不慣れな駆け引きと
嘘と真実




 アリスの生活は百八十度変わった。
 キッチンで皿を磨く毎日から、赤いソファで未分類の本を読破し、内容をまとめる作業へと変わる。
 毎回長い螺旋階段を上り下りするのも大変だろうと、この図書室の別のドアから続く部屋に居住も移し、そうなると、アリスが出会う人間はベルガモット限定になってしまっていた。

 エリオットや双子は元より、金髪のアリスやこの屋敷のボスに顔を合わせるチャンスが減る。

 金髪のアリスの事はずっと心の中にくすぶっていて、なんとか探し出したいと思うのだが、妙にこの時の流れが遅い時間が気に入ってしまい、アリスはぐずぐずとここでの仕事をこなし続けていた。

「アプリコット、お茶にしよう」
「え?」

 今手がけているのは、難解な歴史書だ。
 この世界の事をくわしく知っているわけではないので、この世界の有名な出来事を「知っていて当然」という体で書き始められる本は苦労する。
 まずはその「知っていて当然」という部分から調べなくてはならなくなるからだ。
 現在手にしているのもその系統で、アリスは二階の本棚から、参考文献を引っ張り出そうと探している所だった。
「もうそんな時間?」
「ああ・・・・・今日は香り高い他国の茶葉を用意してみたが・・・・・飲むだろう?」
「ええ」

 いそいそと階段を下りれば、ふわりと紅茶の香りが漂ってくる。
 司書としてここで働いているこの男は、この屋敷の主に負けず劣らず紅茶好きだ。どこからくすねてくるのか、屋敷のキッチンで紅茶の管理を習ったアリスとしては、高価なものを見かけるたびに眉を寄せる。
「本当にかっぱらってきたの?」
 一度、「貴方もどこかで紅茶の管理をしているの?」と尋ねた事がある。その際、彼は笑いながら「キッチンから拝借してきた」と答えていた。
 紅茶の管理は厳重な筈なのに、怒られたりしないのだろうかとますます眉間にしわを寄せれば、「なに、メイドを手懐ければこれくらい簡単だ」と妖しい笑みを向けられてしまった。

(必要以上に色気が有りすぎるのがいけないのよ・・・・・)

「君も大概しつこいな。大丈夫だよ、この屋敷の主は黙認してるから」
 紅茶好きには寛大なんだよ。

 香りを楽しんで、一口口にするベルガモットに、思わず見惚れる。長い指先が、くるりと茶器の縁を撫でるのに、居たたまれない気がして、彼の隣に用意されたカップを取り上げると彼とは違うソファに移動した。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 碧の視線が問うようにアリスに注がれるが、彼女は素知らぬ振りで側にあった本を取り上げた。参考文献が無ければ読み込めない本だが、多少なりとも理解できる部分もあるだろう。
「君は強情だな」
 やれやれと溜息を吐かれ、はっと顔を上げた時には気だるそうな男が、楽しそうに笑ってアリスの隣に腰をおろしている。
 手にはしっかり紅茶のカップが。
「何が?」
 身体が密着している。どきん、と心臓が跳ねるのを隠して、アリスは出来るだけ素っ気ない調子で告げた。
 かちゃん、と陶器の触れる音がして、彼から漂う甘い香りがアリスにまとわりつく。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 普段、彼からは薔薇の香りがするのだが。

 全然違う香りに、思わず彼女は顔を上げた。目を瞬くアリスの翡翠を、興味深そうにベルガモットの碧の眼差しが覗き込む。
 右手がソファの背もたれに掛り、左手がアリスの太ももの横に置かれる。軋んだソファの音で、彼女ははっと我に返った。

「何のつもり?」
「君が一言、歴史は苦手だと言ってくれれば、いくらでも解説するのに」
「・・・・・・・・・・・・・・・苦手を回避してばかりたら、いつまでたっても克服できないでしょう?」
 更に身を乗り出されて、アリスの背中がソファの手すりにぶつかった。このままでは押し倒されてしまう。

 だが、絶対にそうならない自信がアリスには有った。
 何故なら。

「この距離は、不敬罪に当たらないかしら?」

 アプリコットは帽子屋ファミリーのボスの所有物だから。

 ドキドキする心臓を押し隠して、アリスは馬鹿にしたようにベルガモットを見上げる。少しばかり目を見張った男は、「そうだな」と可笑しそうに告げて身を離してくれた。

 ドキドキからばくばくへと鼓動が変化しているが、それをばらしたくなくて、アリスは乱れた髪を耳に掛けて肩から力を抜いた。気付かれないように大きく深呼吸をする。
 そのアリスを、ベルガモットは面白そうに見詰めた後、ばれないように薄く微笑んだ。

「もったいないなぁ・・・・・私と君は凄く相性が良いと思うんだが」
 どうかな?

