。
眉間にしわを寄せるブラッドが見詰める視線の先は、アリスだ。
そして、アリスは自分の視界に映った、真っ白でもふもふで、もこもこの自分の身体を見たのだ。
見てしまったのだ。
(ビバルディ――――――っ!!!!!)
絶叫するが、それはアリスの胸の内で響きわたるだけで、ビバルディには届かない。彼女はころころと楽しそうに笑っている。
「アリスから訊いたぞ?お前からもらった縫いぐるみのクマはお前以上にアリスと同衾しているそうじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
にやにや笑う女王の台詞に、帽子屋は苦虫をかみつぶしたような顔でそっぽを向く。
「あの証人はアリスのお気に入りらしいからな」
「なら、お前も意趣返しをしてやればいい」
「・・・・・同型のクマの縫いぐるみでか?」
「わらわも、血を分けた自分の弟がクマごときに負けているなどと面白くないからなぁ」
ほほほ、と笑いビバルディは白クマの縫いぐるみになってしまったアリスを抱き上げた。
(ひゃっ)
全裸で抱きあげられるなんて、くすぐったい。喉の奥から悲鳴が漏れる。こつん、とビバルディが額をアリスの額に寄せた。
直接、彼女の意識がわあん、とアリスの中に響いた。
(このクマがお前だと気付き、愛された時、魔法は解ける。触れられるたびに、お前はお前の身体を取り戻す。それまではお前は動けないし口もきけない。自分がアリスだと、奴には言えないよ)
さあ、楽しみだな、アリス。
(こんなゲーム最悪よ!)
泣きそうな気持ちでアリスはビバルディに叫んだ。
(ブラッドが縫いぐるみなんか大事にするわけないでしょう!?)
悲痛なアリスの叫びに、吹き出し、ビバルディは仏頂面で姉と白クマを見下ろすブラッドを見た。
「お前に貰われても、大事にされないから嫌だと申しておる」
「当然だ」
にべもなく言い捨てるブラッドに、アリスは絶望的なものを感じた。
彼の元に贈られてくる贈り物がどうなっているのか、考えただけで寒気がした。
最悪、この屋敷の門番の玩具にされるのではないだろうか。
(ビバルディっ!こんなゲーム嫌よ!!)
必死に訴えるが、額が離れてしまって、アリスの主張は届かない。
「まあ、そう言うな」
くすくす笑いながら、ビバルディは抱きあげていた白クマのアリスをブラッドの手に押し付けた。
(あっ)
ふわり、と腰に回ったブラッドの手にぞくりと肌が粟立った。閨で抱きしめられているのと、同等の感触。そのまま小脇に抱えられるものだから、両手足が心もとなく、全身をさらけ出しているような羞恥がアリスを襲った。
(こ、こんな恰好っ・・・・・!!)
真っ赤になって焦るが、自分の手足を動かす事も出来ない。視線も下を向いてしまってどういう状況にあるのか確認できない。
「アリスがクマを愛していると言うのなら、お前もそれを愛して苛めてやるがいい」
「・・・・・・・・・・私にはそんな趣味は無いんだがな」
何を言っても聞かない、この姉にブラッドは勝てた試しが無い。溜息をつくと無造作にアリスを抱き直した。
(!?)
脇に手を入れて持ち上げないでほしい。くすぐった過ぎる。
変な熱ばかりが体中を渦巻き、なのに出口が無い。身を捩る事も逃れることもできず、アリスは震えて耐えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
じっと、オーロラの碧が自分に注がれていて、アリスは精一杯視線だけは逸らした。
「・・・・・姉貴」
「何じゃ」
何かを探るような、碧の瞳が、アリスの全身に注がれた。
「これは・・・・・本当に縫いぐるみか?」
(!?)
はっと身をこわばらせ、アリスはブラッドを見た。ブラッドは何か違和感を感じているような、微妙なものでも見るような眼差しでアリスを見ている。
「そうじゃ。わらわのお気に入りだ」
言い切るビバルディに、アリスは眉を吊り上げた。
もうちょっと・・・・・ヒントになるような事を言っても良いではないか。
「・・・・・・・・・・そうか」
すり、とブラッドの親指がアリスの毛並み・・・・・なのだが、肌を撫でて、彼女は悲鳴を上げる。
そんなところを、そんな風に無造作に撫でないでほしい。身が持たない。
「まあいい。遠慮なく受け取っておくこととしよう」
最終的には、なんだか投げやりに言われて、そのまま椅子に戻される。アリスとビバルディの向かいに腰を下ろしたブラッドが紅茶を淹れて、他愛のない姉弟のやりとりが始まる。その間、アリスはなんとかして、ブラッドに気付いてもらおうとするのだが、触れられても居ない現状では、何もすることが出来なかったのだった。
(きゃうっ)
ぼん、とベッドに放り出されて、ころん、とアリスは上掛けの上を転がった。枕に当たって身体が止まるが、生憎アリスはブラッドに背を向ける結果になった。
これでは彼が何をしているのか知ることが出来ない。
ブラッドが微妙に不機嫌なのは判った。
屋敷に戻ってきて、アリスの所在を尋ねる彼に、メイドは出かけたきり戻って無いと困惑気味に答えたのだ。
それはそうだろう。
その時アリスは、ブラッドに抱えられてそこに居たのだから。
アリスが別の場所に一人で出かけるのを、ブラッドは好ましく思っていない。
別の領土に行くのなら自分を誘えと何度も言われたし、そうしてきていた。
だから、余計にブラッドの機嫌が悪いのだろう。
紙を捲るような微かな音が部屋に響き、彼のお気に入りの椅子が軋む音を確認する。
放り出されたアリスに、当然のごとくブラッドは無関心だ。
(まあ・・・・・縫いぐるみに興味津々のマフィアのボスなんて、あり得ないけどね・・・・・)
珍しいものでもない、興味すら惹かない、問題外の存在に自分が成り下がっているのだと気付き、アリスは泣きたくなった。この状況で、どうやってブラッドにアリスだと気付いてもらえと言うのだ。
(それとも、問答無用でメイドに手渡されなかっただけ良かったのかしら・・・・・)
屋敷に戻り、メイドを呼びとめたブラッドに一番最初に考えたのがそれだ。
このまま、処分されてしまうのではないかと言う。
だが、そんなアリスの予想に反して、彼女はベッドの上に居る。放り投げられて、転がされているとはいえ、彼の寝室に居るのだ。
(それなりに気に入ってくれたってこと・・・・・なのかしら?)
