ケース8 惣一郎君

◎ 我が子の発達経過
 私たち夫婦には長男がいます。長男は切迫気味でしたが、無事に満期で産むことができました! 次の子も欲しく、無事に妊娠することができました! 同時期に、父親が末期癌を患い、仕事と介護をしながら妊娠生活を経過していました。
 妊娠19週5日で出血。職場でした。病院に自ら駆け込み、その場で切迫早産の診断にて入院。流産を覚悟しましたが、我が子はお腹に留まりました。ウテメリン点滴、安静にも24週に陣痛と再度出血あり、そのまま帝王切開にて出産。体重806g。
 人工呼吸器使用。肺高血圧があり、生後2日目に脳出血。脳出血による水頭症を合併しました。
 脳出血後水頭症に対して、リザーバー留置。毎日髄液をリザーバーから抜く処置が始まりました。
 NICUで呼吸器が外れた4か月目からコットの中でPTによるマッサージが始まる。
 生後5ヶ月。3400gにて右シャント術を行う。術後2日目に発熱。シャントから目的菌が出ずに約1ヶ月高熱が続き、抗生物質で対応。この時期は、我が子が反応がほとんど無く、私はとても辛く、何度も医師や看護師にシャントの早期抜去を訴えましたが、医師は『目的菌がでない限り安易に抜去はできない』と言われました。GCUから再度NICUに戻され、PTも中断、抱っこもできない日々が続きました。コットの穴から手を入れて、我が子をさすることしかできない。親として医療に委ねるしかできないのかと辛い時期でした。
 その後目的菌がやはりシャントから出たため、シャント抜去。
 再度リザーバー挿入され、髄液をリザーバーから抜く日々が続きました。この頃、PTがコットの中で再開され、うつ伏せや、手足のマッサージを中心に行われていました。
 生後9ヶ月で再度左シャント再挿入。生後10ヶ月にて退院までたどり着きました。
 人工呼吸器管理が長期化したため、酸素を外すことが難しくなり、酸素1リットルの在宅管理が必要となりました。そのため、慢性肺疾患の診断され、『肺の成長を見ないと酸素が外れるようになるかはわからない。外れても活動性が上がると酸素が必要なケースになるかもしれない』と言われました。私は肺の成長を促すため、呼吸リハビリを本を読みながら我が子に行い、全身にオイルを使いながらマッサージすることを日課にし行っていました。
 在宅になり、1歳を過ぎたあたりから、授乳中に目の動きや手足に変な緊張が入ることが気になり、脳波にてウエスト症候群に近い波形を指摘され、内服開始。発達の遅れがさらにでる可能性について医師からは話されました。内服開始後も、発作はコントロールできず、1日に20回くらい発作がでて、生活リズムが全く整わない日々が2歳まで続きました。リハビリを受けたくても、体調が整わず受けられず、気持ちが落ち着かない日々を送っていました。
 1歳10ヶ月で、てんかん専門病院へ入院。長時間脳波を行いながら、薬のコントロールをしました。この時の検査で、四肢に電極をつけ、神経伝達を見る検査を行いました。右手足には反応が波形として出ず、結果、神経伝達がされていないという説明を医師から受けました。
 動いているのに…? 信じられず問いましたが、おそらく不随運動に近いものであろう。と言われました。私は全く信じられませんでした。この告知から、とにかく右半身中心に手足を一本一本開いたり、握ったりすることを日課に追加しました。
 多剤使用にて、発作回数が減り、ようやくリハビリを定期的に行けるようになったのは、2歳頃からでした。この頃に難治性てんかんであることを告げられました。発作のコントロールができるまでは、我が子の発達はほとんど見られず、手足は動かすものの、寝たきりの状態でした。
 我が子はどのように成長していくのか、想像ができませんでした。何をすれば成長に役立つのかもわかりませんでした。どの医師に聞いても、『子どもは成長していかないとわからないから』と言われ、具体的な援助方法を言われたことはありませんでした。
