「釜石便り」  2022年 5月

                                      ※写真の無断転載を禁じます。

うのすまい・トモス(5/31)

今日の釜石は、心も体も休まる雨降りです。
気温も低く、霧のような雨が降っています。

29日の日曜日、釜石は久しぶりのすっきりした快晴の1日でした。
この日は大槌の思い出の地の撮影をし、帰りには鵜住居駅周辺を撮ってきました。


29日はすっきりとした快晴日。
大槌からの帰り、天気が良くて時間もあったので、鵜住居駅周辺を撮ってきました。
鵜住居駅前の施設は仕事で何度も撮らせてもらいましたが、個人的に撮るのはこの日が初めてでした。

現在の鵜住居駅前一帯は「うのすまい・トモス」となっていて、「いのちをつなぐ未来館」、「鵜の郷交流館」、「釜石祈りのパーク」などがあります。
隣接して釜石市民体育館もできました。

私の昔の思い出としては、鵜住居駅は根浜に海水浴に行くときに使った駅で、駅を下りて山田線のガードをくぐって鵜住居川沿いを根浜まで歩いて行った記憶です。
当時は釜石の人口も多く、夏と言えば海水浴が定番だった時代、まるでアリの行列のように根浜までぞろぞろと歩く大勢の人の光景はみごとでした。

中学時代には近所の友達と食用ガエルを捕りに来たこともありましたが、その帰りには駅前の「富乃屋食堂」で一番安かったかけうどんを食べた思い出です。
その後も近所の子供たちを連れて虫捕りに来たこともいい思い出です。
鵜住居、当時は池や田んぼが多く、釜石一の虫捕り場所でもあったので、私にとってあこがれの地でもありました。


いのちをつなぐ未来館です。
震災津波伝承の施設です。

右奥には釜石市民体育館も見えています。


鵜住居駅前の鵜の郷交流館です。
飲食と物販の施設です。

右奥には三陸鉄道鵜住居駅のホームも見えています。
昔は国鉄の鵜住居駅でしたが・・・。


いのちをつなぐ未来館裏手にある「釜石祈りのパーク」です。
津波で亡くなられた方々の芳名が刻まれています。

ここは多くの方々が避難し犠牲になった鵜住居地区防災センターがあった場所です。


大槌町の代表的景観、赤浜の「蓬莱島」です。
仕事で何度も撮りに来た思い出の地です。
赤浜の町も大きく変わりました。

対岸の白い防潮堤は、根浜東隣の箱崎です。


賑わう釜石港と弁天海岸(5/24)

今日の釜石は午前中はもやがあり、雲も多めでしたが、午後からぐんぐん快晴となりました。


24日午前9時、避難道路から釜石港を望む。

釜鉄南桟橋には石炭を積んで来た大型貨物船(真ん中)と中型船がどど〜んと横付けされていましたが、更にコンテナ船も入港し、この日は3役そろい踏みの絶景でした。
あいにくもやがあり、すっきりとした釜石港ではありませんでしたが、久しぶりに賑わう釜石港が見れました。
手前のこげ茶色の建物は魚河岸テラスです。

このめったに見れない光景を市内あちこちから撮ろうとしましたが、このあとコンテナ船を残し、2隻は出港してしまいました。
ガ〜ン!。


撮るものがなくなったので、思い出探しで大槌町吉里吉里へ。
写真は吉里吉里漁港に隣接した景勝地「弁天海岸」です。
海の色と砂の色が県内で一番きれいだと思うのが船越湾ですが、なかでも船越の荒神海岸と吉里吉里の弁天海岸は海の色も鮮やかで、海水浴客にも人気です。

私が初めてこの海岸に来たのが高校1年の時で、吉里吉里の友人から「泳ぎに来ねがー?」と誘われ、行ったのが最初でした。
初めて見るこの海の青さに感動し、そのあと家族で海水浴に来るようになりました。

その後写真も撮りましたが、その時撮った写真は上のような写真で、しばらく部屋に飾っていました。
夏がすごく好きだったので、この弁天海岸の写真とひまわりの写真は、1年中私の部屋に飾ってありました。


弁天海岸のきれいな浜です。
高校生の頃は両石湾の黒っぽい砂利浜と根浜の灰色の砂浜ぐらいしか知らなかったので、ここの浜を見た時は美しさにびっくりしました。
ヤゴやエビを飼うために、ここの砂をもらって行ったこともありました。
大槌町吉里吉里ですが、私の夏の思い出の弁天海岸です。


釜石駅前(5/19)

