「釜石便り」 2024年 8月
※写真の無断転載を禁じます。
●大渡川河口まで(8/25)
今日の釜石は曇りです。
早いものでお盆も終わり、8月も残りわずかです。
釜石の今年の8月は天気の悪い日が多く、気温は相変わらず高かったものの、あっという間に夏が通り過ぎてしまったという感じです。
8月下旬の今、いつもの事ながら夏が終わった寂しさを感じています。
24日の釜石は朝からいい天気だったので、久しぶりに大渡川の河口まで思い出探しに行ってきました。
大渡川は私の子供の頃からの遊び場で、トンボを捕ったりして本当によく遊びました。
昆虫少年にさせてくれたり、写真の道に進ませてもらったのもこの大渡川あっての事です。
昔とは環境や景観が大きく変わってしまいましたが、私にとって「わが心の大渡川」とでもいう様な心の風景が今でも広がっています。
大渡1丁目の南側中通りに松坂商店があります。
今はビルになりましたが、昔は木造家屋で、畳敷きの上がりがあり、駄菓子や花火、いろいろな子供向けの品物が所狭しと並べてありました。
子供の頃は大町に住んでいたので、ここで虫捕り網や虫用の注射器などを買ったものです。
当時は「おろしや」と呼んでいて、腰の曲がったおばあさんが売っていました。
当時はこの周りだけでも同級生が5人も住んでいて、今とは違い、民家や事業所も多く建ち並んでありました。
小関商店や佐藤板金に同級生がいましたが、途中から小佐小へ転校していったWの家に遊びに行った時の事を今でも思い出します。
Wの家は大渡の佐藤板金わきの今とは違う細い小道を入って行きましたが、呼んでも誰も家にいないらしく、少し暗い空間に金魚鉢のエアポンプの音だけが静かに音を立てていました。
何とも言えない静寂感だけが漂い、まぼろしの家の様な、まるでどこかの世界に迷い込んだような感覚でした。
特に変わった事ではありませんが、子供の頃に初めて感じた感覚で、夏になるといつも思い出します。
かつて釜石青果市場があった所は震災後にアパートができました(右)。
大渡川河川敷に下りる道にも水門ゲート(左)ができ、今までは車で河原まで下りれましたが、自由に開け閉めできるものの重く、自由さは全くなくなりました。
大渡川沿いの道路です。
遠くに大渡橋も見えますが、今は普通の静かな道路です。
昔は橋上市場や朝市もあり、周辺はかなり賑わいました。(右の写真)
私の母も買い物かごを腕にぶら下げてよく買いに行ってました。
夏と言えば個人的にはこの橋上市場や朝市などの賑わいも釜石らしい風景としてよく思い出します。
大渡鉄橋を走る三鉄。
昔は国鉄(現JR)の三陸縦貫鉄道として工事が進められた鉄橋です。
この風景も今では釜石らしい風景の一つですね。
今では甲子川という名称ですが、こちら側の人は今でも大渡川と呼んでいます。
かつての青果市場前からは大渡川の上に橋上市場も見え、昔はアユ釣りでも賑わいました。(右の写真)
大渡川河川敷は橋上市場や朝市、周辺の会社勤めの人などの無料駐車場でもありました。
大雨後に車もよく流されました。
旧青果市場前には製鐵所の三の橋があります。
製鐵所の道路なので一般の方は通れません。
奥は製鐵所の東門(松原門)があります。
この日はこの下をくぐって河口まで行ってきました。
三の橋をくぐった所の風景。
昔は上に見える鉄橋などもなく、対岸には釜石製鐵所の高炉風景が広がっていました。
今とは地形がだいぶ変わっていますが、昔は左手に池や湿地帯があり、製鐵所のお湯が流れ込んでいました。
ヤゴやドジョウ、フナなどもいて、よく捕ったものです。
ギンヤンマもよく来る池だったので、ここに来るのが楽しみな池でした。
高校時代には珍種マダラヤンマを初めて見つけ、試験期間中だったので教科書を持って行き、川で勉強をしたのもいい思い出です。