どんな表情で、何をしているのか、せめて確認したい。一生懸命、アリスが寝返りを打とうとしていると、不意にノックの音が響き、返事を待たずにドアが開いた。
「ブラッド!この間の報告書なんだけどさ」
「エリオット・・・・・ノックの意味が無いぞ」
やや呆れたようなブラッドの声と、唐突に報告を始める部下の声。「あ、すまねぇ」と、エリオットのしょんぼりした声がして、アリスは彼の耳がうなだれているのを見もしないのに理解した。
「やり直す必要はない。次から気をつけろ」
「あ?ああ・・・・・」
どうやらもう一度部屋から出て行ってやりなおそうとしたらしい。
意味の無い行為だなぁ、とどこか遠いところで考えるアリスに、やっぱりというか、当然と言うかエリオットは気付かない。
そのまま、アリスが聞いていいのかどうか、判断のつかない仕事の話をし始める。
暗殺部隊が・・・・・首領の首が・・・・・爆破規模を間違えて・・・・・肉片が・・・・・
嫌になってアリスは己の意識を遮断する。脳裏で流行りの歌を歌いながら、彼女は必死に寝返りを打とうと再び頑張った。
「ま、そんなわけでよ。追加でこれ持って来たんだ」
「ああ、済まなかったな。手間をとらせた」
「別に良いって。俺は、ブラッドの為ならなんだって・・・・・」
胸を張るエリオットが不意に、ブラッドの部屋に違和感を感じたのかくりっと首を動かした。
「なんだ、ありゃ」
声に剣呑な物が含まれる。
ブラッドの周囲に有るもので、違和感を感じる物は放置しておけない。
2の鑑とも言えるエリオットは、目ざとく、ベッドの上に転がっている白クマのアリスに気付いた。
「ああ、お嬢さんのクマと対の物らしくてな」
部下の視線の先に気付いて、いくらか苦々しげにブラッドが答えた。
「二つで一つだから持っておけとおせっかいな連中に貰ってな」
「ブラッドにんなもん寄こした奴ってのは、身元は確かなのか?」
「ああ、問題無い」
「二つで一つ?」
首をかしげながら、エリオットがブラッドのベッドに大股で近寄り、ひょいっとアリスを抱き上げた。
(!?!?!?!?)
大きくて乾いた手が、己の肌に触れている。アリスは真っ赤になると同時に必死でもがいた。
こんな、脇の下というか、脇腹辺り、なんて微妙な部分に、しかも素肌で触れられたのはブラッド以外に居ない。
他の男性なんて、トンデモナイ。
(いやああっ!止めて止めて、エリオットっ!!!)
「確かに、アリスの持ってたのと似てるなあ」
エリオットはアリスに顔を寄せる。ぎゅっとアリスは目を閉じた。閉じると感触が敏感になり、余計にエリオットの手を感じざるを得ない。
ブラッドのよりも大きくて、ごつごつしていて、乾いている。
働く者の手、というか。
ブラッドのしなやかで長い指とは似ていない。
(お、降ろしてっ!降ろしっててばエリオットっ!!)
「こいつ、女か?」
くりっとエリオットの首を動いてブラッドを見る。エリオットの報告書に目を通していたブラッドは、腹心の声に顔を上げた。
「ああ。お嬢さんの方が、多分『彼』だからな。それは『彼女』だろう」
「ふーん。」
数度目を瞬き、何を思ったのか、エリオットがアリスの首筋に顔を寄せた。
(きゃあああああああああ)
絶叫を上げるが、届かない。エリオットはアリスの首筋に顔を埋めると、ふんふんと香りをかぎだした。
「なんかコイツ・・・・・良いにおいがする・・・・・」
「は?」
ふんふんしながら、ギュッと白クマアリスを抱きしめるエリオットに、ブラッドが眉を寄せた。
抱きしめられたアリスは憤死寸前だ。
(止めてってエリオット!!!ブラッドが居るのよっ!!!お願い止めてえっ!!!)
完全に間男している所を目撃された女のような気分だ。もしくは、彼が居るのに見えない所でイケナイ事をしているような、そんな気分。でも、アリスには拒絶出来ないのだ。
甘んじて受けとめるしかない。
エリオットの唇や鼻先を肌に感じて、震える。
(ブラッドっ・・・・・)
「なんか・・・・・肌触りも」
(いやああんっ)
エリオットの掌が、無遠慮に身体を撫で、足の付け根辺りを撫でるのに、アリスは甘い悲鳴を上げた。
(駄目っ!駄目だったら、エリオットっっっ!!)
「すっげー柔らかくて・・・・・暖かい・・・・・」
口付けられそうなほど、間近で見つめ合う結果になり、アリスは青ざめる。
(ブラッドってばっ!!)
