沖縄県シンポジウム発表レポート

みなさん、こんにちは。ただいま、ご紹介頂きました○○めぐみです。
こんな大きな舞台に立たせてもらえるなんて、おこがましいのですが、嫌いじゃないので(笑)
私は、ちっちゃいけど、昭和47年7月22日生まれの28歳です。←6年前の話。
生後7ヶ月の頃、黄疸が消えず、手術をして肝硬変と診断されました。
当時は、病名を診断するのに手術しないと細かいことが分からなかったのに、
今ではハイテクな機械のおかげで痛みが少なく、すぐ病気が発見出来ますね。
赤ちゃんの頃から、自分で言うのも変だけど、頑張り屋さんでしたね。
でもその言葉が子供心に甘えることが出来なくなったきっかけだと思います。
私の親戚で同じ病気の佐織ちゃんとその弟、隆広くんがいました。
いつも私に「お姉さんだから大丈夫よね?」
佐織ちゃんや隆広くんに「メグちゃんは頑張っていたよ」と言う看護婦さん達。
私は声を出して泣いたことがありませんでした。
涙を浮かべていながらも唇をかみしめて我慢していました。
今でも私は声をあげて泣いたことがないんです。
どんなに痛いことをする時も、先生を嫌うことはなかった。
それは、いつも私のそばにいて、私を一番近くで見守ってくれるからです。
採血して泣いても、頑張ったら頭をなでてくれて「よく頑張ったね」と言ってくれた。
先生には拒絶されることはなかったし、いつも受け入れてくれたから
28歳になった今でも先生は私にとって大切な理解者です。
黄疸が強く、小学校で肌の色が違うといじめられたり、みんな同じ年の子ばかりなのに、
私はみんなと対等にやっても何一つ出来ないもどかしさがあり、
よく母親とぶつかっていました。
小学校5年生くらいだったと思います…私がいじめられたことに苛立って、母親に
「こんな私をどうして産んだのよ」と罵声をあびせた時
「しょうがないじゃない、生まれて来ちゃったんだから」と言われて、
この人は、私のママじゃないって思ったこともありました。
しかし、その夜トイレに起きた私は、泣いている母親を見てしまいました。
あの言葉で母親が泣いていたんだと子供ながらに気がついたことを覚えています。
このことがあってから、少しずつ自分の病気について知りたいと思うようになり
小学校6年生から1人で病院へ行き、先生に
「もうママと来なくなったからメグが分かるように言ってね。
おうちに帰ってママに教えてあげるんだから」と言っていました。
中学生になってもいじめは続いていましたが、私には1つの目標がありました。
それは…皆勤賞をもらうことです。
当時、いじめられても仲間はずれにされても欠席することが負けだと信じて、
めげずに毎日学校へ行きました。
そしたら、いじめる方もかたすかしみたいで、いつの間にかいじめられなくなっちゃいました。
これって、メグの勝ちですよねぇ♪
学生の頃は、なるべく学校優先。月1回の通院と毎年夏休みの検査入院。
小学校に入ってからずっと夏休みの思い出なんて入院しかありません。
毎日閉じこもりっぱなしの入院生活だから、宿題の絵日記を書くのが辛かったです。
中学2年間皆勤賞。
中学3年の夏休みで入院が1日だけ伸びて精勤賞になりましたが
校長先生は
「○○は、よく頑張っているよ。本当は皆勤賞あげたいくらいだ」と言ってくれました。
高校生になると、人並みに通学途中で同じ電車に乗る他校の生徒を好きになって
手紙を渡したけど案の定フラれちゃって自信喪失…。
いつも積極的に行動する方なんです。
でも片意地張るから可愛くないって男の子に言われます。
小さな頃から無理して背伸びばっかり。
人に弱みを見せられない子になっちゃったんですよね。
もっと素直に、出来ないことは手伝ってもらえばいいのにね。
考えたら、ソンな性格してたみたいです。
高校卒業する時、福祉の専門学校へ行こうと、受験。
面接で自分の病気のこと話して「人の役にたつことをしたい」と言ったら
「あなたは、介護される側の人です」と言われ、不合格。
・・・人生初めての挫折・・・
あまりのショックで、自分の存在価値はあるのだろうかと悩んだ、ひきこもりの日々。

だけど、ヒマな毎日が苦しくて、
手話講習会や点字講習会・英会話などの習い事をしました。

私は昔から、人と話すことが大好きなんです。
いろんな人と話すことで自分について考えさせられたり、
相手に対する優しさが増えたり、学ぶことや教えてあげられること、
痛みや淋しさとか感じることはたくさんあります。
いろんなことを生きている限り知りたいと思っています。
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