空から降ってきた少女と
バンド会議の行方
「んっ・・・・・」
目蓋の裏がちかちかしている。ふわり、と頬を風がくすぐり、混じる木々の深い香りにアリスは思わず深呼吸をした。
葉ずれの音が心地いい。
ゆっくりと目を開けるとそこは。
「!?」
見慣れない、鬱蒼と木々が生い茂る森の中心だった。
「ちょ・・・・・どこ!?ここ、どこ!?」
がばり、と起き上がり、大地に座りこんだまま、アリスは辺りを見渡した。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
見覚えなど有るわけが無い森。風に混じる香りには人の気配を感じない。
ちらちらと葉の間から差し込む光だけが頼りのようなそんな山奥で、アリスは一人、放り出されていた。
「な・・・・・なんなのよ、これ・・・・・」
遠くで馬鹿にしたようにカッコウが「あっほー あっほー」と鳴いているのが無性に腹立たしい。
いやべつに、「あっほー」と鳴いているわけじゃないのだが、無性にそう聞えるのだ。
煩い、と怒鳴ろうかと思うが、ここは大人になれ、冷静になれ、取り乱してもなにも良い事などない、と己に言い聞かせ、アリスはゆっくりと立ち上がった。
ウサ耳男を見かけたら殺してやろうかと周囲を見渡すが、ウサギはおろがネズミ一匹いない気がする。
「怪我はない・・・・・わよね?」
ぱしぱし、とブルーのエプロンドレスの裾を払い、彼女は辺りを見渡して大きく息を吐いた。
何が何だかわからないが、取り敢えず、夢の世界に来てしまったようだ。
ちょっと入り方が、理性的なアリスにしては粗雑な感じだが、まあ、所詮は夢だ。
(あのまま庭で転寝してるのよ、多分)
起きないかな、と二・三度頬をつねってみるが、自身が目覚める気配はない。
夢だと判っていても、覚める方法が判らないのなら、仕方が無い。
早々に諦めて、アリスは取り敢えず森の中を歩いてみる事にする。
ウサ耳男が現れないか、周囲にそれとなく気をくばりながら、道なき道を歩いていると、不意に泣き声が聞こえて、アリスはそちらに視線をやった。
よく見ると、帽子をかぶった男の子とピンクのファーにハーフパンツの青年が二人並んで立っている。
どういう取り合わせだろうか、とアリスは眉を寄せた。
あれだろうか。
バンドの今後の方針でもめてるとか?
帽子をかぶった男の子(泣いている方)は、多分自分たちのようなスタイルの音楽性を追求して行きたいのだろう。素朴な男の子風というか、健全な感じの。それに対して、ピンクのファーにハーフパンツのほうは、そんな狭い世界では駄目だ!これからはピンクなんだよ!!とか言って新たな世界に飛び出したいタイプなんだろう。
猫耳なんか付けてるし。それにピアスとかついちゃってるし。尻尾まで常備してるし。
「でも、ちょっと時代を先取りしすぎてる気がしないでもないわね」
思わず感想が漏れる。そのアリスに、二人が振り返り、彼女はちょっとだけ気まずい思いをした。
自分は音楽についてそれほど詳しい方でもない。真剣にプロへの道を模索している若者二人に、いい加減なアドバイスをしてはいけないのだ。
彼らは真剣だ。
真剣に、プロデビューを狙っているのだ。
音楽性の違いを乗り越えて、いつかきっとミリオンヒットを飛ばすだろう。
「と、取り敢えず頑張ってね」
フォローのつもりでそう言えば「君」と帽子の方がこてん、と首を傾げてこちらを見た。
「見かけない女の子だね?」
どこからきたの?どこのこ?どうしてきたの??
「バーカ。どうしてきたって、そりゃ、脚が有るから歩いて来たんだろ」
「脚?脚が有るおんなのこ??おんなのこって脚があるの??」
「生き物には大体脚があんだろが。・・・・・あんた、通りすがり?」
ピンクの猫にそう言われて、アリスは「まあ、そんな所ね」とポケットの小銭を探した。
もしかしたら新曲を聞いてくれと言われるのかもしれない。そうしたら、小銭くらいは出してあげたい。
もしかしたら、超超有名な二人組になるかもしれないし。
「だったら知らないかなぁ・・・・・今、空から勇者が降って来たんだけどさ!」
見なかった?