「―――エリオット」
必死の叫びが功を奏したのか知らないが、エリオットの手から、ブラッドはアリスを取りかえした。
「大の男が気持ち悪いぞ」
「え?」
アリスを奪い取られて、はっとエリオットが我に返った。微妙なブラッドの眼差しを前に、彼は「そうか?」ときょとんとしたものだ。
抱きしめる、というより抱えあげられて、アリスはほっとした。ブラッドに触れられるのは慣れない。慣れないが、彼の目の前で他の男に素肌を触られるのはもっと慣れない・・・・・というか、怖い。
(ブラッド・・・・・)
泣きそうな想いで男を見やれば、ブラッドは溜息をついた。
「そうだ。私は縫いぐるみを抱きしめるマフィアの2なんていうものは見たくない」
ガタイだけは良い、体育会系の怖いお兄さんが縫いぐるみを抱きしめてほわわんとし、あまつさえ口づけようとしていたのは確かに気持ち悪いだろう。
しかも顔を埋めてふんふんしているなんて。
「けどよ・・・・・なんか、その縫いぐるみ、良い匂いがして・・・・・こう、柔らかくて気持ちいいんだよなぁ」
うっとりしたような眼差しで見詰められて、アリスはどっと汗をかく。
どういう意味だ。どういう意味だっ!?
「・・・・・・・・・・・・・・・」
その台詞に、アリスを持ち上げていただけのブラッドが、耳をひょこひょこさせるエリオットを見て、興味がわいたようだ。
すいっとアリスを抱き直してそっと首筋に顔を埋める。
(あんっ)
ブラッドの唇が、肌を掠める。目一杯深呼吸をされた気がして、彼女は震えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
微かにブラッドが目を見張り、はっとしてアリスから顔を離した。いぶかしむ様な眼差しがアリスを捉える。
「な、良い匂いするだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「しかも、ぎゅーってすると、こう、やーらかくてさぁ・・・・・撫でまわしたくなるような」
(!!!!!)
撫でまわされたくない、撫でまわされたくない、想像したくないっ!
ふるふると震えるアリスを、しげしげと眺めた後、ブラッドは酷く考え込んだように彼女から視線を逸らした。
「なあ、ブラッド。そいつ、要らないんなら俺にくれないか?」
(!?!?!?!?)
いたく、アリスの事を気に入ったエリオットの言に、彼女は顔面蒼白になった。別にエリオットが嫌いなわけではない。むしろ好きな方だ。友達としてならもちろん大好き。上司としても尊敬に値する仕事っぷりだし、その耳は可愛らしくて好きだ。
だが、それとこれとは話は別だ。
アリスが自分に触れても良いと願うのは、たった一人だ。
それ以外は、昔の自分の恋人を含めて許せそうにない。
「それは無理な相談だな」
「えー・・・・・なんでだよ・・・・・」
そんなアリスの心中に気付いたのか、ブラッドがそっけなく答えた。しょぼんと垂れるウサギ耳を一瞥し、ブラッドは「私は酷く重要な事を見誤っていたようだ」とぽつりと漏らした。
「あん?」
「いや、何でもない。・・・・・エリオット」
アリスを扱う手から、無造作な感じが抜けて、愛しそうに抱きあげられる。触れている場所が触れている場所なだけに、彼女は身をこわばらせるしか出来ない。
(ビバルディの馬鹿っ・・・・・)
羞恥と悔しさに涙をにじませながら、アリスは胸中で罵った。
「このぬいぐるみの事は忘れろ」
「えええ!?なんでだよ」
くれないのなら、たまにで良いから抱き締めさせてほしい、と申し出掛っていたエリオットは、耳をへにゃっとさせたまま眉間にしわを寄せている。
「命令だ。それとも、私に逆らってでも、このぬいぐるみが欲しいか?」
「まさか!そこまでは思ってないって」
慌てて手を振るエリオットに、アリスはやっぱりエリオットの中ではブラッドが一番なのだと、ほっとしたような気持ちで考える。
自分がブラッドに抱く想いとそれは違うのかもしれないが、何よりもブラッドが一番の彼が、やっぱりアリスは安心する。
「なら、これの事は忘れるんだな」
そっと、アリスをベッドに降ろして、ブラッドはさっさと机に戻ってしまう。今度はちゃんと座らされたので二人の様子が良く見える。
何やら打ち合わせを済ませ、次の仕事の指示を与える。
余り間近にブラッドが仕事をしている姿を見た事が無いアリスは、ぼうっとしながら彼の事を見つめ続けた。
やがて、新しい書類を受け取り、細かな指示を貰ったあと、エリオットは部屋から出て行く。ぱたん、と閉まるドアを見詰めていると、不意に、視界いっぱいにブラッドが映り、アリスの心臓が跳ね上がった。
「さて・・・・・クマのお嬢さん。」
つ、と手が伸びて顎のあたりを撫でられる。じわり、と身体の中心から熱があふれて、アリスの身体が震えた。そのまま、形を確かめるように、ブラッドの長く、しなやかな指先が滑って行った。
「どうも君を触っていると、この真っ白な毛並みの他に、違う感触が混じる気がするのだが・・・・・どういうことなんだろうなぁ?」
(それは、そのクマが私で、何一つ身に付けて無いからよっ)
ちりちりと与えられる熱に、身体が侵されていく。なのに、それを受け流す事も止めてと制止する事も出来ないアリスは、目に涙をためたまま震えるしか出来ない。
「それに加えて・・・・・」
(っ!?)
きし、とベッドが鳴り、ころ、とアリスがベッドに転がる。胸元に顔を埋められてアリスは真っ赤になった。
(クマのぬいぐるみなのにっ・・・・・お、押し倒されてる気がするっ・・・・・!!)
