ゲームで一番重要なのは
いかに相手を欺くか
小さく笑いながら、アリスは赤いソファに陣取って優雅な手つきで紅茶を淹れる。
浮かれているのか、楽しいのか、その細い足で室内履きがぱたぱたと音を立てている。
「そんなに良い紅茶が手に入ったのか?」
気だるげな声を掛けられて、アリスはぱっと顔を上げた。この部屋の主が、ドアにもたれかかるようにして立っている。
「ブラッド」
うふふ、と嬉しそうに笑い、アリスは立ち上がると二つあるカップの内に一つを持ってブラッドに歩み寄った。
「そうじゃないけど、良い事があったの」
「ほう?」
差し出されるそれを受け取り、ブラッドは目を細めた。探る様な視線を受け止め、アリスはそのエメラルドグリーンの瞳を挑戦的に光らせる。
自分の障害と利益になると判断して、連れ帰って閉じ込めている少女。
だが、彼女は自分に屈するどころか、常にその瞳の奥に反発の光を秘めている。
退屈しない少女だと、ブラッドは心のうちで評価していた。
「その様子だと、私には教えてくれないらしいな」
「ええそうね。もったいないもの」
髪を踊らせて、くるりとターンし、アリスは軽やかな足取りでソファに向かう。
「なんなら、しゃべらせようか?」
「自白剤でも使うのかしら?」
赤いソファに腰をおろし、斜めに見上げてくる少女は、艶っぽい笑みを浮かべる。
「そんな乱暴なものを使わなくても、いくらでもしゃべらせる方法はある」
カップを持ったまま、彼女の座るソファの隣に腰を下ろすと、手袋をはめた手で、ゆっくりとアリスの顎を撫でた。
さらり、とその金髪を払う。
「試してみるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・試してみるの?」
質問に質問で答え、アリスはゆっくりと自分の手を持ち上げる。細く、白い指先がブラッドの頬に触れ、唇が近づく。
強請る様な仕草に、ブラッドは唇を吊り上げると、触れる直前でふいっと顔を逸らした。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「生憎、欲しがるような女に、素直にくれてやる趣味はないんだよ、お嬢さん?」
くっくっく、と肩で笑われ、ブラッドの肩に額を押し当てる形で凭れかかったアリスが頬を膨らませた。
「相変わらず意地が悪いのね」
「駆け引きと言ってくれないか?」
するっとアリスの腰の辺りを、ブラッドが撫で、「あんっ」とアリスが彼の耳元で甘い声を上げる。
「褒美はちらつかせてこそ、意味が有る」
「最低ね」
うふふ、と笑いながらアリスはゆっくりとブラッドの腕の囲いから逃れた。
「いつまで余裕ぶっていられるのかしら?」
挑戦的に見上げる瞳に、ブラッドはにたりと笑った。
「それはこちらの台詞だよ、お嬢さん」
いつ、君が敗北して膝を折ってくれるのか、私は待っているんだがね?
涼しい顔で再びカップを傾けるブラッドに、アリスは「欲しいものがあるの」と彼の腕に指を滑らせる。
「なんだ?」
ちらりと視線を投げかける。それに、アリスは唇を尖らせた。
「私も自由に動き回りたいわ」
(やられたわ・・・・・)
メイド服姿でキッチンに来たアリスは、窓に群がる同僚たちを不審に思い、自らも外を眺めてみて、がっくりと肩を落とした。
綺麗に整備された大きな庭。その庭に、大きなパラソルが開いている。その下に用意された小さいが、品のある白のティーテーブルと椅子。
そこに、金髪のアリスが座ってアフタヌーンティーを楽しんでいるではないか。
この屋敷のボスが連れてきた女で、しかも勇者だということで、興味津々の同僚たちの視線をものともせず、アリスは優雅にカップを傾けている。
メイド二人を傍に控えさせて、あれやこれやと何かを注文する姿は、この帽子屋屋敷の女主のようで、アリスはどっと疲れを覚えた。
(頭の回転も速いわね・・・・・)
そりゃそうだ。アリスの理想なのだから。アリスよりも回転が速い頭を持っていなくてはならない。
早々に「自由に動けない」という不利な条件を覆して見せたアリスに、アリスは唇を噛んだ。
一向にアリス自身の待遇は改善されていない。
「可愛らしいわね〜、アリス様〜」
「ええ〜本当に〜素敵です〜」
「ボスが〜閉じ込めたくなるのも判ります〜」
同僚たちの評価を耳に、アリスはそっとキッチンから外に出た。
あれからまだ、五時間帯しか過ぎていない。そうそうに先制攻撃をされて、アリスはまた、溜息を零した。
