夏井戸に研究所を設立した頃の相澤忠洋


西暦

年号

年齢

ことがら

1926

大正15年

0才

6月21日東京府荏原郡羽田村にて相澤忠三郎・いしの長男として出生

1934

昭和9年

8才

4月鎌倉市へ新居完成。古代遺物に接し心ひかれる

1935

昭和10年

9才

父母離婚。阪東札所一番、杉本寺に預けられる

1937

昭和12年

11才

父と共に群馬桐生市に転居。8月浅草に小僧奉公に出される

1938

昭和13年

12才

浅草「東京市正徳尋常夜学校」夜間4年に入学
帝室博物館(現在の東京国立博物館)守衛数野甚造氏の知遇を得る。

1944

昭和19年

18才

5月横須賀武山海兵団志願入団
12月二等駆逐艦「蔦」配属、水兵長に任官。

1945

昭和20年

19才

2月「蔦」呉港に向けて横須賀を出撃、阿月にて偽装接岸し、特攻出撃を待つ。
8月山口県柳井市阿月に於いて広島投下の原爆キノコ曇を見る。
終戦に伴い、桐生に復員する。

1946

昭和21年

20才

群馬県新田郡笠懸村稲荷山前の切通しの関東ローム層中に石剥片を発見、注目し以後このこの解明と調査に当る
(後の岩宿遺跡)

1947

昭和22年

20才

4月、 東毛考古学研究所を設立
この頃群馬師範教授尾崎喜左雄先生の知遇を得る。

1948

昭和23年

22才

5月、不二山遺跡(勢多郡新里村)発見
前期旧石器時代約5万年〜6万年前

1949

昭和24年

23才

7月、笠懸村岩宿の稲荷山前切通しに於いて槍先形尖頭器を発見。東京にて芹沢長介先生と邂逅し赤土から出土する石器について語る。
9月17日、
岩宿遺跡を明治大学の杉原荘介助教授・芹沢長介先生・岡本勇さんと相沢の主宰する東毛考古学研究所(堀越靖久・加藤義正氏らが参加)の合同で発掘する。杉原助教授ハンドアックスを発掘し相沢の発見が立証される。
日本で初めての旧石器文化の学術調査
10月2日より10日まで、杉原荘介先生を調査主任とする明大考古学研究室が岩宿遺跡の第一次発掘調査をおこなう。また、相沢も東毛考古学研究所として合同調査をする。(塚田光氏が参加)

1950

昭和25年

23才

2月、群馬県伊勢崎市権現山遺跡発見調査
前期旧石器時代・約4万5千年前
4月、明治大学による岩宿遺跡第二次発掘調査に参加する。

「赤城山麓文化のあけぼの」『考古学の友』3-1

1951

昭和26年

24才

1月、那須の別荘に大山柏先生を訪れ、旧石器に関する教えを受ける。
9月、桝形遺跡(勢多郡宮城村)発掘調査
後期旧石器時代の細石器文化の層位的確認

1954

昭和29年

28才

9月2日から8日芹沢長介先生の矢出川遺跡発掘調査に参加。由井茂也氏を知る。

1955

昭和30年

29才

4月、三浦きみと結婚

1956

昭和31年

30才

日本第四紀学会員となる
5月、マリンガー氏により「アントロポス」スイス「マン」英国等の考古学雑誌に相沢のことが紹介される
「北関東赤城山麓におけるマイクロコアの発見」『貝塚』第58号

1957

昭和32年

31才

「赤城山麓における関東ローム層中諸石器文化層の位置について」『第四紀研究』第1巻第1号
相沢による赤城山麓の旧石器遺跡の最初の編年

1958

昭和33年

32才

11月、西鹿田遺跡(新田郡笠懸村)発掘調査
旧石器文化から縄文時代草創期文化の層位的確認

1959

昭和34年

33才

5月、フォトアート創刊10周年記念号に土門拳氏を岩宿遺跡に撮影案内をする。
8月、西九州「福井洞穴」学術調査団団員、芹沢長介先生と共に参加する。その後矢出川など芹沢先生の発掘には必ずといっていいほど相沢さんの姿があった。
12月、
「赤城山麓に於ける縄文早期文化と西鹿田遺跡発掘調査の意義」『古代文化』(昭和34年12月号)

1961

昭和35年

35才

11月23日群馬県より岩宿遺跡発見の功労により表彰される
『赤堀邑のあゆみ』赤堀村教育委員会

1963

昭和37年

37才

日本人類学会会員となる

1964

昭和39年

38才

藤森栄一先生の訪問を受け、岩宿遺跡で想い出話をする

1966

昭和41年

40才

2月〜8月国民百科(雑誌)に「岩宿への道」7回連載

1967

昭和42年

41才

4月岩宿遺跡発見の功績により第一回吉川英治文化賞受賞

1969

昭和44年

43才

1月 『岩宿の発見』講談社

1970

昭和45年

44才

磯遺跡(佐波郡赤堀村)発掘調査
前期旧石器時代・約10万年前

1971

昭和46年

45才

10月廃バスを利用して夏井戸遺跡に『赤城人類文化研究所』を設立

1972

昭和47年

46才

国立宇都宮大学講師となる(集中講義)
8月夏井戸遺跡(勢多郡新里村)発掘調査
前期旧石器時代・約10万年前

1973

昭和48年

47才

1月妻きみ胃ガンの為死去、享年43才

1974

昭和49年

48才

日本考古学協会員となる(芹沢先生の推薦による)