「この香り・・・・・」
する、と彼の指先が腹の辺りを撫で、ブラッドの眉間にしわが寄る。
「この香りを、私はよく知っている」
背中に回った手が、柔らかく彼女を撫で、溜まっていく熱が、逃れるすべを求めて体中で渦を巻く。
「これは・・・・・」
ただ焦らされるような愛撫に、耐えられそうもなく、泣きそうな気持ちで、アリスは手を上げた。
(お願いっ!それ以上触らないでっ!!)
ぽふ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
(・・・・・・・・・・・・・・・)
ちまい、アリスの手が、何かに触れた。垂直に持ちあがった彼女のもこもこの手が、ブラッドの胸を押した。短いから、掠めるくらいの感じだが、
(う)
「動いた・・・・・な」
そうだ。愛されれば、触れられれば、元に戻るとビバルディは言っていた。
はっと思い当り、アリスはじっと自分を見下ろすブラッドに必死の視線を送る。
これ以上触られたら、気が狂いそうになる。
でも、触ってもらわない限り、元に戻れない。
(お願いブラッド!私に触ってっ!)
通常では絶対に口を突いて出ないであろう、強請っているような台詞はしかし、残念ながら声にならない。
だが、何かをいぶかしみ、何かに気付き掛けているブラッドは身体を離して、ベッドに沈んでいるアリスをじいっと見詰めた。
「・・・・・・・・・・」
長い長い間、考え込んだ後、ブラッドは溜息をついた。
「傲慢な身内の言いなりになるのは悔しいが・・・・・どうも気になるな」
呟き、ブラッドはアリスの頬に掌を押し当てた。
「あまり、こういうのは好きじゃないのだが、仕方ない」
倒錯した趣味のようだと文句を言いながらも、ブラッドはそっと目を閉じた。
(ブラッド・・・・・)
気付いて、とアリスも目を閉じた。
視界から、余計な物を追い出すと、身体に伝わる感触がより、鮮明になる。試しに白クマの首に顔を埋めたブラッドは、細い喉の感触を感じてびくりとした。
(やはり・・・・・)
頬を擦り寄せ、香りを吸い込むと、温かなそこが震えるのを感じた。恥じらうように身を捩るのが判る。
眼を閉じたまま、唇を寄せて吸いつくと、白クマのもふもふした毛並みの感触はまるでなく、なめらかで肌理の細かな肌が吸いついてきた。
舌先で撫でる。声は聞こえないが、びくりと肌が震えるのが判った。
(間違いない・・・・・)
そっと目を開けると、そこにはアリスに贈ったのと同じくらいの大きさの白クマの縫いぐるみがある。
「人に見せられた姿じゃないな」
今の自分の仕草が、全部このクマのぬいぐるみに落とされていたのだ。
考えると、どうにも格好がつかない。
溜息交じりに渋面で呟き、こんな事態に落としこんだ姉の姿に舌打ちをする。
「アリス」
名前を呼べば、白クマは確かに反応したようだ。ぱたぱた、と彼女の両手足が上下に動いた。
それ以外は動けないようだ。
くすっと笑みを漏らして、ブラッドは彼女の額に、自分の額を押し当てた。
(ブラッドっ)
わあん、とブラッドの中に、アリスの声が響き渡り、そして、その声が余りに必死だったので、男は思わず噴き出した。
(どういう遊びだ、お嬢さん)
(ビバルディの所為よ!私がっ)
貴方の愛情に不安を覚えたから、という台詞を、アリスは必死に飲み込んだ。だが、現在、ナイトメアに相対するように心中がただ漏れの状態なのだから、ほとんど意味が無い。
ブラッドが顔をしかめた。
(お嬢さん。君は私の気持ちを疑っているのか?)
(そうじゃないわ!)
(・・・・・同時に『そうよ』という言葉も聞こえるんだがね)
呆れたような物言いに、アリスは泣きたくなる。これ以上中を読まれたくない、とアリスは必死に彼から離れようとするが、男はこの状況が気に入っているのか離そうとしない。
(ナルホド・・・・・飽きられて捨てられるかもしれないと思っているのだな?そんなわけないだろう。ああ、余所者だから気に入っているくせに、か。それはきっかけにしか過ぎないよ、アリス。)
今では私は、君自身が気に入っていて、手放せそうにない。
隠そうとする傍から読み取られて、アリスは真っ赤になった。先回りして与えられる答えが、甘いものばかりで混乱する。
勘違いしそうになる。
(ただの暇つぶしのくせに)
(ただの遊び相手を教会には連れて行かないよ、アリス)
(・・・・・・・・・・)
(やれやれ、信用が無いな)
嘘よ嘘!私なんかに本気になる理由が判らないわ!
必死に隠そうとしているアリスの本心に、ブラッドが眉間にしわを寄せて、溜息をもらした。
(大体・・・・・私のばかり読む癖に、貴方のはちっとも見えないわ)
(ああ。読みにくくしているからな)
(・・・・・・・・・・・・・・・)
ずるいわ、と頬を膨らませるアリスに、ブラッドは小さく哂う。
(なら少しだけ・・・・・)
意地の悪い顔で言われ、なだれ込んできたブラッドの思考に、アリスは真っ赤になって悲鳴を上げた。
(止めて止めて!そんなの隠してっ!!!)
(どうして?これから君を抱く手順だが?)
ああ、こういうのも君は好きだったな?
(そんなの良いからっ!!!!!)
(我儘なお嬢さんだな)
くすくす笑いながら、ブラッドは思考を遮断し、真っ赤になって喰ってかかるアリスの、支離滅裂な思考に目元を和ませる。
(焦ってるな)
(当然でしょう!?)
