「当時の道路は今のようにきれいに舗装されたものではなく、また途中に熊谷と板橋に、あわせて二カ所の坂道があり (注)、ここを登るには短い時間だが、一呼吸おかなければならなかった。九時間だから、往復だと一日の三分の二を自転車に乗っていたわけであるが、東京に行って、また新たな知識を得られるのかと思うと、それほどつらくはなかった。ただし、いくらかくたびれたことは確かである。私はすこしでも疲労を少なくするためにいろいろと工夫した。といっても、さほどいい方法は思い浮かばず、冬とか春先には、上州名物のからっ風を利用するべく、荷台のいつも納豆をいれるカゴに、先生方に見ていただく石器のほかに着替えの洋服なども積んで、さながら帆船の原理にのっとってペダルをかろやかにするぐらいがせいぜいだった。」(『赤土への執念』より)


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