淑女と過ごす
午後の紅茶
甘いクリームのケーキにはミルクティ。さっくりしててほんのり甘いクッキーにはダージリンをストレートで。チーズケーキやオレンジタルトにはアールグレイのさっぱりした香りが。
ポットとカップを温めて、とっておきの茶葉で。汲み立ての水はよく沸騰させて空気を混ぜて。ポットの中で茶葉がくるくる回るのをじっと待って。
綺麗な赤い、ストレート・ティー。
焼き立てのスコーンと一緒にどうぞ。
ふわりと微笑む姉、ロリーナを見詰めて、アリスは眼を細めた。
彼女と過ごす日曜の午後は、気持ちが良い。
ティーバッグで済ましがちなアリスとは違い、彼女は一から丁寧に紅茶を淹れる。
最近ではそれが当たり前になっているし、ティーバッグでお茶を淹れようものなら、眉間にしわを寄せて、紅茶への冒涜だと罵られそうな気がするが、本来アリスは、それほど紅茶に興味が有るわけでもない。
だが、彼女の姉は完璧な手順でお茶を淹れる。
淑女の鏡のようなアリスの姉。
彼女の虜にならない男が居るのなら見てみたい。
(きっと・・・・・)
謳う様にして淹れられた紅茶を前に、アリスはカップの縁をくるりと撫でた。
この茶器も、姉が気に入って買ったものだ。嫁入り道具にもなりそうなそれを、彼女は惜しげもなく使っている。
(きっと姉さんなら・・・・・)
「私だって紅茶ぐらい淹れられるわ」
唐突に聞こえた気の強い台詞に、アリスははっと隣を見た。澄ました顔のアリスが、そこに座っている。
金髪でもなければ、綺麗なアーモンド形の瞳じゃないが、それは明らかにアリスとは別のアリスだ。
ぱくり、とクッキーを頬張り、「だから教えてくれない?」とロリーナに身を寄せる。
アリスは驚いた。
「紅茶に興味なんかないでしょう」
思わず茶々を入れると、これだから、というような眼差しを返された。
「ブラッド=デュプレが紅茶狂いなのは知ってるでしょう?」
覚えておいて損はないわ。
ふふん、と笑うアリスに、アリスは唖然とする。
流石だ。
流石に貪欲だ。
思わず感心するアリスに、アリスは「ねえ、やる気あるの?」と眉間にしわを寄せて訪ねてきた。
「え?」
「や る 気」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
そうだった。アリスは今、生存の危機に有るのだ。忘れる所だった。
「ブラッド=デュプレに取り入らないと、何も始まらないのよ?」
判ってる?
更に厳しい顔で言われ、アリスは「そうだったわね」とか細い声で答えて、姉が淹れてくれた紅茶のカップを持ち上げる。
ねえねえ姉さま。どうやったら美味しい紅茶が入れられるの?
膝に甘えるアリスを横目で観ながら、アリスも聞き耳を立てる。
紅茶を美味しく淹れるには、ゴールデンルールというのがあってね、とロリーナはにこにこ笑いながらアリス達に話し始める。
(美味しい紅茶・・・・・)
きらきらと降り注ぐ日曜の午後の日差し。柔らかな庭の芝生の上を、五月の爽やかな風が渡って行く。
ロリーナの声は子守唄のようで心地よく、アリスは半分以上聞き逃しながら、ゆっくりと眼を閉じた。
ふわりと香るベルガモットの香り。
淹れられているのはアールグレイ。
ゆっくりと目蓋を持ち上げ、手元のカップに視線を注ぎ、アリスは眼を細めた。
「ねえ、アリス。あなたはブラッド=デュプレが好きなの?」
思わずそんな台詞が零れ落ちて、フォークでオレンジタルトを切り分けていたアリスは、ぎょっとして視線を上げた。
「な!?」
「?」
顔を上げると、真っ赤になったアリスがこちらを睨んでいる。
あれ?
「・・・・・・・・・・・・・・・違うの?」
「違うわよ!」
ムキになって答えるアリスに、アリスは眼を瞬いた。
「でもあなた・・・・・凄い事しようとしてるじゃない」
こてん、と首を傾げて尋ねるアリスに、アリスはぎゅっと膝の上で手を握りしめ、真っ赤な頬のまま「違うったら!」と声を荒げる。
まあ、アリス。好きな人がいるの?