「え?」
空から勇者。
そこで思い出すのが、アリスがウサ耳男から「勇者」と言われた事だ。
確かに本の中に吸い込まれて、奇妙な浮遊感を味わった。その後、ここに来たから、もしかしたら自分は空から落ちてきたのかもしれない。
(うわ・・・・・本当に私、勇者認定されてる・・・・・)
一気に不安と面倒が押し寄せてきて、アリスはげんなりと肩を落とした。
「ええまあ・・・・・見たと言えば見たのかな?」
「マジで!?」
「ほらね!ほらね!!言ったとおりでしょう!?」
空から女の子が落ちてきて、そして、これは勇者だってボスが言って、連れてっちゃったんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・ん?
なんだか、自分の知らない事実が混じっていないか?
「わー・・・・・マジかぁ・・・・・俺も見たかったなぁ、勇者。でも、帽子屋さんが連れてっちゃったんなら、もう見れないかもなぁ」
「珍しいもの好きだからね、ボス。綺麗な勇者だったよ?金髪で・・・・・くるくるーってしてて、ふわふわーってしてて」
「巨乳だった?」
「そうかも」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの」
マジで!?帽子屋さん、美味しすぎるだろ!!!!
頭を抱えるピンクの猫に、アリスは恐る恐る声を掛けた。
「あの・・・・・勇者って?」
「あ?だから空から降ってきた勇者。あんたも見たんだろ?」
「いや・・・・・見たっていうか・・・・・」
それは私なんですケド、と言いたいが、どうにも話が食い違っている気がする。
そもそも私は誰にも連れ去られてなどいないし。
「・・・・・・・・・・・・・・・ここって、首切り女王に困ってる世界?」
「なんだよそれ」
「・・・・・じゃあ、凶悪な歌声の領主が居る遊園地?」
「それ、どこ?ここじゃないよ?」
「・・・・・仕事をさぼる夢魔の世界?」
「そんなの聞いたことないぜ?」
「・・・・・・・・・・じゃあ、紅茶狂いのマフィアのボスが居る世界?」
「あ、それうちのボスだよ」
にこにこ笑う帽子の男の子に、アリスは弱ったように頬に手を当てた。
確かにあのウサギ耳は言わなかっただろうか。
この世界を救う勇者がアリスで、世界を救えなくちゃ帰れないとか何とか。
(・・・・・・・・・・と言う事は、その空から降ってきた美女は・・・・・)
もしかして、女神とか!?天空城の姫君!?
「ね、ねえ、この世界にお姫様とか、女神様とか、巫女さまとか、そういう・・・・・なんっていうか悪漢に攫われそうな美女的な存在は居ないの?」
空から落ちてきた、ということにはそう言った神秘性が加味されて、それで勇者と誤解されてるのではないだろうか。物語ではよくある設定だ。
だが。
「んなの聞いた事ないけど・・・・・なぁ?」
「チーズのお姫様になら、俺、会ってみたいな!」
「それなら俺はお魚のお姫さまだなv」
今度はお姫様談義に花を咲かせる二人の青年を見詰めて、アリスはますます眉間にしわを寄せた。
そうなると、空から落ちてきた女とやらは勇者と言う事になる。
だが、アリスは勇者だとウサ耳に言われたから・・・・・
「もしかしてニセモノ?」
水戸のご老人シリーズによくある定番の・・・・・
「それはないよ。だってボスが勇者だって言ってたもん」
勇者を穢すのは大層楽しいだろうなぁって。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえ、穢すってどういう意味?」
「・・・・・・・・・・・・・・・まあ、あれだ。ラスボスとしては定番の考え方だな、うん」
「ていばんなの?穢すのが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ま、まあ、概ねそんなところだな、うん。・・・・・いや、違うかな。帽子屋さんだからか?」
「ねえ、あのね」
混乱する頭のまま、アリスは二人の青年にひたとその翡翠の瞳を見据えると、恐る恐る切り出した。
「実は私も勇者だって言われて・・・・・その、余所の世界から来たんだけど・・・・・」
「えええええ!?君、勇者なの!?」
「マジで!?・・・・・全然そんな感じしないのな、あんた」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
だってさ、勇者ってこう、マジパネェオーラ出てるって言うじゃん。
そうそう。さっきの女の子、すっごい美少女で、すっごいすっごい綺麗だったよ!