 首がすわったのは・・2歳3ヶ月頃
 2歳4ヶ月からK療育センターで通園に通い始めました。週1回のリハビリは、バランスボールに乗せることが中心でした。
 発作のコントロールがついて、首が座っていました。この頃もよく、自宅で何かできることが有るかPTに問いていましたが、『本人が好きなことをやってあげてください。』としか言われませんでした。
 脳性麻痺の専門の医師がいると聞いて2歳半に、S療育園を受診。そこで医師が紹介先の返事として書いていたのは『左右差の強い両麻痺、自力独歩は難しく、ゴールは歩行器か、車イスからの自力移動程度だろう自力歩行は難しい。』という内容でした。これが我が子が産まれて告知された内容で一番ショックな時でした。親の私には、何もまだ始まっていない我が子のゴールを決められてしまった思いでした。
 この頃は寝返りをするようになり、寝返りで目的の場所へ移動するようになってきました。寝返りを始めたのは・・2歳8ヶ月頃。
 2歳11ヶ月からS療育センターで2ヶ月母子入所しました。ここでは、『何かやりたい希望がありますか?』と聞かれていたので、『歩行に繋がる訓練をしたい。』と話しました。歩行訓練として行われたのは、机にもたらせながら、足を他動的に動かす(骨盤を操作して)から始まり、脚を引き上げなくなってからは、後ろから支えて腕を支持しながら歩行を促す訓練でした。
 座る訓練も行われました。寝ている姿勢から、自力で手で身体を押し上げて座る姿勢に持ち込むという方法でした。
 3歳4ヶ月頃から寝返りから持ち込み座位になるようになりましたが、お姉さん座りのような姿勢をするようになってしまいました。左右が均等に体重がかかるように、何度も何度もあぐらになるように足を他動的に入れ替えさせていました。自分でお座りを始めたのは・・3歳4ヶ月頃。
 3歳10ヶ月頃、友人がシェアしていた投稿の内容が目に留まり、読み進んでいくと、私がリハビリに対して疑問に思っていたことが、全て答えがあるような内容。これがLS-CC松葉杖訓練法との出会いでした。友人に紹介してもらい、体験したのはもうすぐ4歳になるときでした。
 最初に行った時の驚きは、今でも鮮明に思い出されます。何故なら、今まで見たことのないような身体へのアプローチ。医師にも全く触れられたことのないような部位の一つ一つの確認。体験が終わると『先ずは正座をさせなさい。手を前に着いて身体を支えられるように。なるべくうつ伏せもさせなさい。歩けるようになるよ。』と言われました。明確に我が子への課題を出されたのが初めてでした。その事に感激しました。何度も何度も受けてきた様々な告知。前向きなものは一つとして無く、何度、絶望感の縁に立たされたことでしょう。前向きな希望とやるべきことが示されたのは初めてでした。『これはやるしかない』と思いました。やることが明確になった時の親は強い気持ちが芽生えます。それを実感した時間でした。
 四つ這いはまだできていません。

∞ 訓練指導に当たる者から見た惣一郎君の変化
 臥位から座位は、可能で横座りとなる。移動はほとんどが寝返りで、少し背這いを行う。うつ伏せが嫌いなようで、そのために肘這いを行わないようである。
 特に関節の可動域に問題はなさそう。
 訓練内容・・全身のストレッチ・正座と保持時間の延長・立位・CCでの手歩き・松葉杖訓練。
 スタビライザ、SLB、松葉杖を貸し出す。LS2度、松葉進度2、CC1度。
・ 訓練を開始して2か月後:腹這い(肘這い)を始める。
・ 訓練を開始して6か月ご:変形四つ這いを開始する。片麻痺に近いのに、いざり這いではなく、変形でも四つ這いを始めるとは!!
・ 訓練を開始して7か月後:LS3度となる。
・ 訓練を開始して8か月後:松葉杖歩行訓練で松葉杖を持とうとしない。足の運びやバランスは良くなっていると思えるのに…
・ 訓練を開始して10か月後:松葉杖での歩行は無理なのかも知れない。歩行器での歩行練習に切り替えるか?