1975

昭和50年

49才

11月過労がもとで三ヶ月間入院する。
12月夏井戸遺跡資料収蔵庫完成

1976

昭和51年

50才

4月群馬県文化財保護審議委員となる

1977

昭和52年

51才

11月18日群馬大学名誉教授七条小次郎先生ご夫妻のご媒酌により久保田千恵子と結婚

1978

昭和53年

52才

10月 『地下に歴史を掘る−日本の考古学100年』を朝日新聞社より出版(斉藤忠、坪井清足、網干善教、杉原荘介ほか共著)

1980

昭和55年

54才

7月 『赤土への執念』佼成出版より発刊

1981

昭和56年

55才

10月関矢晃氏と共に宮城県座散乱木遺跡研究会に出席する。遺跡発見者藤村新一氏とあう。

1983

昭和58年

57才

1月桐生厚生病院に脳内出血の為3度目の入院(以後亡くなられるまで病院暮らしが続いた)

1985

昭和60年

59才

10月第20回全国史跡整備市町村協議会より全国表彰される。表彰式には相澤千恵子夫人が代理出席。

1988

昭和63年

62才

11月 『赤城山麓の旧石器』講談社より発刊される
(関矢晃氏と共著)

1989

平成元年

63才

5月22日桐生厚生病院にて脳内出血の再発により午前7時38分死去、桐生市薬王寺に眠る。逝去の日勲五等瑞宝章が国より贈られた。
11月5日笠懸村より名誉村民第一号の称号贈られる。

1991

平成3年

 

4月28日「相澤忠洋記念館」開設。
9月15日「相澤忠洋賞」創設。

1992

平成4年

 

4月1日「相澤忠洋記念館後援会」設立。
5月3日相澤忠洋記念館開設1周年記念講演会 講師:芹沢長介先生。
9月15日藤村新一氏に第1回「相澤忠洋賞」贈呈。

1993

平成5年

 

4月1日〜5月30日第1回企画展「芹沢_介作品展」。9月15日由井茂也氏に第2回「相澤忠洋賞」授与。

1994 平成6年 3月26日相澤忠洋頭像、八木叔子氏より寄贈さる。
4月1日〜6月30日「縄文土器展」武居幸重氏講演会。
8月30日「忠洋会々報」2号発行。
1995 平成7年 4月18日〜7月31日七回忌追善第3回企画展「足尾路遺文展」。
9月15日東北旧石器文化研究所、第4回「相澤忠洋賞」贈呈。
1996 平成8年 5月12日芹沢先生、記念館5周年記念講演会。
9月15日尾関清子氏に第5回「相澤忠洋賞」贈呈。
1997 平成9年 9月21日岩宿大学第3講「岩宿と相澤忠洋座談会実施(相澤忠洋研究の足跡その再検討と再評価)」【パネラー芹沢先生・梅沢先生・関矢氏・堀越氏・川島氏】。

1999

平成11年

 

4月17日「岩宿遺跡発掘50周年記念特別企画展」が岩宿文化資料館で開催。
4月17日〜6月13日『岩宿時代を遡る』
7月17日〜9月15日『日本史を書き換えた「岩宿の発見」』
10月1日〜11月23日『岩宿遺跡発掘50年の足跡』
9月10日松島栄治氏に第7回「相澤忠洋賞」贈呈。
9月17日岩宿遺跡発掘50
周年記念切手(80円)発行される。

2000 平成12年 11月5日藤村新一氏の遺跡捏造を毎日新聞社が発表。
11月12日藤村新一氏と東北旧石器文化研究所に贈呈した「相澤忠洋賞」を返納させる。
2001 平成13年 1月「波乱の考古学を憂える」『中央交論』1月号に芹沢先生執筆。
8月5日相澤忠洋記念館緑陰文化講演会にて、加藤正義氏「岩宿遺跡発掘の思い出ー若き日の相澤忠洋さんを偲んで」を講演。
9月16日「相澤忠洋胸像」岩宿遺跡B地点に建立し、除幕式を挙行。台座の銘文は芹沢先生の揮毫による。
2002 平成14年 1月1日相澤忠洋記念館会報「夏井戸だより」創刊号発行。
5月19日「槍先形尖頭器モニュメント」を相澤忠洋記念館入り口に田村岳峰氏寄贈により設置、序幕式挙行。
10月20日相澤忠洋記念館緑陰文化講演会にて、大里仁一「相澤忠洋先生の思い出」を講演。
2003 平成15年 5月1日〜9月28日相澤忠洋記念館11回企画展<平面発掘の先駆け>「三ツ屋遺跡展」を開催。
4月27日〜9月28日「私の描いたマドンナ達」川島正一素描展、ギャラリー夏井戸で開催。
5月1日大型耐火・防犯金庫を設置。
2004 平成16年 1月15日『仮称・相澤忠洋伝』編集委員会発足。
1月29日〜2月11日劇団民藝「明石原人」を東京新宿紀伊国屋ホールで上演。劇中、相澤忠洋役が当時を演じていた。
2005 平成17年 4月1日『「追憶相澤忠洋」-1949年9月11日 この日に歴史が動いた』を刊行。
7月24日「石器つくり講習会」。
9月18日「吉川賞と吉川英治その人」と題する文化講演会講師:吉川英治記念館顧問城塚朋和氏。

 

参考文献

相澤忠洋記念館『相澤忠洋記念館のしおり』
由井茂也『草原の狩人』ほおずき書籍 1993年


こちらの年譜は、相澤忠洋記念館作成の年表をもとに、脇本が『岩宿の発見』『赤土への執念』など相澤先生の著書をもとにまとめたものです。なるべく、年・月をはっきりさせるようにいたしましたが、不明な部分はそのままになっております、お許しいただきたいと思います。

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