今日も釜石はいい天気。
ただ霞の掛かったような白っぽい青空が広がっています。

昨日18日の午前中は釜石駅前に行き、名称が変わった製鉄所建屋などの写真を撮ってきました。
釜石を象徴する景観、駅前の製鉄所建屋は名称が変わるたびに記録として撮っていますが、釜石製鉄所の名前が消えて本当に残念な思いです。
通過車両が多かった駅前の国道も、高速道路の開通で車の台数が少なくなり、これまた寂しくなりました。

午後もまた天気が良かったので、久しぶりに大槌町新山に行き、まだ一度も撮れていない某所まで行って見ることにしましたが・・・。


18日の釜石は少しもやがありましたが快晴のいい天気。
釜石駅前の製鉄所建屋も「北日本製鉄所 釜石」と変わっています。
朝の8時半なのに走る車の台数が少なくなりました。

私が知っているだけでも富士製鐵釜石製鉄所から新日本製鐵釜石製鉄所に変わり、新日鐵住金釜石製鉄所、日本製鉄釜石製鉄所、そして日本製鉄はそのままで「東日本製鉄所釜石地区」から「北日本製鉄所釜石地区」になり、「釜石製鉄所」の名称は消えてしまいました。


2019年に撮った駅前の製鉄所建屋です。
この時はすでに日本製鉄ですが、まだ「釜石製鉄所」の名称がありました。


釜石駅前にはブック型のミッフィーボードもあります。
奥は中妻方向です。


釜石駅前には、「大島高任像」と「ものづくりの灯よ永遠に」の碑もあります。


復興の鐘も駅前に。
昔の釜石駅前に比べたら広くもなり、像や石碑、モニュメントなども増えました。
だいぶ「鉄の街釜石」の雰囲気が出てきました。


18日の午後も天気が良かったので、思う事があり、大槌町新山へ。
新山頂上に行く途中には石割桜(鳥居の後ろ)があり、ツツジが満開でした。

新山頂上はツツジの名所でしたが、近年はツツジもまばらで、規模は小さいですが、むしろここの鳥居の所が一番です。


新山頂上には風力発電の風車が並び、展望台もあります。
釜石の和山にもこれら一連の風車がありますが、釜石にも欲しい展望台です。


ついにやってきた大槌新山の「金糞平の山桜」です。
花は終わっていましたが念願の到着です。

今から20年ほど前、依頼を受けてこの山桜を撮影に行きました。
初めて行った時は5月上旬でも積雪ありで行けず、2度目はまだ開花していない時、3度目は数年前でしたが、大雨で道路が陥没して通行止めでした。

今年ふと思いついて18日に行って見ましたが、開花は過ぎて葉桜でした。
また来年以降の宿題となってしまいましたが、ここへ来るには道も陥没して悪く、引き返そうかと思ったほどでした。
道が悪くあまりおすすめできませんが、底の高い4駆の車ならいいのかも知れません。


駒木の山より(5/11)

今日の釜石は、朝方は晴れていましたが次第に曇りとなりました。
山は緑、気温も20℃位のすがしい釜石です。

昨日10日の釜石は、雲一つない大快晴となりました。
空気も澄んで気持ちのいい青空の日となりました。

震災後から撮りためた11年間分の画像処理の方も昨日で何とか終わりましたが、この画像処理とリスト作りに6か月もかかりました。
私のちょっとした写真人生の集大成みたいなもので、もう写真を撮らなくてもいいくらいこの11年間は写真を撮りました。
これでプレゼンや貸出用にすぐ対応できるようになり、また自分でも撮影に行く際のイメージチェックが簡単にできるようになりました。

ほとんど写真を撮りに行くことも出来ませんでしたが、季節も良くなってきたので、これからは今まで撮っていない写真などを撮り、釜石にいるトンボや虫なども探しに行きたいと思っています。


11日の釜石は雲一つないほどの大快晴でした。
駒木の山に登り、鈴子から中妻・上中島の市街地を撮りました。

他の釜石市街地写真は震災後から11年間分はほぼ撮り終わっているのですが、ここから見える市街地では鈴子広場も新しくなり、中妻には警察署の他に東北電力とツルハもでき、街並みに変化もあったので、記録として撮りに行ってきました。

左端は釜石駅、右端には五葉・愛染も霞みなくよく見えました。
緑の山々に囲まれ、いつまでもいたくなる、高所から見るきれいな釜石です。


鈴子広場(中央)の周辺です。
かつては製鉄所の関連施設が多かった鈴子ですが、左上の製鉄所病院跡地にはスーパーのマイヤが建ち、ケーズデンキやドラッグストアの薬王堂、釜石消防署などもできました。