 長いベルガモットの指先が、アリスの首筋に垂れていた髪を払う。びくん、と肩が震える。
「なんの相性?」
 挑戦的に見上げて尋ねれば、男はそのままアリスの頬を撫でて顔を寄せる。
「身体の」
「・・・・・・・・・・・・・・・最低ね」

 押しのけ、アリスは紅茶のカップをローテーブルに置くと本を取り上げた。そのまま抱えて二階に上がる。
 参考文献を探し出さなくては。

「最低なのは君もじゃないのか?身体を使って帽子屋に取り入った」
「違っ」

 かっとなって言い返そうとして、アリスは口を閉ざす。
 そうだった。私はアプリコットなのだ。

「何がどう違うのかな?」
 階段を半分上がり、振り返るアリスに、ベルガモットはカップを上げて見せる。
「十分最低だと思うがね?」
 くすくす笑うベルガモットに、急激に殺意が湧くが、アプリコットが一体どういう女性だったのか知らないアリスは、反論出来ない。
 すれば、墓穴を掘りそうな気がしたのだ。

(違う香り・・・・・)

 薔薇とは違う、どこか爽やかな甘みを伴う香り。普段とは全く違う、彼の香り。

「貴方の言う通り、身体を使ってボスに取り入ったのだとしても、私は帽子屋ファミリーのボスを愛してますの」
 ぐっと顎を引き、アリスはどうにか虚勢を張った。口調もそれらしく。芝居がかった言に、ベルガモットが興味を示す。
 顔を上げ、睨みつけるアリスに、薄らと微笑んだ。

「君が帽子屋のもので残念だ」
 でなければ、今ここで、その全てを蹂躙してしまうというのに。
「馬鹿言わないで」

 ふいっと視線を逸らし、アリスは大急ぎで階段を駆け上った。
 顔が赤く、熱い。
(まったく・・・・・信じられないわね)
 一応ボスに敬意を表してくれているのが救いだ。でなければ、こんな滅多に人が来ない場所で、二人きりで仕事など出来るわけがない。

(・・・・・・・・・・・・・・・帽子屋のボスも、そう思ってるってことかしら)

 自分の愛人が、あんな危険そうな部下と一つの部屋に長い時間一緒に居るのだ。腹が立ったり気が気じゃなかったりしないのだろうか。
 それとも、そんな事すらどうでもいいと言う事か。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 身体を使って、帽子屋に取り入った。

 可哀そうなアプリコット。引きあげてもらった先で、どうして何も気に止めてもらえないのだろうか。

 じわりと滲んだ涙が誰のものなのか、気付かずに、アリスは微かに鼻を鳴らして本棚の背表紙を読み始めた。

「アプリコット・・・・・ねぇ」
 四角く、吹き抜けの回廊になっている上階を見上げ、手すりと本棚の陰に隠れる少女を見ながら、ベルガモットは楽しそうにくつくつと笑う。

 面白い。
 実に面白い。

 良い香りがする紅茶のカップを置き、男は目を細めて再び読んでいた本に手を伸ばすのだった。




(そうか・・・・・あの香りって、ベルガモットの香りだわ)
 結局はかどらなかった本を寝床まで持ち込み、ランプの灯の下読みふけっていたアリスは、昼間、ベルガモットから香った香りの正体に思い当たった。
 ベルガモット。
 紅茶のアールグレイの香り付けに使われていると、メイドさんから教えてもらった。香料として使われる事が多くて、香水にも使われる。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 どこかの女性から贈られたのだろうか。

(しゃれた事をするものね)

 ふん、と鼻で笑って、アリスは再び本に視線を落とすが、もう内容は頭に入って来なかった。

 一体どんな女性が贈ったのだろう。あんなに色気のある男性だから、きっと妖艶な美女に決まっている。
 ここは腐ってもマフィアの本拠地だ。エリオットや双子とは違う仕事内容だけど、危険な感じはばしばしする。
 彼と恋愛なんかしたら、多分物凄い苦労するに決まっているのだ。