ちらりと混じっていた、緊縛とか目隠しとか妖しげな『手順』に焦らざるを得ない。
(何考えてるのよ、この××!)
(罵っても、これほど効力の無いのは珍しいな)
(××××!大っ嫌い!!勝手に読まないで!!)
(ああ、本心じゃないんだものなぁ)
(もーっ!!!)
どれだけ罵っても、アリスは隠せない。ブラッドのように器用に思考を遮断なんて出来ないのだ。
恥ずかしくて、強がる台詞が漏れるのと同じくらいの勢いで、愛している、好きなの、優しくして、酷くしないで、と甘ったるい感情がブラッドになだれ込んでいる。
それが可愛くて、ブラッドは溜まらないのだ。
(愛してるよ)
ふわり、と流れたブラッドの台詞に、アリスは硬直する。じわり、と感じた喜びは、恐らくダイレクトにブラッドに伝わったのだろう。
(・・・・・君の表情が観れないのが残念だ)
(え)
そっと額が離れて、アリスは目の前にいる男を見詰めた。アリスにはブラッドを見る事が出来るが、今、ブラッドが見下ろしているのは白クマだ。
酷く優しい顔をしているブラッドに、きゅっと心臓が締め付けられる。
「君に会いたいな、アリス」
だが、目蓋を閉じないと、君の感触を感じられない。
「君ばかり、私の姿を見て、ずるくないか?」
囁くようにそう言って、ブラッドは目を閉じると、そっとアリスの口元に指を滑らせ、形を確かめてから酷く柔らかく口付けを落とした。
ついばむだけのそれが、徐々に深くなる。
掌が、アリスの腰のあたりを撫で、震える彼女の、口腔に舌を差しこむ。答えようとする彼女の舌にそれを絡めて、時間を掛けて、口付ける。
細い腕が持ち上がり、首筋に絡まるのをブラッドは感じた。抱き寄せる女は、恐らく目を開ければ、ただのクマに戻ってしまうのだろう。
「目蓋を閉じたままと言うのも、面倒なものだ」
何かの拍子に、目を開けてしまえば、元に戻ってしまう気がしている。このまま、目を閉じて最後までいけばいいのだろう。
「どうせ、目隠しでするのなら、君にしたかったな」
(馬鹿っ)
そっと目を開けて、アリスは自分に触れる男を見詰めた。碧の瞳が見えないだけで、微かに不安になる。
射すくめるような、威圧するような、そのくせ、請うような色を湛える彼の瞳が好きだ。
(私も相当毒されているわ・・・・・)
徐々にだが、身体が動かせる。触れてくる手から、逃れるように身をよじれば、捕まえられる。
(ブラッド・・・・・)
長い指先に、やわやわと形を確かめるように両方の柔らかな塊を触られて、アリスが声を飲む。
(んっ)
嬌声は聞こえない。震えしか、ブラッドの手には伝わらないのだ。舌先で先端を転がされて、甘ったるい声が、アリスの口から漏れた。
(あっあっ・・・・・)
聞こえない。
聞かれる事は無い。
そんな認識が、アリスの中のほんのちょっとの箍を外してしまう。
(んっ・・・・・ブラッドっ・・・・・)
好き・・・・・よ・・・・・
零れた言葉を裏付けるように、ずく、と身体の中心が熱くなる。蕩かすような彼の触り方に、身体が弛緩して行った。
「アリス」
耳元に声が吹きこまれ、ぞっと背中が震えた。舌先が耳を撫でて行き、下から掬いあげられた両胸を捏ねまわされる。たまに、先端をつままれて、弄られるたびに、下半身に熱が溜まりに溜まるのが判った。じわりじわりと中心に熱が宿り、我慢できず、アリスのつま先がシーツを蹴った。
「欲しいか?」
艶めかしく動いた足に気付いた男が、するすると肌を撫でる手を、太ももに滑らせた。柔らかく撫でるそれに、アリスが喘いだ。
(欲しいわ・・・・・)
「・・・・・・・・・・」
足を閉じて、膝を立てているアリスの膝がしらに、ブラッドは手を置く。ふる、と彼女の身体が震えた。
それを割り開くことなく、男の手が、ゆっくりゆっくり落ちて行き、足の付け根を撫で上げる。
(ひゃっ)
「自分で開け」
甘い声が命令する。
「欲しいんだろう?」
くすくす笑うブラッドが、太ももの裏側を撫でている。たまに思い出したように、濡れたそこに指をやるのだが、到底我慢できない。
(欲しい・・・・・)
泣きそうな声でアリスが零す。
「さあ、アリス?」
自分から強請ってみろ。
ブラッドには声は聞こえない。行動で示さなくては伝わらない。嬌声もなにも聴こえていないのだと思い立ち、アリスはそっと目を開けて、ブラッドが目を閉じたままなのを確認すると、そろそろと足を開いていった。
「そう・・・・・素直だな」
くすくす笑われて、アリスはふいっと顔をそむけた。
(イヂワル言わないで)
「今日は、身体も素直じゃないか」
(あっ)
