記念館入口

 本日は相澤忠洋記念館へようこそお越し下さいました。こちらが、記念館の入口でございます。当館は、相澤が前期旧石器時代追求の過程で発見した、約六万年前の人類の生活した跡である夏井戸遺跡の中に、昭和54年に「赤城人類文化研究所旧石器資料室」として開館いたしました。平成元年の相澤の死後、終生の友であり師でもあった芹沢長介先生を名誉館長に夫人の相澤千恵子を館長として平成3年に「相澤忠洋記念館」として開館いたしました。


 

設立当初の記念館(赤城人類文化研究所旧石器資料室)

中央が記念館の建物、建物の左側の崖が夏井戸遺跡の露頭である。記念館の建物のある場所を含め3カ所が層位発掘の対象になった。


 
設立当初の赤城人類文化研究所旧石器資料室

 相澤は岩宿遺跡をはじめとして夏井戸遺跡にいたる21カ所の旧石器遺跡を発見いたしました。この数は旧石器研究者としては希有のことであり、相澤の歩くところに必ず遺跡が出るといわれました。相澤は発見した石器や遺物を決してわたくしせずに、訪ねてくる多くの人々に語りかけました。このように多くの人々に旧石器を見てもらいたいという相澤の願いが当館の設立のきっかけなのです。


 

写真左 当館入口看板 題字は京都法輪寺(だるま寺)住職 佐野大義先生揮毫
写真右 入口の看板


夏井戸に研究所を構えた当時の相澤

 相澤は岩宿の発見以後も赤城山麓をフィールドに旧石器の探求を続けました。そして、最古の旧石器を求めて夏井戸にすべての財産をつぎ込み「赤城人類文化研究所」を設立したのです。当初は廃バスと2棟の物置がもの施設のすべてであった。その後資料館、住居が完成し、ようやくにして相澤の研究環境が整ったかに見えたが、時すでに遅く長年の無理がたたり、入院寝たきりの暮らしになってしまったのである。そのときのことを千恵子夫人は「相澤は今ゆっくりと休んでいるのです、長い間ひたすら走り続けてきたのですから。」というように回想している。

  

写真右 現在の廃バスの研究所のあったあたり
写真左 記念館の建物に向かう

 現在の相澤忠洋記念館


記念館の中の様子(常設展示)



 

 

  

 


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