「釜石便り」 2024年2月
※写真の無断使用はお断りしております。
●雪の釜石(2/29)
今日の釜石は晴れのいい天気です。
ただ、これから曇って、日付が変わった頃からまた雪になりそうな釜石です。
21日から22日にかけて釜石は今季初の積雪となりましたが、それが解けた25日夕方からまた細かい雪が降り出し、26日朝までに釜石も10cmほどの積雪となりました。
26日の午後にはそれらの雪も解けましたが、26日夜から27日にかけてまた雪が積もり、釜石は連日の雪模様でした。
27日までの雪は釜石は大した積雪ではありませんでしたが、県北沿岸では記録的な大雪となり、宮古や岩泉では60cm以上の除雪ができないような大雪となりました。
この大雪で三陸道は立往生も発生し、大槌ICから北は通行止めとなりました。
この冬は暖かく、「このまま春にでもなりそうな・・・」などと先日までお伝えしていましたが、春のドカ雪はやっぱりありましたね。
27日は雪の釜石を撮りに大渡から大町まで歩いて来ました。
少なくなった釜石の商店、賑やかだった昔を思い出しながら歩いて来ました。
大渡のJA交差点より大町方向。
釜石は27日も湿った雪が降りました。
右角はかつての島屋酒店さんで、撮影している背後の場所にはかつて衣料品店の東殖さんがあって、その後東殖会館が出来て現在はJAとなっています。
衣料品店の東殖さんは売り場も広く、子供の頃には母と一緒に傘を買いに行った時の思い出があります。
東殖さんも東殖デパートだったという話を最近聞かされました。
かつて精光堂さんがあった近くから大渡橋方向。
右角には酒屋の和賀商会さんがあり、私の父も酒が好きだったのでよく会社帰りに寄ったようです。
向かい側は村井食堂さんがあった所で、浜町から移転したジョイフルジューゼンさん、右隣はかつての食品卸の国分商店さんの建物を使った宮古信金さんです。
大渡1丁目はJAと宮古信金に加え、震災後に東北銀行と北日本銀行ができて銀行が4つとなりました。
大渡橋より左角にはケンスポーツさん(昔の佐々亀釣具店)、正面のビルは酒・たばこの菊池屋さんとオレンジ色部分は工藤肉屋さんです。
工藤食堂は安くて盛りがいいので、お昼時は大変混みあいます。
お昼時にこの辺を歩いたり車を止めようとしているのは、ほとんどが工藤食堂のお客さんです。
みんな笑って早く食べたそうな顔をして入って行きます。
写真は大渡橋近くの店舗ですが、アネタイさんの所はかつての互野下駄屋さん、その左隣はパン屋の松前屋さんでした。
どちらも同級生の店ですが、特に松前屋さんでは朝同級生(友人)を迎えに行くと、まだ起きたばかりなので、おばちゃんができたての熱々のコッペパンにマーガリンを塗ってよく食べさせてくれました。
小学校時代の一生忘れられないいい思い出です。
右に少しだけ見えている緑色は森田健康堂さんでした。
小学生の頃、理科で使ったビーカーが欲しくなり、買いに行ったこともありました。
理科の実験ではなく、ヤゴを飼うためでしたが・・・。
大渡と言えば928(くにや)さん。
黒いビルで入りづらい店で有名です。
裏側のバーガー自販機も有名です。
くにやさん、昔は今と違って高級紳士服や学生服などを売っていて、正月初売りでは割引券を配るので、人がたくさん並んだものです。
丸光、小松屋、橋上市場、くにやなど、釜石らしい店の正月のチラシも今となっては懐かしいものです。
大町のかつて丸光があった所(現在TETTO)より、左からコティさん、阿部歯科さん(閉院)、新華園本店さん、オレンジ色の建物は化粧品のふしだやさんがありました。
阿部歯科さんと新華園さんの間には、かつて文房具店の前田瑞光堂さんがあり、その建物は後に宝飾の天賞堂さんになりました。
当時丸光前にはビルが少なく、昭和51年頃からこれらのビルが同時に建ち始めたので、都市化で帰省が楽しみでした。
青葉通り交差点に建つ旧ホテルサンルート釜石(現在ホテルクラウンヒルズ)。
私が初めて働いた古巣でもあります。
右は量り売りの菓子店があった菊丹さんがあった所で、後に釜石ベイシティホテルが建ちました。
右角の魚民の所にはかつて文房具の太田文房堂がありました。
カメラを買って、初めて写真アルバムを買ったのも太田さんでした。
