終章







 それから何時間帯かが過ぎた。

 その間中、アリスはベッドでブラッドに抱かれ、抱かれていないときはだるそうに本を読む彼の横で、同じように本を読んでいた。
 マフィアって暇なの、と一度訪ねた事が有る。その時ブラッドは「これも一種の仕事だよ」とはぐらかしたのか真実なのか微妙な返答をされていた。

 ただ、散々に愛し合って、重たい身体をゆっくり起こした時に、机の上に有った書類がきれいさっぱり無くなっている事があって、その度に、アリスを抱いて昏々と眠っている男の底しれない部分を見た気がして、改めてブラッド=デュプレと言う人を見直すのだった。

 自分がニセモノになってしまった事に関しては、本当に支障が無いのだと最近では思うようになっていた。
 それなりに「帰らなくちゃ」と思っていたのに、そんな思いがきれいさっぱり消えている。
 それも無理はないのかもしれない。

 アリスはここでしか生きられない身体に、ブラッドにされてしまったのだから。

(物凄く語弊の有る言い方だけど・・・・・そうなのよね)

 ふう、と溜息を付いて、アリスは紅茶のカップを持ち上げた。現在ブラッドは外出中だ。面倒とだるいを繰り返し、行きたくないとごねて居たが、それなりに重要な案件なのだろう。
 時間ぎりぎりまでアリスを腕に抱いて、名残惜しそうに出て行った。

 その彼も、もうすぐ戻ってくる。

(凄い人に私も恋をしたものだわ・・・・・)

 まさかマフィアのボスに恋をして、こんな所で暮らす羽目になるなど、あの五月の日曜日に考えただろうか。
 ただアリスは本を手に取っただけ。
 それだけだったのだ。

 目を閉じると、パンツスーツにきりっと髪を結い上げた理想のアリスが、書類を片手にオフィスを歩いているのが見える。
 これは現実の私だろうか。彼女はやっぱりアリスの理想だ。上手い具合に立ち働いている。
 ばりばりに仕事をする彼女は、誰かに恋をしているのだろうか。
 それとも、ブラッドに恋をして手酷い思いをしたのだから、もう恋は二度としないと思っているのだろうか。

(でも多分・・・・・)
 彼女はモテるだろうから、それなりに自由に恋愛している気もする。

 アリスとは違うのだ。
 百八十度違う、理想のアリス。

「おや・・・・・私の花嫁さんは、何を考えているのかな?」
 唐突に響いた、甘やかな低音に、はっとアリスは目を見開いた。
「!?」
 直ぐそこ、睫毛が触れるほど近くにブラッドの顔が有る。慌てて身を引こうとするが、ソファの背もたれに直ぐにぶつかり、逃れられない。
 ちう、と触れるだけの唇が、やがて柔らかく重なり、請うようになり、深く深く求められていく。

「んぅ」
 抱きこまれ、本格的にキスをされて、くったりと力の抜けたアリスは「ねえ」と目許を赤くしてブラッドを睨みあげた。
「何なの・・・・・花嫁さんって」
「ああ」

 うろ〜っと視線を泳がせて尋ねられたアリスの台詞に「私は君の運命をことごとく変えてしまったからな」とあっさり告げる。

「君をこの世界でしか暮らせない身体にしてしまった」
 その責任を私は取るべきだと思わないかな?

 にまにま笑って言われて、アリスはブラッドの腕の中で身を小さくした。

「それって・・・・・」
 どきんどきんと心臓が鳴っている。そっと見上げると、「なんだと思う?」と意地悪く返された。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 言えない。

 強請っているように聞こえそうで、アリスは「知らない」と頬を赤く染めて答えると、あわあわとブラッドの腕から逃れようと身を捻った。
 その彼女の手首を掴んで引っ張り、膝の上に抱えあげて、ブラッドは彼女の天頂部にキスを落とす。
「言ってくれないのか?」
「・・・・・女性に言わせようなんて、最低よ」
「そうか?」
「そうよ」
「・・・・・私から言って欲しい?」

 くすくす笑って囁かれ、アリスはブラッドの頭から帽子を取り上げると被って顔を隠してみた。
 とにかく、期待して物欲しそうな表情なんて、みられたくない。必死に隠れようとするアリスが可愛くて仕方ない。

「アリス?」
 耳元で囁けば、ふわっと彼女から、ベルガモットの香りがした。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 細い肩。白い喉。柔らかな腕と肢体。腕の中で啼く声は、どこまでも甘やかで、ブラッドは何故彼女が理想のアリスではないのかと首を傾げる事が有った。

