「釜石便り」   2018年 6月


                                    ※写真の無断転載を禁じます。


7月の第1週頃まで、しばらくお休みいたします。(6/24)


思い出の地へ(6/21)

今日の釜石は明るい曇りです。
午後には晴れて、青空も見えそうです。

17日の日曜日、久しぶりに思い出の地を歩きました。
かつて住んでいた大町の自宅跡地から、トンボと写真に目覚めた懐かしの大渡川河口までの間を、当時の思い出をたどりながら散歩してきました。

自分の生まれ育った大町の南裏通りは、私たち家族が震災前まで暮らした土地ですが、津波で家は流され、その後イオンタウン誘致などのために立ち退いた場所です。
市が進める中心市街地賑わいプロジェクトの為、隣り町である大渡の方に立ち退きましたが、大渡も昔から馴染みがあり、大町同様の生活環境で暮らしています。
大渡小学校だったので同級生・友人も大渡に多く、釜石駅や書店、大渡川、旧国道などに行く時の通り道でもありました。
災害や立ち退きで移転せざるを得ない時でも、やはり住み慣れた環境に近い場所や馴染みのある所に住みたいものです。


震災前まで住んでいた大町の我が家(左端)前です。
この通りの先、右側には横屋酒店や天ぷら・うなぎのなか川がありました。(敬称略)
左側には100歳アスリートとして全国的に有名になった下川原先生も住んでいて、ご近所でした。


現在、同じ場所には左に黒い建物のタウンポート大町、右に大町駐車場ができました。
まっすぐ行くと表通りで、化粧品店のふじたや(現在は廃業)交差点があり、元祖釜石ラーメンの新華園もあります。


ニチイ(平成14年閉店・旧丸光デパート)の建物があった頃の大町南通り。
中央に見える歴史を感じさせる高い建物は、畳とインテリアの中川屋です。
どちらも今は解体されてありません。


大町の南裏通りから大渡川方向です。
子供の頃は昆虫少年だったので、この道を通って大渡川に行くのが楽しみでした。
途中道をそれて、大渡の松坂商店(当時はおろし屋と言ってました)に寄って、虫捕り網を買ったりもしました。
おろし屋では、虫用の赤や緑の液体が入った瓶がセットになっている注射器なども買ったものです。


先の写真と同じ場所から。
現在はイオンタウン(左)に通じる階段とデッキができました。
遠くには8階建ての大渡復興住宅も見えています。
白い煙は製鉄所の火力発電所です。


震災前の大町と大渡の境目付近。
右にはNTTビル(昔は電報局と呼んでいました)と、中央には釜石保育園がありました。

保育園の所は、昔釜石警察署がありました。
拘置所?もあり、子供の頃は塀の中に入ってコオロギ捕りもしました。
懐中電灯を照らしていて、職務質問をされた前科もあります。
電報局の敷地内も子供の遊び場で、電線や器具も落ちていて、楽しい空間でした。
中で遊んでいても、怒られたことは一度もありませんでした。


現在の大町・大渡の境目付近です。
NTTビルは今もありますが、釜石保育園の所には消防屯所とイオンタウンに上がる車用スロープができました。
薬師公園前の交差点からイオンタウンに車で行く時はここを上って行きます。
下に見える裏通りは廃道となり、現在大町・只越方向へ通り抜けできなくなりました。


かつて青果市場があった所から見える大渡川です。
震災後、青果市場はなくなり、橋上市場や朝市もだいぶ前になくなったので、この川沿いも静かな通りになりました。
昔は本当に賑やかで、河川敷も駐車場として開放されていました。

大渡川は昔、「釜石川」とも呼ばれ、本州一の鮭川だったとか。
街の人は今でも「大渡川」と呼び、口が裂けても「甲子川」とは言いません。


旧青果市場前にある製鉄所の三の橋と、その上は三陸鉄道の大渡鉄橋です。
鉄橋は国鉄の三陸縦貫鉄道として工事が進められましたが、国鉄民営化の後、三陸鉄道に譲渡されました。
三の橋より下流側は私のトンボとの思い出の地でもあります。
この辺の岩をひっくり返せばカニが捕れます。


三の橋をくぐってすぐ、三鉄鉄橋と昨年12月に開通した千年橋が遠くに見えます。
昔は製鉄所のいろいろな橋や配管が大渡川を横切っていましたが、今は三の橋だけとなっています。
当時は漁船も係留してあり、確か牛もいたような?。