次第に池や水路は少なくなり、遠くに見える千年橋の工事の際にすっかり整地されて完全に無くなってしまいました。
小学一年の時ですが、大町3丁目の天ぷら屋のKと学校帰りにここに寄り道をした楽しい思い出もあります。
新しいランドセルを草むらに放り投げ、池の泥を両手ですくい上げると、シオカラ系のたくさんのヤゴが捕れました。
また草を根っこごと引っこ抜いて水につけると、ぷかぷかとケラが浮き上がってきてよく捕れたものです。
今でも思い出す大渡川での思い出です。
震災後にできた千年橋です。
イオンに通じる橋なので、「イオン橋」と呼ぶ人もいるようです。
向こう岸は製鐵所の高炉があった場所に建つ製鐵所の火力発電所です。
千年橋を渡るとサンデー、イオンへと通じます。
ここは港町の中番庫地区ですが、イオンは大町からも入れます。
イオンは釜石集客の要です。
千年橋を下流側から。
火力発電所の所はかつて製鐵所の高炉があった所で、昔は製鐵所の配管などが川を渡してありました。(右の写真)
子供の頃、父が製鐵所稼ぎだったので、連れられてこの橋を渡って松原まで行ったこともありました。
橋と言っても人が渡る橋ではなく、下をのぞくと川が丸見えで、怖い思いをして渡った橋でした。
製鐵所からは大量のお湯が流れていて、大きなカニもよく捕れました。
お湯を流さなくなってから鮭が上る様になりました。
河口近くの大渡川。
右の青い建物は震災後に移転した石田モーターさん、白い建物はユアテックさんです。
高校時代、この先にある池にヤゴ捕りやトンボの写真を撮りによく通いました。
当時はこの広々した川の風景を見て、ミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア」を何度も口ずさんだ事、今でも思い出します。
矢の浦橋が見える河口近く。
今は水たまりがありますが、昔は丸い池があり(右の写真)、ギンヤンマのヤゴを捕りによく来ました。
近所の子供たちを連れてヤゴ捕りに来たのもいい思い出です。
この池は、昔の艦砲射撃の砲弾のくぼみ跡に水がたまったような池でした。
形が丸いので、「丸池」と呼んでいました。
昆虫少年だった私ですが、中学に行くと虫に全く興味がなくなり、クラブの練習漬けでした。
クラブ活動から解放された高校1年の初夏に、丸池でギンヤンマの小さなヤゴをたくさんすくう夢を見ました。
確かめたくなって久しぶりに丸池まで行ってすくってみると、夢で見た通り小さなギンヤンマのヤゴがたくさんとれた事に感激もし、夢が現実となった事にも驚きました。
あこがれのギンヤンマのヤゴ採集と、同じ頃に大渡の書店で見つけた図鑑にも感化され、写真の道へと踏み入れることになりました。
大渡川は私の原点でもあります。
昭和の頃が懐かしい私ですが、今BS松竹東急で夕方5時から「別れて生きる時も」が放送されています。
松原智恵子主演の昔のテレビドラマですが、当時は観た事もなかったので、今楽しく見ています。
昭和の懐かしい時代背景と、昭和の少女漫画のヒロインの様な、瞳の中にキラキラ星があるような若かりし松原智恵子の存在感につい見入ってしまいます。
当時観てなかった昭和のテレビドラマ、これからも楽しみです。
●8月も半ば(8/11)
今日11日の釜石は雨降りの1日。
気温は30℃にもならず、少しだけ低めです。
11日の予定だった釜石の花火大会は雨で開催できず、順延日の12日も台風接近のため、結局中止となりました。
楽しみにしていた方も多い花火大会でしたが、12日の三陸沿岸台風上陸が心配される釜石です。
私も釜石の花火大会を尾崎半島の山の中から、大観音を手前に入れて撮るのを今年で最後にするつもりでした。
夜の山の中という事でクマの心配もあり、また今年撮れば3回目ということで一区切りできると思っていました。