確か歩道に棚が出してあって、その中から選んで買ったような?。
店内はいろいろな文房具が所狭しと置いてあったので、見るのも探すのも楽しみでした。
太田文房堂さん、昔は只越の堀医院の所にも只越分店があり、丸光の隣にはブックス釜石も出店しました。
後に大町の佐野酒店さんの並びに移転し、最後は市民文化会館前の自社ビルに移りました。
左の復興住宅の場所は、かつて釜石郵便局があった所で、錦館もこの交差点にありました。
大学生の時に8ミリカメラを買って帰省し、この交差点を雪の日に撮った思い出もあります。
当時は商店街を歩く人も多く、バスも車も行き交っていました。
大町の佐野酒店さん(酒・たばこの看板)付近から大渡方向。
この辺はかつての岩手銀行前ですが、奥にTETTOも見えています。
以前この並びにはレコードユキ(後にファイティングロード)さんや太田文房堂さん、大連さん、丸増菓子店さんなどもありました。
大昔なら北越屋、ライオン床屋やさくら湯なども。
一番奥に旧サンルートが見えますが、左の赤いビルは昔菊池クリーニング店でした。
息子は私の同級生でした。
「雪の降る町を」の曲が好きで、私がイメージするのは夕方や夜に雪が降る明かりのついた静かな町です。
今回日中の雪の釜石の商店街を歩きましたが、店もほとんど無くなり、「想い出だけが通り過ぎていく〜♪」を感じさせる寂しさでした。
昔の様に賑わいのある釜石が復活すればいいな〜といつも思っています。
新たに半導体工場とか自動車工場とか。
中央はミッフィーカフェの入る情報交流センター、その右が丸光のあった場所に建つTETTOです。
左にはお弁当が人気のTOKUZOさん、交差点奥にはイオンタウン釜石も雪に霞んで見えています。
人口が減り、津波にも遭い、商店が少なくなって人通りがなくなった釜石の中心街ですが、イオンタウンが誘致に応えて出店してくれたのがせめてもの救いです。
この他にも雪の風景をあちこち撮りに行きましたが、3月にUPします。
●今季初の積雪(2/23)
今日の釜石は陽ざしのある曇りです。
気温は低めで、4℃ほどになる予報の釜石です。
おととい21日の日中から釜石にもようやく雪が舞い、同日夜から22日朝までに今季初のまとまった積雪となりました。
大渡の我が家周辺では10cm位、場所によっては15cmほどの積雪となりました。
この雪を待って行動開始する自分ですが、県北よりも県南の方が雪が多い予報だったので、三王岩や北山崎はあきらめ、22日未明に大船渡・碁石海岸の方へ行ってみました。
2017年12月の雪の日に撮った大船渡・碁石海岸「穴通磯」。
この時の雪は釜石で4〜5cm、大船渡で6〜8cmと大した雪ではありませんでしたが、みごとに雪が載っていました。
風も強く小雪降る中での撮影で、穴通磯が霞んでいました。
このくらいの雪の量があり、霞まない穴通磯を撮りたくて毎年のように通っていますが、この時ほどの雪の量は一向に撮れずじまい。
22日は念願の大雪で、大船渡は釜石以上の15〜19cmの予報だったので期待に胸弾ませて出発。
通常1時間で着く穴通磯ですが、雪道なので余裕を持って朝方未明の4時頃に出発。
穴通磯に通じる道路沿いの木々は雪がたっぷり載り、しなったりして枯れ木に花の美しさ。
雪の重みで折れた数本の松の木が道路をふさぎ、通るための車幅を確保すべく、ずらしたり折ったりの大仕事。
何とか日の出の1時間前には駐車場到着。
真っ暗なので空がうっすら明るくなるまで車で待機していよいよ穴通磯へ。
大雪でたくさん雪が載ったはずの穴通磯は・・・・・、ガーン!。
雪がない。
仕方ないのでシルエットにして大船渡の夜景を入れて撮影し、早々穴通磯を後にしました。
この後碁石海岸の乱曝谷と雷岩を撮りに行きましたが、こちらも雪がほとんどありませんでした。
どちらも撮影者は、物好きな私一人だけ。
気落ちしたものの、次はいつもの吉浜三鉄撮影へ。
雪の日はいつもこのコースで北上して釜石に帰って来ます。
雪の吉浜扇洞(おおぎほら)を走る三鉄です。
計4本撮影し、1・2本目は水色のワオン号、3本目がこの赤白車両、4本目はポケモン号でした。
個人的にはやはり赤白列車が一番三鉄らしいと思っています。
ここは普代村の大沢橋梁と並ぶ、三鉄の定番撮影地です。