左端には釜石教育センターのビル(旧・科学技術専門学校の校舎)も見えますが、数年後には瀧澤学館が運営する医療福祉系と日本語学科の専門学校が開校する予定です。
若い人が増え、街の賑わいも生まれればいいですね!。


右は釜石警察署と沿岸運転免許センター、左側には東北電力が中妻に出来ました。
かつての東北電力釜石営業所は大町のニチイの隣にありましたが被災し、野田から松倉の仮設を経て、このたび中妻に新社屋を建設しました。
名称も変わり、東北電力岩手三陸営業所と釜石電力センターが入っています。


中妻にドラッグストアのツルハ(中央の大きな屋根)もできました。
かっぱ寿司と労働金庫の裏手になります。
建物の一角には中妻郵便局も入りました。

写真にはちょっとだけ写っていますが、釜石の西の要・中妻にはセブンイレブンも2店でき、賑わいも増してきています。


中妻町の甲子川沿いの岩井町に、SMC釜石第5工場の建設も進んでいます。
釜石では4工場あり、約1,200名が働いていますが、さらなる雇用増が期待されます。

震災後、中妻で避難生活をしていた時にお世話になった銭湯(栄湯・黄緑色のビル)も見えます。
当時は無料で入れてもらいました。
ありがたかったです。

帰りの車のラジオから、初めて聴く朝倉理恵の「あの場所から」が流れていて、昭和感のあるいい歌に聞きほれてしまいました。


思い出の地を訪ねて〜鏡海岸(5/8)

今日の釜石は晴れていますが日差しも弱く、空も白いので明るい曇りと言ったところです。
このところ夏日を越える気温が続いていましたが、4月29日の夜に県内では雪が降り、釜石の高所でも積雪となりました。

ゴールデンウィークも今日で終わりますが、皆様の連休はいかがだったでしょうか?。

私の方はと言えば、3日に格安スマホに変えたので設定などに没頭し、7日には思い出の地「鏡海岸」に行ってきました。
この日も釜石は天気が良く、思い出に浸りながらきれいな海を見てきました。


両石湾に面する鏡海岸です。
愛の浜の管理事務所から車で3.1qの所にあります。

鏡海岸は数年前の冬の時期に山越えして来たことはありましたが、グリーンシーズンに来たのは40数年ぶりです。
当時私は大学生の夏休み帰省中で、父・母・兄と私の4人で愛の浜へ海水浴に行きました。

家族4人は釜石タクシーで愛の浜に行き、泳いだり釣りをした後、どういう訳か歩いて鏡海岸に移動することになりました。
私たち男3人は海パンをはいた姿でサンダル履きで父と兄は釣り竿を持ち、母も重い食料などの荷物を持って同じくサンダル履きで3q以上もある砂利道を歩いて鏡まで。

鏡の浜で家から持ってきたおにぎりとそうめんを食べ、帰りは私と兄は山越えして天神町の釜小・一中に下りました。
父と母は愛の浜にまた歩いて戻り、タクシーを呼んで帰ったと記憶しています。

父も母も今はいませんが、よくもまあ歩いたものだと今更ながら思います。
思い出しただけでも疲れる思い出です。


きれいな海の鏡海岸。
岬の先に見えるのは松島で、遠く洋上には三貫島。

鏡海岸は昔の大渡小や釜小、一中の生徒の馴染みの遠足コースでもありました。
天神町から鳥谷坂峠を越えて行きましたが、浜町の方には浜街道入口の石碑もあります。


長く続く浜の中央には大きな地層の岩(右端)もあります。
洋上には三貫島も見えます。


鏡海岸の背後はこんな感じです。
震災津波で森は流され、砂利の広場が広がっています。

かつては自然植物園もあり、今なお廃れたトイレも残っています。
昔は右側の斜面の所に民家もありました。

虫好きの私は子供の頃に鏡に行くのが楽しみでした。
樹液の出る白樺があり、カブトムシやクワガタなどが捕れるからでした。
私の懐かしい思い出です。


浜の中央には大きな岩もあり、博物館級の地層展示も見ることができます。
ものすごい地層です。


地層が押しつぶされ、曲げられ、大地の超ド級のパワーを感じます。
鏡海岸、私たちの年代の遠足コース、震災津波で周辺の環境は大きく変わりましたが、きれいな海と入江のすばらしさは健在です。


トップページの写真は、山桜と橋野鉄鉱山高炉跡です。
 例年5月初旬に山桜がきれいに咲きます。


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