(だって、ボスの愛人を任せるくらいだもの・・・・・)

 帽子屋屋敷の2はエリオットだと教えられたが、影の実力者なんじゃないだろうか。
 多分、この組織のブレーンなんだろう。

 徐々にアリスの中で、ベルガモットの印象が変わって行く。

 最終的には凄い人なんだろうな、と言う所で落ちついて、どこかがっかりする自分に気付いた。

 アプリコットなら、どうするんだろう。
 マフィアのボスに気に入られるような女性だったのだ。馬鹿だと思うけど、きっと恋愛上手だったに違いない。
 アリスとは真逆の、明るくて可愛らしくて、小悪魔的な・・・・・


 あの日。
 アリスが木の影に隠れて、双子の動向を見守っていたあの日。
 あの門の前で、彼女は斬り殺された。血だまりに浮かんでいた。どれが彼女の骸なのか、アリスには見当もつかない。
 だが、あそこに、アリスなんかよりもずっと魅力的な女性が居たのかと思うと、ぎりぎりと胸が痛んだ。

 私はアプリコットじゃない。

(って、何を考えてるのかしら)

 ぱたん、と分厚い本を閉じ、アリスは夜着のまま本を持って廊下に滑り出た。長い廊下には電燈が並び、ホテルのように静まり返っている。ドアが等間隔で並んでいるが、使っているのはアリスだけな筈だ。ドアから滑り出て、右に行けば突きあたりに窓が有る。左に行くと螺旋階段があって、図書室の四階に出るのだ。

 こんな、図書室と密接しているだけの部屋を、使う使用人など居るわけがなくて。

 誰も居ない空気に身を震わせて、アリスは大急ぎで図書室へと足を運んだ。

 色々考えてしまうのは、この本が難しすぎる所為だ。別の本にすれば、きっと気がまぎれるだろう。

 違うノルマの本を探そうと、毛足の長い、赤い絨毯を踏みしめて、図書室の一階、普段使用しているフロアに降り立つと、アリスは目を見開いた。

(・・・・・・・・・・・・・・・呆れた)


 そこには、食器のトレイもそのままに、腹の上に本を載せて赤いソファですやすやと眠っているベルガモットが居るではないか。
 仕事の終了を告げて、別れてから大分経つ。
 食事はここで取るのが習慣で、アリスはあの後、ベルガモットとは顔を合わせず、いつの間にか持ち込まれるトレイを一人で片付けた。
 それからさっさと部屋に戻ったのだが、彼は戻らずにずっとここに居たのか。

(風邪引くわよ・・・・・)

 何も掛けず、薄いシャツ一枚で横たわる男に、アリスはそっと近づいた。規則正しく彼の胸が上下しているから、熟睡しているのだろうと考える。
 閉じられた目蓋。睫毛が意外と長く、色気のある仕草や雰囲気が身をひそめて、普通の青年に見えた。

 どきん、とアリスの心臓が強く打ち、かあっと顔に血が上ってくる。


(・・・・・・・・・・・・・・・)

 帽子屋のものでなかったのなら。

 そんなベルガモットの台詞を思い出して、アリスは一人身体を震わせた。
 アリスはアプリコットではない。つまり、帽子屋ブラッド=デュプレの物ではないのだ。

 だが、それを言ったら、この人は私への興味を失ってしまうのだろうか。
 それとも、ではなぜこんな場所に名を偽って潜入しているのだと問い詰められるのだろうか。

(圧倒的に後者だわ・・・・・)
 何と言っても、彼はこの組織の影の実力者だ。
 アリスが勝手に考えだしたベルガモットの地位だが、概ね合っている筈だ。そういう部分での目は利く方だし。
 そして、素性を騙していたと知れれば、アリスはあっさり殺されるだろう。

 ふう、と溜息が洩れて、アリスはぺたん、と毛足の長い絨毯に座りこむ。そのまま彼の寝ているソファの、空いた場所に両腕を置いて、顔を乗せる。

 ベルガモットが知っているのは、アプリコットとしてのアリスだ。身体を使って、帽子屋のボスを落とした女。
 その女が一体どんな女なのか、知りたいと言う事なのだろう。
 それだけの興味の筈だ。

 つまりは、アリス自身が求められているわけではない。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 なのに、何故それが心をかき乱すのか、アリスには判らなかった。この綺麗で恐ろしくて妖しい雰囲気の男に、何故求められなくてはならないのだ。求められなくていいではないか。
 なのに。
(って、何考えてるのよ)