ブラッドが溶かさなくとも、そこは濡れて、指を押し込むと簡単に飲み込む。くちゅくちゅと水音がして、アリスは身をよじった。
(あんっ・・・・・んっ・・・・・あ)
二本、指を飲み込んだそこを、何度も行き来させられる。零れ、あふれる透明な体液を掬いあげ、一番敏感な花芽を押され、擦られる。勝手に腰が動き、アリスは手を伸ばして、シーツを握りしめた。
「・・・・・・・・・・」
(んっ・・・・・んっんっ)
指で中をかき回される。く、と指を折り曲げて撫でられた部分に、ふわりとアリスの腰が浮いた。
(あっ・・・・・駄目っ、そこっ)
「ここ、だったな?」
くすくす笑いながら言われて、アリスは真っ赤になった。
(あんっ・・・・・だって・・・・・そこっ・・・・・駄目ぇ)
気持ちい・・・・・
掠れた声が囁く。
気持ち良すぎて・・・・・変にっ・・・・・
顔を逸らし、枕に顔を埋めようとするアリスの中心を弄びながら、ブラッドはどろどろに溶けていく身体を掌で感じる。
触れるそこかしこが熱い。細く柔らかくしなやかな体は、掌に吸いつき、身体になじむ。脚の間に身体を入れて、ブラッドは腹から胸元、喉へと唇を這わせていった。
(あっ・・・・・んんっ・・・・・あんんっ)
切れ切れの声が漏れる。快楽を追い求めるように、徐々にアリスの脚が開いていき、飲み込んだ指をもっとと締めあげる。
「アリス」
耳元で、非常に甘い声で囁かれて、アリスの腰がはねた。
(あっ――――んっ)
急激に高ぶった熱が、アリスの身体を震わせる。瞑った目蓋に涙が滲み、緊張につま先が震える。
びくん、とこわばる彼女の身体に緩く哂うと、ブラッドはそっと指先を抜いた。そのまま掌で包み込めば、触れる感触に、身体が高ぶっているアリスが震えた。
(ひゃんっ)
「まだ、欲しそうだな」
低い声が、意地悪く囁く。アリスの膝の裏に手を差し入れて押し上げ、ブラッドは濡れて、溶けて、熱くなって震えるそこに、自分の熱の塊を押しつけた。
っあ。
くぷ、と濡れた、どこか卑猥な音がして、アリスは耳まで赤くなる。欲しい、と腰が動くのが判った。もっともっと。深いところまで貴方が欲しい。
「アリス・・・・・」
んあああああっ
ず、と身体の奥の奥まで押し込まれる感触に、腰から背中、脳裏に掛けて衝撃が走っていく。
あああああっ
喉を逸らし、声が漏れるアリスに、「挿入ただけでイってしまうとは」と可笑しそうなブラッドの声が聞こえた。
「随分と、感じているようだな」
く、と喉の奥で嗤われて、アリスは羞恥に涙をにじませながら目を開いた。
(え)
そこには、碧の瞳が自分を見下ろしていて、アリスは息を飲む。一瞬、自分の身体が繋がっている事を忘れて、唖然として見上げてしまった。
「ブラッド・・・・・」
普通に声が出て、アリスははっとした。
「真っ白な、お嬢さん。君を穢して良いのは私だけだ」
「ひゃっ」
どこかゆっくりだった挿入は途端に激しくなり、奥まで貫かれて、アリスの喉が意思に反して声を上げる。
「ああっ・・・・・あんっ」
ぎり、とシーツを掴む己の手を見て、アリスは自分の指先を確認した。
白く、もふもふしたものではなくて、いつもの、アリスの手。その手を、そっと外されて、ブラッドの掌が包み込む。
「ああ、やっぱりいい顔をしているな」
「っ」
かあ、と真っ赤になる彼女の目元に口付けて、ブラッドはにたりと笑った。
「動くぞ」
「ちょ」
「駄目だ、待たない」
「ひゃっ」
あっあっああんっ・・・・・んっんぅ・・・・・
嫌々と首を振る彼女を、可愛いものを見詰めるように、ブラッドが意地の悪い眼差しで見遣る。
「可愛いな、アリス」
「っ」
「可愛い・・・・・」
「どこ・・・・・がっ」
揺さぶられ、身体の中を貫かれる。息が出来ない。こみ上げる何かを必死に飲み下し、もっと、とだらしなく求めそうになる腰を出来ないと知りながら制御しようとする。
だが、叶わない。
いつだって、翻弄されるのはアリスなのだ。
「やめっ・・・・・駄目だったら、ブラッドっ」
そんなにされたら、壊れてしまう。
ただ穿たれるのではなく、角度を変えて、速度を変えて、動きすら変えて、体中の熱が腰から脳裏へと出口を求めてさまよい、アリスは堕ちそうな感触に思わずブラッドの手を握り返した。
思考が溶ける。
「やめっ・・・・・やあ」
悲鳴のような嬌声が懇願するが、ブラッドは取り合わず、しなやかに反る、細く白い首に唇を落とした。
「あん」
「何故?素直になれば楽だぞ?」
手が伸びて、腰を引き寄せられ、逃げようとしていたアリスはより一層ブラッドに密着して喉から声が迸った。
「さあ、アリス?」
君は何が不満だ?
