「釜石便り」  2012年2月




「釜石・大槌復興クリアファイル」只今欠品中(2/27) → 3/3に入荷しました

 心象舎の写真関連商品をお求めいただき、ありがとうございます。
「釜石・大槌復興クリアファイル」ですが、ただ今心象舎の在庫が欠品中となっております。
次回入荷は、3月6日前後となっておりますので、発送ご希望の方へはそれまでお時間を取らせていただくことになります。
尚、釜石市内の書店様・販売店様では在庫がある所もございますので、釜石・大槌近郊の方はそちらでお求め下さい。
いつものんきで発注が遅れた私ですが、ご不便をおかけして申し訳ございません。

只今27日のお昼前ですが、釜石はまた雪が舞っています。
25日(土)は釜石今季最高の20cm程度の積雪となりました。
その時の写真は近日中にアップいたします。

その後、釜石は雲一つない快晴となりました。
でも風はまだ冷たいです。



私の近況と写真の話(2/23)

 今日の釜石は雨。
今年になって初めての雨だと思いますが、この久しぶりの雨は、晴耕雨読生活の私にはゆっくりできる恵みの雨となりました。
仕事柄、晴れていると、「どこかへ行って撮影しなくては!」という追い立てられるものがありますが、雨の日はそんな気持ちから解放されて、身も心ものんびりゆっくりできるので、個人的には雨の日も大好きです。

でも正直な話、なかなか進まない決算の事で、ゆっくりくつろげないのが本音です。
3月の津波で、証拠書類がすべて流され、その後の避難生活や写真集発刊の忙しさで、記帳をし始めたのが今年になってからの体たらく状態です。

今、私の一日は朝6時起床、高校一年の息子を起こして新聞を読み、母の介護を少しして朝食後に撮影に出発のパターンです。
今は光る海の撮影をしていますが、復興釜石新聞に掲載する「かまいし便り」の為に、少なくても週に2回は撮影に出かけています。
被災した釜石市民を癒したり、少しでも元気になってもらいたくて、釜石の美しい風景や釜石の教えたい風景などを中心に撮影していますが、写真に添える私のつたない言葉でも応援できればと思っています。

午後は撮影してきた画像のチェックや申告に向けての記帳など、デスクワークが中心です。
写真集の注文があれば、午後に梱包作業と発送です。
入浴は夕方で、夕食後はネットをしたり懐かしい音楽をヘッドフォンで大音量で聞いています。
昔の懐かしい音楽は本当にいいものです。
こんな狭いながらも同じ部屋での家族団らんが、楽しいひと時です。


自分の趣味は写真と音楽、そして釜石市内の散歩です。
昭和博物館状態だった私の部屋のテクニクスのアンプとアルミハニカムの平面スピーカーは流されてしまったので、今回新しくヤマハのスピーカーとアンプを買いました。
今回ヤマハにしたのは、ヤマハの白いスピーカーが欲しかったのと、流された娘たちのピアノがヤマハだったので、思い出も兼ねてヤマハにしました。
アンプの表示やスイッチ類は浦島太郎状態で、正直今でもよく分かりません。
アンプにLANケーブルをつないで、パソコンから音楽を送る時代になりましたが、正直ついて行けません。
でも昭和の懐かしい音楽をこれで聞くのが至福の時です。
音楽は私の元気の源であり、風景写真撮影にも必要なものです。


2/18のきらめきの唐丹湾(とうにわん)。
今の時期は午前9時から10時の間、小白浜の国道交差点付近から、きらめきの唐丹湾が見えます。
待っていれば、さざ波が発生し、美しい光彩を描きます。
釜石の早春の風景です。
釜石の美しい風景にいつも癒されています。


2/22の唐丹町の花露辺(けろべ)弁天島です。
午前9時頃が撮影どきです。
光る海を見ていると、元気が湧いてきます。
地元の方のお話によると、弁天様が流されて見つからないとの事、本当に残念です。
釜石の風景は市民に癒しを、そして勇気と希望を与えてくれます。


