「釜石便り」    2018年10月

                                     ※写真の無断転載を禁じます。


現在の大町商店街(10/10)

今日の釜石は曇りです。
気温も涼しくなり、静かな釜石です。

先月29日、大町の表通りを散歩しながら、商店街の写真を撮ってきました。
行われていた歩道の工事も、青葉通り交差点前までは終わり、今はサンルートの東側から只越にかけて行われています。
大町は高い建物が多いので、道路が日陰にならない曇りの日に撮りました。
震災後、建物が解体されてなかなか商店が連続しない表通りですが、イオンタウンと市民ホールができたおかげで、周辺の人通りだけは以前より多くなった大町です。


あの日から7年半、9/29に街の記録として大町商店街を撮りました。
歩道の工事は終わりましたが、街灯の方がまだなようで、むき出しの電気チューブが見えています。

撮影場所は薬師公園前の交差点からですが、一番遠くにホテルサンルートが見えます。
中央に見える黄色いシートの店は、かつての阿部床屋さんだった所で、現在はヘアーサロンサゝキさんとなっています。
右手の大きな建物は、市民ホールTETTO(テット)です。

左角にはかつて日立家電の店がありました。
ソニーやTDKのカセットデープが主流の中、日立製カセットのデザインが気に入って何度も買いに行ったことがありました。
黒地に半円が三重となったデザインで、テープの長さによって水色(60分)とオレンジ?(45分)に色分けされていました。
その後はマクセルやナショナル(オングローム)、スコッチなども使ってみて、音比べするのも楽しみな時代でした。


少し進むと田丸スポーツさんがあります。
田丸さんの右隣は現在空き地になっていますが、コンビニができるとかできないとか?。
昔はオイシンマート、マイヤ、みずかみと、この場所は昔からスーパーの定位置となっていた所でした。
一等地なのに空き地が多く、早く賑わいを取り戻してもらいたい通りです。


左からレンズセンターコティさん、かつての阿部歯科(閉院)さんのビルです。
コティさんの所には小田島眼科さんもありました。
家が大町だったので、子供の頃は瓦田歯科さん、社会人になってからは阿部歯科さん、その後井上歯科(大渡)さんに通ってました。
病院も歯科医院も本当に少なくなりました。


大町と言えば、釜石ラーメンの元祖、新華園さん。
オレンジ色の建物(かつては若草色)は、かつての化粧品店のふじたやさん。

昔は丸光デパートとふじたやさんには多くの美容部員(社員)がいたので、訪れる若い女性も多く(年配の女性も)、大町には垢抜けした華やかさがありました。
昔はクリーム色でしたが、赤いビルは菊池クリーニング店さんでした。
左の空き地は、かつて文房具店の前田瑞光堂のビルがあり、後にメガネ・宝石の天賞堂さんが入りました。
天賞堂さんは店名を変えて小佐野で営業中です。


大町の、かつてのふじたや交差点より大渡方向。
左にはミッフィカフェが入る情報交流センターと市民ホールTETTOができました。
左にはかつて、インテリア中川屋さん、片桐鮮魚店さん、ブックス釜石さん、丸光デパートと続いていて、この周辺は釜石一の繁華街を形成していました。
あの頃を思い出すと、現在は寂しい感じです。


かつてのふじたや交差点より東(港)方向。
サンルートまで、みごとな直線道路が続きますが、通りに面した商店が少なくなり、活気がなくなりました。


ふじたや交差点から南側にはイオンタウン(正面突き当り)があります。
ふじたやさんはもうないので、個人的にこれからはイオンタウン前交差点かミッフィカフェ交差点と呼ぶかも?です。


かつての丸光(後にニチイ)があった辺り一帯は、市民ホールTETTOになりました。
ガラス張りの屋根のある広場を抜けると、イオンタウンに通り抜けできます。
イオンタウン最寄りのバス停となるので、バス停には必ず人がいるようになりました。


大町の中塚自転車屋さん前より市民ホール方向。
左の建物の所には、かつて食料品店の小田中商店さんがありました。
瓶に入ったフルーツ牛乳やヨーグルト、よく買って食べたものです。


大町の中塚自転車さん前より東(港)向き。
隣は着物の京紅さんですが、ここにはかつて明治生命があり、セールスレディも当時は多かったものです。
この先には8階建ての復興住宅もできました。


釜石中央(かつての岩手銀行前)のバス停前より大渡方向。
右端の少し切れた所には、かつて釜石ラーメンの大連さん、丸増菓子店がありました。
もう少し商店街としての活気が欲しい所です。


青葉通り交差点には、ホテルサンルート(かつての錦館)とベイシティホテル(かつての菊丹)があります。
遠くに見えるのはホテルルートイン(かつての国際映画館)です。


青葉通り交差点よりベイシティホテル方向(南向き)。
ベイシティホテル左隣のビルは、かつて1階はパチンコバンバン、2階は車門という大きな喫茶店でした。
車門の焼うどんは特においしくて、今でもあの味は忘れられません。
上にかけられたけずりぶしが、熱でゆらゆら動くんです。

ベイシティ裏側にある「親不孝通り」も「親富幸通り」に名称が代わり、夜の釜石の歓楽街を支えています。
奥には復興住宅2棟も見えています。


サンルート前より大町商店街のメインストリート(大渡方向)。
角地に建つのは1階がテナントの8階建て復興住宅ですが、通りの商店数はめっきり少なくなりました。
昔はここの角から商店街を見るのが好きでした。
遠くに丸光や化成ビルが見え、商店も連続してあり、多くの人が歩き、何台もバスが続けて来たものです。

鈴子町にある郷土資料館に行くと、昭和37年当時の釜石の住宅地図があります。
釜石の全盛期だけあって、街なかにびっしり会社や商店、病院や事務所、一般住宅がひしめきあっていた当時の様子が分かります。
コピーもしてくれるとか。


橋野町中村にあるお寺、林宗寺近くの山の中に、源義経を祀った「中村判官堂」があります。
中村の地は「義経北行伝説」の舞台ともなった場所で、平泉を追われた義経主従が北へ逃げ延びる際、立ち寄って宿をとったとされています。
かつては別な場所に建立されていたという中村判官堂ですが、橋野小学校中村分校を建てる時にここに移設されたとの事。
義経主従は遠野を出て、仙人峠から大峰山、六角牛山の峰々を越えて中村まで入った大変さに、思いを馳せるのもいいものです。

フリーカメラマンとなった20年ほど前、仕事でここを初めて訪れました。
観光パンフレットに掲載する写真撮影の依頼で、 正式なルートは民家の庭を通らせてもらうようですが、当時は林宗寺のお墓の裏山にある山道を登らせてもらいました。
今20年ぶりに改めて来てみると道順も忘れ、何とかたどりつくありさまでした。
今改めて釜石・大槌の撮影場所をいろいろ訪れていますが、そんな当時の事などを振り返りながら、過ぎ去った年月を感じています。

釜石では、橋野町中村の「中村判官堂」と室浜の「法冠神社」に義経伝説が残っています。


トップページの「秋の野」は、10月の鵜住居川河畔の風景です。


                 

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