卑猥な音が響き、アリスは羞恥に頬を染める。身体は正直だ。正直すぎて大いに困る。ブラッドを感じて、もっとと腰はうごめくし、握る手は男の掌を離せそうにない。
押さえ込まれている事を嬉しいと思っている。
「貴方がっ・・・・・」
「私が?」
口惜しい。
余裕なのも口惜しい。
「貴方がっ・・・・・私に夢中じゃないのがっ・・・・不満よっ」
切れ切れの声で、やっとの思いで告げる。彼女を追い詰めていたブラッドは、頬を零れる彼女の涙を見て、目を見開いた。
「・・・・・・・・・・夢中じゃないと思うのか?」
ややしばらくの後、掠れた声がアリスの耳を打った。ひそやかな声だ。
自棄になって、アリスは言う。この際だ、何でも言ってしまえ。
「そうよ!私ばっかりが、貴方を好きでっ・・・・・気まぐれにっ抱かれてっ!何一つ貴方は言ってくれないわ!」
「・・・・・・・・・・何を?」
「私が欲しい言葉よ!」
身体を繋ぎながら言う台詞ではないだろう。けれど、アリスだって甘い言葉くらい欲しいのだ。
何度でも何度でも、言われたい。
そうじゃないと、ひねくれ者の自分は納得しないから。
愛されている、と。
「言ってくれないとっ・・・・・また、クマになってやるんだから!」
ほとんど無意識に漏れたアリスの言葉は、ビバルディの力と何かが作用して、アリスのルールになる。
ぎょっと目を見張ったブラッドは「それは困る」と焦って告げた。
「んっ」
動きは止まらない。競り上がってくる快楽。口をふさがれて、アリスは絡まる舌に思考を奪われる。
「ブラッド・・・・・」
合間に囁くアリスの、泣きそうな声に、男は甘すぎる視線をやった。
「クマになどならないでくれ・・・・・あれはあれで可愛かったが、私は君の顔が見たい」
その表情が好きだ。くるくると変わって、つい、からかって遊びたくなる。
困った顔も、怒った顔も、恥ずかしそうな顔も、憂える顔も。
「っ」
「君の全てが私を狂わせる。知りたいと言うのなら、教えてやろう」
「――――っ」
高く腰を持ち上げられて、アリスの身体がこわばった。限界まで上り詰めかかっていた身体に、それは衝撃となる。
「ひゃあああん」
喉が枯れる。それでも、声は止まらない。
「いやっ・・・・・駄目ぇっ・・・・・そんなの駄目っ」
「アリス・・・・・」
酷いわ酷いわ。やっぱりそうなのね。私は貴方の玩具でしかないと、そういう・・・・・
上り詰めて行く意識の端で、アリスは涙の滲んだ眼差しでブラッドを見上げた。
「愛してる」
「っあ・・・・・ああああっ」
真っ白に引き上げられた意識が、遠のく瞬間、アリスは切羽詰まったブラッドの眼差しを見て、堕ちる自分を感じた。
卑怯だわ。
反則。
「愛してるんだ」
耳元で言われた甘すぎる声音に、アリスは意識を手放しながら、喚いた。
(私の方が、愛してるんだから・・・・・っ)
「君が変なルールを作ろうとするから、肝を冷やした」
「貴方が悪いんじゃない」
ほうっと目を開けたアリスを、ブラッドが覗きこんでいた。やや焦ったような男の眼差しに目を瞬き、そっと手を伸ばしたアリスは、自分の手がちゃんと人間のそれなのに、ほうっと息をついた。
その手を、ブラッドが握りしめる。感触を確かめるように撫でられて、アリスは自分を抱きしめる男に溜息をついた。
「それで?クマじゃないということは・・・・・私の愛情をちゃんと理解してくれたと解釈してもいいのかな?」
「・・・・・どの辺が愛情だったのか知りたいわ」
不機嫌に答える。実際、自分のやりたいように・・・・・ブラッドに翻弄されただけの気がしないでもない。
それが愛情だと言われると、頭が痛くなってくる。
「でも君は納得したのだろう?」
くすり、と小さく笑うブラッドからは、もうすでに余裕の気配を感じる。
こういうのが嫌なのだ。
口惜しい。
「してないわ」
「でも、クマじゃない」
「・・・・・・・・・・」
睨みつけると、微かに困ったようにブラッドが眉を寄せて、そっとアリスをその腕に抱きこんだ。
「何が不満だ、お嬢さん。姉貴になど言わずに私に言えば良いだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だんまりか?言わなければ判らないぞ?」
随分と、気の長い台詞だと、この時初めてアリスは気付いた。不満そうにしていればしているだけ、ブラッドは取り合わず、機嫌など取らず、捨て置くか、無理やりするかの二択しかなかった気がする。
「よっぽど・・・・・クマが嫌だったの?」
思わずそっと尋ねると、言葉に詰まったブラッドがそっぽを向いた。
「縫いぐるみの脚を持ち上げて『欲しいんだろう?』なんて言ってる姿を考えると、金輪際、そんな真似をしたくなくなる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
思わず噴き出すと、「笑い事じゃない」とブラッドは苦々しげにアリスを見た。
「誰も、そんな姿見ないわよ」
「そういう問題じゃない。男のプライドの問題だ」
それに、私は人形しか相手にしてくれないような男じゃないぞ。
論点がずれている。
「そう。おモテになるんですねぇ。ボスは」
ふいっと視線を逸らして告げると、「ああそうだ」と真顔で男が切り返した。そのまま、アリスの顎に手を掛ける。
「女など腐るほど居る。だが、クマでも良いと思ったのは君だけだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「元に戻らなくても。感触が君ならなんでもいい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
唖然とするアリスを、ブラッドは見下ろし、こほんと咳払いをした。
「だが、出来れば君の姿のままが良いな。手で触るだけ、声も聞こえないと言うのは骨が折れる」
想像力を試されているようで、おもしろくない。
「・・・・・・・・・・相当、嫌だったのね」
「嫌じゃない。ただ、はたから見たら滑稽過ぎて、我慢ならないと言うんだ」
「・・・・・だから誰も見て無いわよ」
「だからプライドの問題だと言っただろう」
苛々が言葉の端に滲みだし、これ以上何か不毛な言い合いを続けるのは得策ではないと、アリスは判断した。
「本当に・・・・・私なら何でもいいの?」
きゅ、とブラッドのシャツを握りしめて、顔を俯けて尋ねると、男はさらっとアリスの髪に指を滑らせた。
「ああ。それに気付いただけでも、今回の出来事は拾いものだったと言う事だな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
では、私の何が気に入っているのだろうか。
姿かたちでもない。
何が、ブラッドの琴線に触れているのだろうか。
「私って・・・・・何?」
掠れた声で尋ねると、ブラッドがふっと小さく笑った。
「君は君だろう?他の何だっていうんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おかしなことを聞くな」
くすりと小さく笑ってブラッドは愛しそうに、抱きしめたアリスに触れる。柔らかく、感触を確かめるように撫でながら、ブラッドはアリスに口付けた。
「何になろうと、君は何にもならない。同時に、君の代わりは存在しない」
「・・・・・・・・・・それは貴方もだわ」
「・・・・・・・・・・なら、判るんじゃないのか?」
吐息を奪われ、ブラッドに縋りつく。こみ上げるのは、「卑怯だわ」という台詞。
この世界にはおかしな関係があふれている。
「役」に縛られて、「ルール」に従って争う関係。
ルールにのっとって、結ばれた関係。
そのどれも、アリスには理解できなかったりする。そんな中でも、アリスに判りやすい関係もある。
信頼とか友情とか家族とか。
愛情、とか。
これがそうなんだろうか。こんなのが、アリスとブラッドを繋ぐものなのだろうか。
「君が好きだ。」
「・・・・・・・・・・」
「愛してるよ、アリス」
これで判っただろう?