2/22の松原交差点。
松原の町は建物がほとんどなくなり、三陸鉄道の高架橋だけが目立っています。


さて、あの大津波から間もなく1年になりますが、この間に私の写真に対する考え方もすっかり変わってしまいました。
写真の楽しみ方、考え方は人それぞれですが、まずデジタルカメラになって本当に良かったと思っています。
もしあの時、まだフイルムカメラの時代だったと思うと、多くの方々がこれほどまでに貴重な写真をこの世に残せなかったのではと思います。
私もデジタルカメラのおかげで、被災後3日間だけはバッテリーが続く間、約1,000枚の釜石の写真を撮ることができました。
3月下旬に中妻のアパートに移ってからは、充電器もなかったので後藤カメラさんにバッテリーの充電を頼み、3月末から再び各地区を回って撮影しましたが、約4,000枚の記録写真は、36枚撮りフイルムに換算すると約111本分という事になり、撮影時のフイルム交換も大変な手間暇が掛かるうえに、現像代やその後の画像チェックは大変なものとなったはずです。
デジタルのおかげで、経費も掛からず、楽に自由に記録することができて、デジタルカメラに本当に助けられました。
また今回の様な状況では、状況をくまなくスピーディに記録する為にも、ズームレンズの時代で良かったと思っています。


2011年3月13日の松原町押切商店付近。
被災した押切商店さんが、水に濡れた食品倉庫を市民に開放してくれたようです。
多くの市民が食料を求めて倉庫内に殺到しました。


2011年3月13日、浜町の丸屋商店さん・丸賀さん周辺。

この日は朝食後、お昼も取らずに夕方ちかくまで、釜石の東部地区を中心に歩き回って記録しました。
「とにかく記録せねば!」の思いで、徒歩で丸一日歩き、がれきの山を何度も乗り越えたので足が棒になりました。

3/11の避難時は、仕事に行く直前だったのでカジュアルな革靴を履いて一度避難しましたが、息子の事が気になり、家族を旧国道に残して一人で家まで戻りました。
その時、登山靴の様なウォーキングシューズに履き替えて再度避難しましたが、この靴はがれきの上を乗り越えて歩く時にも本当に安心で楽でした。
またその後の避難生活でも、買い物や物資をもらいに遠くまで徒歩で行ったり、足でアパート探しをする時にも、この時の靴が役に立ちました。
あの頃は、本当に多くの市民が1日中被災地を歩き回ったものでした。
避難所では食事当番などのいろいろな役割があり、また家族を残して出かけるのも気が引けましたが、この時写真をたくさん撮っていなかったら、一生の後悔だったかも知れません。


大町青葉通り交差点の3/13の光景。
この頃は、布団や毛布、食料・衣類、何もかも不足した状態でした。


3/13の大町・国際パチンコ前。
被災して家が流されても、釜石市民は元気な方が多かったです。
私もそうでしたが、生きている喜びに満ち溢れていたのかもしれません。


3/13の只越商店街。
右奥の北銀の建物は今は無くなっています。


3/13のみずかみ只越店前。
たくさんの荷物を背負った方々が、家族・親族のもとに救援物資を届けに行く姿でしょうか?。
悲惨な光景なのに、皮肉にも明るい青空が広がり、陽気も良かったのを覚えています。


3/13の只越商店街。
右は堀医院。
この頃は多くの市民が物資を求め、水を求め、そして家族・親族の安否確認の為に、長い距離歩きました。
非常時用に、歩きやすい底の厚い靴を常に用意しておいた方がいいと思いました。