彼女の待遇が改善されたと言う事は、帽子屋は屋敷に戻っていると言う事なのだろう。ということは、エリオットも戻ってきている筈だ。
自分に出来る手立ては、エリオットにアプリコットはどういう人物なのかを聞いて、その通りに振る舞う事しかない。
(でもだからと言って、ブラッド=デュプレに会うわけにもいかないし・・・・)
会えばニセモノだとばれてしまう。いや、案外あのアリスが気に入って、声をかけてくるような事はないのかもしれない。
そうなれば、メイドとしてそれなりに自由に動けるアリスが、家探しをして紅茶を見つける方が有利かもしれない。
(なんて・・・・・結局そんなの想像でしかないわ)
確実に、金髪のアリスの方が有利だろう。
(私なんて・・・・・居なくてもいいのかもしれない・・・・・)
廊下の窓からも、お茶を楽しむアリスが見える。恭しく捧げられるケーキを、可愛らしく口に運ぶ彼女から、アリスは目をそむけて愛らしい茶色い耳を探しに向かった。
「あー、ワリぃワリぃ・・・・・アプリコットってどんな奴だった?ってやつだよな?」
「遅いわよ」
ようやく見つけたエリオットは忙しそうだった。仕事中らしく、会議用の部屋で、書類を前ににんじんサンドを凄い勢いで片付けている。
くー、とにんじんのフレーバーティー(アリスは飲みたくも無い)を喉に流し込み「これだろ?」と書類の束の中から無造作に一枚の紙を引っ張り出した。
書類の見出しには「アプリコット=アーガイル」と銘打たれていた。
「アーガイル家ってのは、この辺りじゃ有名な実業家で、俺達帽子屋と土地売買の件でもめてたんだよ」
「そうなの?」
にんじんステーキを切り分けて口に放り込み、書類にサインするエリオットが、アプリコットの事情を説明してくれた。
「ああ。俺もあんたの事があったから、この間の抗争ン時に調べてみたんだ」
俺、調べ物苦手なのにさぁ、偉いと思わね?
「・・・・・今度にんじんプティング、用意してあげるわ」
マジで!?と目を輝かせるエリオットは、「アプリコットの父親とブラッドがある場所の売買で揉めててさ。ブラッドはそこにホテルを建てるつもりだったんだが、アーガイルの野郎はそこを地元住民に愛される公民館にしたいとか言いだして」
「・・・・・・・・・・・・・・・へえ」
「ま、大した土地でもないし領民から嫌われんのもリスクがあるし色々で、手を引こうかと珍しく穏便な事を考えたんだよ」
さっすがブラッドだよな!俺ならアーガイルの家、皆殺しにする所なのによ!
目を輝かせて言われて、アリスは再び「へえ」と力なく応じる。それもどうかと思うが、反論するのも大人気ない。
これは終わった事なのだ、と自分に言い聞かせて先を促す。
「それで?手を引いて終わったの?」
「いや。そこに出てくるのがアプリコットだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・彼女?」
「アーガイルの一人娘。なんかの機会にブラッドを見かけて惚れちまったらしくてさ。捨て身で近づいて来たんだよ」
自分と寝て、その証拠をマスコミに流されたくなかったら土地から手を引けと、自分の家に圧力を掛けてってさ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
唖然とするアリスを余所に、エリオットは淡々と先を続ける。
「普段、そういうのは俺ら・・・・・てか、組織のボス自らやらない、下っ端の手段だけどさ。ブラッドが面白がってアプリコットを散々慰みモノにして、で、アーガイルの家に圧力を掛けたんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
最低だ、という台詞が喉まで出かかるが、これを提案したのはアプリコット本人なのだと、更にやるせない気持ちで考える。
「で、慌てたのがアーガイルだよな。娘を返してほしい、ってんなら俺にも判るけどさ。あいつ等、面子を気にしてこんなふしだらな女は私の娘じゃない、とか言いだして」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「結局、写真はばら撒かれて、男どものネタになったんじゃねぇの?」
で、行き場所が無くなって、ブラッドに縋りついたけど、双子に殺されたって言うオチ。
ぱくり、とにんじんステーキを頬張って「うめーっ!」と感嘆の声を上げるエリオットに、アリスは「ありがとう」と掠れた声で答えた。
親にも愛した人にも顧みられなかったアプリコット。
(あなたはそれでよかったの?)