「判らない」
答えて、アリスはブラッドに精一杯甘えて見せた。
「もっと言ってくれなくちゃ、クマになるわ」
それに、ブラッドは可笑しそうに肩を震わせて笑った。
「あ?なんだ、これ」
「ん?」
追加された仕事をこなして、報告書と、戦利品の書類を持ってブラッドの部屋にやってきたエリオットは、ブラッドのベッドの上に置かれている白クマの縫いぐるみに眉間にしわを寄せた。
「ああ。前にも見ただろう。お嬢さんのクマと揃いの白クマだ」
気の無い様子で答えるブラッドに「へえ」とエリオットが目を丸くした。
「何だよ、ブラッド。縫いぐるみなんか集める趣味あったっけ?」
からからと笑うエリオットに、顔を上げたブラッドが怪訝そうに顔をしかめた。
「それはお嬢さんと対になる縫いぐるみが有るからと知り合いから贈られたんだが・・・・・というか、それを説明しなかったか、エリオット」
「どうかしたの?」
奥で紅茶を淹れていたアリスが、カップの乗った銀のお盆を持って二人の傍による。現在彼女はブラッドに言われて、彼の部屋で仕事をしている。
メイドの格好の彼女が首をかしげると、エリオットが「ブラッドが縫いぐるみ集めてるなんて知らなかったよ」と屈託なく笑った。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
思わず顔を見合わせる二人に気付かず、「っていうか、二人ともなんか、新婚さんみたいだなぁ。おそろいの縫いぐるみを自分の代わりに置いとくなんてさ」とアリスが憤死しそうな事をさらっと言う。
だが、それ以上に二人は薄気味悪いものでも見るような眼差しでエリオットを見詰めた。
「確かに私は縫いぐるみの説明をしたと思うんだが、お嬢さん」
「ええ・・・・・私、エリオットに持ち上げられたんだけど・・・・・」
エリオットが唐突に縫いぐるみが無くなっていたら、それはそれで警戒しそうだから、とわざわざアリスが街で似たような白クマの縫いぐるみを買ってきたのだが、エリオットは記憶を喪失したように、クマの事をしっかり忘れている。
「ん?」
それに、ふとブラッドが気付いた。
しっかり忘れている。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「そう言えば・・・・・」
ふと、アリスもあの時のやりとりを思い出して、ごくりと唾を飲み込んだ。
「貴方・・・・・エリオットに縫いぐるみの事忘れろって言わなかった?」
「・・・・・・・・・・言った、な」
「なんか、手触りいいなぁ、この縫いぐるみ」
ぼふぼふ、と白クマの頭を叩くエリオットに、二人は引きつった笑みを浮かべた。
まさか。
まさかまさか、このブラッドを信用してならない2殿は、ブラッドに言われたからと、記憶からクマの存在を抹消したとでもいうのだろうか。
それ以外に考えられない。
「凄いわね、エリオット」
ていうか、貴方への忠誠に、私、敵いそうもないわ。
つつーっとブラッドから距離を取るアリスの腰を抱いて、ブラッドは「アリス」と下からにっこりと笑みを見せた。
「私も、君からのおねだりならいくらでも記憶を消去して見せるが、それよりもまず、君に確認したい事が有るんだがいいだろうか」
にこにこにこにこ。
素晴らしく見惚れそうな良い笑顔なのに、何故か目が笑っていない。
「な・・・・・何?」
いけない。これ以上ここに居ては。そう思うのだが、腰を捉えたままの彼の腕が許してくれない。
ぐいっと引き寄せられて、アリスはブラッドの膝の上に身体を倒した。そのまま耳元で囁かれる。
「あの時・・・・・君はエリオットに、撫でまわされていなかったか?」
にたり、と笑う口元を見詰め、アリスは眩暈がした。凍りつくような不機嫌な空気が、ブラッドから漂っている。
「・・・・・・・・・・可愛くおねだりしたら、忘れてくれるのかしら?」
冷や汗を流しながら、恐る恐る尋ねると、ブラッドはちらりと部下に目をやり、逃げ出したくなるような凍れる笑みをアリスに向けた。
「可愛く、ベッドの中で、おねだりしてくれたら、な?」
どちらにしろ寝かせてもらえないと気付いたアリスは、もしかしたら、目が覚めたら自分はもう一度クマになっているかもしれない、と半ば本気で考えるのだった。
ぐだぐだに温い話でスイマセ(汗)