うふふ、と柔らかく微笑むロリーナに言われて、アリスの頬が林檎のように赤くなった。
「違うわ、姉さん・・・・・違うの・・・・・」
紅茶のカップを持ち上げて、口を付けながら、アリスは眼を伏せた。
「違うの・・・・・でも・・・・・」
あの人が、私を見てくれたら・・・・・私だけを見てくれたら、素敵だなって思っただけなの
「それって恋じゃない」
あっさり告げるアリスに、アリスは全身の毛を逆立てて唸るようにアリスを睨んだ。
「違うわ!ただ・・・・・ただ、ブラッド=デュプレが余裕有りすぎで・・・・・その余裕をぶち壊しに出来ればいいかな、っていうだけで・・・・・」
「ふーん?」
にやにや笑うアリスに、アリスはつん、と顎をそびやかした。
「それよりも!あなたはどうなのかしら?アプリコット」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ブラッド=デュプレに会う事も叶わないあなたが、どうやって私に勝つつもり?」
形勢逆転、とばかりに見下ろされて、アリスは再び手元のカップに視線を落とした。
「ねえ、ブラッドってどんな人?」
とくん、とくん、と柔らかな鼓動を繰り返す心臓を隠して、紅茶を一口口にしてアリスがそっと尋ねた。
「・・・・・自信家ね」
何でも手に入れなくちゃ気が済まないっていう我儘気ままな男よ。
「退屈しのぎになんでもやっちゃうような人。どれくらいの女を泣かせてきたのやらって感じよ」
「ふーん」
それって私のタイプだっけ?
首を傾げるアリスを余所に「そして・・・・・」と頬を染めたアリスがいくらか弱り切ったように俯いた。
「ご褒美だのなんだのって、私を翻弄するの」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
悪い男であることには間違いない。そして、多分アリスもその事を知っている筈だ、とアリスは考える。
当然だ。
アリスは彼女でもあるのだから。
「でも好きなのね?」
不意に姉が口をはさみ、アリスとアリスははっとロリーナを見上げた。
彼女はただ優雅に座り、カップを膝に置いてにこにこ笑っている。
二人のアリスは気まずそうに視線を取り交わした。
「姉さんは・・・・・どう思うの?」
「そんな男に引っ掛かってるアリスってどう思う?」
引っ掛かってるってどういう意味よ。
そのまんまの意味じゃない。嫌いなんて言ってるけど、本当は好きなんでしょう?
言い合いを始めるアリス達を見やり、ロリーナは笑みを浮かべる。
「誰かを好きになって・・・・・その人の一番になりたくて・・・・・足掻いてもがいて、努力して、傷ついてぼろぼろになって・・・・・それはしょうがない事だと私は思うわ」
意外な姉の台詞に、二人は思わず顔を上げる。
「周りが言っても、心が追いつかない。その人は駄目だと、反対しても気付かない」
その人がどれだけ悪い人なんだとしても、心が傷つかなくちゃ納得なんて出来ないでしょう?
「姉さん・・・・・」
「そんな人を好きになった私を、軽蔑しない?」
こんな行為、軽蔑しない?
抱かれたいと思って・・・・・遊びでも良いと思って・・・・・そんな気持ち、悪くない?
「アリスが幸せなら、それでいいわ」
にこにこ笑う姉に、二人のアリスは言葉に詰まった。
ただ静かな姉。
でも。
でもね。
「ブラッドは私を好きじゃないわ」
肩を落とすアリスに、アリスは息を飲んだ。
「多分、違う人が好きなの」
でも絶対に振り向かせたい。
真っ直ぐに告げるアリスに、アリスは思わず俯いた。
(ベルガモットも・・・・・きっと・・・・・)
「心が傷ついても、進める勇気があるのなら、進めばいいわ」
にこにこ笑って淑女は告げる。それに、一人のアリスは顔を輝かせ、もう一人のアリスは俯いた。
「傷つくのは怖いわね。痛いわね。でも・・・・・なんの痛みも無いよりは、きっと素敵な事だと思うわ」
なんの傷もないよりも、ずっとずっと価値があるわ。
「宝石にはわざと傷を付けて、輝く物もあると言う。傷の無いものには価値が見出せない物もある」
だからアリス。
ロリーナの眼差しに映る自分を、アリスは見詰めた。
「思う通りにやってごらんなさい」
それに、高い紅茶は確かに美味しいかもしれないけど、たまにはティーパックも良いものよ?
そっと姉の手から渡されたのは、ティーバッグのアプリコット・ティーで、アリスは眼を丸くして姉を見上げた。
その瞬間、世界は暗転した。
20101104