写真集を発刊して本当に肩の荷が下りました。
一度すべての写真を流された経験からか、パソコンに入っている状態も不安なものでした。
デジタル画像は使い勝手がいい反面、画像がいつ消えるかも知れない不安もつきまとうものですが、写真集などの印刷物等で発刊した時に、写真が完結するものだと思うようになりました。
今までたくさんの釜石の街並みの写真を撮ってきましたが、それが3月のあの日、一瞬で写真が無くなり、ただ保存してた自分を後悔すると同時に、写真のあり方を考えるようになりました。
画像をバックアップをして残すのも大事ですが、やはり写真は印刷物などで発表し、残すのが一番だと私は思います。
写真集を出してからと言うもの、写真集があれば、オリジナル画像を失ってもいいと思うようにもなりました。
そして何よりも、写真集を出して皆さんから感謝されたのが一番嬉しかったです。



中妻から大町へ(2/19)

 今日の釜石は晴れていましたが雲が多く、午後には小雪が吹雪きました。
2月半ばを過ぎたというのに、釜石は例年にない冷え込みが続いています。

今日は今住んでいる中妻のアパートから千鳥町の変電所を登り、旧国道から大町までウォーキングしてきました。
大町商店街では商店解体の足場が組まれ、次々想い出の商店が姿を消しています。
解体後は、できるだけ早く新しい街並みが復活し、以前にも増して賑わってもらいたいものです。


私の住んでいるアパートの近くには中妻保育園さん、お菓子屋さんの虎月さんがあります。


昔、八雲小学校があった所には釜石中学校があります。


釜石中学校前から千鳥町方向。
右側を甲子川が流れています。


千鳥町のトヨペット。
踏切を渡ると変電所に通じます。


途中、旧電力社宅と警察アパート(奥)があります。
右にJR山田線の下をくぐる小さなトンネルがあります。


千鳥町の変電所です。
この右側に、鳥ヶ澤隧道前に出る山道があります。
高校から大学時代は、トンボ観察で良く来ました。
オニヤンマの写真を撮ったり、ミルンヤンマと言うトンボを初めてみたのもこの変電所の沢でした。
当時、免許も無い私は、ここに来るのは徒歩か自転車でした。
当時チェリッシュの「避暑地の恋」が流行っていた頃で、この曲を聴くといつも夏の涼しい変電所の沢でのトンボ観察の事を思い出します。
私の想い出の場所です。


変電所から鳥ヶ澤隧道に出る山道。(上から下方向)
あの日以降、まさかこの道を多くの人が上り下りするとは思ってもみませんでした。
3月11日以降、何度も余震に見舞われ、中心部の人が五の橋以西に行く時、津波警報が数日間出され、鈴子や駒木も通ることができず、旧国道から変電所に降りて、千鳥町に出る人が多かったのを今でも鮮明に覚えています。
私も孫や子供たちを小川の義理の妹宅に送って行く時に、この道を使いました。
私は孫を背負い、子供たちを無事に千鳥町まで下しました。
常日頃から、山道は覚えておくべきだと思いました。


山道を登ると鳥ヶ澤隧道前に出ます。
ここが旧国道で、両石町水海と大渡をつないでいます。
普段はウォーキングに最適ですが、緊急時は大切な道路になります。


眺めのいい旧国道。
空気もきもちいいです。


途中水飲み場もあります。
あの当時、水汲みに来る人が多かったようです。


旧国道は眺めの良さも売りです。
観光道路にしてもいいくらいです。


解体の足場が組まれた大町商店街。
解体は寂しいものがありますが、これから新しい釜石が生まれると思うと、心弾むものがあります。
私が好きなトワエモア「虹と雪のバラード」の中に、「街ができる美しい街が〜♪」という歌詞がありますが、札幌オリンピックで街が大きく変貌する札幌の姿を歌ったようですが、釜石も津波被災を機に復興で大変貌してもらいたいものです。
釜石ならできる!