 確かに、一度だけ抱いたアチラのアリスも、気が強くて意地の張り方が可愛かったが。

「別の女の事考えてるでしょ」
「・・・・・・・・・・」
 ちょっと驚いて見下ろせば、帽子のつばを抑えて、上目遣いでアリスがこちらを睨んでいた。
 にやりと、笑う。
「ああ。向こうのアリスの事を、ね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 アチラが理想だと知っているアリスは、途端に泣きそうな顔になり、ブラッドは可笑しくて吹き出した。

 からかわれている。
 知っている。
 でも、でも。

 唇を尖らせるアリスに、「仕方ない」とブラッドは大仰に言うと、「私のアリスは私を信用していないみたいだからね」と哀しげに言って見せた。

「そう言うわけじゃ・・・・・」
「じゃあ、信頼してるか?」
「・・・・・もちろんよ」
「では、結婚してくれるな?」
「そりゃもちろ」

 反射的に承諾しかかり、アリスははっと言葉を呑んだ。顔を上げると、目の前で男が楽しそうに笑っている。

「もちろ・・・・・ん?」
 促すように言われて、彼女は視線を泳がせた。
「えと・・・・・あの・・・・・」
「もちろん、してくれるんだよなぁ?」
 まあ、私はマフィアだから?それ以外の答えは聞く気はないんだがね。

 ちゅっと額に口付けられて、アリスは再び帽子を下げようとする。だが、それを抑えて、ブラッドはアリスの翡翠を覗き込む。

「で?アリス?」
 プロポーズの答えは?

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 そここにキスを落としてくる男が憎たらしい。引っ叩いてやろうかと思うが、それも出来ない。
 この胸に縋りついて、甘い甘い、アプリコットの香りに酔うのは、アリスにとって史上最強に幸せな出来事に思えたから。

「浮気しない、しっかり稼ぐ、私を不幸にしない・・・・・のなら、お受けします」
 つん、と顎をそびやかしてそう言えば、ブラッドは楽しそうに笑って、彼女の頬に両手を添えた。

 こちらに向かせて、額を押し当てる。

「では、早速式の準備に取り掛からないと、だな?」
「え?」
「次の次の時間帯くらいには、君は私の花嫁さんだ」
「ええ!?」
「最近忙しかったのもこの所為だ。ああ、君は気にしなくていいよ、段取りは全部終わらせたから」
「ええええ!?」
「あとは君がドレスを選ぶだけだ。どれが良い?実は隣の部屋にすでに全部用意してあるんだが・・・・・オーダーでも構わないぞ?」
「ええええええ!?」

 素っ頓狂な声を上げるアリスに、ブラッドはにたりと悪魔のような笑みを浮かべて見せた。

「大丈夫。どんな物語も、大抵は『二人は、末長く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』で終わる物だから、な?」
 多少強引でも、そのセオリーは変わらないだろうさ。

「か、変わるわよ!」
 声を荒げる彼女に、目を瞬いたブラッドは柔らかく口付けて押し倒した。

「では、試してみようか」

 私たちで、そのセオリーが変わるのか否か。



 深くなる口付けに目を閉じて。
 アリスはそっと腕を伸ばしてブラッドに抱きついた。


「試さなくても・・・・・それ以外の結末だったら、私は貴方を許さないわ」
 だから、変えないで。
 そのままで居て。


 きつく抱き合い、アリスは信じられないくらい幸せで、それを逃したくないと、精一杯ブラッドに手を伸ばした。







 アリスは平台を覗き込む。
 季節は巡り、あれから二度目の五月がやってきていた。
 刊行されたばかりの本が一冊置かれている。手にとって、ぱらぱらとまくり、最後のページに目を止める。

 マフィアのボスと余所者の少女の物語。
 ハートを持った少女のラストには、お決まりの文が書かれている。

 ふっと笑い、アリスはぱたんと本を閉じ「ありきたりねぇ」と零した。
 だが、その声は過分に明るく、楽しそうで。

「あなたはそこで、楽しくやっていればいいわ」

 本に閉じ込められた少女は「泣いて笑って色々あるけど、愛しい人と乗り越えて、手を繋いで生きていきました」という一文を目指して日々を暮らすのだった。













あとがき

というわけで、RPGの国のアリス、これにて終劇です><
沢山の拍手とコメントを頂いてしまいまして!ありがとうございますー!!!

管理人も非常に楽しく更新いたしました!!

こういう設定大好きだったので(なんていうか、素性が判らない二人が惹かれあうみたいな)ベルガモットとアプリコットは非常に楽しかったですv糖度MAXでしたし!!(砂糖に砂糖まぶしたような糖度でした)

なんとか終わりに持ってこれて、ほっと一息です><
わりとイレギュラーな内容だったかと思いますが、最後までお付き合い頂きましてありがとうございます!
あー・・・・・また甘いの書けるといいなぁ〜