 アリスには使命が有る。

 紅茶狂いのマフィアのボスから、世界に一つしかない紅茶を取り戻す事。

 それなのに、アリスはこんな所で日がな一日本を読んで過ごしている。

(もしかして私は勇者アリスじゃないってことなのかしら・・・・・)
 そうなると、やっぱり金髪のアリスが勇者で、彼女がこの世界を救ってくれるのだろうか。
 でもそうなった時、アリスはどうなるのだろう。

 強制的に元の世界に還る事になるのだろうか。
 それとも、アプリコットとしてここに残る事になる?

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 考えても判らなくて、アリスはぎゅっと目を閉じると、再び溜息を洩らした。

「・・・・・・・・・・・・・・・耳元で、そんな風に誘う様な溜息を吐かれると、堪ったものじゃないな」
「!?」

 自分の中途半端さに、つくづく嫌気のさしてきていたアリスは、唐突に聞こえた低音にびっくりして顔を上げる。
 こちらを見詰める碧の瞳に絡め取られる。

 寝ている間は人畜無害そうだったのに、目覚めた途端にこれだ。
 魔物だろうか、この男は。

 立ち上がり、距離を取ろうとするアリスに、「逃がさないよ」と甘く囁いて、ベルガモットは腕を伸ばす。

「きゃっ」
 小さく悲鳴を上げるアリスが、腰を攫われて男の上に倒れ込んだ。
「・・・・・つーかまーえた」
「っ」

 甘く甘く囁かれる。ひゃう、と首をすくめるアリスを腕に抱えたまま、ベルガモットは可笑しそうに笑いだした。

「・・・・・・・・・・君は本当にアプリコットなのかな?」
「!?」

 ひそっと耳元で囁かれた台詞に、彼に囚われ抱きしめられているアリスは青ざめる。
 どういう意味だろう。
 まあ・・・・・確かにマフィアのボスを手玉に取れるような女の仕草には見えないだろう。だが、ここでばらすわけにはいかない。まだ、世界に一つしかない紅茶の在り処も、金髪のアリスの行方も探し出していないのだから。

「まあ・・・・・この際どうでもいいが、な?」
「あ」

 ちゅ、と音を立てて首筋にキスをされる。両腕にしっかりと抱きしめられて、横倒され、ばくばくと心臓が跳ねあがる。

「まって・・・・・待ってって!」
 わ、私はボスの女なのよ!?

 声を張り上げる彼女の口を、ベルガモットはその手で塞いでしまう。

「では、何故そんな魅力的な格好で私の前に現れたんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 つ、とベルガモットの手がアリスの脇腹を撫でた。ぞくん、と肌が震える。薄い夜着一枚隔てて、男の手の温もりが伝わってくる。
 ふる、と首を振り、アリスはベルガモットを睨みつけた。

「居るとは思わなかった?」
 先読みするように告げる男は、目を細め、楽しそうに笑っている。脇を通り過ぎた掌が、アリスの膨らみに達して、そっと柔らかな塊を包み込んだ。

「んっ」
 びくん、と身体を震わせるアリスの反応を、興味深そうに眺めながら、ベルガモットは小さく笑った。
「それなら、部屋に戻ればよかったのに。近づいてきて、悩ましげに見詰めていたかと思ったら、顔を伏せて。何度も耳元で溜息など吐かれてみろ?」
 どんな男でも誘われてるのだと思うだろう?

 ふっとベルガモットが彼女の口から手を離すと、困惑して見上げるアリスが「違うわ!」と掠れた声で反論した。

「ただ・・・・・」
「ただ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・風邪を、引いたら困るって・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 真っ赤になって俯くアリスは、混乱から涙が滲んでくるのを感じて嫌になる。
 今や狭いソファの上で二人、折り重なって横たわっている。

 こんなの経験したことない。

(アプリコットは凄いわ・・・・・)

 圧し掛かられる重みが怖い。覗きこまれる視線が恥ずかしい。触れる手がぞくぞくして嫌だ。
 でも、それらを凌駕する勢いで、胸の内から乾きにもにた欲求がせり上がってくるのだ。

(目が回る・・・・・)