右から順に、はんこの店・かわさきさん(今中妻で営業中です!)、鶴千(かくせん)旅館さんとエプロンハウスHOTさん、佐々木薬店さん、あゆみ訪問介護ステーションさん(昔の荒井電気さん)の建物。
はんこのかわさきさんの所は、昔東京堂靴店でした。
革靴を買うと、かかとに金属のチップを打ち付けてくれました。


東北電力さんの隣には丸徳呉服店さんがありましたが、被災前に閉店していました。
二階では、英語塾・あかざきさんがやっていました。


消防署の隣にあった釜石保育園さんの園舎も解体が終わっていました。
この場所は釜石警察署があった場所ですが、次はあの消防庁舎も解体される予定です。
消防庁舎は鈴子に新しく建てられる予定ですが、中心街からいろいろな建物が去っていくのは、昔の賑やかさを知ってる者には本当に寂しいものです。
早く復興計画が進み、人が多く集まる新しいビル街が形成されるといいですね!



大渡商店街の今(2/10)

 今日の釜石は晴れていますが、時々雪が舞っています。
釜石は2月を過ぎても寒さが緩むどころか、相変わらず寒い日が続いています。

さて大津波が街を襲ったあの日から、間もなく1年を迎えようとしていますが、被災した中心商店街に出店する店は少しあるものの、解体される建物が多くなってきました。
開発・出店ラッシュに備えた動きであればいいのですが、はっきりとした計画も見えない中での更地化は、本当にさびしいものがあります。
今日はそんな大渡商店街を歩いて来ました。


2/10の大渡商店街。
今日は内陸が雪の為、釜石もすっきりとした快晴とは行かず雲の多い晴れでした。
時々西の方から雪も飛んできます。
大渡商店街・日の丸薬局さんから旧つたや(白山ビル)さんまでの商店5棟に解体の足場が組まれて、解体工事も秒読みの段階でしょうか?。


被災前に廃業した精光堂(青い建物二棟)さんを中心に、右は山形屋さんでした。
精光堂二棟のうち左側は、以前時計・宝石のジュエルさんでした。
また山形屋さんの所は、以前レコード・CDのソフィア精光堂さんでしたが、昔は山田豆腐屋さんだったような・・・?。


大渡バス亭付近。
左のグリーンネットは、いきがい市場さんですが、解体予定でしょうか?。
この場所は、昔の山田陶器店さんだった所です。
山形屋さんは、右の森田健康堂さんの所で営業中です。
その隣のアネタイさんも改装中のようです。


大渡バス停前にはおみやげ屋のマルダイさん、そして村井食堂さんもありました。
宮古信金さんの建物は、同級生のいる国分商店でした。
業務用冷蔵庫からぎんぎんに冷えたフルーツ牛乳を、小学生時代によく飲ませてもらいました。
マルダイさんには私のポストカードを置いてもらいましたが、私が小学生の頃はおもちゃとプラモデルも売っていたので、何度も来たものでした。
色のついた床がマルダイさんの店内の名残です。


右の赤いビルは、かつて東北一の売上を誇った工藤肉屋さん、二階の工藤食堂さんも値段の安さとボリュームの多さで大人気です。
右のグリーンネットは「いきがい市場」さんです。
左の玄関の赤いレンガ跡は、洋菓子のカメヤマさんがあった所ですが、橋から東にケーキ屋さんが無くなったのは残念です。
菊池建設さんのシートが目立っていましたが、この写真を撮っていると、やはり橋野の滝探検家のMさんにクラクションを鳴らされました。
あっちもこっちも工事が続いて、滝の探検どころではないようです。
ちなみに左の建物は、昔の松前屋で、後にデリカという名前で、ここ大渡本店と大町の岩手銀行の隣で手広くパンを売っていました。
私の同級生の家でもあります。


大渡の日の丸薬局さん前には、松坂屋・とれぱに店さんがかなり前からオープンしています。
裏では時間制駐車場と合鍵作成をしています。
私の様な最近の流行に付いて行けない者には、店名は昔体育の時に履いた白いトレパンを思い出しますが、トレーディングカードと以前の店名・ぱにっくを合わせた名前の様です。
土日には子供たちで大賑わいで、子供たちの自転車がずらり並んでいます。
でも古い人間には、小学生の頃に食べた松坂屋さんのラーメンの味、ここでの味も忘れられません。
ちなみに隣には昔「いせや」さんがありました。
大渡小学校の運動会と言えば、いせやさんで買う白足袋でした。