三陸鉄道は三陸沿岸を走りますが、海をバックに撮れるところって意外とないものです。
大船渡〜吉浜から帰ってきた時の大渡自宅周辺の雪。(22日AM9時半頃)
イオンの遊歩道やベランダの手すり、物干しざおにはまだたくさんの雪が残っていましたが、海はダメでした。
大渡の南側裏通り。
22日AM9時半頃ですが、道路の雪はすでに解けていました。
あんなに降っても、やはり春雪ですね!。
製鐵所の火力発電所と三鉄鉄橋、いつも2階の窓から仕事しながらこの風景を見ています。
木々が伸びてあまり見えなくなりましたが、この釜石らしい風景からいつも元気をもらっています。
イオンタウンの大町入口前に、かつて私の自宅がありました。
津波で被災し大渡に移転しましたが、大町の自宅2階からは製鐵所の風景が見えていました。
写真は昭和50年代かと思いますが、長年この高炉のある製鐵所の風景を見てきたので、これが私の心の風景になっています。
釜石の人口減や少子化による学校統廃合、災害や戦争などの国際情勢などを思うと、あの頃は本当に良かったなーとつくづく思います。
●この時季の撮影(2/17)
今日の釜石は、朝方は曇っていましたが次第に快晴の青空となりました。
空気も澄んで、気持ちのいい早春の陽ざしが降り注いでいます。
先日13日は14.3℃、14日は17.9℃、15日は17.4℃もあった釜石ですが、今日は寒さが戻り、6℃位になる釜石です。
確定申告も終わり、今日も又今まで撮影した画像の中から写真講座に使う作例写真を選んでいます。
震災後はとにかく失った写真の早期回復をという事で、まずは復興状況の記録をしながら釜石市内を無我夢中で写真を撮りに歩きました。
加えて釜石新聞さんから写真エッセー「釜石便り」というコーナーも頼まれ、被災した方々を励ます意味で各地区の心の風景を撮りに回りました。
お陰様でそれらの画像で私の釜石ライブラリーも充実し、去年あたりからは三陸沿岸と遠野の撮影を再開させています。
依頼された撮影の仕事をしながら自分の写真も撮っていたので、画像整理や処理などが追いつかず、ようやく去年あたりからそれらも落ち着き、今はじっくり撮った写真を見ることができています。
毎日がパソコン画面とにらめっこで眼には負担を掛け続けですが、当時を振り返りながら充実した毎日を過ごしています。
やっぱり写真はいいものです。
今季は雪もないので釜石の雪景色は望み薄ですが、この時季の撮影のヒントにでもなればと思い、以前撮った海の写真をUPしてみます。
唐丹町小白浜の国道付近から、唐丹湾の光彩が撮れます。
よく晴れて風のある日がおすすめです。
写真は3月ですが、午前9時台には光る海と苫の鼻の岬の組み合わせができます。
小白浜の北側・唐丹町花露辺から尾崎白浜方向に向かう高台の道路から、唐丹湾口に浮かぶ蒜島と金島が遠くに見えます。
午前9時過ぎには光る海が島々に重なってくるので、雲の多い日や風のある日には天使のはしごや光彩が期待できます。
撮るものが無い時はドライブがてら行って見ては!。
2月28日午前9時26分の光る海。
光る海が島々に重なる時間です。
早春の光る海、私たちに春の訪れを感じさせてくれます。
唐丹湾の景勝地「松磯」です。
唐丹町荒川から大石に向かう高台道路から見えますが、強風の時にはこのような光景が見られます。
強風で海水が高く巻き上がっています。
このような撮影の後はカメラ・レンズの水ぶきをお忘れなく。
海一面に白い波、まるで雪いかだならぬ雪の華でも咲いたようです。
雪もダメ、氷の滝もダメな冬は、光彩や強風の海もシャッターチャンスです。
寒い日や風の強い日は出かけるのがおっくうになりますが、普段とは違う見た事もないような海が待っているかも?です。
もっとアップで撮れば迫力倍増ですが、くれぐれもブレに注意です。
●懐かしい通勤・帰宅ラッシュ風景(2/12)
今日も釜石は晴れのいい天気です。
気温もやや高めで日差しもまぶしく、明日からはもっと暖かくなるようで、このまま春にでもなりそうな釜石です。
昨日まで大渡川には久しぶりに白鳥4羽が飛来していて、数日間羽休めをして行きました。
今もまた連日三陸海岸の画像処理などをしています。