 浅い呼吸を繰り返し、ふるふると震える、腕の下の女に、ベルガモットは満足そうに笑うと、そっと彼女をその腕に抱え込む。
「っ!?」
「なら、君が温めてくれればいい」
「!?!?」
 露出の多いアリスの夜着。ベルガモットのシャツは冷えて冷たく、でもその下の肌から温もりがじわりじわりと伝わってくる。
 ふわっと鼻を掠める、甘酸っぱい香り。

 ベルガモットの香り。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 身を捩る彼女の首筋に頬を埋めて、吐き出される吐息が熱い。だが、すっぽりと腕の中におさまっていると、早駆を続けていた心臓は、やがて普段の鼓動を取り戻し、アリスは緊張からくる疲労に眩暈がした。

「君は抱き心地が良いな」
「っ」

 そっと囁かれ、耳たぶを甘噛される。全身から力が抜けて、アリスは衝撃を受けた。甘く、身体が溶けていく。

「こんなもの、無い方が暖かいのだが・・・・・」
 肩ひもに、指を掛けられ外される。
「ベルガモット!」
 叱責を込めて言えば、ただにたりと笑われた。
「風邪をひきそうなんだよ、アプリコット」
 温めてくれないか?

 もう片方の肩ひもも外されて、腰を拘束されているアリスは抵抗も出来ない。

「っあ」

 ぐ、と下に引き降ろされ、二つのふくらみが空気に触れる。かああと首まで赤くなる彼女を腕にしたまま、ベルガモットは自分のシャツのボタンも外した。

「これで、もっと暖かいだろう?」
「っう」

 両肩を抱きこまれ、アリスのささやかな膨らみが、男の硬い胸板に押しつぶされる。温もりが直に肌を通して伝わってくる。
 自分の腕の置き場が判らず、アリスは咄嗟にベルガモットの身体に縋りついた。
 冷えた肩も、徐々にベルガモットの熱を受けて温かくなっていく。全身の血が、沸騰しそうなくらいだ。
 くすくすと笑いながら、あちこちに口付けを繰り返すこの男が腹立たしい。

「私はっ」

 鎖骨の辺りに歯を立てられて、じわりと痛みが滲んだ瞬間、アリスは自分を抱きしめる男を睨みつけた。

「帽子屋ファミリーの・・・・・」
「言わなければ判らないさ」
 その唇に、人差し指を押し当てて、ベルガモットは妖しく笑う。
「言わなければ、ね?」
「ベルガモット・・・・・」

 どうしても吐息に甘さが絡んでしまう。名前を呼べば、請う様な響きを帯びてしまう。
 ああもう、どうしてこんな、あさましい反応しか示せないのだろうか、この身体は。

 混乱し、涙ぐむアリスの、その柔らかな髪を宥めるように撫でながら、ベルガモットは優しく笑った。

「だから、安心しなさい」
 私は誰にも言わないよ?

「んっ」


 触れるか触れないか、ギリギリの位置で囁いていた唇が、とうとうアリスのそれに重なる。思わず閉じる唇に、丁寧に柔らかく根気よく口付けて解かせ、ベルガモットはアリスの口内に舌を差し入れた。

「うっ・・・・・んっ・・・・・ふ」

 甘やかに色づいた声を引き出し、逃げるように引っ込む舌を吸い上げる。互いの唾液が絡まり、熱っぽく、溶けるような深い口付けを繰り返す。やがて全身から力の抜けたアリスを、ベルガモットはしっかりと抱きしめた。

「これ以上は不敬罪にあたりそうだからな」
「あ・・・・・」
 男の長い指が、アリスのふくらみの頂きを掠める。やわやわと、柔らかさを確かめるように触れられて、アリスはふるふると震える身体をベルガモットに預けた。
「これだけで、我慢しよう」

 くすりと笑う男が憎たらしい。
 何が我慢だ。
 翻弄されて、理性が焼き切れそうなアリスは、胸を弄られながら甘い声を上げ続ける。止めたくても止まらない。
「あっ・・・・・ふぅん・・・・・ああんっ」
「アプリコット」
 柔らかな声音が耳朶を犯し、震えるアリスを腕に閉じ込めながら、ベルガモットは楽しそうに笑った。


 君の本当の名前は何なのかな?


 そっと囁かれたその台詞は、しかしせわしない鼓動ばかりを聞いていたアリスの耳には届かず、一際高い嬌声を上げて、くったりとベルガモットに凭れかかった女からは終ぞ答えは得られないのだった。





20101031