道路右側に見えるグリーンネットの建物は、及新書店さんで、只今オープンに向け改装中です。
まちなかの書店さん開店、今から楽しみです。
及新書店さん、がんばって下さい。



大渡の及新書店さん向いのビル2階には、井上歯科さんが開業しています。
被災前は及新書店さんの右隣で開業していましたが、いつもこの辺を通るたび、あの日の事を思い出してしまいます。

地震が収まってすぐ、足腰の悪い母と妻を車に乗せて避難する時、たまたま孫たちが歯科医院に行くことを聞いていた私たちは、歯科医院にいた娘と陸坊・空坊の三人を拾い、すぐに旧国道に避難しました。
もしあの時、治療が終わった親子三人が商店街を海方向に歩いて帰っていたらと思うと、本当に何もかも運が良かったと思っています。
唯一車の運転のできる私が家にいた事がすべてに幸いしました。



私からのお願い

東日本大震災からまもなく1年という事で、特に最近はいろいろな団体・個人の方から写真の提供、写真展示をお願いされる事が多くなってきました。
釜石や三陸沿岸の支援、復興を願っての事で、地域にとってはありがたいお話ではありますが、只今被災をし避難生活をしている個人といたしましては、すべてに対応するとなると大変な出費と時間と労力がかかってしまいます。
また「釜石便り」のように、自ら進んで釜石の被災の事をお伝えするのはストレスはありませんが、全く見ず知らずの方から届けられる立派な趣意書等も、目を通す事で被災を思い出し、気分が悪くなるものです。
よって当面の間、東日本大震災に関しての写真提供・写真展示・お願い事は内容に関わらず、お断りすることに致しましたのでご了承願います。


また被災者の方々にとって、ようやく癒えてきた1年目でもあり、早く忘れたい1年であったかも知れません。
被災者に負担を強いらない、被災者の心情に配慮した報道やイベントなどの開催であるべきと思っております。
今回の津波被害は、「将来忘れてはいけない出来事」であって、決して「今忘れてはいけない出来事」ではないはずです。
3月11日に向けて、報道やイベントが活発化すると思いますが、くれぐれも被災者の方々につらい思いをさせる事の無きようお願いいたします。


最後に、私は仕事としてフォトライブラリーをしており、無償での写真提供は基本的にできかねますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。



節分(2/3)

 今日は節分です。
釜石は雲が多いものの晴れています。
今日は楽しみにしていた恒例の石応禅寺の豆まきに行ってきました。
私が大渡小学校の頃は、薬師公園入口の階段に観音寺の豆まき舞台が設けられ、学校帰りに友達とよく拾ったものでしたが、その後観音寺の豆まきは中止になり、最近は石応禅寺の豆まきに行くようになりました。
釜石の歳時記を撮る楽しみ、幼稚園の思い出のある石応寺に行ける喜びがありますが、特に大町の自宅が被災して中妻暮らしをしているので、街に出たい思いが一層募ります。
そして写真仲間と会える楽しみもあります。
とにかく、今年は皆様に福が来るように。


石応禅寺の都築住職から、手短で、早く豆ひろいしたい人にはとっても優しいあいさつがあり、すぐに豆まきが始まりました。
先代の瀬川住職も、手短なあいさつが好評でした。
後ろの明峰丸の大漁旗もいいですね!