釜石は終っているので、去年からまた撮り始めた三陸海岸の撮影画像を再チェックしたり画像処理をしたりしています。
あの名所に日が当たるのが何時からかや、何時頃に撮るのが一番きれいに撮れるかなど、撮影した画像から自分用の虎の巻を作ったりしています。
期待していた雪もなかなか降らず、撮るものがないので、2/11は大船渡市三陸町千歳(せんざい)へ光る海を撮りに行ってきました。
千歳は唐丹町大石の裏手にあり、吉浜からは岬の方へ進んだ所にあります。
漁港のすぐ近くに島々があり、風光明媚な所です。
以前は島々に渡る遊歩道もありましたが、倒木や崩落などで今は立入禁止となっています。
昔は朝焼け・日の出を撮りに1ヶ月近く通ったこともある、私にとっての思い出の撮影場所です。
だいぶフイルムとガソリンを無駄にしましたが・・・。
2009年7/16の朝8時頃の大渡町内のラッシュです。
当時は朝の通勤ラッシュで、大槌・鵜住居・両石方向から釜石市内に向かう車列が続いたものです。
今は無料の高速道路もでき、震災で事業所や店舗なども減った事で、街なかを走る車も少なくなり、懐かしい風景となりました。
右には今もある黒いビルのくにやさん、左には懐かしい井上歯科医院や東海印刷所、いきがい市場なども見えています。
2009年7/17の大渡橋からの通勤ラッシュ風景。(朝8時10分)
さもない写真でも年数がたつと価値が出てくるものです。
大渡に、洋菓子・喫茶のかめやまさん(左側)もありました。
こちらは2009年7月17日の午後5時25分、帰宅ラッシュの釜石駅前です。
釜石駅前は今でも市内で一番交通量が多いと思いますが、当時はもっとすごかったです。
通勤・帰宅ラッシュは釜石の記録になると思い、4日かけて撮りました。
これらの画像は津波で流されてしまいましたが、画像を入れたDVDを何とかがれきの中から探し出しました。
フイルムだったら劣化して無理でした。
千歳漁港を見下ろす高台から千歳の島々と光る海。
堤防や消波ブロックが島の近くまであるのが残念ですが、早春の海はきれいに輝いていました。
下は堤防があるのでこれ以上は撮れず、上にいい雲が広がっていたので画面が上下半分になってしまったのが構図的に気になりますが、撮影は晴れの日で雲や風がある日がおすすめです。
光る海の撮影は太陽高度が低いこの時季ならではです。
熱心な映画ファンではありませんが、最近BSで放送のあった映画「八甲田山」をまた録画して見ました。
吹雪の中でのシーンが多く、役者も雪まみれで、撮影側に立ってる人間からすると、撮影も本当に大変だったことが伝わってきます。
あのような映画はもう作れないだろうなと思えるほどの、苦労が多かった名作だと思います。
高倉健や北大路欣也もさすがですが、雪山の道案内役の秋吉久美子も、義父の言葉を静かに聞き入る演技力も良く、純朴で澄んだ眼をしてたのが印象的でした。
雪山をすいすい軽快に登る秋吉に対し、難儀する高倉健たちとの対比も面白く見させてもらいました。
さすがいわき育ちだけあって、雪の峠を疲労困憊して登った男たちに向かって、「ここまで来ればもういがべー」、「まんま食うべー」のセリフもほっこりさせ、雪ん子スタイルと共に東北人の共感を得るシーンで良かったです。
●石応禅寺周辺(2/4)
今日も釜石は晴れのいい天気です。
市内には全く雪もなく、穏やかな2月の初めです。
仕事も一段落したので、昨日3日は石応禅寺周辺をのんびり散歩して来ました。
石応禅寺前にある大只越公園(青葉児童公園)では仮設商店街撤去後の復旧整備工事が行われていて、新しいブランコや滑り台、遊具なども設置されていました。
工事は3月15日までとなっていて、子供たちが元気に遊ぶ姿が見られるのももうすぐです。
3日は節分で、石応禅寺本堂前に行くと、豆まき用の舞台の設営はなく、豆まきは中で行われたようでした。
そのあとは工事が終わって上りやすくなった墓所の階段を上がり、釜石の街を眺めていろいろな構想を練ったり、少し山の中をロケハンしながら帰ってきました。
工事中の大只越公園の西側半分。
トイレまで続く身障者用スロープや遊具などが設置されていました。
遊具は以前よりも増えそうです。
墓所高台から石応禅寺と市街地。
左にあった明法幼稚園(かつては明峰幼稚園)と仏教会館は今はなく、駐車場と墓所になっています。