私が子供の頃、この辺は製鉄所から流れるお湯が池となっていて、フナやドジョウが棲みつき、トンボの楽園でもありました。
小学1年の頃、学校帰りに天ぷら屋の息子Kとヤゴ捕りに来たことがありました。
ランドセルを草むらに放り投げ、池の泥を両手で岸辺に揚げると、ヤゴがびっくりするくらいごっそり捕れたものです。

兄がギンヤンマのつるめんこ(交尾・連結産卵・写真↓)を網で捕った時の事が今でも思い出されますが、当時、ギンヤンマの連結産卵をオス・メスごと一緒に捕るのは自慢なことでした。
釜南(釜石南高校)時代には、当時は超希少種のマダラヤンマをここで発見し、試験期間だったこともあって、河原でトンボを横目に勉強した事もありました。


ギンヤンマの連結産卵です。(2016年8/31台風通過後の大渡川)
ヤンマの中で、オス・メスが連結したまま一緒に産卵するのはこのギンヤンマだけで、二匹一緒の姿は本当に感動します。
黄緑の地に青のきれいなヤンマですが、子供の頃はこのギンヤンマがなかなか捕れず、連結産卵のまま2匹とも網で捕るのが夢でした。
2012年の津波災害1年後と、2016年の台風の時、大渡川はギンヤンマが大発生しました。


三の橋下から見える製鉄所の火力発電所。
今はすっきりしていますが、昔は製鉄所の高炉や工場群がずらりとありました。
富士製鉄時代からここの風景を見てきましたが、釜石製鉄所は来年、新日鐵住金から日本製鉄(にっぽんせいてつ)に社名が変わるとの事。

高校2年の時に念願の一眼レフカメラ、オリンパスOM-1を買って、初めて大渡川を撮ったのもこの場所でした。
フイルムは白黒で、レンズは標準レンズ50mm1本だけでしたが、大渡川の風景を写真で残したいと思って撮りました。
今それらの写真は津波で流されありませんが、思い出だけが残っています。

カメラは自分の1年以上の貯金約2万円に、母が5万円位出してくれたと思いますが、大町にあったカメラの藤田屋で買った時の喜びは今でも忘れられません。
このカメラが我が家初となりましたが、ここから私の写真人生が始まりました。


大渡川河口に近づくと、広々した開放的な風景が広がります。
以前は背丈の低い水辺の草の草原でした。
右は松原ですが、青い建物は以前の場所より少し上流側に移転した石田モーターです。


左端は河口に架かる矢の浦橋です。
松原のパチンコ店や復興住宅も見えています。
昔はビルが少なかった松原ですが、きれいな町になり、大きな建物が増えました。


大渡川の河口側から上流側を望む。
今はなくなりましたが、昔はここに「丸池」と言って、直径10m弱のまあ〜るい池がありました。
ギンヤンマのヤゴがよく捕れるので、子供の頃はここに来るのが楽しみでした。

虫に興味がなくなったのが中学に入ってからですが、一中では3年間サッカー部でした。
クラブの練習が嫌だったので、高校は自由な時間が作れる帰宅部でした。

釜南1年の初夏、ある夢を見ました。
丸池でギンヤンマのヤゴをたくさんすくっている夢で、確かめたくなって再び丸池を訪れてみたのです。
懐かしい風景に迎えられ、忘れかけていた川の匂いや開放的な空間にも癒されましたが、すくってみるとギンヤンマのヤゴがたくさん捕れ、夢が現実だったことに驚かされました。
その頃、学校帰りに立ち寄った大渡の書店で、「日本のトンボ」という本を見つけ、ますますトンボの懐かしさや魅力にひかれ、トンボの写真も撮りたくなったのでした。

この時を境に、再びトンボに目覚めてしまい、網を持つのも恥ずかしかったので、カメラでトンボを追うようになりました。
近所の子供たちを連れて虫捕りに行ったのもいい思い出となり、自分の人生の宝ものとなりました。

この場所に来るといつも思い出すのが、ミッシェルポルナレフの「忘れじのグローリア」、当時の大渡川河口の風景と、緑の草むらと吹き渡る風が今でもしみじみ思い出されます。
大渡川は、私がカメラを始めるきっかけになった場所であり、私の心の風景でもあります。



釜石も梅雨入り(6/11)

今日の釜石は霧雨が降っています。

私の仕事の方も、今日の朝一のアルバム納品ですべてが終わり、当面は自由になった私です。
自由の身とは言え、母の簡単な介護と、撮影画像のチェックや撮影計画を立てたりするのも好きで、パソコン画像を夜まで見るのが毎日の日課でもあります。