歳も歳だし、来年は無理のない場所から撮りたいと思っています。(今のところはですが・・・)
8月になるとお盆の事も気に掛かり、いろいろ気ぜわしくなります。
夏が終るという焦りから個人的趣味のトンボ撮影の方もあちこち回らなければならず、仕事も少しあり、例年忙しい8月になっています。
特に今年はヤブヤンマのオスの写真をたくさん撮りたくて山の中の池にも何度か通っていますが、メスは産卵に来るものの、あの日以来なかなかオスが現れません。
またチョウトンボも自分としては今年初なので片岸の池にもせっせと通ったりしていますが、どういうわけか風の強い日が多く、揺れて中々ピントが合いません。
今年の夏も残りわずか。
悔いのないように夏の写真を思い出作りとして撮りたいと思っています。
片岸公園には池があって、いろいろなトンボに出会えます。
広々した明るい池が好きなトンボ、山の中の暗い池が好きなトンボなど、トンボもさまざまです。
釜石にもチョウトンボがいる事が分かり、時々通っています。
翅が青紫に輝くチョウトンボです。
ヨシの葉などによく止まりますが、風でゆらゆら揺れるのでピント合わせが大変でした。
曇りの日には翅が輝かず、4枚の翅の角度をこまめに変えるトンボなので、光るタイミングで撮るのが難しいトンボでした。
青空の映り込みと水面のきらめきをアクセントに入れました。
仕事の打ち合わせで久しぶりに花巻へ行ってきました。
打ち合わせが終ったあと、懐かしの花巻上町商店街を。
今から50年ちかく前の大学生の頃、釜石に帰省する時や上京する時、国鉄の花巻駅を乗り換えでよく利用しました。
花巻駅前は釜石駅前同様殺風景な駅前でしたが、父から花巻は商店街が離れている事を教えられ、乗り換え列車を待つ間、初めて上町商店街までぶらぶらと歩いて見に行ったことがありました。
当時県下第二位の釜石の人口が花巻に抜かれそうな頃だったので、どんな街並みでどんな商店街があるのか確かめて見たくなったのでした。
商店街が近くなるとまず徳陽相互銀行という聞きなれない銀行があり、近くには花巻信用金庫もあり、どちらも4階建てだったか?、釜石信用金庫の2階建てに比べると大きなものでした。
上の写真の直線道路の突き当りには花巻デパートがあり、屋上にはコカ・コーラのネオンサイン、左手遠くに見える高い建物のマルカンデパート、商店は3〜4階建てのビルが連なっていて、釜石の商店街よりも活気があるように見えました。
写真左手には岩手銀行花巻支店も当時からの3階建ての大きな建物で、釜石支店よりも預金量が多いのかと思わせる構えを見せていました。
東海新聞の記事で知りましたが、当時の人口は釜石の方が多くても、商業規模的には花巻や水沢の方が断然大きな売上を誇り、商都と呼ばれるゆえんだったことは店舗の大きさなどから分かりました。
地方都市の商店街を見るのが好きですが、田舎の人に多い何階建てという事に今でも興味がある自分です。
花巻と言えばマルカン大食堂。
9日は金曜日でしたがやはり夏休み、11時の開店前から大行列ができていました。
エレベーターで大食堂のある6階で下りるとすでに大行列状態で、5階・4階へと階段を下っても最後尾が見えず、結局あきらめて帰ってきました。
個人的には花巻と言えば花巻駅の立ち食いそば、学生時代に帰省した時などによく食べた懐かしい思い出です。
■トップページの写真は、箱崎半島先端部にある御箱崎です。
箱崎白浜より荒れた山道を進むので行くのに少々難儀しますが、荒れた時のパステルブルーの海の色にいつも魅せられてしまいます。
大波が背後から突然来る時もあるので、行かれる方は十分ご用心を。
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