我が母園の明法幼稚園では、仏教系だからなのか?、「卒園式」と言わず、「卒業式」でした。
当時はまだ子供の数も多かったので、まさか閉園になるとは思ってもいませんでした。
話は変わって、最近、昭和どっぷりの人間には地デジの番組も合わなくなって、ニュース以外はもっぱらBS放送を見ています。
最近BSで放送のあった昭和の映画を録画して、時間をかけて3本見ました。
「忠臣蔵」、「隠し砦の三悪人」、「新幹線大爆破」、今まで何度か見たものですが、昭和の頃の日本映画は内容も良く、何度見ても面白いものばかりです。
1958年「忠臣蔵」の大石内蔵助役は長谷川一夫、浅野内匠頭は市川雷蔵、その奥方は山本富士子、若かりし頃の鶴田浩二、勝新太郎など。
私が1歳の時のかなり昔の作品ですが、長谷川一夫など、そうそうたる名優の緊張感ある迫真の演技に、こちらまで背筋を伸ばし正座して見てしまいます。
ラストシーンでは、討ち入りを成し遂げた赤穂浪士一行に、山本富士子が地べたにひざまずいて深々と頭を下げるシーンは泣けてきます。
「忠臣蔵」は今までいろいろ見ましたが、あまり知らなかった俳優・長谷川一夫の忠臣蔵は私的には一番かと。
「隠し砦の三悪人」はさすが黒澤映画だけあって演出・ストーリーも面白く、三船敏郎の演技の良さもさすがですが、雪姫役の上原美佐もこれまたかっこ良く、当時にしては日本人離れしたスタイルの良さや立ち振る舞いにも感動します。
「新幹線大爆破」では、高倉健や宇津井健などの豪華キャストが次から次へと出て来て、テンポのいい展開にハラハラドキドキ見入ってしまいます。
特撮の方も当時としてはいい感じでした。
震災津波後、流されたフィルムや写真を回収しましたが、ほとんどが傷みもありダメでした。
最近になってまた再確認してみましたが、やはり昭和の写真はほとんどがダメで、平成になってからの写真は使えそうなのが少しありました。
劣化はありますが、一部今は見られなくなった釜石の賑わいとしてUPします。
1997年(平成9年)12月3日の鮭水揚げで賑わう釜石魚市場です。
当時鮭は釜石魚市場の主力魚種で、県下一の水揚げを誇った事もありました。
魚市場前の水揚げ岩壁一杯に鮭がじか置きされた光景も今となっては懐かしいものです。
今は鮭を始めイカやサンマもほとんど獲れなくなり、大変な時代になりました。
1997年(平成9年)12月6日の橋上市場40周年記念の歳末大売り出しでの餅まきです。
当時は大渡商店街も健在で、橋上市場周辺では歳暮市もあり、まだまだ人通りがありました。
暗めですが、写真からは橋上市場の存在や釜石の賑わいが人からも感じられます。
1999年(平成11年)2月7日の釜石魚市場で行われた魚まきです。
マグロなどの刺身ブロックやかまぼこなどの魚類練り物、カップ麺などを大量にまくので、多くの人が集まりました。
写真ではバケツを差し出すつわものまでいて、人気のある大賑わいのイベントでした。
欲に溺れて私も拾いに行きましたが、メガネを落として自分でふんずけてしまい、高い参加料になりました。
魚が飛んでくる、あの賑やかだった釜石が懐かしいこの頃です。
魚まきは主催者挨拶から始まりましたが、あいさつの話が長いので、早くもらいたい人からの催促やヤジもあり、早くも興奮のるつぼ状態でした。
人にもまれるとはまさにこの事で、ぎゅうぎゅう詰めになり、まかれる方向に人の塊が右に行ったり左に行ったりの賑わいでした。
今はベトナムが多いですが、当時は中国からの水産研修生も多く、日中友好の看板も掲げられました。
このほか大渡にあった青果市場でも「野菜まき」があり、こちらも多くの人が集まりました。
野菜が当たって怪我した人もいたと父から聞いたこともありましたが、賑やかで大盤振る舞いなところは、本当に釜石らしいなと思ったものでした。
当時私は自称インテリ高校生?だったので行きませんでしたが、今となっては悔やまれるばかりです。
■トップページの写真は唐丹湾の松磯です。
唐丹町荒川から大石に向かう高台の道路から見えます。
将来、釜石の雪景色もなかなかお目にかかれない光景になるかもですね?!
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