釜石も11日に梅雨入りとなりましたが、いつもこの時期になると思い出すのが、昔の曲ですが、ウイッシュの「六月の子守唄」とイルカの「雨の物語」です。
どちらも私の好きな曲ですが、特に「六月の子守唄」は、私が高校時代によく聞いた、深夜放送のコッキーポップで流れていた曲です。
オカリナの優しくて静かなメロディで始まりますが歌詞も良く、今でも高校時代に深夜勉強をしていた若かりし頃を思い出します。
家族が寝静まった深夜、雨の音と共に、寂しげなヨダカ(ヨタカ)の鳴く声も遠くで聞こえ、今の何とも気ぜわしい自分とは正反対な時の流れがありました。


5/25は松原神社の裏山にあがらせてもらいました。
鈴子側は市街地の定点撮影場所の一つにさせてもらっていますが、反対側の木々の隙間からは、公共ふ頭のガントリークレーンと水門工事がよく見えます。
水門は5基のうち3基が完成し、残り2基の完成が待たれます。

左に少し見えるのは矢の浦橋で、松原交差点付近にはパチンコ店2店とセブンイレブン、復興住宅などが建っています。
この日は快晴の予報で、抜けのいい青空を期待して行きましたが、霞の多い日でした。


5/26は空気も澄んだ久しぶりの快晴日。
このすっきりとした快晴日を待って、仙寿院墓所、避難道路、石応禅寺墓所、黒崎峠を回り、それぞれの定点撮影場所から市街地を撮ってきました。
これで2回目となる撮り直しですが、緑が濃くならないうちに撮れて、まずは一安心でした。

写真は避難道路から見える、新緑の釜石市街地です。
復興住宅があちこちに増えました。
釜石の新緑風景を見ていると、今年も生きているという実感もわいてきます。


5/27は白山小学校の入口から嬉石の街並みを。
かさ上げされ、区画整理された土地には家が建ち始めています。


嬉石の墓所にも上がらせてもらいました。
早く家々が建ち並ぶ嬉石を見たいものです。
右上は白山小学校です。


中央は国道45号沿いに建つ嬉石の復興住宅です。
右側手前にはカワセン酒店もありました。


松原神社からの眺めです。
復興住宅も建ち、松原も家が増えました。


5/29は朝から快晴となりましたが、ヤマセ発生で海霧が・・・。
写真は大平墓地公園展望台から見える、右に大観音、左は釜石商工と大平中です。
海霧は三陸沿岸の初夏の風物詩ですが、霧で何も見えなくなることもあります。
寒いし!。


6/2は、千鳥町にある鳥ヶ澤の山頂へ。

市街地の定点撮影場所として毎年登っていますが、フォトライブラリーのストック写真の意味合いもあります。
釜石を紹介する写真として、緑の山々に抱かれ、製鉄所があり、海に面した釜石の街並みの写真は撮っておきたいと思っています。
公共ふ頭にガントリークレーンが設置されて初めての新緑シーズンという事で撮りに行ったのですが、霞の多い、もやっとした感じなのが残念でした。


鳥ヶ澤山頂から見える釜石港と湾口防波堤。
公共ふ頭にはガントリークレーンも見え、ちょうどコンテナ船も来ていました。
製鉄所の南桟橋には石炭貨物船の巨体も横付けされ、タイミング的にはこれ以上ない釜石の港風景でしたが、残念ながら霞があって・・・。
新緑はとっくに過ぎてしまいましたが、霞のないすっきりとした青空の日に再挑戦です。
その時船もいればいいですが・・・。


大町の表通りに完成した市民ホールTETTOです。
屋根のある広場の場所は、昔の丸光(のちにニチイ)があった辺りです。
人や車の少ない6/3の日曜日朝に撮影しましたが、奥にはイオンがあり、日中は屋根のある広場を通り抜けする人も多くなりました。
左はミッフィーカフェなどが入る情報交流センターです。


6/3は枚根森山に登りました。
松原側の山の中腹からは釜石市街地がよく見えます。

イオンタウン前では、大きな広告塔のあるサンデー釜石港町店の建物もほぼ完成で、初夏のオープンが待たれます。
街なかに市民ホール、イオンタウン、サンデーと、賑わいも増しそうです。
これで、市民ホール、復興住宅群などと共に、釜石市街地の顔がほぼできあがりました。


松原側から市街地を撮影後、嬉石側に回ると、大観音から煙がもくもくと・・・。
ちょうどこの日は、恒例の釜石大観音「炎の祭典」日でした。
尾崎半島にはヤマセによる海霧もかかり、供養の煙と共に、釜石の初夏を感じさせる風景となりました。



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