今年は珍しく、雪残る節分豆まき会となりました。
遠く取り囲んでいた皆さんも、必死で前に前進。
私も撮影を忘れ、つい前に出て途中から福豆を拾いました。
最近はカメラマンを忘れ、ただでもらえる物に弱い私です。
昔からですが・・・。
ちなみに釜石の豆まきは、落花生がほとんどです。


大渡の釜石保育園が解体されていました。
ここは以前釜石警察署があったところですが、保育園も中心市街地の賑わいに一役も二役も買っていました。
これでまた一つ、中心市街地から賑わっていた建物が無くなってしまいました。


大町南裏の我が家周辺にも雪が積もり、ひっそりとしていました。
右手のNSオカムラのある所が新日鐵の中番庫ですが、高校時代は青空にそびえるあの工場建屋を見ながら勉強したものでした。
私にとって、思い出の風景でもあります。
右側方向が海で、中番庫は市街地より2〜3m高いので、あの日流れ落ちる様に押し寄せた津波は勢いを増し、木造家屋の我が家はひとたまりもありませんでした。


1/31には小川温泉の滝に行ってきました。
寒い日が続いていたので、さぞかし立派な氷の造形ができていると思い、期待に胸弾ませて向かいましたが・・・。
ここは何故かすごく落ち着く場所です。
静寂の中にも、昭和の全盛期の喧騒が聞こえて来るようです。


小川温泉前にある人工滝ですが、楽しめます。
あいにく水の流れはあまり見えず、つららの形もだんご状態となっていました。
カメラを三脚の上に載せた撮影風景を記念に撮りたかったのですが、撮影カメラ1台だけの身軽な格好で行ったのでご覧のとおり。


小川温泉の氷瀑のアップです。
もう少しつららが多数とがっていれば良かったですが・・・。
でも小川温泉の滝の前で、冷たい空気を吸ってリフレッシュできました。
31日午前の撮影で午後はのんびりしようかと思っていた矢先、午後から雪が降り、また発進!。
でも今しか撮れないもの、しっかり撮っておきたいと思います。
ふぅ〜。


1/31午後の雪降る甲子川。
この日釜石は、午後から本格的に雪が降りました。
ここは甲子町坪内橋からの眺めですが、人工物が写りこまない川風景が楽しめるのでよく来ます。
新緑の頃、大雨後に青緑色に流れる清らかな甲子川や夕日に光り輝く甲子川なども楽しめます。
橋を渡ると大畑団地や坪内工業団地、そして仮設住宅もできました。
大畑団地の上には鍋倉峠、鍋倉集落、そして紅葉滝がありますが、雪が降ってしまうと普通乗用車ではちょっと無理かも?。


大畑不動の滝です。
ここは1/13の釜石便りでもお伝えしましたが、雪の量は今回の方が多いので、別なアングルでお伝えします。
車で来て降りればすぐなので、釜石の観光名所にもなっています。


大畑不動の滝。
大畑の滝とも呼ばれています。
昔の遠足コースでした。


雪の松磯。
唐丹町大石に向かう高台を走る道路から撮りました。
大畑の滝で雪が止んできたので、ここに来るのをあきらめようと思いましたが、来てみて正解!。
降りしきる雪の松磯はもちろん撮れましたが、雪が止み、雪煙る松磯も撮れて大満足。
その後は、青空も見えるようになりました。
でもその帰り、大平から鈴子・中妻にかけての雪の大渋滞は余計でした。



釜石は連日の雪(2/2)

 31日と1日は、10cmほどですが釜石にも雪が降りました。
今季3回目・4回目の積雪になると思いますが、集中して連日降られると、私の撮影の方もパニック状態。
「雪が降ったら・・・?」などと、いつものんびり考えている私にはちょっと早すぎるペースで雪が降り続いています。
でも釜石では貴重な雪、しっかりこのチャンスを逃さず、体力の続く限り、釜石の美しい雪景色を記録して回ろうと思っています。


31日は午後から本降りの雪となり、夜には雪も止んだ釜石でしたが、1日も朝から雪降り。
お昼過ぎには雪も止みそうだったので、雪の鬼ヶ沢鉄橋(写真)・仙人峠を撮りにスクランブル発進。
途中松倉での交通事故の為、13時に大橋駅に着く列車は間に合いませんでしたが、13時17分の鉄橋を走る列車は何とかセーフ。