あんた・・・・・勇者って言うか、どっちかって言うと、村人Aって感じでしょ。
わーいわーい、村人A!村人Aさんとお話ししちゃった。
ばっか。傷ついたらどうするんだよ。勇者を語るにはおこがましい体型だってそれとな〜く教えて、名乗るのならせめて勇者の妹です、とかアドバイスした方が絶対いいって、マジで。
「全部聞こえてるんだけど」
マジパネェ、どす黒いオーラを発揮するアリスに、男の子がひいい、と後ずさり、猫が慌てて愛想笑いを浮かべた。
「いや・・・・・いや別に、あんたが勇者かどうか疑ってるってわけじゃなくてさ・・・・・その、ラスボスが自分が手にした女を勇者だって認めてるわけだし、そうなってくると、なんっていうか、あんたが例え勇者だとしても、物語的に成立するのかどうか、ていう疑問が出てくるだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・まあそうね」
自分の目的は、どうやらその紅茶狂いのマフィアのボスで、帽子屋とたびたび呼ばれる男を倒す事らしい。
その帽子屋が、勇者をさらって、あれやこれやしているらしい。
そこにのこのこアリスが出て行って、「勇者です」と名乗るもの・・・・・おかしな話だ。
「あんた、余所者なの?」
「え?」
では自分は一体何のためにこの世界に来たんだ?
あ、別にラスボスに「勇者です」て名乗らなくても、この世界で唯一の紅茶とやらを奪還すればいいのか。
そんな事を考えていたアリスは、興味深そうに自分を見詰める四つの瞳に、目を瞬いた。
「まあ・・・・・別の世界から来たから余所者っちゃー余所者よね」
「へえ・・・・・勇者以外に余所者なんて来れるんだ」
「いやだから、一応勇者で・・・・・」
「じゃあ、帽子屋さんが連れてってのがニセモノ?」
「ボスは正しいよ。コーヒーを認めてくれないけど、そのほかの事は正しい」
「だよな・・・・・帽子屋さんがそう言うの間違えるとは思えないもんな」
じゃあ、勇者が二人?
「・・・・・・・・・・・・・・・勇者かどうかはこの際どうでも良いわ」
その称号がこの世界でどれくらい効力を発揮するのか実のところ、よく判らない。
「主人公の息子が実は勇者でした、ていう物語もあったくらいだもの。不思議な余所者が二人、で良いんじゃないかしら」
「ああ、なるほどね。で、あんたは何をする気なの?」
「・・・・・・・・・・世界に一つしかない紅茶を手に入れるために来たんだけど」
「なんだー。あんた、ただの紅茶ハンターか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「やめたほうがいいよ、紅茶ハンター。ボスが真っ先に殺して回ってるもの」
ぶるぶる震える男の子に、アリスは再び溜息を吐く。
取り敢えず、ここで時間をロスするのも限界だ。
「紅茶ハンターでもなんでもいいけど、世界に一つしかない紅茶を手に入れればミッションコンプリートなのは確かなの」
「それ、帽子屋さんが持ってる筈だぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・やっぱりね」
その帽子屋とかいう男と、どうあっても関わらなくてはならないのか。
「紅茶ハンターなんて名乗らない方が良いぜ?それなら最初の勇者の方がまだいい」
「でも、勇者だと穢されちゃうんでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だったらさ!勇者の妹ってことにすればいいんじゃないか!?ほら、さっきあんたが言ったみたいに、主人公の息子が勇者でしたー、見たいな落ちでさ。余所者の妹が実は勇者でしたー、的な感じで」
自分が勇者だって言わなきゃ、帽子屋さん、興味示さないとおもうから。
「ま、あんたの体型じゃ勇者でも穢してやろうって気にならないとおもうけどな」
最後に余計な一言を付けた為に、ピンクの猫は勇者アリスの鉄拳制裁を受けて3500のダメージを喰らってひれ伏す。
「そうね。取り敢えず、連れ込まれた女の妹だけど、姉さんの所在をおって、帽子屋さんの城に潜入する、女スパイ的な感じで行くわね」
よし、と一つ頷いて、「ボリス大丈夫?」と心配そうにピンクの猫を覗き込む、帽子の男の子をその場に残し、アリスは颯爽と帽子屋領に向かって歩き出すのだった。
20101029