・ 訓練を開始して1年後:歩行器を両手で持ち、歩行器歩行が少しできるようになる。
※ 医師の診断中に、右手を使えないような見立てもあったようだが、多少だが使うようになってきている!
・ 訓練を開始して1年3か月後:歩行器を使って歩行を目指しての練習を行ってきたが、立位や歩行バランスが獲得できていかないので、松葉杖歩行訓練を再開する。松葉進度2。
 松葉杖を右手では持てないので、紐を使って固定したが、嫌がることはない。
・ 訓練を開始して1年4ヶ月後:適当な高さの物が有れば、それにつかまり立ち上がり、つたい歩きを行う。
・ 訓練を開始して1年7ヶ月後:持ち込み立位から数歩の独歩を行う。
・ 訓練を開始して1年8ヶ月後:介助しての床からの立位から、数歩の独歩を行う。後方に倒れる事がある。
→→ その2週間後:首の後を手の指で触っているようにしていると、独歩を数メートル行うようになる。安心してできるのだろうか?
・ 訓練を開始して2年1カ月後:持ち込み立位から独歩を5m程行うようになった!

♪ 保護者の感想
 訓練開始から2年が経ちました。
 我が子はこの訓練に出会っていなかったら、医師に言われたように自力歩行は夢で終わっていたと思います。
 訓練開始から早い段階で変形四つ這いを始めましたが、その移動が可能になると急速に興味が増え、目的の場所にスムーズに行けるようになり、言葉も増えていきました。知的障害もある我が子は、身体の変化とともに物事の理解が深まり、言葉が繋がっていくことが明らかにわかりました。
 4歳近くまで寝返りしかできなかった我が子ですから、今、その頃の知り合いに会うたび、成長に驚かれます。
 『右手足の神経伝達がされてない。ゴールは車イスからトイレへの移動程度』と医師たちから告知された時、絶望感さえありました。こんなに動いてる手足なのに、我が子の身体の成長は本当にそこで終わってしまうのか。親として子どもの成長のために、何をしたらいいのか。それを具体的に話してくれる医師やPTなどになかなか出会うことができず、模索している時期が辛い時期でした。
 そしてこの訓練に出会い、やるべき事が明確になった時、単純に嬉しかったのです。自学で行った呼吸リハビリと全身マッサージ。これも決して無駄ではありませんでした。全ては、毎日継続していくことが大事である。という学びでした。
 今は床からの立ち上がりを少し介助すると、数メートルほど歩くようになりました。麻痺の程度に左右差があるため、バランスを崩す事が多く、本人も試行錯誤しながらバランスを学んでいる様子です。このバランス感覚の獲得が本当に難しいのだなと、訓練を続けていて思います。だからこそ、乳幼児時期にこのバランスを学ばないといけないのだと。
 しかしながら、私も沢山の施設で様々なセラピストに出会いましたが、残念ながら、その重要性を説いてくれる出会いがありませんでした。子どもの身体の成長をただ見守るだけでなく、重力、バランスを正しい方法で学ばせるリハビリが肢体不自由児には必要不可欠であること、そしてそこには継続することが大切であることを多くの親に知って欲しいと思います。
 立つことができるようになった我が子は、格段に介助が楽になりました。トイレに一緒に入り、待たせることも可能になりましたし、車に荷物を積む際にも、立たせて待たせることが可能になりました。
 これからの我が子の変化がますます楽しみです。
♪ 指導者の感想
・ 訓練開始1年を前に、変形でも四つ這いを行い、できれば歩行器歩行を可能としたい。
 訓練開始以前に、医師の言われていたことが正しくなかったことを裏付けるためにも…
・ 多少だが独歩を始めて、独歩が獲得できるのか? 《独歩に至ると考えているのだが…》
・ 訓練開始から2年1カ月が経過してしまった。やっとの思いで独歩を少し始めたが、後方に倒れる事も有り、ちょっと危険。安心して歩かせられるようになるのか? 安心して歩けるようにしたいのだが…!



 製作 LS-CC松葉杖訓練法 湯澤廣美