門の前の血だまりを思い出して、アリスはじっとその翡翠の瞳を書面に注いだ。
「ブラッドは・・・・・アプリコットの事、愛してたの?」
「面白いおもちゃだとは言ってたぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
最低ね。
最低だわ。
女を何だと思ってるのかしら。
「言っとくけど、ブラッドは悪くねぇぞ?そういうのが、俺らだ。嫌なら近づかなければ良い。大体善人がマフィアのボスなんかやるわけないだろ?」
不満が顔に出ていたのだろうか。鋭く釘を刺されて、アリスは顔を上げた。エリオットの空色の瞳が、冷たくアリスに注いでいる。
そうだ。
危険すぎる男に、危険な提案を出したのは、アプリコットの方だ。
道具でも構わない。
あなたになら、何をされてもいい。
だから、抱いて。
(私には無理だった・・・・・)
家庭教師の先生が、姉が好きだとアリスに告げた時、彼女は泣きもせずただ笑って、「そうなんですか?」と声を弾ませて見せたのだ。
心の奥は酷く痛くて、深く深く傷がついて血が流れていたのに、彼女は笑顔で、恋話に憧れる生徒を演じ切ったのだ。
欲しい物の為になら、己の傷も立場も醜聞も顧みずに突っ込んで行けるアプリコットと。
傷つくのも嫌で、嫌われるもの嫌で、体裁が大事で背を向けたアリス。
可哀そうな女はどっちだ。
不幸せな女はどっち?
「で?あんたは姉さんに会えたのか?」
アリス、今日は庭で茶会開いてたよな?
先ほどとは打って変わって明るい調子で切り出されたエリオットの台詞に、アリスはのろのろと顔を上げた。
「ええ・・・・・一応、みんな出掛けている時に」
「へえ!良かったじゃねぇか!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
曖昧に笑うアリスにエリオットが初めて表情を曇らせた。
「あんた・・・・・もしかして疲れてんのか?」
仕事が大変だとか?
一応あんたも愛人扱いなんだから、そんなに大変な仕事をさせてねぇと思うけど?と眉間にしわを寄せるエリオットに、アリスは誤魔化すように手を振った。
「そんなんじゃないわ。私の仕事は順調よ」
「キッチン周りじゃなくなったんだよな?」
にんじんステーキを平らげて、にんじんケーキに手を伸ばす。書類の山の隣にはオレンジ色の料理が所狭しと並んでいるのだ。それを見詰めながら「今は図書室で働いてるわ」とアリスは小声で切り出した。
帽子屋もエリオットも戻ってきている。
なら、ベルガモットも、図書室に居るかもしれない。
ふと、ベルガモットの事を思い出すと、胸の辺りがじわりと温かくなるのを感じた。無意識のうちに、アリスの細い人差し指が、己の唇に触れる。
「図書室?」
にんじんケーキの一欠片を口に頬張るエリオットが、アリスの台詞に、目を瞬いて顔を上げた。
「ええそう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
すっと彼の表情が険しくなった。それに、アリスの方が驚いて、きょとんと眼を見開く。
「それ、あんた一人でか?」
「違うわよ。あなたの部下かどうかは判らないんだけど、ベルガモットっていう人と一緒に仕事をしてるわ」
「ベルガモット!?」
素っ頓狂な声と同時に、ぼたり、とエリオットのフォークからにんじんケーキが落ちる。
ぎょっとするアリスを余所に、エリオットはにんじんケーキに目もくれず(非常に珍しい)しげしげとアリスを眺めた。
「へえ・・・・・あんたが・・・・・へぇええぇええ」
「?」
思わず眉間にしわを寄せるアリスに、エリオットは皿に視線を戻して、落ちてしまったにんじんケーキをさりげなく拾いあげて頬張りながら「なるほどねぇ」としきりに感心している。
「な・・・・・何」
その様子が気に入らなくてむっとして切り出せば「いや別に」とにやにや笑いながらエリオットが顔を上げた。
「あんたがベルガモットと知り合いなんて、以外だと思ってさ」
「・・・・・・・・・・そうなの?」
「ああ。・・・・・なあ、ベルガモットってどんな奴だ?」
「はあ?」
知ってる雰囲気なのに、突拍子もない事を聞いてくる。混乱するアリスを余所に「いや、なんていうかさ・・・・・うん、意外なんだよ」とエリオットがにやにや笑いながら続ける。
「ベルガモットねぇ・・・・・」
「もう、なんなの!?」
そういう態度が苛々する。思わず叫ぶようにして言えば、エリオットがにたりと楽しそうな笑みを寄こした。
「アイツがあんたにそう名乗ったってことは・・・・・少なくともあんた、ここでの居場所が確保されてるってことだよ」
良かったじゃねぇか。
にこにこ笑うウサギさんに、アリスはどうにも意味が取れず「そうなの?」とだけ答えるしか出来なかった。
20101101