BALI想い出アルバム2002
          
バリの思いでノート
以前に滞在した造られた南部大型リゾートエリアからも、観光客が集中する繁華街からも少し離れたゆっくりと自然の中で暮すように過ごすをテーマに「キッチン付きの小さなビラに泊まる10日間」に旅の友達3人で出かけたのが2002年の6月でした。
デンパサール空港からクタ・レギャンを抜けクロボカンを過ぎると、昭和初期の日本の田舎の風景を思わせるとても懐かしい水田が続く道を20分も走った後、本当に私達の希望通りののんびりとしたチャングー村の中に在るビラ・ティピカリにたどり着きました。
2ベッドルーム(ダブルベッドルームとツインベッドルームの2部屋)に広いリビングそしてキッチンとトイレ・バスルーム、リビングの前にはガーデンもありました。エアコンは付いていませんでしたが、この時は比較的気温が低く夜寝る時には寒くて何故か日本から持参したホッカイロが役に立ちました。

朝ゆっくりの時間にビラのテーブルに用意される朝食:日本語の「お・はようございま〜す!」のスタッフの元気な声と何処からか聞こえる鶏の鳴き声で爽やかな一日が始まり☆
朝食を運んできたままスタッフの2人は椅子に腰掛けて、にぎやかなおしゃべり♪を始めます。お互いに片言の英語と日本語で、ガイドブックや写真を見せたり〜絵を書いたり〜そして私達は朝食も食べなきゃならないし〜そうこうしてるうちに、お迎えのドライバーさんの来る時間になるし〜毎日楽しい忙しいひと時でした。
外出から早めに帰宅した時は、洗濯機を借りて自分達で洗濯をしたり〜買い物して来たものを写真に撮ったり〜突然スタッフと日本語教室を始めたり〜予想をはるかに超えて充実した時間を過ごした素敵なビラ滞在でした。

ただオープンエアのガーデンバスルームは在りましたが、バスにお湯が溜りません。シャワーのみにしても最初の一人が入るともうお湯が終わってしまうのです。熱帯の気候のバリで確かに水のシャワーでも十分かもしれませんが、皆昼間の熱さと疲れからストレスが溜まり・・・誰かが体調を崩すか?・・・これは危険信号!です。
どこかにお風呂に入りに行かなくては〜それではと手配したのがエステ・スパのお店でお風呂・ジャグジーのみ利用が可能な所、そしてリゾートホテルへの避難宿泊。
結局ヌサドアのグランド・ハイヤットに泊まりにでかけ、[旅で疲れた時の日本食!]を食べて、全員元気を取り戻しました。
もう一つのテーマがバリの工芸品アタのかごとダブルイカットで有名な「トゥンナガン」に
行ってみたいでした。
ドライバーさんに相談?(日本語はだめで英語のみでした)して、途中のスマラプラ宮殿やチャンディダサそして帰りにはテガラランのライステラスも回って貰う、超ロングドライブを慣行して貰いました。
私達の大好きなお買い物もバティックをはじめシルバーアクセサリー・インテリア小物・ココナッツ石鹸・バリのコーヒー・お塩・ココナッツの木で出来たスプーンフォーク
そしてジンバランのジュンガラに行って食器も買いました。
別の日にはバリ伝統芸能レゴンダンスも、ホテルのディナーショウのレゴンは観光客向けのプログラムになっているので、是非ウブドの宮殿で行われるティルタ・サリのを見たいと御願いしました。
予想通りレゴンとクビャールトロンボンには感激し演奏もすばらしいものでした。バロンダンスは昼間観れますが、レゴンダンスは夕方から行われる為、帰りが遅くなるので帰りの足を確保して置かないとホテルに帰れないという事になります。
私達のつたない英語に付きあい、わがままな御願いを聞き色々アドバイスしてくれたドライバーさんには本当に感謝しています。

同じ2002年10月には夫婦で再度ビラ・ティピカリに13日間滞在しました。
この時はティピカリのスタッフに頼んでバリの料理を教えてもらいました。作ったご馳走は
スタッフ全員とドライバーさんとでランチパーティをして食べました。
こんな事を御願いしたゲストは始めてだったようです。
景色がすばらしいので是非連れて行きたいと勧められたキンタマーニへも出かけました。
途中ティルタエンプル・グヌンカウイ・タンパクシリンなどにも立ち寄り、バリ観光らしい旅をしました。
そして、帰国の前日、リッツカールトンのディナーショウを楽しんでジンバランからチャングーへ帰るのに、土曜日の夜でクタの道は車が混んでいるだろうからと別の道からティピカリに帰りました。そして、30分後ものすごい衝撃音がして、あのテロ爆弾事件が起きました。TVもラジオも無いビラでしたので、翌朝ドライバーさんが来て教えてくれるまで私達は知らずにいました。
大変な事件が起きて被害の情報がなかなか伝わってきません、それに帰国の飛行機は飛ぶのかだんだん心配になり〜ともかく空港に早くに行くことにしました。
クタの通りは閉鎖され警察官が怖い顔してあちこちに沢山いる状況の中、デンパサール空港に送ってもらいました。空港フロアーは急いで帰国する人たち・白い包帯姿の人たち・車椅子に乗った人たちが目立ち、警備の人も多くぴりぴりしたその雰囲気に緊張しました。
予定通り飛行機は出発し私達は無事帰国出来ました。
日本に帰ってからTVのニュースで事件が報道され多くの犠牲者が出たテロ爆弾事件だと知り、何故それが平和な観光の島バリ島に起きたのか不思議でなりませんでした。

2004年の12月から新しい順にに思い出しながら写真で綴ってきましたバリのアルバム、
ここまでお読み頂き本当に有難うございました。旅行会社のセットされたツアーで行く旅とは違って、常に自己責任の自覚と緊張感とハプニングに備えて現地で日本語で相談できる所を確保して出かけた私達の旅行は、おかげさまで大変思い出深いものとなりました。