以前仙人売店があった大橋パーキングの駐車場に車を止めて、急斜面の山登り。
雪があるので何度も滑りながら、何とか山の上に到着。
広角で下の廃屋を入れて連写して数枚撮り、上に向けなおしてアップで鉄橋を撮る目算も少しタイミングがずれて、列車がちょっと右過ぎました。
あいにく思ったほど雪が無くて残念でした。

この鬼ヶ沢鉄橋、大橋駅より釜石寄りにありますが、線路上は大橋駅より遠野側にあります。
大橋駅と鬼ヶ沢鉄橋、そして唄貝鉄橋と洞泉の煉瓦橋、鉄道ファンならずとも大橋から洞泉にかけてはいい鉄道風景が続きます。


次に向かった仙人峠もやはり雪がなくてただの「冬の仙人峠」。
「雪をたっぷりまとった仙人峠」を撮りたくて来たのですが、釜石ではなかなか難しいものがあります。


次第に青空も見えていい天気になった仙人峠。
車が少なくなった旧仙人峠もいいものです。


昔は「魔のトンネル」と呼ばれた「仙人隧道」。
昭和56年に運転免許をとった私ですが、免許取りたての頃は鵜住居と片岸を結ぶ大浜渡橋とここだけは通りたくありませんでした。
狭いうえに長くて大型車のすれ違いが難しく、トンネル内の壁面には大型車のこすれ跡がよく着いていました。
小心者の私は、「もし途中で大型車が入ってきたら!」と思うと、なかなか仙人峠には足が、いや車を向けれませんでした。


大橋の雪風景。
社宅はなくなりましたが、何とも心落ち着く釜石の原点です。


大橋駅前周辺を国道から。
おじちゃんが雪かきをしていました。


片羽山・雌岳から流れる清流・甲子川本流と大橋の町。
山と川、そして古民家、ストーリー性のある、趣のある風景です。


仙人峠道路・洞泉橋が遠くに見える砂子渡。
釜石は雪が降ってもすぐに青空になるのがいい所でもあります。
でも、今日の青空だけは個人的には遠慮してもらいたいところです。
思わずいい眺めにパチリ。


大松の箱根山と甲子川の雪景色。
ここまで晴れるとは思わず、国道の雪も解けだし、焦る私でした。
夕方には雪の釜石の夜景を撮りに行くので、この貴重な雪が解けるのは本当に困ります。


一ノ渡と洞泉の間、甲子川にかかる煉瓦橋も、雪できれいな景色に一変。
列車が来るまで待てば良かったのですが、用足しがいろいろあり、次回の宿題となりました。


その日(2/1)の夕方、千鳥町の山頂に登り、雪の釜石市街地の夜景を撮りました。
自分の駐車場に車を止めて、これからいざ徒歩で夜景撮影に出発という時に、車が駐車場前の雪でタイヤが空回り。
どういうわけか、車に積んでいたはずのスコップも無く、刻一刻と暗くなり夜景撮影に行くのを半ばあきらめかけていた時、知り合いに押してもらい何とか脱出。
あわてて雪が残る千鳥町の山に40分かけて登りましたが、ぎりぎりセーフでした。

最近、いつもこんな調子で撮影していますが、本当におっちょこちょいもいいところです。
今回は懐中電灯も持ち、と安心したのもつかの間、今度は携帯を忘れてしまいました。
とほほ・・・。

この日は雪も何とか残ってくれて、釜石湾に貨物船も多数停泊、ラッキーなことに南桟橋には大型貨物船、駒木を走る車の光の帯、火力発電所の煙、週日の鈴子の賑わい、自分としてはまずまずの条件で撮れたので、今季ここからの夜景撮影は3回目のこの日で終わりにできそうです。
でも、遠くに広がる中心市街地の灯りが早く復活してもらいたいものです。
ちなみに釜石消防署の新庁舎は、写真下のやや左側の大きな駐車場の場所に建つ予定です。



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